銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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第七次イゼルローン要塞攻防戦は、銀河史に残る奇妙な勝敗と言われています。
本章では、重厚な艦隊戦の裏側で、誰も予想しなかった「小さなほころび」が銀河規模の結果を左右しました。

敵味方の名将たちが読み合い、欺き合い、そして最後には、思わぬ形で人間味が戦場に顔を出します。

戦略と心理戦、そしてちょっとした笑いを織り交ぜた一幕を、どうぞお楽しみください。


要塞の陥落と、乙女の恥ずかしい忘れ物

第2駐留艦隊司令官、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー中将は、艦橋の「玉座(クッション3段重ね)」の上で、ふんぞり返るように足を組む。

 

その顔には、隠しきれないドヤ顔が張り付いている。15歳の少女にとって、大人の将軍たちを出し抜き、勝利を収めたという事実は、最高の快感物質(ドーパミン)の源泉だ。

 

「(意気揚々と)ふふん!見たか、オーベルシュタイン。私の采配を」

 

彼女は、傍らに立つ参謀長に同意を求める。

 

「あの猪(ホーランド)を追い払い、まんまと逃げおおせた奴らの背中に、恐怖という刻印を押してやったわ!これで当分、同盟軍もここには近づけまい!」

 

「……左様で」

 

オーベルシュタインは、無表情で肯定する。彼の義眼は、すでに「帰還後の書類整理」の段取りを計算し始めている。早くこのピンク色の空間から脱出して、地味な色の自室で愛犬に餌をやりたい。その一心だ。

 

「よし!湯を沸かせ!私は帰ったらすぐに風呂に入るぞ!バラの香りの入浴剤を投入せよ!そして、父様(ロイエンタール)に通信を繋げ!『娘が勝ちました』と自慢するのじゃ!」

 

マルガレータは、上機嫌で指図する。クルーたちも、「了解です、閣下!」「勝利の祝杯ですね!」と笑顔で応じる。彼らは、巨大な人工天体イゼルローン要塞の威容が、メインスクリーンに映し出されるのを今か今かと待っている。そこは、絶対安全な我が家。流体金属の装甲に守られた、難攻不落のゆりかごだ。

 

だが。その「ゆりかご」は、彼らが留守にしている間に、別の誰かの手に渡っていた。

 

「要塞管制へ入電!第2駐留艦隊、只今帰還した!ゲートを開けよ!……おーい?応答せよ!」

 

通信士が呼びかける。返事がない。ただ、ノイズが返ってくるだけだ。

 

「……変ですね。通信機の故障でしょうか?それとも、留守番のベンドリング少将が居眠りでもしているのでしょうか?」

 

通信士が首をかしげる。マルガレータの眉がピクリと動く。彼女の野生の勘が、微かな違和感を捉える。

 

「……遅い」

 

彼女は呟く。

 

「いくらベンドリングが昼行灯でも、艦隊の帰還に気づかぬはずがない。……おい、映像を出せ。要塞の外壁じゃ」

 

スクリーンに、要塞の姿が映し出される。静かだ。あまりにも静かすぎる。誘導灯も点いていない。港湾ゲートも閉ざされたままだ。巨大な墓標のように沈黙している。

 

その時。オペレーターの端末に、真っ赤な警告表示がポップアップする。それは、ウィルスに感染したパソコンのように、次々と画面を埋め尽くしていく。

 

「(絶叫)……か、閣下!!緊急事態!!」

 

オペレーターの声が裏返る。それは、ただのトラブル報告ではない。世界の終わりを見たかのような悲鳴だ。

 

「要塞からの応答コードが合いません!!IFF(敵味方識別信号)……拒否されました!!」

 

「何だと?」

 

マルガレータが椅子から転げ落ちそうになる。クッションが一つ、床に転がる。

 

「通信機の故障か?それとも暗号コードが変わったのか?」

 

