銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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今回は、帝都最大規模の求婚事件が発生します。
本人たちは大真面目ですが、周囲はほぼ巻き込まれ事故です。
ファルケンハイン家の全火力を投入したプロポーズ劇、
どうぞ肩の力を抜いてお楽しみください。


責任取るって言っただろう!?-ファルケンハイン家救助録-

あれから1週間が経つ。

 

世界は今日も平和だ……と言いたいところだが、水面下では色々と動いている。

 

まず、俺が画策した「メックリンガー引き抜き計画」だが、これは未遂に終わった。

 

あの後、事態を知ったキルヒアイスが、鬼の形相(といっても眉を少し下げた程度だが)でラインハルトを説得したらしい。『ラインハルト様。芸術家提督の誇りを守らねばなりません。彼を無下に扱っては、他の幕僚たちの信望も失います』そう諭されたラインハルトは、渋々ながらメックリンガーを留任させた。

 

その代わり、ヒルデガルド嬢……ヒルダを、特例として「首席副参謀長」という、なんだかよく分からないが偉そうなポストに据えることで落ち着いたそうだ。

 

実質的な指揮権と政治顧問としての役割を彼女に与え、メックリンガーには従来通りの運用と「ピアノを弾く時間」を保証する。

 

……あの赤毛、苦労が絶えないな。19歳にしてあの中間管理職スキル。胃薬をプレゼントしたい。本当にいつかハゲるのではないかと、他人事ながら心配になる。

 

 

 

 

 

帝都オーディン ファルケンハイン侯爵邸

 

 

朝日が差し込むダイニングルームは、至福の空間だ。白いテーブルクロス、銀の食器、そして焼きたてのパンの香り。俺とアナスタシアは、向かい合って優雅に朝食を摂っている。

 

「たまには早起きして、ゆっくり朝食というのも悪くないな。出征中は流動食か固形栄養食ばかりだったから、生き返る気分だ」

 

フォークでオムレツを切り分ける。中は半熟、外はふわふわ。完璧な火加減だ。口に運ぶと、バターの香りと卵の甘みが広がる。

 

「アナ、今日のオムレツは絶品だ。専門店のシェフをクビにして、お前を雇いたいくらいだ」

 

「ふふ、ありがとうございます。アル様」

 

アナが、ティーカップを片手に微笑む。朝日を浴びた彼女は、今日も輝いている。平和だ。このまま食後のコーヒーを飲んで、二度寝をしたい。そんな怠惰な願望が頭をもたげた、その瞬間だった。

 

バンッ!!

 

屋敷の正門……いや、玄関の扉が、攻城槌で打ち破られたかのような爆音が響く。続いて、ドタドタドタッという、躾のなっていない軍馬のような足音が廊下を駆け抜けてくる。

 

「ファルケンハイン!!いるか!!起きているか!!」

 

聞き覚えがありすぎる、そして聞きたくない声。

 

「(ナイフを落としそうになり)……また来た」

 

ため息が出る。最近、俺の屋敷はあいつの託児所か何かになっているんじゃないか?

 

「何だよ、朝っぱらから。新聞配達より早いぞ」

 

ダイニングのドアが、乱暴に開かれる。現れたのは、案の定ラインハルト。

 

だが、今日の彼はいつもと様子が違う。いつもの「不機嫌」や「怒り」ではない。顔色が青いのか赤いのか分からず、肩で息をして、目つきが泳いでいる。

 

まるで、初めてのお使いで迷子になった子供のような、あるいは世界を滅ぼすボタンをうっかり押しちゃった科学者のような顔だ。

 

「……ッ!ここにいたか!」

 

「どうした、色気のない弟よ。そんなに慌てて」

 

ナプキンで口を拭いながら、努めて冷静に尋ねる。

 

「今度は何だ?何もしていないのに元帥になったか?それとも、リヒテンラーデが死んで、お前が皇帝に指名されたか?」

 

「違う!!俺を何だと思っている!!」

 

ラインハルトが叫ぶ。声が裏返っている。

 

