そういえばお母さんやお父さんには会長さんや噂の魔人さんのことは伝えていない。
だってそんな危なそうな人たちが居るって知られたら辞めさせられそうだからね。
私はもうちょっと悪魔研究会に所属していたい。
活動内容は今のところアレだけど、有益な知識を得られることもあるし、何より会長さんのことが気になってる。
何を聞いても暖簾に腕押しって感じの人だけど、たま~にビックリするような言葉が返ってくることもある。金鉱脈を探してる気分。
今日はこんな会話があった。
「シーちゃん。あの金髪の魔人さんってお友達なんですか?」
「違う。彼女は……私の…………」
「私の?」
「下僕……?」
「げ、下僕っ!?」
美女が、美女を、下僕にしてる!?
それって禁断の関係……ってコトですか!?
背景に白百合が咲き乱れるお耽美な妄想が花開く。脳がカッと熱くなる。
それってなんか、なんか……ダメじゃない!?
でも、だからイイ……かも!
「いや、眷属かな……」
「けんぞく?」
「ううん、仲間……? 取引相手……?」
「なかま……とりひき……。ん~~、下僕ってことにしときません?」
「どういうこと……?」
詳しく聞いてみると、あの美女の魔人が件の復讐者に殺されそうになっていたところをシーちゃん会長が助けたらしい。今はその貸しってことで言うことを聞いてもらってるんだって。
……助けたって簡単に言うけど、魔人が殺されるような相手ってすごく強いんじゃない? どうやって助けたのかな?
そんなふうに、いつも通りに雑談したり次の研究レポートについて話したりして活動は終わった。
いつもより早かったから少し物足りなくてシーちゃん会長を買い食いに誘ってみた。断られちゃったけど、まあ次にまた誘えばいいか。
――なんて、この時はまだ考えていたんだ。
鞄を手に玄関口を駆け抜ける。
一歩出た瞬間、空気の色が変わっていることに気がついた。
昼の名残を引きずった空がいつの間にか淡いオレンジ色に染まりつつある。
さっきまで騒がしかった靴音や声は背後で薄まって、代わりに緩やかな風が制服の裾を吹き揺らしている。
そろそろ夕方だ。
日本では逢魔が時って言うんだっけ。
鞄の取っ手を握り直し、校門のすぐ傍に設置されたバス停に向かった。
珍しい人物が待っていた。
「パ・パ・パ・パワー! ワシ復活じゃ! エリの匂いを辿ってきたが……田舎くさい学校じゃのお!」
「あ、パワーちゃんだ。どうしたの?」
「やあ~っと休みが取れたんじゃ! 遊びに来たぞ!」
「もしかしてうちに誰も居なかった?」
「おう! 勝手に入ったらうるさいからのお。エリを迎えに来てやったぞ! ……って、なぁんじゃこの匂いはァ? くっさ~!?」
パワーちゃんは大げさにのけ反った。鼻をつまんで眉間に皺まで寄せている。
あまりにも臭そうにするので、私は思わず自分の全身を確認した。
服。鞄。靴の裏。
……犬のウンコとか踏んでないよね?
「……私、そんなに変な匂いする? 自分じゃ全然分からないけど」
「臭すぎるんじゃが!? これ悪魔の匂いじゃろ!」
「ええっ? 悪魔?」
「エリ、ついさっきまで悪魔の近くにおったじゃろ。これ……今まで嗅いだことがないくらいヤバ臭いのう……」
パワーちゃんは思いきり顔をしかめ、キモいだの吐きそうだの散々ひどいことを言う。
挙句には「エリの学校、悪魔がいるんじゃないか?」と神妙な顔つきで校舎を睨みつけていた。
「ちょっと調べてみるか」
「えっ、今から?」
「エリに何かあったら面倒じゃからな」
「う~ん、まあいいけど……」
ちらりとバス停に書かれた時刻表を確認する。
今逃しても次の便はたくさんある。これならちょっとぐらい校舎を探索しても大丈夫か。
パワーちゃんと二人、見知った校舎内を並んで歩く。
まだ夕陽が射しこむ廊下には人の気配がうっすら残っている。
もし誰かに出くわしたらパワーちゃんのことをどう説明しよう? 頭を悩ませたけど、パワーちゃんは政府のデビルハンターだった。身分証を提示してもらえば何も怪しまれることはない。これが野良の魔人だったら一発で大騒ぎになってしまうだろうけど。
ふとシーちゃん会長の下僕疑惑がかかってるあの金髪魔人さんの姿が浮かんだ。
あの人はちゃんと身分証明ができるのかな……?
