銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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イゼルローン回廊は、銀河でもっとも血なまぐさい宇宙の一本道です。
しかし、今日の回廊で展開されるのは、血煙ではなく――錯覚と深読みとすれ違い。

本章では、帝国側の「鋭すぎる少女提督」と「論理の権化の参謀」、そして同盟側の「魔術師」と「猛牛」が、それぞれまったく別方向に思考を暴走させながら、見事にすれ違っていきます。

戦術と心理、誤解と確信が絡み合い、静かな宇宙がひとつの巨大な舞台装置に変わる――
そんな銀英伝らしい混沌を、どうぞお楽しみください。



マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマ―中将

【挿絵表示】



猛牛の演説と、少女が見落とした『時間差』

イゼルローン回廊

 

ここは、銀河帝国と自由惑星同盟を結ぶフェザーン回廊を除けば唯一の航路であり、無数の将兵の血と涙、そして残骸が漂う宇宙の墓場である。

 

だが、今日の回廊は少し様子が違っていた。

 

「助かった!感謝する、友軍よ!」

 

「エンジン出力低下!もうダメかと思ったぞ!」

 

通信回線から流れてくるのは、帝国軍巡洋艦からの悲痛な感謝の言葉だった。

 

もちろん、その中身が「同盟軍最強の不良集団(ローゼンリッター)」であることなど、帝国軍の誰も知らない。彼らは、傷ついた友軍艦を優しく抱擁するように陣形を組み、要塞への帰還ルートへと送り出した。

 

その様子を、第2駐留艦隊旗艦《クリームヒルト》の艦橋から見下ろしている二人の影があった。

 

一人は、大人用の椅子にクッションを3段重ねにして座り、優雅に紅茶を啜る15歳の少女提督、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー中将。もう一人は、その傍らに直立不動で立ち、ドライアイスのような冷気を放つ義眼の参謀長、パウル・フォン・オーベルシュタイン大佐である。

 

「オペレーター。味方艦の収容状況は?」

 

マルガレータが、クッキーを齧りながら尋ねる。

 

「はっ!巡洋艦は、第3戦隊の護衛下に入りました。これより要塞の第6軍港へ直行します!」

 

「うむ。ご苦労」

 

彼女は満足げに頷く。これで任務の一つ、「重要情報の保護」は完了だ。あとは、目の前で騒いでいる鬱陶しいハエ(同盟軍)を追い払うだけだ。

 

「敵艦隊、ゆっくりと後退!速度を落としています!こちらを誘っているように見えます!」

 

レーダー担当士官が声を上げる。メインスクリーンには、ホーランド率いる同盟軍第11艦隊の動きが表示されている。彼らは、まるで「鬼ごっこ」の鬼を挑発する子供のように、付かず離れずの距離を保ちながら後退していた。時折、無意味に蛇行したり、くるりと回ってみたりと、その動きは挑発的かつ不規則だ。

 

「(玉座で足を組み)……あからさまじゃな」

 

マルガレータは、呆れたようにため息をつく。

 

「『ここに罠がありますよ』と看板を掲げて歩いているようなものじゃ。……どうする?参謀長。このまま追いかけて、とどめを刺すか?」

 

彼女は、横に立つ「鉄仮面」に意見を求める。オーベルシュタインは、義眼を一度またたかせ、冷静に分析を開始した。

 

「……閣下。深追いは禁物かと」

 

彼の声は、自動音声ガイダンスのように抑揚がない。

 

「敵は一個艦隊。常識的に考えれば、彼らは囮です。我々を要塞の射程外、あるいは回廊の入口まで引き込み、そこに潜ませた伏兵と共に包囲殲滅する……それが狙いでしょう」

 

「ふむ」

 

「要塞との連携が取れるギリギリのライン、つまり通信と補給線が確保できる位置までついて行って、伏兵が出てこないようなら帰還する……というのが妥当な判断かと」

 

