プランB/楽園を探して   作:シャブモルヒネ

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ダーリンベイビーダーリン2

 

「海? ここって海なの? 本物の?」

「あん? 海は海だろ」

「……海。本物だ。すごい、初めて見た」

 

 レゼは波打ち際に駆け寄った。

 慎重に指先をつけて水温を確かめている。

 高い波が押し寄せてくると甲高い声をあげて一歩引く。すぐにおっかなびっくり近付いた。おもちゃと戯れる子犬のように繰り返している。

 

「中身が全然違うなぁ……」

 

 身体は大人、頭は子ども。

 レゼの記憶が飛んでしまっている。

 

 そんなことが本当にあるのかという問いへの解答は、既にデンジ自身の体験によって証明されていた。

 前後不覚の記憶不明瞭状態。

 今のレゼも同じようになっている。

 レゼであってレゼではない。

 

「レゼってだあれ?」

 

 当人もそう言っていた。

 

「そりゃキミん名前だろ」

「違うよ? 私はдвадцать первый」

「は? どばぁ……何?」

「двадцать первый」

「それが嬢ちゃんの名前なの?」

 

 幼子の顔つきをした少女はぶんぶんと首を横に振る。

 名前ではないらしい。

 デンジにはよく分からない。

 

「とりあえずよ、そのナントカカントカって呼びにくいから、俺ぁレゼって呼ぶぜ」

「そんなのだめ」

「なんで?」

「勝手に名前つけちゃいけないんだよ。知らないの?」

「ええ? なんでよ?」

「大丈夫。私、強い子だから、もらえます。でもお兄ちゃんが呼びたいなら、ほんとはいけないんだけど、仕方ないから、今だけはレゼって呼んでもいいよ」

「そう……?」

 

 ところでさ、と小さなレゼは首を傾げてみせる。

 

「なんでレゼって名前なの?」

「そりゃ、キミがレゼだから」

「私に似てる子がレゼって名前なの? ふうん? 大人のくせにいいかげんだね」

「はあ?」

「お兄ちゃん、もしかしてゆうかいはん? それってすごくバカなんだよ。しんじゃうよ」

「俺は死なねえよ」

「逃げたほういいと思うな」

「だから、逃げてんだって。今、俺たち、逃げてんの。分かる?」

「え……」

 

 少女はゆっくりと辺りを見回した。

 浜辺。雑木林。奥には山。

 人の手が入ったような場所といえばボロの掘っ立て小屋しかない。

 

「もしかして、あれ作ったのお兄ちゃん?」

「そうだよ」

「ここで隠れて暮らすつもりなの?」

「おー。隠れてねえけど」

「……ここ、どこ?」

「マレーシアのどっか。無人島」

「……え……え? マレーシア……? 南のほうの国だよね?」

「よく知ってんなあ。天才かぁ? タイとかベトナムとかの近くだよ」

「うそ……。なんで?」

「南国といやぁ海でバカンスだろ?」

 

 レゼは信じがたいバカを見る顔をした。

 デンジは固まってしまった少女の肩を押していき、「まあいいからいいから」と一緒に海に膝まで浸かる。

 両手を合わせて海水を掬いあげる。

 へへっと犬歯を見せて笑った。

 

「問題じゃじゃん! 海といえばなんでしょ~?」

「え」

 

 答える前に水飛沫をぶっかけた。

 

「わあっ!?」

「答えは水かけごっこ! だぁ~!」

 

 レゼはきゃあきゃあと聞いたことのない悲鳴をあげて逃げ回る。

 デンジは容赦はしなかった。ばっしゃばっしゃと海水を浴びせ続けていく。

 

「やめてーーーー!」

 

 やられるがままのレゼ、という珍しい構図にデンジはだんだん楽しくなってくる。

 嫌がる女子を追いかけ回す小学生男子と同質の行動だったが気にしない。はっはっはーと悪人面で優越感を味わっていると、

 

