銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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宇宙暦790年。自由惑星同盟は四万五千隻という人類史上最大規模の艦隊を動員した。
その矛先は帝国要塞でもなければ、名将ラインハルトでもない。標的はただ一人、アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン。
俗物であるはずの青年が「伏龍」と呼ばれ、民主主義国家を揺るがすほどの脅威とされたのはなぜか。
本章は、戦史家ヤン・ウェンリーの皮肉な視点を通して、その狂騒と滑稽、そして同盟の病理を描く序章である。


たった一人を討つための戦争

宇宙暦790年、帝国暦481年6月。

自由惑星同盟軍、総数四万五千隻の艦隊がハイネセンを発した。その規模は、かつての同盟史上、いや人類史上においても最大級に数えられる。

 

その報は、フェザーン商人たちの通信網を通じて、瞬く間に銀河全域を駆け巡った。

「大規模侵攻か」「イゼルローン要塞への五度目の総攻撃か」──各地の新聞や情報紙は、こぞってそう論じた。だが、そのどれもが誤りだった。

 

今回の大遠征の目的は、ただひとつ。

たった一つの艦隊を撃滅すること。いや、正確には、その艦隊を率いるたった一人の人物を、銀河の歴史から抹殺することにあった。

 

その名は、アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン。

 

 

 

 

 

 

 

 

統合作戦本部の作戦会議室には、歴戦の将官たちが集められていた。緊張と苛立ちが混じり合った空気の中、シドニー・シトレが低い声で口火を切った。

 

「…本当に、やるのかね。たった一個艦隊…いや、半個艦隊を叩くために、三個艦隊を動員するなど、前代未聞だ」

 

シトレの言葉には疑念と疲労が滲んでいた。彼は慎重な将軍である。敵の実力を認めたうえで、最小の犠牲で最大の成果を上げることを是としてきた。だが今回の作戦は、その信念と大きくかけ離れていた。

 

即座にラザール・ロボスが応じる。

「世論がそれを望んでいる。そして、現実問題として、我々はその『たった一個艦隊』に、既に二個艦隊分以上の艦艇と兵士を食い潰されているのだぞ、シトレ君」

 

ロボスの声には、苛立ちと同時に開き直りすら感じられた。彼は戦略家というより政治家肌の軍人だ。市民の支持を失えば、政府も軍も立ち行かなくなる。それを熟知しているがゆえに、彼の発言は常に「世論」という言葉を伴った。

 

さらに、ドワイト・グリーンヒルが言葉を継ぐ。

「フェザーンからの情報によれば、件の『グレイマン艦隊』は、先の戦闘の功績で、さらに半個艦隊規模まで増強されたとのこと。…これ以上、この『伏龍』を野放しにしておくわけにはいきません」

 

「伏龍」──それは、同盟軍内部で密かに用いられているコードネームだった。

姿を隠したまま、しかしひとたび牙を剥けば、数倍の敵を呑み込み、再び深淵に潜む龍。その存在を侮った者は、誰一人として生きて帰らなかった。

 

当初、グレイマン艦隊は帝国軍の数ある部隊の一つに過ぎなかった。イゼルローン方面に配属された、取るに足らない戦力。それが、同盟軍首脳部の最初の認識であった。

 

その認識が覆ったのは、三度目の戦闘報告がもたらされた時だ。

艦数において常に倍する同盟軍の哨戒艦隊が、同じ部隊に三度、立て続けに撃退されたのである。

 

「小規模部隊に、なぜそこまで苦戦したのか?」──その問いに誰も答えられなかった。帝国軍の通常戦術では説明できなかったからだ。

 

その後も、悪夢は続いた。数度にわたり敗退を繰り返すうち、同盟軍内部では、この得体の知れない敵を「ゴールデンバウム王朝が密かに育てていた最精鋭部隊」として位置づけざるを得なくなった。討たねばならない、という強迫観念に近い認識が広がっていったのである。

 

そして、決定的な事件が起こる。

先日、同盟軍6000隻の艦隊が、わずか1500隻のグレイマン艦隊に、事実上の全滅という憂き目に遭ったのだ。

 

