銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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アスターテ戦役──銀河英雄伝説における最初の大きな戦い。

若きローエングラム候の激情と、魔術師ヤン・ウェンリーの静かな悪意。
そして、部下たちの欲望・勘違い・野心が、戦場を想定外の方向へと転がしていく。

史実(?)の戦いはただの会戦ではありません。
それは、帝国と同盟、天才と凡人、希望と慢心がぶつかり合う、人間ドラマそのものです。

少し肩の力を抜いて、どうぞ楽しんでいただければ幸いです。


魔術師のワンサイドゲームと、金髪の誤算

宇宙暦796年2月 アスターテ星域

 

 

そこは今、自由惑星同盟軍にとっての「狩り場」になるはずだった。数で勝る同盟軍が、生意気な帝国軍の若造を包囲し、袋叩きにする。誰もがそう信じていた。

 

特に、第4艦隊司令官パストーレ中将は、勝利を疑うどころか、今夜の夕食のメニューのことで頭がいっぱいだった。

 

旗艦《レオニダス》 艦橋

 

 

「(あくびをしながら)ふあぁ……。敵はまだか?正面から来るはずだが。遅いな」

 

パストーレは、指揮官席で足を組み、爪を眺めている。彼の予想では、帝国軍は「真正面」から、あるいは「少し横」から来るはずだった。なぜなら、それが教科書通りの動きだからだ。敵が教科書を読んでいない可能性など、彼の脳内には存在しない。

 

「閣下、そろそろ会敵予定時刻を過ぎておりますが……」

 

「慌てるな。若造がビビって足を止めたのだろう。……まあ、ゆっくり待てばいい。給料分は働くさ」

 

パストーレは余裕だ。彼は知らない。敵将ラインハルト・フォン・ローエングラムが、常識というものを母のお腹の中に置き忘れてきた男であることを。そして、その部下たちが「ボーナス査定」のために眼を血走らせていることを。

 

その時だ。オペレーターの悲鳴が、艦橋の空気を切り裂いた。

 

「て、敵艦隊襲来!後方!4時の方向より急速接近!距離、至近!」

 

「はあ?」

 

パストーレは、間の抜けた声を出す。後方?4時?おやつの時間か?

 

「馬鹿な。敵は我々の倍の距離、前方にいたはずだぞ?ワープでもしたのか?それとも貴様のレーダーが故障したのか?」

 

「いえ!肉眼でも確認できます!白い戦艦を先頭に、ものすごい数です!」

 

モニターが切り替わる。そこに映っていたのは、美しい流線型を描く純白の戦艦《ブリュンヒルト》と、それに続く帝国軍の大艦隊だった。彼らは、パストーレ艦隊の死角を完璧に突き、背後から猛スピードで突っ込んできている。

 

「……いや、まさか……」

 

パストーレは、画面の中の光景を脳が処理できない。

 

「こんな所(常識外のルート)に突っ込んでくるわけがない!機雷原があるはずだぞ!あそこを通るなんて、正気じゃない!何かの間違いだ!誰か『ドッキリでした』と言ってくれ!」

 

だが、現実は残酷だ。ドッキリの看板を持ったスタッフは現れない。代わりに現れたのは、殺る気満々の帝国軍のビームの雨だ。

 

『ファイエル(撃て)!ボーナスは目の前だ!』

 

通信機から、帝国軍の(おそらくファーレンハイトあたりの)嬉々とした号令が聞こえてくる。

 

ドガァァァン!!

 

旗艦《レオニダス》が激しく揺れる。シールドが紙くずのように破られ、装甲が溶解する。

 

「うわぁぁぁ!何もできん!回頭!回頭しろ!」

 

パストーレが叫ぶが、時すでに遅し。背後から襲われた艦隊に、組織的な抵抗など不可能だ。第4艦隊は、瞬く間に火の海と化した。状況を理解する間もなく、パストーレ中将の意識は、爆炎と共に永遠の彼方へと消え去った。

 

「(通信)第4艦隊、沈黙!壊滅しました!」

 

帝国軍旗艦《ブリュンヒルト》では、ラインハルトが冷ややかに呟いていた。

 

『脆い。あまりにも脆い。……さて、次は左だ』

 

 

 

 

 

 

 

一方、戦場の反対側。第6艦隊司令官ムーア中将は、イライラしていた。予定の時刻になっても、包囲網が完成しないからだ。

 

