銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
そんなハイネセンの夜に、ひっそりと扉を開く店がある。
高級クラブ〈女神の吐息〉
そこで遭遇するのは
・英雄ヤン・ウェンリーの社会不適応
・猛牛ホーランドの豪快な笑い
・シェーンコップの優雅すぎる暴力
・そして――国家を揺るがす男、ヨブ・トリューニヒト
戦場では見えない彼らの素顔と腹の底が交差する一夜。
政治と軍事、笑いと恐怖、俗物と英雄が入り混じる、不思議な宴をご堪能ください。
高級クラブ 女神の吐息
床には、顎を砕かれた男Aと、鳩尾を潰された男Bが転がっている。彼らは、トリューニヒト派の軍人崩れという、権力を笠に着た最もタチの悪い人種だ。痛みにのたうち回っていた彼らだったが、羞恥心と逆上によって、軍人として決して超えてはならない一線を踏み越えようとしていた。
「き、貴様ぁ……!」
男Aが、砕かれた顎を押さえながら、ふらりと立ち上がる。その目は血走り、殺意に濁っている。
「ただで済むと思うなよ……!俺たちに恥をかかせやがって!」
彼の手が、懐に伸びる。そこから引き抜かれたのは、黒光りする軍用ブラスターだった。 酒場での喧嘩ではない。殺し合いのスイッチが入った瞬間だ。
「殺してやる!ここでハチの巣にしてやる!」
男Bも痛みをこらえ、同様に銃を構える。店内の客から悲鳴が上がる。ホステスたちがテーブルの下に隠れる。シェーンコップは眉一つ動かさず、グラスを揺らしているが、その瞳は冷徹に射撃のタイミングを計っている。
だが。引き金が引かれるよりも早く、その場の空気を凍りつかせる「声」が響いた。
「――やめ給え」
決して大声ではない。怒鳴り声でもない。だが、よく通る、磁力を持ったバリトンボイス。喧騒を鋭利なナイフのように切り裂き、男たちの指を止めるには十分な威圧感を持っていた。
「ここで撃てば、普通に殺人未遂だ。……器物損壊と暴行ならもみ消せるが、殺人は少々、事務処理が面倒でね」
男たちの動きが止まる。視線が、声の主を探して泳ぐ。
「それに、安いチンピラのような真似で私の名前を使われるのは、少々心外だな。……私の身にもなってくれたまえよ。支持率が下がったらどうしてくれるんだね?」
フロアの奥。一段高くなったボックス席の影から、一人の男がゆっくりと立ち上がった。 ラフなジャケット姿。ノーネクタイで、手には最高級のスコッチが入ったグラス。照明を受けて浮かび上がるその整った顔立ちは、ポスターやテレビで見ない日はない、同盟市民なら誰もが知る「あの男」だった。
「い、委員長閣下!?」
男Bが、幽霊を見たような声を出す。銃を取り落としそうになる。
ヤンは、ソファの影からそっと顔を出し、絶望的なため息をついた。
「(絶句)……嘘でしょう。……なぜ、ここにラスボスがいるんですか」
そこに立っていたのは、ヨブ・トリューニヒト国防委員長その人だった。ヤンの最も会いたくない人間ランキング、堂々の第一位。
「ヨブ・トリューニヒト……?なぜこんな店に……」
本来なら公務で忙しいはずの最高権力者が、お忍びで、しかもチンピラが暴れるようなタイミングで居合わせるとは。神様の脚本は、悪趣味すぎる。
「か、閣下!良い所に!」
男Aが、すがりつくように叫ぶ。彼は、自分の親分が登場したことで、形勢逆転だと思い込んだのだ。浅はかすぎる。
「聞いてください!この男が!我々に抵抗し、暴力を振るったのです!我々はただ、市民との交流を……!」
「黙りたまえ」
トリューニヒトは、冷ややかな視線で男を見下ろす。その目は、汚物を見る目だ。
「(冷ややかな目で)いや、私も店の中にいたのだから、顛末は知っている。見ていたよ、最初から最後まで」
彼はグラスを傾ける。
「先に女性に手を出したのは君たちだ。嫌がる女性の手首を掴み、強引に連れ出そうとした。……婦女暴行未遂、および強要罪。立派な犯罪だ」