オーベルシュタインは、タブレットに撤退ラインを表示する。極めて堅実。極めて合理的。

 

マルガレータは、ニヤリと笑う。

 

「そうだな。燃料の無駄になる。……それに、お前のその『早く帰って事務処理をしたい』という顔を見ていれば、これ以上進むのが悪手だというのは分かる」

 

「……ッ」

 

オーベルシュタインの肩が、ピクリと反応する。まただ。また読まれた。

 

「左様で。……(……また顔か。私のポーカーフェイスは故障しているのか?)」

 

オーベルシュタインは、心の中で舌打ちをする。彼は、自分の表情筋を総動員して「無」を作っているつもりだが、この少女の前ではガラス張りも同然らしい。「書類が溜まっている」「ゼークト大将の相手が苦痛だ」という彼の心の叫びは、すべてマルガレータに受信されていた。

 

「現状、ゼークト閣下は何も考えておらん」

 

マルガレータは、通信回線を開き、並走するゼークト艦隊の様子をチラリと見る。ゼークト大将は、「逃げる敵を追う」という狩猟本能に火がついているようで、鼻息荒く指揮を執っている。思考停止状態とも言う。

 

「我らで先行して索敵機を出して、敵艦隊が通ったあとには伏兵がいないことは分かっている。……機雷原もない。エネルギー反応もない。あるのは宇宙の塵だけじゃ」

 

彼女は、戦術マップを指でなぞる。

 

「敵が伏兵を置くとしたら、回廊の出口付近……あるいは、地形が複雑に入り組んだ暗礁宙域じゃが、そこまではまだ距離がある。……危険なのは、交戦中に側面を突破されることくらいだが、この狭い回廊ではそれも難しい」

 

イゼルローン回廊は、その名の通り「廊下」だ。道幅が限られている。大軍が展開するには狭すぎるし、裏をかくルートも少ない。

 

「なら、回廊出口周辺までが限界点だな。……そこまで追い立てて、尻尾を巻いて逃げるようなら見逃してやろう。深追いはせず、優雅にティータイムに戻るのじゃ」

 

「御意」

 

オーベルシュタインは深く頷く。それでいい。適当に威嚇して、追い払って、定時で帰る。それが最高の作戦だ。

 

だが。彼らは知らなかった。相手が「常識」という概念を持たない、暴走機関車(ホーランド)であることを。そして、その背後で糸を引くのが、銀河一の詐欺師(ヤン)であることを。

 

 

 

 

 

 

事態が急変したのは、マルガレータたちが「そろそろ引き上げ時か」と考え始めた矢先だった。

 

「報告!敵第11艦隊、停止!」

 

オペレーターの声が裏返る。逃げていたはずの獲物が、急ブレーキをかけたのだ。

 

「回廊出口の手前で、全艦反転しました!……こ、こちらに向かってきます!」

 

「ほう?」

 

マルガレータは、カップをソーサーに置き、身を乗り出す。

 

「やる気か?……この期に及んで、一個艦隊で我ら2個艦隊に喧嘩を売ると?」

 

彼女の瞳に、好奇心の光が宿る。同盟軍の指揮官は、狂人か、それとも天才か。

 

その時。全周波数帯域を使った、強力な通信波が割り込んできた。広域放送だ。敵味方関係なく、この宙域にいる全ての受信機に強制的に送りつけられる、ジャイアンのリサイタルのような放送。

 

『あー、あー!テステス!帝国軍の諸君!聞こえているか!』

 

スピーカーから響くのは、ドスの効いた、しかし妙に演劇がかった大声。ホーランドの声だ。

 

『俺の名はウィレム・ホーランド大将!自由惑星同盟第11艦隊司令官にして、貴様らの悪夢となる男だ!』

 

「……なんだ、あやつは」

 

マルガレータが目を丸くする。戦場で名乗りを上げるなど、中世の騎士物語か、あるいは時代錯誤の特撮ヒーロー番組でしか見たことがない。

 