「(内心)この話の流れ、前にもあったな……。デジャヴだ」

 

パンにバターを塗りながら考える。軍事的なトラブルなら、もっと殺気立っているはずだ。

政治的なトラブルなら、もっと不機嫌なはずだ。今のこいつは、純粋に「テンパって」いる。

 

「じゃあなんだ……?まさか、姉上のケーキを盗み食いしてバレたとかか?」

 

「(意を決して)……結婚する!!!」

 

「…………………なに?」

 

俺の手が止まる。バターナイフが、パンの上で滑ってテーブルクロスに落ちる。

 

アナも、ティーカップを口に運ぶ手前で凍りついた。

 

「…………………なんですと?」

 

室内を、完全な静寂が支配する。鳥のさえずりだけが、やけに大きく聞こえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま、待て。落ち着け。まずは深呼吸だ」

 

俺自身が落ち着くために、コーヒーを一口飲む。熱い。舌を火傷した。

 

「結婚する、と言ったな?相手は?まさかキルヒアイスか?ついに一線を超えたのか?なら俺は全力で祝福するし、法改正も辞さないが」

 

「違う!キルヒアイスは親友だ!貴様は俺たちをどういう目で見ているのだ!」

 

「じゃあ誰だ」

 

「決まっているだろう!ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ嬢だ!」

 

「……は?」

 

俺とアナスタシアが顔を見合わせる。ヒルダ?あの「幕僚面接」から、まだ1週間しか経っていないぞ?

 

「え?あの色気ゼロの会食から1週間で?どうやって?お前ら、法整備の話と補給線の確保の話しかしてなかったじゃないか。いつ愛が芽生えたんだ?補給物資の中に愛が混ざってたのか?」

 

「実は………」

 

ラインハルトが、言いにくそうに、しかし報告義務を果たすように語り始める。

 

 

 

 

 

 

 

(ラインハルトの説明)

 

あれから毎日、俺は仕事が終わると下宿に彼女を招き、朝まで軍事・政治談義をしていた。帝国の未来について。腐敗した貴族社会の解体について。話は尽きなかった。彼女の知性は泉のように湧き出し、俺の喉を潤してくれた。

 

キルヒアイスは「実家に帰る用事があります」と言って、気を利かせて不在にしていた。 (※注:あいつ、どこで時間潰してたんだ。公園か?ネットカフェか?)

 

昨夜も、激論を交わしていた。下宿の大家から、差し入れのワインをもらった。

 

普段はあまり飲まないが、議論が白熱して喉が渇いたので、二人で飲んだ。

 

安酒だったが、彼女と飲むと不思議と美味かった。

 

そして……。議論の熱が、いつの間にか別の熱に変わっていた。

どのタイミングかは覚えていない。「司法制度の改革案」について語っていた時か、それとも「貴族の私兵解体」について語っていた時か。

ふと、目が合った。距離が近かった。気がついたら、唇が重なっていた。

 

そこからは……その……あまり記憶が定かではないが、気がついたら朝になっていて……。

 

「……二人で、裸で寝ていた」

 

 

 

 

 

 

 

ラインハルトが顔を真っ赤にして、蚊の鳴くような声で締めくくる。

 

「……………で?」

 

続きを促す。そこまでは分かった。要するに、酒の勢いと若さの暴走だ。よくある話だ。 キルヒアイスがいなかったのが運の尽きだな。

 

ラインハルトは、カッと顔を上げ、俺を睨みつけるような真剣な眼差しで叫んだ。

 

「フロイラインに、その、あのような事をしておいて……求婚しないのは、淫蕩な貴族どもと同じになってしまう!!」

 

「……」

 

「ただの遊びで女性の純潔を奪うなど、俺が最も軽蔑する行為だ!俺は……そんな奴らと同じになるのは嫌だ!!だから、責任を取る!!結婚する!!」

 

ピキッ。

 

何かが凍りつく音がした。あるいは、俺の血管がブチ切れる音か。

 