「そ、それは……!」
「それに、君たちは言ったね?『トリューニヒト委員長の直属だ』と」
トリューニヒトの声が低くなる。
「私の名前は、そんな安っぽいナンパの道具ではないのだがね。……ブランドイメージが傷つく」
彼がパチンと指を鳴らす。その合図と共に、店の影、柱の裏、そしてカウンターの中から、黒服の男たちが音もなく現れた。屈強なSPたちだ。彼らはプロの手際で、銃を持ったまま呆然としている男Aと男Bに詰め寄り、一瞬で関節を極めて取り押さえた。
ガシャーン!銃が床に落ちる。
「ぐあああっ!離せ!俺たちはトリューニヒト委員長の……!」
トリューニヒトは、氷の微笑を浮かべる。
「大人しくSPに捕まり、軍法会議に出頭し給え。……私の名前を出した以上、情状酌量は期待しないことだ。厳罰に処すよう、私から直接、法務局に電話を入れておく」
「そ、そんな!閣下!お助けを!」
「連れて行け。……店の空気が悪くなる」
トリューニヒトが手を振る。男たちは、SPに引きずられ、青ざめた顔で店の裏口へと連行されていった。あっけない幕切れ。悪徳軍人が、より巨悪な政治家によって裁かれた瞬間だった。
◆
店内に、安堵の空気が広がる。だが、まだ緊張は解けない。トリューニヒトが、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくるからだ。彼は、ヤンたちが座るVIP席の前に立つと、シェーンコップに向き直った。
「(シェーンコップに向き直り)……済まなかったね、大佐。私の不徳の致すところだ。店内の空気を悪くした」
謝罪。だが、その態度は堂々としており、微塵も卑屈さがない。
「君は、ローゼンリッターのワルター・フォン・シェーンコップ連隊長だね。……噂は聞いているよ。亡命者の星、同盟軍最強の白兵戦技を持つ男」
トリューニヒトは、シェーンコップを値踏みするように見る。
「よく軍人の面汚しを殴ってくれた。……爽快だね!あれは。見ていてスカッとしたよ」
彼は笑う。自分の部下が殴られたことを、エンターテインメントとして楽しんでいたようだ。
「(警戒を解かず、しかし不敵に笑い)……これはこれは、委員長閣下」
シェーンコップは、立ち上がって軽く会釈する。敬礼ではない。あくまで社交場の挨拶だ。
「配下の教育につきましては、僭越ながら口を……いや、拳を出させていただきました。出過ぎた真似をお許しください」
「構わんよ。躾のなっていない犬には、痛みが一番の薬だ。……私が手を汚さずに済んで、感謝しているくらいだ」
トリューニヒトは、空いたグラスをウェイターに差し出し、おかわりを要求する。
「いやはや、閣下も風紀を取り締まるお立場のご苦労をお察しします」
シェーンコップは皮肉を混ぜる。
「しかしながら……随分と部下には甘い汁を吸わせておられるのですな。あんな増長した輩が『直属』を名乗るとは。……飼い主の顔が見てみたいものですな」
目の前にいる飼い主に向かって、強烈なジャブだ。ヤンが「ひいっ」と小さく悲鳴を上げる。だが、トリューニヒトは怒るどころか、深く頷いた。
「(肩をすくめ)まったくだよ。耳が痛い」
彼は苦笑する。
「横暴な部下は婦女暴行を働き、その上司たる委員長本人は、こうして高い酒を飲んだくれている。腐敗の極みだ。ますます悪徳政治業者がはびこり、同盟の未来も心配といったところだね」
「(小声で)……自分で言いますか、それを」
ヤンがツッコミを入れる。この男、自分の悪評すらネタにして笑い飛ばす胆力がある。 「自分は清廉潔白だ」と嘘をつく政治家より、よほどタチが悪い。
「なるほど……。自覚症状がおありなら、まだ救いはありますかな」
シェーンコップも、毒気を抜かれたように笑う。この政治家、ただの俗物ではない。自分の「悪」を客観視し、それを武器にする術を知っている。
