プランB/楽園を探して   作:シャブモルヒネ

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ダーリンベイビーダーリン1

 

 夢。夢を見ている――

 暖かい布団の中で母親に揺り起こされている。そんな夢を。

 ただ心地良さに溶けこんで、終わりなんてないとずっとまどろみ続けていた。

 

 

 

 

 

 ジリリリリ!!

 

 目覚まし時計が耳元で喚きだす。

 半分眠ったままの頭でアラームを止めた。

 あまりの眠さに二度寝しようと寝返りをうつと、ドアが荒々しく開かれた。

 

「デンジぃ! 朝じゃあ! 起きんかあ!」

 

 声の主は従妹のパワー。

 同い年の高校一年生で、この春から一緒に暮らしている。

 

「うーん……あと五分……」

「起きるんじゃあ! ワシを一人で行かせるな!」

「ぐえっ」

 

 腹の上に乗ってきたパワーを押しのけて、文句を言ってやろうと顔を上げると妙なものを見た。

 パワーが制服を着ている。

 なんだかものすごく似合わない。でもそれを言うと殴りかかってくる。だから口には出さないと決めていた。

 ひとまず欠伸をかまして、お前一人で先に行けよ、と手を振った。

 だがパワーは頑なに部屋から出ていこうとしなかった。

 

「俺も着替えてえんだけど?」

「早くしろ!」

「いやだから……、はぁ~。まあいいわ」

 

 今さら下着姿を見られて恥ずかしがるような仲じゃない。

 大きく伸びをして、制服のシャツを手に取った。

 まだ冷たい布地に袖を通して鏡を確かめる。今日は寝癖がついてない。身支度は楽そうだと思った。

 鞄を持って部屋を出る。

 居間に降りるとトーストと目玉焼きの香ばしい匂いが迎えてくれた。

 テレビでは地域ニュースが流れていて、時計の針はもう七時半を指している。

 

「おはようございまーす、マキマさん」

「お、おはよう……」

「朝はちゃんと挨拶しないとダメだよ、パワーちゃん」

「おっ、おはよう、ございます!」

 

 マキマさんは呆れたように微笑みながら、食卓の向かいに腰を下ろした。

 小さな湯気が俺たちの間でゆらゆらと揺れた。

 

「アキは?」

「もう出勤したようだね」

「はァん、いつも早ぇーなァ」

「二人もそろそろ時間じゃない?」

「そうだった! 急ぐぞパワー!」

「ええ~!? ワシのメシが……」

「食いながら走れ!」

 

 朝の陽射しが降りそそぐ通学路。

 通学路の並木道は朝露をまとった葉がきらきらと輝いている。遠くからは大人たちが募金を呼びかける声が聞こえていた。

 河べりの道のりを二人で駆け抜けていく。

 

「やばいやばい、遅刻したら給料から引かれるぜー!」

 

 肩から下げた鞄が小刻みに跳ねる。

 通い慣れた道。毎朝見かける電柱のポスター。犬を散歩させているジイさん。信号の変わるタイミングまでよく知っている。

 だから前をよく見ていなかった。

 

 どんっ!

 

 衝撃に視界がぐるりと回って咥えていたトーストが宙を舞う。

 

「きゃーんっ!」

 

 つんのめりながら前を見る。

 そこには女子が一人倒れこんでいた。

 無事を確かめようと覗きこむと少女の見上げた視線とぶつかった。相手は気恥ずかしそうに頬を赤らめる。

 

「すいませーん。ぶつかっちゃいましたーっ」

「あ~……ああ」

 

 透けるような白い肌。しっとりと濡れた黒い髪。

 死ぬほど可愛い! 上目遣いに心臓がどくんと高鳴った。

 

「あっ、トーストが落ちちゃってる……。ごめんなさい、ごめんなさい!」

「ワシのパンじゃ! 返せ!」

「違ぇよ!? 俺んパンだから!」

 

 慌てて奪い取って口の中にしまいこむ。

 すると少女は思いきり噴き出した。

 

「プッ! あははは! ……はあ~、仲良いんだねぇ」

「そうかあ?」

「食うなデンジ~! この……盗っ人がぁ!」

「ふふ、デンジ君っていうんだ。あのね、私、レゼ。今日から転校してきたの」

「えっ……転校生?」

「そ。仲良くしてくれると嬉しいな」

「お、おお~。いいぜ」

「よろしくね!」

 

 

 

 

 

 一時間目は算数だった。

 明るい光が射しこんでいる教室で、白いチョークがコツコツと音を立てている。

 教師の岸辺が大きく『3×3』と書きこんだ。

 

「この問題が分かる奴」

「はいハイハイ! 9!」

「やるな、デンジ。100点だ」

「ま、当然だよな」

「次は、3×4……。答えろパワ子」

「岸辺せんせーい。パワ子ちゃんいませーん。サボりでーす」

「あいつは0点だ」

「ぎゃははは!」

「じゃあ代わりに、転校生のレゼ」

「はーい! 12でーす!」

「お前も天才。100点」

 