「違います!システムが……こちらのアクセスを弾いています!これは……敵性判定です!我々が『敵』として認識されています!」

 

「敵?バカな。ここは我が家だぞ?」

 

マルガレータは理解できない。自分の家に帰ってきて、鍵を開けようとしたら、ドアノブに電流を流されたようなものだ。

 

「要塞より通信!全回線に入ってきます!強力な出力です!」

 

スピーカーから、ザザッというノイズが走る。そして。そこに響いたのは、ベンドリング少将の声でも、シュトックハウゼン大将の尊大な声でもなかった。低く、艶があり、そして皮肉たっぷりの、男の声。

 

『……帝国軍、第2駐留艦隊の諸君。おかえり』

 

「誰じゃ!?」

 

マルガレータが叫ぶ。

 

『長旅、ご苦労だったね。君たちが外で鬼ごっこを楽しんでいる間に、家の名義変更を済ませておいたよ』

 

男の声は、軽やかに告げる。

 

『我々は、自由惑星同盟軍。イゼルローン要塞を占領した。……ここはもう、君たちの家ではない』

 

「…………………は?」

 

時が止まる。艦橋の全員が、彫像のように固まる。占領?いつ?どうやって?我々は外で戦っていたはずだ。敵の艦隊を追い払い、勝利したはずだ。それなのに、なぜ本拠地が落ちている?

 

『無駄な抵抗はやめて降伏せよ。……さもなくば、君たちの帰る場所は、宇宙の塵の中だけになる』

 

通信が切れる。シーン……。あまりの衝撃に、誰も言葉を発することができない。ただ、オーベルシュタインだけが、無表情のまま、頭の中でパズルのピースを組み合わせていた。

 

「どういうことか!?説明せよ、オーベルシュタイン!」

 

マルガレータが、参謀長に詰め寄る。彼女の顔から、さっきまでのドヤ顔が消え失せ、蒼白になっている。

 

「(即座に理解し)……やられましたな」

 

オーベルシュタインは、淡々と答える。その声には、驚きよりも「やっぱりか」という呆れが含まれている。

 

「我々が外で踊らされている間に、敵は内部に侵入していたようです。……あの天頂からのチャフ。そして、救難信号を出していた巡洋艦。……あれが『トロイの木馬』でしたか」

 

「トロイの木馬……!?」

 

「敵は、我々に『ホーランド艦隊』という派手な闘牛を見せつけ、注意を逸らした。その隙に、味方に偽装した別働隊を要塞内部へ送り込んだのです。……シュトックハウゼン大将は、おそらく捕虜でしょう」

 

「馬鹿な!艦隊戦もせずに!一発の砲火も交えずに、この巨大要塞を落としたというのか!?」

 

マルガレータは、モニターを叩く。信じられない。信じたくない。プライドが、ズタズタに引き裂かれる音がする。

 

「魔法だ……。これは魔法じゃ……」

 

「いいえ、詐欺です」

 

オーベルシュタインは訂正する。

 

「それも、銀河規模の結婚詐欺のような手口です。……我々は、まんまと騙され、貢がされ、捨てられたのです」

 

 

 

 

 

 

 

事態は、混乱から絶望へとシフトする。要塞が奪われたということは、補給も修理も受けられないということだ。艦隊は、宇宙の海で遭難したも同然だ。

 

そして、さらなる絶望が彼らを襲う。

 

ウゥゥゥゥゥン……!!

