プランB/楽園を探して   作:シャブモルヒネ

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どうする、エリ

 

「ふ、ふふふ……ふふっ!」

 

 悪魔の力を宿す人外の者たちが対峙する緊迫した空間で、一人だけ含み笑いを零す者がいた。

 口元を凶悪に歪ませている女――金髪の魔人がペロリと上唇を舐めあげた。

 

「寝ても覚めても、生きても死んでも、人生クソしか起こらねえ……そう思ってたが、いやいや中々どうして! なあ、お前らは今楽しいか!? 私は最高に愉快だぜ!」

「……後で聞かせてもらうから。現状、不確定事項が多すぎる」

「へえ、後で?」

 

 バルエムが嘲笑う。

 

「ボムぅ、随分自信があるんだなあ。まさか俺たちを素人だと思ってんのか?」

「この弓矢女、クァンシでしょ。知ってるよ。一流と敵対するなんて珍しくもない」

 

 お母さんは少しだけバルエムに首を傾げてみせる。

 

「あなたの方は知らないけど」

「はん……。どうも自分の立場ってやつを理解してないようだ」

「そっちこそ理解できてないみたいだから教えてあげる。武器人間は基本不死身だけど何があっても大丈夫ってほどじゃない。負けても復活できるって考えてるでしょ? 残念だけど、そうはならない。あなたたちは黒焦げのミンチにする。……私の娘に手を出してこのまま生きて帰れると思うなよ」

 

 はははッ! と金髪の魔人さんはとうとう笑いだす。

 敵対者たちの視線を集め、まるで友達に話題をふるみたいにお喋りを始めた。

 

「私もなぁ、ずっと考えてたことがあるんだよ。まあ聞けよ? 例えばだ、100年間ずぅっと傭兵やってる不老人間がいたとしたら、そいつはどの程度強くなってるんだってハナシ……」

 

 場の4名、敵も味方もそれぞれ腰を落として半歩引き、爆ぜる寸前の弦のように張りつめている。

 見えない圧が周囲を凍りつかせている状況で、金髪の魔人さんはそれはもう楽しそうに頬を歪めた。

 

「傭兵っつっても四六時中戦ってるわけじゃないだろ? 仲間とポーカーだってやるだろうし、拠点で待機してる時ぁ故郷に想いを馳せることもあるだろう。……でもな、私たちは違った。24時間、ウン10年間、夢ン中でも殺して生き延びることだけを考えてきた。だったらな、私たちの方が上なんじゃあないかって、ずぅっと思っていたんだよ……」

 

 くつくつと肩を揺らした。

 片腕の魔人。隣のお母さん。

 互いに見もしないけど、並び立つ様がいつかの映画で観た大軍勢に立ち向かう戦士たちの姿に重なった。

 

「なあ、レゼ? さすがの私もクァンシ相手じゃ分が悪い。代わりにお前が証明してくれよ。秘密の部屋で最優だったお前なら――最古のデビルハンターにだって打ち勝てるってな」

 

 本当に強いのは誰なのか。

 決めるための手段は一つだけ。

 

 空気が一段冷えていた。風は止み、雑音が薄れていく。研ぎ澄まされた意志だけが周囲の全てを圧していた。時間が止まっているようだった。

 ちりちりと、大気を焦げつかせる殺気のようなものが漂ってくる。

 おそらくは人生の大半を懸けて培った殺しの技術、埋め込まれた悪魔の力――放てば必ず命中する近距離で、武器人間たちと魔人が一歩も退かずに睨み合う。特に爆弾と弓矢が迸らせている戦意は火花が散っていると錯覚するほどだ。

 ごくりと唾を飲みこんだ。

 今、目の前で鍔迫り合っている者たちは間違いなく世界最高峰。ヒトはここまで強くなれるんですランキングの上位1%に立っているのは間違いない。

 そのうちの一人が私のお母さん。戦う理由は私を守るため。

 奇妙な感慨があった。

 頑張れ、と喉の奥で呟くと同時、金髪の魔人さんが叫んだ。

 