『帝国軍に告ぐ!大人しく降伏しろ!さもなくば、宇宙の塵となるだけだ!』

 

ホーランドの声は続く。無駄にエコーがかかっている。演出過剰だ。

 

『我々の背後には、正義と民主主義、そして……えーと、なんだっけ?ああそう、数万の同盟軍本隊が控えている!(嘘)』

 

「……言ってしまいましたな」

 

オーベルシュタインが、ボソリと呟く。「本隊が控えている」と自分で言う奴がいるか。 それは「本当はいません」と言っているようなものだ。嘘をつく才能が絶望的に欠如している。

 

『恐れ入ったか!帝国を滅ぼすもの!それは俺だ!!ガハハハハ!!』

 

高笑いと共に、通信が切れる。シーン……。艦橋に、気まずい沈黙が流れる。

 

「…………………。(ジト目)」

 

マルガレータは、半眼になってモニターを見つめる。彼女の頭の中で、高度な戦術計算が行われている……わけではない。ただ、「こいつは何なんだ」という純粋な困惑が渦巻いているだけだ。

 

「……馬鹿か?」

 

彼女は、素直な感想を口にする。それ以外の言葉が見つからない。

 

「……一応、バカではないということも考えて、最大限の警戒を」

 

オーベルシュタインが、苦しいフォローを入れる。彼もまた、混乱している。彼の論理的思考回路では、「敵指揮官が単なる目立ちたがり屋のバカである」という解を導き出すのを拒否しているのだ。何かあるはずだ。暗号か?心理戦か?あの演説の中に、我々の精神を汚染するサブリミナル効果が含まれているのでは?

 

「そうさな。……敵の最精鋭と聞く。ティアマトであの『回転突撃』を敢行した猛者じゃ」

 

マルガレータは、顎に手を当てる。

 

「あのふざけた演説も、我々を油断させ、冷静さを失わせるための高等な演技かもしれん。……『あんなバカに負けるはずがない』と思わせて、誘い込む。……策士じゃな」

 

深読みだ。見事なまでの深読み。ヤン・ウェンリーが聞いたら「いや、彼は素です」と訂正するだろうが、残念ながらここにはツッコミ役がいない。

 

「参謀長。全艦に通達。敵の挑発に乗るな。陣形を崩さず、慎重に応戦せよ」

 

「はっ」

 

マルガレータは冷静だ。挑発には乗らない。15歳にして、この落ち着き。やはり彼女は名将の器だ。

 

だが。世の中には、挑発に乗るために生まれてきたような男も存在する。

 

『おのれ!叛徒ごときが舐めた口を!』

 

通信回線に、怒り狂った怒号が飛び込んでくる。ゼークト大将だ。彼は、顔を真っ赤にして、モニターに向かって唾を飛ばしている。

 

『聞いたか!あの暴言を!帝国軍を愚弄し、あまつさえ降伏勧告だと!?許せん!万死に値する!』

 

ゼークトのプライドは、エベレストよりも高く、そしてシャボン玉よりも脆い。ホーランドの三流以下の挑発が、彼の逆鱗(というか、ただの癇癪スイッチ)にクリティカルヒットしたのだ。

 

『全艦突撃!陣形などどうでもいい!あやつの口を塞いでやれ!あのふざけた旗艦を、主砲の集中砲火で黙らせろ!』

 

「あ」

 

マルガレータが声を上げる間もなかった。ゼークト直率の艦隊が、バーゲンセールに殺到する主婦軍団のような勢いで加速を始めたのだ。秩序もへったくれもない。ただの暴走だ。

 

「(ため息)………………」

 

マルガレータは、深い、深いため息をつく。彼女の周りの空気が、一気に重くなる。

 

「……あの老人は、私の指示を聞いていなかったのか?それとも、耳にバナナでも詰まっているのか?」

 

「興奮すると周りが見えなくなるタイプですので」

 

