銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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イゼルローン回廊は、銀河で最も血と物語に満ちた一本道です。
しかし、今日の回廊で起きたのは――
砲火でも、艦隊運用でもなく、認識の戦争でした。

同盟軍の仕掛けた一手。
帝国軍の読みと、その読みを逆手に取る罠。
猛牛の咆哮も、少女提督の深読みも、すべてはたったひとつの目的のために動いていきます。

本章では、艦隊戦のスケールと、心理戦の繊細さ、そしてキャラクター同士の掛け合いを同時に楽しんでいただけると思います。

どうぞ、紅茶片手にお楽しみください。


第125話

イゼルローン回廊

 

 

漆黒の闇に、場違いな色彩が炸裂している。それは、血の色でも、爆発の光でもない。「ドきついピンク色」だ。

 

 

 

帝国軍第2駐留艦隊旗艦《クリームヒルト》

 

マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー中将の座乗艦であるこの戦艦は、彼女の強い(そして独特すぎる)希望により、船体全てがショッキングピンクに塗装されている。宇宙空間における迷彩効果は皆無。むしろ、「ここだ!私はここにいるぞ!撃ってみろ!」と全力で主張しているような、動く標的だ。だが、そのふざけた見た目に反して、この艦は最新鋭の装甲と火力を備えた化け物でもある。

 

「天頂方向の援軍は誰か!?識別信号を出せ!」

 

マルガレータが、クッションの玉座から身を乗り出す。彼女のツインテールが、興奮でピコピコと動く。

 

「識別信号……照合しました!間違いありません!」

 

オペレーターが息を呑む。

 

「ヒューベリオン!第13艦隊旗艦です!『魔術師』ヤン・ウェンリーのお出ましです!」

 

その名が告げられた瞬間、ブリッジにどよめきが走る。エル・ファシルの英雄。アスターテの魔術師。帝国軍にとって、今もっとも忌々しく、そしてもっとも警戒すべき男。

 

「(玉座から立ち上がり)……ほう」

 

マルガレータの口元が、三日月形に吊り上がる。恐怖ではない。獲物を見つけた猛獣の笑みだ。

 

「名高い『魔術師』のお出ましか……。やはり天頂が本命じゃったか!」

 

彼女は手を叩く。パチン!と乾いた音が響く。

 

「ホーランドの猛牛ダンスはただの前座!私の目を正面に釘付けにしておいて、頭上から本命の魔術師が首を取りに来る……。教科書通りの、しかし鮮やかな手並みじゃ!」

 

彼女の推理は、9割方正しい。ただし、致命的な1割が間違っている。その《ヒューベリオン》に乗っているのは、ヤン・ウェンリー本人ではなく、彼の代理で旗艦を預かるダスティ・アッテンボロー准将であり、本物のヤンはすでに背後の要塞へコソ泥に入っているのだが……。残念ながら、15歳の少女にそこまで見抜けというのは酷な話だ。

 

「全艦、対空戦闘用意!……いや、違うな」

 

マルガレータは瞬時に判断を変える。

 

「全艦、斜線陣を取れ!正面のホーランド艦隊と、天頂のヤン艦隊……その側面を縫うように機動する!」

 

彼女は、空中に指で複雑なラインを描く。

 

「二つの敵を合流させてはならん。……だが、同時に相手にするのも骨が折れる。ならば、奴らを『すり鉢』の中に放り込んでやるのじゃ!」

 

「すり鉢、ですか?」

 

傍らに立つオーベルシュタインが問う。彼の義眼は、周囲のファンシーな内装と、ピンク色の照明に照らされて、なんとも言えない不気味な色を放っている。

 

「そうじゃ!我が艦隊の火力と機動力を生かし、敵を包み込むように圧迫する!この狭い回廊で大軍は命取りだ。奴らが合流しようとして密集したところを、外側からゴリゴリと削ってやれ!」

 

マルガレータは、両手を組み、グリグリと回す仕草をする。

 

