Duchess in Borderland   作:M.T.

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きこくせんよんひゃくろくじゅういちにちめ

 

 ――…わからない。私にはもう、何を決めればいいのかも…

 

 

 

 毎晩、同じ夢を見る。

 俺は裁判場にいて、俺の視線の先には黒いスーツを着た男が座っている。

 彼の顔には黒い靄がかかっていて、表情が見えないけど、険しい表情を浮かべているのだろう。

 

 

 

 ――だとしたら私は…ようやく、自分の生き方を決められたんだな…

 

 

 

 少しずつ、顔にかかった靄の範囲が狭くなり、彼の顔が見えてくる。

 さっきまで険しかった彼は、穏やかな表情を浮かべていた。

 

 何故だろう。

 俺は彼に、どこかで会った事がある。

 彼は、俺がずっと探していた人だったような気がする。

 

 

 

 ――君の、お陰だ。

 

 

 

 あと少しで、というところでいつも目が覚める。

 結局今日も、わからなかった。

 アンタは…一体誰なんだい…?

 

 

 

 

 

「………はぁ」

 

 今日もまた、あの夢を見た。

 隕石災害に遭って死にかけてからというもの、毎晩あの夢を見る。

 

 寝息が聴こえて、ふと視線を下に落とす。

 俺の隣では、妻が気持ち良さそうに眠っている。

 俺は、彼女を起こさないようにそっとベッドから起き上がると、水を飲みにキッチンに向かう。

 

 俺がキッチンで水を飲んでいると、扉が開く音が聴こえた。

 振り向くとそこには、眠そうな目をした妻が立っていた。

 

「…ごめん、起こした?」

 

「んーん。アタシもちょうど目が覚めたとこ」

 

 そう言って俺の横を通り過ぎた妻は、ダイニングテーブルの席に座った。

 東京に未曾有の被害を出した隕石災害から、今日でちょうど4年が経つ。

 妻とは、俺が病院で治療を受けていた時に出会った。

 話しているうちに映画の趣味が合う事がわかって、何度か会う約束をして、隕石災害の半年後あたりから交際を始めた。

 

 それまで無駄な付き合いしかしてこなかったけれど、彼女と過ごすようになってからは、人と関わる事で、知らない自分に出会うのも悪くないと思う事ができた。

 あんな気持ちになったのは、生まれて初めてだった。

 恋……ではないだろうな。

 酒とタバコとギャンブルに浸って機嫌が悪くなると夜泣きする三十路の女に、そんな感情を抱くはずがない。

 

 医大卒業と同時に俺の方から結婚を申し込んで、一昨年の夏に結婚した。

 妻も俺と出会って心境の変化があったようで、以前はタバコを一日3箱吸っていた彼女は、俺と結婚してからは一本も吸っていない。

 前は浴びるように飲んでいた酒の量も少しずつ減っていって、最近は一滴も飲んでいない。

 禁煙してから健診でお医者さんに褒められるようになった、と嬉しそうに報告する彼女を見ると、ほんの少しだけ、医者の道に進んで良かったと思える。

 これが幸せなのかはまだわからないが…お互い、前よりはマシな人生を送れているんだろうか。

 

「最近眠りが浅いようだけど…また例の夢を見たの?」

 

 妻は、最近眠りの浅い俺を心配してきた。

 3年半も付き合っている彼女には、隠し事はできない。

 

「……ああ…何か、大事な事を忘れている気がするんだ。それが何なのか、ずっと引っかかっていてね…」

 

「大丈夫?また加納先生に診てもらう?」

 

「あの先生、胡散臭いからオレ嫌い」

 

「そう?アタシはあの人嫌いじゃないけどなぁ」

 

 俺が胡散臭い無精髭の男の顔を思い出してゲンナリしていると、妻は他人事のように笑った。

 加納我文先生。

 脳科学者で、隕石災害の被災者のカウンセリングをしている精神科医だ。

 俺と妻も、彼のカウンセリングを受けたが、俺は彼の事が好きになれなかった。

 被災者のケアや脳波への影響の調査というのは建前で、何か別の目的があるような気がしてならない。

 妻は、先生と話していて楽しかったと言っているが…

 

「より優れた人工知能を生み出すヒントは、脳のメカニズムを解明するところにあるの。それで、アタシは今AIを使って脳活動を解析する研究をしているんだけど、そこには現代科学の常識では計りきれない発見があったりするんだよね。だからかな…人の脳の神秘にのめり込む気持ちは、わかる気がする」