「ドリームマッチだ!」

 

 鼓膜を貫く金属音。

 熱と閃光が弾け飛ぶ。

 お母さんと弓矢女が激突した――んだと思う。全く見えない。残像を目で追いかけることさえ叶わない。

 三次元を這いずり回る二匹の毒虫が教室内を凄まじい速度で跳躍した。

 天井が砕け、床材が容赦なく飛び散っていく。

 私は当然、ついていけない。

 超強い悪魔と契約しただけの生身の人間にできることといえば相棒である死の悪魔の手を取って教室の隅に避難することぐらい。私はいうなればインチキ魔法を手に入れただけの貧弱魔法使いだった。飛散する礫の一つが直撃するだけであっけなく重傷を負ってしまう。

 バルエムのほうは、金髪魔人さんが抑えているようだった。

 どういう理屈か、素手で火炎放射器の銃身を斬り飛ばし、あっという間に肉薄して壁ごと黒板を蹴破って諸共飛びこんでいく。向こう側でヤケクソな爆炎が噴き出した。それでも争う音と振動は終わらない。廊下側の壁にドドドッと杭のような物が連続で撃ちこまれたと思ったら、ぽっかり大穴が開いた窓側では小爆発がいくつも巻き起こる。

 私は網膜が焼けてしまいそうで直視し続けることもできない。

 ただ探した。今の自分ができることを。

 その大半が、手を繋いでいる一人の悪魔に委ねられていた。

 

「死ーちゃん、契約、したけど……私にできることって何ですか?」

「私は……殺した生物を使役することができる。でもエリちゃんに悪魔は使わせない。なんでもありになったら私が戦うだけの物語になっちゃうから」

「じゃあ何ならしてくれるの?」

「私は死の悪魔。死を……もたらすことが……できる?」

 

 なんで疑問形?

 聞けば、彼女の能力は、人間の言語では正確に表現するのは難しいらしい。それって死ーちゃんの語彙力が怪しいだけなのではって思ったけど一旦置いておく。

 

 死の悪魔は“死”の力を扱える。

 

 想像していた通りだけどやっぱりとんでもない。

 だって死だよ? 火とか雷みたいな現象ですらない。死は結果。効力どうこうって次元を超えて、ひたすらに問答無用。

 

「死の力なら使っていい」

 

 マジですか。

 他の悪魔を使役するより遥かにヤバいと思うんですけど。

 気分は地球破壊爆弾を手に入れてしまったようなもの。いや破壊しないけど。

 

「一つだけ言っておく」

「な、何ですか?」

「死は……コントロールするものではない。エリちゃんが望む未来に結びつくかは……保証……できない」

「ええと、それって、力が大きすぎるから制御が難しい、みたいな理解で合ってます?」

「そうとも言える」

「だったらだ~いじょうぶです! 私と死ーちゃんなら、きっと!」

「そう?」

「なんとかなぁれの精神です! 人類はそうやって進歩してきたって学校で習いました!」

「なんとかならなかったら?」

「偉い人は言いました。失敗は成功の母!」

 

 すると奥の教室からバルエムが声を投げつけてくる。

 

「失敗っ!? さっきも言ったろ、ノストラダムスの時はソイツから漏れ出ただけで何億人も死んだって!」

「そんなの昔の話! 過去は過去、今は上手くいく! だって……私がいるから!」

「はァ!?」

「一人じゃダメでも二人なら! そうだよね、死ーちゃん!」

「…………」

「ほらあっ、いけるって! そういうもんって決まってるんだから!」

「おまっ、何も言ってないだろ!?」

 

 戦闘は更に激化する。

 二つの教室で超人たちが嵐を呑んだように暴れ狂う。

 私は轟音に苛まれながら、たった一つの凶悪な選択肢を握りしめていた。

 死。

 死を、どう使う?

