銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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自由惑星同盟に、久しぶりの熱狂が訪れました。
イゼルローンを奪還したという勝利は、停滞した社会にひとときの祝祭をもたらし、人々は英雄を求め、メディアは彼らを飾り立てていきます。

しかし、英雄が光を浴びるとき、必ずその影で政治の歯車が動き始めます。
軍事的勝利と、政治的現実。
祝祭と、戦略。
拳を掲げる者と、静かに笑う者。

今回の章は、その光と影が最も鮮明に浮かび上がる場面となりました。
三英雄の賑やかな騒動と、トリューニヒトの微笑み。
そして、ヤン・ウェンリーという男が抱く静かな危機感を、どうぞお楽しみください。


帝国領侵攻~常勝と不敗と~
三英雄のアイドル活動と、悪徳政治家の正論


自由惑星同盟首都星 ハイネセン

 

 

この惑星は今、建国以来最大とも言える熱狂の渦に飲み込まれている。街中には紙吹雪が舞い、酒場では勝利の美酒が振る舞われ、市民たちは「イゼルローン」という単語を口にするたびにハイタッチを交わしている。

 

難攻不落の要塞を、無血で、しかもたった半個艦隊で奪取したという事実は、停滞していた同盟社会に劇薬のような興奮をもたらしたのだ。

 

そして、その震源地である統合作戦本部の一室。ここでは今、銀河の歴史に残る(かもしれない)人事異動の辞令交付式が行われた直後の、カオスな光景が展開されている。

 

「ガハハハハ!!見たかヤン!見たかシェーンコップ!この輝きを!」

 

部屋の空気を振動させるような大声と共に、一人の巨漢が何かをブンブンと振り回している。ウィレム・ホーランド。大将改め、同盟軍史上最年少の「元帥」となった男である。 彼の手にあるのは、元帥の証である元帥杖だ。だが、その扱いは指揮棒というよりは、子供が手に入れた新しいオモチャ、あるいは原始人が獲物を殴るための棍棒に近い。

 

「俺は33歳にして元帥だ!あの伝説の『730年マフィア』の筆頭、ブルース・アッシュビーでさえ元帥になったのは死後だぞ!生きて元帥になった俺の方が上だ!勝った!俺は歴史に勝ったぞ!」

 

ホーランドは、自分の胸板をドンと叩く。新しい階級章が、ピカピカと光を反射して眩しい。彼のエネルギーは天井知らずだ。もしこの部屋に発電機があれば、ハイネセンの電力不足は一瞬で解消するだろう。

 

その猛牛の対角線上で、一人の男がソファに沈み込んでいる。まるで、空気の抜けた風船のように。ヤン・ウェンリー中将改め、同盟軍最年少の「大将」となった男である。

 

「(死んだ魚の目で、新しい大将の階級章を見つめ)……おめでとうございます、ホーランド元帥閣下。……歴史的快挙ですね。素晴らしいです。棒読みですが」

 

ヤンの目には、生気がない。彼の魂は、すでにこの部屋を抜け出し、自宅のベッドで毛布にくるまっているようだ。

 

「……私は、29歳で大将ですか。……中将になってから、まだ1年も経っていないのに」

 

ヤンは、手元の辞令書を恨めしそうに見る。

 

「年金が増えるのはいいんですが……。責任が重すぎる。大将なんて、艦隊の一つや二つ動かさないといけない階級じゃないですか。……胃が痛い。胃薬の経費は落ちるんでしょうか」

 

「まあまあ、提督。そんなに悲観することはありませんよ」

 

二人の間に割って入ったのは、これまた新調した軍服に身を包んだ男だ。ワルター・フォン・シェーンコップ。ローゼンリッター連隊長、そして「少将」へ二階級昇進を果たした不良である。

 

「我々は今、同盟の救世主ですからな。トリューニヒト委員長命名の『イゼルローン奪取の三英雄(トリニティ)』として、愛想を振りまくのも仕事のうちですぞ」

 