 

空間が震えるような重低音。それは、艦のエンジン音ではない。目の前の巨大な球体、イゼルローン要塞の表面が、波打つように変形していく音だ。流体金属の鏡面が開き、その奥から、巨大な砲口が姿を現す。

 

「……要塞主砲、『雷神の鎚(トールハンマー)』。充填中!」

 

オペレーターが、泣きそうな声で報告する。出力メーターが、レッドゾーンへと跳ね上がっていく。

 

再び、通信が入る。先ほどの男の声だ。

 

『帝国軍に告ぐ』

 

男は名乗る。ローゼンリッター連隊長、ワルター・フォン・シェーンコップ。その名は、帝国軍人にとっては「裏切り者」の代名詞だ。

 

『貴官らの勇戦には敬意を表する。外での戦いぶりは見事だった。……だが、残念ながらチェックメイトだ』

 

シェーンコップの声は、残酷な事実を突きつける。

 

『主砲トールハンマーの照準は、既に貴官らにロックされている。……この距離だ。外しようがない。一撃で貴官らの艦隊の半分は蒸発するだろう』

 

モニターに、ロックオンアラートが点滅する。3万隻の密集陣形。それは、トールハンマーにとっては「的」以外の何物でもない。

 

『死にたくなければ、速やかに立ち去れ。……我々も、無益な殺生は望まない。おとなしく尻尾を巻いて逃げるなら、追撃はしないと、ヤン提督も仰っている』

 

「(ギリリと歯噛みし)……おのれ、卑怯者め……!」

 

マルガレータは、唇を噛み締める。 血が滲むほどに。

 

「よくも抜け抜けと! 正々堂々と戦わず、コソ泥のように入り込み、人の武器で脅すとは!貴族の風上にも置けぬ!」

 

「相手は貴族ではありませんので」

 

オーベルシュタインが、冷静にツッコミを入れる。彼は、状況を冷徹に分析する。戦えば全滅。逃げれば恥辱。二つに一つだ。

 

「閣下」

 

オーベルシュタインは、マルガレータを見る。

 

「ゼークト大将が重傷で指揮不能の今、判断を下せるのは貴官のみです。……どうしますか?玉砕しますか?」

 

試すような問い。帝国軍の美学に従えば、「要塞を奪われた恥辱を雪ぐため、全艦突撃して散る」のが正しい道かもしれない。特に、あのゼークト大将なら、迷わずそうしただろう。

 

だが。マルガレータは、15歳の少女だ。彼女には、古い軍人の美学など通用しない。

 

「(即答)断る」

 

一秒の迷いもない。即答だ。

 

「ほう」

 

オーベルシュタインの眉が、わずかに上がる。意外だったのか、それとも期待通りだったのか。

 

「なぜですか?帝国軍人としての名誉は?」

 

「名誉で腹は膨れんし、死んだらイケメンも見られん」

 

マルガレータは、ふんと鼻を鳴らす。そして、顔を真っ赤にして、とんでもないことを言い放った。

 

「わかっているだろう?突撃などせぬよ。……私の純潔(処女)は、ジークに捧げると決めておるのだ!」

 

「……は?」

 

艦橋の全クルーが、ズッコケそうになる。この極限状況で、何を言っているんだ、この司令官は。

 

「トールハンマーなどと言うデカブツに貫かれてたまるか!あんな極太ビームに犯されるなど、乙女の恥じゃ!私を貫いていいのは、ジークの愛だけじゃ!」

 

その理論は、論理的思考の怪物であるオーベルシュタインの脳回路をも焼き切る威力を持っていた。トールハンマー(雷神の鎚)を、そういうメタファーで捉えるとは。15歳の妄想力、恐るべし。

 

(……下品な。あまりにも下品な例えだ)

 

オーベルシュタインは、心の中で顔をしかめる。だが、同時に納得もしていた。

 

(だが、判断は正しい。ここで無駄死にするより、戦力を温存して再起を図る方が合理的だ。動機が不純極まりないが、結果が正しいなら良しとしよう)

 

彼は、この少女の「生への執着」を評価した。死を美化する軍人は扱いづらいが、欲望のために生きようとする人間は、利用価値がある。

 

「下品でも何でも、生き残ることだ。生きてこそ、復讐も愛も成せる!死んで花実が咲くものか!」

 

マルガレータは、涙目で叫ぶ。 悔しい。負けたことが悔しい。そして何より、自分のおやつや、大事なコレクションが要塞に残されたままであることが悔しい。

 