「第4艦隊(パストーレ)は何をしている!定時連絡がないぞ!」

 

ムーアが怒鳴る。彼は、自分が一番槍をつけるつもりだったのに、パストーレがもたついているせいで待たされていると思っている。

 

「第4艦隊から通信途絶!反応消失しました!全滅……いえ、大規模な通信障害の可能性があります!」

 

オペレーターが報告する。常識的に考えて、一個艦隊が一瞬で消滅するわけがない。だから「通信障害」と判断するのは無理もない。

 

「ん?通信障害か……。あのマヌケめ、回線のコードでも抜けたか」

 

ムーアは舌打ちする。

 

「構うな!敵は我々を恐れて逃げたか、あるいは包囲を警戒して足を止めているのだろう。チャンスだ!」

 

彼は立ち上がり、マイクを握りしめる。

 

「作戦宙域へ急げ!パストーレが昼寝している間に、我々が一番槍をつける!手柄を独り占めにするぞ!」

 

第6艦隊が加速する。彼らは、自分たちが「狩る側」だと信じて疑わない。だが、彼らが向かっている先には、第4艦隊を「消化」し終え、反転して襲いかかってくる金髪の死神が待ち構えていた。

 

「敵影確認!……速い!真正面から突っ込んできます!」

 

「何!?真正面だと!?」

 

ムーアが目を見開く。逃げているはずの敵が、なぜ向かってくる?しかも、パストーレがいるはずの方角から?

 

「距離、3000!2000!衝突します!」

 

「迎撃しろ!全砲門開け!」

 

ムーアが叫ぶ。だが、帝国軍の速度は、彼の想像を遥かに超えていた。ローエングラム艦隊は、第4艦隊を葬った勢いをそのままに、第6艦隊の正面に躍り出たのだ。

 

「直撃!来ます!」

 

「な、なんだとォォォ!?」

 

ズガガガガガ!!

 

正面衝突。いや、一方的な蹂躙だ。帝国軍は、一点突破の密集陣形で、横に広がっていた第6艦隊の中央を食い破る。

 

「ば、馬鹿な!なぜこんなに速い!なぜこんなに正確なんだ!」

 

ムーアは、崩壊していく自軍のモニターを見ながら絶叫する。彼の自慢の「筋肉戦法(力押し)」が、より高度で、より野蛮な「暴力」によって粉砕されていく。

 

『貴様らの動きなど、止まって見えるわ!』

 

ラインハルトの声が、通信回線に割り込んでくる。

 

『この程度で包囲などと、笑わせるな!消え失せろ!』

 

ドォォォン!!

 

第6艦隊旗艦《ペルガモン》の艦橋に、ビームが直撃する。ムーア中将の最後の記憶は、視界いっぱいに広がる純白の戦艦の輝きだった。

 

第4艦隊、壊滅。第6艦隊、壊滅。開戦からわずか4時間。同盟軍の戦力の3分の2が、宇宙の塵と化した。

 

 

 

 

 

 

そして、残るは一つ。最後尾を、やる気なさそうにノロノロと進んでいた、新設第13艦隊である。

 

旗艦《ヒューベリオン》 艦橋

 

 

司令官席で、ヤン・ウェンリー中将は、モニターを見つめたまま固まっていた。その手には、冷めきった紅茶のカップ。

 

「(モニターを見つめ、深いため息)……やれやれ」

 

ヤンの口から、魂が抜けるような溜息が漏れる。

 

「言わんこっちゃない。見事な各個撃破だ。教科書に載せたいくらいだよ。『やってはいけない用兵の見本』として」

 

彼の予想通りだ。いや、予想以上の早さだ。ラインハルト・フォン・ローエングラム。 あの金髪の若者は、こちらの想像を超えるスピードで戦場を駆け抜け、二つの艦隊を飲み込んだ。

 

「先輩、感心してる場合ですか」

 

分艦隊司令のアッテンボローが、ツッコミを入れる。彼の顔には、皮肉っぽい笑みが張り付いているが、その目は笑っていない。

 

「次はうちですよ。第4、第6と来て、次は第13。順番通りです。コース料理のメインディッシュってやつですね」

 

「メインディッシュか。……私はデザートのプリンになりたかったんだがね」

 

ヤンは、ベレー帽を脱ぎ、乱暴に髪をかき回す。

 