「それではどうです?いっそのこと政治家なんぞ引退して、飲食店の経営でも始められては?客あしらいと、トラブル処理の手際を見る限り、天職かと存じますが」
「(爆笑)ハハハ!それは面白い!」
トリューニヒトが、腹を抱えて笑う。
「第二の人生としてなら、それも良いかもしれないな。『悪徳政治家の隠れ家』という店名で、裏メニューばかり出す店なんてどうだ?流行りそうだ」
「予約が殺到しそうですな」
「ありがとうシェーンコップ大佐。貴官のおかげで、今夜は不味い酒が美味い酒に変わりそうだ」
トリューニヒトは、シェーンコップの肩をポンと叩く。 そして、彼はバチンとウインクを送ると、くるりと回れ右をして、店内の客たちに向かって両手を広げた。
「お客の皆さん!お騒がせして申し訳ない!今夜は少々、無粋な真似をして失礼致しました!」
よく通る声。演説モードだ。彼は、この場の「空気」を完全に支配下に置いた。
「お詫びと言ってはなんですが、今夜は皆さんの分の勘定も、私、国防委員長ヨブ・トリューニヒトが持ちましょう!」
「えっ?」
「マジで?」
客たちがざわめく。この店は高級クラブだ。客全員分の勘定となれば、家が一軒建つほどの金額になる。
「もちろん!」
トリューニヒトは、悪戯っぽく人差し指を立てる。
「支払いは国民の血税を……ではなく!私の自腹です!」
ドッと笑いが起きる。ブラックジョークだ。
「何分、世間で噂の悪徳政治家なので、裏金……いや、へそくりのポケットマネーだけは潤沢でしてね!今日はその一部を、社会に還元させていただこうと思います!」
彼は、懐からブラックカードを取り出し、高々と掲げる。
「さあ、飲んでください!歌ってください!今夜の平和と、美女の笑顔のために!楽しんでいきましょう!」
「おおーっ!!」
「太っ腹!」
「トリューニヒト最高!」
「よっ、悪徳政治家!!」
大歓声。拍手喝采。客たちは、彼が「悪徳」であることを公言したにもかかわらず(いや、公言したからこそ)、その豪快さと人間味(?)に魅了されている。「金払いのいい悪党は、ケチな善人より好かれる」という、大衆心理の真髄だ。
「(大歓声の中)……なんという人心掌握術だ」
ヤンは、頭を抱えてテーブルに突っ伏す。
「毒を飲ませて、薬と言いくるめるような……。いや、毒だと分かっていても飲みたくなるような、甘い蜜だ」
◆
「やあ、英雄諸君。席を詰めてくれるかな?」
トリューニヒトは、まるで自分の家のリビングに帰ってきたかのような気安さで、ヤンたちのテーブルに割り込んできた。彼は、ヤンの隣に座っていたホステスに目配せし、席を空けさせる。そして、当然のようにヤンの隣にドカッと腰を下ろした。
ヤンの顔面から、さらに血の気が引く。右に猛牛(ホーランド)左に悪徳政治家(トリューニヒト)正面に不良(シェーンコップ)完全に包囲されている。イゼルローン要塞の主砲に狙われる方が、まだ精神衛生上マシかもしれない。
「(居心地悪そうに)……あの、委員長閣下。……私のような一介の軍人の席に座られるのは、その、周囲の誤解を招くといいますか……」
ヤンは、必死に拒否反応を示す。だが、トリューニヒトは、新しく運ばれてきたグラス(最高級ブランデー)を手に取り、優雅に香りを嗅ぐだけだ。
「何を言うんだね、ヤン提督。君は国の宝だ。私が隣に座るのは、宝を守るガードマンのようなものだよ」
「……ガードマンというより、看守に見えますが」
「ハハハ!辛辣だねえ」
トリューニヒトは笑う。彼は、ヤンのような「扱いにくい部下」をいじるのが好きらしい。
「どうだね?次のイゼルローン攻略は……落とせそうかね?ヤン提督」
彼は、単刀直入に聞いてくる。その目は笑っているが、奥底は冷徹に計算している。
ヤンは、グラスの縁を指でなぞりながら、少し考えてから答えた。
「……何分、予算がおりませんので。借金もできず苦労しております」
皮肉だ。予算を削った張本人(の一人)に対する、精一杯の嫌味だ。軍票を刷る紙代すら惜しいと言われた今回の作戦。現場の苦労を知れ、と言いたいところだが。