淫蕩な貴族。遊びで女性に手を出す。責任を取らない。

 

「………おい」

 

俺の声が低くなる。ナイフを置く手が震える。

 

「それは、俺に喧嘩を売ってると思っていいのか?」

 

俺には婚約者が3人いる。サビーネちゃんとエリザベート様は政略結婚(予約)だが、アナスタシアとは長年、事実上の夫婦生活を送っている。だが、まだ籍は入れていない。

 

つまり、ラインハルトの定義で言えば、俺は「長年女性を囲っておきながら責任を取らない淫蕩な貴族の筆頭」ということになる。

 

「(笑顔だが目が笑っていない)………………」

 

隣を見る。アナが、微笑んでいる。だが、その背後に不動明王のような炎が見える。

 

「ラインハルト様?」

 

彼女の声が、鈴の音のように美しく、そして冷たい。

 

「私は、アル様と長年関係を持っておりましたが、最近まで結婚の話は出ませんでした。……私は『淫蕩な貴族』の遊び相手ですか?使い捨ての女ですか?そう仰りたいのですか?」

 

「え?いや、貴女たちは別だ。貴女たちは……その……」

 

ラインハルトがたじろぐ。こいつ、無自覚に地雷を踏み抜いたことに気づいていない。 自分の潔癖さを主張するあまり、全方位に喧嘩を売るスタイル。さすが覇王だ。

 

「貴女たちは既に魂で結ばれているだろう!形式などどうでもいい!だが俺は違う!昨日まで同志だと思っていた相手と、いきなり……その……してしまったのだぞ!?」

 

彼は必死だ。

 

「とにかく、俺は責任を取らねばならんのだ!彼女を傷つけたくない!誠意を見せたい!」

 

まあ、その気持ちは分からなくもない。真面目なんだな、こいつは。古風というか、不器用というか。

 

「で、どうするつもりだ?求婚するって、具体的に」

 

「(全く聞いていない)ミッターマイヤーは、エヴァンゼリン嬢への求婚の際、黄色いバラを花束にして持っていったと聞く。……いや、赤だったか? とにかく、俺もそれで良いだろうか?」

 

ラインハルトが、真剣に悩んでいる。

 

「待て待て待て」

 

頭を抱える。

 

「花の種類とか色の問題じゃない。……順序だ。順序とかムードとか、色々ぶっ飛ばしすぎだ」

 

「順序?既成事実はもうあるぞ?」

 

「それが問題なんだよ!普通は『好きです』『付き合ってください』があって、デートを重ねて、それからベッドインだろ!お前はいきなりゴールテープを切ってからスタートラインを探してるんだよ!」

 

「うるさい!起きてしまったことは仕方がないだろう!」

 

逆ギレするな。

 

ここで、アナが深く、深く溜息をついた。彼女は紅茶を置き、冷徹な家宰の顔で、核心を突く質問をした。

 

「ラインハルト様。……それで、肝心のヒルダちゃん、いえ、マリーンドルフ嬢の気持ちは聞いたのですか?」

 

「え?」

 

「『責任を取る』と仰いますが、それは貴方の側の理屈です。彼女はどう思っているのです?行為の後のフォローも大切ですよ?朝の挨拶は?『昨夜は良かった』とか、『愛している』とか、何か言葉を交わしたのですか?」

 

アナの視線が鋭くなる。女性として、一番許せないポイントを詰めていく。

 

ラインハルトが、キョトンとした顔をする。

 

「え?いや……目が覚めて、隣に彼女がいて……パニックになって……」

 

彼は視線を泳がせる。

 

「『責任を取らねば!』『ファルケンハインに相談だ!』と思って、そのまま服を着て飛び出してきたので、多分……まだ部屋で寝ているのでは?」

 

「…………………………」

 

時が止まる。アナの笑顔が消える。

 

俺も、呆れて口が開いたまま塞がらない。

 

「………………(呆)」

 

つまり、だ。 初めての夜を過ごした翌朝。目が覚めたら、男がいなくなっていた。置き手紙もなしに。裸のまま取り残されたヒルダ嬢の気持ち。

 