「ぶべ!?」

 

 ミサイルのようにすっ飛んできた運動靴が顔面に直撃した。

 デンジはざっばーんと水柱をあげてひっくり返る。すぐさま起き上がって鼻と口から海水を吐き出して、

 

「てめー! 子供だと思って手加減してりゃあ調子のんなよー!」

「ばーーーーーーーーか!」

 

 飛沫に光が乱反射する。

 水を吸って重くなったシャツを振り乱しながらデンジとレゼはでたらめに叫んだ。

 体力の温存なんて一欠片も頭にない。縦横無尽に両腕を振り回し、飛び散る波飛沫の向こう側に互いの顔を見た。

 張り裂けんばかりの笑顔だった。

 

 

 

 

 

 息も絶え絶え、浜辺に足を伸ばして空を仰ぎ見る。

 勝負は引き分けということで合意が形成された。

 デンジはずぶ濡れのシャツを脱いで上半身を晒す。

 吹き抜ける風が心地よかった。

 

 と、レゼが胸のスターターの紐を凝視しているのに気がついた。

 

「お兄ちゃんは悪魔人間なの?」

「なにそれ」

「悪魔と人間が合体してできるやつ。武器人間? うぇぽん? よく知らないけど」

「まあそうとも言うかな」

「すごい……。成功してたんだ。もしかしてすごい人だったりする?」

「えー? 俺が? 知らねー」

「あっ……そういえば日本語喋ってる……。日本も担当だったりする!? せんぱいかな!?」

「さあ。日本人」

「あ、そっちか~。へえ~、そうなんだ」

 

 何が「そっち」かは疲れきった今のデンジには分からない。分かろうとするのも億劫だ。

 そんなことより腹が減っている。

 一歩も動きたくなかったがメシは勝手にやってこない。立ち上がり、昼食の材料を調達しに行くことにした。

 ふと振り返れば後ろからレゼがとことこと追いてくる。

 そういえば、とデンジは聞いてみた。

 

「嬢ちゃんよ、サバイバルやったことある?」

「ないよ」

 

 だよなぁ、と腕を組んで考える。

 ひとまず、生け簀の場所を伝えて中身を回収してくるように頼んだ。魚籠を渡すとレゼはぴっと敬礼ポーズをとってみせた。

 

「お兄ちゃんはどこ行くの?」

「狩り」

 

 6歳のレゼは不思議そうにしていたがデンジもそれ以上説明することはしなかった。

 何を捕まえられるかは自分でも分からない。出たとこ勝負だ。

 

 

 

 

 

 蛇だった。

 

 レゼは全力で拒否した。

 それはもう味噌汁を●●●を溶かしたスープだと信じて疑わなかった米軍兵かと思う勢いで嫌がった。

 

「ぜっっったい、いや!」

「ええ? そんなら魚と貝しかないぞ?」

「それでいい」

「せっかくの肉なのになぁ……あっ」

 

 ハッとして振り返る。

 コケピーの存在を忘れていた。

 

「な、何コケ……その目は」

「チキンを見る目」

「コケーーッ!?」

「それもだめ!」

 

 幼児がニワトリを抱きしめる。身体の後ろに隠してデンジを睨みつける。

 コケピーは悪い悪魔じゃないもん、と。

 デンジが「冗談だよ」と肩を竦めてもしばらく離そうとしなかった。

 

 

 

 

 

 腹をそこそこ満たした後、浜辺で貝殻を集めているレゼを遠い目で眺めていると、コケピーがずだ袋を引き摺りながら寄ってきた。

 

「……レゼのメモぉ?」

「そうコケ。まだ普通だったときのレゼちゃんが書いてたコケ。自分に何かあった時はこれを誰かに見せろって言われたコケ」

「どれどれ」

 