状況は絶望的だ。敵は2万隻。士気旺盛、勢い十分。こちらは1万5千隻。寄せ集め。指揮官は帰りたがっている。普通なら、ここで「全速逃走」を選択するのが正解だ。生き残ることが最優先。負け戦の責任は、死んだパストーレやムーア、そして無謀な作戦を立てた上層部に押し付ければいい。

 

「本来なら、『我が艦隊は撤退』……と言いたいところだが」

 

ヤンは、モニターの端に映る、無数の小さな光点を見る。それは、破壊された第4、第6艦隊の残骸と、そこから放出された脱出ポッドの群れだ。何万という友軍の兵士たちが、宇宙空間を漂流している。

 

「友軍の生存者が漂流している。今、我々が背を向けて逃げれば、彼らは帝国軍に拿捕されるか、あるいは戦火に巻き込まれて死ぬだろう」

 

ヤンは、カップを置く。カタリ、という小さな音が、艦橋に響く。

 

「彼らを見捨てて逃げたとあっては、私の年金……いや、寝覚めが悪い」

 

そう。ヤン・ウェンリーという男は、勤勉ではないし、愛国心も薄い。だが、「人が死ぬのを見る」ことに対してだけは、生理的な嫌悪感を持っている。自分が楽をするために、他人を見殺しにする。それは、彼の美学(というほど立派なものではないが、生活信条)に反するのだ。

 

「……一戦、交えますか」

 

ぽつりと言う。その言葉の重さを、幕僚たちは理解する。逃げるのではない。踏みとどまるのだ。この倍の敵を相手に。

 

「(緊張して)はっ!では、戦闘態勢を!全艦に主砲の充填を命じますか!?」

 

参謀長のムライ准将が、色めき立つ。やる気だ。

 

「いや、ムライ参謀長。落ち着いて」

 

ヤンは、手で制する。

 

「まずは救助船の手配を頼む。我々の艦隊の後方に、医療船と輸送艦を展開させてくれ」

 

「は?救助船ですか?」

 

「そうだ。戦闘と救助を同時に行う。忙しくなるよ」

 

ヤンは、コンソールに向き直り、素早い手つきでコマンドを打ち込み始める。その指の動きは、先ほどまでの怠惰な様子とは別人のように速い。

 

「フィッシャー提督。艦隊運動のパターンは『デルタ・スパイラル』だ。敵の突撃をかわしつつ、漂流者を回収するルートを確保してくれ」

 

「……無茶を仰る。敵の鼻先でダンスを踊れと?」

 

運用責任者のフィッシャー准将が、渋い顔をする。だが、その目には職人の光が宿っている。

 

「できるだろう?君になら」

 

「……やってみましょう。この最新鋭の艦(ヒューベリオン)の性能が、カタログ通りなら」

 

「アッテンボロー。君は前衛だ。敵の注意を引きつけろ。ただし、絶対に死ぬなよ。手記を完成させるんだろう?」

 

「了解っす!伊達と酔狂で翻弄してやりますよ!」

 

ヤンは、最後に副官のフレデリカ・グリーンヒル少尉を見る。

 

「少尉。君には一番重要な任務がある」

 

「はい、提督!何でしょうか!敵旗艦へのハッキングですか!?」

 

フレデリカが身を乗り出す。

 

「いや。……美味しい紅茶を淹れてくれ。これからの仕事は、カフェインがないとやってられないからね」

 

「……はい!」

 

フレデリカは、一瞬ずっこけそうになりながらも、満面の笑みで敬礼した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝国軍旗艦《ブリュンヒルト》

 

 

空気は、酸素よりもアドレナリンの濃度の方が高い。勝利。圧倒的勝利。その美酒に酔いしれる兵士たちの顔は紅潮し、モニターを見つめる目はギラギラと輝いている。

 

「敵艦隊捕捉!前方、距離6000!」

 

オペレーターの声が弾む。獲物だ。 最後のデザートだ。

 

「旗艦照合……データにありません!識別信号が新規です!」

 

オペレーターが解析を進める。

 

「しかし艦番『13』の文字!該当するのは一つしかありません!新設部隊、第13艦隊と思われます!」

 

その報告を聞いた瞬間。司令官席に座るラインハルトの全身から、物理的な衝撃波が発生する。美しい金髪が逆立つ。蒼氷色の瞳に、地獄の業火のような炎が宿る。

 