 

 そう言って妻は、テーブルの上に置いたコップの水を飲む。

 彼女は、日本に来る前はアメリカの大企業で科学者兼エンジニアをしていて、今は研究機関の依頼で人工知能の研究をしている。

 職業柄なのか、彼女は人一倍好奇心旺盛で、時折普段のバカさ加減からは想像ができない知性を感じさせる発言をする事がある。

 俺よりなんでも出来るくせに、俺のようなつまらない人間に興味を持ってくれたのも、好奇心故なのかもしれない。

 なんて考えつつ、俺もコップの水を飲むと、妻は俺の手に自分の手を重ねて話しかけてきた。

 

「しっかりしろとは言わないけど、あんまり疲れるまで思い詰めんなよ。アンタももうすぐパパになるんだから」

 

「あぁ…そうだね」

 

 視線を下にやると、不自然に膨らんだ妻の腹が視界に映り込む。

 彼女は今臨月で、3週間後に出産予定日を控えている。

 半年ほど前のエコー検査で子供の性別が判明し、妻に教えてもらった。

 俺達の子供は、男の子だそうだ。

 

 病院での研修から帰ってきていの一番に妻から妊娠の報告を聞いた時は、耳を疑った。

 人を見下して虚しい人生を送っていた俺が、結婚するなんて…ましてや人の親になるなんて、考えもしなかった。

 親にすら関心を向けられなかった俺には、温かい家庭なんて一生縁のないものだと思っていた。

 妻の腹が大きくなっていくにつれて、怖くなった。

 俺は愛情の与え方なんて知らないから、自分の子供に、父と同じ事をしてしまいそうで…

 それでも、彼女が子供の為に変わりたいと強く願ったから、俺もこの子の父親になろうと思えた。

 

「今日当直でしょ?お弁当要るよね?」

 

「いや、いいよ。自分でなんとかするし」

 

「わかった、今から作るわね」

 

「話聞いてた?」

 

 俺が妻の体調を気遣って断ろうとすると、彼女は俺の返事を無視してキッチンに入る。

 俺が呆れていると、彼女はキッチンから顔を出してジト目で俺を見た。

 

「アンタどうせ、出来合いのもので済ませるつもりでしょ?アンタの好きな卵焼き入れてやるからちゃんと食え。また野菜残したらコロス」

 

 そう言って彼女は、キッチンで料理を始めた。

 慣れた手つきで弁当作りをしている彼女は、軽快に鼻唄を歌っていた。

 出会った当初は音痴だと思ったが、俺と付き合い始めてからは上手くなったように感じる。

 

 彼女が料理をしている間に、シャワーを浴びて、朝のニュースをチェックする。

 今日がちょうど隕石災害の日だから、ニュース番組はどれも4年前の隕石災害の話題ばかりだ。

 自分で言うのも何だが、俺も妻も、心肺停止の重傷からよく生還できたと思う。

 こういうのを、奇跡っていうんだろうな。

 

「お〜い飯できたぞ〜」

 

 妻の声が聴こえたので、テレビを流したままにしつつダイニングに向かうと、テーブルには朝食が並べられていた。

 皿の上には、厚切りベーコンと卵を二つずつ使ったベーコンエッグと、狐色に焼けたトースト、そしてフルーツが盛り付けられている。

 夫婦お揃いのコーヒーカップには、淹れたてのコーヒーが注がれていて、湯気が立っている。

 妻は、スライスチーズを乗せて焼いたトーストを美味しそうに頬張っていた。

 

 何故だろう。

 ありふれた光景のはずなのに、どこか懐かしさを感じるのは。

 

「ご馳走様」

 

「食べ終わった皿、食洗機に入れとけよ〜」

 

「うん」

 

 食事を終えた後は、食べ終わった食器を食洗機に入れて、部屋着からシャツとズボンに着替える。

 妻の手作り弁当を鞄に入れ、出勤の支度をしていると、妻が話しかけてくる。

 

「まだ時間あるよね?子供の名前考えるの、ちょっと付き合ってよ。いい名前考えたんだよね〜」

 

「また変な名前考えたんじゃないだろうね」

 

 俺がシャツに袖を通しながら言うと、妻がドヤ顔をする。

 彼女は、自身満々にノートを開いて俺に見せた。

 