「それは財務委員長のレベロに言ってくれ」
トリューニヒトは、即座に責任を転嫁する。ボールを受け止める気すらない。
「私のポケットマネーでは、せいぜいこのバーの客の勘定を持つのが精々だよ。戦艦一隻の燃料代にもなりゃしない」
彼は、さっきの「全額おごり」パフォーマンスを引き合いに出す。確かに、一個人の財布としては破格だが、国家予算と比べれば端金だ。それを同列に語るあたりが、この男のふてぶてしさだ。
「(酔いも手伝って)……委員長閣下は、今回の作戦を反対なされたと聞きましたが」
ホーランド大将が、顔を赤くしながら割り込む。彼はすでにボトルを半分ほど空けており、相手が国防委員長だろうが皇帝だろうが、絡んでいくスタイルになっている。
「意外でしたな。閣下といえば、『強い同盟』を掲げて、イケイケドンドンの主戦論をぶち上げるのがお約束でしょう?……何か、悪いもんでも食ったんですか?」
失礼すぎる。だが、トリューニヒトは怒らない。むしろ、「よくぞ聞いてくれた」という顔をする。
「シェーンコップ大佐」
彼は、正面のシェーンコップに話を振る。
「人気取りも大変ですな。……時には平和主義者のフリをするのも、票のためには必要だと?」
シェーンコップが、先読みして答える。彼は、この政治家の本質を「カメレオン」だと見抜いている。
「(悪びれず)その通りだよ。……人気取りをしないと、選挙で当選できないのだよ。これが民主主義のコストだ」
トリューニヒトは、両手を広げる。
「市民は勝手なものだ。『戦争に勝て』と言うくせに、『死ぬのは嫌だ』と言う。『税金を下げろ』と言うくせに、『福祉を充実させろ』と言う。……その矛盾した欲望を全て肯定し、『任せなさい』と言ってやるのが、政治家の仕事だ」
彼は、政治を「サービス業」だと定義している。客(市民)が望むなら、毒でも皿に盛る。それが彼の流儀だ。
「……その点、シェーンコップ大佐。貴官はいい」
トリューニヒトが、シェーンコップを指差す。
「甘いマスク。渋い声。そして、先ほどの喧嘩で見せたパフォーマンス能力。……弁舌の才能もあるようだ。女性票は確実に獲得できそうだね」
スカウトだ。まさかのヘッドハンティング。
「退役したら私の事務所に来ないか?秘書から始めよう。……君なら、3年で市議会議員、10年で国会議員になれる。私が保証しよう」
「……ほう」
シェーンコップは、面白そうに眉を上げる。
「悪くない話ですな。……軍人の年金よりは、実入りが良さそうだ」
「だろう? 裏金……いや、政治活動費の使い方も、手取り足取り教えてやろう」
悪魔の誘惑。だが、シェーンコップは、ふっと笑ってグラスを置いた。
「遠慮しておきましょう」
きっぱりと断る。
「私は、泥棒(攻略部隊)の方が性にあっています。……政治家のように、笑顔で握手しながら相手のポケットから財布を抜くような高等技術は持ち合わせておりません。私は、窓ガラスを割って堂々と押し入る方が好きですので」
「ハハハ!泥棒か!それはいい!」
トリューニヒトは爆笑する。振られたのに、むしろ楽しそうだ。彼は、自分になびかない「骨のある男」が嫌いではないらしい。(ただし、自分の地位を脅かさない範囲に限るが)
◆
笑いが収まると、トリューニヒトは少し声を落とした。店内の喧騒は続いているが、このテーブルだけ、空気が一段冷えた気がした。
「……まあ、今回の作戦についてだがね」
彼は、グラスの中の氷を見つめながら言う。
「予算が少ないとか、準備期間が短いとか、そんなことは些末な問題だ。……私が本当に心配しているのは、別のことだ」
「別のこと?」
ヤンが聞き返す。
「『もしも攻略できてしまったら?』……というところだよ」
トリューニヒトの瞳が、爬虫類のように細められる。
ヤンは首を傾げる。攻略できたら?それは大勝利であり、ハッピーエンドではないのか?