「『削る』のを忘れるなよ!物理的にも、精神的にもな!じわじわとなぶり殺しにして、二度と帝国の敷居を跨ごうなどと思わぬよう、トラウマを植え付けてやるのじゃ!」

 

サディスティックな命令だ。15歳の発言とは思えない。だが、部下たちは「イエス・マム!」と歓声を上げて従う。彼らもまた、このピンク色の狂気に染まりつつある戦闘民族なのだ。

 

オーベルシュタインは、そんな上官の横顔を、無表情で見つめる。

 

(……なぜ楽しそうなのだ、この小娘は)

 

彼の論理回路では理解不能だ。圧倒的な敵に挟撃されかけている状況だ。普通なら悲鳴を上げるか、胃薬を欲しがるところだ。なのに、彼女はまるで新しいオモチャを与えられた子供のように目を輝かせている。

 

(危機的状況を『遊び場』と認識しているのか?……ロイエンタールの教育の賜物か、それとも天然の戦闘狂か)}

 

オーベルシュタインは、心の中で深くため息をつく。そして、胃の辺りをさすりながら、淡々と補佐に徹する。

 

「閣下。敵の通信を傍受しました。……ホーランド艦隊、どうやら突撃してくるようです」

 

「来るか!よし、迎撃じゃ!ピンク色の恐怖を教えてやれ!」

 

《クリームヒルト》が、毒々しい光を放ちながら回頭する。宇宙の闇に、ショッキングピンクの死神が踊り出る。

 

 

 

 

 

 

同盟軍第11艦隊旗艦《エピメテウス》

 

 

 

「(マイクパフォーマンスのように)撃て撃てェ!躊躇するな!弾幕を張れ!」

 

司令官席に仁王立ちする男、ウィレム・ホーランド大将。彼は、通信マイクを片手に、ロックバンドのボーカルのように叫んでいる。

 

「ヤンが要塞を落とすまで、観客(帝国軍)を翻弄してやれ!奴らの目を、この俺だけに釘付けにするのだ!」

 

彼の視線の先には、毒々しいピンク色の敵艦隊がある。普通の人間なら「うわ、なんだあれ」と引くところだが、ホーランドの感性は少しズレている。

 

「見ろ!あのふざけた色の戦艦を!敵ながら天晴れな自己主張だ!だが、目立ちたがり屋の座は渡さん!今日の主役はこの俺だ!」

 

彼は、敵の派手な塗装に対抗意識を燃やしている。戦闘の本質とは全く関係のないところでの勝負だ。

 

「もちろん、主演男優賞(敵艦隊撃滅)も大歓迎だ!助演男優賞(ヤン)に負けてたまるか!」

 

ガハハハ!と笑うホーランド。その横で、参謀長のラップ少佐は、死んだ魚のような目でタブレットを操作している。彼のHP(精神力)は、すでに赤ゲージだ。

 

「(疲れ切った顔で)……閣下。天頂への陽動、見事な演技でした。アッテンボロー隊のチャフ散布と、閣下の派手な動きのおかげで、敵は完全に『ヤン・ウェンリーが来た』と信じています」

 

「フッ……。当然だ」

 

ホーランドは、前髪をかき上げる。無駄に決まっているポーズだ。

 

「貴様は知らんかったかもしれんが、俺は学生時代、演劇部に所属していたのだ」

 

「はあ……。初耳です」

 

「最初は『木』の役だった。舞台の隅で、微動だにせず立ち続ける。……あれで忍耐力を学んだ」

 

ホーランドは、遠い目をする。今の彼に一番欠けている能力だ。

 

「次は『村人A』。そして『兵士B』。……一歩ずつ階段を上り、最後は卒業公演で『王』の役を射止めたのだ!」

 

彼は両手を広げる。スポットライト(艦内照明)を浴びているつもりらしい。

 

「『木』から『王』まで!全ての役柄を経験した俺に、演じられぬ役はない!表現力には自信がある!今の俺は『猛り狂う猛牛』を完璧に演じ切っているのだ!」

 

