銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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いつもお読みいただきありがとうございます。

本話は、ティアマト戦役の後日談にあたります。
戦場では鬼神のごとく振る舞ったアルブレヒトが、
オーディンに帰還した途端どうなるのか──。

銀河英雄伝説という壮大な舞台の片隅で、
ひっそりと、しかし圧倒的温度差で燃え上がる二人の関係を
今回は軽やかに、そして少しだけ甘く描いています。

戦争も政治も書類仕事も、すべてはこの瞬間のため。
そんなアルの素顔を笑って楽しんでいただければ幸いです。



幸せな日常、あるいは遠き日
元帥の尻尾と、甘い判決


帝都オーディン 帝国軍中央病院

 

 

「おい、軍医!藪医者!ちゃんと見たのか?本当に何ともないのか?その機械は壊れてるんじゃないのか!?」

 

上半身裸のまま、詰め寄る。今回のティアマト星域会戦、確かに死ぬかと思った。精神的にも肉体的にも限界を超え、最後は煩悩の力だけで艦隊を動かしていた自覚がある。何より、撤退戦の最中、激しい衝撃と共に口の中に鉄の味が広がり、鮮血を吐き出した記憶があるのだ。

 

「俺は確かに戦場で血を吐いたんだぞ!『ゴフッ』って!漫画の薄幸の美少年みたいに!手のひらが真っ赤に染まったんだ!これは内臓がやられてるに違いない!余命三ヶ月とか言われる覚悟はできている!」

 

必死に訴える。いや、余命宣告されたいわけじゃない。だが、あそこまで派手に吐血しておいて「健康です」と言われるのは、俺の悲劇のヒーローとしてのプライドが許さない。それに、もし深刻な病気なら、アナに「可哀想なアル様……」と優しく看病してもらえる特典がつくかもしれない。

 

軍医総監は、分厚いカルテとホログラム映像を何度も見返し、首を傾げている。その表情は「医学の常識が通用しない未知の生物」を見ているようだ。

 

「……はあ。元帥閣下。何度検査しても結果は同じです。レントゲン、CT、MRI、血液検査、遺伝子レベルのスクリーニングまで行いましたが……全て正常。正常どころか、一般兵士よりも数値が良いです」

 

彼は呆れたようにモニターを指差す。

 

「古傷の肋骨も完璧に癒合していますし、内臓も健康そのもの。肺に至っては、生まれたての赤ん坊のように綺麗なピンク色です。タバコも吸われませんしね。胃壁も、ストレスで多少荒れているかと思いきや、鋼鉄のように頑丈です」

 

「な、なんだと……?」

 

嘘だろ。あんなに胃薬を飲んだのに?ストレスで穴が開く音が聞こえた気がしたのに?

 

「じゃあ、あの血は何だったんだ!?幻覚か!?俺は自分の血の味も分からないほどボケたのか!?」

 

食い下がる。すると、軍医総監は眼鏡の位置を直しながら、言いにくそうに、しかし医学的見地から冷静に告げた。

 

「推測ですが……。戦闘中の極度の興奮とプレッシャー、およびG(重力加速度)の影響により、無意識のうちに舌か頬の内側を強く噛んだのでは?」

 

「……は?」

 

時が止まる。

 

「口腔内を確認したところ、右頬の内側に小さな噛み傷と、口内炎になりかけの炎症が見られます。出血量はそれなりにあったと思われますが、命に別状はありません。……要するに、ただのドジです」

 

カァァァァァァ……!!

 

全身の血液が顔面に集中する音が聞こえる。恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。「ゴフッ」という吐血の正体が、「ガリッ」という自爆だったなんて。「俺は死ぬかもしれん……」と悲壮な覚悟で指揮を執っていたあの時の俺を、タイムマシンに乗って殴りに行きたい。

 

「(赤面)……か、噛んでない!俺はそんなドジっ子じゃない!頬っぺたなんて噛むわけないだろ!俺は元帥だぞ!」

 

「元帥でも頬は噛みます。……薬、塗っておきますか?染みますけど」

 

「いらん!!」

 

診察台から飛び降りる。シャツをひったくり、乱暴に袖を通す。顔から火が出るほど恥ずかしいが、同時に、胸の奥で安堵の鐘が鳴り響くのを感じる。

 

