銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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今回の章では、イゼルローン要塞陥落という銀河級の大事件を背景に、帝国側の「政治・感情・処世術」が立体的に描かれます。

普段は怠そうに紅茶を飲んでいるアルが、いざとなれば誰よりも速く・深く動く
という本性を見せる場面があり、そこから物語の軸が急速に動き出します。

そして最後に訪れる、帝国の冷徹な政治処分が、少女の恋路を開くという鮮やかな落差――。
重厚さとコミカルさが絶妙に同居する、本作らしいエピソードです。

どうか肩の力を抜いてお楽しみください。


義眼の賭けと、兄の早業

銀河帝国首都星オーディン 軍務尚書府 執務室

 

 

今日も今日とて優雅な時間が流れている。部屋の主であるアルは、執務机の上に足を投げ出し、湯気の立つティーカップを片手に窓外の景色を眺めている。

 

彼の銀髪は窓から差し込む陽光を受けてキラキラと輝いているが、その瞳には「仕事したくない」という確固たる意志が宿っている。

 

「……ふあぁ。平和だ」

 

アルはあくびを噛み殺す。書類の山は見て見ぬふりだ。アナが淹れた紅茶の香りだけが、彼の現実逃避を助けてくれている。

 

「やはり、午後のお茶はダージリンに限るな。……この平和が永遠に続けばいいのだが」

 

フラグだ。彼がそう呟いた瞬間、デスクの上の緊急通信回線が、空気を読まないけたたましい音を立てる。ビーッ!ビーッ!ビーッ!

 

「……チッ。誰だ、俺の優雅なティータイムを邪魔する不届き者は」

 

アルは、露骨に嫌な顔をして受話器を取る。

 

「はい、こちらファルケンハイン。……もしセールスなら、間に合ってるぞ」

 

『か、閣下!!大変です!!緊急事態です!!』

 

オペレーターの絶叫が鼓膜を震わせる。

 

「うるさいな。……何だ?皇帝陛下のペットが逃げ出したのか?」

 

『違います!イゼルローン要塞からの定時連絡が途絶えました!そして、先ほど同盟軍からの広域放送を傍受!……イゼルローン要塞が、陥落しました!!』

 

「……ん?」

 

アルの手が止まる。カップがソーサーの上でカチャリと音を立てる。

 

「……なんだって?もう一度言え」

 

『イゼルローン要塞が落ちたのです!!敵の手に渡りました!!』

 

「……今日の日付は?」

 

アルブレヒトは、壁のカレンダーを見る。

 

『は?……5月14日ですが』

 

「エイプリルフールには、まだ11ヶ月も早いぞ。……悪い冗談はやめろ」

 

『事実です!冗談ではありません!敵の工作員が潜入し、内部からシステムを掌握された模様です!我が軍の駐留艦隊は、要塞の外に誘き出され、その隙に……!』

 

オペレーターの報告は続く。アルは、ゆっくりと受話器を置く。そして、冷めかけた紅茶を一口すする。

 

「……(カップを置き)……あの鉄壁が、内部からか」

 

彼の端正な顔から、怠け者の色が消える。一瞬だけ、冷徹な光が宿る。

 

「3万隻の大艦隊と、流体金属の装甲。……それを、物理的な破壊ではなく、ハッキングと詐欺で落としたわけか。……やるな、同盟軍」

 

彼は、感心したように唸る。怒りはない。むしろ、その鮮やかな手口に、一種の美的感動すら覚えている。もちろん、事態は最悪なのだが。

 

 

 

 

 

 

数十分後。元帥府の会議室には、緊急招集された面々が顔を揃えていた。

 

ローエングラム伯ラインハルト元帥。金髪の獅子は、悔しさに唇を噛み締め、美しい顔を歪めている。その傍らには、赤毛の半身、ジークフリード・キルヒアイス大将が控えている。

 

そして、ヘルマン・フォン・リューネブルク上級大将。白兵戦のスペシャリストであり、今回の敵将シェーンコップの元上官でもある彼は、不機嫌そうに腕を組んでいる。

 

「……で、報告書を聞いてどう思う?ラインハルト」

 

アルは、報告書をパラパラとめくりながら尋ねる。そこには、ヤン・ウェンリーがいかにして「詐欺」を働いたか、詳細(推測含む)が記されている。

 