「おのれ!!……覚えておれよ、ヤン・ウェンリー!そしてシェーンコップ!この屈辱、100倍にして返してやる!」

 

彼女は、マントを翻す。

 

「逃げるとしよう!全艦、反転!回廊の帝国方面へ退避!尻尾を巻いて逃げるのじゃ!全速力でな!」

 

「賢明です、閣下」

 

オーベルシュタインは、通信機を取る。

 

「全艦、反転。……回頭急げ。トールハンマーの射程外へ脱出せよ」

 

帝国軍艦隊は、蜘蛛の子を散らすように逃走を始める。その背中に、イゼルローン要塞の無慈悲な眼差しが突き刺さる。だが、主砲が発射されることはなかった。ヤン・ウェンリーは、約束(脅し)を守ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……解せぬ」

 

彼女がポツリと漏らす。

 

「しかしオーベルシュタインよ。どうやって艦隊を侵入させたのだ?ヤンの魔術とは言うが、タネも仕掛けもない手品など存在せぬ」

 

彼女の脳裏には、先ほどの戦場の光景が焼き付いている。自分たちは完璧だった。全方位を索敵し、チャフの嵐の中でも目を凝らしていた。ネズミ一匹通さぬ警戒網を敷いていたはずだ。それなのに、ヤン・ウェンリーは気づけば要塞の中に座り込み、紅茶を飲んでいた。

 

「我々のセンサーに反応はなかったぞ。デブリの影か?いや、それにしては質量反応がなさすぎる」

 

「全くわかりません」

 

オーベルシュタインもまた、その無機質な義眼のデータを何度もリロードしている。彼の論理回路をもってしても、今回の「密室トリック」は解明できない。

 

「あるいは、レーダーに映らない最新鋭のステルス技術か……。それとも、空間を湾曲させる新兵器か……」

 

「ステルス技術……!」

 

マルガレータが顔を上げる。

 

「あり得る話じゃ。同盟軍は技術力では帝国に劣るが、時折、変態的な技術者がとんでもないガラクタ(発明品)を作ると聞く」

 

彼女の想像力(妄想力)が暴走を始める。きっと、艦全体を透明にする「光学迷彩マント」のようなものがあるに違いない。あるいは、次元の狭間を潜り抜ける「亜空間航法」か。

 

「私の目が節穴だったと信じたいが……。もしそんな新技術があれば、イゼルローンどころの話ではないぞ」

 

彼女の声が震える。

 

「次は帝都オーディンを直撃されるぞ。皇帝陛下の寝室に、いきなり同盟軍が現れるようなものじゃ。……脅威じゃ。これはただの敗北ではない。帝国の存亡に関わる重大事案じゃ」

 

深刻だ。事態は、彼女の中で「銀河系規模の危機」へと膨れ上がっている。これを父(ロイエンタール)や皇帝に報告せねばならない。対策を練らねばならない。

 

彼女は、思考を整理しようと、無意識にポケットを探る。いつものメモ帳を取り出そうとして……手が止まる。

 

「………………」

 

あれ?ない。 軍服のポケットには、ハンカチと、予備のキャンディしか入っていない。 いつも肌身離さず持っている、あの「魂のノート」がない。

 

彼女の記憶が、走馬灯のように巻き戻される。出撃前。要塞の私室。机の引き出し。一番下の段。厳重に鍵をかけ……たはずだが、慌てていたから鍵をかけ忘れたかもしれない。 いや、そもそも。

 

「…………………あ!!!!」

 

マルガレータが、突然叫び声を上げる。それは、敵の奇襲を受けた時よりも、トールハンマーを向けられた時よりも、遥かに悲痛な絶叫だった。

 

「閣下?敵の追撃ですか?」

 

オーベルシュタインが、即座に反応する。背後からヤン艦隊が迫ってきたのか。彼は冷静に撤退ルートの再計算を始める。

 

「(顔面蒼白で)ち、違う!……いや、追撃の方がマシじゃ!大変なことを忘れていた!」

 

マルガレータの手が震えている。顔色は、ピンク色の照明の下でも分かるほど真っ青だ。

 

「要塞に通信を送れ!今すぐじゃ!敵司令官に繋げ!緊急ホットラインじゃ!」

 

「は?」

 

オーベルシュタインの義眼が停止する。今、このタイミングで?敗走の真っ最中に?