「(木の役……?)」

 

ラップは首をかしげる。この落ち着きのない男が、木になれたとは到底思えない。たぶん、強風に煽られて暴れる木とか、そういう特殊な役だったのだろう。

 

「よし!フィナーレだ!ここで決めねば、観客(敵)も飽きるというもの!」

 

ホーランドは、戦術コンソールを叩く。

 

「アッテンボロー(第13艦隊分艦隊)とフィッシャー提督へ連絡!『これより我が中央部隊は、敵中枢に芸術的艦隊運動突撃をかける!』とな!」

 

「……は?芸術的……なんですか?」

 

「名前が必要だ!必殺技には、魂を揺さぶる名前が必要なのだ!」

 

ホーランドは、ビシッと指を差す。

 

「作戦名は、『ネオ・サイクロニック・ローリング・サンダー・アサルト(改)』だ!」

 

「…………………」

 

ラップの思考が停止する。ネオ?サイクロニック?ローリングサンダー?改?中二病の極みのような単語の羅列だ。これを公式記録に残すのか?後世の歴史家が頭を抱えるぞ。

 

「(真顔で)……了解。『波状突撃』と打電します」

 

ラップは、冷徹に翻訳する。無駄な装飾語句を全て削ぎ落とし、軍事用語として正しい形に修正する。有能な参謀の鑑だ。

 

「止まるな!止まったら死ぬぞ!」

 

ホーランドが叫ぶ。

 

「俺たちは回遊魚だ!泳ぎ続けろ!撃ち続けろ!敵の思考が追いつかなくなるまで、ひたすら殴り続けるのだ!」

 

それは、極めて強引で、兵士への負担が極大化する戦術だが、今の状況には噛み合っていた。マルガレータが「すり鉢ですり潰そう」と待ち構えているところへ、すりこぎ棒のように高速回転しながら突っ込んでいくのだ。

 

「うおおおおおッ!!」

 

第11艦隊の兵士たちが雄叫びを上げる。司令官の熱気に当てられ、彼らもまたトランス状態に入っている。恐怖を忘れた軍隊ほど、厄介なものはない。

 

宇宙空間で、ピンク色の光(クリームヒルト)と、青白い光(同盟軍ビーム)が激突する。芸術と狂気。演劇と戦争。二つの異なるベクトルが交差し、イゼルローン回廊はカオスの坩堝と化していく。

 

そして、そのカオスの中心で、誰からも忘れ去られた「魔術師」ヤン・ウェンリーは、こっそりと要塞の裏口を開けようとしていた。

 

「……あーあ。派手にやってるねえ」

 

《ヒューベリオン》の艦橋で、アッテンボロー准将が遠くの閃光を見つめながら呟く。

 

「先輩が留守の間に、俺たちが主役になっちまいそうだ。……ま、目立てば目立つほど、先輩の仕事が楽になるって寸法だがね」

 

彼はニヤリと笑い、通信機を取る。

 

「よし、俺たちも負けてられん!ホーランド閣下に続け!『なんちゃって魔術師』の実力、見せてやるぞ!」

 

役者は揃った。舞台は整った。あとは、誰が最初にカーテンコールを迎えるか、あるいは退場させられるかの勝負だ

 

 

 

 

 

 

 

 

ゼークト大将は、司令官席で拳を握りしめ、顔を真っ赤にして叫び続けている。

 

「怯むな!退くな!所詮は猪突猛進!ティアマトで経験済みの戦法だろうが!」

 

彼は、自分に言い聞かせるように怒鳴る。相手は猛牛だ。真っ直ぐ突っ込んでくるだけだ。そう信じ込んでいる。だから、正面さえ固めておけば防げるはずだ、と。

 

だが、現実は彼の古い教科書には載っていない事態を引き起こしていた。

 

「い、いえ!パターンが異なります!敵の動きが読めません!」

 