「(悔しげに)……フン。ゼークトもシュトックハウゼンも不甲斐ない……が」

 

ラインハルトは、机を拳で叩く。

 

「やはり、このヤン・ウェンリー、そしてウィレム・ホーランドという者たちは曲者だな。……正面からぶつからず、こちらの虚を突くことに長けている。特にヤンという男、戦わずして勝つとは……軍人というよりは手品師だ」

 

ラインハルトは、正々堂々とした戦いを好む。だが、ヤンのような搦め手を使う相手の恐ろしさも理解している。

 

「そうだな。この電磁障害弾(チャフ)の使い方なんかは、実にいやらしい……」

 

アルは、報告書の一節を指差す。

 

「『これから通るぞ』と見せかけて、すでに通っている。……心理的な盲点を突いた見事なトリックだ。普通なら、こんな博打は打てない。……シェーンコップも相変わらず強いようだ。あの時、ヴァンフリートで決着をつけるべきだったかな?リューネブルク」

 

「……小官としても痛恨の極みです」

 

リューネブルクが、苦々しく答える。彼の目には、かつての部下への殺意が滲んでいる。

 

「あの男、腕っぷしだけでなく、詐欺師の才能まであるとは。……帝国軍の軍服を着て、味方のフリをするなど、騎士道精神の欠片もない」

 

「まあ、勝てば官軍だ。……負けた我々が何を言っても、負け惜しみにしかならん」

 

アルは、椅子に深く沈み込む。さて、ここからが本題だ。敗戦処理。もっとも面倒で、もっとも政治的な仕事だ。

 

「さて、処遇だ」

 

場の空気が凍りつく。イゼルローン陥落。帝国の歴史に残る大失態だ。誰かが責任を取らねばならない。

 

「マルガレータは良くやった。……少なくとも失策はしていない。敵の動きを読み、ゼークトの暴走をフォローし、最後は艦隊を無傷で持ち帰った。……15歳の初陣としては、合格点以上だ」

 

アルは、淡々と評価する。身内贔屓ではない。客観的に見ても、彼女の指揮は的確だった。悪かったのは、彼女の「運」と、ゼークトの「頭」だ。

 

「……ここは責を問わせたくはない……が」

 

アルは、天井を仰ぐ。

 

「敗軍の将は敗軍の将だ。……要塞を失った事実は消えない。世論も、貴族たちも、誰かの生贄を求めている」

 

「……ゼークトとシュトックハウゼンは今は正規軍だ」

 

ラインハルトが、静かに口を開く。彼は立ち上がる。

 

「彼らの任命責任は、軍務省にある。……そして、宇宙艦隊司令長官である、俺の監督責任でもある」

 

ラインハルトは、胸に手を当てる。その瞳には、悲壮な決意が宿っている。

 

「俺が責任を取る。……俺の辞表で、事態を収拾するしかあるまい」

 

潔い。あまりにも潔い。彼は、部下の失敗を上司が被るのが当然だと考えている。高潔な精神だ。だが、世渡りとしては0点だ。

 

「(即答)馬鹿を言うな!」

 

アルは、手元の報告書をラインハルトに向かって投げつける。

 

「お前が辞めるのは、俺が辞めた後だ!年功序列を守れ!若造が先に楽になろうなど、100年早い!」

 

「ファルケンハイン!今はそんな冗談を……」

 

ラインハルトが呆れる。この期に及んで、何を言っているんだこの人は。

 

「冗談じゃない!本気だ!」

 

アルは、机をバンと叩く。

 

「お前が辞めたら、誰が俺の仕事を肩代わりするんだ?誰がこの書類の山を処理するんだ?俺一人に押し付ける気か?死んでも断る!」

 

本音だ。100%、混じりっけなしの本音だ。彼は、ラインハルトという「優秀な働きアリ」を失うことを何よりも恐れている。

 

「それに、お前がいなくなったら、俺がリヒテンラーデ候や他の貴族どもの矢面に立たされるだろうが。……俺の平穏な老後のために、お前は働き続けろ。死ぬまで働け」

 

「……貴様」

 

ラインハルトのこめかみに青筋が立つ。感動的な自己犠牲のシーンが、台無しだ。

 