「千太郎」

 

 妻の言った名前を聞いた俺は、つい拍子抜けした。

 思ったよりマシな名前だったから、逆にビックリした。

 まぁ、俺と彼女の名前の間を取っただけなんだけど。

 

「…安直すぎない?」

 

「えーダメ?じゃあ万太郎は?億…兆…京…垓…秭…穣太郎でどうだ!」

 

「デカけりゃデカい程いいとか、バカの発想じゃん」

 

 妻がハイになって次々と名前の候補を挙げるので、俺はそれをバッサリ切り捨てた。

 これでも、男の子だとわかったあたりの頃に彼女が候補に挙げていたダッサい名前の数々に比べたら、だいぶマシになった方だけどさ…

 というか、なんでそこまで名前に大きい数字を入れる事にこだわるんだか。

 

「バカで結構よ。この子には、うんと長生きしてほしいもん。どデカい名前つけて何が悪いのさ」

 

「別に悪いとは言ってないだろ」

 

 妻なりの考えを聞いた俺は、無闇に彼女の意見を否定するのはやめた。

 彼女の名前は、長生きできるようにと、彼女の母親がつけた名前だそうだ。

 昔は自分の名前が嫌いだったけど、生きてて毎日が楽しい今は、自分の名前が好きだと言っていた。

 彼女が母親と同じように自分の子供の名前を考えているのは、彼女なりに、子供の幸せを願っているからだろう。

 おっと、もうこんな時間か。そろそろ行かないと。

 

「行ってきます」

 

「あ、待って忘れ物」

 

 俺がソファーに座っている妻に声をかけると、妻はソファーから立ち上がって俺の肩に両手を置き、俺の唇に触れるだけの口付けをした。

 

「行ってらっしゃい、アナタ♡」

 

 妻は、フッと微笑んで俺を見送る。

 すると、ちょうどその時だった。

 

「あ、今蹴った。この子も、パパお仕事頑張れ〜って言ってるよ。ほら」

 

 そう言って妻が、俺の手を掴んで腹に手を当てる。

 俺は、妻の腹に掌を当てたまま、その場でしゃがんで腹の中の子供に話しかけた。

 

「行ってきます」

 

 俺が声をかけると、それに対して返事をするかのように、また妻の腹が動く。

 俺は、微笑みながら手を振る妻に手を振って、職場へと向かった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 家を出発した俺は、いつも通り電車に乗る。

 今日は日曜だからか、いつもはこの時間帯に見かけない乗客がいる。

 

「ウサギ、悪いな。付き合ってもらって」

 

「ううん。私も行っておきたかったから。今日でちょうど4年目だもんね…」

 

 俺の前には、大学生のカップルが立っていた。

 二人はこれから、隕石災害の被災者の慰霊碑に行くらしい。

 彼等は、あの災害で大事な人を亡くしたのだろうか。

 

「そういえばアリス、院試もうすぐだったよね。大丈夫そう?」

 

「うげぇ、今試験の話するかよ!?」

 

 彼女の方が話題を変えると、彼氏の方が露骨に嫌そうな顔をする。

 何故だろうな…

 俺はこの二人に、どこかで会った事があるような気がする。

 

「コータ、今日いよいよ遠征だな!」

 

「うん」

 

 電車の後ろの方では、ユニフォームを着た中学生が楽しそうに話していた。

 その近くでは、ウェーブボブの女がお年寄りに席を譲っていた。

 

 いつも通り、渋谷駅で電車を降りて改札に向かう。

 相変わらず、隕石災害で崩れた建築物の復旧作業はまだ続いている。

 

「お待たせ、祐二」

 

「僕も今来たところだよ、梨鶴奈」

 

 改札をすぐ出た所では、男女が待ち合わせをしていた。

 そのまま、いつもの道を歩いていく。

 曲がり角を曲がると、『DAMMA』と書かれた看板が立てられた帽子専門店が見える。

 

「いらっしゃいませ〜!あ、富庭さん!」

 

「お〜っす堂道!お〜い朱音〜!手伝いに来てやったぞ〜!」

 

「聴こえてるっつーの。アンタいちいち声デカいんだよ」

 

「おはざぁ〜っす店長〜!」

 

「…ああ。悪ィな、今日も手伝ってもらって」

 