 加速しすぎてこんがらがった思考の中で最善への道のりと先制手段を模索した。超超最強の悪魔と契約した。けど最強すぎて意味不明。とりあえずやってしまおうか。コレがどんな規格でどんな性質を持ち合わせているかは賽の目次第でぶっ放してみる。悪くない案に思えた。だって最優先事項は私と周りの人たちの命なんだから生存率が上がるならその他がどうなろうと知ったこっちゃない。世界が滅ぶ? 結構! 名前も顔も知らない数億人がどうなろうと、どうなろうと……

 いいのかな?

 例えばマレーシアの国民が全滅したとしてもお父さんとお母さんが生き残ればそれでいい?

 いいじゃん!

 いいのかな……。

 

 死ーちゃんの顔に一切の揺らぎはない。

 静かに私の選択を見つめていた。

 

「私、は……」

 

 

――瞬間、

 それは一切の前触れなく訪れた。

 

 

 破裂音が叩きつけられる。

 途切れなく、連続し、ババババババと不可視の音撃が教室内に放たれた。

 横殴りの嵐。何かが大気を切り裂いて廊下側の壁を穴だらけに開けていく。木屑が粉となりコンクリート片さえ飛び交った。

 驚愕の声も出ず、反射的に四つん這いになって頭を抱えた。銃撃を思い浮かべたからだ。

 それが正しい理解だったと気付いたのはもう少し経ってからだ。

 

「ぐ、あ……」

「う、う……」

 

 気が付けば、破壊の限りを尽くされた床の上に弓矢女が転がっていた。お母さんも同様に、血塗れで、手足を力なく投げだしていた。

 

「お母さんっ!?」

 

 身体中に穴、穴、穴。直視できたものではなかった。

 クァンシって人も同じ様相だった。無数の銃弾で撃ち抜かれている。悪魔の力を持つ超人たちが立ち上がれないほどの重傷だ。いったい、誰が。

 

「マキマ……。私たちごとやる気か……」

 

 クァンシが呟いた。

 銃弾はグラウンド側から撃たれていた。

 でもここは二階の部屋の中。普通なら外から射線は通らない。ヘリコプターがローターを回す爆音だって聞こえていないのに。

 

「銃の、悪魔だ……」

「銃……?」

 

 銃の悪魔。

 聞いたことがある。

 世界で最も有名な悪魔かもしれない。

 歴史の授業でも習った。1984年11月18日、世界規模の大量殺戮を引き起こした最悪の悪魔。わずか5分間で120万人を死亡させたと記録されている。

 

「そ、そんなのも敵なの……?」

 

 血臭漂うぼろぼろの教室で、なけなしの勇気を振り絞って立ち上がる。

 ぽっかりと大穴が開いた窓壁からは、学校正面の風景を望むことができた。

 校門、その奥には2~5階建てのビルやアパートが無秩序に生えていて、遥か彼方にはうっすらと超高層ビルが鉛筆サイズの大きさで見えていた。あのビルはよく知っている。何年か前に家族で行ったことがある。ペトロナスツインタワー。地上88階、世界で1番高い双子の超高層ビル。

 その隣に、ソレは居た。

 サイズ感がおかしかった。

 あのビルよりもっと高い。横幅なんて比較するのも馬鹿馬鹿しい。目を凝らせば形も判別できるほどの巨体だった。頭部からはドでかい銃が生えていて、両腕にあたる場所には棒上の何かが何本も束ねられていた。おそらくあれも銃。ゴジラだってもう少し可愛げがあると思う。

 死ーちゃんは懐かしそうに目を細めた。

 

「あれが銃の悪魔。今の攻撃は一定以上の年齢の人間を狙ったんだと思う。5千人くらいは死んだかな」

「か、可愛くなさすぎる……」

 

 現実感がなかった。

 アレはCGだって言われた方がまだ納得できると思う。

 だってあんなのが本当に生き物で、私たちを狙ってる……?

