プランB/楽園を探して   作:シャブモルヒネ

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逃げなよ、エリ

 

――エリ。分かった?

 何よりも大事なのは先手をとること。

 それが正解かは問題じゃない。一秒でも早く決定し、動き始めなさい。

 さもなくば後悔するという贅沢さえできなくなってしまうかもしれないんだから。

 

 

 

 

 

 夕暮れのバスは橙色の光を窓ガラスに受けながらゆっくりと坂を下っていった。

 エンジンの低い唸りと、吊り革の軋む音。

 乗客たちはそれぞれの影を落とし、誰もが自分の終点だけを見つめている。

 不安定なバスの中、通路の中央に立つバルエムと名乗った大男は、吊り輪に体重を預け、私に覆いかぶさるように顔を寄せている。

 

「や~っぱ殺すなら家族だよな。知人友人殺してもそんな熱くならねえと思ってさ。だって他人だもん」

「な、なんですか? あなた、酔ってるんですか?」

 

 大男は薄ら笑いを崩さない。

 周りの乗客は興味なさげな薄い顔。

 私は恐る恐る鞄の中に手を突っこんだ。

 

「離れないと……防犯ブザーを鳴らします」

 

 バルエムは余裕の笑みを深めるだけだった。

 まるで追いつめたネズミをいたぶる意地悪な猫のよう。

 

「そんなことしてもだ~れも来ないぞ? 一般人も警察も。エリちゃんのお父さんもお母さんもな。……向こうにもウェポンズが行ってるからな」

 

 この男は、誰?

 なんのために来た?

 言ってる内容は一つも分からない。

 ただ……その瞳、表情筋、声の調子。高揚感を抑えようともしていない。それだけは理解した。

 先ほどの男の言を思い出す。

 

――13年かかったよ……。

 

 やっと。ようやく。待ちに待った時がきた――そんな喜びが滲み出ている。

 本気だ。

 この男は今から私に何かをしたくてしょうがない。それを達成したくてしょうがない。冗談事でも演技でもない。

 

「アナタ……アナタ、なんなの?」

「そういうこと聞くエリちゃんこそ己が何者なのか分かっているのか?」

「え……」

「俺はお前を知ってるぞ。お前はトリガーだ。お前はチェンソーマンを目覚めさせる為のトリガー」

 

 吊り輪を掴んでいる男の腕は太い。上半身は厚く、大きい。

 こんなふうに大人に悪意を向けられるのは初めてで、ごくりと唾を飲みこんだ。悪魔とは異質の害意がべっとりと纏わりついている。

 男は吊り輪に引っかけた手の中で銃弾の塊を弄んでいた。

 ただの金属ではない。血管のような管が浮かび、僅かに脈を打っている。

 あれは肉だ。生きている肉。悪魔の肉。

 

――エリちゃ~ん。ちょっと魔人になってみない?

 

「何を言ってるの……? お願いやめて……」

「さっき言っただろう? これからエリちゃんは悪魔の肉片を植え付けられて、銃の魔人になるんだよ。……それで俺はチェンソーマンに見せつけてこう言うんだ。キミの大切な娘はまだ生きてるよ、ってな」

 

 鞄の中に入れたままの手指を動かした。

 指の先に触れるのは、ノート、筆箱、財布――

 こんなもの、何の役にも立たない……。

 

「すると真のチェンソーマンが現れる」

 

 爪に硬質の感触が当たる。

 握りしめると、冷気とともに慣れ親しんだ感触が返ってくる。

 

「それが俺たちの使命なんだ。分かったかな?」

「…………そっか。ちょっと分かったよ。だからお母さんはあんなに心配してたんだね……」

「おっ? 案外物分かりがいいんだな~。子どもはそうでなくちゃ」

「ねえ。一つだけ聞かせて」

「何かな?」

 

 ちらりと窓の外へ目を向ける。

 夕暮れの街並み。大通りの交差点に差し掛かる。バス正面の信号の色は赤。横断歩道を仕事帰りの人々が横切っている。バスの速度が緩々と落ちていく。

 やがてバスは静かに停車した。

 

「お父さんとお母さんは……?」

「チェンソーマンの方はまだ仕事中。ボムの方は元プロだからな。念には念を入れて三人向かわせた」

「そっか……。三人か……」

 

 おそらく2分間。いや1分間。

 今だけが最大の好機だ。

 

