銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

103 / 220
ティアマト星域会戦が終わり、物語は一転して帝都オーディンの日常へと戻ります。
本章では、ファルケンハイン元帥とアナスタシアのご褒美の夜の余韻から、ラインハルト乱入による政治・人事・恋愛(?)問題まで、戦場とはまた違った火種が次々と吹き出します。

激戦の後に訪れる静けさは、時に戦場以上に騒がしいものです。
アル自身の幸福と、帝国軍という巨大組織の中で進む若き才能の変化――
この落差と温度差を楽しんでいただければ幸いです。

それでは、本編へどうぞ。


情事の翌朝に政治が始まる──そしてラインハルトは恋を学ばない

あの後、アナは俺と一緒にシャワーを浴びて、そのまま裸でベッドに飛び込み、獣のようにまぐわった。

 

いつものような小道具や、奇抜なコスプレはなかった。「教育的指導」という名のお仕置きもなかった。ただ、互いの体温を求め合い、空白の数ヶ月を埋めるように、何度も何度も重なり合った。アナは、今日は変なことはしなかった。

 

ただ、俺が彼女の奥深くに注ぎ込むのを、本当に幸せそうに受け入れていた。その表情を見るたびに、俺の中の何かが弾け、また求めてしまう。

 

結局、空が白むまで、俺たちはベッドという戦場で愛のスパーリングを続けていたことになる。戦場での疲れ?そんなもの、彼女の肌に触れた瞬間に消し飛んでいた。愛と性欲は、最強の回復魔法であり、ドーピングだと思い知った夜だった。

 

……そして、翌朝。

 

重いまぶたを押し上げる。視界に入ってくるのは、見慣れた、しかしこれ以上なく幸福な天井だ。カーテンの隙間から、朝の光が細い筋となって差し込んでいる。埃がキラキラと舞っているのが見える。平和だ。

 

隣を見る。そこには、天使がいた。いや、女神か。ベッドのシーツに包まり、安らかな寝息を立てているアナ。朝日で透き通るような白磁の肌が、神々しいまでに輝いている。 昨夜の情事の痕跡――首筋に残る赤い印や、乱れた髪――が、背徳的で、かつ芸術的な色気を醸し出している。

 

……美しい。世界で一番、いや全宇宙で一番いい女だ。銀河帝国の広しといえど、これほど完璧な造形と、苛烈な性格と、深い愛を併せ持った女性はいないだろう。これが俺の自慢の女、アナスタシアだ。俺の婚約者だ。生きて帰ってきてよかった。心底そう思う。 もしティアマトで死んでいたら、この寝顔を二度と拝むことはできなかった。そう考えると、背筋が凍る思いだ。

 

そっと、彼女の頬にかかった髪を指で払う。その感触だけで、指先が痺れるような幸福感がある。

 

「ん……」

 

彼女の睫毛が震える。ゆっくりと、その瞳が開かれる。宝石のような瞳が、寝ぼけ眼でこちらを捉え、焦点を合わせる。そして。

 

「(蕩けるような笑顔で)……おはようございます、アル様」

 

破壊力抜群の笑顔。昨夜の余韻をたっぷりと含んだ、甘く、気怠げな声。朝一番で聞くには、刺激が強すぎる。

 

「昨夜は……激しすぎましたわ」

 

彼女がシーツを引き上げ、口元を隠す。その瞳が、悪戯っぽく、そして艶っぽく笑っている。

 

「アル様ったら、まるで飢えた狼のようでしたもの。……腰が、抜けそうです」

 

「(照れ隠しに)う、うるさい!お前が誘うからだ!」

 

カッと顔が熱くなる。確かに、昨夜の俺は理性のタガが外れていた。元帥としての威厳も、紳士としての振る舞いもかなぐり捨てて、本能の赴くままに彼女を求めた。思い出したら、また少し元気になってきそうだ。いかん、朝から二回戦など始めたら、本当に身体が持たん。

 

「……さあ、仕事だ!元帥が遅刻したら示しがつかん!起きるぞ!」

 

誤魔化すように、布団を跳ね除けて立ち上がる。

 

「ふふ。……はい、旦那様」

 

アナスタシアも起き上がる。シーツが滑り落ち、その肢体が露わになる。目の毒だ。朝から理性を試されている。

 