オーベルシュタインが、無慈悲な分析を加える。

 

「どうしますか、閣下。ゼークト艦隊を見捨てて、我々だけ距離を取りますか?彼らが突撃して玉砕すれば、敵の戦力も消耗します」

 

非情な提案。だが、合理的だ。勝手に暴走した友軍など、足手まといでしかない。

 

「……いや、ダメじゃ」

 

マルガレータは首を横に振る。

 

「ここは狭い。ゼークトが潰走すれば、その混乱に巻き込まれて我々も動きが取れなくなる。……それに、万が一にもあの猛牛(ホーランド)がゼークトを突破して要塞に迫れば、父様(ロイエンタール)に顔向けができん」

 

彼女は、クッキーの残りを口に放り込み、立ち上がる。

 

「遅れるな。全速前進!ゼークト艦隊の側面を援護しつつ、敵を包囲する!……まったく、世話の焼ける老人じゃ!」

 

《クリームヒルト》が加速する。 帝国軍3万隻が、雪崩を打って同盟軍第11艦隊に襲いかかる。

 

「側面も抜けないぞ?ここは一本道じゃ。正面からぶつかるしかないが……本当にバカなのか?あの男は」

 

マルガレータは、モニターの中のホーランドを睨む。彼女の頭の中には、「正面衝突上等」の構えを見せる敵への疑念が渦巻いている。

 

真正面からの殴り合い。数で勝る帝国軍が有利なのは明白だ。なぜ、わざわざ不利な戦いを選ぶ?死に急ぎ野郎なのか?それとも、まだ何か隠しているのか?

 

彼女の「直感」は警鐘を鳴らしている。『何かおかしい』『何かを見落としている』

 

だが、目の前の「猛牛」のインパクトが強すぎて、彼女の意識は完全に「艦隊戦」へと固定されてしまっていた。その背後で。 先ほど保護したばかりの「哀れな巡洋艦(トロイの木馬)」が、悠々と要塞の内部へ滑り込んでいるという事実。

 

そして、そこから「薔薇の騎士」たちが解き放たれようとしているという、致命的な「時間差」に、彼女はまだ気づいていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガハハハハ!逃げろ逃げろ!貴様らの背中はがら空きだぞ!」

 

ホーランドの怒号が、通信回線を荒らし回る。彼の艦隊は、ブレーキの壊れたダンプカーのように突進を繰り返している。戦術もへったくれもない。 ただ「前に出る」「撃つ」「笑う」の3ステップのみで構成された、極めて原始的かつ破壊的な戦いだ。

 

対するゼークト艦隊は、完全にペースを乱されている。「礼儀正しい戦争」しか知らない老将にとって、この野蛮な猛牛の動きは理解不能の領域にある。右から来たと思ったら、回転しながら左へ抜けていく。正面から撃ち合ったと思ったら、いきなり反転して尻を向ける。予測不能。いや、予測するだけ無駄な動きだ。

 

そんなカオスの中、戦場の少し後方で冷静に戦況を見つめる一隻の戦艦があった。

 

第2駐留艦隊旗艦《クリームヒルト》

 

その艦橋にある特注の「玉座(クッション3段重ね)」の上で、15歳の少女提督マルガレータは、不機嫌そうに最後のクッキーを齧る。

 

「……汚い。戦い方が汚いぞ、ホーランド」

 

彼女は、モニターに映る無秩序な光の軌跡を睨む。

 

「あれは計算された乱数機動ではない。……ただ、操舵手がハンドル操作をミスしているだけではないのか?なぜあんな動きで味方の艦と衝突しないのか、物理学の謎じゃ」

 

「敵の練度が高いのか、あるいは運が良いのか。……おそらく後者でしょう」

 

傍らに立つ参謀長、オーベルシュタイン大佐が、冷ややかに分析する。彼の義眼は、戦場のデータを淡々と処理しているが、その回路の片隅では「早く帰りたい」という感情がエラーメッセージのように点滅している。