 店の中からは、店員達の賑やかな話し声が聴こえる。

 あの店には、妻へのプレゼントを買いに、一度だけ行った事がある。

 顔に傷のある強面の男と、派手な格好の若い女がやっている店だ。

 俺が前に来た時は、高校生のアルバイトがいたが、彼は今もあそこで働いているんだろうか。

 

「オカン、今日はウチが飯奢ったるわ!何食べたい?」

 

「ありがとうなぁ。光の食べたいもの食べれたらええよ。それが一番嬉しいわ」

 

 勤務先に病院に向かって歩いていると、コーンロウの女とすれ違った。

 一瞬、見かけた顔に出会ったような気がして、彼女の方を振り向く。

 向こうはそれに気づかず、母親と話しながら去っていく。

 

 今日がちょうど、隕石災害の日だからだろうか。

 今日は、どこかで会った事があるような顔をよく見かけるな…

 ……そういえば、妻と付き合ったきっかけもそうだったっけ。

 

「体調大丈夫か」

 

「大丈夫。まだ気が早いよ、傑」

 

 駐車場では、俺の後輩の女子が、黒塗りの車の窓から顔を出した男と話していた。

 その様子を横目で見つつ、勤務先の病院へ向かう。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「おはようございます、苣屋先輩」

 

「おはよう、韮木さん」

 

 出勤して白衣に着替え、朝の業務に取り掛かろうとすると、さっき駐車場で見かけた後輩が挨拶をしてきた。

 研修医2年目の韮木柊色さん。

 13年卒の研修生の中では、一番優秀な模範生だ。

 

 彼女は元々大木場という苗字だったが、去年結婚して苗字が変わった。

 俺はその名前に、見覚えがあった。

 隕石災害で内臓破裂の重傷を負って入院した時、俺と同室だった男の名前だ。

 珍しい苗字だからそうとしか考えられなかったが、念の為に旦那さんの事をそれとなく聞いてみたら、彼女は旦那さんとの馴れ初めを話してくれて、それで確信した。

 その時、世界は案外狭いものだと改めて思った。

 まさか、あの男が俺の後輩とくっついていたとはね。

 

 午前中は、回診の後、病棟の業務を行う。

 韮木さんは、休日の診療にも文句一つ言わず、むしろ仕事を楽しんでいるようにさえ見えた。

 ストイックに仕事に打ち込む彼女の目には、情熱が滾っていた。

 

 以前彼女に、どうしてそんなに人の命を扱う仕事に熱意を向けられるのかと聞いた事がある。

 彼女は以前陸上選手を目指していたが、心臓を患って引退を余儀なくされ、父親に言われるがまま医学部に進学し、生きる理由のない日々を送っていたのだという。

 だけど隕石災害から生還したのを機に、自分と同じように病気や怪我に苦しんでいるアスリートを救う為に、医者になる事に決めたのだそうだ。

 彼女は、「夢が叶わなくても、誰かの支えになる事で、夢の続きを見る事はできる」、「戦う事をやめない限り、まだ負けてない」と語っていた。

 

 俺は、韮木さんが羨ましい。

 夢も、情熱も、人の命への執着も、俺には無いものばかりだから。

 俺も、見てみたいものだ。

 今の彼女には、どんな世界が見えているんだろう。

 

 

 

 昼休憩中、俺は妻の作ってくれた弁当を食べた。

 学生の頃は出来合いのもので済ませていたから、手料理を作ってくれる妻のありがたみを身に染みて感じる。

 他の医師や看護師が休憩している中、韮木さんは手早く昼食を済ませ、一人で黙々とレポートを作成していた。

 妻の弁当を食べ終わった俺は、自販機で紙パックのオレンジジュースを買って彼女に渡した。

 

「お疲れ」

 

 俺がオレンジジュースを差し出すと、韮木さんは一瞬怪訝そうな表情を浮かべる。

 彼女が普段飲んでいるのはブラックコーヒーだから、なんでジュースなんだろう、と考えているんだろう。

 彼女は少し戸惑いつつも、ジュースを受け取った。

 

「…ありがとうございます」

 

「休憩時間くらい休んだら?」

 

「いえ…大丈夫です。好きでやってるだけですから」

 

「休憩を削って無理しても、何もいい事ないよ。君は特にね」

 

 俺がそう言うと、韮木さんは俺の顔を見上げる。

 そして1秒にも満たない刹那の間に俺の発言の意図を考え、そして僅かに目を見開く。

 