健康だ。俺は健康体だ。どこも悪くない。

 

ということは。

 

「……(ニヤリ)」

 

口元が緩むのを止められない。もしも大怪我で入院なんてことになったら、あるいは絶対安静なんて言われたら、アナとの久しぶりの一夜、あの「ご褒美」が無駄になるところだった。神は俺を見捨てていなかった。俺の強靭な肉体(と頬肉)に感謝だ。

 

「……まあいい、健康なら文句はない!藪医者呼ばわりして悪かったな!診断が正しくて助かった!」

 

軍服の上着を羽織り、マントを翻す。今の俺は、無敵だ。同盟軍の艦隊よりも、もっと手強い、そして魅力的な「戦場」へ向かう準備は整った。

 

「(捨て台詞)健康最高!じゃあな!二度と来るか!」

 

風のように診察室を出て行く。後ろで、軍医総監が深いため息をつく気配がした。

 

「……やはり、化け物だ。あのストレス下で、口内炎一つで済ますとは」

 

そんな賞賛(?)の声など、今の俺の耳には届かない。俺の鼓膜はすでに、愛しい婚約者の声を拾うためにチューニングされているのだから。

 

 

 

 

 

 

軍用車に飛び乗り、元帥府へ向かう。運転手には「法定速度の限界を超えろ、捕まったら俺が揉み消す」と命令済みだ。車窓を流れる帝都オーディンの街並みが、光の筋になって後ろへ飛び去っていく。

 

帝都オーディンに帰還した俺は、軍務省への報告もそこそこに、アナの待つ部屋へとマッハで直行した。

 

本来なら、皇帝陛下への拝謁や、リヒテンラーデ公への戦勝(?)報告、部下たちの労いなど、やるべきことは山積みだ。だが、知ったことか。今の俺にとって、国家の公務よりも優先順位が高いのは、アナとのプライベートな「公約の履行」のみである。公私混同?違うな。俺自身が国家の重要資産なのだから、俺の精神衛生を保つことは国家的な急務なのだ。そうだ、そうに違いない。

 

元帥府のプライベートエリア。エレベーターの表示が最上階を示すまでの数秒が、永遠のように長く感じる。

チン、という到着音が鳴るや否や、俺は廊下をダッシュした。

元帥の威厳?通行人の目?そんなものはティアマトの星屑と一緒に捨ててきた。

 

目の前には、見慣れた重厚な扉。この向こうに、彼女がいる。俺の天使が。俺の悪魔が。俺の帰る場所が。

 

呼吸を整える暇もない。ドアノブに手をかけ、勢いよく押し開く。

 

バンッ!!

 

「アーナー!!帰ったぞおおおお!!」

 

絶叫と共に室内に飛び込む。広いリビングの真ん中。夕日を背に受けて、その人物は立っていた。アナ。いつもと変わらぬ、完璧に整えられたメイド服(に見えるが執務服だと言い張る)姿。流れるような黒髪。そして、氷のように冷たく、しかし奥底に熱を秘めた瞳。

 

彼女が振り返る。その動作の優雅さに、俺の視神経が焼き切れる。

 

「……お帰りなさいませ、アル様」

 

その声を聞いた瞬間、俺の脳内リミッターが完全に崩壊した。

 

ダダダダダダッ!!

 

残像が見えるほどの速度で彼女の元へ駆け寄る。オリンピック選手も裸足で逃げ出す加速力だ。だが、そのままタックルしては彼女を怪我させてしまう。俺の理性(残り0.1%)が、土壇場で急ブレーキを作動させる。

 

キキーッ!!

