お母さんの頭が爆発した。
比喩表現じゃない。大げさに言ってるのでもない。
現実の出来事として、お母さんの頭が目の前で爆発して吹き飛んだ。
――その時にどう思ったか……。
うん……。ちゃんと覚えておかなきゃって思うけど、後から振り返ってもみても上手く言葉に置き換えることができないんだ。
ただ衝撃的で、呆然としていた。
「あ、ああ……っ?」
――ある程度の予測はできていた。
まず、お父さんの変身は頭が割れてチェンソーが飛び出てくるってこと。
そして、お母さんの変身は、お父さんのそれよりもグロいらしいこと。
分かってはいたけど……爆発って、いくらなんでもありえないでしょ?
あれは自力で起こしたアクションって感じがしない。“何かされた側”の出来事だよ。
あの時の私は事故だって感じた。
お母さんが木端微塵になっちゃった、って。ううん、そんなことも考えられてなかったと思う。
すごい音がしたし、爆炎が立ち昇っていた。
それでもお母さんの身体は立ったままだった。
倒れなきゃおかしいのに、それどころか抉れた肩の肉が逆回しの映像みたいに再生していった。
腕には黒い糸のようなものがわさわさと覆っていき、胴からも似たようなものが伸びていてエプロンみたいになっていって――いつの間にか、黒い金属に覆われた頭ができていた。
「お母、さん……?」
その女の人は、こちらに背中を見せたまま、後ろ手でピースを作ってみせる。
ああ、お母さんだって、安堵を覚えたのをよく覚えている。
お母さんと鷹の魔人、二人は対峙したままじりじりと距離を測っていた。
互いにナイフを持っていて、命を狙い合っている。
なのにどっちも訓練みたいに躊躇なく制空圏に踏みこんで、流れるように一撃が交差した。
ナイフを持つ手、空の手、足運び――
速すぎて目で追うのがやっと。そこにどんな読み合いが含まれているのか、分かるところもあるし分からないところもある。
今でも忘れられない。
あの応酬は、きっと本物だった。
私の朝の訓練なんてお遊びだ。
あんな高レベルの戦いが成立するためには、もっともっと真剣で気の遠くなるような反復訓練が必要だ。ううん、それだけじゃまだ足りない。実戦に裏打ちされた決断力がなければならない。
決着は、あっけなかった。
鷹の魔人のナイフを持った相手の腕をお母さんが取って、相手の喉笛を掻っ切った。
きっと鷹のほうにも分厚い経験の積み重ねがあるだろうに、一瞬で。
「……ふう」
お母さんはこちらを振り向いて、私を見た。
目がどこにあるか定かではない形状の顔だったけど、多分、私に怪我がないかを改めて確認したんだと思う。
お母さんは私の横を通り過ぎながら「そこで待っててね」と呟いて、お父さんたちの元へと向かう。
そのとき私はようやくお父さんたちの方にも悪魔がいたのを思いだした。
――うん。私はこの時、初めてお母さんたちが教えたかったことが分かったんだと思う。
悪魔との戦い。実戦。現場。
それらは私の想像とは何もかもが違った。
私はデビルハンターのお仕事をゲームのようなものだと思っていたのかもしれない。
依頼を受けて、敵を倒して、報酬をもらう。
そんなモニター越しの、クリアできることが前提で組まれた流れ作業のようなものだって。
実際は全部が違った。
まず悪魔という存在が殺意をもって襲い掛かってくること自体が衝撃だった。
牛頭の悪魔の血走った眼。
鷹の魔人が振るったナイフの切っ先。
怖いとか以前の問題で、死ね、という意志を向けられたことに戸惑って身体が固まってしまった。
デビルハンターはそういうのに当たり前みたいに立ち向かっていかなきゃならないんだ。
雑木林と泥道、その境目でお父さんたちは戦っていた。
キャベツの悪魔を何人も斬り伏せて、爆破して、次々にやっつけていく。
お父さんたちが簡単に勝てている理由は実力差があるからだけど、それだけじゃないってもう分かっていた。
殺意を向けられても平気でいること。逆に殺すのができること。
それが勝利するための最低条件。
社長さんが私の元に退避してきて「ちょい下がろっか」って声をかけてきた。
私は頷いて、安全圏に退避する。
「いやあ、やっぱ先輩たちは強いわ~」
「ねえ、社長さん」
「ん~?」
「どうしてあんなに強いのかな。悪魔の力があるからだけじゃないよね」
「そりゃ色々だよ。才能とか努力とか、ちゃんと準備してるかとか油断してないかとか。あと判断力とか? アタシも偉そうに言えるほどの実力はないんだけどさ」
「デビルハンターってすごいんだね……」