 

「ゼークト閣下は完全に遊ばれていますな。……このままでは、敵の挑発に乗って突出したところを、側面から食い破られます」

 

「うむ。助け舟を出さねばならんか。……全艦、主砲充填。あのふざけた猛牛の鼻面に、一発お見舞いしてやれ!」

 

マルガレータが号令をかけようとした、その瞬間だった。

 

「緊急報告ッ!!」

 

オペレーターの絶叫が、艦橋の空気を切り裂く。ただ事ではない。恐怖を含んだ声だ。

 

「て、敵艦隊現れました!天頂方向です!真上です!!」

 

「何!?」

 

マルガレータが、椅子の上で立ち上がる。クッションが一つ、床に落ちる。

 

「上からだと!?バカな!センサーには何も映っていなかったはずじゃ!」

 

イゼルローン回廊は狭い。上下左右、隠れる場所などないはずだ。それなのに、突然の出現。ステルス迷彩か?それとも、ワープアウトか?

 

「数、およそ15,000!!来ます!急速接近!!」

 

「1万5千だと!?1個艦隊丸ごと隠れていたというのか!」

 

マルガレータの顔色がサッと変わる。1万5千。ホーランドの艦隊と合わせれば3万隻。数で並ばれる。

 

しかも、こちらはゼークトの暴走で陣形が伸びている。上から挟み撃ちにされれば、ひとたまりもない。

 

「迎撃じゃ!対空砲火、撃てッ!!」

 

彼女が叫ぶ。だが、モニターに映し出されたのは、破壊的なビームの雨ではなかった。

 

シュルルルルルル……!!パァァァァァン!!

 

無数の飛翔体が炸裂する。だが、爆発音はない。代わりに、キラキラと輝く銀色の粒子が、宇宙空間に撒き散らされる。それは幻想的で、そして致命的な光景だった。

 

「これは!ミサイル……いえ、電磁障害弾(チャフ)です!!」

 

オペレーターが悲鳴を上げる。

 

「レーダー、反応消失!通信、途絶!センサー、ホワイトアウト!何も映りません!画面が真っ白です!」

 

チャフ。金属片や炭素繊維を散布し、レーダー波を乱反射させる妨害兵器。通常はミサイルの誘導を逸らすために使われるが、これほどの規模で、艦隊全体を覆うように散布されるなど前代未聞だ。

 

ザザザザザッ……!

 

艦橋の全てのモニターが砂嵐になる。通信機からは、耳をつんざくようなノイズだけが聞こえる。視界ゼロ。耳も聞こえない。帝国軍3万隻は、一瞬にして、宇宙という暗闇の中で目隠しをされた状態に陥る。

 

「チャフ!!??時代錯誤な!」

 

マルガレータが呻く。

 

「だが、効果は絶大じゃ!艦隊の連携が取れん!ゼークトの位置も分からん!」

 

彼女の脳裏に、最悪のシナリオが走る。目隠しをして、その隙に殴りかかる。それが敵の狙いか。

 

「やはり伏兵か!あの猛牛は、ただの囮だったということか!」

 

彼女は即座に決断する。

 

「全艦、急速逆噴射!ゼークト艦隊を見捨てるな、引き戻せ!このままでは各個撃破される!密集隊形を取り、回廊出口を固めつつ、天頂からの援軍に対処する!急げ!」

 

彼女の指示は的確だ。視界が効かないなら、固まるしかない。背中を預け合い、全方位に火力を集中するハリネズミの陣形を取る。それが、混乱時の定石だ。

 

だが、マルガレータの思考はそこで止まらない。彼女は、隣の「鉄仮面」を見る。

 

「オーベルシュタイン!」

 

「はっ」

 

「(冷静に分析)……これが罠……か?」

 

オーベルシュタインは、砂嵐のモニターを見つめながら呟く。

 