損害報告書には、味方の被害は甚大、敵の被害は軽微としか記されていなかった。戦術的な敗北ではなく、存在そのものが否定されたかのような惨敗。将兵の間には「ファルケンハインに狙われれば必ず死ぬ」という言葉すら囁かれるようになった。

 

 

 

それだけなら、ただの敗北として記録されたかもしれない。だが、その直後に発信された通信が事態を決定的なものに変えた。

 

【通信記録の再生音声】

 

「…聞いているか、自由惑星同盟の諸君」

 

艦橋に響いたのは、落ち着き払った低い声だった。

「貴官らを葬ったのは、我がグレイマン艦隊である。しかし、この戦いに勝利したのは、我が参謀、アルブレヒト・フォン・ファルケンハインである。そして、次に勝つのもまた、アルブレヒト・フォン・ファルケンハインである!」

 

声の主は、艦隊司令官グレイマン少将。

だが、強調されたのは自らではなく、若き参謀の名だった。

 

この言葉は、同盟市民にとって忘れがたい響きを持っていた。かつて「730年マフィア」が生んだ不世出の英雄、ブルース・アッシュビー。彼が帝国軍に勝利した際、全銀河に放った有名な言葉を、今や帝国軍の若造が、何の臆面もなくなぞって見せたのだ。

 

その瞬間、通信は挑発から冒涜へと変わった。

同盟市民にとって、アッシュビーは伝説であり、戦争に疲弊する人々の心の支えであった。その遺言とも言える言葉を、門閥貴族の後継者が盗み、嘲笑混じりに利用する。怒りは一気に燃え上がった。

 

【ハイネセンの酒場/市民の会話】

 

「聞いたか、あの放送!帝国軍のクソ貴族が、アッシュビー提督の言葉をパクりやがった!」

「それを許している政府も軍も情けない!いったい何をやっているんだ!」

「俺たちの息子や兄弟は、あんな奴に殺されたのか!」

 

酔いどれた声ではなく、憤怒に震える声が、酒場から街路へと広がった。新聞は大々的に報じ、ラジオも繰り返し流した。もはやこれは軍事問題ではなく、国家的な侮辱事件だった。

 

 

選挙を間近に控えた同盟政府にとって、この世論の悪化は致命的だった。野党は「政府は帝国の挑発に屈した」と非難し、街頭デモでは「ファルケンハインを討て」のシュプレヒコールが響いた。

 

軍部もまた、放置は不可能と判断せざるを得なかった。

というのも、翌年にはイゼルローン要塞の第五次攻略作戦が予定されていたからだ。その背後を脅かす存在を抱えたまま、大規模作戦に挑むことはできない。もはや「除くべし」という結論しか残されていなかった。

 

シトレは最後まで渋い顔を崩さなかった。

「…あの男一人を討つために、これだけの兵を賭けるのか。勝っても負けても、同盟の未来は暗いぞ」

 

それでもロボスは押し切った。

「勝てばよい。それだけだ。我々は勝つために存在する」

 

 

静まり返った室内に、言葉が突き刺さる。

もはや討伐は、軍事的必然であり、政治的パフォーマンスでもあった。

 

 

こうして、自由惑星同盟軍は決意する。

この脅威、除くべし、と。

 

出撃するのは、同盟軍が誇る最精鋭。

シドニー・シトレ大将率いる第八艦隊。

ラザール・ロボス大将率いる第六艦隊。

そしてドワイト・グリーンヒル中将率いる第四艦隊。

 

合計四万五千隻。

同盟史上かつてない規模の遠征艦隊。

 

その標的は、帝国軍の一艦隊でも、要塞でもなかった。

たった一人の参謀──アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン。

 

 

これは、後に『伏龍』と称されることになるファルケンハイン艦隊──否、アルブレヒト・フォン・ファルケンハインという一人の男が、自由惑星同盟と、銀河の歴史書に永遠に刻まれる戦いを繰り広げる、その前段の物語である。

 

 

 

 

 

 

 

(ヤン・ウェンリー視点)

 

私の人生はいつも皮肉に満ちている。士官学校を出て歴史家になるつもりが、気づけば最前線で軍服を着ている。そんな私が今いるのは、自由惑星同盟が人類史上最大級の艦隊を動員してまで挑もうとしている、馬鹿げた戦争の渦中だ。標的は帝国軍の一艦隊。正確に言えば、その艦隊にいる一人の参謀──アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン。笑えるだろう?いや、笑うしかない。