 

彼女の足元、50センチ手前。俺の両膝がフローリングの上を滑る。摩擦熱でズボンが焦げそうだ。だが、その痛みさえも愛おしい。

 

ズザーッ、ピタッ。

 

完璧な停止。そして、流れるような動作で正座……いや、これは「お座り」だ。両手を膝の上に置き、背筋をピンと伸ばし、上目遣いで彼女を見上げる。

 

「(キラキラした目で)ただいま!勝ったぞ!生きて帰ったぞ!五体満足だ!どこも欠けてないぞ!褒めて!さあ褒めて!」

 

言葉が溢れ出す。今の俺に、銀河帝国元帥の面影は微塵もない。あるのは、久しぶりに飼い主に会えた大型犬の姿だけだ。もし俺の背中に尻尾があったら、千切れんばかりに振られて、プロペラのように俺の体を宙に浮かせていただろう。ブンブンと空気を切る幻聴さえ聞こえてきそうだ。

 

アナは、そんな俺を見下ろしている。無表情だ。いや、よく見れば、その口元がわずかに、本当にわずかに緩んでいる。

 

「……騒々しいですね。廊下まで声が聞こえていましたよ」

 

冷たい言葉。だが、その手は優しく伸びて、俺の乱れた髪をそっと撫でた。

 

「よしよし」

 

「わん!」

 

思わず吠えそうになるのを堪える。いや、もう半分吠えていたかもしれない。

 

「ご無事で何よりです。……本当に、よく帰ってきてくださいました」

 

彼女の声が震える。その瞳に、安堵の涙が光るのを見た瞬間、俺の心臓は爆発四散した。

 

ああ。生きててよかった。戦争なんてクソ食らえだが、この瞬間のためなら、もう一度くらい行ってもいいかもしれない(嘘だけど)。

 

「アナ……。約束、覚えてるよな?」

 

すがりつくように聞く。一番大事なことだ。

 

「……約束?」

 

彼女が小首をかしげる。おい、忘れたとは言わせないぞ。

 

「ベ、ベッド・イン!たっぷりご奉仕!朝までコース!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

背後から、氷のように冷ややかな、それでいて呆れ果てた声が聞こえてくる。

 

「……見ろ、ミッターマイヤー」

 

ロイエンタールだ。あいつの左右色の違う瞳、金銀妖瞳(ヘテロクロミア)が、今は「蔑み」と「憐れみ」という二色で輝いているのが見なくても分かる。

 

「あれが、銀河帝国軍の最高司令官、我らが崇拝すべき不滅の伏龍、ファルケンハイン元帥閣下の実体だ」

 

言葉のナイフが鋭すぎる。「実体」って言うな。まるで普段が虚像みたいじゃないか。いや、虚像だけど。

 

「……(遠い目で)嘘だろう……」

 

隣のミッターマイヤーが、呻くように呟く。「疾風ウォルフ」と呼ばれる勇猛な彼が、まるで世界の終わりを見たような声を出している。

 

「ティアマトの戦場で見せた、あの鬼神のような指揮……。悪魔的なまでの洞察力と、狂気じみた執念で敵を追い詰めたあの姿と、この……『お手』をしている大型犬のような姿が、同一人物とは信じられん。俺の視覚中枢がバグったのか?」

 

「現実を見ろ、ミッターマイヤー。これが俺たちの仕える主君だ」

 

「……哀れな」

 

野太い声が混ざる。カール・グスタフ・ケンプ大将だ。彼は家族思いの常識人だが、それゆえにこの歪な主従関係が理解できないらしい。

 

「完全に手懐けられている。猛獣使いとはよく言ったものだが、まさか元帥閣下ご自身が、一番の『飼い犬』だったとは……」

 

おい、聞こえてるぞケンプ。誰が飼い犬だ。俺は誇り高き狼だ。ただ、ちょっと首輪がキツいだけだ。

 

「(小声で)で、でも、あれが閣下のエネルギー源ですから……」

 

必死にフォローしているのは、副官のミュラーだ。いい奴だ。泣けてくる。でもそのフォロー、「あいつはアレがないと動かないポンコツです」って言ってるのと同じだぞ。

 

背後で繰り広げられる、部下たちの容赦ない品評会。彼らの視線は、もはや上官を見る目ではない。珍獣を見る目か、あるいは道端で雨に濡れた段ボール箱の中の子犬を見る目だ。

 

だが、知ったことか。

 

「(振り返りもせず)うるさいぞお前ら!そこでヒソヒソ話すな!気と愛が散るだろうが!」

 

肩越しに怒鳴りつける。正座は崩さない。姿勢は完璧だ。

 

「何とでも言え!呆れるなら呆れろ!俺は今、宇宙一重要な審査を受けているんだ!予算委員会よりも、皇帝陛下への謁見よりも緊張する瞬間なんだぞ!雑音は消えろ!シッシッ!」