オペレーターが、悲鳴に近い報告を上げる。モニター上の敵影は、一つの塊ではない。アメーバのように分裂し、拡散し、そして鋭い牙となって襲いかかってくる。

 

「A波が引くと同時に、その影からB波が飛び出してきます!息つく暇もありません!補足しきれません!照準が定まらないのです!」

 

ホーランドとラップが編み出した『ネオ・サイクロニック・ローリング・サンダー・アサルト(改)』その実態は、攻撃部隊を細かく階層化し、コンマ秒単位の時間差で連続突撃させるという、狂気じみた飽和攻撃だった。

 

第一陣が撃って離脱する、その排煙と爆発を煙幕にして、第二陣が突っ込んでくる。わんこそばの如く、終わりのないビームの雨が降り注ぐ。

 

「な、なんだと!?」

 

ゼークトが目を剥く。彼の理解を超えている。軍隊とは、もっと整然と、騎士道精神を持って戦うものではないのか。こんな、もぐら叩きのような戦い方は反則だ。

 

「さ、左舷より高エネルギー反応!近いです!直撃……来ます!!」

 

「バカな!そこは死角のはず……!」

 

ゼークトが叫ぶのと、世界が白く染まるのは同時だった。

 

ドガァァァァァン!!

 

轟音。衝撃。ゼークトの旗艦の左舷装甲板が、紙切れのようにめくれ上がり、爆炎が艦橋を襲う。コンソールが火花を散らし、天井が崩落する。ゼークト大将は、その衝撃で椅子ごと吹き飛ばされ、床の上で見事なでんぐり返しを決める。

 

「ぐ、ぐぬぅ……!おのれ、無礼者め……!」

 

彼は瓦礫の中から這い出すが、その顔は煤だらけで指揮官の威厳など、欠片もない。

 

「ゼークト閣下!」

 

通信回線越しに、少女の鋭い声が響く。マルガレータだ。彼女は、ピンク色のモニター越しに、無惨な友軍の姿を確認し、舌打ちをする。

 

「……チッ。あの石頭め、物理的に割られおって!頑固なのは頭の中身だけにしておけば良いものを!」

 

辛辣だ。上官に対する敬意がゼロだ。

 

「指揮系統が混乱します。敵の勢いは止まりません。ここは一時撤退を……」

 

傍らに立つオーベルシュタイン大佐が、淡々と進言する。ゼークトが使い物にならなくなった今、全軍崩壊の危機だ。合理的に考えれば、要塞の射程内まで下がり、立て直すべき局面である。

 

「ならん!」

 

マルガレータが一喝する。

 

「今引けば、背後を見せることになる。あの猛牛は、逃げる背中を見ればさらに興奮して追いかけてくるぞ!そのまま要塞のゲートまで食い破られるわ!」

 

彼女は、クッションの山から飛び降り、マントを翻す。

 

「私が全軍の指揮を執る!全艦に通達!指揮権は本艦に移譲された!ゼークト閣下を至急救助せよ!曳航してでも連れ帰れ!」

 

彼女はビシッと指を差す。

 

「死なすなよ!死んだら責任が取れん!生きて返して、後で私がたっぷりと説教してやるのじゃからな!老人介護も楽ではないわ!」

 

15歳に介護される50代。帝国軍の高齢化社会問題が、ここに極まれり。

 

 

 

 

 

 

 

 

マルガレータは、オペレーターから通信マイクをひったくる。彼女の小さな手が、巨大な艦隊の命運を握る。

 

「聞け!帝国軍の諸君!慌てるな!」

 

凛とした声が、全回線に響き渡る。パニックになりかけていた兵士たちが、その声にハッとする。

 

「敵の突撃艦隊は少数だ!勢いがあるように見せかけているだけじゃ!目の前のハエを追うな!そのまま行かせてやれ!」

 

意外な命令だ。迎撃するのではなく、通せと言うのか。

 

「あえて通すことで、敵の隊列を乱せ!奴らは勢いで突っ込んできているだけじゃ。障害物がなければ、止まり方も分からずに宇宙の果てまで飛んでいくわ!」

 