「……早く着替えないと、また襲うぞ」

 

「あら。望むところですけれど?」

 

「遅刻するっつってんだろ!」

 

慌ててバスルームへ逃げ込む。背後から、彼女のコロコロとした笑い声が聞こえてくる。 平和だ。本当に、平和だ。この幸せを守るためなら、俺は何度でも悪魔に魂を売れるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

元帥府 執務室

 

 

 

最高級の革張りの椅子に深々と腰掛け、書類にサインをしている。正直、内容は頭に入っていない。脳内では、昨夜のアナのハイライトシーンがエンドレス再生されているからだ。ニヤニヤが止まらない。部下が見たら「閣下が壊れた」と救急車を呼ぶレベルの緩んだ顔をしている自覚がある。

 

「ふふふ……あのアナの声……可愛かったな……」

 

ペンを走らせながら、独り言を漏らす。平和ボケ?上等だ。激戦を生き抜いた英雄には、これくらいの休息と妄想の時間は許されるべきだ。

 

バンッ!!

 

その幸せな空間は、暴力的なドアの開閉音によって粉砕された。ノックもなし。挨拶もなし。こんな無礼ができる人間は、この広い宇宙に二人しかいない。一人は俺の婚約者(アナ)そしてもう一人は、金髪の生意気な小僧だ。

 

「ファルケンハイン!!話がある!」

 

ラインハルト・フォン・ミューゼル。帝国の若き英雄。彼は、まるで親の仇でも見つけたかのような形相で、執務室に入ってきた。美しい顔が、怒りで歪んでいる。キルヒアイスが、後ろで申し訳なさそうに頭を下げているのが見える。

 

「(ペンを置き)なんだラインハルト?朝から騒々しい」

 

ため息をつく。せっかくの余韻が台無しだ。

 

「ドアは静かに開けろと教えなかったか?それとも、壊して修理代を請求されるのが趣味なのか?」

 

「そんなことはどうでもいい!」

 

ラインハルトがデスクに詰め寄る。青い瞳が燃えている。ただならぬ気配だ。これは、軍事的なトラブルか?それとも、姉上(アンネローゼ様)関連か?

 

「……なんだその顔は。誰かに一目惚れでもしたか?街で見かけた美少女に声をかけられなくて悩んでいるとか?」

 

からかってみる。

 

「それとも、とうとうキルヒアイスを襲おうとして、愛想をつかされたか?『ラインハルト様、私はお友達でいたいです』とでも言われたか?」

 

「(顔を真っ赤にして)違うッ!貴様は俺を何だと思っているのだ!俺はそんな不埒な……いや、キルヒアイスとはそんな関係ではない!」

 

ラインハルトが狼狽する。面白い。この反応を見るだけで、ご飯三杯はいける。 後ろのキルヒアイスが、苦笑しながらも否定しないのがまた面白い。

 

「違うのか?じゃあなんだ?朝っぱらから元帥の部屋に怒鳴り込んでくるほどの重大事件とは」

 

椅子に座り直し、足を組む。

 

ラインハルトは、呼吸を整え、懐から一枚の辞令を叩きつけた。また辞令か。

 

「上級大将に昇進になった!なぜだ!?」

 

ラインハルトが叫ぶ。上級大将。大将の一つ上。元帥の一つ下。帝国軍におけるナンバー2クラスの階級だ。20歳にもならない若造がなる階級ではない。

 

「……(冷静に)なるほど」

 

辞令を一瞥する。日付は今日。発令者は皇帝陛下(実質は国務尚書リヒテンラーデ侯)

 

「おめでとう、でいいのか?それとも、ご愁傷様と言うべきか?」

 

「ふざけるな!決定打を与えられなかった!敵を取り逃がしたのだぞ!?」

 

ラインハルトは自分に厳しい。完璧主義者ゆえに、あの「痛み分け」が許せないのだ。

 

「なのに、なぜ昇進なんだ!これではまるで、俺が貴様の腰巾着として、おこぼれで出世したようではないか!」

 

プライドが高い。エベレストより高い。実力で掴み取った勝利以外は認めない、という潔癖さ。眩しいねえ。俺なんて「おこぼれでも何でもいいから楽したい」派なのに。

 

「前回の大将昇進に引き続き、リヒテンラーデ侯の差し金だな」

 