「(瞳に炎を宿し)……出たか」

 

低い声。だが、そこには歓喜と殺意が半分ずつ混ざっている。

 

「ヤン・ウェンリー!ティアマトでの借りを返す時が来たぞ!」

 

ラインハルトは立ち上がる。ティアマト星域会戦。あの時、兄貴分であるアルブレヒト元帥をコケにし、自分たちの包囲網をドリルですり抜け、まんまと逃げおおせた憎き相手。 その参謀が、今は司令官として目の前にいる。

 

「これぞ運命!これぞ好機!我が息子アレクサンデルの誕生祝いに、魔術師の首を添えてやる!」

 

「ラインハルト様」

 

傍らに立つキルヒアイス中将が、冷静な声でブレーキをかける。

 

「敵は無傷の一個艦隊です。第4、第6艦隊とは違います。相手はあのヤン・ウェンリーです。慎重に……」

 

キルヒアイスの懸念はもっともだ。前の二つは「カモ」だったが、今度のは「手負いの熊」かもしれない。しかも、ヤンは生存者の救助を行っている。つまり、背水の陣だ。

 

だが、今のラインハルトにブレーキは存在しない。アクセルしかない。

 

「案ずるな!敵の士気は崩壊しているはずだ!」

 

ラインハルトは一蹴する。

 

「友軍が二つも目の前で消滅したのだぞ?普通ならパニックを起こして逃げ回るか、降伏の白旗を振るのが関の山だ!奴らは恐怖に震えている!」

 

彼は前方を指差す。

 

「それにだ、キルヒアイス。ここで躊躇すれば、どうなると思う?」

 

「……?」

 

「あのファルケンハインに、『やっぱり弟だな。詰めが甘い』と笑われるのだ!『俺ならもっとスマートにやった』と、ニヤニヤしながら紅茶をすするあいつの顔が目に浮かぶ!」

 

これだ。ラインハルトの原動力の半分は、帝国の覇権。残りの半分は、「アルブレヒト元帥(義兄)を見返したい」「子供扱いされたくない」という、極めて個人的かつ反抗期的な動機だ。

 

「ティアマトの雪辱だ!完膚なきまでに叩き潰し、あいつに『参りました、ラインハルト閣下』と言わせてやる!」

 

「全艦全速!錐行陣で一点突破!中央突破を図る!」

 

「中央突破、ですか?また?」

 

シュターデンが、呆れたように口を挟む。第4艦隊も中央突破。第6艦隊も中央突破。 そして今回も中央突破。芸がないと言えばそれまでだが、今の帝国軍にはそれを可能にする「勢い」がある。

 

「同じ手が三度も通じるわけがない……と敵は思うだろう!そこを突くのだ!正攻法こそが最強の奇策!」

 

ラインハルトの理屈は強引だが、今の彼には「勝利の女神」がついている(と本人は思っている)

 

「行くぞ!我が愛しき《ブリュンヒルト》よ!銀河を駆け抜けろ!」

 

ズゴォォォォォォォ!!

 

純白の旗艦を先頭に、2万隻の帝国艦隊が加速する。それはまるで、雪崩。あるいは、光の津波。勝利に酔いしれ、恐怖を知らぬ若き狼たちが、獲物の喉元へと殺到する。

 

背後では、ファーレンハイト提督やエルラッハ提督たちが、「ボーナス確定だ!」「撃ちまくれ!」「俺の昇進がかかっている!」と、これまた欲望丸出しの雄叫びを上げている。欲望とプライドを燃料にした帝国軍の突撃は、物理法則すらも無視する速度で第13艦隊へと迫る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同盟軍第13艦隊 旗艦《ヒューベリオン》

 

 

 

 

 

「(モニターを見て)……来ましたね」

 

ヤンは、画面を埋め尽くす白い光点の群れを見て、他人事のように呟く。

 

「速い。さすがはローエングラム伯だ。勝利の余韻に浸ることなく、次の獲物を食らいに来たか。胃袋が丈夫なことだ」

 

「感心している場合ですか、提督!」

 

副司令官のフィッシャー准将が、焦りを隠せずに叫ぶ。

 

「敵の速度、想定以上です!真正面から突っ込んできます!このままでは衝突しますぞ!」

 

帝国軍の勢いは凄まじい。第4、第6艦隊を粉砕した勢いをそのまま持ち込んでいる。質量弾のような突撃だ。まともに受ければ、寄せ集めの第13艦隊など、瞬きする間に蒸発する。

