「は、はは……。まいったなぁ~。俺、分かっちゃったよ。これ悪魔の仕業だろ?」
お父さんは苦笑いを浮かべながら目の前の美女に語りかける。
「キミさあ、本当に人間? 実は悪魔だったりしない? ……なぁ~んて」
女の人は眉を顰め、悲痛な面持ちで俯いた。
きゅうと唇を引き結んで一言も喋らない。
声をかけられる人間はいなかった。
社長さんも喋らないし、お母さんも喋らない。勿論、私だって喋らない。
喋れるわけないじゃん。
この状況で先陣きって話を切りだせる人がいたら是が非でも連絡してほしかった。私と代わってあげたのに。
地獄のような沈黙だった。
それが続くのを恐れてのことだと思う、お父さんはこの期に及んでまたヘラっと笑った。
今日一番でスゴイって思った。
ある意味勇敢で、賞賛に値する行為だったと思う。
「あのなレゼ、……レゼさん……? 流石にもう、分かってるよね? これ悪魔の罠だから。俺たちを仲間割れさせようとしてんの。な? な?」
「…………」
「なあ~、そんな顔するなって……。ちょっとさぁ、一つだけ聞いていい?」
「なに」
「何回くらいまでならボケても大丈夫?」
「ボケたら殺す」
「あっはい……」
お父さんは大きく息を吸って、天を仰いだ。
「――ふう。冷静になろうぜ? こんなの悪魔の仕業に決まってんじゃん。だろ?」
「でもこの子、本物の人間っすよ」
「だっ、だったらさァ、そういう催眠とかかけられてんじゃね~の?」
「その可能性は否定できないっすけど……」
「社長さぁ~! そこは俺の味方してくんなァい!?」
「いや、証拠ないんで。どうとも言えないっていうか」
「何もやってない証明なんかできねえから! それ悪魔の証明じゃ~ん!」
「12月4日……」
「えっ?」
お母さんが滔々と並べ始める。
「去年の12月4日。10月13日。9月27日。帰ってくるの遅かった。何してたの?」
「……はっ? え? いつのこと? なになに?」
「何してたの?」
「ま、待て待て……。そんなの覚えてんの? こええ~よ!?」
「何・してた・の?」
「い、いったん深呼吸しようぜ? 人を疑うのは良くないと思うな~、俺」
この頃になると流石の私も何が起こっているのかばっちり分かっていた。
メロドラマでよくある展開だ。
あなた、浮気してたのね!?
違う! 俺は何もしていない!
……ってヤツ。
ちなみにドラマだと男が浮気してたのがバレて修羅場になるのがお約束なんだけど。
「なあ~お嬢ちゃんもさあ、こういうの止めようぜ? 今はそういうことがあった気にさせられてるだけだって。全部悪魔の催眠術なんだって」
するとその女性は、ポケットから小さな袋を取り出した。
開くと、体温計のようなものが現れる。こちらに見せてきた。
そこには二本の赤い線がくっきりと浮かび上がっていた。
あ、これ知ってる。
感染症の陽性を調べるやつと一緒だ。
一本目が確認サインで、二本目が判定サイン。
判定サインがでてたら陽性ってやつ。
「オイオイオイ。死ぬわ先輩」
社長さんの呟きは予言のようだった。
「妊娠検査薬、陽性ですか……。大したものですね」
「俺じゃないってぇ~!? ホント! なぁんにも知らないんだからさァ~!」
お母さんは決壊寸前のダムみたいな顔になっていた。
お父さんが騒ぐたびに亀裂が入っていく。
社長さんは……「あはは。先輩そろそろ覚悟を決めたほうがいいっすよ~」と我関せずのスタイルだ。
「お父さんさ、ちょっと落ち着こ?」
「エ、エリ……」
「喋れば喋るほどクロっぽいんだもん。大丈夫、お父さんは嘘ついてないよ。私、分かるから」
「エリちゃあ~~んっ!」
「お母さんだって分かるでしょ?」
「でも……酔って……全部忘れてるだけかも……」
「してないっ! 俺っ、酔っててもそれだけはしないよお~! 信じてくれええ!」
ふと美女の声が透き通る。
「じゃあこの子はどうなるの……?」
誰も、何も、答えられなかった。
……まあ、冷静に考えれば、ね?