「不愉快だ!」

 

ラインハルトが吐き捨てる。彼は、他人に利用されるのが一番嫌いなタイプだ。

 

「俺は貴様の元帥府の所属ではないのか!?貴様の部下だろう!」

 

「この間自分で転属願を出したのを忘れたのかよ・・・」

 

肩をすくめる。

 

「だが、人事権は軍務省と統帥本部にある。俺の一存では決められん。それに、俺が『あいつを昇進させるな』とグレイマン閣下に頼むことはできるが……」

 

ニヤリと笑う。

 

「そんなことをすれば、『有能な若手の芽を摘む老害』と非難されるだろう? 『ファルケンハイン元帥は、金髪の若獅子に嫉妬して出世を妨害した』なんて噂を流されたら、俺の名誉に関わる。俺にデメリットしかない」

 

「くっ……!」

 

ラインハルトが言葉に詰まる。正論だ。俺が昇進を止める義理はない。

 

「それに、悪いことばかりじゃないぞ」

 

辞令の続きを指差す。

 

「それに伴って、イゼルローン駐留艦隊からも外れ、独立した艦隊を率いてオーディンに常駐することになったんだろう?」

 

上級大将になれば、一個艦隊ではなく、方面軍規模の指揮権を持つことになる。そして、前線の要塞勤務から、首都防衛や機動部隊としての役割にシフトする。

 

「喜べ、弟よ。アンネローゼ様に毎日会えるぞ」

 

その言葉を聞いた瞬間。ラインハルトの怒りの表情が、ピタリと止まった。

 

「……あ」

 

彼の瞳の中で、何かが揺らぐ。「政治的な不愉快さ」と「姉上への愛」が、激しく衝突している。姉上。毎日会える。オーディン勤務。夕食を一緒に食べられるかもしれない。

 

「(ぐぬぬ、となりつつ)……あ、姉上に会えるのは……嬉しいが……」

 

顔が緩みそうになるのを、必死で引き締めている。可愛い奴め。 シスコンの鑑だ。

 

「し、しかし!このような政治的な意図が見え透いた人事は不愉快だ!俺の実力ではない!貴族どもの思惑で動かされる人形のようで、虫唾が走る!」

 

彼は再び机を叩く。

 

「ファルケンハイン!俺を助けろ!何とかしろ!貴様なら裏から手を回せるだろう!」

 

「はぁ?」

 

呆れてペンを回す。

 

「だから、昇進から『助ける』ってどうすればいいんだよ。お前、言ってること矛盾してるぞ」

 

「うるさい!俺は納得がいかんのだ!」

 

「じゃあ、降格させてやろうか?二等兵からやり直すか?『ラインハルト二等兵、本日より便所掃除を命ず』これなら実力で這い上がる楽しみがあるぞ?」

 

「極端なことを言うな!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、ラインハルトが抜けるとなると、イゼルローン回廊の守りが手薄になるな。要塞には現在、駐留艦隊司令官としてゼークト大将がいる。

 

あの男、典型的な「猪突猛進」タイプだ。「逃げる奴は卑怯者」「引くのは敗北」という、根性論を銀河規模でこじらせたような古狸だ。

 

これまではラインハルトという「劇薬」が横にいたから、対抗心でバランスが取れていた(というか、ラインハルトが無視して勝手に動いていた)が、あいつ一人に任せたら暴走しかねない。誰か、あいつの首に鈴をつけられる奴はいないか。ゼークトの癇癪に気圧されず、適当にあしらいつつ、いざという時には「うるさい黙れ」と言える威勢のいい奴……。貴族直轄軍に誰かいたかな……。ミッターマイヤーやロイエンタールはまだ手元に置いておきたいし……。

 

ブツブツと呟きながら、脳内の人材名簿を検索する。人材不足だ。帝国軍は巨大だが、「まともな指揮官」の含有率が低すぎる。無能か、変人か、貴族のコネ採用ばかりだ。 頭が痛い。

 

「ファルケンハイン!余計なことを気にしていないで、俺の話を聞け!」

 

思考の海に沈んでいた意識が、金切り声によって強制浮上させられる。目の前で、ラインハルトがバンバンと机を叩いている。うるさい。本当にうるさい。さっきから慰めてやっているのに、まだ足りないのか。