 

 こんな非常事態においても死ーちゃんは死ーちゃんのまま。

 しれっとした無表情で絶望的な未来を教えてくれた。

 

「また撃ってくるよ。銃の悪魔の攻撃は範囲必中射撃。次はエリちゃんも標的にしてくるはず」

「最悪すぎるんですけど!?」

「どうしよっか、エリちゃん」

 

 どうするもこうするもない。

 倒れているお母さんを助けたい。

 血を飲ませるだけでいい。なのに今はその時間じゃないと直感がざわめいていた。

 

「こんなのもう……死の力を使うしかないじゃん!」

 

 決意は固まっていた。

 後悔は、後でする!

 

 イメージは――遠距離射撃。

 幽遊白書の主人公よろしく、右手をピストルの形にして地平線あたりに浮かんでいる銃の悪魔に人差し指の先端をぴたりと指し向けた。

 躊躇っている暇は無い。

 ここで撃たなきゃ、私と家族が、全てが終わる。

 

「行くよっ、死ーちゃん! これが私の……私たちの絆の力! 食らえっ、最強奥義!」

 

 腹の底から全力で吠えた。

 

「死ね死ねビ~~ムッ!!」

 

 瞬間、指先から漆黒のエネルギー波が奔流となって一直線に放出されることはなく、何も起こらず、ただ私の叫びが山彦のように反響を繰り返すだけだった。

 

 

 死ね死ねビ~~ムッ

     死ね死ねビ~~ムッ

         死ね死ねビ~~ムッ

 

 

「…………」

「…………」

 

 沈みつつある夕陽に染められた空が美しかった。

 

「んあっ?」

 

 あれ、おかしいな……?

 これじゃあまるで私がこの鉄火場で漫画のキャラになりきってキメポーズをとっている痛い子みたいじゃん。

 というかそのまま痛い子じゃない?

 

「……エリ?」

 

 お母さんの声に顔が耳まで熱くなる。

 

 ち、違うんですっ!

 これは何かの間違いで!

 そ、そうだよね、死ーちゃん……?

 

 ぎぎぎ、と油のきれたロボットの動作で死ーちゃんの顔を見た。

 

 死ーちゃんは表情筋をぴくりとも動かさない。

 私と目を合わせ、幼子が初めて聞いた言葉を繰り返すような無垢な口調で聞いてきた。

 

「しねしねびぃむ……? それなに?」

 

 こんな酷い裏切りはなかった。

 でも死ーちゃんも思い当たることはあったんだと思う。死の悪魔の静謐な顔つきにほんのりと理解の色が浮かびあがってきた。

 

「もしかしてだけど……私にビームってやつをやってほしかった?」

「だっ……やっ……、けっ、契約! したじゃん! ですよね!?」

「ビーム……。ビームか。ごめんね、ちょっとビームは撃てないかな……」

 

 謝らないでほしかった。

 いっそお前はバカかと罵ってもらった方がマシだった。

 

「あと対価もちゃんと伝えてほしい」

「えっ!? そういうものなの!?」

「そういうものだよ」

 

 あっ……そういえば落下の悪魔さんが「力を行使するたびに」云々って言ってた……。

 え、じゃああれですか、契約する時だけじゃなくて、何かやってもらう時にも対価を払わなきゃいけないんだ?

 えっえっえっ? 何がいいの?

 相場が分からないんですけど!?

 

「死ーちゃんは何が欲しいんです!?」

「エリちゃんが決めて」

「それが一番困るやつぅ!?」

「エリちゃんの大事なものほど精度高く力を扱える」

「そ、そういうものですか!?」

「そういうもの」

「はえ~~!?」

 

 大事なもの……大事なもの!?

 私秘蔵の、絶版になっちゃったウルトラジャンプのコミックスとかは……ダメですよねえ!?

 アキさんは寿命を払ってたみたいだけど……。確かに寿命は大事だけどぉ!