「三人いればお母さんに勝てると思ったの?」

「おわっ!?」

 

 ナイフがぎらりと夕陽に煌めいた。

 斬り裂かれた空気と飛び散る血の玉の向こう側に男がよろめいて、たたらを踏んだ。足元は不安定、膝が崩れて両手が泳ぐ、黄金よりも貴重な数秒間――

 歓喜に心臓が高鳴った。

 

 お前、後手に回ったな。

 

 お母さんの教えが神経を走る。

 ナイフはあばら骨の隙間を水平に――

 

 一瞬、良識が抗議した。

 

 本当にやってもいいのか。

 

 もしかしたら壮大なドッキリかもしれない。目の前の男は実は一流の劇団員で、私は今、犯罪者の崖っぷちに立っている。踏み出せば二度と戻れない。

 だったらちゃんと確かめるべきではないか。

 でも。

 お父さんとお母さんの温かな表情が脳裏に走る。シーちゃん会長の憂い声。金髪魔人さんの脅し文句の裏にはいつも“忠告”の気配が滲んでいた。

 対して、目の前の男からはただただ悪意と仄暗い喜びが立ち昇っている。

 私の直感は間違っていない。そう決めた。

 

 かちり、と。

 その時、頭の奥で何かのスイッチが入った音を確かに聞いた。

 

「ぎっ!? あがっ!」

 

 大男が身を捩る。

 一撃、二撃、三撃――予め決められた台本のように右腕が動く。無防備な脇腹に吸いこまれ、うち二撃の切っ先がすうっと臓腑の奥まで突き刺さる。気色悪い感触を掌に覚えさせながら、頭ではまったく別のことを考えていた。

 

 先手を、

 打ち続けなければならない。

 

 男の脇を走り抜け、客席最前部に辿り着く。緊急停止ボタンを叩き割る。

 車内に警報が鳴り響き、アナウンスがけたたましく鳴り響いた。『周りの手すり、吊り革にしっかりとお掴まりください』――振り切って昇降口のドアを引っ張った。開かない。ならば運転席のスイッチを――

 

「待……てぇっ、コラぁ!」

 

 バルエムが一歩、にじり寄る。

 横腹を抑え、身を震わせながら目を血走らせている。

 驚いた。けして軽傷ではないはずなのに。

 私はナイフを床に投げ捨てる。次の手を引っこ抜くことにした。

 600g超の重量を両手で握りしめ、肩が抜けないよう射撃体勢を整えた。ストライカー式ポリマーフレーム自動拳銃、通称グロック17の銃口をぴたりと定める。

 

「は、はぁ?」

 

 標的との距離はおよそ3メートル強。

 外してしまう余地はない。

 トリガーを引いた。

 

「おっあ!? でっ、いで! やめっ!?」

 

 手慣れた反動、耳に残る銃声。

 命中箇所を確かめる間も惜しみ電撃的に運転席を振り返る。レバー、ボタン、On/Offスイッチ……どれ!?

 ドアを開けろと運転手に叫ぶ。銃を突きつけても顔を引きつらせるだけの無能さに愚痴が100個も浮かんで頭を埋め尽くす。切り替える。手を伸ばして目についた操作系をメチャクチャに押して引きまくった。

 昇降口のドアは動かない。

 いっそフロントガラスを撃ち抜いて――

 

「……まったく、最近のガキはよぉ~……不審者は銃で撃っていいって学校で教わってんのか?」

 

 バルエムが口を大きく開ける。指を奥歯に突っこんだ。

 カチっと奇妙な音がして、ゆっくりと男の姿が変わっていった。

 異形の姿。

 頭部は金属に覆われて、三本のガス缶のようなものが装着されている。両腕はチューブの繋がった大型の銃身に成り代わる。

 悪魔でもなければ魔人でもない。

 お父さん、お母さんの変身後によく似ている姿――

 

 ……これが、ウェポンズ?

 

 ナイフと銃弾による負傷なんて始めから無かったかのように平然と立ち上がる、その時、昇降ドアが開く音がした。

 床を蹴って飛び出した。が、バルエムも同時に動いていた。その銃口の深淵と目が合った。

 火が、

 

「ああっ、あああっ!?」

 

 熱波に背中がひりついた。

 眼前にはアスファルト。着地の態勢も考えずに転がった。

 上半身にがつんとした衝撃が走って一瞬気が遠くなる。呻き声。自分でも信じられないような苦悶の声だった。

 息が辛くて、背中が熱くて、泣きだしてしまいそうになる。

 どうして私がこんな目に……?