「とにかく、ラインハルト。お前の辞表は受理せん。……シュトックハウゼンは捕虜だから放置でいいとして、ゼークトは死んで(社会的に)詫びてもらう」

 

アルは、冷酷に切り捨てる。

 

「だが、それだけでは足りん。……マルガレータに詰め腹を切らせるしかあるまい。貴族直轄軍のメンツもある」

 

「……!」

 

ラインハルトが、鋭い視線を向ける。

 

「貴様……!見捨てるのか!あの少女を!」

 

ラインハルトは、マルガレータのことを気に入っている。キルヒアイスへの純愛(暴走気味だが)や、その才気を評価しているのだ。それを、政治的なスケープゴートにするのか。

 

「彼女はまだ15歳だぞ!しかも、ロイエンタールの養女だ!彼との関係も悪化するぞ!」

 

「わかっている」

 

アルは、ニヤリと笑う。悪巧みをする時の顔だ。

 

「ロイエンタールの娘をいたずらに死なせるつもりはない……。安心しろ、ラインハルト。俺には考えがある」

 

「彼女には、責任を取って『更迭』されてもらう。……だが、ただの更迭ではない。もっと面白い場所へ飛ばしてやる」

 

「面白い場所?」

 

「ああ。……彼女の才能が、より輝く場所だ。そして、ほとぼりが冷めた頃に、英雄として帰還させるシナリオだ」

 

アルは、ウインクしてみせる。

 

「兄の早業を見せてやろう。……伊達に長年、この泥沼の宮廷で生き残ってきたわけではない」

 

彼は、黒い笑顔を見せる。その笑顔を見て、ラインハルトは少しだけ安堵し、同時に「この男を敵に回したくない」と改めて思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

会議の後。ラインハルトは、自身の元帥府に戻っていた。執務室の窓から、夕暮れのオーディンを見下ろす彼の背中は、憂いを帯びている。

 

「ラインハルト様」

 

キルヒアイスが、コーヒーを持ってくる。

 

「あまり思いつめないでください。……イゼルローンの失陥は痛手ですが、これで貴族たちの目も覚めるでしょう。ラインハルト様が必要だと、誰もが思い知るはずです」

 

「ああ……。だが、キルヒアイス。俺は焦っているのかもしれん」

 

ラインハルトは、カップを受け取る。

 

「ヤン・ウェンリー……。あの男は、俺の前に立ちはだかる壁になる。……俺には、もっと力が必要だ。奴を打ち破るための、知恵と力が」

 

その時。部屋のインターホンが鳴る。

 

「閣下。パウル・フォン・オーベルシュタイン大佐が、面会を求めに来ております」

 

受付からの連絡だ。

 

「オーベルシュタイン?」

 

ラインハルトが眉をひそめる。

 

「ああ、マルガレータ嬢の参謀長だな。イゼルローンから帰還したばかりのはずだが……。あの不気味な男か」

 

「何の用だ?敗戦の報告なら、すでに軍務省で聞いたが」

 

「いえ、個人的な要件だそうです。『どうしても閣下に直接申し上げたいことがある』と」

 

「ふむ……。通せ」

 

ラインハルトは許可する。あの男が、個人的に何を言ってくるのか、少し興味が湧いたのだ。

 

ドアが開き、オーベルシュタインが入室してくる。長身痩躯。半白の髪。そして、人工の光を放つ義眼。その姿は、夕暮れの執務室に不吉な影を落とす。

 

「パウル・フォン・オーベルシュタインです」

 

彼は、感情のない声で名乗り、敬礼する。その動作には隙がない。

 

「閣下。本日は、閣下にお願いを申し上げに参りました」

 

「ふむ、何用かな?」

 

ラインハルトは、椅子に座ったまま問う。

 

「イゼルローンの敗戦処理についてか?それとも、マルガレータ中将の減刑嘆願か?」

 

「……」

 

オーベルシュタインは、直立不動のまま言う。

 

「ですがその前に……お人払いを願いたい」

 

「お人払い?」

 

ラインハルトは、部屋を見回す。 ここには、自分とキルヒアイスしかいない。

 

「ここにはキルヒアイス大将しかいないが?」

 

「ええ。キルヒアイス大将閣下がおられる。……ですから、お人払いを」

 