「(怒)……………………」

 

アナスタシアが立ち上がる。 その手には、朝食用のナイフが握られている。

 

「馬鹿野郎おおおおおおお!!」

 

俺が叫んだ。アナが刺す前に、俺が怒鳴らないとラインハルトの命が危ないからだ。

 

「お前!最低だぞ!それは『淫蕩な貴族』以下だ!『やり逃げ』って言うんだよ!」

 

「なっ!?逃げてなどいない!相談に来ただけだ!」

 

「相手から見れば逃げたのと同じだ!起きたら男がいない!『あ、失敗したと思って逃げたんだ』って思われるに決まってるだろ!絶望してるぞ今頃!」

 

「な、なんだと!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アナ!急げ!帝都中の花屋に連絡しろ!今すぐ開店させろ!」

 

玄関ホールで叫ぶ。もはや元帥としての威厳などかなぐり捨て、ただの世話焼きおじさんになり下がっている。

 

「赤いバラだ!108本?ケチくさいこと言うな!部屋を埋め尽くすくらいだ!トラック一杯分くらい買い占めろ!支払いは俺の個人口座からだ!」

 

「御意!既に手配済みです!配送ドローン部隊も手配しました!」

 

アナが、端末を操作しながら答える。彼女の手際の良さは、相変わらず神がかっている。花屋の組合長を叩き起こし、「元帥命令です」と脅迫……いや、説得して在庫を確保したらしい。

 

「よし!行くぞ!」

 

まだ呆然としているラインハルトの襟首を掴み、無理やりリムジンに押し込む。

 

「貴様は俺の車に乗れ!緊急送還だ!サイレン鳴らしてでも間に合わせろ!」

 

「ちょ、待て!キルヒアイスは!?」

 

「あいつは後で拾う!今は一刻を争うんだ!」

 

ドアを乱暴に閉める。運転手がアクセルを踏み込む。車体がGで沈み込み、ロケットのように発進する。

 

「いいか、ラインハルト!よく聞け!」

 

車内で、俺は説教を垂れる。

 

「起きた時に男がいなかったら、女の子がどれだけ不安になると思ってるんだ!『捨てられた』『遊ばれた』『財布盗まれたかも』って、ネガティブな妄想が暴走するんだぞ!」

 

「そ、そこまでか?」

 

「そこまでだ!しかも相手は賢いヒルダ嬢だぞ?『これは政治的な切り捨て工作か?』とか深読みされたらどうする! マリーンドルフ家が敵に回るぞ!」

 

「それは困る!」

 

「だから、彼女が完全に目を覚まして、絶望する前に戻るんだ!タイムリミットは、彼女が二度寝から覚めるまでだ!」

 

ファルケンハイン家の総力を挙げた、ドタバタ求婚作戦が開始された。帝都の朝を切り裂くサイレンと、空を舞う花配送ドローンの群れ。市民たちは「クーデターか?」と窓から顔を出しているが、ある意味、一人の男の人生におけるクーデターであることに違いはない。

 

 

 

 

 

ラインハルトの下宿

 

 

 

朝日がカーテンの隙間から差し込み、ベッドの上を照らしている。

 

もぞり。シーツが動く。

 

「……ん?」

 

ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ嬢が、目を覚ます。彼女はショートカットの金髪を乱し、眠い目をこする。頭が重い。昨夜のワインが少し残っているようだ。

 

「ここは……」

 

見慣れない天井。質素だが、整頓された部屋。 壁にかけられた軍服。

 

「あ、私……」

 

記憶の糸が繋がる。昨夜の激論。ワイン。熱っぽい視線。そして……。

 

「(昨夜の記憶が蘇り、赤面)……!!」

 

カァァァッ!と音がしそうなほど、顔が赤くなる。やってしまった。勢いで、つい。しかも相手は、次期元帥とも噂されるミューゼル閣下だ。

 

「……あら?」

 

彼女は隣を見る。誰もいない。シーツは冷えている。

 

「閣下は?」

 

不安がよぎる。まさか、後悔して出て行ったのか?それとも、単なる一夜の過ちとして処理されたのか?彼女の理知的な頭脳が、最悪のシナリオを計算し始める。「マリーンドルフ家の取り込み完了」「用済み」「口封じ」……。

 

その時だ。

 

バンッ!!