 

「対価は……私が払う対価はっ」

「エ、エリ……っ! 大事なもの、捧げ、ちゃ……ダメ……!」

「お、お母さん……そう言われてもさぁ!」

 

 その時だった。

 霞がかった風景の中に在った銃の悪魔、その巨体が、更に大きくなっていることに気が付いた。

 

「なんか……こっちに向かって来てない?」

 

 ぐんぐんと遠近感が狂ってくる。

 秒単位で迫り来て、あっと声をあげる間もなくぶん殴りの射程圏内に踏みこまれて超高速の勢いのまま銃身が束ねられた腕を天高く降り上げたと思ったら、既に叩きつけられる瞬間になっていた。

 

「っ」

 

 これからもう0.1秒で死んじゃうって時に

 不思議と私は安心していた。

 

 これ、一瞬で死んじゃう。

 痛いって感じることもないんだろうな。

 これからの人生、もう苦しまないで済むってことだけは良かったかも――

 

 

 でも。

 楽しいことも面白いこともまだ全然味わえてない。

 

 

 一本の紐のようなものが銃の悪魔の顔面に引っ付いた。

 一瞬だった。

 人間の大きさをした何者かが口内に飛びこんだと思ったら、血飛沫を巻き散らしながら悪魔の頬を斬り裂いていく。暴れ狂い、目のある位置から上半身を飛び出させ、それでもまだ足りないとばかりに両腕の回転ノコギリを振るい続けていた。

 

 ヴヴヴヴヴ

 

 悪魔の悲鳴さえ掻き消して、駆動音が鳴り続けた。

 

「エリぃ! 帰ったら家が燃えてたんだけどよお~!?」

 

 血肉を切り裂くチェンソーが銃の悪魔の顔面をずたずたに斬り潰していく。

 

「わけが分かんねえけど待ってろよぉ! コイツぶっ殺してまた次の家建ててやっからなああ~!!」

「おっお父さん!?」

 

 グラウンドに浮かぶ怪獣が如き巨体、その顔面でチェンソーマンが暴れていた。

 銃の悪魔は頭を振り乱すもお父さんは落とされない。棘付きのチェーンががっちりと肉に食いこんでいる。

 鼓膜を破りそうな絶叫。

 手指の無い銃の悪魔はチェンソーマンを引き剥がすことができない。

 噴水のような血潮を巻き散らしながら、腕の銃身を己の顔面に当てがった。

 そして、世界がぶっ壊れるような大爆発が起こった。

 

 轟音とともに銃の悪魔の頭部が爆散した。

 

「ぎゃああああアア!?」

「ほぎゃあああアア!?」

 

 降り注ぐ肉と骨片は大岩も同じだった。

 校舎を破壊し、私たちの居る教室を豆腐のように削り崩していく。

 

「わっわっわっ……!」

 

 滝の勢いで血液が降り注いだ。

 吐き気を催す臭気。壁際まで飛び散る悪魔の液体。私は全身べちゃべちゃになっていた。

 

「あ、あ、あうあう、あう」

 

 赤い水滴が壊れた壁と天井から垂れ落ちる。全身べとべとの血液まみれになりながら、しばし様子を伺った。

 静寂。

 恐る恐る、顔を出してみた。

 

 銃の悪魔の巨体は、まだグラウンドに浮いたまま。

 でもその頭部は丸々吹き飛んでしまっていた。

 

「じ、自害した……?」

「ううん、デンジ君を排除しただけ」

「え? あ、ああっ!?」

「エリ……? どうしたの?」

「お母さん、な、なんか! 銃の悪魔の頭が治っていってる!」

 

 頭蓋骨に、筋肉。ゆっくりとだけど確実に、逆再生の映像のように修復されつつあった。

 

「強い悪魔は再生する」

「そ、そんな……」

 

 お父さんは?