闘牛士の戦法だ。猛牛の突進を、赤い布で受け流す。真正面から受け止めれば角で刺されるが、横に逸らせば自滅する。

 

「オーベルシュタイン!次じゃ!次の突撃部隊が来る瞬間に、砲火を一点集中せよ!座標は送る!」

 

マルガレータが、戦術マップを睨みつける。そこには、無数の光点が乱舞しているが、彼女には「何か」が見えているらしい。

 

「御意。……しかし、閣下」

 

オーベルシュタインは、冷静に反論……いや、懸念を述べる。

 

「天頂方向にいる第13艦隊(と思っている陽動部隊)への警戒も必要です。我々が正面のホーランドに気を取られれば、包囲の格好の的になります。密集陣形で一点を狙うのはリスクが高すぎます」

 

もっともな意見だ。上と前。二つの敵に対し、一点集中など自殺行為に近い。

 

「分かっておる!防御スクリーンの展開密度を保て!雑音(ヤン)は無視じゃ!今は目の前の猛獣を仕留めることに集中せよ!」

 

マルガレータは聞く耳を持たない。彼女の直感センサーが、最大の脅威は「上」ではなく「前」だと告げているのだ。(実際、上のヤン艦隊は偽物なので、無視しても被害はないのだが、それを彼女は知らない。知らずに正解を選んでいる。これが天才の恐ろしさだ)

 

「……来るぞ!」

 

マルガレータの瞳が、青く燃え上がる。彼女は、モニター上の何もない宇宙空間を指差す。

 

「ここだ!ここが次の突撃部隊の出発ポイントだ!撃て!!」

 

「は?そこには何も……」

 

砲術長が困惑する。レーダーには、そこにはデブリ(ゴミ)すら映っていない。完全な空白地帯だ。そこに主砲を撃ち込めと言うのか。弾薬の無駄遣いではないか。

 

「口答えするな!撃てと言ったら撃つのじゃ!今すぐ!」

 

「は、はいッ!全砲門、指定座標へ斉射!!」

 

ズドォォォォォン!!

 

《クリームヒルト》をはじめとする帝国軍の主力艦隊が一斉に火を噴く。数千条のビームが、暗黒の宇宙の一点に吸い込まれていく。何もない空間へ。虚空へ。

 

誰もが「外した」と思った。オーベルシュタインでさえ、心の中で呆れた。

 

だが。その直後。

 

バヂヂヂヂヂッ!!

 

何もないはずの空間が、突如として歪んだ。そこから、巨大な質量を持った物体が、まさに「飛び出そう」としていた瞬間だった。ホーランドの座乗する旗艦《エピメテウス》である。彼は、デブリ帯の影を利用して加速し、ワープアウトのような勢いで奇襲をかけようとしていたのだ。その出鼻を、完璧なタイミングで、しかも最大火力で殴りつけられた形になった。

 

ドガァァァァァァン!!

 

「ぐえっ!?」

 

《エピメテウス》の艦首が吹き飛ぶ。シールドが飽和し、装甲が溶解する。まさに、顔面をハンマーで殴られたような衝撃。タイミングがコンマ一秒でもズレていれば、外れていたか、あるいは浅い傷で済んでいただろう。だが、これは「直撃」だ。神がサイコロの目を操ったとしか思えない精度だ。

 

「……着弾確認。敵旗艦、大破」

 

オーベルシュタインが、感情のない声で報告する。彼の義眼が、不規則に点滅している。 処理落ちだ。論理回路が、この事象を受け入れられずにバグを起こしている。

 

「……閣下。どうやって今のタイミングと座標を見極めを?データには何の予兆もありませんでしたが。敵のステルス通信を解読したのですか?それとも未来予知ですか?」

 

彼は、マルガレータを見る。この15歳の少女の頭の中には、スーパーコンピューターでも埋め込まれているのか。

 