 

「今、逃げている最中にですか?敵は我々をロックオンしています。通信など送れば、こちらの正確な座標を教えるようなものです」

 

「いいから繋げ!座標などどうでもいい!国家機密より大事なことじゃ!」

 

マルガレータが、椅子から飛び降りてオーベルシュタインの胸倉を掴む。必死だ。瞳孔が開いている。

 

「あれを見られたら……あれを没収されたら、私は死ぬ!社会的に死ぬ!乙女としての尊厳が消滅する!急げ!1秒遅れれば、私は舌を噛んで死ぬぞ!」

 

脅迫だ。司令官が自殺すると脅している。オーベルシュタインは、深いため息をつく。 この軍隊は、どこまでカオスなのだ。ステルス技術の脅威など、どこかへ吹き飛んでしまった。

 

「……承知しました。極秘回線を開きます。……やれやれ」

 

 

 

 

 

 

イゼルローン要塞司令室

 

 

 

「ふぅ……。どうにか追い返せたか」

 

ヤンは、ベレー帽を脱いで机の上に置く。モニターには、遠ざかっていく帝国艦隊の光点が映っている。もう戻っては来ないだろう。あの「トールハンマーの脅し」は効果てきめんだったようだ。

 

「これでしばらくは枕を高くして眠れる……。いや、枕が変わると眠れない質だから、自分の枕を持ってくるまでは浅い眠りかな」

 

「贅沢を言わないでください、閣下」

 

副官のグリーンヒル中尉が、新しい紅茶を持ってくる。彼女の手際良さは、戦場でも、占領下の敵基地でも変わらない。すでに給湯室を確保し、ヤン好みの茶葉を見つけ出している。

 

その時。通信コンソールが、けたたましいアラート音を鳴らす。敵襲警報ではない。通信の呼び出し音だ。しかも、最高レベルのセキュリティコードを使っている。

 

「閣下……撤退中の敵艦隊司令官から、緊急通信が入っています」

 

フレデリカが、怪訝な顔で報告する。

 

「『極秘回線で頼む』とのことです。……映像なし、音声のみです」

 

「なんだって?」

 

ヤンが顔をしかめる。撤退中の敵将から電話?普通なら「覚えてろよ」という捨て台詞か、あるいは再戦の申し込みか。

 

「負け惜しみかな?それとも降伏勧告への返答か?『やっぱり悔しいから戻っていい?』とか」

 

「あるいは、『要塞を爆破する時限装置を仕掛けた』という脅しかもしれませんな」

 

部屋の隅で、高級ワインを物色していたシェーンコップが、物騒なことを言う。

 

「自爆装置のスイッチを押す前に、一言皮肉を言ってやろうという腹かもしれませんぞ。あのピンク色の狂気を纏ったお嬢さんなら、やりかねん」

 

「やめてくれ……。心臓に悪い」

 

ヤンは、胃の辺りをさする。爆破予告なら、今すぐ逃げ出さなければならない。

 

「……繋いでくれ。話だけは聞こう」

 

ヤンは覚悟を決める。フレデリカが回線を開く。スピーカーから、ノイズ混じりの、しかし切羽詰まった少女の声が飛び込んでくる。

 

『……同盟軍司令官、ヤン・ウェンリーに告ぐ。聞こえるか!』

 

「はい、聞こえていますよ。……私は第13艦隊司令官のヤンです。そちらは、第2駐留艦隊司令、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー中将ですね?」

 

『いかにも!……くっ、その落ち着いた声が腹立たしい!』

 

マルガレータの声は、怒りと焦りが入り混じっている。だが、殺気とは少し違う。もっと個人的な、必死な感情だ。

 

『単刀直入に言う!要塞はくれてやる。あんな鉄の塊、くれてやるわ!』

 

「はあ、どうも。……家賃は払えませんが」

 

『だがな……!交渉したいことがある!』

 

交渉?この状況で?ヤンは身構える。捕虜の交換か?それとも、政治的な密約か?