 赤黒く染まったグラウンドに目を向けてみると、隅で倒れているズタボロの男性を見つけた。もうチェンソーマンじゃない。人間の身体に戻っている。

 

「おぎゃ……おぎゃ……」

 

 目の焦点が宙を彷徨っていた。

 ヤバかった。

 胸元の紐を引っ張れば復活させられるけど、校舎内をぐるっと回って降りている暇は無さそうだ。

 お父さんは動けない。

 お母さんも動けない。

 この場でただ一人、私だけが動ける。

 

「エリちゃん、どうする?」

 

 死ーちゃんが提案する。

 

「死の力を使う?」

「使うけど!」

 

 即答した。

 どうしても確かめなければならないことがある。

 

「ビームがダメならどんなふうに使えばいいんです!?」

「死は……エリちゃんの想像するようなエネルギーじゃない。形は無いし、波でもない。何処にでも在るもの。死は全ての空間と時間に均等に存在する」

「へえっ!? 哲学っ? 禅問答っ? そういうのまだ習ってないですっ!」

「使い手がちゃんとイメージできないと上手く発現できないよ」

「あっ、でもっ! 上手くいきすぎるのもマズイんじゃない!? 抑えないと!」

「大丈夫。マキマのおかげで死への恐怖が薄れてきているから……1億人から30億人ぐらいで済むと思う」

「多すぎぃ!」

「あ。たった今、銃の悪魔が死の恐怖を増大させたんだった」

「滅んじゃうよお~!?」

 

 喋っている合間にも銃の悪魔は回復していく。

 もう皮膚まで覆われて、あとは動き出すのを待つだけになってしまった。

 

「ああもう決めたあッ! 理解しない! しないまま……死ね死ね攻撃をしまァす!」

「だから死は攻撃ではないって、」

「いいの! 今からっ、対価をっ、払いま~すっ!」

「エリっ! ダメだって!」

 

 その時、銃の悪魔と目が合った。

 目が無いはずの銃の悪魔が、確かに私の目を認識した。そう思った。

 

 対価は大事なものほど力を引き出せる。

 対価は多いほど、上に同じ。

 そしてこれが死の悪魔の場合――引き出しすぎると人類がいっぱい死んでしまう。

 だったら上手いこと絞ればいいんじゃない?

 

「超超強すぎる死の悪魔さんの力を使うにはっ、これぐらいがいいと思うんです! 対価は私の寿命を…………10日間! じゃあなくて1日! んん~っ、でもなく! やっぱり1時間で!」

「それでいいの?」

「や、安すぎでしょうか!?」

「本当にいいの?」

「ううう! 10分っ! 10分でっ!」

「ファイナルアンサー?」

「アンサー? アンサーっ!」

「分かった。じゃあキメ台詞もやって」

「へえええっ!?」

「さっきのアレ、ちょっと面白かった」

「何なのもおお~!」

 

 自棄だった。

 私は恥を捨てて孫悟空の必殺技のポーズをとった。気持ちは界王拳0.0001倍のかめはめ波!

 

「死ぃ~……! ねぇ~……! 死ぃ~……! ねぇ~……!」

 

 悪魔の銃口が、私を見た。

 射線に私の未来が繋がった。

 もう対価を変えている猶予はコンマ1秒もない。

 

「波ぁぁああああああああ! ってやっぱ恥ずいよお~!?」

 

 瞬間、今度こそ掌から漆黒のエネルギー波が奔流となって一直線に放出されるようなことはなく、やっぱり何も起こらずに、ただ私の叫びが山彦のように反響を繰り返すだけだった。

 

 

 波ぁぁああああああああ!

     波ぁぁああああああああ!

         波ぁぁああああああああ!