「どういうことです?要塞を占領すれば、帝国への強力な圧力になります。戦略的優位に立てば、和平なり休戦なりも有利に進められるはずですが」
ヤンは、軍事的な正論を述べる。イゼルローンを取れば、帝国軍は簡単には侵入できなくなる。そうすれば、同盟は枕を高くして眠れるはずだ。
「甘いな、ヤン提督。……君は戦術の天才だが、政治に関しては赤ちゃんだ」
トリューニヒトは、チッチッと指を振る。
「選挙が近いからだ」
「選挙……」
「……なるほど。読めたぞ」
ホーランドが、ウイスキーのグラスを置いて唸る。彼もまた、伊達に長く組織にいるわけではない。政治の腐臭には敏感だ。
「そうだ。……もし今回、奇跡的にイゼルローンを占領したとしよう。国民は熱狂する。マスコミは『同盟軍最強!』と書き立てる。……そして、その次には総選挙が控えている」
トリューニヒトは、未来を予言するように語る。
「支持率に悩むサンフォード議長あたりは、こう思うだろう。『この勢いで、さらに大規模な帝国領侵攻を行い、勝って選挙も圧勝しよう』とね」
ヤンの背筋に、氷柱を突っ込まれたような寒気が走る。あり得る。いや、今の同盟政府なら、100%そうする。イゼルローンを取って満足して和平を結ぶなんて、そんな理性的な判断ができるはずがない。「もっと寄越せ」「次は帝都だ」と、欲望がエスカレートするに決まっている。
「(背筋が寒くなり)……あり得ますね。いえ、確実にそうするでしょう」
ヤンの顔が歪む。イゼルローン攻略が成功すれば、それは「終わりの始まり」になる。 さらなる泥沼の遠征。補給線の伸びきった敵地への深入り。それは、破滅への片道切符だ。
「それで負けてみたまえ」
トリューニヒトは、淡々と続ける。
「無理な遠征を行えば、必ずボロが出る。補給線が切られ、大敗北だ。アスターテの比ではない数の兵士が死ぬだろう」
彼は、自分の首筋を手刀で切る真似をする。
「そうなれば、どう考えても国防委員長の私にとって百害あって一利なしだ。……『なぜ止めることができなかったのか』『作戦の見通しが甘かったのではないか』と追及される」
「……」
「責任を取らされて閣僚を追われ、閑職に左遷……。それこそ、甘い汁も吸えなくなるというものでね。……私のポケットマネーが枯渇してしまう」
結局、そこか。兵士の命や国の未来よりも、自分の財布と地位が心配なのだ。そのための「反対」だったのだ。「勝って調子に乗って自滅するくらいなら、最初から何もしない方がマシだ」という、究極の保身。
「(ため息)……保身のためですか」
ヤンは、深く、深くため息をつく。この国のトップが、こんな思考回路で動いている。絶望を通り越して、乾いた笑いが出てくる。
「衆愚政治の極みですね。……民主主義が泣いていますよ」
「(ニヤリ)……現職の閣僚の前でそのセリフを言える君の度胸は買うが」
トリューニヒトは、ヤンの批判を柳のように受け流す。彼は、批判されることに慣れすぎている。
「だがね、ヤン提督。……君は政治を批判する前に、やるべきことがあるんじゃないかね?」