「……すごいですね、洞察力」

 

 韮木さんは、少し驚いたような顔をして笑った。

 賢い彼女の事だから、さっきの一言で、俺が何を言いたいのか気づいたのだろう。

 彼女は「いただきます」と言って、俺が渡したオレンジジュースのパックにストローを挿すと、ジュースを飲み始めた。

 

 

 

 昼休憩の後は、午後の業務がある。

 午後の業務は、主に外来診療や検査だった。

 今日は特に大きな手術もなく、患者の容態も安定しているから、定時に妻のもとへ帰れるだろうと思っていた。

 だけど俺が仕事に取り掛かろうとしたその時、突然俺宛てに電話がかかってきた。

 指導医の先生に呼ばれてすぐ電話に出ると、相手は俺に要件を伝えた。

 

「え…!?…はい、わかりました。すぐに向かいます」

 

 俺に電話をかけてきたのは、家の近所の病院の先生だった。

 彼から伝えられたのは、俺の妻が急遽入院する事になったという事だった。

 妻は、俺を送り出した後に急に陣痛が来て病院に行ったらしくて、今は分娩室にいるらしい。

 出産予定日は3週間後だと聞いていたが、あくまで予定日。

 37週目に突入した今、いつ産まれてもおかしくない。

 

 俺は、指導医の先生に事情を説明し、今日は上がらせてもらえないか申し出た。

 すると先生は、優しく微笑んで俺を送り出してくれた。

 

「行きなさい。今は仕事なんて気にしなくていいから。そんな事より今は、奥さんと赤ちゃんの所にいてあげなさい」

 

「……はい」

 

 先生は、仕事を抜ける俺を責めるどころか、「ほら行って!」と俺を急かした。

 俺がすぐにでも病院を出て行こうとした、その時。

 

「先輩…!」

 

 韮木さんが、拳を握って俺に「ファイト」と息だけで語った。

 俺は指導医の先生の言葉に従ってこの日は上がらせてもらい、すぐに妻のいる病院へと駆けつけた。

 

 タクシーで病院へ向かっている途中、妻との思い出が走馬灯のように頭の中で駆け巡る。

 妻が妊娠を伝えてきた日、貴重な休みを使って新婚旅行に行った日、彼女に結婚を申し込んだ日、初めて夜を共にした日、初めて二人でデートに行った日、病院の中庭で出会った日…

 どれも鮮明に覚えている。

 今になって急に思い出したのは、彼女が命を落とすかもしれないという不安が、頭の片隅にあったからかもしれない。

 タクシーの中で彼女の事を考えていると、耳の奥でうるさくノイズが鳴って、身に覚えのない映像が脳内に流れ込んでくる。

 

 

 

 ――そんなの、何度だって作ってやるわよ。だからアンタは、アタシより1秒でも永く生きろよ。

 

 

 

 彼女の声が、脳内で反響した。

 そんな言葉をかけられた事は、一度もないはずなのに。

 それだけじゃない。

 俺は彼女と病院で出会う前から、どこか知らない場所で一緒に過ごしていた気がする。

 マンションの中、高級ホテルのスイートルーム、荒廃した東京の街並み…

 一度も見た事のないはずの光景の中で、彼女の顔が鮮明に浮かぶ。

 

 潰田千寿。

 見た事がないはずの光景に映り込む女は、俺の妻だ。

 

 

 

「千寿…!!」

 

 彼女のいる病院に到着した俺は、受付の看護師さんに事情を話して、妻のいる分娩室に案内してもらった。

 俺は分娩室の前の椅子に座って、千寿の出産が終わるのを待った。

 出産に立ち会うかどうかを前に彼女に訊いたが、彼女自身が首を横に振って拒否した。

 曰く、夫の俺には見せたくない姿というものがあるそうだ。

 

 俺は、顔の前で両手を組んで、祈るような姿勢で待ち続けた。

 今までは、神なんて信じた事なんてなかった。

 信仰だの、祈りだの、そんなものをアテにする奴はバカだと思っていた。

 だけど今は、千寿と息子が助かるなら、たとえ悪魔にでも縋りたい気分だった。

 

 それから10時間が経過した。

 千寿の容態は芳しくないらしく、出血量がどうだの、血圧がどうだのと、先生の声が聴こえてきた。

 どうやら出産時の出血がひどかったらしく、彼女は出血性ショックで瀕死の状態に陥った。

 もしかしたら、千寿はこのまま助からずに命を落とすんじゃないか、そんな最悪の想定が頭を過ぎる。

 それでも、彼女が無事に戻ってくる事を祈るしかなかった。

 

 早く戻ってこいよ。

 アンタは、こんなところで死ぬようなタマじゃないだろ…?