 

「……だが、速すぎる」

 

ヤンは、紙コップの中の紅茶(ブランデー多め)を一口すする。

 

「速すぎる車は、急には曲がれない。ハンドルを切れば横転する。……物理の法則だよ」

 

彼はマイクを手に取る。全艦隊への放送スイッチを入れる。

 

「あー、テステス。……第13艦隊の皆さん、司令官のヤンです」

 

その声は、あまりにも緊張感がなかった。脱力した声。死を覚悟していた兵士たちが、思わずズッコケそうになる。

 

「敵が来ています。すごい数ですね。怖いですね。……でも、大丈夫です」

 

ヤンは続ける。

 

「全艦、聞いてくれ。私の言う通りにすれば、楽に勝てる。……いや、楽に『生き残れる』決して無理はさせない。サービス残業もさせない」

 

「ざ、残業……?」

 

「君たちの命は、国家の財産だ。そして私の年金の源だ。だから、安心して作戦を遂行してくれ。……簡単な仕事だよ」

 

ヤンはマイクを置く。そして、フィッシャーの方を向き、とんでもない指示を出す。

 

「フィッシャー提督。……中央を開けてください」

 

「は?」

 

フィッシャーが耳を疑う。

 

「中央を?開ける?」

 

「ええ。前衛艦隊を左右に展開させて、真ん中に道を作ってください。……敵のために、花道を作ってあげるんです」

 

「なっ……!?」

 

フィッシャーだけではない。幕僚のアッテンボローやムライも驚愕する。敵は「中央突破」を狙って突っ込んできているのだ。それに対して「中央を開ける」というのは、「どうぞ通ってください」と招待するのと同じだ。自殺行為だ。

 

「正気ですか提督!中央突破させてやれと言うのですか!?」

 

「ええ。……彼らは勝利の美酒に酔い、速度が乗りすぎている」

 

ヤンは、モニター上の矢印(帝国軍)を指でなぞる。

 

「前のめりになりすぎているんです。早く私を倒したくて、早く家に帰りたくて(これはラインハルトの事情だが)、ブレーキの存在を忘れている」

 

ヤンはニヤリと笑う。それは、人の悪い手品師の笑みだ。

 

「今の彼らは、暴走する猛牛……いや、ブレーキの壊れたダンプカーです。そんなものを正面から受け止めたら、こちらも木っ端微塵になります」

 

「だ、だから避けるのですか?」

 

「避けるのではありません。『通す』のです。……暖簾のように」

 

ヤンは両手を合わせ、それを左右に開くジェスチャーをする。

 

「敵が突っ込んできたら、サッと道を開ける。敵は勢い余って、何もない空間を突き抜けるしかありません。……止まれませんよ、あの速度では」

 

フィッシャーが、ゴクリと唾を飲む。理屈は分かる。だが、それを実行するには、敵が鼻先をかすめる恐怖に耐え、一糸乱れぬ統制で道を開く高度な操艦技術が必要だ。

 

「できますね?艦隊運用の名人、フィッシャー提督」

 

「……ちっ。乗せられやすい性格でしてな」

 

フィッシャーは苦笑し、覚悟を決める。

 

「やりましょう!全艦に通達!敵と衝突するギリギリまで引きつけろ!信号弾一発で、左右へ回頭!タイミングを誤れば死ぬぞ!」

 

ヤンは満足げに頷く。

 

「そして……ここからが本番です」

 

彼は、開いた両手を、くるりと反転させる。

 

「通した直後、背面展開します」

 

「背面?」

 

「ええ。敵が通り過ぎた瞬間、我々は反転し、敵の『背後』を取ります。……無防備な背中をね」

 

ヤンの目が光る。魔術師のトリックの種明かしだ。

 

「帝国軍は、前しか見ていない。彼らは我々を突き破ったと思い込み、歓喜するでしょう。……その背後から、至近距離で一斉射撃を浴びせます」

 

「なるほど……!自動ドアのふりをして、通り過ぎた瞬間に後ろからドアで殴りつけるわけですか!」

 

アッテンボローが、野蛮な例えで納得する。

 

「性格悪いっすねえ、先輩!最高です!」

 

「褒め言葉として受け取っておくよ。……さあ、始めようか」

 