 いっそ降参してしまいたい。従順にすれば許してくれるかもしれない。諦めの誘惑に膝から力が抜けていく。

 でも、それでも。

 立ち止まっているわけにはいかなかった。

 後手を引いてはならないと訓練の日々が言っていた。

 胸を塗りつぶそうとする不安感を無理やり押しこめて駆け出した。真正面には金髪の女性が立っていて、胸元にぶつかった。微動だにしない。

 恐る恐る見上げた。

 さっき見たばかりの顔だった。

 

「いひっ、ひひひっ」

 

 金髪の魔人さんが、端正な顔を歪ませて大笑いしていた。

 それは初めて見る笑顔で、こんな緊急事態にも関わらず私は思わず目を奪われてしまう。

 この人、こんなふうに笑うんだ……。

 

「あ~……こんなに愉快なことはねえ。お前、ホントに素人か? 100点すぎんだろ」

 

 言うが早いか、私をすり抜けてバスに乗りこもうとする。

 あっ、と声をあげる前にバルエムだった怪人がバスの昇降口に現れた。火炎放射器を私たちに向け、しかしぴたりと止まった。

 

「あれ? 何だお前?」

「なあ、武器人間くんよ、他人のふり見て我がふり直せって言うよなぁ? いや、私もな? 一般人追いかけまわすヤツがここまで醜悪なモンだとは思ってなかったんだよ。勉強になった」

「はあ? 野良の魔人か? 退かないと焼き殺すぞ」

「さっさとやれよ、赤点野郎」

 

 魔人さんは平然と吐き捨てる。

 

「お前の仕事は何だ? このガキ殺すことだろ? 何秒無駄にしてんだよ」

「あっそう。じゃあ殺すわ」

 

 カチ、とスイッチの押下音が届くと同時、炎が視界いっぱいに広がった。

 炎が大気を塗りつぶしていく。

 熱風が私と魔人さんを包みこむ。皮膚と粘膜が燃やし尽くされる瞬間に怯えて無駄だと知りつつ頭を抱えてしゃがみこむ。

 

 風が吹いた。

 

「……え?」

 

 恐る恐る目を開ける。

 目の前には仁王立ちしたままの魔人さんの背中があった。

 肩と腕、頭の先からうっすらと煙を漂わせながらも焼け焦げてはいなかった。彼女の後ろにいる私は無傷のままで生きている。

 

 た、助かった……?

 

 何が起こったかは分からない。けど彼女が守ってくれたのは確かだった。そうでなければ今頃黒焦げになっているはずだから。

 そして分かることがもう一つ。

 私からは魔人さんの背中しか見えず、顔は伺えなかったけど、彼女は絶対に凶悪な笑みを浮かべているはずだった。

 肩がくつくつと揺れていた。

 

「……攻撃したな? してくれたなぁ? ふ、ふふふ……いや本当に嬉しいよ。これで私も攻撃できる。ルールを破れる。だって正当防衛だからなぁ……」

 

 その背中から、真っ黒い殺意が立ち昇っていた。

 見覚えがある。かつてお父さんたちに連れられてデビルハントの現場で見た、牛頭の悪魔の血走った眼球に浮かんだそれと同種のもの。悪魔の殺意。殺すためだけの殺意。

 

「エリ、お前を見ていると……私らモルモットにも生きてた意味があったって思えてくる。走れ。まだ死ぬな」

「……分かった!」

 

 地を蹴った。

 一目散に街路を駆けだした。

 背後からは炎が大気を焦がす音、斬撃音が鳴り響く。

 

「はっ、はっ! はあっ!」

 

 ハンドガンを手に坂を駆け上がる。

 通行人の隙間を縫って懸命に足を動かした。

 脇腹が痛い。一歩ごとに息があがってくる。運動は得意なほうなのに今日は全然前に進まない。

 銃を持ち、髪を振り乱す私を通行人たちが驚きの目で見つめていた。

 どうせ助けてくれないんでしょ? だったら邪魔だけはしないでほしい。

 

 あの魔人さんはどうなった?

 バルエムは?