 

『私の私室にある……机の一番下の引き出しに……一冊のアルバムがあるはずだ』

 

「アルバム?」

 

ヤンは、眉をひそめる。

 

『表紙に……「愛しのジーク♡」と書いてあるやつじゃ!ピンク色のバインダーじゃ!』

 

「…………………」

 

ヤンの視線が、シェーンコップに向く。シェーンコップは、肩をすくめて、机の奥から一冊の分厚いバインダーを取り出す。確かに、ピンク色だ。そして、ハートマークが散りばめられている。

 

『それは私の魂じゃ!命よりも重い!中には……私が苦労して集めた、ジークの隠し撮り写真が1000枚以上……ごほん!』

 

マルガレータが、咳払いをする。国家機密を漏らしたような気まずさがある。

 

『とにかく!それは、ジークが朝食のパンを齧る瞬間とか、うたた寝してヨダレを垂らしている瞬間とか、歯磨きをしている無防備な背中とか……そういう、公式記録には残らない尊い瞬間を収めた、宇宙に一冊しかない至宝なのじゃ!』

 

熱弁だ。ものすごい熱量だ。ヤンは、受話器を耳から少し離す。彼女の愛(という名のストーカー行為)が、電波を通じて物理的な圧力となって押し寄せてくる。

 

『それを返せ!今すぐ梱包して、最速便で送り返せ!捨てたり、中身を見たり、汚したりしたら……末代まで呪ってやる!藁人形で毎晩釘を打ってやるからな!』

 

「…………………はあ」

 

ヤンは、気の抜けた返事をする。爆破予告よりはマシだが、ある意味で爆弾処理よりも慎重さを要する案件だ。15歳の少女の「推し活グッズ」を人質(物質?)に取ってしまった。これは国際条約違反にならないだろうか。

 

『それと!もう一つある!』

 

まだあるのか。

 

『私の参謀長……オーベルシュタインの私室に、予備の「義眼セット」と「メンテナンス用洗浄液」がある!』

 

「義眼……?」

 

『あやつの義眼は特注品じゃ!高いのじゃ!しかも、洗浄液は特殊な成分でな、あれがないとあやつの目が乾いて、ギシギシと不快な音を立てるようになる!』

 

マルガレータの声に、同情の色が混じる。

 

『そうなると、あやつは機嫌が悪くなり、私のクッキーを勝手に食べたり、小言が増えたりして、私が迷惑するのじゃ!だから、それも合わせて送り返せ!』

 

「……自分のためかい」

 

ヤンは突っ込む。オーベルシュタインを心配しているのではなく、不機嫌なオーベルシュタインに絡まれる自分が嫌なだけだ。

 

『送料は着払いでいい!同盟軍の経費で落とせとは言わん!だから頼む!私のジークと、あやつの目を返してくれ!』

 

懇願。もはや司令官の威厳はない。ただの「忘れ物をした子供」だ。

 

通信の向こうで、微かに男の声(おそらくオーベルシュタイン)が聞こえる。『閣下……恥ずかしいのでやめてください』『うるさい!お前の目のためじゃぞ!』

 

ヤンは、天井を仰ぐ。

 

「(遠い目で)…………………」

 

何なんだ、この戦いは。数万人が命を懸けた攻防戦の結末が、これか。アルバムと洗浄液の返還交渉。歴史の教科書には絶対に載せられない。

 