 大勢を巻き込んで、過ちを犯して、それでも生きるって決めたんだろ?

 俺は、アンタより1秒でも永く生きるから。

 アンタも、俺が死ぬ1秒手前まで生きろよ。

 

 そう願っていると、先生が分娩室から出てきて、顔を綻ばせて告げる。

 

「無事産まれました。母子共に、命に別状はありません」

 

 それを聞いて、思わず安堵のため息が漏れる。

 俺が分娩室に入ると、中にいた看護師さんが俺に声をかけた。

 

「おめでとうございます、元気な男の子ですよ」

 

 そう言われて、分娩台に目を向ける。

 そこには、腕に輸血チューブを繋がれ酸素マスクをつけた千寿と、タオルに包まれた俺達の子供がいた。

 俺達の子供は、千寿の腕の中で産声を上げていた。

 

「あ……駿太郎……産まれたよ……」

 

 まだ血が足りていないのか、青白い顔をした千寿が、か細い声で俺に話しかける。

 俺は、視界が滲むのも気にせず、彼女の手を握りしめた。

 

「はは……泣いてやんの……」

 

 俺がしばらく手を握っていると、千寿が弱々しく笑った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 その後、俺は病室で再度子供と対面した。

 千寿がいるであろう病室にノックして入ると、愛おしそうに産んだばかりの子供を抱きかかえている彼女がいた。

 輸血が終わって、さっきまで青白かった顔色は元に戻っていた。

 千寿は、子供に授乳しながら俺に話しかける。

 

「来てくれてありがと」

 

「来ないと思ってた?」

 

「…ううん。来てくれると思ってた」

 

 俺が尋ねると、千寿は首を横に振る。

 彼女なら、そう答えると思った。

 

「聞いた?アタシさ、血ィ出過ぎて完全に心臓止まったらしいよ」

 

「うん、聞いた」

 

「マジすげぇよな、人生で2回も心肺停止を経験するとか。運がいいんだか悪いんだか」

 

 そう言って千寿は、ゲラゲラ笑う。

 相変わらず、図太さは人一倍だな。

 こういうポジティブなところも彼女の魅力だと、一緒に過ごしているうちに気がついた。

 

「…戻ってこないと思った?」

 

「いいや…アンタなら戻ってくるって思ってたよ」

 

 千寿がフッと笑いながら尋ねるので、俺は首を横に振って答える。

 俺が千寿と話していると、さっきまで母乳を飲んでいた息子があくびをした。

 千寿は、そんな息子を微笑みながら抱きしめると、俺に話しかける。

 

「ねぇ、駿太郎。やっと決めたの。この子の名前…」

 

 千寿は、幸せそうに微笑みながら口を開く。

 

「慧一。アタシと()()()()生かした男の名前だよ」

 

 『慧一』。

 その名前を聞いた瞬間、脳内に強い衝撃が走る。

 まるでバラバラだったピースがはまっていくかのように、あるはずのない記憶が繋がっていく。

 

 

 

 ――だとしたら私は…ようやく、自分の生き方を決められたんだな…

 

 ――君の、お陰だ。

 

 

 

 思い出した。

 俺は、彼と『今際の国』で『げぇむ』をしていたんだ。

 理想に生きたいと強く願う彼にあてられて、俺はこの世界に戻って生きていく事に決めたんだ。

 

 ……そっか。

 アンタが、千寿を守ってくれたんだね。

 クズリュー。

 

「ほら、抱いてあげて」

 

 そう告げられて、息子をそっと抱きかかえる。

 満腹になったのか、息子は俺の腕の中で気持ちよさそうに眠っていた。

 腕の中の息子を見守りながら、千寿と二人でこの子の未来に想いを馳せる。

 

「どんな子に育つかな」

 

「アンタとアタシの子だもん、頭のいい子に育つよ」

 

「優しい子に育つといいな。でも、勝ち逃げは許さないからな。お前は、オレより長生きしろよ。慧一」

 