 コケピーの進言に従って、ずだ袋をひっくり返す。

 ごろごろと荷物が落ちてきた。

 財布、上着、化粧品入れ、洗剤入りボトル、財布、サンダル、歯ブラシ、ケーブルタイプの南京錠、シャンプー、石鹸、ビニール袋、治療ボックス、財布、布テープ……

 そして鉛筆つきの黒いメモ帳を見つけた。

 海水に浸かってしまいごわごわになってしまっていたが、どうにか開くことはできそうだ。

 ぺらりとページをめくってみる。

 

 

 

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 これを読んでいる方へ

 

 ちょっと緊急事態になってしまったのでここに現状を記録しておきます。

 もし私、女の方も様子がおかしくなってたら、それはトラウマの悪魔の仕業です。

 対処法も書いておきますのでこれを読んだ人はどうにかして助けてくれると嬉しいです。

 

●経緯

 私と男の方はデビルハンターで、トラウマの悪魔を倒しました。

 しかしそれは誤認だった可能性があります。

 私の認識では、相棒が斬って倒したはずなのですが、他の人は、私が爆破して倒したと言いました。

 認識を操作されている可能性があります。

 

●現状について

 私の相棒が心神喪失状態に陥ってしまいました。

 原因はトラウマの悪魔による攻撃によるものとみて間違いありません。

 ここで問題となるのは、それが死に際の悪あがきなのかどうかです。

 

●予測

 可能性①

 トラウマの悪魔が本当に死んでいた場合

 

 この場合は何の問題もありません。

 私の相棒は今精神に変調をきたしていますが、悪魔が死んでいるならそのうち自然に戻るはずです。

 その時はこのメモも必要ないので破り捨てようと思っています。

 

 可能性②

 トラウマの悪魔がまだ生きていた場合

 

 相棒の変調は戻らないはずです。

 そして、次に私への攻撃が始まるでしょう。

 私も精神になんらかの異常をきたしていると思います。

 こうなってしまった場合、これを読んでいるあなたに助けてほしいと思いこのメモを書いています。

 

●トラウマの悪魔について

 私はとある事情でトラウマの悪魔の性質について知っています。

 細部は違っているかもしれませんが、概ね変わってはいないはずです。

 

・分類は精神攻撃系の悪魔。

 普段は表に出てこないため駆除は難しい。

 能力を使っているときは攻撃の対象となっている者の近くにいるはずだが、人間の脳の認識を狂わせる能力をもっているため視認することができない。

 対処法は、この悪魔に認識されていない第三者が見つけて攻撃すること。他は無い。

 

・標的とされている者の状態について

 ある種の催眠状態に陥っているため当事者による対処は困難。

 何らかの夢を見せられている状態であり、悪魔はその中で標的のトラウマを探りだそうとする。

 トラウマを見つけられてしまった者はよくて重度の鬱状態、悪ければ発狂するか自殺してしまう。

 なおこの催眠状態を自力で解くことは不可能とされている。

 

 

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「……ふうん」

 

 ひとまずページを閉じる。眉間にできていた皺をほぐしてみた。

 まだ続きはあったが既に頭がパンクしそうだった。

 

「これってさ、わりと結構ヤバいんじゃね?」

「大丈夫コケ~。一生懸命頑張れば何とかなるコケ」

「そうかなぁ。そうかあ?」

 

 トラウマの悪魔、ねえ。

 デンジは唇を尖らせながら情報を整理してみることにした。

 

 

 多分、トラウマの悪魔は生きている。

 だからレゼはおかしくなった。

 でもそこで疑問となるのは、どうして自分は催眠状態から脱け出せたか、という点だ。

 自力では解けないとメモには書いてあるが――

 

 ――『絶対に開けちゃダメだ』

 

 デンジは理解した。

 あの時、ポチタが助けてくれたのだ。

 思い返せばあの夢は変だった。

 パワーが従妹で、マキマさんと同居していて、学校に通っていた。

 そしてレゼ。転校生という設定にかこつけてやたら学校の中を案内させようとしていた。

 夢の中の彼女が最後に開けさせようとしていたドアはなんだったのか。アレがおそらく自分の防波堤だったのだとデンジは直感した。

 

「トラウマを探りだそうとする、ねえ」

 

 あのドアはおそらく開けてはならない類のものだ。

 おそらくレゼにも同じものがあり、トラウマの悪魔は今まさにそれを探しているのだろう。

 

 

 今のレゼは?