もしできないとしたら、と考えて、今度はお母さんの顔が連想された。
そういえばお母さんは戸籍が無いって言っていた。
戸籍。身分証。
それがあるかないかだけで身の振り方って随分変わっちゃうんだな……。
お母さんが『普通』に拘る理由が少しだけ分かった気がする。
「こっちの方が匂いが強いのう……」
パワーちゃんは警察犬みたいに悪魔の匂いを辿りながら校内を進んでいく。
足取りに迷いはなく、ずんずんと突き進んである部屋の前でぴたりと足を止めた。
そこは私がよく通いつめている悪魔研究会の部屋だった。
「……え? ここなの?」
パワーちゃんの顔は青ざめていたと思う。
鼻と口元を手で覆い、ドアを前にして金縛りにあったように動こうとしなかった。
見たことのない顔だった。
いつも陽気でいい加減なパワーちゃんが本気の嫌悪を見せていた。
「この部屋、地獄に繋がっとるんじゃないか……?」
「じ、地獄って?」
「中にものすごい数の悪魔がおる……。100や200どころじゃない……」
「え、ええ~……? 変なこと言わないでよ。私、今日もここ使ったよ? 10分ぐらい前までなんともなかったし」
「でも……」
そんなわけがない。そりゃあの金髪魔人さんがたまに来ることはあるけれど、他はいたって普通の人間ばかりが使っている。少なくとも今日はそうだった。
だからパワーちゃんの誤解を正すために、ドアの取っ手を掴んだ。「ま、待て!」とパワーちゃんが叫んだときにはもう開けていた。だってこの部屋は私の日常の領域内なんだから。
思った通り、中には悪魔なんて一匹も居なかった。
がらんとした空間にぽつんと一人だけ、人間の少女が座っている。
「あ、シーちゃん。まだ残ってたんですね」
シーちゃん会長は部屋の中央で椅子に腰かけて、ぼんやりテレビを眺めている様子だった。
つ、とこちらに振り向いた。
あの無機質な眼球が私たちを見つめている。
どっ、と鈍い音が傍らから聞こえた。
見ればパワーちゃんが尻もちをついていた。
目を限界まで見開いて呻き声を漏らしている。
「あ、う、あう」
「パワーちゃん?」
何を見ているんだろう、と思った。
パワーちゃんは魔人だから、普通の人間には見えない何かが視えているんだと思った。
透明な悪魔とか、悪霊みたいなやつとか。
でもパワーちゃんの視線の先に居るのはシーちゃん会長だけで。
その会長さんはすいと立ち上がる。
体重を感じさせない足取りで歩を進め、ドアのレールの前で立ち止まった。
部屋の中から静かに言葉を響かせる。
「あなたは帰って。ここは会員制」
「あっああっ、あっ」
「帰って」
ふと影が差す。
振り向けば後ろに金髪の魔人さんが立っていた。
いつものつまらなさそうな目で私たちを見下ろしている。
「帰れってよ」
魔人さんは優しげな声色でパワーちゃんを突き放す。
パワーちゃんはそれでもシーちゃん会長から目を離せない様子だった。
私には何が何だか分からない。
ただ彼女たちに悪意が無さそうなことだけを言い訳に、案山子みたいに突っ立っているだけだった。
部屋にはテレビの音声だけが満ちている。
私とシーちゃん会長の二人だけで昔の日本製のドラマを眺めていた。
ロングバケーションってタイトルのやつ。有名らしい。
画面の中では、『意気地なし』って意中の娘に言われて落ちこんでいる男が、同居中の女に慰められている。
『んなこと言ってたら人生マシンガンだらけだよ? 撃たれまくって地雷踏まれまくって、それでもほら、見てみなよ、この街の灯りを。こうやって皆どうにかこうにか生きてるわけでしょー』
『……俺の気分は崖っぷちだよ』
『突き落としていい? ……ほりゃぁ! 這い上がって来ーい!』
パワーちゃんは本当に帰らされてしまった。金髪魔人さんの肩を借りて廊下を遠ざかっていく背中が最後に見た姿だ。
なんだったのかは分からない。
けど本気で怯えていたのは確かだ。
……何に?