シェーンコップは、ニヤリと笑う。少将の階級章が、彼の伊達男ぶりをさらに引き立てている。

 

「そのネーミング、恥ずかしくないんですか……」

 

ヤンが顔をしかめる。三英雄。トリニティ。まるで日曜朝の子供向け特撮番組のチーム名のようだ。センスが壊滅している。

 

「恥ずかしい?何を言うかヤン!」

 

ホーランドが、ヤンの背中をバシッと叩く。衝撃でヤンの首がガクンと揺れる。

 

「カッコいいではないか!俺が『レッド(リーダー)』で、シェーンコップが『ブラック(色男)』、お前は……そうだな、『グリーン(参謀)』あたりか!色分けまで完璧だ!」

 

「私は色分けされたくありません……」

 

「それに、国民も期待しているのだぞ!見ろ、このカメラの砲列を!」

 

ホーランドが、窓の外を指差す。本部の外には、マスコミが黒山の人だかりを作っている。

 

「よし!サービスしてやろう!」

 

ホーランドは、窓を全開にする。そして、身を乗り出し、元帥杖を高々と掲げた。

 

「おーい!国民の諸君!俺だ!ホーランドだ!」

 

『キャーッ!ホーランド様ー!』

 

『元帥閣下ー! 抱いてー!』

 

黄色い歓声が上がる。同盟市民は、こういう分かりやすい英雄に弱い。

 

「(カメラに向かって)国民の諸君!今回の勝利は、俺一人のものではない!……次はこいつ、ヤン・ウェンリーが元帥になる番だ!俺が保証する!」

 

ホーランドは、嫌がるヤンの首根っこを掴み、無理やり窓辺に引きずり出す。

 

「見ろ!このやる気のない顔を!だが、彼の脳味噌には宇宙が詰まっている!彼の智謀は銀河一だ!独身だ!彼女募集中だ!ファンレターは第13艦隊司令部、官舎番号103まで送ってくれ!」

 

「(悲鳴)やめてください!!住所を言わないで!仕事が増える!」

 

ヤンが絶叫する。個人情報保護法など、この猛牛の前では無力だ。

 

「ガハハハ!遠慮するな!これから我々は、同盟の広告塔として馬車馬のように働くのだ!戦場の次は、芸能界(メディア)への殴り込みだ!」

 

ホーランドは、ヤンの肩を組み、カメラに向かってVサインを決める。その横で、シェーンコップが優雅に手を振っている。ヤンだけが、助けを求めるように虚空を見つめていた。彼の受難は、まだ始まったばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数時間後 ハイネセンの国営放送局 第1スタジオ。

 

 

「はい、ヤン提督!メイク直しますねー!」

 

「ホーランド元帥、汗拭きまーす!」

 

「シェーンコップ少将、電話番号教えてくださーい!」

 

スタッフたちが、三人の周りを飛び回っている。彼らは今、政府広報のCM撮影に臨んでいた。 目的は「戦意高揚」と「国債の販売促進」、そしてなぜか「紅茶メーカーとのタイアップ」だ。

 

「……帰りてえ」

 

ヤンは、楽屋の鏡の前で呟く。彼の顔には、普段より3割増しで厚いドーランが塗られている。ベレー帽の角度まで、スタイリストによってミリ単位で調整されている。

 

「なぜ、私がこんなことを……。軍人の仕事は、国を守ることでしょう?笑顔で商品を売ることじゃないはずだ」

 

「諦めなさい、提督」

 

隣の席で、シェーンコップがタキシード(軍服の上から羽織っている)の襟を直している。

 

「平和な民主主義国家において、英雄とは『消費されるコンテンツ』なのです。……それに、出演料(ギャラ)は悪くない。退役後の資金稼ぎだと思えば、腹も立たないでしょう」

 

「ギャラが出るなら、まだマシですが……。これ、公務の一環だから手当だけですよ」

 

「なんと。……それは暴動を起こしてもいいレベルですな」

 

そこへ、ディレクターが駆け込んでくる。業界人特有の、セーターを肩にかけた軽薄そうな男だ。

 