 

手で追い払う仕草をする。部下たちからは「うわぁ……」というため息が漏れるが、退室する気配はない。どうやらこの茶番劇(彼らにとっては悲劇)を最後まで見届けるつもりらしい。悪趣味な奴らめ。

 

視線を正面に戻す。そこにいるのは、俺の運命を握る絶対者。彼女は腕を組み、冷徹な美貌に、読めない微かな笑みを浮かべて、跪く俺を見下ろしている。その視線の高さが、今の俺たちのヒエラルキーを如実に表している。

 

数秒の沈黙。心臓がバクバクと音を立てる。合格か?不合格か?天国か?地獄か?

 

やがて、彼女の唇がゆっくりと開いた。

 

「……アル様」

 

鈴を転がすような、涼やかな声。

 

「勝利おめでとうございます。ご無事で何よりです」

 

キタ!労いの言葉!勝利の認定!

 

「(尻尾ブンブン)おう!ありがとう!アナのおかげだ!お前の愛のメッセージがあったから、俺は死の淵から蘇ったんだ!」

 

喜びが爆発する。膝が浮きそうだ。今すぐ立ち上がって抱きつきたい衝動に駆られるが、まだ「許可(よし)」が出ていないので我慢する。躾の行き届いた犬である。

 

だが。アナスタシアの瞳から、ふっと温度が消えた。

 

「……ですが」

 

接続詞。世界で一番聞きたくない接続詞が、俺の鼓膜を叩く。

 

「『勝利』と言えるのでしょうか?あれは」

 

「へ?」

 

尻尾の動きが止まる。

 

「データを確認しました。帝国軍の損害、約6500隻。同盟軍の損害、約6900隻。……ほぼ同数です。痛み分け、あるいは引き分けというのが、客観的な評価ではありませんか?」

 

彼女は淡々と事実を突きつけてくる。事務的だ。家宰モードだ。

 

「い、いや!でも敵は撤退したぞ!戦場から逃げ出したんだ!リングに残った方が勝者だろ!?」

 

必死に反論する。ボクシングだって、相手が試合放棄すれば勝ちだ。

 

「それは『同盟軍の撤退による判定勝ち』に過ぎません。完全勝利とは程遠い泥仕合です」

 

バッサリと斬られる。

 

「それも、アル様ご自身が艦橋で『死ぬ死ぬ』と喚き散らし、見苦しい悲鳴を上げ、私の脅迫メッセージを聞いてようやく本気を出した結果です。……部下の方々の手前、恥ずかしくはありませんか?」

 

グサッ。正論の矢が心臓に突き刺さる。後ろから「恥ずかしいです」という無言の圧力が飛んでくるのを感じる。

 

「(ビクッとして)うっ……!そ、それは……その通りだが……」

 

冷や汗が流れる。言い訳ができない。確かに、あの時の俺はカッコ悪かった。元帥としての威厳はゼロだった。マイナスだったかもしれない。

 

「疑問符がつくレベルの辛勝ですね。戦略目標であった『陛下の威光を知らしめる』という点でも、微妙な結果です。……本来なら、合格点は上げられませんが」

 

彼女が、ゆっくりと首を横に振る。その仕草が、死刑判決を下す裁判官のように見える。

 

「(絶望)な、なんと!」

 

目の前が真っ暗になる。嘘だろ。あんなに頑張ったのに。吐血(舌を噛んだだけだが)までしたのに。

 

「まさか、またお預けか!?『次は完全勝利で』とか言うつもりか!?そんな殺生な!俺のマグマのように煮えたぎったこの情熱を、どこへぶつければいいんだ!?」

 

床に手をついて項垂れる。お預け。その言葉の響きが、あまりにも重い。俺の春は、まだ遠いのか。

 

後ろでロイエンタールが「プッ」と吹き出す音がした。絶対に後で減給してやる。

 

アナは、絶望する俺を冷ややかに見つめたまま、しばらく沈黙した。焦らしプレイか。 それとも、本当にダメなのか。

 

永遠にも思える数秒の後。彼女は、ふぅ、と小さくため息をつき、その氷のような表情を、ふわりと春の日差しのように緩めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ですが」