 おお~、と教室にどよめきが走った。

 

「デンジ。100点同士、昼休みになったら学校を案内してやれ」

「へーい」

「すごいねデンジ君~。頭いいんだね」

「レゼもな」

「ふふ」

「なに?」

「楽しみだね、学校探検」

「ああ」

 

 隣の席で本当に嬉しそうに微笑んでいる。

 艶やかな唇から覗く白い歯が眩しかった。

 

 

 

 

 

 昼下がりの校舎は窓から差し込む光に満たされていた。

 ざわめきが廊下を満たし、遠くで誰かの笑い声が響いている。

 

「――ここが1年の教室。あっちがプール。あっちが体育館」

「デンジ君は頼りになるね」

「だろ? 俺、頼りになるんだよ」

 

 隣には今日転校してきたばかりの少女が歩いている。

 長い前髪の下から物珍しそうに周囲を見回す視線を覗かせている。

 初めて会った気がしない。

 ずっと前から知っている気がする。

 運命の出会いとはこういうものなのかもしれないと思った。

 

「ねえ、あっちは何があるの?」

「ん? カフェ。カレーとチャーハンとアイスが旨いんだ」

「へえー。物知り~!」

「で、あっちは売店な。自動販売機がある。今度奢ってやるよ」

「ほんと~!? ありがと! デンジ君は飲み物、何が好きなの?」

「コーヒー」

「へえ~、コーヒーって苦くない?」

「大人だから全然飲めるぜ」

「すごーい! ……ねえねえ、あっちにあるのは――あ、チャイムだ」

 

 気がつけば、鐘の音が鳴っていた。

 続きは放課後、と約束して並んで教室に戻った。

 

 

 

 

 

 二時間目は英語。

 教師の姫野が黒板に問題を刻んでいく。

 

『Big ass』

 

「こんなの簡単。デカケツだぜ」

「すごっ! デンジ君、大学行けるよ~!」

「だろ?」

「デンジ君が天才だから~、今日の授業はおしまいでーす! はい、では起立!」

 

 俺は帰宅部。

 授業が終われば帰るだけだが今日は予定がある。

 レゼを伴って夕暮れの校舎を巡った。

 

 窓の外からはオレンジ色の光が差しこんでいて、長く伸びた影が廊下の床を染めていた。

 部活の掛け声が遠くから微かに聞こえるだけでほとんど人の気配がない。

 夕陽が窓を透かして琥珀色に光っている。

 

「なんだか時間が止まっているみたい」

「だな」

「デンジ君ってさ、物知りだよね」

「おー、そうだぜ」

 

 レゼは半開きになった教室のドアから中を覗きこむ。

 その横顔には光が淡く差し、瞳の中まで橙に染めていた。

 

「私ね、カッコよくて、頭が良くて、頼りになる人、好き」

「へ、へえ~」

「物知りな人はもっと好き」

「それって……」

「教えてほしいな。デンジ君の全部。私に教えてほしい」

「いいぜ! 何でも教える!」

「ふふ」

 

 少女は小さく笑い、廊下の突き当りを指さした。

 

「じゃあ、あっちには何があるの?」

 

 薄汚れた通路だった。

 端にはゴミ箱。エアコンの室外機。パイプ管がのたくっている。

 突き当りにあったのはドアだった。

 張り紙がべたべたと何枚も重なって、真ん中には大きな覗き穴がついている。

 見覚えのあるドア。

 いつも見る夢の、

 いつも忘れる夢のドア。

 

「中を見せてくれたら何でもしてあ『デンジ』

 

 

 

 

 

『絶対に開けちゃダメだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ッは、ア」

 

 目覚めは、曖昧だった。

 デンジの視界には、一人の少女。

 覗きこんでいる。

 デンジの知っている顔だったが、名前がすぐに浮かばない。

 

 彼女の名前、名前は――

 そう、レゼだ。

 

 その慈しみを伴った瞳の色合いに、デンジはふと錯覚を覚えた。

 

 彼女と出逢ったのはいつだっけ……?

 

 記憶にはつい一ヶ月前と刻まれている。

 しかしその程度の仲とは思えない。

 たった今、この瞬間も向けられている彼女の眼差しからは、同じ血を分けた相手を思いやるのとそう変わらない無私の情愛をデンジは感じた。

 遠い記憶。母の記憶。

 あれに近しく、別種で、けれど比肩しうる温かさを持つもの。

 ならば彼女は長年連れ添ったかけがえのない相手だと――本気でそう思ったのだ。

 しかし、記憶が呼び覚まされていくにつれ、誤りがつまびらかにされていく。

 彼女は伴侶ではない。

 その認知は加速的に広がっていき、やがて正しい現実へと繋がった。

 彼女とは知り合ってまだ一ヵ月。恋人かもちゃんと確認し合っていない。

 その事実がひたすらに口惜しく、焦燥を掻きたてた。

 そのレゼが、問う。

 