マルガレータは、フンスと胸を張る。その顔には、ドヤ顔という言葉が服を着て歩いているような表情が張り付いている。

 

「(胸を張り)女の勘だ!!」

 

「…………………」

 

沈黙。オーベルシュタインの思考が停止する。勘。それだけか。数千人の命と、戦局の行方を、「なんとなく」で決めたのか。そして、当てたのか。

 

「……ホーランドの性格なら、一番目立つ、一番危険なルートを『あえて』選ぶと思ったのじゃ。一番ドラマチックな登場場所を選ぶはずじゃ!」

 

マルガレータは、クッキーの食べかすを払いながら解説する。論理的と言えば論理的だが、それは戦術ではなく心理学……いや、ただのギャンブルだ。

 

「(この軍隊、辞めたい)」

 

オーベルシュタインの心の声が、切実に響く。こんな上官の下で働いていたら、胃に穴が開くどころか、胃が消滅する。早くローエングラム元帥の下へ行きたい。切実にそう願う、鉄仮面の参謀であった。

 

 

 

 

 

 

一方、見事に「出落ち」を食らった同盟軍旗艦《エピメテウス》 艦内は地獄絵図だ。火災が発生し、消火剤が撒き散らされ、負傷した兵士たちが呻いている。艦橋も半壊し、天井からケーブルが垂れ下がって火花を散らしている。

 

「ぐわぁーっ!!」

 

ホーランドは、派手に吹っ飛び、コンソールに頭から突っ込んでいた。普通なら即死レベルの衝撃だ。だが、彼は人間ではない。猛牛だ。

 

「閣下!ご無事ですか!」

 

参謀のラップが、血を流しながら瓦礫をかき分ける。彼は、優秀な参謀だが、上官運だけが壊滅的に悪い男だ。

 

ガバッ!!

 

瓦礫の山が動く。そこから、煤だらけの大男が起き上がる。額から血を流しているが、その目はギョロリと生気に満ちている。

 

「(煤だらけでガバッと起き上がり)……何とか生きてる!痛ってぇなチクショウ!」

 

ホーランドは、頭を振って瓦礫を落とす。

 

「くそっ、失敗した! 完璧な登場シーンのはずだったのに!読まれるようなパターン化はしていないはずなのだが……なぜバレた!?俺の演技プランに穴があったのか!?」

 

彼は、自分の負傷よりも、演出の失敗を悔やんでいる。

 

「恐らく、勘です。……相手は化け物ですね」

 

ラップが、冷静に分析する。論理で動く相手なら、この奇襲は成功していた。だが、相手は理屈の外にいる。野生動物同士の戦いにおいて、ホーランドの野生が負けたのだ。

 

「ええい、こうなったら脱出だ!」

 

ホーランドは、周囲を見回す。艦はもう持たない。沈むのは時間の問題だ。

 

「いくぞラップ!走れ!!シャトルまでダッシュだ!」

 

「(担がれながら)ちょ、閣下!私、足怪我してます!骨折してます!走れません!」

 

ラップが悲鳴を上げる。瓦礫の下敷きになった際、右足を痛めていたのだ。

 

「甘えるな!俺が背負ってやる!青春のランニングだ!」

 

ホーランドは、ラップを米俵のように担ぎ上げる。そして、傾いた廊下を全力疾走し始める。

 

「うおおおおおっ!どけぇぇぇ!猛牛のお通りだぁぁぁ!」

 

火の手が上がる通路を、大男が負傷者を背負って爆走する。それは、感動的な救出劇というよりは、暴走機関車が暴れているだけにしか見えない。すれ違う兵士たちが、壁に張り付いて道を譲る。

 

「(白目)……元気だなあ……」

 

ラップは、ホーランドの背中で揺られながら、意識が遠のくのを感じる。この人は、なんでこんなに元気なんだろう。旗艦は壊滅状態。普通なら絶望するところだ。なのに、この男の背中からは「次はどうやって殴り返してやろうか」という熱気が伝わってくる。

 