 

ドアが、蝶番ごと外れんばかりの勢いで開かれた。

 

「ヒルダ!!」

 

大音声。聞き覚えのある、しかし普段より3倍くらい焦った声だ。

 

「きゃっ!?」

 

ヒルダが驚いて飛び起きる。シーツを胸元まで引き上げる。

 

ドアの向こうに立っていたのは、息を切らし、髪を振り乱したラインハルトだ。そして、その背後には……。

 

「入れろぉぉぉ!!」

 

野太い号令と共に、ファルケンハイン家の私兵たちが雪崩れ込んできた。彼らの腕には、抱えきれないほどの深紅のバラが積まれている。

 

ドサッ!ドサッ!バサァッ!

 

「え?え?」

 

ヒルダが状況を理解する暇もない。狭い下宿の部屋が、一瞬にして赤いバラで埋め尽くされていく。床が見えない。テーブルも見えない。ベッドの周りまで、バラの洪水が押し寄せる。むせ返るような花の香り。ここは花園か?それとも植物園の温室か?

 

そのバラの海をかき分けて、ラインハルトがズカズカと進み出てくる。足元のバラを踏んづけているが、気にしている余裕はない。

 

彼はベッドの脇まで来ると、ガバッと頭を下げた。

 

「すまない!!」

 

謝罪。第一声が謝罪だ。

 

「挨拶もせずに飛び出して!だが聞いてくれ!逃げたのではない!俺は……どうすればいいか分からず、ファルケンハインに相談に行っていたのだ!」

 

言い訳が必死すぎる。そして、他人の名前(俺)を出すな。

 

「俺は、昨夜の行いに対し、全責任を取るつもりだ!」

 

彼は顔を上げ、ヒルダを真っ直ぐに見つめる。その蒼氷色の瞳は、戦場で敵を睨む時よりも真剣だ。

 

「いや、責任だけではない!」

 

彼は言葉を訂正する。俺のアドバイス(「責任とか言うな」)を思い出したらしい。

 

「貴女の知性と、その政治的識見と、そして……存在そのものを、俺は必要としている!」

 

彼は右手を差し出す。震えている。

 

「俺には、貴女が必要だ!貴女となら、新しい帝国を作れる!いや、作りたい!公私共に、俺のパートナーになってほしい!」

 

熱い。プロポーズというよりは、同志への勧誘演説に近い。だが、その不器用さが、今の彼には似合っている。

 

「だから……俺と結婚してくれ!頼む!!」

 

最後は懇願だ。「頼む」って。女の子に頭を下げて「頼む」って。

 

「(バラと剣幕に圧倒され、目を白黒させながら)は、はい……?ええっと、つまり、閣下は私を……?」

 

ヒルダは混乱している。起きたらバラの海。目の前には必死な形相のラインハルト。そして「結婚してくれ」。情報量が多すぎる。

 

「妻にしたいと言っているのだ!!」

 

ラインハルトが、ダメ押しの大声で叫ぶ。耳がキーンとなる。

 

「一生、俺の傍にいてくれ!嫌とは言わせん!……いや、嫌なら仕方がないが、俺は諦めんぞ!」

 

どっちだ。

 

ヒルダは、ポカンとしてラインハルトを見つめる。そして、ふっと笑った。その笑顔は、いつもの理知的なものではなく、年相応の少女の、少し照れたような、そして愛おしそうな笑顔だった。

 

「……ふふ」

 

彼女は、バラの中に手を伸ばし、一輪の花を拾い上げる。

 

「朝起きて、こんなに騒がしいプロポーズを受けるなんて……想像もしておりませんでしたわ」

 

彼女は、そのバラを胸に抱く。

 