 

 気になって、辺りを見回した。

 すぐに見つけた。地平線まで見えてきそうな広大な浜辺には一人の少女だけがうずくまっている。

 

「何やってんだ?」

「お城作ってます」

 

 ぺたぺたと手のひらを砂まみれにして城を作っている。

 入り口があって、三階建てで、城壁には敵の矢から隠れるための凹凸がついていた。

 

「へえ~。上手いもんだ。6歳のくせによ~」

「子ども扱いしないで下さい。私は7歳です」

「は? 7歳だったっけ」

「7歳です。大人です」

「てか、敬語」

「なんです? 歳上にはけいごを使うものです。当たり前です」

「はあ」

 

 7歳のレゼが砂遊びをしているのをデンジはコケピーと並んで眺めた。

 眺めながら、悪魔への対策を考えた。

 

 自分はポチタがいたから助かった。

 でもレゼは?

 ボムの心臓は宿主を助けてくれるのか?

 そういう意識をもった存在だっていう話は聞いたことがない。もし違うなら自分が助けなければならないが――

 

 ――対処法は、この悪魔に認識されていない第三者が見つけて攻撃すること。他は無い。

 

「俺って、もう認識されてるよな……?」

 

 ここは無人島。

 レゼの他にはデンジしかいない。

 コケピーは雀に負ける貧弱さだ。戦力に数える方がどうかしている。

 

 もう一度周りを見渡してみた。

 何もない砂浜。

 向こうの果てからこっちの果てまで全力ダッシュしても走り切れないだろう。

 そのどこかに透明化したトラウマの悪魔がいるらしい。

 

「どうやって見つけんだよ……」

 

 黒いメモ帳をまた開けてみた。

 

 

 

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 状況に変化があったため記録をとっておきます。

 

 私の相棒が自称する年齢が増えていることに気がつきました。

 6歳から7歳になったと思ったら、すぐに8歳になりました。

 歳が増えるペースは一定ではありません。

 すぐに増えることもあれば、次の歳になるまで何時間もかかることもあります。

 本来の年齢まで時間が進めば催眠が解けるのかもしれない、始めはそう思っていました。

 でも多分違います。

 これはトラウマの悪魔が彼の中の時間を進めているんだと思います。

 トラウマを探索するためです。

 その者にとって致命傷となりうるトラウマが眠っている年齢を探しているのです。

 もしもその年齢に至ってしまったら?

 私は少しずつ恐ろしくなっています。

 頼むから早く正気に戻ってほしい。

 

 

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 レゼはすっくと立ちあがり、手のひらを擦り合わせて砂を払い落とした。

 真っすぐに背伸びをして瞳を空の色と同じにしている。

 

「……なあ、嬢ちゃん」

「何ですか?」

「今、何歳?」

「10歳です」

「ああ、そう……」

「それと私、嬢ちゃんじゃありません。レゼです。名前もらえたんです。ちゃんとそっちで呼んでくださいね」

 

 波が大きく打ち寄せて砂の城が浸食されていく。

 崩れてしまった城壁をレゼは一顧だにしなかった。

 大人びた顔で振り返り、微笑んだ。

 

「大丈夫。私、強い子だから選ばれます。選ばれなきゃいけないんです。そのためにдвадцатыйを殺したんだから」

 

 太陽はまだ空にある。

 しかしいずれ水平線へと沈んでいき眠りにつくだろう。

 

 逢魔が時がやってくる。

 

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