確かに色々おかしいよ。
この女の人はどうして私たちが偶々仕事で訪れただけの何の目印も無い丘でお父さんを待ってたの?
悪魔が跋扈する危険地帯なのに、身重の身体を抱えて、たった一人で。
けどそういう理屈はきっと今のお父さんとお母さんの頭には入らない。
二人ともこの世界の大地が崩れてしまったかのように冷静さを失っている。
「……ねえ、社長さん。これって悪魔の仕業だよね?」
「どうかな~」
「社長さん!」
「分ーかったって。そうだろうねえ、悪魔の可能性はあるだろうねえ」
「こういう時はどうしたらいいの?」
「まあ……仕掛けてきてる悪魔を見つければいいんじゃない?」
「どっかに隠れてるってこと?」
「いるんならね」
「でも、どこに?」
辺りを見回した。
小高い丘からは雄大な自然を望むことができた。
背の高い草花が絨毯のように広がっている。その奥には鬱蒼とした森林が立ち並んでいて、大きな湖まで見えている。
よし。
まずはできることから始めてみよう。
この一行の最大戦力であるお父さんとお母さん、その冷静さを取り戻させなければならない。
お父さんが浮気をしていないと証明するのは無理だから……発想を逆転してみよう。某裁判ゲームみたいに。
仮にお父さんが浮気をしたとするなら、それはいつなのか。
多分、お母さんが並べた日付のどれかだと思う。
お母さんは家にカメラを仕掛けたり、罠を仕掛けたりと、家族の安全を守ることに関してはガチガチに真剣だから、覚えている日付も正しいはず。きっとその日だけ本当にお父さんの帰りが遅くて心配で、強く印象に残ってたんだと思う。
よって、お父さんが浮気な行為をしちゃったとしたら、その直近は去年の12月4日となる。……ということにする。
今は3月だ。
およそ三ヵ月間経過している。
妊娠から三ヵ月。それはつわりのピークだって習った。
そんな辛い時期に、普通はこんな野原を剣を携えて歩き回ったりしないと思う。
やっぱりこの女の人の行動は不自然だ。
「ふぅ~ん。エリちゃんはそう思うんだ。でもその浮気(仮)がもっと以前だったら?」
「お腹の膨らみが目立つんじゃないかな」
女性に目を向ける。
ぱっと見ではそんな体型には見えない。
「――だからお父さんは浮気はしてないって私は思う」
「じゃあ、あの妊娠検査薬はなんなのさ?」
「本人の物かは分からないよ」
「別人の物ってこと? わざわざ用意したって? 何のために?」
「仲違いの悪魔とか、そんな感じの奴が通りかかった恋人や夫婦をターゲットにして陥れようとしてたとか」
「う~ん、異議あり。仮にそんな悪魔が居たらソイツはもっと人が多い街とかに行くでしょ。こんな野っぱらの丘で待ち伏せしてても誰も通らないよ」
「じゃあ……お父さんをピンポイントで狙ってた。ここに来るのを知ってた」
「悪魔がどうやってそれ知るの? 私らが今日という日にこの場所に来るって知ってる奴なんて人間でもほとんどいないよ。うちの会社と打ち合わせした御国のデビルハンターぐらい」
「じゃあ国が犯人だ」
「あはは。面白いね、それ」
なんか話がズレてきている気がした。
今問題なのは、『誰が』『何のために』という部分じゃないと思う。
『どうやったら』私たちを待ち伏せできたのか?
私たちがこのド田舎地帯に来ることは確かに御国も知っていた。
でもどのポイントを目指してどんなルートを通るかまでは推し量りようがない。それぐらい私たち一行の担当場所は広すぎる。
そもそもそれを決めたのがついさっきだし。
あの住人もまばらな集落の、周りに誰も居ない大樹の下で、私たちは地図を広げて話し合って決めた。
だからその時にカンニングするしか先回りできる方法はない。
じゃあ
例えば――あの大樹の上の枝葉の影に悪魔が潜んでいて、私たちが進路を決定する様子を覗き見していたとか。
……うん。それが一番ありそうな気がする。
するんだけど……私にはもう一つ気になっていることがあった。
あの作戦会議の内容を知ることができたのは、そんな居るかどうかも分からないデバガメ悪魔の他にもいる。
私たちだ。
私たち自身が知っている。
だから、私たちの中にも疑いの目は向けなきゃいけないと思う。
もしも私たちの中の誰かが悪魔だったら?