「(顔を真っ赤にして)……はい。謹んで、お受けいたします」

 

「!!」

 

ラインハルトの表情が、一気に輝く。勝利。会戦の時よりも、遥かに嬉しそうな顔だ。

 

「本当か!?」

 

「はい。……責任、取っていただきますわよ?覚悟はよろしいですか?」

 

ヒルダが悪戯っぽく言う。その「覚悟」が、単なる結婚生活だけでなく、共に覇道を歩む覚悟であることを、二人は理解している。

 

「ああ!望むところだ!」

 

ラインハルトは、ベッドの上のヒルダを(シーツごと)抱きしめる。 バラの花びらが舞う。絵になる。悔しいが、絵になる二人だ。

 

「(陰から見ていて)……ふぅ」

 

ドアの隙間から、その様子を覗き見ていた俺は、深いため息をつく。肩の荷が下りた。 心臓に悪い。

 

「なんとかなったか。ムードもへったくれもないが、まあ、あいつらしいわ」

 

花束を渡すどころか、部屋ごと花で埋めるという力技。 言葉よりも音量で押し切るプロポーズ。 スマートさの欠片もないが、その熱量だけは伝わったようだ。

 

「おい、撤収だ。これ以上は邪魔だ」

 

私兵たちに合図を送る。彼らもニヤニヤしながら、静かに(バラを残して)退散する。

 

廊下に出ると、そこには息を切らして駆けつけた赤毛の青年がいた。キルヒアイスだ。 俺が「ラインハルトが大変だ!」とメールしたのを見て、飛んできたらしい。

 

「閣下!ラインハルト様は!?」

 

「安心しろ。……今、人生最大の契約を結んだところだ」

 

親指で部屋を指す。中からは、ラインハルトの「ありがとう!」という叫び声と、ヒルダの笑い声が聞こえてくる。

 

「契約……?」

 

キルヒアイスが不思議そうな顔をするが、すぐに察したようだ。彼の表情が、柔らかく崩れる。

 

「そうですか……。よかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝都オーディン、元帥府

 

 

季節は巡り、ティアマト星域会戦の熱狂も過去のものとなりつつある。

 

平和だ。書類の山と格闘する日々だが、命のやり取りがないだけマシだ。

 

窓の外を見れば、穏やかな陽光が降り注いでいる。こんな日は、アナの淹れた紅茶を飲みながら、昼寝でもしたいところだ。

 

そんなのんきなことを考えていた矢先、執務室のドアがノックされる。

 

入ってきたのは、上級大将の軍服に身を包んだラインハルトだ。最近の彼は、以前のような刺々しさが消え、どこか憑き物が落ちたような、あるいはリア充特有の余裕のようなオーラを纏っている。やはり、愛の力は偉大だ。公私共にパートナーを得た若き獅子は、精神的にも安定し、覇気にも磨きがかかっている。

 

「どうした、ラインハルト。また新婚生活の惚気話か?『ヒルダが作ったスープが美味かった』とか、そういう話なら有料だぞ」

 

ペンを回しながら軽口を叩く。すると、ラインハルトは真面目な顔で、しかし隠しきれない興奮を瞳に宿して、デスクに身を乗り出した。

 

「いや、違う。……報告がある」

 

「報告?軍事的なことか?」

 

「個人的なことだ」

 

彼は一呼吸置き、爆弾を投下した。

 

「ヒルダが、妊娠した」

 

「……………なに?」

 

ペンが手から滑り落ちる。コロコロと転がる音が、静寂に響く。

 

「妊娠……?ヒルダが?あのマリーンドルフ嬢が?」

 

「うむ。今朝、体調が優れないと言うので医者に見せたら、懐妊だそうだ。まだ初期だが、間違いないらしい」

 

「お、お前……」

 

口が開いたまま塞がらない。あれからまだ2ヶ月だぞ。展開が早すぎる。F1マシンかお前は。

 

「一発で決めたのか?あの晩の?あのバラの海の夜の一発で?」

 

恐るべき命中率だ。戦術だけでなく、そっちの射撃管制も天才的だったとは。さすがは軍神の申し子だ。

 

「(真顔で)いや、あれからは毎日していたので、いつのかわからない」

 

ブッ!!!!