 

シドニー・シトレ大将は「本当にやるのか」と渋面でつぶやいた。私は心の中で「やめといた方がいいですよ」と答えていた。もちろん口には出さない。軍人は命令に従う機械であって、理屈を言う学者じゃない。もっとも私はその両方を兼ねてしまったせいで、いつも胃が痛い。

 

ロボス大将は「世論が求めている」と言った。世論。ああ便利な言葉だ。政治家も軍人も、それさえ持ち出せば責任を回避できる。世論が求めているから戦争をする、世論が怒っているから兵を動かす。ならいっそ、議会の椅子に市民を一人ずつ座らせて、ボタンを押すたびに艦隊を出撃させればいい。軍人なんて要らなくなる。いや、それでも私の立場は変わらないか。歴史家として「この国は民意という名の怪物に呑まれて自壊した」と記録するだけだ。

 

グリーンヒル中将は「伏龍を放置できない」と真顔で言った。伏龍。実に大げさな渾名だ。龍だろうが貴族の若造だろうが、結局は一人の人間にすぎない。だが、こちらはその人間を討つために四万五千隻の艦艇を動かす。これが自由惑星同盟の理想の果てか。

 

原因はあの通信だ。グレイマン少将が、アッシュビー提督の有名な言葉をパクって全銀河に流した。帝国側はただの挑発のつもりだったかもしれない。だが同盟市民にとっては信仰を侮辱されたも同然だった。結果、街頭には「ファルケンハインを討て」のプラカードが溢れた。英雄の名言を盗まれたから艦隊を動かす──こんな馬鹿げた理由で死ぬ兵士たちに、私は何と声をかければいい?

 

私は艦隊が出撃する瞬間、窓越しに四万五千隻の光を眺めた。壮観だ。歴史家の目で見れば、人類史に残る大遠征の始まりだろう。だが軍人の心で見れば、これは巨大な葬列だ。数十万人の若者が、自分の意思ではなく命令と世論に押し流されて死地に向かう。その死は、自由を守るためか?いや、自由惑星同盟政府が選挙で勝つためだ。

 

私は皮肉を言うのが癖になっているが、心の底ではもう笑えなくなっていた。勝っても負けても、この国は暗い未来に進むだけだ。もし勝てば、世論は「まだやれる」と錯覚し、さらなる無謀を要求するだろう。もし負ければ、四万五千隻の屍が銀河に漂うだけだ。どちらに転んでも歴史家としては書くことに困らない。だが、書く前に私が死んでしまえばどうしようもない。

 

シトレ大将は最後に「勝っても負けても未来は暗い」と呟いた。その通りだと思う。だが、その未来を暗くしているのは他ならぬ我々自身であり、民主主義という名のシステムだ。多数派の怒りが合理を押しつぶし、軍を暴走させる。皮肉なことに、それを止める仕組みはどこにもない。

 

出撃の途上で、私は考えた。もし私が戦史家として未来の教壇に立てたら、こう語るだろう。「人類史上最大級の艦隊は、帝国の一人の青年将校を討つために動員された。結果はともあれ、それは自由惑星同盟という国家の病理を示す象徴だった」と。だが私はまだ生きているし、この戦争に巻き込まれている。生きて帰れる保証はない。

 

アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン──私は彼の顔を知らない。だが、間もなく嫌でも知ることになる。会う場所は戦場。お互いに、歴史に名前を残すための最悪の舞台で。

 

願わくば、私は彼より長生きして、この茶番を記録に残したい。歴史家の皮肉な願いとして。




アルはまだ何もしていない。だが「してしまったこと」にされている。
一人の青年貴族の名を口実に、同盟は世論に突き動かされ、四万五千隻の艦艇を死地へ送り出した。
勝っても負けても、犠牲の山は避けられない。
ここに描かれるのは、銀河帝国の強大さでも、同盟軍の勇敢さでもない。むしろ「民意」という怪物に支配された国家の悲喜劇である。
歴史家のヤンは苦笑するだろう。「これは茶番だ」と。
しかしその茶番は、数十万の命を呑み込む。
──そして、その中心には、俗物でありながら英雄に祭り上げられたファルケンハインが立っていた。

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