悪魔が化けていたら?
もしそうなら簡単に行き先を知ることができるし、あの女性に待ち伏せさせることもできると思う。
じゃあ、誰だろう?
その可能性が高いのは誰?
私は違う。
自らの潔白を知っている。
お父さんとお母さんは?
集落で一度席を離れたけど、その後にまた変身のオン/オフを切り替えている。仮に化けられる悪魔でもあのグロヤバい変身までは真似できないと思う。多分。
だったら、残るは――
「ねえ、社長さん」
「ん~?」
「さっきさ、あの女の人は人間って言ったよね? どうして分かったの?」
「そりゃ匂いで分かるでしょ」
「ああ、そう……」
「エリちゃん?」
「あのね、社長さん……人間は、そこまで鼻がよくないんだよ?」
社長さんはこちらに振り向いた。
「何を言いたいのかな?」
「始めに合流したときに……社長さん、牛の悪魔から逃げて林に飛びこんでたよね? その後すぐに出てきたけど……その社長さんって本物なのかなあって」
「……ふぅん。面白いことを言うねえ。それこそ悪魔の証明じゃない? 証拠はあんの?」
「ないよ。消去法」
「だったらさぁ」
「でも証明はできると思う」
社長さんは目を瞬かせる。
その顔の形も、声色も、本物にしか思えなかった。
けれど今はうちの家庭が崩壊するかの危機だった。
試せるものは試さなきゃいけない。
ぱっと手を伸ばし、社長さんが腰にぶら下げていた大きなナタを奪い取る。
振り上げて、上段から叩き落とした。
「おわああっ!?」
風を裂く音が爆ぜる。
土くれが飛び散った。
社長さんは、尻もちをついていた。
ナタを構え直した私を呆然と見上げている。
「ごめんねぇ、社長さん」
「な、なな、何を……」
「本物だったらこんなの簡単に対処できるよね。プロなんだからさぁ?」
偽物を判別する方法なら知っていた。
色んな漫画に書いてあった。ジョジョ然り、幽遊白書然り。
とりあえずぶん殴ってみればいい。
とはいえ鋭い刃を振り下ろせば死んでしまう。
私は一応、ナタの背の側を前にした。
これなら直撃しても死なないはず。るろうに剣心だって逆刃刀ならあれだけ殴りまくっても不殺でいられたし!
そう思うと、すぅっと覚悟が定まった。
一歩、にじり寄ると、社長さんは信じられないとばかりに目を見開いて後ずさった。
その反応がもう素人丸出しで、私には目の前の女性が偽者にしか思えなくなってくる。
「本物だったらマジごめん! 反撃されても……文句は言わないからさあ!」
「ああおおあああ!?」
悲鳴、大きく開かれた口、
その喉奥から、緑色の不定形生物が飛び出してきた。
触手のようなものがびゅるりと伸ばされて、命中直前だったナタを叩き落とす。
「ク、ク、クソガキぃ~~! てめえイカレてんのかぁ~!?」
白目を剥いて仰向けに倒れた社長さん、その口から、アップルグリーンの蛸のような生き物が姿を現していた。
「仲間ごと殺そうとするかァ普通よおお~~!?」
「わああ!?」
悪魔! 本当に悪魔がいた!
けど問題はそこじゃない。ナタでぶっ叩こうとした相手が本物の社長さんだったっぽいこと。
ブチのめしちゃダメな相手だったんですけど~!?