 

口に含んでいたコーヒーを、霧吹きのように噴き出す。書類が茶色く染まる。

 

「げほっ!ごほっ!……ま、毎日!?」

 

「うむ。議論が白熱すると、どうしても興奮してな。そのままの流れで……」

 

「(コーヒーを拭きながら)お前、そんなに元気だったのか……。議論の延長戦がベッドの上とか、どんな体力してるんだ」

 

呆れるを通り越して感心する。昼は艦隊指揮と政治工作、夜は新妻と子作り。若さとは恐ろしい。エネルギーの塊だ。リヒテンラーデが知ったら、そのバイタリティに恐怖して卒倒するんじゃないか。

 

「……で、おめでとうと言えばいいのか?パパになる感想は?」

 

「まだ実感が湧かん。だが……嬉しい。俺とヒルダの子だ。きっと賢く、強い子になるだろう」

 

ラインハルトが、珍しく相好を崩す。ふっ、親バカの片鱗が既に見えている。これでまた一つ、こいつが「人間らしく」なる楔が打ち込まれたわけだ。

 

だが。ここでふと、ある疑問が脳裏をよぎる。

 

ラインハルトの下宿は狭い。寝室は一つしかないはずだ。そこで、この2ヶ月間、毎晩のように若夫婦が愛の営み(議論含む)を繰り広げていたとしたら……。

 

「おい。……キルヒアイスはどうしてたんだ?」

 

同居人である赤毛の親友。彼の存在を忘れてはならない。あいつ、どこで寝てたんだ?まさか、隣の部屋で耳栓をして震えていたのか?

 

「キルヒアイスか?彼は……」

 

ラインハルトが振り返る。ドアの近くに、いつものように控えているジークフリード・キルヒアイス。だが、その姿を見て、俺は息を呑んだ。

 

やつれている。明らかに、頬がこけている。目の下にクマがある。制服は綺麗だが、どことなく疲労感が漂っている。

 

「キルヒアイス……」

 

名前を呼ぶと、彼は力なく微笑んだ。

 

「(遠い目で)……ええ。お気になさらないでください。ラインハルト様とヒルデガルド様がお幸せなら、私はそれで……」

 

その瞳は、悟りを開いた僧侶のように澄んでいるが、深淵のような闇も覗かせている。

 

「お陰様で、私はあの日から毎晩、外で寝ておりました」

 

「……外?」

 

「はい。公園のベンチや、カプセルホテル、時には安宿などを転々と……。二人の邪魔をしてはいけませんので……」

 

「(涙)……キルヒアイス……!」

 

目頭が熱くなる。なんて健気なんだ。なんて自己犠牲精神に溢れているんだ。

 

そして、なんて不憫なんだ。上官(親友)の性生活のために、部下がホームレス化するなんて、軍規違反どころの話じゃない。人権侵害だ。

 

「お前、なんで言わないんだ!『ホテル代ください』とか『今日は勘弁してください』とか!」

 

「ラインハルト様が、あんなに楽しそうにしておられるのを見るのは久しぶりでしたから……。水を差すわけにはいきません」

 

聖人か。こいつは聖人君子か。後光が見えるぞ。

 

「おいラインハルト!貴様、知ってたのか!?」

 

「い、いや……。『今日は友人の家に泊まる』とか『夜間演習の視察に行く』と言っていたので、てっきり……」

 

ラインハルトも、さすがにバツが悪そうにしている。鈍感にも程がある。愛に溺れると周りが見えなくなる典型だ。

 

「貴様なぁ……。部下に野宿させて子作りとか、流血帝でもやらんぞ!」

 

机を叩く。許せん。俺の可愛い部下(精神的には弟分)であるキルヒアイスを、こんな目に遭わせるとは。

 

「アナ!アナスタシア!」

 