その答えを私はもう知っている気がする。
すぐ隣には作り物みたいに端正な顔立ちをした美女が置き物みたいに座っている。
……彼女には秘密がある。
きっと私が思っているよりも多く、深い秘密が。
聞いても教えてくれないと思うけど、隠そうとしているようにも感じない。
ダメ元で単刀直入に聞いてみようって思った。
「シーちゃんって悪魔と知り合いなんですか?」
シーちゃん会長は少し首を傾けた。
言葉を選んでいる時にやる仕草。表情が全く変わらないから不気味さの方が強調されるけど。
「どうしてそんなことを聞くの?」
「噂になってますよ。一緒に居るところを見たことがあるって。あの金髪さんだって魔人ですし」
「……」
「あ、だからどうって話じゃないですよ? 私も……そういう秘密の事情があったりしますし……。ちょっと親近感、あるな~って」
「そう」
「パワーちゃんが……あ、パワーちゃんっていうのはさっき一緒に居たツノの生えた魔人さんなんですけど、政府のデビルハンターで、私とは生まれたときからずっと一緒にいるお姉ちゃんみたいな人なんですけど、」
「知ってる」
――ー知ってる?
「ええと、そのパワーちゃんが、ヘンなことを……言ってたんです。この部屋に悪魔が何百匹も居る、って……」
「居るよ」
素っ気なく彼女は言った。
ポケットに手を入れて、土産物の人形のような物を取り出した。
コツンと学習机の上に置いたそれをまじまじ見てみると、奇妙な生き物を象った彫刻のようだった。
「これが悪魔」
言いながら、足元のボストンバッグのファスナーを開いてみせる。
中には似たような彫刻人形がぎっしりと詰まっていた。
その数は何百個にもなりそうだ。
「悪魔……って、これが悪魔?」
「そう。これは仮の姿。元は悪魔」
「なん……、どう……」
彼女にウソは一つも見当たらない。
真実だ。
彼女は本当のことを言っている。
コレは悪魔で、全てが悪魔。
密集する彫刻人形たちを包みこむボストンバッグはさしずめ彼らを逃がさないように捕まえておく檻のようなものだろう。
何で?
そんな物を持ってるの?
どうして?
それを私に教えるの?
「これ、面白い?」
「――えっ?」
「このドラマ、面白い?」
「あ、えっ……は、はい。面白い、って思います、けど……」
「私は――」
会長の言葉は空気に溶けていく。
窓の外からはオレンジ色の光が射しこんでいて、長く伸びた影が床を染めていた。
「私は、人と人の関係を見るのが……面白い。みんな目的が違うから……ぶつかる時もあれば、手を取り合うこともある」
遠くから野球をやっている人たちの掛け声が微かに聞こえてくる。
「自分で混ざってみるのも……面白かった……」
金属バッドが芯を捉えた金属音。
「けど……減ってきて困ってる」
その時、初めて。
シーちゃん会長の心情のようなものを聞いた気がした。
言うなれば“疲れ”に近い色合いが滲んでいた。
顔つきは全く変わらなかったけど。
「楽しみにしてる人が……居なくなっていく。ちょっと目を離した隙にどんどん死んでいく……。始めは偶然って思ってた。人間はすぐに死ぬから……。でも違った。あれはきっと……マキマがやった」
だれ?