「は?」
トリューニヒトの視線が、ヤンの手元に向けられる。ヤンは、無意識のうちに、隣のホステスから距離を取ろうとして、ソファの端っこにへばりついていた。まるで、借金取りに怯える小市民のように。
「女性に免疫の一つもつけたらどうだね?さっきからホステスの視線に怯えているじゃないか」
「……ッ!!」
不意打ちだ。 政治論争だと思っていたら、いきなりプライベートな弱点を刺された。
「彼女は君を『可愛い』と言ってくれているのに、君は『刺されるんじゃないか』という顔をしている。……英雄が聞いて呆れるよ」
「…………………(撃沈)」
ヤンは、言葉を失う。反論できない。事実だからだ。
「くくっ!これは一本とられましたな、提督」
◆
「(机を叩いて笑い)ガハハハハ!!委員長閣下も、話の分かるお人だ!」
猛牛の咆哮が、防音壁を震わせる。彼は、目の前にいるのが、ついさっきまで「国を腐敗させる元凶」と呼んでいた政治家であることを、完全に棚上げにしている。彼にとって重要なのは、「今、誰が酒を奢ってくれるか」と「誰が面白いか」の二点だけだ。その点において、ヨブ・トリューニヒトは合格ラインを軽々と超えている。
「政治信条はともかく、酒の席では最高だ!敵(帝国)を倒す前に、まずは味方の肝臓を鍛える!これぞ軍人の本懐!」
ホーランドは、なみなみと注がれたウイスキーを一息で飲み干す。その飲みっぷりは、給水所のマラソンランナーのようだ。
「ハハハ、そうそう!その通りだよ、猛牛提督!」
トリューニヒトもまた、上機嫌でグラスを掲げる。彼の顔には、政治的な駆け引きの時に見せる冷徹な仮面はない。あるのは、悪友と悪だくみをする時の、少年のように無邪気(かつ邪悪)な笑顔だ。
「酒の席で陰鬱な政治の話は厳禁だ!支持率だの、予算だの、選挙だの……そんな言葉を口にした者は、罰として一気飲みだ!」
トリューニヒトは、自らルールを制定する。彼は知っている。人は、共犯関係になることで最も親密になれるということを。そして、この場の全員を「酔っ払い」という共犯者に仕立て上げようとしているのだ。
「もっと景気のいい話をしようじゃないか!未来の希望とか、金とか、女とかね!人生を彩る三原色だ!」
「お心あたりがお有りで?」
シェーンコップが、身を乗り出す。彼は、獲物の匂いを嗅ぎつけたハイエナのように鼻を動かす。この政治家が、ただの精神論で場を盛り上げようとしているわけではないことを、本能的に察知しているのだ。
「そうさな……」
トリューニヒトは、勿体ぶった手つきで、ジャケットの内ポケットに手を入れる。そこから取り出されたのは、一枚のカードだった。漆黒のボディ。その表面には、複雑な幾何学模様と、金のエンボス加工が施されている。照明を受けて、妖しく、そして重厚な輝きを放つその物体。
銀行の発行する、最上位ステータスのクレジットカード。通称、ブラックカード。利用限度額無制限。戦車すら買えるという都市伝説を持つ、資本主義の最終兵器だ。
パァァン!!