 

「聞いてるよ。鼓膜が破れるほどにな」

 

耳をほじりながら答える。ラインハルトの怒りは、昇進そのものよりも「姉上に会える喜び」と「政治的な不愉快さ」の板挟みによるストレスだろう。要するに、情緒不安定だ。 思春期か。

 

「だから、ストレスが溜まってるなら、発散しろと言ってるんだ。サンドバッグを殴るなり、カラオケで絶叫するなり、キルヒアイスとやりたいなら同意を取ってからベッドへ行くなり……」

 

「俺にそんな趣味はない!!」

 

ラインハルトが顔を真っ赤にして絶叫する。後ろのキルヒアイスも、「閣下、その冗談はラインハルト様には通じません」という顔で首を横に振っている。真面目すぎる。 この主従、冗談の通じる回路が焼き切れているんじゃないか。

 

「なら、とっとと恋人の一人でも作れ」

 

ため息交じりに提案する。

 

これだ。男のストレス解消には、これが一番だ。昨夜の自分を振り返っても、やはり愛の力は偉大だ。アナスタシアとイチャイチャしただけで、ティアマトの激戦の疲れが嘘のように消えた。今の俺は、肌ツヤも良く、精神的にも余裕がある。それに比べて、この金髪の小僧はどうだ。眉間に皺を寄せ、常に何かにイラつき、余裕がない。これは間違いなく「潤い」不足だ。

 

「19歳で童貞なんて、貴族社会では恥でしかないぞ。周りを見てみろ。ロイエンタールなんて歩く生殖器みたいなもんだし、ミッターマイヤーだって愛妻家だ」

 

わざと煽る。ラインハルトのような完璧主義者は、「欠けている」ことを指摘されるとムキになる。

 

「童貞臭くて出世に響くぞ。リヒテンラーデ侯あたりに『ミューゼル上級大将は、夜の戦いを知らんお子ちゃまだからな』なんて陰口を叩かれたらどうする?悔しくないのか?」

 

「……っ!」

 

図星……ではないだろうが、プライドを刺激されたようだ。ラインハルトが、ショックを受けた顔で後ずさる。その美しい顔に、「不覚」という文字が浮かんでいる。まさか、軍事的な才能以外の部分でマウントを取られるとは思っていなかったらしい。

 

「……ど、童貞が悪いことなのか?俺は、軍務に邁進していただけで……」

 

「悪くはないが、良くもない。戦略家としては視野が狭くなるな」

 

適当な理屈をこねる。

 

「人の心の機微、愛ゆえの狂気、守るべき者の温もり。そういった『感情の兵站』を知らずして、真の覇者にはなれんぞ」

 

「感情の……兵站……」

 

ラインハルトがゴクリと唾を飲む。単純だ。軍事用語に変換してやると、すぐに食いつく。

 

「……なら、どうやって相手を見つけるのだ」

 

真剣な眼差しで問うてくる。まるで、「敵艦隊の弱点はどこだ」と聞く時と同じテンションだ。

 

「は?普通に探せよ。舞踏会に行くとか、紹介してもらうとか」

 

「舞踏会など、着飾った豚の品評会ではないか。あんな場所で、生涯の伴侶が見つかるとは思えん」

 

毒舌全開だ。まあ、否定はしないが。

 

「紹介も嫌だ。貴族の娘など、家柄と宝石の話しかしない。退屈で死んでしまう」

 

「注文が多いな……。じゃあ、道端でパンを咥えて走ってる美少女とぶつかるとか、そういう運命的な出会いを待つしかないな」

 

「非効率的だ。確率論として、そのような事象が発生する可能性は極めて低い」

 

可愛くない。こいつ、本当に恋愛に向いてない。

 

 

 

 

 

 

その時。 絶妙なタイミングで、執務室のドアが静かに開く。 ワゴンを押して入ってきたのは、我が愛しの婚約者、アナだ。完璧なタイミングだ。盗み聞きしていたんじゃないかと疑うレベルだが、彼女なら壁の向こうの会話くらい波動で感知できるかもしれない。

 

「……ラインハルト様」

 

彼女は、湯気の立つティーカップをラインハルトの前に置く。芳醇な香りが漂う。ラインハルトのイライラが、少しだけ中和される。

 