聞き覚えはある。どこかで……聞いたことがある気はする……。
「もう諦めたと思ってたけど……ずっと狙ってたみたい。キャベツ教も布教して……準備が整ったって……思ったんだろうね。私も楽しみを奪われて……今は……何をやるのも……つまらない……」
「ええと、すいません。話が全然見えてこないんですけど……」
一瞬の間。
ひたり、と冷たい足音が聞こえたような気がした。
人間にはけして感知できない向こう側の世界から、誰一人として逃れられない恐怖の存在が寄ってきた。
「私はデンジ君とレゼちゃんの物語が好きだった」
「え」
「その二人の子どもであるエリちゃんの物語も好きだった」
「ど、どうして……? シーちゃん、が……お父さんたちの名前、知って、るんですか……?」
「エリちゃん。どっちがいいかな。私はどっちでもいいと……思っている。マキマの喜ぶ顔とデンジ君の悲しむ顔を楽しむか、それともマキマの困った顔とデンジ君たちの予想できない顔を楽しむか……」
ちゃんと考えておいて、と会長は言った。
「私も一つ、ルール違反する。エリちゃん、悪魔を一人だけあげる。好きに選んで契約していいよ」
声に感情の色みたいなものが乗っていた。一つも理解できなかったけどきっと真剣な話だったんだと思う。
最後にシーちゃん会長はこう告げた。
「マキマが来るよ」
気がつけばバス停の横に立っていた。
どうやって来たのか分からない。
狼狽える前に澄んだ青い瞳と目が合った。金髪の魔人さんがこちらを見下ろしていた。
周りには誰も居ない。
私と魔人さんの二人だけ。
彼女は真正面で仁王立ちして、檻向こうのライオンのような目つきで、私を値踏みするように覗きこんでいる。
「――まだ人間だった時に、殺しの任務があった」
時の止まった仮想空間のような街中で、魔人さんは淡々と自身の過去を吐露していく。
「ターゲットには殺される理由がある。家族には無い。でも皆殺しだ。それが故国の掟だった。……殺される連中はいつも同じことを言うんだよ。
『私たちが何をした!?』
……馬鹿だよなぁ。理由があるとか無いとか、そんなことを言ってるから殺されたんだ。分かるか? アイツらが死んだ本当の理由はな、過去に何かをしたからじゃない。それまで何もしてこなかったからだ」
「……対策を、してこなかったから……?」
「そうだ」
獰猛に笑った。
「いつか誰かが突然殺しにやって来る……そんな当たり前の可能性をウソの世界の住人たちは忘れちまうのさ。野生のままならどんなノロマでも覚えてるのにな……。お前はどうだ? ええ? まさか忘れちゃいねえよなぁ……?」
魔人さんは目を細め、踵を返してどこかへ行ってしまう。
私は一人取り残される。コツコツと遠ざかっていく彼女の足音を聞いているだけだった。
今日はいったい、どういう日だろう――
「ご乗車の方はいませんか」
バスの運転手の声に、わずかに肩が震えた。
気付けば足が一歩前に出ている。
身体だけが日常の続きを選んだ。
乗り口の段差を上がると車内の空気がどこか懐かしかった。
冷房の匂いと、知らない乗車客たちの弛緩した気配。
床に靴底が当たる音が、やけに大きく響く。
整理券を取る指先が少し震えていた。
何か――
予感と呼ぶには生易しすぎる何かが迫っているような気がする。
バス内は空いていて、窓側に腰を下ろすと、バスのドアが閉まりゆっくりと走り出す。
ふとガラスに映った自分の顔を見てようやく人心地つくことができた。
呆然とした目。
何かを言いかけた形のままの口。
今日はなんだか、とても疲れた――
夕焼けが流れていく。
学校帰りの学生。買い物バッグを自転車のカゴに乗せた女性。交差点で手を振る子ども。
世界は一つも変わっていないのに自分だけが取り残されている。
「夕焼けって綺麗だよな。一日で一番綺麗な時間だ」
目を向ける。
通路を挟んで反対側の席に、大柄の男性が座っていた。黒いズボンに白いワイシャツ、肩吊りのサスペンダーを付けている。髪はオールバックにまとめていた。
その男は前を向いたまま正面ガラスの夕焼けを眺めていた。
「13年かかったよ……。でも流石はマキマさんだよな。世界中の宗教家を操って教義まで変えて信者たちから死の恐怖を薄めて……無宗教の日本にはキャベツ教だろ? あの人を見ていると神様って本当にいるんじゃないかって思えてくるよ……」
男は手の中で石ころのようなものを弄んでいた。
銃弾の塊だ。
複数の銃弾が磁石みたいにくっ付いてブドウのような形になっている。
「……あの、どちら様ですか?」
「俺の名はバルエム・ブリッチ。キャベツ教教会の副総帥だ」
バルエムさんは顔だけを斜めに傾けこちらを凝視する。
歯を見せて、笑った。
「エリちゃ~ん。ちょっと魔人になってみない?」