オーベルシュタインは、義眼をキルヒアイスに向ける。 その視線は、明確に「邪魔だ」と言っている。

 

「(ムッとして)……」

 

ラインハルトの表情が険しくなる。キルヒアイスを退室させろだと?この俺の半身を?無礼にも程がある。

 

「キルヒアイスは私自身……」

 

ラインハルトは、いつものフレーズを口にしかける。

「キルヒアイスは私自身も同然だ」これは、彼の口癖であり、キルヒアイスへの絶対的な信頼の証だ。

 

だが。その瞬間。彼の脳裏に、ある人物の言葉がリフレインした。

 

『ラインハルト様。……世間では、貴方とキルヒアイス大将の関係を、その……ボーイズ・ラブ的な意味で誤解している輩が多いのです』

 

ヒルデガルド・フォン・ローエングラム(ヒルダ)。彼の聡明な秘書官(であり、最近は新妻)からの、ありがたくも頭の痛い忠告だ。

 

『特に、「私自身」とか「半身」とかいう表現は、腐女子……いえ、一部の層を刺激しすぎます。公的な場では、もう少しドライな表現を心がけてください。……同性愛疑惑は、スキャンダルになりかねませんので』

 

(……いかん!ヒルダに言われていたんだった!)

 

ラインハルトは、心の中でブレーキをかける。危ない。今、「私自身」と言いかけてしまった。もしこのオーベルシュタインが、そういう噂を流すスパイだったらどうする?「ローエングラム伯、執務室で愛の告白」なんて記事が書かれたら、姉上(アンネローゼ)に合わせる顔がない。

 

「……いや、我が友だ」

 

ラインハルトは、不自然に咳払いをして言い直す。

 

「我が信頼する部下であり、友人だ。……それを知らないのか?」

 

ギリギリセーフだ。たぶん。

 

「存じております」

 

オーベルシュタインは、表情を変えずに言う。彼は、ラインハルトの内心の葛藤になど興味がないようだ。

 

「ですが、あえてキルヒアイス大将には聞かせたくない話なのです」

 

「……あえて?」

 

「光には影が必要です。……キルヒアイス大将は、閣下にとっての『光』。あまりにも眩しすぎる。これからの話は、光の下でするには薄汚すぎる話です」

 

オーベルシュタインの言葉には、奇妙な説得力があった。

 

「しかし、私が後で話せば同じことだぞ?私は彼に隠し事などせん」

 

ラインハルトは抵抗する。秘密を作りたくない。

 

「それはもちろん閣下のご自由です。……私が話した後に、閣下がどうなされるかは」

 

オーベルシュタインは一歩踏み出す。

 

「しかし閣下。貴方のなさろうとする覇業には、清濁併せ呑む、色々なタイプの部下が必要です。……清廉潔白な水には、魚は棲めません」

 

「……」

 

「私は、泥水になれます。……キルヒアイス大将にはできぬ、汚い仕事を、私が引き受けましょう」

 

自分を売り込んでいるのだ。泥として。毒として。覇王の剣の、錆びた部分として。

 

キルヒアイスは、静かにラインハルトを見る。彼は、オーベルシュタインの言わんとすることを察したようだ。自分にはできない役割。ラインハルトが皇帝になるために必要な、冷徹な計算機。それが、目の前の男なのだと。

 

「(空気を読み)……ラインハルト様」

 

キルヒアイスは、穏やかに微笑む。

 

「私は隣室で控えております。……コーヒーのおかわりを淹れておきましょう」

 

「キルヒアイス……」

 

ラインハルトは、友の顔を見る。その目には、「話を聞いてあげてください」というメッセージがある。

 

「……すまない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、閣下」

 

オーベルシュタインの声は、冷徹な響きを持っている。

 

「我が主君、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー中将は、今いささか辛い立場にあります」

 

「イゼルローンを失陥したのだからな」

 

ラインハルトは、玉座のような椅子に深く腰掛け、つまらなそうに答える。

 

「当然であろう。敗軍の将には罰があってしかるべきだ。15歳の少女とはいえ、中将の階級にある以上、責任は免れん」

 

正論だ。 軍隊とはそういう組織だ。

 

「違います、閣下」

 