「死ぬなよラップ!お前が死んだら、誰が俺の脚本を書くんだ!」

 

「……脚本じゃなくて作戦案です……」

 

ラップは、薄れゆく意識の中で訂正する。この男の下で働くのは疲れる。だが、不思議と退屈はしない。ヤン・ウェンリーとはまた違う種類の、奇妙なカリスマ性が、この筋肉の塊にはあるのかもしれない。

 

こうして、ホーランドとラップは、爆発する旗艦から間一髪で脱出した。彼らの「芸術的突撃」は失敗に終わったが、その派手すぎる爆発と、最後まで諦めない暴れっぷりは、帝国軍の目をさらに釘付けにすることに成功していた。

 

「見ておれ、ピンク色の小娘!次は必ず、お前の度肝を抜く演出をしてやるからな!」

 

脱出シャトルの中で、ホーランドは宇宙に向かって吼えた。その声は届かないが、彼の闘志だけは、イゼルローン回廊のデブリとなって永遠に漂い続けるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「報告!敵艦隊、後退します!」

 

ソナー担当の士官が声を上げる。メインスクリーンには、ボロボロになった同盟軍第11艦隊の残骸と、それを回収しながら去っていく後続部隊(第13艦隊の囮部隊)の姿が映し出されている。

 

「通信傍受……暗号化されていません!敵の悲痛な叫びを確認しました!」

 

オペレーターが、音声を再生する。ノイズ混じりの、しかし確かに絶望に染まった声だ。

 

『……こちらラップ参謀……。総員退避……繰り返す、総員退避せよ……。ホーランド司令官、戦死……』

 

「戦死!?」

 

艦橋がどよめく。あの猛牛が。あれだけ暴れ回っていた不死身の男が、ついに力尽きたというのか。

 

(※注:実際には、ホーランドは「戦死したことにしておけ!その方が敵も油断して追ってこない!」とラップに命令し、シャトルの中で酸素マスクをつけて寝ているだけである。ラップは「嘘をつくのは気が引けますが」と言いつつ、棒読みで報告したのだが、帝国軍にはそれが「悲しみのあまり声が出ない」ように聞こえたらしい)

 

「(疑り深く)……ふむ」

 

マルガレータは、玉座の上で腕を組む。彼女は簡単には信じない。15年の人生(その大半が修羅場)で培った猜疑心が、警報を鳴らしている。

 

「敵の欺瞞情報の可能性もある。……あの男は、心臓が止まっても30分くらいは動き続けそうな生命力を感じたぞ。死体を見るまでは信じるな」

 

彼女は冷徹に命じる。勝利に酔うことはない。

 

「全艦隊、陣形を微調整して待機せよ。……追撃はせんが、戻ってくるようなら叩き潰す。死んだフリ作戦なら、本当に死なせてやるまでじゃ」

 

帝国軍は、その場に留まる。微動だにせず、去りゆく敵を見送る。完璧な残心。隙のない構えだ。

 

 

 

6時間後。

 

イゼルローン回廊の彼方へ、同盟軍の光点は完全に消え失せた。レーダーの最大有効範囲からも離脱し、超光速通信の反応もない。静寂。完全なる静寂が戻ってきた。

 

マルガレータは、空になったクッキーの缶を振ってみる。カラカラと虚しい音がする。

 

「……ふむ。どうやら、本当に引いたようじゃな」

 

彼女は、ようやく緊張を解く。小さな肩から力が抜ける。

 

「勝ったか」

 

勝利宣言。それは、安堵の吐息と共に漏れ出た。

 

「そのようです。……敵影、完全に消失しました」

 

オーベルシュタインが、タブレットを閉じる。彼の表情にも、わずかに疲労の色が見える。6時間、直立不動で立ち続けていたのだ。腰が痛い。

 

「しかし、閣下」

 

オーベルシュタインは、一つだけ気になっていた点を口にする。

 