 

 戦闘音はもう届かない。

 でも後ろから誰かが追いかけてくる気がする。

 遠くのようで近くから、ひたひたと、大人の歩幅で距離を詰めてくる。

 私の背中を誰かが凝視して腕を伸ばしている予感がしてならない。

 それでも振り向いてはならない。

 リズムを乱せばその分遅れる。捕まったら私の全てが壊される。かといって不必要にペースをあげるわけにもいかない。体力が尽きれば目的地に辿り着く前に仕留められてしまう。

 

「はあっ! はあっ! ん……っはあ!」

 

 うなじに狙撃の照準が突きつけられている。弾丸が今にも私の首を撃ち抜こうとしている。そのイメージが寒気となって全身にへばりつく。

 それでも走る。

 走り続ける。

 脚の重さが気になって仕方ない。靴紐は? 肌が異様に冷えて喉がひりついている。心臓は今にも破裂してしまいそう。

 ペースを乱すな。ペースを乱すな。ペースを乱すな。

 背後から、

 足音が、

 迫ってくる。

 喉が痙攣してしまった。

 酸素を取り込むリズムが1秒ズレて、取り戻そうと無理を強いても速度は落とさない。そのツケが負担が臓腑に伝播する。

 苦しみの末に――ようやく学校に辿り着いた。

 

「は……あ、ぐ……! は、あっ! はあっ……!」

 

 膝をついてしまいたい。ばたばたと無様に手足を振りながら校庭を突っ切った。

 敵が誰で、目的が何かは知らない。

 私が狙われている。それだけが事実だ。

 お父さんとお母さんが来ないなら自分の身は自分で守らなきゃいけない。

 私の武器は、手持ちのハンドガン。多少の格闘技術。

 それだけだ。

 それだけじゃきっと生き延びられない。

 新しい武器が要る。

 

 シーちゃん会長に悪魔をもらう。

 契約して敵を打ち倒す。

 それしか生き延びる道はないと思う。

 

 学校の玄関口に眼帯のお姉さんが立ち塞がっていた。

 

「――お嬢さん、降参してくれないか。でなければ手荒な真似をする事になってしまう」

「はあ、はあ……。今度は、誰……? あなたも、ウェポンズ……?」

「そうだ。私の名前はクァンシ」

 

 棒立ちのように見えるが違うとすぐに理解した。

 全身の力みは抜けて、股の開きと膝足の角度が十全に地を噛んでいる。

 彼女は今すぐどこにでも全力で飛び出せる。どうとでも身を捩り、恐らく銃弾さえも悠々と避けながら行動に移すことができる。そう確信させられるだけの合理を素人の私でも肌で感じることができた。

 

 ……まいったな。今日はとことん強い美人にばかり出逢う日だ。

 

 クァンシと名乗った女性は淡々と言葉を並べた。

 

「言うことを聞いてくれれば悪いようにはしない」

「そう、ですかぁ……」

 

 油断は一つも見当たらない。

 先ほどのバルエムのように出し抜くことは不可能に思えた。

 それでも、前に。

 ただ前に。

 一か八か、拳銃を握りしめると、クァンシと名乗った女性の目が細まった。

 瞬間、

 

「がはははははははは!! ハンドレッドギガブラッドレイン!」

 

 突如、クァンシの胸から真っ赤な刀剣が突き出した。

 

「最強オオオオ! ワシが最強じゃああああ!!」

「パっ、パワーちゃん!?」

「コイツなら勝てる……勝負じゃ! エリ、ワシの後ろに隠れてろ!」

「……ありがと! パワーちゃん、カッコいい~ッ!」

「じゃろお!? ワシは気高い! 美しい! ガハハ……ハハ、ハ……?」

「あ、あれ? パワーちゃん?」

「ひ、貧血、なった」

 

 かくり、と膝を落としてしまう。

 顔色が青白くなっていて、思わず駆け寄ろうとすると、視界の隅で動く者がいた。

 胸の真ん中を貫かれたはずクァンシが、震える指先で眼帯に手を伸ばしていた。

 何か――まずい気がする。

 バルエムの変身。お父さんとお母さんの変身。目の前の女性はウェポンズと名乗っていた。

 

「パワーちゃんっ、逃げていいよ!」

「へえっ?」

「私も逃げるからあっ!」

「お……おお? 任せろっ、逃げるのは得意じゃあ!」

 

 へばっている心臓と肺と太腿に活を入れ、校舎内に飛びこんだ。

 

 もう少しだ。

 もう少しで辿り着く。

 目的地は勿論、シーちゃん会長の居る悪魔研究会の部屋だ。

 

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