「視界を奪い、指揮系統を麻痺させて乱戦に持ち込む……それが狙いでしょうか?しかし、それにしてはチャフの濃度が濃すぎます。これでは敵自身も味方の位置が分からなくなるはず」

 

「そうじゃ!お互いに目隠しをして殴り合うなど、バカのすることじゃ!」

 

マルガレータは、思考を加速させる。これを仕掛けてきた敵の指揮官が、そんな単細胞な特攻を仕掛けるはずがない。何かある。もっと、陰湿で、性格の悪い狙いが。

 

「いいや!これだけではないかも知れん!オーベルシュタイン、お前の悪知恵ならどうする?」

 

彼女は問う。

 

「お前が敵の参謀なら、このホワイトアウトをどう利用する?正直に答えよ!性格の悪さをフル動員せよ!」

 

「……人聞きが悪いですが」

 

オーベルシュタインは、一瞬だけ考える素振りを見せる。そして、その義眼が怪しく光る。

 

「私なら……この混乱に乗じて、別働隊をすり抜けさせます」

 

「!」

 

「我々の目が潰れている間に、回廊の脇をすり抜け、本陣であるイゼルローン要塞へ直行させる。……これなら、無傷で要塞に肉薄できます」

 

氷のような回答。だが、それはあまりにも理にかなっている。チャフは「攻撃」のための準備ではない。「移動」を隠すためのカーテンなのだ。

 

「ご名答!」

 

マルガレータが手を叩く。

 

「それじゃ!奴らの狙いは乱戦ではない!通り抜けじゃ!料金所(我々)を強行突破する気じゃ!」

 

彼女の中で、パズルのピースがハマる。天頂の敵も、ホーランドも、すべては「本命」を通すための囮。本命は、この白い闇の中を、息を潜めて移動しているに違いない。

 

「だから回廊内出口は警戒せよ!全艦、回頭!レーダーが効かぬなら、肉眼で探せ!サーチライトを焚け!」

 

彼女の声が飛ぶ。

 

「一隻たりとも見逃すな!レーダーを効かないようにしたことがいい証拠だ!別働隊をイゼルローン要塞へ向けるつもりだろう!!」

 

彼女は、ニヤリと笑う。勝利を確信した笑みだ。敵の策を見破った。その優越感が、彼女の胸を満たす。

 

「(ニヤリ)その手は食わぬぞ、ホーランド!お前の狙いは『これから通る』別働隊の隠蔽じゃ!ここが通行止めだと教えてやる!」

 

帝国軍艦隊が、一斉に回頭する。彼らは、天頂と正面に向けようとしていた砲門を、回廊の「側面」と「後方」に向ける。そこを、今まさに通り抜けようとしている(はずの)敵を撃つために。

 

 

 

 

 

 

 

時間は流れる。チャフの嵐は続いている。視界は悪い。だが、1万5千隻の帝国軍が目を皿のようにして監視していれば、ネズミ一匹通れないはずだ。

 

マルガレータとオーベルシュタインは、完璧な迎撃態勢を敷き、息を殺して待ち構えた。 「来るぞ」「今来るぞ」「ほら、そこだ」 彼らの緊張は最高潮に達している。

 

しかし……。

 

5分経過。10分経過。

 

何も起きない。レーダーにはノイズが走るだけ。窓の外には、キラキラ光るチャフが舞うだけ。敵影なし。エンジン音なし。ただ、遠くでホーランド大将が「ガハハハ!」と騒いでいる通信(ジャミングに強い特別回線らしい)が聞こえるだけだ。

 

「……」

 

マルガレータの額に、脂汗が滲む。クッキーを持つ手が止まる。

 

「……来ぬな」

 

彼女が呟く。怪訝な響きだ。

 

「……来ませんね」

 

オーベルシュタインも、首をかしげる。彼の計算では、すでに敵は捕捉されているはずだ。これだけのチャフを撒いたのだ。その効果時間内に通過しなければ意味がない。なのに、影も形もない。