 

 

「…………」

「…………」

 

 沈みつつある夕陽に染められた空が美しかった。

 

「これさっきもやった~!?」

 

 銃口の奥にある深淵が私を見つめていた。

 あとはもう死刑のトリガーを引かれるのを待つしかない――そう思ったときだった。

 

 テレビで単細胞生物の死を見たことがある。

 微小な生物が泳ぐために細かい足を動かして、動かしながらも頭の先から崩壊していく。分子レベルで散り散りになっていき、それでも複数の足は動いていて、全てがバラバラになるまで泳ぎ続けていた。

 

 そんなふうにして銃の悪魔は崩壊していった。

 

「は、はいぃ?」

 

 血の一滴も落ちてこなかった。

 大気に溶けこむようにさらさらと、頭の先から粉となって消えていく。

 音も光も発さない。静寂のまま散っていき、まるで最初から居なかったかのように全てが消えてしまった。

 

「え、え。ウソ。つ……強~っ!?」

 

 死ーちゃんはほんの少し驚いているようだった。

 目を開き、遠く夕焼けの彼方まで視線を巡らせている。

 珍しく、小さく息を吐いた。

 

「そっか。特定の座標だけめくることもできるんだ」

「めくるって?」

「死をこっち側に表出させた。私だけでやると世界丸ごとめくれちゃう。ふうん……。私もちゃんと練習してみるかな……」

「それは止めて~!?」

「……そう」

 

 死ーちゃんは変わらずいつもの顔のままだった。

 ふと、彼女の頬に射しこむ夕陽の影が濃さを増していると気付く。いつの間にか夕方の熱は失われつつあるようだった。吹きこむ風が少し寒い。

 私は溜め息をついた。

 

「ねえ、もう敵はいないよね?」

「敵ってなんだろうね」

「こっちが聞きたいよ……」

 

 こういう人だって知っていた。いや人じゃなくて悪魔だけど。

 なんだか疲れがどっと押し寄せてくるようだ。

 

 振り返る。

 教室を改めて眺めてみると、思っていた以上にグチャグチャになっていた。

 巡航ミサイルが3発くらい直撃したらこんな感じになると思う。

 ガワが剥がれた程度では収まらず、鉄筋部分まで穴が開いている箇所もあった。おまけにほとんど血で濡れている。よくもまあこの惨状の中に居て自分は死ななかったなと感心するしかない。

 

 まずはお母さんを治さなきゃ。

 

 薄い夕闇のなかで血溜まりを探した。

 ひっくり返っていた机の物入れスペースに手を突っこんで、溜まっていた悪魔の血液を掬い取る。倒れているお母さんの口元に運んだ。

 傷口がゆっくりと回復していくと、ようやく安堵を覚えることができた。

 街も学校も暗く沈みつつある。

 夜の香りが漂っていた。

 

「はあ~……」

 

 今日はもう一生分の危険を潜り抜けた気がする。

 1分後のことも考えたくない。

 

 味方になってくれた金髪の魔人さんはどうなったかな、と思い至り、そういえばともう一度教室内を見回した。

 クァンシって人は負傷して倒れたままだ。

 じゃあバルエムは?

 立ち上がり、全身から血を滴らせながら奥の教室を覗いてみると、魔人さんと倒れこんでいるのを発見した。やっぱりこっちも銃撃されてたみたい。

 じゃあ味方だけ治せばひとまずは安泰かな……。

 

 何か、忘れている気がする。

 

「パワーちゃん……どうなったかな。心配だけど、他にも何か……えと、何だっけ?」

「エ、リ……?」

「あ、お母さん。もう大丈夫?」

「お父さんは?」

 

 あ。

 

 すぐ隣から死ーちゃんが覗きこんでくる。

 

「エリちゃん。デンジ君、死んでるよ」

「はい?」

「エリちゃんがめくった範囲の近くに居たから影響を受けたみたい」

「それって……?」

 

 おずおずとグラウンドを覗きこむ。

 お父さんが仰向けに倒れていた。

 それはさっきも確認したけど、今はちょっと様子が違っていた。

 なんか身体中の色素が抜けて真っ白になっている。

 

 ふと銃の悪魔が塵と消えたついさっきの場面を思い出す。

 さらさらと消滅していくあの最期を。

 

――とてつもなく嫌な予感がする。

 

「お、お父さん……?」

 