「……どうなさいますか?閣下」

 

フレデリカが、笑いを堪えながら尋ねる。彼女もまた、この脱力感に毒されている。

 

「……送り返してあげよう」

 

ヤンは、疲れた声で答える。

 

「何というか、敵ながら不憫になってきた。……それに、あのアルバムをここで処分したら、本当に呪われそうだ」

 

ヤンは、オカルトは信じない主義だが、マルガレータの執念だけは超自然的な何かを感じさせる。

 

「シェーンコップ大佐。そのアルバムと、オーベルシュタインの部屋にある洗浄液を梱包してくれ。……丁重にな」

 

「寛大ですな」

 

シェーンコップは、ニヤリと笑う。

 

「まあ、よろしいでしょう。……敵の弱みを握ったままにしておくのも一興ですが、乙女の純情(とオッサンの義眼)を踏みにじるのは、紳士のすることではありません」

 

「そうだね。……それに、これで恩を売っておけば、次に戦う時に手心を加えてくれるかもしれない」

 

ヤンは、ちゃっかりとした計算も含ませる。甘い。甘すぎるが、それがヤン・ウェンリーという男だ。

 

「聞こえたかな、マルガレータ中将。……荷物は送る。着払いでね」

 

ヤンが通信機に向かって告げる。

 

『本当か!おお、感謝する!貴官は意外といい奴じゃな!見直したぞ!』

 

マルガレータの声が弾む。

 

『次に会う時は、お前の首を刎ねる前に、一度だけ降伏のチャンスをやろう!ではな!』

 

プツン。通信が切れる。嵐が去った後のような静寂。ヤンは、深くソファに沈み込む。

 

「……疲れた」

 

「お疲れ様でした、閣下」

 

フレデリカが、温かい紅茶を差し出す。ヤンはそれを一口飲み、ほうっと息を吐く。

 

「イゼルローンは落ちた。……だが、私の平穏な日々は、まだまだ遠そうだ」

 

窓の外には、無数の星々が輝いている。そのどこかで、ピンク色の戦艦が、忘れ物を待ちわびて漂っていることだろう。銀河の歴史が、また1ページ……奇妙なインクで書き加えられた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第七次イゼルローン要塞攻防戦 戦闘結果】

 

帝国軍

 

損害:ゼークト艦隊3割喪失、ヘルクスハイマー艦隊250隻損耗

 

人的被害:ゼークト大将負傷(収容され撤退)、シュトックハウゼン大将捕虜

 

精神的被害:マルガレータ中将(秘蔵アルバムを敵に見られる屈辱)

 

同盟軍

 

損害:第11艦隊3,400隻撃沈、旗艦エピメテウス大破・撃沈

 

人的被害:ホーランド提督軽症、第13艦隊(分艦隊)損害なし

 

損失:第13艦隊旗艦ヒューベリオンの囮部隊、1,200隻撃沈

 

結果:イゼルローン要塞奪取により、同盟軍の勝利

 

 

 

 

「(撤退する艦内で)…私の義眼のことまで気にかけていただけるとは。閣下は意外と部下思いですな」

 

「うるさい!前が『目が乾く』とうるさいからじゃ!…ああ、私のジークコレクションが…!」




ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

今回は、シリアスな攻防戦と、マルガレータ中将の強烈すぎる個性が激突した結果、
「史上初:推しアルバムと義眼洗浄液の返還交渉で戦争が終わる」
という、銀河規模のコメディが誕生しました。

ヤンの策の妙、帝国側の読み違い、そして最後のあまりにも人間臭い交渉。
どの場面が印象に残ったでしょうか?

ぜひ、

一番笑ったところ

一番好きなキャラの一言

「この展開は予想外だった」

「次の対決はこうなるのでは?」
などなど、感想をいただけたら、とても励みになります。

帝国と同盟の内乱どちらから見たいですか?

  • 銀河帝国
  • 自由惑星同盟
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