「寄生するタイプ……ってコト!?」
「何をゴチャゴチャと……バレちまったら仕方ねえ! 我が名は『で・き・ちゃっ・た』の悪魔ぁ! オスどもに未来が閉ざされる絶望を与える者っ!」
「き、キモすぎる……」
「黙れガキぃ! 今度はお前の身体を乗っ取らせろおお~~!」
「うわあっ!?」
緑の蛸が身をたわめた瞬間、怖気が走る。
ゴキブリが飛来するがごとくの嫌悪感に、思わずヘルメットを外して構える。あんなの素手で触りたくないにもほどがある。
敵の狙いは読めていた。
社長さんと同じように口内から侵入するつもりに決まってる。冗談じゃない! あまりのキモさに身の毛がよだつ。ヘルメットを振りかぶって一直線に社長さんの顔面へと投げつけた。
「ぐぶえっ!?」
空中で叩き落された悪魔が汚物のような呻きをあげた。
「ぐぞお~~! お、男はなぁ、責任とらされんのが耐えがたい恐怖なんだよぅ! でもキャベツ教ならァ!? 何人とでも付き合える! 何人とでもケッコンできる! 最高だよォ~!」
「はあっ?」
「お前にチャンスをやる! キャベツ教に入信しろぉ! 若くてイケメンなのがいっぱいいるぞォ~!」
「そんな男、要らないっ」
「あんだあ~!?」
「気の多い男なんてまっぴら! 付き合うんなら……お父さんぐらいちゃんとした人じゃなきゃダメ!」
「アイツがぁ~!? お前なぁんも知らねえんだ! アイツはなァ――」
「エリ。よく言った」
振り返る。
お父さんが陽光を背に、腕を組んで立っていた。
「お前の言う通りさ、エリ……。俺ほど誠実な男はいねえ。そう、一途の中の一途の男……それがこの俺、アジアの純真・ピュアデンジっ!」
「な、何をぉ……!」
「――ふっ。私にはぜ~んぶ分かっていたよ」
今度はお母さんが晴れやかな声を響かせた。
「私、最初からデンジ君を信じてた。浮気なんてするわけない。だって私たちの絆は……本物だからっ!」
「――ええっ!?」
「私たちの絆っ! 愛っ! 本物だよね、デンジ君っ!」
「お……おおうっ! そうさっ!? 俺たちゃ無敵のキズナで結ばれてんだ――よね!?」
「もちろんっ!」
「な、なんだぁ……テメエら、偉そうに~~! デっ、デンジよぉ~! 本当の願いは違うだろぉ~!? キャベツ教に入れば女が抱き放題! 愛も無限に手に入る! 本当はそれが欲しいんだろぉ~!?」
「はっ! 誰に聞いたかは知らねえが……俺の欲しい無限の愛ならここにあるっ! レゼ! そしてエリ! それが全てよ!」
「デ、デンジ君……」
お母さん、キラキラと目を輝かせ、
「そうっ、これこそが真実の愛っ! 私たち家族のキズナ~っ!」
と声高に宣言した。
……なんか、なんかそれって……いいのかなぁ!?
お父さんとお母さんは足並み揃えて悪魔に迫る。
「テメーみてえな尻軽思想のヤリチン悪魔はァ! この俺の愛を繋げるチェンソーとッ!」
「私の絆を紡ぐ爆弾でッ!」
「死ぃ~~~!」
「ねぇ~~~!」
「ぎゃああああああ!!」
チェンソーと爆弾が交差する。
悪魔をバラバラに斬り裂いて丸焦げのおミンチに爆ぜさせた。
「あっははー! 私たちの愛は永久に不滅っ!」
「ぎゃははは! 俺って幸せモンだあ~~~!」
「…………え、え~と」
……まあいっか?
これで全部丸く収まるし!
「……う、うぅ……? ごほっごほっ!」
「あっ、社長さん……。大丈夫?」
「エリちゃん……? うぅ、なんか頭がぼんやりする……」
「良かった。心配したんだよ」
「……ねえ、エリちゃん。もしかしたらなんだけど……さっき、私ごと悪魔をヤろうとしなかった?」
「してないヨ」
「いや、でも、」
「してないヨ! 全部悪魔の仕業だヨ! はあ~最期まで私たちの仲を裂こうとするなんてホント悪いヤツだな~!」
「そっか……。そうかな?」
「そうだよ~!」
――こうして私たちの信頼関係を引き裂こうとした卑劣で邪悪な悪魔は退治されたのでした。
めでたしめでたし。
あ、浮気疑惑の女の人はやっぱりそういう催眠術をかけられていただけみたい。
なんでも、自分が特定の異性の子どもを身籠ったと信じこんでしまう催眠らしいよ。キモいね。
『街』という最強のビジュアルノベルゲームがありまして、その中の『で・き・ちゃっ・た』というシナリオではなんと三人の女性が妊娠疑惑(本物)だったり知らないうちに出産済みだったりしてどうにかそれぞれに知られないように主人公の高校生が奮闘するというコメディタッチの展開が繰り広げられます。
今回それをオマージュして浮気疑惑の女性を三人出そうと考えていましたが収集つかなそうなので止めました。いやよくまとめられたな、あのシナリオ……。私には到底無理です。プロはすごいなあって思います。