大声で呼ぶ。即座に、隣室から有能な家宰が現れる。

 

「はい、アル様。お話は聞いておりました」

 

彼女の手には、既に端末が握られている。

 

「直ちに、帝都の一等地に一戸建てを用意しろ!中古でも新築でもいい!即入居可能なやつだ!キルヒアイス名義だ!家具も家電も全部つけろ!最高級のベッドもだ!」

 

「手配済みです」

 

アナが涼しい顔で答える。

 

「軍務省の官舎リストから、将官クラス用の空き物件を確保しました。元帥府から徒歩10分。庭付き、警備システム完備、家具付きです。……掃除とリネン類の交換も、業者を手配して完了させてあります」

 

「さすがだ!仕事が早い!」

 

「キルヒアイス中将」

 

アナが、端末を彼に差し出す。電子キーが表示されている。

 

「今日からそこが貴方の家です。もう公園で新聞紙にくるまる必要はありません。ゆっくりお休みください」

 

「(感涙)閣下……ホーテン閣下……」

 

キルヒアイスの手が震える。端末を受け取る指先が、感動で小刻みに揺れている。

 

「ありがとうございます……!これで、屋根の下で眠れます……!暖かい布団で……!」

 

泣いている。190センチの巨漢が、子供のように泣いている。よほど辛かったのだろう。帝都の夜は冷えるからな……。

 

「(ラインハルトを睨み)おい、ラインハルト。見たか、この涙を」

 

「う、うむ……。すまなかった、キルヒアイス。俺が配慮を欠いていた……」

 

ラインハルトが頭を下げる。素直に謝れるのは良いことだ。

 

「それにな、お前は相変わらずあの狭い下宿で愛を育んでるらしいが」

 

説教モードに入る。

 

「身重の妻がいるんだぞ。しかも貴族の令嬢だ。あの下宿の急な階段とか、狭いユニットバスとか、妊婦には危険がいっぱいだぞ。セキュリティだってザルだろ」

 

指を突きつける。

 

「結婚するなら家買えよ……。上級大将の給料なら余裕だろ。いつまで学生気分でいるつもりだ」

 

「む。……そういえばそうだな」

 

ラインハルトが腕を組む。

 

「ヒルダも『少し手狭ですね』とは言っていたが、住めば都だと思っていた。……妊婦への配慮か。確かに、階段は危ないな」

 

「だろ?お前も引っ越せ。キルヒアイスの家の隣とかにすればいい。そうすれば、スープが冷めない距離で、また三人で食事ができるだろ」

 

「おお!それは名案だ!」

 

ラインハルトの顔が輝く。

 

「アナ、隣の物件は空いてるか?」

 

「空いてますわ。……というか、そのブロック一帯、ファルケンハイン家の所有地ですので、どうとでもなります」

 

「よし。じゃあ、そこをミューゼル上級大将に貸してやれ。家賃は出世払いでいい」

 

「感謝する、ファルケンハイン!貴様は時々、本当に頼りになるな!」

 

「時々って言うな」

 

こうして。ラインハルトは父になり、マイホーム(借家)を手に入れ。キルヒアイスはホームレス生活から脱却し、マイホーム(贈与)を手に入れた。

 

「さて、祝い酒でも飲むか。……キルヒアイス、今日は俺の奢りだ。美味い肉を食わせてやる」

 

「はい!ありがとうございます、閣下!」

 

赤毛の青年の笑顔が、久しぶりに輝いた。それだけで、今日の仕事は達成したと言えるだろう。

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

皆さまのお気に入りの場面や、
「ここ好き」「ここ笑った」「ここ心配」など、
ぜひ感想で教えていただけると嬉しいです。

特に、
・キルヒアイスの扱い
・ラインハルトのポンコツ化
・ヒルダの反応
あたりのご意見は、今後の方向性にも関わります。

皆さまの声が物語の推進力になります。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。

そろそろ長期連載になってきたので章ごとに簡単なあらすじ(ネタばれあり)をつけるべき?

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