オーベルシュタインは、首を横に振る。

 

「敗北したから責められているのではありません。マルガレータ様は『生き残った』……それだけのことで、断罪されようとしているのです」

 

「生き残った?」

 

「はい。シュトックハウゼン大将は捕虜となり、ゼークト大将は重傷を負いながらも生還しました。しかし、貴族社会の長老たちはこう囁いています。『なぜおめおめと帰ってきた』と」

 

オーベルシュタインの声に、微かな嘲笑が混じる。

 

「『名誉ある玉砕死を遂げず、敵に背を向けて逃げ帰るとは、帝国の恥さらしだ』……。彼らは、少女の命よりも、カビの生えたメンツを重んじるのです」

 

ラインハルトの眉が動く。彼が最も嫌悪する、「旧態依然とした貴族の論理」だ。

 

「……くだらん」

 

ラインハルトが吐き捨てる。

 

「だが、それが今の帝国の現実だ。変えるには力が必要だ」

 

「その通りです。……閣下、御覧ください」

 

オーベルシュタインは、自分の顔を指差す。その両眼には、生気のない人工の瞳が埋め込まれている。

 

「私は義眼です。生まれつき、視神経に障害がありました」

 

彼は淡々と、しかし腹の底に煮えたぎるマグマのような感情を込めて語る。

 

「ルドルフ大帝の御世であれば、あるいは厳格な『劣悪遺伝子排除法』が適用される家系であれば、私は生まれ落ちた瞬間に処分されていたでしょう。……生きてもいれなかった命です」

 

ラインハルトが彼を見る。その視線に、初めて興味の色が宿る。

 

「お分かりですか?私は恨んでいるのです。ゴールデンバウム王朝を」

 

オーベルシュタインは断言する。

 

「この国を支配する、血統主義と、選民思想と、そして硬直したシステムそのものを」

 

「(目を細め)……危険な発言だな」

 

ラインハルトの声が低くなる。それは反逆の言葉だ。憲兵が聞いていれば、即座に連行されるレベルの。

 

「それが、マルガレータ嬢と何の関係がある?」

 

「マルガレータ様もまた、同じです」

 

オーベルシュタインは続ける。

 

「父、ヘルクスハイマー伯の亡命未遂事件。……あれにより、彼女は貴族社会から一度は見捨てられました。一族は殺し合い、彼女だけが生き残った。……彼女は知っています。この国において、『家』や『伝統』がいかに脆く、そして残酷なものであるかを」

 

彼は、一歩踏み出す。

 

「彼女もまた、ゴールデンバウム王朝など、とうに見限っておられます。復讐心と、生き残るための野心だけが彼女の原動力です」

 

「……ほう」

 

「ですから、閣下の覇業に我々は役に立つと申し上げているのです。……私たちは『共犯者』になれる」

 

オーベルシュタインは、自分と、あの15歳の怪物をセットで売り込む。毒を以て毒を制す。ラインハルトという巨大な毒(革命)に、自分たちという劇薬を混ぜ合わせようというのだ。

 

「そして、閣下……」

 

オーベルシュタインは、ここで最大の賭けに出る。ラインハルトの心の柔らかい部分、そして最も敏感な部分に触れる。

 

「今のままでは、けしてあなたはファルケンハイン元帥には勝てませんぞ」

 

ピクリ。ラインハルトの肩が跳ねる。

 

「……何だと?」

 

「ファルケンハイン元帥は、清濁併せ呑む度量と、貴族社会を操る老獪さを持っています。……閣下のような『正論』だけでは、あの『現実』という壁を崩すことはできません。彼を超えるには、私のような『影』が必要なのです」

 

これは、事実だ。だが、ラインハルトにとって、それは最も認めたくない事実であり、そして「兄」への侮辱でもあった。

 

アルブレヒトは、ラインハルトにとって乗り越えるべき壁だが、同時に尊敬する兄でもある。その兄を、他人が「敵」と認定し、あまつさえ「勝てない」と断言する。それは、彼の逆鱗に触れる行為だ。

 

「(激昂)キルヒアイス大将!!」

 

ラインハルトが叫ぶ。もはや我慢の限界だ。

 

バアン!!