 

「まさか、天頂の敵が主力か!?実は陽動ではなく、上から押し潰す気だったのか!?」

 

マルガレータの推理が揺らぐ。迷いが生じる。人間は、予想が外れた時、最も脆くなる。

 

「ええい、分からん!だが、ここで棒立ちになっているわけにもいかん!」

 

彼女は焦る。このままでは、ゼークト艦隊がホーランドに食い荒らされるだけだ。

 

「ゼークト閣下を援護しろ!正面の敵を叩くのじゃ!索敵は継続しつつ、砲火を前に向けろ!」

 

「はっ!全砲門、前方へ!」

 

《クリームヒルト》が再び回頭する。彼らの注意は、再び「目の前の敵(ホーランド)」と「頭上の敵(チャフを撒いた部隊)」に向けられる。背後(要塞方向)への警戒レベルが、一段階下がる。

 

その瞬間。彼らは、致命的なミスを犯していた。

 

マルガレータの読みは鋭かった。オーベルシュタインの悪知恵もまた、的確だった。 「チャフで目隠しをして、その隙にすり抜ける」それは、軍事的には100点の回答だった。

 

だが、鋭すぎたゆえに、彼らは見落としていたのだ。「時間差」という、単純かつ最大のトリックを。

 

ヤン・ウェンリー率いる第13艦隊(一部5,000隻)は、電磁障害弾が発射される「前」に……そう、彼らが「一個艦隊だ、囮だ」と騒いでいた、まさにその瞬間に、既に彼女たちの脇をすり抜けていたのである。

 

彼らは、エンジンの出力を極限まで絞り、慣性航行で、帝国艦隊の死角となるデブリ帯の裏側を、音もなく滑り抜けていた。そして、通り過ぎた「後」に、後続の別働隊(フィッシャー少将率いる分艦隊)が、天頂から派手にチャフをばら撒いたのだ。

 

チャフと天頂からの攻撃は、「隠す」ためではない。「今から隠れて通るぞ」と思わせることで、「もう通ってしまった」という事実から、思考を逸らせるためのトリックだったのだ。

 

人間は、「これから何かが起こる」と警戒している時、すでに終わったことには意識が向かない。「スリ」のテクニックと同じだ。右手を派手に動かして注意を引きつけ、その間に左手で財布を抜く。だが、ヤンの場合はさらに上手だ。財布を抜いた「後」に、右手を動かして見せたのだ。「これから抜くぞ」と見せかけて、すでにポケットは空っぽ。それが、魔術師ヤン・ウェンリーの手品だった。

 

少女と義眼の参謀は、目の前の敵に集中し、背後で静かに要塞へ迫る「魔術師」の存在に、完全に背を向けてしまった。

 

「ガハハハ!こっちだこっちだ!帝国軍の諸君!俺とダンスを踊ろう!」

 

ホーランドの声が響く。彼は、自分が何をしているのか(時間稼ぎをしているのか、ただ暴れているのか)分かっていないかもしれないが、結果として最高の「壁」となっていた。

 

そして、その遥か後方。イゼルローン要塞の目前に、一団の艦影が音もなく浮かび上がっていた。ヤン・ウェンリーを乗せた《ヒューベリオン》である。

 

「……やれやれ。うまくいきすぎて怖いね」

 

ヤンは、艦橋で紅茶を飲みながら、背後のチャフの雲を見つめる。

 

「あの少女提督、勘が鋭いと聞いていたが……。鋭すぎて、深読みしてくれたようだ。助かったよ」




ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

もしよろしければ、
・マルガレータの読み違えが好きだった
・ヤンの腹黒さに笑った
・ホーランドの扱いに吹いた
・オーベルシュタインの心の声が最高
など、どんな一言でも構いませんので、感想をいただけたら大変励みになります。

帝国と同盟の内乱どちらから見たいですか?

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