「すごくはないよ。仕事って何でもそーゆーもん。ただデビルハンターはポカをやったら自分が死んじゃうからヤバいだけ」
キャベツの悪魔が一掃されるとその破片に豚の悪魔が飛びついた。
かぶりついて食べていく。近くに倒れていた馬の悪魔まで貪って、そのたびにどんどん巨大になっていき、怪獣みたいに咆哮をあげた。
お父さんはギャハハ!って笑いながら突っこんでいく。「トンカツ定食にしてやるぜ~!」って。
すごいというか、私の知らない世界があるんだって思い知った。
***
正直もうお腹いっぱいだったけどまだまだお仕事は終わらない。
というか始まってもいなかった。
現場にも入っていないから。
今はその手前の場所で、はみ出てきた悪魔を倒しただけ。
ちゃんと割り振られた担当場所を一巡してこなきゃいけない。
ひとまず、横倒しになっていた社長さんの車を元通りにする。
当初の予定通りに徒歩で向かうことになった。
「なあなあエリ~、どうだった? お母さんグロかっただろ~?」
「まあ……びっくりしたかな」
「……大丈夫? 引いてない?」
「引いてないよ。驚いただけ」
「なら良かった」
チェンソー男とボム女に挟まれて泥道を歩いていく。
知らない人が見たら悪魔に誘拐されている子どもって感じに見えるだろうなって思う。
社長さんが同行しているからかろうじて人間と悪魔の混成部隊って言い訳できそうだけど。
「レゼ先輩~、復帰して下さいよ~。時短でいいし、なんなら週一とかでもオッケーっすから!」
「えー。ダメ」
「裏方でもいいっすから! 総務とか人事とか!」
「そんなこといってズルズル引きこむ気だろ~? バレバレだから」
「そんなぁ~。後輩が可哀想って思わないんスか~?」
「お~頑張ってて偉いね~、偉い偉い。よしよし」
「そういうんじゃないんだよなー!」
歩いているうちに集落に到着した。
意外なことに家々には普通に人が暮らしていた。
誰も怪我とかしてなくて、建物が壊された形跡もなかった。
調べていると代表者っぽいお爺さんが事情を教えてくれた。
「――悪魔は増えたけど、襲ってこない?」
「お~、村には入ってこないんじゃ」
「どうして?」
「キャベツ教のおかげじゃのう」
「あ~……はいはい。そういうやつか」
キャベツ教。
私も聞いたことがある。
何でも日本の東京発祥の宗教団体で? 入信すると痩せるとか? そんな噂があるから高等部の女学生や女子大生、OLが信者に多く、下心で入信する男も多いらしい。
入信特典は『一部の悪魔に襲われなくなる』こと。
スローガンは『野菜を食べれば天国に行ける! 死を恐れるな!』……だったかな。
「うへえ~。こんな田舎にまで信者が増えてんのか~」
「キャベツ教ってアレだよな? 恐怖の大予言んときにすげー増えたやつ」
「あの時はヤバかったよね……」
私がまだ生まれたばかりの頃の話だ。
ノストラダムスの大予言。
1999年7月、人間がたくさん死んだらしい。
原因・死因、一切不明。
国や地域、人種・年齢・性別の区別なく、ランダムに選ばれた人間が外傷・病気の兆しなく突然生命活動を停止した。
死者は10億人とも20億人とも言われているけどそんなに死んだら文明が衰退するレベルだからもっと少ないはずって特集番組で専門家が言ってた。けど十年以上経った今でも真実ははっきりしない。
そのヤバすぎる現象に対抗するように勢力を拡大したのがキャベツ教だ。
――キャベツ教に入信していれば
始めは誰も信じてなかったけど野良悪魔が信者だけは襲わない映像がテレビで何度も放送されて入信者が爆発的に増えたんだって。
「ふ~ん。で? そのキャベツ教に入ってるから爺さんたちは平気なんだ?」
「そうじゃ。おぬしもどうじゃ? ほれキャベツ」
「俺ぁ肉が好きなんだよ」
「若い娘がいっぱいおるぞ。キャベツ教は多夫多妻制じゃ」
「なにっ…………とでも言うと思ったかぁ~? 一夫多妻なら考えてやってもいいけどよ~」
「ん? もっかい言って?」
「冗談だヨ?」
ひとまず村民の無事を確認できただけでも御の字だ。
私たちは村一番の大木の根元で輪になった。作戦会議だ。
地図を広げてこれからどう動くのかを話し合う。
ポイントとルートを決めてぐるっと一周することにした。
「悪魔がどっか一ヵ所に集まってると楽なんだけどな」
「お母さん、飛べるんだよね? 上から確認できたりしない?」
「この辺りは森が多いからね」
「あ、そっか」
「地道に行くしかないっすね。そんじゃもうちょい休憩してから出発することにしましょっか」
「おう~」
木陰で座りこむ。
初めにお父さんがトイレに行き、次にお母さんが居なくなる。