「あなたは誰?」

 

 デンジは素直に答えた。

 

「デンジ……」

「歳はいくつ?」

「十六……」

「私の名前は?」

「レゼ」

「ここはどこ?」

「島。名前は忘れた」

「……ふう。どうやら正気に戻ったみたいだ」

「なんのこと?」

 

 身を起こす。

 膝枕をされていたようだが喜ぶほどの余裕はない。

 頭の中が揺れていた。まだ夢に片足を突っこんでいる気分だ。

 

「なんか……あったのか?」

 

 言いながら、ふと恐ろしくなった。

 

 夢?

 どこまでが夢なんだ?

 

 レゼと二人、手を繋いで逃げ出して、やっと無人島まで辿り着いた――本当に? それ自体が夢なんじゃないか?

 

 一ヶ月前、俺たちは日本で戦った。あの浜辺で別れた。

 それは確かだ。

 でもその後、カフェ『二道』で再会できたのは本当なのか?

 そんな都合の良いハナシが本当に俺のドブ底の人生に訪れるなんてあるか?

 今、目の前にいるレゼだって幻なんじゃないか……?

 

 そう恐れ、確信を得るために彼女の膝に幼児のように抱き着きながら震えた。

 

「……まだ寝てていいよ。本調子じゃなさそう」

 

 彼女が本物で、今が真実か。

 それだけを願った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あああ、ああああ~……! 忘れて、忘れてくれええ……!」

 

 あれから約30分後。

 デンジは頭を抱えて蹲っていた。

 時間とともに記憶は蘇り、思い出してしまえば、なんてことはない話だった。

 ただ精神攻撃系の力を持つ悪魔と戦って前後不覚に陥っただけの話。

 

「それにしてもデンジ君にあんな一面があったなんてねえ」

「ぎいぃぃいぃ!」

「レゼぇ~、レゼぇ~、どこにも行くなぁ~、って」

「違う! あれは……俺じゃねえ! 洗脳! されてた!」

「いーやアレは素だね。あはははは!」

 

 

 

 話は丸二日も巻き戻る。

 

 悪魔という存在がどうやって産まれてくるかは謎ではあるが、仮説の一つに人間の近くに自然発生するというものがある。

 何故なら海底や地中奥深く、高高度で生まれてそのまま死ぬような事例が確認されていないからだ。

 その仮説が正しいかは分からないし、もしかしたら元々無人島にいただけなのかもしれないが、とにかく二日前に悪魔が現れたことだけは事実だ。

 

 その悪魔は、トラウマの悪魔と名乗ったらしい。

 

「瞬殺ですよ、瞬殺」

 

 レゼ、曰く――

 チェンソーマンとボムガールの黄金コンビの敵ではなかった。

 しかしワンターンキルとはいかず、その悪魔の発した奇妙な光を浴びてしまった。

 その時は二人とも特別変わった様子はなかった。しかし次の日の朝になってデンジに異変が起きてしまった――

 

「デンジ君の記憶が飛んでてぇ、自分は六歳だって言ってましたぁ!」

「六歳!?」

「その状態で丸一日戻りませんでしたぁ! もうダメかと思いました!」

「え……!? じゃあ俺、一日、ずっと子どもだったのォ!?」

「身体は大人、頭脳は子どもだったコケよ~」

「嘘だろお~~!?」

「お姉ちゃん、だあれ? ってキラキラした目で懐いてきました! とてもヤバかったです!」

「俺じゃねえ~! 絶対ぃイイ~!」

 

 叫ぶデンジに、爆笑するレゼ。

 夕暮れの浜辺に長く影が伸び、少年少女の声が響き渡っていた。

 

 悔しいことも楽しいことも引いては寄せる波のように繰り返されている。

 積み重なっていずれかけがえのない思い出となっていくだろう――

 

 

 

 ――と締めくくれればよかったのだけど。

 話はまだ半分しか終わっていないのだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 次の朝。

 

「お兄ちゃん、だあれ?」

「…………は?」

「お兄ちゃん、お名前は?」

「デンジ、だけど……。え、なに? 冗談?」

 

 レゼはきょとんと首を傾ける。

 掘っ立て小屋を見回して、蒸留装置を不思議そうに見つめ、大海原を呆然と眺めていた。

 

「ここ、どこ……? 私どうしてここに居るの……?」

 

 デンジは恐る恐る聞いてみた。

 

「ええとぉ、そのぉ、もしかしてぇ……キミ、何歳?」

「ろくさい」

 

 すぅ~~、と。

 デンジは天を仰いだ。

 蒼く染まったどこまでも抜けていくような空に向け、対空砲のように吠えたてた。

 

「これってさぁ! レゼの記憶が飛んでる……ってコト!?」

 

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