 俺が慧一の掌に指を乗せると、慧一は小さな手で俺の指を握った。

 

 4年前の隕石災害の影響で、景気の低迷が促進した。

 巨額の財政赤字、広がり続ける世代間格差、GDP低下、介護破綻、上がり続ける自殺率……

 今の日本を取り巻く厳しい現実に、「未来に希望が持てない」なんて声もよく聞く。

 

 だけど今の俺には、不安なんて無い。

 俺には、千寿とこの子がいる。

 

 随分と長い間無駄な時間を過ごしてきたけど、やっと見つけられた気がする。

 俺は、彼女とこの子に出会う為に、今日まで生きてきたのかもしれないな…

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

苣屋千寿side

 

 あれから、6年が経った。

 東京に甚大な被害を齎した隕石災害から、昨日で10年が経った。

 そして今日は、私達夫婦にとっては、一年のうちで一番大事な日。

 慧一の誕生日だ。

 

「慧一、帰るぞ。さっさと支度しな」

 

「ママ!」

 

 私が慧一の通っている幼稚園に顔を出すと、慧一が駆け寄ってくる。

 そして慧一と一緒に、韮木さんちの日菜ちゃんが駆け寄ってきて私に挨拶をした。

 

「ケーイチのママ、こんにちは」

 

「こんにちは、日菜ちゃん。いつも慧一と遊んでくれてありがとう」

 

 私が声をかけると、日菜ちゃんは得意げに鼻を鳴らす。

 慧一は頭が良すぎるから、幼稚園で孤立してしまうんじゃないかとも思った。

 そんな慧一と、入園初日に友達になってくれたのが日菜ちゃんだ。

 慧一が幼稚園で楽しく過ごせているのも、この子のおかげだ。

 

「今日ね、ウチで慧一のお誕生日会やるの。日菜ちゃんも一緒にウチ来る?」

 

「んーっとね、アタシ今日ね、クイナ先生に空手教えてもらうんだ。その後だったら行っていいか、パパに聞いてみる」

 

「そっか。パパとママによろしくって言っといて」

 

「うん!」

 

 私が伝えると、日菜ちゃんが元気よく頷く。

 その後慧一を車に乗せて家に帰った私は、慧一が部屋で勉強している間に、今日の為に作ったご馳走の仕上げをする。

 オーブンのチキンに野菜を添えて、シチューとグラタンとハンバーグ…あとオムライスで完成っと。

 今日は日菜ちゃんも家に来るから、多めに作っておいて正解だった。

 あとは駿太郎と日菜ちゃんが来たら冷蔵庫のケーキも出して…

 せっかくだし、ヴィンテージワインも開けちゃいますか。

 今日くらいはアイツも許してくれるはず。

 

「ただいま」

 

「パパおかえり!」

 

 ちょうど夕飯の支度ができた頃、駿太郎が帰ってきた。

 そして日菜ちゃんも、空手教室から帰ってきて家に遊びに来た。

 日菜ちゃんのパパママもお誘いしたけど、生憎仕事で来られないらしい。

 夕飯をテーブルに並べ終わると、日菜ちゃんが、目を瞑った慧一の手を引いてダイニングに連れてきてくれた。

 

「ねぇ、まだ目ぇ開けちゃダメ?」

 

「ふふっ、まだダメよ」

 

 慧一が目を瞑っている間に、ケーキに蝋燭を6本刺して火をつける。

 

「もう開けていいよ」

 

 駿太郎が声をかけると、慧一はゆっくりと目を開ける。

 テーブルの上に並んだ料理を見て、慧一は目を輝かせた。

 

「誕生日おめでとう、慧一」

 

 皆で声を揃えて祝うと、慧一は頬を緩ませて喜ぶ。

 慧一はケーキの蝋燭の火を吹き消し、チキンを手に取って一口齧った。

 「おいしいね」、なんて会話をしながら、テーブルの上に並んだ料理を皆で食べた。

 その後は、皆で慧一の誕生日プレゼントを開けた。

 私はプラモデルを、駿太郎は図鑑を、日菜ちゃんは色鉛筆をプレゼントした。

 慧一は、皆で渡したプレゼントを喜んでくれた。

 

「実はね、パパとママからもうひとつプレゼントがあるんだ」

 

「え、なぁに?」

 

「じゃ〜ん!」

 