見上げると太い枝と葉が揺れてざわめきをたてていた。
水筒のお茶が美味しい。
戻ってきたお父さんに聞いてみた。
「ねえ、お父さんって私より小さい頃からデビルハンターやってたんだよね?」
「あ? そーだよ。言ったっけ? 俺ぁすげえ借金があったから、やんねえとバラされて臓器売られるとこだったんだよ」
「やば……」
「つかいくつか売ってたし」
「やばすぎ……」
「それが?」
「怖くなかったの?」
「何が?」
「悪魔と戦うの」
「別に? っていうか、最初はどうにでもな~れって感じだったな。もう俺ん人生これ以上底はねえんだって。そんでいつの間にか慣れてた」
「じゃあどうして今も続けてるの?」
「んん……? そりゃあ……あれ、なんでだ?」
「ちょっ、ちょ、先輩? ヘンなこと考えないで下さいよ?」
「いや別に辞めねえから。まあ、そうだなぁ……昔、向いてるって言われたからかもな」
「それだけで?」
「ああ。エリもそういうのあるだろ? 絵が上手いとか歌が上手いって言われると続けてみっかってなるやつ」
「まあ分からなくはないけど……」
お母さんが戻ってきて出発することになった。
集落を抜け、4人で轍の通った砂利道を踏みしめていく。
道なりに進んでいき、緩やかな傾斜を登っていくと、丘のてっぺんにでた。
一気に視界が広がった。
頂上は正午前の陽にじんわりと温められ、草の臭いが漂っていた。
ざわり、と草原が揺れる。
風に呼応して全体が一つの大きな波となる。いくつもの緑の濃淡がうねり続けている。
その中に、一人の女性が立っていた。
横顔に思わず目を奪われる。
美形とはこのような人を指すのだと思う。
きゅっと結ばれた唇は強い意思を感じさせ、切れ長の瞳は月のように光沢を帯びている。豊かでクセのない黒髪はどこまでもなめらかで女の私でもつい触れてみたいと思ってしまう。
その女性は丈の短いワンピースにケープを羽織り、長い直剣を携えていた。
「おーい、お嬢ちゃん。そこで何してんの?」
「デビルハンターかな? 社長、知ってる?」
「いえ、ウチの子じゃないっすね」
女はついと振り向いた。
透き通った瞳が私たちを捉える。
いや、正確には違った。彼女が見つめていたのはお父さんただ一人だ。
鈴のような声が鳴る。
「デンジ」
「あ? 俺んこと知ってんの?」
「会いたかった」
「ん……おう? 俺ら会ったことあったっけ?」
「あの夜は……デンジは、酔ってたから……」
目の覚めるような美人だった。
大学生か、卒業したての新社会人といった風貌で、どこか淋しさを残したような面差し。洗練された佇まいの中に危うい幼さが同居している。もしも男が二人きりになったなら必ず声をかけるだろうと思える隙を残した女。
その彼女が、ゆっくりと自らの下腹のあたりに手を添えた。
言った。
「できたみたい」
お父さんは聞き返す。
「何が?」
女は目を伏せて、小さく呟いた。
「分かるでしょ……?」
――後から聞いた話、だけど。
悪魔には色んなタイプがいるらしい。
まず直接的に人間を攻撃してくるタイプ。
ほとんどがこっちに属していて、お父さんもお母さんも相手をするのは慣れているみたい。
で、その他にあたるのが、特殊な力を使って搦手で攻撃してくるタイプなんだけど、これが厄介で、対抗するためには知恵や精神力が必要になるんだって。
お父さんは苦手だって言ってた。
お母さんも得意ではないみたい。
そんなのも相手にしなきゃいけないんだからデビルハンターって大変な職業だなって思う。
うん。本当に……すごく大変なんだって思い知ったんだ……。
その時の私にはよく分からなかった。
全然、これっぽっちも、分からなかったんだ。
分からなかったけど、何となくそうした方がいい気がして、隣に立っているお母さんを見た。
見たんだ。
お母さんは、唖然というか、茫然というか……時間が止まったような顔*1をしていたよ。
お父さんはまだよく分かっていないみたいだった。
「え。何? できた……って、何? 俺? 俺が……? 俺となの? えっ!? はああっ!?」
私はこの時、初めて気配というものを知った。
この世には漫画でいうところの戦闘力とか霊圧みたいなやつが本当に存在するって。
私の隣に立つお母さんから――ぬらぬらと、陽炎が波打つように、妖気のようなものが立ち昇ってくるのを確かに感じたんだ。
私は俄かに思い出す。
ちょっと前にお父さんが言っていたことを。
――あのなー、お母さんってエリが知ってる百倍は怖いぞ? 俺ん時なんて…………何でもない
あっ、これかぁ~。
って思いました。