 

隣室のドアが蹴破られる。待機していたキルヒアイスが、風のように飛び込んでくる。 手にはブラスター(の安全装置を解除した状態)が握られている。

 

「ラインハルト様!」

 

「オーベルシュタイン大佐を逮捕しろ!今すぐだ!」

 

ラインハルトが立ち上がり、義眼の男を指差す。

 

「帝国に対して、そして兄上(ファルケンハイン)に対して反逆の言質があった!分断工作を図り、上官を侮辱した罪だ!帝国軍人として、そして弟として看過できん!」

 

キルヒアイスが、銃口をオーベルシュタインに向ける。だが、オーベルシュタインは動じない。眉一つ動かさず、ただ深いため息をついた。

 

「……(ため息)所詮、貴方もその程度の人か……」

 

彼は、憐れむような目でラインハルトを見る。

 

「身内だけで狭い世界を生きていくとよろしい。……仲良しこよしの『兄弟ごっこ』で、宇宙が手に入ると思っているなら」

 

「貴様ッ……!撃て、キルヒアイス!」

 

「お待ちください!」

 

キルヒアイスが躊躇する。彼は感じ取っているのだ。この男の言葉には、真実が含まれていると。そして、ここで彼を殺せば、ラインハルトは何かもっと大きなものを失う気がすると。

 

オーベルシュタインは、銃口を向けられたまま、ゆっくりとキルヒアイスの方へ顔を向けた。

 

「キルヒアイス大将」

 

「……何だ」

 

「残念です。……マルガレータ様は、貴官のことを深く慕っておられた」

 

「え?」

 

唐突な話題転換。キルヒアイスが面食らう。

 

「あの方は、イゼルローンを脱出する際、こう言っておられたのです。……『生きて帰れたら、ジークに会いにいく。そして……』」

 

オーベルシュタインは、一呼吸置く。そして、爆弾を投下した。

 

「『あなたに処女を捧げる』と」

 

「は?」

 

キルヒアイスの手から、ブラスターが滑り落ちそうになる。思考回路がショートする。 処女?捧げる?誰に?僕に?15歳が?

 

「(真っ赤になって)な、な、何を……!?」

 

「残念だ。……若さに似合わず才気煥発な方なのだが……。ここで私が逮捕されれば、彼女も連座して処刑される運命か」

 

オーベルシュタインは、わざとらしく天井を仰ぐ。

 

「彼女は、貴官に会うためだけに、必死で生き延びてきたというのに。……その想いごと、貴官の手で葬り去ることになるとは」

 

情に訴える。それも、恋愛感情(一方的な)という最強のカードを使って。キルヒアイスのような誠実な男にとって、「自分を愛してくれている少女を殺す」など、絶対にできることではない。

 

「ラ、ラインハルト様……」

 

キルヒアイスが、助けを求めるように主君を見る。その目は、「殺せません」と語っている。

 

ラインハルトもまた、固まっていた。怒りが、別の感情に上書きされていく。驚き。呆れ。そして……。

 

「(ピタリと動きを止め)……言いたいことを言う男だ……」

 

ラインハルトが、椅子に座り直す。毒気が抜かれたようだ。この土壇場で、そんな下世話な(しかし切実な)話題を出してくるとは。その度胸と、手段を選ばない狡猾さ。

 

「卿の勇気には敬意を表する。……普通なら、命乞いをする場面だぞ」

 

「命あっての物種ですから。使える手は何でも使います」

 

オーベルシュタインは平然と答える。その態度に、ラインハルトは苦笑するしかなかった。こいつは、「綺麗な正義」だけでは生きていけない世界を知っている。アルの言う「清濁併せ呑む」ための道具に、なり得るかもしれない。

 

「……いいだろう。逮捕は取り消す」

 

ラインハルトは手を振る。キルヒアイスが、ほっと息をついて銃を収める。

 

「だが、マルガレータ嬢のことは……」

 

ラインハルトは、少しバツが悪そうに視線を逸らす。

 

「任せろ……と言いたいところだが。遅かったな」

 

「は?」

 

オーベルシュタインが、初めて表情を崩す。義眼が見開かれる。

 

「な!まさか、すでに銃殺刑に……」

 

「そうではない」

 

ラインハルトは、ニヤリと笑う。それは、敗北を認める悔しさと、兄への信頼が入り混じった、複雑な笑みだった。

 