「まず『恋をすることを決めてから相手を探す』のでは、順序が逆でしょう。恋とは落ちるものです。雷に打たれるように、あるいは落とし穴にハマるように」

 

諭すように言う。その言葉には実感がこもっている。俺という「変な男(落とし穴)」にハマってしまった彼女だからこその説得力だ。

 

「それは人それぞれでしょう、ホーテン嬢」

 

ラインハルトが反論する。彼は、アナに対しては一定の敬意を払っている。以前は「副官風情」と思っていたようだが、俺をコントロールできる唯一の人物として、その能力(猛獣使いとしての腕)を認めたらしい。呼び方も、同格の上級大将になったことで、少し改まっている。

 

「恋においても、事前の準備をしておけば、相手が現れた時に陣形を整えて即応できるはずだ。偵察、分析、そして迅速な展開。これこそが勝利への方程式だ」

 

ラインハルトが熱弁する。また始まった。何でも戦争に例える悪癖だ。

 

「即応って……。相手がいるんだから、いきなり即応態勢で迫ったら、相手が引くだろう……」

 

呆れてツッコミを入れる。想像してみろ。初対面の女性に対して、完全武装で「貴様を愛している!我が軍門に下れ!」と迫るラインハルトを。通報案件だ。接近禁止命令が出る。

 

「引けば好機だ!」

 

ラインハルトが目を輝かせる。人の話を聞いていない。

 

「敵(相手)が後退すれば、陣形が伸びる!側面が空く!そこへ別動隊(プレゼントや甘い言葉)を送り込み、退路を断つ!一気に畳み掛けて、包囲殲滅(全滅)させる!」

 

拳を握りしめる。力強い。あまりにも力強い「恋愛プラン」だ。

 

「恋で何を全滅させるんだよ!相手の心を焦土にする気か!『私と付き合わないなら宇宙の塵になれ』ってか?それはプロポーズじゃなくて脅迫だ!」

 

「(真剣に)いかんのか?圧倒的な兵力(情熱)で押し切るのは、戦術の基本だろう。ランチェスターの法則だ」

 

ラインハルトが不思議そうに首をかしげる。ダメだこいつ。天才すぎて、常人のコミュニケーションプロトコルが実装されていない。

 

キルヒアイス、お前いつもこんなのと付き合ってるのか。苦労するな。赤毛の副官と目が合う。彼が深く、深く頷いた気がした。

 

「(頭を抱え)……まあ、お前の顔と地位なら、大抵の女は即落ちしそうだが……。お前の中身がな……」

 

顔はいい。銀河一の美貌だ。黙っていれば絵画だ。だが、口を開けば「撃て」「殺せ」「卑怯者め」だ。これでは、まともな神経の女性は逃げ出す。残るのは、権力目当ての貴族か、M属性の特殊な趣味の持ち主だけだ。

 

「そうですね。ラインハルト様のお眼鏡にかなうほどの、知性と気品を兼ね備えた女性など、なかなかいないと思いますが」

 

アナが、紅茶を注ぎながら冷静に分析する。彼女の目は厳しい。ラインハルトのパートナーとなれば、ただのお飾りでは務まらない。彼の覇道を支え、理解し、時には諌めることのできる器量が必要だ。姉上のアンネローゼ様のような、慈愛と強さを持った女性……。あるいは、アナのような、事務能力と統率力を持った女性……。

 

……ん?待てよ。知性?気品?今、この部屋に一人、条件に合致する女性がいるんじゃないか?

 

俺の視線が、アナに向く。ラインハルトの視線も、アナに向く。

 

「……」

 

ラインハルトが、じっとアナスタシアを見ている。値踏みするような目だ。彼女の有能さは証明済みだ。俺を脅迫して動かし、補給を管理し、戦後の事後処理まで完璧。まさに「軍事的天才のパートナー」として不足はない。しかも美人だ。

 

危機感。猛烈な危機感が、俺の背筋を駆け上がる。

 

「(すかさず)アナはダメだからなー!俺のだ!絶対に渡さんぞ!」

 

身を乗り出し、アナスタシアの腰を抱き寄せる。所有権の主張だ。マーキングだ。相手が誰であろうと、この女だけは譲れない。

 