トリューニヒトは、それをテーブルの中央に叩きつける。まるで、ポーカーでロイヤルストレートフラッシュを提示するかのように。
「とりあえず今夜は、『国防委員長閣下の財布を包囲殲滅する任務』を貴官らに与える……というのはどうかね?」
彼の口元が、ニヤリと吊り上がる。それは、国家予算を私物化する悪徳政治家の顔であり、同時に、気前のいいパトロンの顔でもある。究極の二面性。だが、今の彼らにとって、これほど魅力的な「作戦命令」はない。
「(敬礼)イエッ・サー!」
シェーンコップが、バネ仕掛けの人形のように立ち上がり、ビシッと敬礼する。その敬礼の角度は、ヤンに対して行う時よりも鋭く、美しい。
「その任務、ローゼンリッターが全力で遂行いたします!我々は破壊工作のプロフェッショナルですが、財布の破壊に関しても一流の腕を持っております!」
シェーンコップは、黒服のウェイターに向かって指を鳴らす。
「おい、ボーイ!聞こえたか!今夜のスポンサーは、同盟一の太っ腹だ!一番高いボトルを持って来い!いや、店にある高い酒を、値段の高い順に全部だ!」
「ぜ、全部ですか!?」
ウェイターが悲鳴を上げる。とんでもない注文だ。総額がいくらになるか想像もつかない。
「構わんよ。……私の信用(クレジット)が尽きるか、君たちの肝臓が尽きるか、勝負といこうじゃないか」
トリューニヒトは、余裕しゃくしゃくで頷く。彼の「へそくり」がどれほど潤沢なのか、底が見えない。軍事機密費の流用か?それとも、ロビー活動の裏金か?詮索するのは野暮というものだ。
「ガハハハ!望むところだ!」
ホーランドが、テーブルを叩いてリズムを取る。
「突撃だ!敵(ブラックカード)本陣へ突入せよ!完膚なきまでに使い果たしてやる!」
宴のボルテージが最高潮に達する。男たちの野太い歓声と、ホステスたちの黄色い悲鳴(歓喜)が入り混じる。
その喧騒の片隅で。ヤンは、一人、死んだ魚のような目でブラックカードを見つめていた。
「……はぁ」
ため息が出る。深い、深い、マリアナ海溝よりも深いため息だ。
「(やけくそで)……もうどうにでもなれ」
ヤンの理性の堤防が決壊する。これ以上、常識や倫理を説いても無駄だ。相手は、猛牛と、不良と、ラスボス(悪徳政治家)なのだ。多勢に無勢。民主主義の敗北だ。
「……私も飲みますよ!飲めばいいんでしょう!」
ヤンは、テーブルの上のブランデーボトルをひっ掴む。グラスになど注がない。ラッパ飲みだ。普段の彼からは考えられない、自暴自棄な行動。
「毒を食らわば皿までです!……委員長閣下の裏金で飲む酒が、こんなに美味いとは!ちくしょう!」
「おお!ヤンが覚醒したぞ!」
ホーランドが喜ぶ。
「そうだ!それでこそ俺のライバルだ!飲め!明日の二日酔いなど、ブラックホールに投げ捨てろ!」
「乾杯!腐敗した民主主義と、それに寄生する我々に!」
シェーンコップが、痛烈な皮肉を込めて乾杯の音頭を取る。
「乾杯!!」
数時間後。店を出た彼らが、千鳥足でハイネセンの街を練り歩き、警察に補導されかけるという恥ずかしいエピソードが追加されるのだが、それはまた別の話である。
歴史には残らない、しかし彼らの記憶(の一部)には強烈に刻まれる、最低で最高の夜だった。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
もしよければ、ぜひ皆さまの感想を伺いたいです。
どのキャラが一番輝いていましたか?
トリューニヒトの描写はアリでしたか?
ヤンの情けなさは可愛かったでしょうか?
ホーランド・シェーンコップの活躍は楽しめましたか?
あなたの一言が、次に書く夜の物語のガソリンになります。
帝国と同盟の内乱どちらから見たいですか?
-
銀河帝国
-
自由惑星同盟