「弟より兄のほうが手が早いということだ。……貴様の来る前に、あの方(アルブレヒト)は動いていたよ」

 

彼は、デスクの上の端末を操作し、一枚の辞令書をホログラムで投影する。それは、数時間前に軍務尚書府から送られてきた決定事項だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝都オーディン ノイエ・サンスーシ 黒真珠の間

 

 

 

床に敷かれた分厚い絨毯の上、一人の少女が跪いている。

マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー。15歳にして中将という地位にありながら、イゼルローン要塞を失った敗軍の将。

彼女の小さな背中は震えている。恐怖からではない。「ジーク(キルヒアイス)にもう会えないかもしれない」という絶望からだ。

 

(……やはり、終わりか。父様(ロイエンタール)には迷惑をかけたな。……ジーク、最後にもう一度、あの人を見たかった……)

 

彼女が走馬灯を見ていると、頭上から重々しい声が降ってくる。

 

「貴族直轄軍、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー中将に勅命を申し渡す」

 

声の主は、国務尚書クラウス・フォン・リヒテンラーデ公爵。帝国の行政を一手に握る古狸だ。彼は、不機嫌そうに、しかし困惑したような顔で、羊皮紙を読み上げる。

 

「イゼルローン失陥の責任を問い、貴官の軍籍を剥奪する。……並びに、ヘルクスハイマー家の家督相続を一時凍結とする」

 

「………そんな……」

 

マルガレータが顔を伏せる。軍籍剥奪。それは、彼女の生きる道が閉ざされたことを意味する。

 

「本来であれば銃殺刑であるところを、陛下の格別の思し召しである。感謝するように」

 

リヒテンラーデは、わざとらしく咳払いをする。

 

「……そして、卿には別の役割がある。陛下は、罪を憎んで人を憎まず、才能を惜しまれるお方だ。……再就職先を用意された」

 

「(顔を上げ)……はい?」

 

マルガレータが顔を上げる。再就職?敗軍の将に?処刑を免除された上に、仕事まで斡旋してくれるのか?

 

「何でございましょう?……まさか、どなたかの妾にでもなれと?」

 

彼女は警戒する。貴族社会の闇は深い。好色なジジイの慰み者にされるくらいなら、舌を噛んで死ぬ覚悟だ。

 

リヒテンラーデは、彼女の警戒心を鼻で笑うように告げた。

 

「卿を、帝国正規軍元帥ローエングラム伯の元帥府にて……ジークフリード・キルヒアイス大将の麾下に配属するものである」

 

「………………は?」

 

時が止まる。マルガレータの脳内CPUがフリーズする。キルヒアイス?ジーク?麾下?配属?

 

「聞こえなかったか?耳まで悪くなったか?」

 

リヒテンラーデは面倒くさそうに繰り返す。

 

「階級は中将とする。……なお、卿が率いていた貴族直轄軍の艦隊1万5千隻は、全て軍籍を剥奪し、正規軍へ編入。……キルヒアイス大将の指揮下となることを明記せよ。以上だ」

 

要するにこういうことだ。

 

1.マルガレータは「貴族軍」をクビになる。

2.その代わり、「正規軍」に再雇用される。

3.配属先は、最愛のジークフリード・キルヒアイスの直属。

4.手土産として、自分の艦隊ごと移籍する。

 

これは処罰ではない。栄転だ。いや、彼女にとっては「天国へのパスポート」だ。

 

「(口をパクパクさせて)……へ?じ、ジークの?部下?……ずっと一緒?毎日会える?お茶汲みもできる?」

 

マルガレータの顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。死刑台から一転、ウェディングロードに放り出されたような衝撃。

 

「……まあ、帝国もたまには人情を見せるということだ」

 

リヒテンラーデは、ふん、と鼻を鳴らす。

 

「ファルケンハイン元帥に感謝するといい。……あの男が、頭を下げてきたのだからな」

 

「ファルケンハイン元帥閣下に?」

 

マルガレータが目を見開く。

 

「(苦々しげに)ああ。……あの男が、政敵であるこの私に、わざわざ頭を下げて頼みに来たのだ」

 

リヒテンラーデは、昨夜の出来事を思い出すように語る。

 