 私は、大きな包みから新品のランドセルを取り出して、慧一に見せた。

 すると慧一は、大きく見開いた目をキラキラ輝かせる。

 

「慧一も来年から小学生だもんね」

 

「わぁ、かっこいい!ケーイチいいなぁ〜!」

 

「そのうち日菜ちゃんも買ってもらえるよ」

 

「ほんと!?」

 

 慧一のランドセルを見て、日菜ちゃんが羨ましがるので、駿太郎が笑顔で言った。

 慧一も日菜ちゃんも、来年から小学1年生になる。

 一緒に学校に通うのが、今から楽しみだ。

 

「ねぇ、使ってみてもいい?」

 

「もちろん。慧一がランドセル背負ってるとこ見たいな〜♪」

 

 私が頬を緩ませながら言うと、慧一は新品のランドセルを背負った。

 平均よりかなり小柄な体格のせいか、ちょっとアンバランスだけど、かっこよかった。

 

「せっかくだし、皆で写真でも撮る?」

 

「そうね」

 

 駿太郎の提案で、家族三人と日菜ちゃんを入れた4人で記念写真を撮った。

 その後、皆でゲームをして過ごしているうちに、日菜ちゃんのパパとママが迎えに来た。

 

 

 

「ぐっすり寝てるね」

 

「どんな夢見てるのかな」

 

 日菜ちゃんが帰った後、慧一は遊び疲れたのかすぐに眠った。

 夫婦の寝室のダブルベッドの上で、家族三人で川の字になって、二人で慧一の事を見守った。

 慧一は、私のお腹に顔を埋めて、規則正しく寝息を立てて眠っている。

 どんなに賢くても、こういうところは年相応なんだなと思う。

 私が慧一の頭を撫でてやると、慧一が口を開く。

 

「ママ、大好きだよ」

 

 慧一は、私に抱きついたまま寝言を言った。

 長い間くだらない人生を送ってきたけど、やっと見つかった。

 私が一番欲しかったもの。

 私の……()()()宝物。

 

「ママもだぁいすき」

 

 私は、慧一をそっと抱きしめてそう伝えた。

 

 理由なんて、何でもいい。

 明るい未来のため?

 好きなアイツのため?

 大層な理由じゃなくたっていい。

 理由なんか、無くたっていい。

 

 人生は、80年は続くクソゲー。

 誰に頼まれたわけでもなく、気づいたら生まれて、気づいたら生きている。

 いい事なんて、そう簡単には起こらないのかもしれない。

 投げ出したくなる事だって、この先起こるかもしれない。

 それでも、私は生きていく。

 

 

 

 

 

 Duchess in Borderland

 END

 

 

 

 

 




本作の世界線での生き残りキャラの4年後

アリス:臨床心理士になる為に大学に進学。在学中にウサギと付き合う。
ウサギ:大学に通いつつ、休みの日は毎週登山に行っている。在学中にアリスと付き合う。
チシヤ:医大卒業後、ツエダと結婚。専攻医として病院に勤務している。
ニラギ:ヒーロと結婚。エンジニアとして働きつつ、研修医の妻を支えている。
クイナ:母親の看病をしつつ、近所の子供達に空手を教えている。少しずつ母親の容態が回復し、休みの日は母親と一緒に出掛けている。
アン:被災後も鑑識官として警視庁に勤めている。マヒルと婚約中。
マヒル:旅の経験を活かし、新規事業を立ち上げる。アンと婚約中。
アグニ:親友の帽子屋を継いで店長をしている。ヘイヤと交際中。
ヘイヤ:大学に通いつつ、アグニの帽子屋で働いている。アグニと交際中。
ドードー:大学に通いつつ、アグニの帽子屋でアルバイトをしている。

オリキャラ達のその後

ツエダ:チシヤと結婚。研究機関の依頼で人工知能と脳科学の研究をしている。隕石災害からちょうど4年後、息子の慧一を出産。
ヒーロ:医学部卒業後、ニラギと結婚。チシヤと同じ病院に研修医として勤務している。隕石災害から5年後の春に娘を出産。
キズナ:ヘイヤと同じ大学に進学。在学中に仲良くなり、休みの日はアグニの帽子屋を手伝いに行っている。
ビル、カタビラ、ネズミ、ダイナ:4人でユーチューバーとしてゲーム実況の配信をしている。
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