 

彼女が口を開く。 その声は、さっきまでの判決を下す時の凜としたトーンではない。 少しだけ潤いを帯びた、湿度のある甘い響きだ。

 

「無事に、五体満足で帰ってきてくださいましたし……」

 

彼女が伏し目がちになる。長い睫毛が震えている。その頬が、白い陶磁器に薄紅色の絵の具を落としたように、ほんのりと朱に染まっていく。かわいい。ただひたすらにかわいい。宇宙艦隊数万隻を指揮するよりも、この表情一つを守ることの方が、遥かに価値があると思える。

 

「ア、アナ……?」

 

名前を呼ぶ声が震える。期待していいのか。今度こそ、本当のご褒美を期待していいのか。

 

彼女が顔を上げる。その瞳は、涙の膜で覆われ、照明の光を反射してキラキラと輝いている。吸い込まれそうだ。いや、もう魂ごと吸い込まれている。

 

「……正直に申しますと」

 

彼女が、意を決したように唇を開く。

 

「私も、アル様がいない間、とても寂しかったです」

 

時が止まる。思考回路がショートする。寂しかった?あのアナが?鉄の女、氷の才媛、リヒテンラーデさえも手玉に取る彼女が?俺がいなくて寂しかった?

 

「ベッドが広すぎて……寒くて……」

 

彼女が、恥ずかしそうに視線を逸らす。その一言が、理性の防波堤を粉々に吹き飛ばす。 核弾頭直撃級の破壊力だ。心拍数が急上昇し、測定器があれば間違いなくアラート音が鳴り響いている。広いベッド。一人の夜。寒さ。それらを想像するだけで、愛おしさが胸の中で爆発的に膨れ上がる。

 

「(心拍数急上昇)!!!」

 

言葉が出ない。ただ、パクパクと口を開閉させることしかできない。酸欠だ。愛の酸素不足だ。

 

彼女が、包み込んだ手に力を込める。その熱が、彼女の決意を伝えてくる。

 

「ですから……判定はどうあれ」

 

彼女が、潤んだ瞳でこちらを真っ直ぐに見つめる。ただ一人の女性としての、熱っぽい願望だけがある。

 

「今夜は、愛し合いたいです」

 

ズキューン!!胸を撃ち抜かれる音が聞こえる。幻聴ではない。魂の銃声だ。

 

「朝まで、離しません」

 

彼女が、艶めかしく宣言する。それは、どんな敵艦隊の包囲網よりも強力で、脱出不可能な拘束宣言だ。望むところだ。離さないでくれ。むしろ、細胞レベルで融合したいくらいだ。

 

視界が歪む。涙だ。感極まった涙が、止めどなく溢れてくる。

 

「(感涙)アナァァァァァ!!!!」

 

絶叫する。喜びの雄叫びだ。恥も外聞もない。後ろで部下たちが見ていることなど、今の意識の片隅にも残っていない。

 

勢いよく立ち上がることも忘れ、膝立ちのまま、目の前の愛しい存在へと飛びつく。力一杯、彼女を抱きしめる。折れそうなほど細い体。でも、確かにここに存在する温もり。 彼女の匂い。彼女の鼓動。すべてが現実だ。

 

「愛してる!愛してるぞ!世界で一番愛してる!」

 

耳元で叫ぶ。語彙力など必要ない。ただ、溢れ出る感情を言葉に乗せてぶつけるだけだ。

 

「俺も寂しかった!戦場で星を見るたびに、お前の顔を思い出してた!ミサイルが飛んでくるたびに、お前の怒った顔が浮かんでた!もう離さん!一生離さん!物理的にくっついて離れない!」

 

子供のように泣きじゃくりながら、彼女の肩に顔を埋める。元帥の軍服が涙と鼻水で汚れるが、そんなことはどうでもいい。彼女がいれば、俺は最強だ。彼女がいれば、俺は無敵だ。彼女がいれば、俺は生きていける。

 

アナの手が、背中に回される。優しく、力強く、抱きしめ返してくれる。その感触が、俺の存在を肯定してくれる。

 

「ふふ、はい」

 

彼女が、耳元でくすくすと笑う。その息遣いが、背筋をゾクゾクさせる。

 