「何を見ている!その目はなんだ!『こいつなら使える』とか計算しただろ!アナは俺の参謀であり、恋人であり、俺の全財産なんだ!お前にはやらん!」

 

子供のように喚く。元帥の威厳?知るか。

 

すると、ラインハルトは呆れたように肩をすくめた。

 

「(フンと鼻を鳴らし)安心しろ。ホーテン嬢は魅力的で有能な女性だが、貴様の婚約者だ。そのようなことはありえん!」

 

彼は断言する。その言葉に、嘘や駆け引きの色はない。

 

「俺は、人のものを奪う趣味はない。特に、部下の女に手を出すなど、指揮官として最低の行為だ」

 

彼は潔癖だ。NTR(寝取られ)属性はないらしい。よかった。本当に良かった。

 

「それに……」

 

ラインハルトは、チラリと俺を見る。その目に、あからさまな侮蔑の色が混じる。

 

「貴様のような『手のかかる男(大型犬)』を飼い慣らせる女性など、俺には恐ろしくて扱えん。……ホーテン嬢の強靭な精神力には敬意を表するが、俺の好みではない」

 

「おい、どういう意味だ」

 

「言葉通りの意味だ。……さて、長居したな。行くぞキルヒアイス」

 

ラインハルトはマントを翻す。

 

「上級大将の仕事がある。新しい艦隊の編成もしなければならん。……ファルケンハイン、貴様も色ボケていないで、少しは働け」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……待て、ラインハルト。一つ、いい物件……じゃなくて、いい話がある」

 

呼び止める。ドアノブに手をかけていたラインハルトが、不機嫌そうに振り返る。

 

「なんだ。まだ説教か?降格の話なら聞かんぞ」

 

「違う。お前の悩みを一挙に解決する、特効薬のような人材の話だ」

 

手招きをして、再びデスクの前まで呼び戻す。怪訝な顔で戻ってきたラインハルトと、その背後のキルヒアイスに、とっておきのカードを切る。

 

「この前に話題に出たがな。マリーンドルフ伯爵のところの、ヒルデガルド嬢(ヒルダ)はどうだ?お似合いじゃないか?」

 

「マリーンドルフ?」

 

ラインハルトが眉をひそめる。記憶の引き出しを探っている顔だ。

 

「フランツ・フォン・マリーンドルフ伯爵か?確か、温厚で学者肌の、争いを好まない人物だったと記憶しているが……。あそこは政治的な野心とは無縁の家柄ではないか?」

 

「親父さんはな。だが、その娘は違うぞ」

 

ここで、最強の助っ人にパスを出す。横に控えているアナが、心得たとばかりに口を開く。

 

「ええ。ヒルダちゃん……ヒルデガルド嬢なら、私もよく存じ上げておりますわ。ラインハルト様の一つ年下ですし、年齢的にも釣り合います」

 

アナが、ティーカップを片付けながら、さらりと評価を付け加える。

 

「特筆すべきは、その知性です。政治的な識見やセンス、大局を見る目に関しては抜群です。ともすれば、その分野は私よりも上かもしれません」

 

「……ほう?」

 

ラインハルトの目がピクリと動く。あのアナが、「自分より上かもしれない」と認めた。 その事実が、金髪の若者の琴線に触れたようだ。

 

「貴女がそこまで言うとは。……ただの深窓の令嬢ではないということか?」

 

「ええ。ただの令嬢なら、アル様も私も推薦いたしません」

 

「ラインハルト様の艦隊運営や、今お悩みのリヒテンラーデ侯との政治的な対応などは、彼女に相談できるかと存じます。彼女は、帝国の現状を憂い、新しい時代を予見している数少ない知性派ですから」

 

「……!」

 

ラインハルトの瞳孔が開く。獲物を見つけた猛獣の目だ。

 

「そして、もちろん美人ですよ。ショートカットの似合う、ボーイッシュな感じで、とても活発な魅力的な方です」

 

アナが付け加えた「女性としての魅力」についての情報。通常、19歳の男子に異性を紹介する場合、ここが一番の食いつきポイントになるはずだ。「可愛い」「美人」「スタイルがいい」これらの単語を聞けば、普通の男なら「マジで?写真ある?」となる。

 

だが。目の前の軍事オタクは違った。

 

「(目を輝かせ)そんな有能な人物がいるのか!?」

 