 いやいやまさかと思いつつ、頭の奥では危険信号が鳴り響いていた。

 窓際に足をかけ、寸時迷い、覚悟を決めて空中に飛び出した。

 胃の底が浮き上がる不快感、迫る地面の恐怖を抱え、足裏から転がりながら着地した。衝撃が分散されると思ったより痛くなかった。こんなの絶対役に立たないって思いこんでいた五点接地の技術が今はひたすらありがたい。

 すぐさま走り出す。

 血の池地獄と化しているグラウンドを突っ切った。

 ぱちゃぱちゃと飛沫を跳ねさせながらお父さんの元へ辿り着くと、ミイラのように真っ白で、今にも崩れ落ちそうだった。というか、髪の毛の先がさらさらと塵になりつつあった。

 

「わああああ!?」

 

 やばい!

 血塗れのシャツを脱いで、雑巾絞りの要領でお父さんの半開きの口内に血液を垂れ流した。びちゃびちゃと喉奥に消えていく。それでも髪の毛がちりちりと蒸発していく現象が止まらない。

 

「わああああ!?」

 

 ポケットからべっちょり湿ったハンカチを取りだした。これまた絞ってお父さんに飲みこませる。靴下も脱ぐ。スカートだって……は止めて、シャツを水溜まりならぬ血溜まりにぶちこんだ。吸いこませてあらん限りの力で絞り出す。

 

「わああああ!? まだ止まらない~!?」

 

 と、すうっと背後から腕が伸びてきた。

 お母さんだった。

 どこから持ってきたのか、血液で満たされたペットボトルを逆さまにぶちまけた。

 お父さんの顔面が一発でべちゃべちゃのぐちょぐちょになってしまって、やがて、

 

「………………ご、はっ!? は、う、うぐえ~……。な、なんかぁ、母ちゃんに会ってきた気がするぅ……」

「治ったぁ!? あ、ああ~、良かったぁ~」

 

 緩々とへたりこむ。

 どうにかお父さんの血色は元通りになっていた。

 むせ続けている姿を呆然と眺めた。

 疲れきった溜め息が聞こえ、自分のものだと気がついた。情緒がもう休ませてくれと白旗を揚げていた。

 

 ほんとに今日はどういう日なんだろう。

 

 多分、死んだ魚のような目になっていたと思うけど、それでもただ一つの安心を噛みしめることができて心から良かったと思う。

 お母さんが居て、お父さんが居る。

 それだけがこんなにも温かい。

 目を閉じてみた。

 砂に水が染みこむようだった。

 同時に、自分の心がいかに渇いていたかも思い知った。ほんの少し一人きりになっただけ。でも永遠に独りぼっちになるかもしれないと本気で思った。今は違う。もう違う。

 背中に柔らかく、何かが触れた。お母さんだった。

 胸に優しく腕が回された。

 

「お母さん、本当に危なかったよ……。来てくれてありがとう」

「うん、うん……。私もエリが無事で、本当に良かった」

「お父さんも無事で良かった。ぎりぎりセーフだったね」

 

 西空の雲は、灰色とオレンジ色のまだら模様に染まっていた。

 天辺のほうの空はまだ明るさを残していて、対照的に地上の街並みは闇色に染まりつつあった。

 街からは何も聞こえない。

 車の走る音、子どもが張りあげる声、サイレンの単調な響きさえ、暗がりに吸いこまれてしまったようだ。

 本当に誰も居なくなってしまったのかもしれない。

 お父さんは仰向けのまま、ぼんやりと、煙り始めた空を眺めていた。

 

「ぎりぎりセーフって言うけどさあ、俺、わりとヤバイ感じに死んでたよな……。これアウトじゃねえかなあ……?」

「セーフだよ」

「セーフでしょ」

「そうかなあ。そうかあ?」

 

 世はなべてことも無し。と言うにはあまりにも色々ありすぎて大変なことになっているけど、それでも私たちは生きている。

 今日も、明日も、多分これから先もずっと、ずっと。

 

 風が優しく吹き抜けた。

 夕暮れのグラウンドには家族3人の影が重なっている。

 ひとまず今はこれで良しとしよう。

 

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