「存分に、甘えてくださいませ。……私の可愛い駄犬さん」

 

駄犬上等。今日から俺は、世界一幸せな駄犬だ。彼女の胸の中で、俺は至福の海に溺れる。

 

 

 

 

 

その光景を、部屋の入り口付近で見ている男たちがいる。帝国軍の誇る提督たちだ。彼らは、目の前で繰り広げられる濃厚なラブロマンス(という名のバカップル劇場)を直視し、それぞれの反応を示している。

 

ロイエンタールは、呆れ果てた表情で、左右色の違う瞳を細める。彼自身、女性関係には奔放だが、ここまで直球で、かつ暑苦しい愛を見せつけられると、さすがに胸焼けがするらしい。

 

「……行くぞ」

 

彼が短く告げる。その声には、一刻も早くこの場を離れたいという切実な響きがある。

 

「これ以上は、目の毒だ。見ていられん。俺の網膜が砂糖で焼け焦げる」

 

彼は踵を返す。その背中は、「やってられるか」と語っている。

 

隣に立つミッターマイヤーも、深々と頷く。彼は愛妻家として知られているが、それでもこのレベルのイチャつきには耐性がない。

 

「そうだな。これ以上ここにいたら、我々まで砂糖漬けにされる。糖尿病になる前に退散しよう」

 

彼は、抱き合う二人(特に泣きじゃくる元帥)を一瞥し、苦笑いを浮かべる。戦場での鬼神のような姿はどこへ行ったのか。平和とは恐ろしいものだ、と彼は思う。

 

レンネンカンプは、生真面目な顔で頷く。彼は、この状況すらも軍事的な視点で解釈しようとする。

 

「(真面目に)閣下の性生活の充実は、精神衛生の安定に繋がり、ひいては帝国の安定に直結します」

 

彼は手帳を取り出し、何かをメモする。

 

「我々は全力で警備に当たりましょう。何人たりとも、この部屋には近づけさせません。覗き見防止のジャミングも必要ですね。憲兵隊を配置しますか?」

 

「……やれやれ」

 

ケスラーが、こめかみを押さえてため息をつく。憲兵隊の無駄遣いだ。だが、元帥がご機嫌なら、それに越したことはない。不機嫌な元帥が八つ当たりで無理難題を押し付けてくるよりは、この部屋で愛に溺れていてくれた方が、帝国の平和のためだ。

 

「さあ、皆行こう。邪魔者は消えるに限る」

 

ケスラーが促す。提督たちは、静かに、音を立てないように後ずさりする。彼らは訓練された軍人だ。撤退行動も迅速かつ隠密に行われる。ドアノブを回し、隙間から漏れる甘い空気を遮断するように、そっと扉を閉める。

 

カチャリ。

 

扉が閉まる。廊下に静寂が戻る……はずだった。だが、分厚い防音扉の向こうから、歓喜に満ちた絶叫が突き抜けてくる。

 

「世界よ!これが俺の勝利だああああ!!」

 

元帥の声だ。戦場で勝利宣言をした時よりも、数倍大きく、力強い。その声は、廊下を震わせ、元帥府の建物全体に響き渡る勢いだ。

 

ロイエンタールが、眉間を揉む。

 

「……聞こえなかったことにしよう」

 

ミッターマイヤーが、空を見上げる。

 

「ああ。平和だな」

 

彼らは足早にその場を立ち去る。背後から聞こえる幸せな悲鳴(?)から逃げるように。

 

こうして、銀河帝国軍最高司令官アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン元帥の、長く苦しい戦いは終わった。同盟軍との引き分け?予算不足?そんな些細なことは、今夜の彼には関係ない。彼は今、宇宙で一番価値のある戦利品を手に入れ、その喜びに打ち震えているのだから。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

もし読んでくださった皆さまの中で、
「ここが面白かった」「この台詞が好きだった」
「もっとこういう二人も見たい」
など、ほんの一言でも感想をいただければ励みになります。

物語はまだ続きます。
アルがどこまで昇り、どこまで転がり落ちるのか──
その旅路を、どうかこれからも見届けていただければ嬉しいです。

そろそろ長期連載になってきたので章ごとに簡単なあらすじ(ネタばれあり)をつけるべき?

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