食いつくポイントが違う。そこじゃない。

 

「政治的識見に優れ、艦隊運営の補佐もできるとは……!まさに今、俺が求めている『戦略的パートナー』ではないか!リヒテンラーデ侯の老獪な政治工作に対抗するための知恵袋が欲しかったのだ!」

 

ラインハルトが身を乗り出す。顔が近い。熱い。

 

「ぜひお会いして、我が幕僚に迎えたい!その才能、埋もれさせておくには惜しい!キルヒアイス、スケジュールを確認しろ!最優先で面会の時間を設けるぞ!」

 

「は、はい、ラインハルト様」

 

キルヒアイスも苦笑いしつつ、手帳を開く。

 

「(ジト目で)………………」

 

半眼になる。こいつ、完全に勘違いしている。「お似合い」と言ったのは「カップルとして」という意味なのに、こいつの脳内変換機能はどうなっているんだ。

 

「お似合い」→「優秀な部下」→「採用したい」

 

思考回路が完全にブラック企業の経営者だ。

 

「(苦笑)」

 

アナも、やれやれといった風情で肩をすくめている。彼女の「美人ですよ」というキラーパスも、完全にスルーされた。「ボーイッシュ」という単語すら、「戦場で動きやすそうでいいな」くらいにしか思っていないに違いない。

 

……こいつ、『恋人』じゃなくて『参謀』を探す目をしてやがる

 

机に肘をつき、頭を抱えたくなるのを堪える。目の前で「どんな逸材なのだ?」「軍略にも通じているのか?」とワクワクしているラインハルトを見るにつけ、同情を禁じ得ない。

 

誰にって?もちろん、これから紹介されるヒルダ嬢にだ。せっかくの出会いが、愛の告白ではなく、圧迫面接から始まることが確定したのだから。

 

「……恋人なんてできるかな?こいつ。一生キルヒアイスとイチャイチャして終わるんじゃないか?」

 

不吉な未来予想図が脳裏をよぎる。

 

「まあいい。……とりあえず、マリーンドルフ伯に紹介状を書いてやる」

 

引き出しから便箋を取り出し、サラサラとペンを走らせる。

 

『拝啓、マリーンドルフ伯爵。うちの弟分が、お宅のお嬢さんに興味を持った(軍事的な意味で)ようなので、一度会わせてやってほしい。噛み付かないようには躾けてあるが、餌(有能さ)を与えると興奮するので注意されたし』 ……と書くわけにはいかないので、当たり障りのない文面にする。

 

「ほらよ。これを伯爵に渡せ。あとは自分でなんとかしろ、戦術家殿」

 

封筒を投げてやる。ラインハルトはそれを空中でキャッチし、大事そうに懐へしまった。 まるで機密文書を手に入れたかのような慎重さだ。

 

「感謝する、ファルケンハイン!この借りは、いずれ戦場で返す!」

 

「戦場で返さなくていいから、早く春を見つけろよ」

 

「フン、余計なお世話だ!」

 

ラインハルトはマントを翻し、今度こそ意気揚々と部屋を出て行った。その足取りは軽い。新しいオモチャ……じゃなくて、新しい参謀候補を見つけた子供のように。

 

バタン、と扉が閉まる。

 

「……はあ」

 

深く息を吐く。どっと疲れた。

 

「アナ、俺たちも結婚式の準備、進めないとな」

 

「ええ。……ですがその前に、溜まっている決裁書類を片付けてくださいませ?アル様」

 

「……はい」




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

本章は、アルとアナの濃密な関係性と、ラインハルトの迷走する恋愛力の低さを対照的に描いた回となりました。
普段は戦場でしか衝突しない彼らですが、こうした日常のやり取りこそ、それぞれの人物像が最も鮮やかに立ち上がる瞬間だと思っています。

読者の皆さまの感想が、今後の展開を形づくる大きなヒントになります。
・今回のアルとアナはどう映ったか
・ラインハルトの「恋愛=戦争理論」はアリか
・ヒルダ登場への期待
など、どんな些細な一言でも励みになります。

どうぞお気軽に感想を書いていただければ嬉しいです。

そろそろ長期連載になってきたので章ごとに簡単なあらすじ(ネタばれあり)をつけるべき?

  • つけるべき
  • いらない
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。