『公爵。彼女を殺すのは惜しい。だが、法は曲げられん。……そこで相談だ。形式上、貴族軍としての籍は抜く。責任は取らせる。その上で、人材不足の正規軍へ再就職させるという形ならどうだ?これなら貴族のメンツも立ち、戦力も維持できる』

 

アルブレヒトは、そう言ってリヒテンラーデに「花を持たせた」のだ。

 

「やつの権限ならば、陛下に直接とりなしていただくこともできる。おそらく成就しただろうしな。……そこをあえて、私を通すことで筋を通し、私の顔を立てた」

 

リヒテンラーデは、悔しそうに、しかしどこか感心したように言う。

 

「あの俗物め……。計算高い男だ。貸しを作られた気分だが、悪い気はしない提案だった」

 

彼は、マルガレータを見下ろす。

 

「なお、ゼークト大将は予備役とする。資産没収の罰つきなのでな、老後の生活は楽ではあるまい。……これもファルケンハイン曰く『これで良い。生きて恥を晒すのが一番の罰だ』とのことだ」

 

マルガレータの目から、涙が溢れ出す。適当で、女好きで、サボり魔だと思っていたけれど。なんて優しい、そして頼れる大人なのだろう。

 

「(感涙)は、はい!ありがとうございます!!謹んでお受けいたします!!」

 

マルガレータは、床に額をこすりつけて感謝する。これで、ジークと一緒にいられる。 彼女の人生は、バラ色に塗り替えられた。

 

「フン。……精々励むがいい。キルヒアイス大将に迷惑をかけるなよ」

 

リヒテンラーデは宮殿の奥へと消えていく。その背中は、「やれやれ、若者の恋路の世話までさせられるとは」と語っているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……くしゅんっ!」

 

盛大なくしゃみが出る。手元の書類に飛沫が飛びそうになり、慌てて避ける。

 

「……誰か俺の噂でもしてるか?寒気がする」

 

鼻をすする。風邪か?

 

「マルガレータ様からの感謝の念でしょう。……今頃、宮殿で嬉し泣きをしている頃ですわ」

 

アナが、新しいティッシュ箱を差し出しながら微笑む。彼女は全てお見通しだ。

 

「それにしてもアル様。……リヒテンラーデ侯に頭を下げるとは。珍しいですね。いつもなら『爺』呼ばわりして喧嘩を売るのに」

 

「タダより高いものはないからな」

 

アルは、鼻をかみながらニヤリと笑う。

 

「俺が直接陛下に頼めば、リヒテンラーデは面白くないだろう? 『ファルケンハインが増長している』と警戒される。……だが、あいつに頭を下げて『国務尚書のお力でなんとか』と頼めば、あいつのプライドは満たされる」

 

これが、大人の処世術だ。 実利(マルガレータの救済)を取るために、名ばかりのプライドは捨てる。貸しを作っておけば、いざという時に「あの時の借りを」と言って無理を通せる。

 

「それに……」

 

アルは、窓の外を見る。そこには、ラインハルトの元帥府がある方角が見える。

 

「マルガレータとキルヒアイスをくっつけておけば、ラインハルトのブラコン・シスコンも少しは緩和されるだろう?……あいつの意識を、キルヒアイスから少しでも逸らすための『避雷針』が必要なんだよ」

 

キルヒアイスに彼女(というかストーカー)ができれば、ラインハルトも遠慮して距離を置かざるを得ない。そうすれば、ヒルダちゃんとの時間も増える。家庭円満。帝国の安定。全て計算通りだ。

 

「……相変わらず、回りくどい優しさですね」

 

「優しさじゃない。俺の安眠のための投資だ」

 

こうして、マルガレータは無事に生き残り、最愛のジークの元へと「就職」を果たした。 彼女がキルヒアイスの部下として、そしてラインハルト陣営の「劇薬」としてどのような活躍を見せるのか。それはまだ、誰にも分からない。




今回の章は、作者としても「銀英伝世界でやりたかった場面」を全力で詰め込みました。

もしよければ――

好きなシーン

アルの政治力のどこが刺さったか

オーベルシュタインの発言への感想

キルヒアイスの反応が可愛いと思った場面

マルガレータの転職について一言

など、どんな些細な感想でも励みになります。

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