「第13艦隊(と思っている部隊)の動きが消極的すぎたのが気になります。……彼らは、チャフを撒いただけで、結局一度も主砲を撃ちませんでした。ヤン・ウェンリーにしては、あまりにも淡白な撤退です」

 

不自然だ。「魔術師」と呼ばれる男なら、もっと嫌らしい罠を仕掛けてくるはずだ。例えば、撤退すると見せかけて機雷原に誘い込むとか、小惑星の影から狙撃するとか。それが、何もなかった。ただ顔を出して、帰っていった。

 

「臆したのじゃろう」

 

マルガレータは、鼻で笑う。彼女の中で、ヤン・ウェンリーの評価が「過大評価された臆病者」に書き換わる。

 

「所詮は魔術師も、私の『勘』には勝てなかったということじゃ!我々が完璧な迎撃陣形を敷き、隙を見せなかったからこそ、攻めあぐねて撤退したのじゃろう」

 

彼女は胸を張る。自分の采配が、敵を退けたのだと。

 

「とりあえず回廊出口を機雷で封鎖せよ!念のため、監視衛星を3基ほど残して撤退する。……これなら、死んだはずのホーランドが蘇ってきても対処できよう」

 

「御意」

 

オーベルシュタインは頷く。これ以上の戦闘はない。ようやく帰れる。彼の心に、平安が訪れる。

 

「……ところで、ゼークト閣下の容体は?」

 

マルガレータが思い出したように聞く。旗艦が大破した老将のことだ。

 

「重傷ですが、命に別状はありません。……瓦礫の下から発見されましたが、『わしの髭が焦げた!』と元気に怒鳴り散らしていたそうです。生命力だけはゴキ……いえ、頑丈なようです」

 

オーベルシュタインが、言い淀む。この参謀、心の中だけでなく、口に出す言葉も際どくなってきた。

 

「よし!ならば憂いはない!」

 

マルガレータは、椅子から飛び降りる。着地成功。彼女は艦橋のクルーたちに向かって高らかに宣言する。

 

「全艦、イゼルローン要塞に帰還する!勝利の凱旋じゃ!」

 

彼女の顔は晴れやかだ。初陣(司令官として)での勝利。しかも、相手は同盟軍の精鋭艦隊。これ以上ない戦果だ。

 

「疲れた!腹が減った!帰ったら、まずは熱い風呂に入って、それから父様(ロイエンタール)に自慢の報告をして、泥のように寝るぞ!」

 

「お風呂、いいですね」

 

「今日は祝杯ですな!」

 

クルーたちも笑顔になる。彼らは知らない。自分たちが帰ろうとしている「家」には、すでに別の住人が入り込んでいることを。そして、その住人たちが、非常にタチの悪い「サプライズパーティー」を用意して待ち構えていることを。

 

《クリームヒルト》を先頭に、帝国軍艦隊が要塞へと針路を取る。その背中は、あまりにも無防備だった。彼らは、自分たちが「狩る側」から「狩られる側」になったことに気づかないまま、意気揚々と檻の中へと戻っていく。

 

これが、第七次イゼルローン攻略戦の「戦闘フェーズ」の終わりであり、そして本当の「喜劇フェーズ」の始まりであった。




今回は、イゼルローン回廊を舞台にした「三段階トリック」回でした。

ホーランドの暴走で帝国側の思考を狂わせ

天頂からのチャフで「今から通る」と思わせ

本命はすでに脇をすり抜けていた

という、ヤンらしい魔術です。

一方で帝国側も、マルガレータとオーベルシュタインが極めて高い推理を見せ、
深読みしすぎて正解を外すという非常に人間味あるドラマができました。

もしよろしければ、

どのキャラの視点が一番面白かったか

どの一文が印象に残ったか

この回廊戦の「次に来るべき展開」の予想

マルガレータの誤読についてどう思ったか

など、感想をいただけると作者のモチベーションが大きく跳ね上がります。

帝国と同盟の内乱どちらから見たいですか?

  • 銀河帝国
  • 自由惑星同盟
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