ヤンは指揮官席に深く腰掛ける。アスターテの戦場に、巨大な「自動ドア」が設置される。その先にあるのは、出口ではなく、地獄の一丁目だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「抜けた!敵陣中央、突破しました!」

 

オペレーターが明るい声で叫ぶ。その言葉通り、目の前のモニターに映る第13艦隊の陣形は、モーゼが海を割るように、綺麗に左右に開いていた。抵抗らしい抵抗は皆無。ビームの一発も飛んでこない。あまりにもスムーズな通過。

 

「……フン」

 

ラインハルトは、勝ち誇った笑みを浮かべようとした。だが、その笑みは頬の途中で凍りついた。

 

違和感。戦いの天才だけが感じる、背筋を氷柱で撫でられるような悪寒。

 

「……脆すぎるな」

 

ラインハルトが呟く。

 

「手応えがない!まるで空気を斬ったようだ。……あのヤン・ウェンリーが、無策で道を開けるだと?怖気づいて逃げたのか?いや、違う!」

 

彼の脳裏に、あの黒髪の昼行灯の顔がよぎる。あいつは、そんなタマじゃない。ティアマトで俺たちを翻弄した男だ。タダで通すはずがない。

 

「まさか!」

 

ラインハルトが振り返った、その瞬間だった。キルヒアイスの悲鳴に近い報告が、艦橋の祝勝ムードを粉々に粉砕した。

 

「ラインハルト様!後方より高エネルギー反応!レーダーが真っ赤です!」

 

「なに!?」

 

「左右に展開していた敵艦が、我々が通過した直後に反転!我々の背後に回り込んでいます!まるで扉を閉めるように!」

 

モニターが切り替わる。そこには、絶望的な光景が映し出されていた。先ほどまで左右でおとなしくしていた第13艦隊の艦艇群が、帝国軍が通り過ぎた瞬間に、くるりと後ろを向き、帝国軍の無防備な背中(エンジン部)に照準を合わせているのだ。

 

「しまった!罠だ!これは『いらっしゃいませ』ではない!『逃がさないぞ』だ!」

 

だが、時すでに遅し。音速で突っ込んできた帝国軍には、急ブレーキなどという器用な真似はできない。慣性の法則という絶対的な神が、彼らを死地へと縛り付けている。

 

 

 

 

 

 

 

同盟軍第13艦隊旗艦《ヒューベリオン》

 

 

 

「(淡々と)……入ったね。綺麗に入った」

 

「フィッシャー提督、ナイス誘導だ。駐車場の警備員でも食っていけるよ」

 

「恐縮です。……しかし、本当に撃ちますか?相手は背中を向けていますが」

 

「武士の情けというやつかい?……残念ながら、私の辞書に『武士道』は載っていないんだ。載っているのは『楽して勝ちたい』という願望だけだよ」

 

ヤンは、カップに残った紅茶を飲み干す。

 

「今だ。全艦、敵の後背に全力射撃。……エンジンを狙え。足を止めれば、あとは的だ」

 

号令一下。宇宙が閃光で埋め尽くされた。

 

ドガガガガガ!!

 

第13艦隊、1万5千隻の一斉射撃。それが、回避運動も防御スクリーンも展開していない帝国軍の背中に、至近距離から突き刺さる。悲鳴を上げる間もない。帝国軍の後衛部隊が、次々と火球に変わる。

 

「うわぁぁぁ!後ろだ!後ろから撃たれた!」

 

「卑怯だぞ!正面から戦え!」

 

「エンジンが!推進力が低下!」

 

帝国艦隊は大混乱に陥る。前のめりに突っ込んでいた彼らは、後ろからの衝撃でつんのめり、陣形はズタズタに引き裂かれる。

 

「敵は冷静だ。後ろを撃たれれば前進(逃亡)しようとするだろう。……人間心理だね」

 

ヤンは、モニターを見ながら次の手を打つ。彼の目は、冷徹なハンターのそれだ。

 

「逃げる先には、蓋をしておかないとね。……アッテンボロー、出番だよ」

 

通信を送る。

 

『了解!待ってました!』

 

第13艦隊の前衛(向かって左翼から回り込んだ部隊)を率いるダスティ・アッテンボロー准将の声が弾む。

 

「前衛艦隊を回頭。2時方向へ転進。敵艦隊の『頭』を押さえろ。T字戦法だ」

 