「さあさあ!本番行きますよー!三英雄の皆さん、元気よくお願いしまーす!」

 

スタジオの中心に立たされる三人。カメラが回る。カチンコが鳴る。

 

「よーい、アクション!」

 

まずはヤンの出番だ。彼は、指定されたティーカップ(中身は冷めた泥水のような紅茶)を持ち、カメラ目線を作らされる。

 

「はい、ヤン提督!そこで紅茶を飲んで、爽やかに『勝利の味、キルヒ・ティー』と一言お願いします!笑顔で!視聴率取れる笑顔で!」

 

「……」

 

ヤンは、引きつった顔でカップを口に運ぶ。手が震えている。敵艦隊の前でも震えない手が、カメラの前では制御不能だ。

 

「……私は軍人なんですが」

 

ヤンが、ボソリと本音を漏らす。声が小さい。目線が泳いでいる。

 

「カットカットー!提督、暗いです!お葬式じゃないんですよ!もっとこう、パッションを!明日への希望を!」

 

ディレクターがダメ出しをする。

 

「無理です。……そもそも、キルヒ・ティーって何ですか。某赤毛の副官みたいな名前ですが」

 

ヤンが抵抗を試みる。だが、その横から、熱い風が吹き込んでくる。

 

「(横から割り込み)硬いぞヤン!貸してみろ!」

 

ホーランド元帥が、フレームインしてくる。彼は、ヤンの手からカップをひったくる。

 

「こうやるのだ!見ておれ!」

 

ホーランドは、カメラに向かってカッと目を見開く。眼力が強すぎて、レンズが割れそうだ。

 

「うおおおおおッ!!」

 

彼は、紅茶を一気に煽る。熱くもないのに、フーフーと息を吹きかける演技付きだ。

 

「美味いッ!!五臓六腑に染み渡るわぁぁぁッ!!」

 

そして、彼は感極まった表情で叫ぶ。

 

「この一杯のために、俺は戦う!民主主義の味だ!自由の香りだ!買え!国民よ、これを飲んで俺と共に走ろう!」

 

ガシャァァァン!!

 

彼は、あまりの熱演に力が入りすぎ、カップを素手で握り潰してしまう。陶器の破片と紅茶が飛び散る。

 

「あ」

 

「……」

 

スタジオが静まり返る。だが、ディレクターだけが拍手喝采する。

 

「素晴らしい!!その破壊力!その野性味!最高です元帥!採用!」

 

「ガハハハ!そうだろう!破壊こそ創造だ!」

 

ホーランドが得意げに笑う。ヤンは、飛び散った紅茶を拭きながら、「この人とは一緒に住めない」と改めて確信する。

 

「次はシェーンコップ少将!お願いします!」

 

カメラが切り替わる。シェーンコップは、セットの柱に寄りかかり、用意された美女モデル(水着風の衣装)を侍らせている。そのポーズは、あまりにも自然だ。まるで、生まれた時からそこにいたかのように馴染んでいる。

 

「……フッ」

 

シェーンコップは、グラス(中身はグレープジュース)を揺らす。流し目。セクシーな吐息。

 

「戦場の喧騒を忘れて……。大人の夜に、薔薇の香りを」

 

彼は、モデルの顎をクイッと持ち上げる。

 

「君の瞳に、乾杯」

 

ウィンク。完璧だ。完璧すぎるトレンディドラマだ。

 

「キャーッ!素敵ー!」

 

スタジオの女性スタッフたちが崩れ落ちる。ディレクターが親指を立てる。

 

「オッケーイ!セクシー!フェロモンだだ漏れです!これなら主婦層の票は頂きですね!」

 

「お安い御用です。……今夜の予定が空いているなら、後で個人的にレクチャーしましょうか?」

 

シェーンコップは、モデルに向かって囁く。公私混同も甚だしい。

 

「……帰りたい」

 

ヤンは、セットの隅で膝を抱える。猛牛と色男。この二人のキャラが濃すぎて、自分の存在意義(地味な常識人)が霞んでいく。いや、むしろ消えてしまいたい。

 