「了解!伊達と酔狂で、完璧な蓋をしてやりやす!……野郎ども、網を絞れ!大漁だぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝国軍の状況は、悪夢という言葉でも生ぬるい。後ろからは撃たれ、横からは圧迫され、頼みの綱の「前方」への脱出路も、今まさに塞がれようとしていた。

 

「ええい!前へ抜けろ!後ろを取られたなら、前に出るしかあるまい!速度を上げて突破しろ!」

 

ラインハルトが吼える。後退は不可能。ならば前進あるのみ。彼の判断は間違っていない。普通の敵なら、この突撃で突き破れるはずだった。

 

だが、今日の敵は「普通」ではない。、ヤン・ウェンリーの知恵が詰め込まれた、特製トラップなのだ。

 

「だ、ダメです!前方に敵艦隊展開!壁です!厚い壁が立ちふさがっています!」

 

オペレーターの悲鳴。ラインハルトが視線を向けると、そこにはアッテンボロー率いる分艦隊が、帝国軍の進路を塞ぐように横一列に展開していた。海戦で言うところの「T字有利」帝国軍は縦一列(点)、同盟軍は横一列(線)火力の集中度において、勝負にならない。

 

「完全に頭を押さえられました!前も後ろも塞がれています!」

 

「なっ……!?」

 

ラインハルトが絶句する。袋のネズミ。いや、ミキサーの中のトマトだ。

 

 

「(カップの紅茶を揺らしながら)……包囲完了」

 

ヤンは、完成した包囲網(キリング・ボックス)を満足げに眺める。帝国軍は、狭い宙域に押し込められ、身動きが取れなくなっている。

 

「十字砲火(クロスファイア)、開始。……殲滅する必要はないが、二度と戦いたくないと思わせる程度には、痛めつけておこう」

 

号令。四方八方からのビームの雨。それは、帝国軍にとって地獄の釜の蓋が開いた瞬間だった。

 

通信回線が、帝国提督たちの悲鳴で埋め尽くされる。

 

「(悲鳴)ひいいい!左舷、右舷、後方、前方!全方位から撃たれています!どこを向いても敵だ!防御スクリーン飽和!持ちません!」

 

シュターデンが喚く。彼の理屈では、こんな状況はあり得ない。

 

「戦術の常道では、包囲された場合は一点突破が……」

 

などと言っている間に、彼の乗艦は三方向から撃たれて蜂の巣になりかけている。

 

「(舌打ち)チッ!話が違う!騙された!」

 

ファーレンハイト少将が、コンソールを叩く。彼は、状況を理解しているだけに、その絶望感も深い。

 

「『勝ち戦のハイエナ』のつもりが、俺たちが獲物とはな!ファルケンハイン元帥!あんたの言ってた『人気職場』ってのは、ここが地獄の最前線だから人気(死者多数)って意味だったのかよ!」

 

彼は巧みな操艦で直撃を避けているが、それも時間の問題だ。水色の狼は、檻の中で牙を剥くが、檻の外からの銃撃には無力だ。

 

「(歯噛みして)……おのれ、ヤン・ウェンリー……!」

 

ラインハルトは、アームレストを握りしめる。 ミシミシと音がする。 美しい顔が、怒りと悔しさで歪む。

 

「俺を、この俺を、ここまで手玉に取るか……!子供扱いか!掌の上か!」

 

彼は気づいたのだ。自分の突撃も、勝利への渇望も、そして部下たちの欲望も。全てが計算され、利用され、この「死の箱」へと誘導されていたことに。

 

「ラインハルト様!このままでは全滅です!撤退のご決断を!」

 

キルヒアイスが叫ぶ。もはや、勝敗は決した。あとは、いかにして被害を抑え、この地獄から脱出するか。だが、プライドの高いラインハルトに、その決断ができるか。

 

「くっ……!」

 

ラインハルトは、モニターに映る《ヒューベリオン》を睨みつける。そこには、きっと涼しい顔で紅茶を飲んでいるであろう、黒髪の魔術師がいる。




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

あなたの心に残ったのはどの場面だったでしょうか。

◆ 暴走する帝国軍の狂気
◆ ヤンの優雅な罠
◆ ラインハルトの燃える激情
◆ あるいは各提督の悲鳴……?

どんな感想でも、物語づくりの励みになります。

帝国と同盟の内乱どちらから見たいですか?

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