「さあ、ラストは三人で決めポーズですよ!」

 

ディレクターが無慈悲に告げる。

 

「真ん中にヤン提督!両脇にホーランド元帥とシェーンコップ少将!合言葉は『同盟の明日は、僕らが守る!』です!元気よく!」

 

「……僕ら?」

 

30近い男たちが「僕ら」と言うのか。ヤンは拒絶反応を示すが、ホーランドに背中を叩かれ、シェーンコップに腕を組まれる。逃げ場はない。両脇から、筋肉とフェロモンの圧力がかかる。

 

「いくぞヤン!笑顔だ!歯を見せろ!」

 

「諦めなさい、提督。……これも作戦行動です」

 

「……は、はい」

 

カメラが寄る。ヤンは、引きつった笑顔で、人生最大の屈辱的なセリフを口にする。

 

「ど、同盟の明日は……ぼ、僕らが守る……」

 

「声が小さい!!」

 

ホーランドの怒号と同時に、フラッシュが焚かれる。その写真は、翌日の新聞の一面を飾り、同盟市民に大爆笑と勇気を与えることになるのだが、ヤンにとっては「抹消したい黒歴史ランキング」の堂々1位にランクインしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生放送討論番組『激論!銀河の明日』

 

タイトルだけは立派だが、その実態は政治的プロパガンダと、視聴者の感情を煽るだけのエンターテインメントショーである。

 

スタジオの照明が、網膜を焼くような強烈な光を放つ。観客席には、抽選で選ばれた「意識の高い」市民たちが詰めかけ、配られたプラスチック製の同盟国旗を振っている。その熱気は、酸素濃度を著しく低下させているようにすら感じられる。

 

「さて、本日のゲストは!!」

 

司会を務めるキャスターが、過剰な身振り手振りで叫ぶ。

 

彼は、視聴者の不安と怒りを扇動することにかけては天才的な才能を持つ男だ。テカテカに撫で付けた髪と、安っぽい笑顔がトレードマークだ。

 

「今をときめく、イゼルローン攻略の立役者!救国のスーパーアイドル!『三英雄(トリニティ)』の皆様です!!」

 

ド派手なファンファーレが鳴り響く。スモークが焚かれる。そして、ステージ中央のゲートが開き、三人の男が現れる。

 

「ワァァァァァァッ!!」

 

「キャーッ!ホーランド様ー!」

 

「ヤン提督ー!こっち向いてー!」

 

「シェーンコップ、結婚してー!」

 

黄色い悲鳴と、野太い歓声が入り混じり、スタジオの天井を突き破らんばかりだ。

 

先頭を切って歩いてくるのは、ウィレム・ホーランド元帥。彼は、カメラに向かってバチコンとウインクを決め、マイクパフォーマンスのように両手を広げる。その筋肉質の体躯は、特注の礼服の縫い目を悲鳴させんばかりにパンプアップしている。

 

「国民の諸君!元気か!俺は元気だ!筋肉も喜んでいる!」

 

続くのは、ワルター・フォン・シェーンコップ少将。彼は、まるでパリコレのランウェイを歩くモデルのように、優雅に、そして少し気怠げに歩を進める。流し目が、最前列の女性客を次々と即死させていく。

 

そして最後尾。猫背気味に、申し訳なさそうについてくるのが、ヤン・ウェンリー大将だ。彼の顔色は、スタジオの強い照明のせいか、あるいは極度のストレスのせいか、青白く沈んでいる。

 

その目は、完全に死んでいる。「帰りたい」という文字が、虹彩の奥に刻まれているのが見えるようだ。

 

「そして!特別ゲストとして、この国の守護神!国防委員長のヨブ・トリューニヒト氏にもお越しいただきました!」

 

さらなる歓声。トリューニヒトが、政治家特有の完璧な笑顔で手を振りながら登場する。 彼は、三英雄の横に並び、ヤンの肩を親しげに抱く。ヤンが、ビクッと体を強張らせる。

 

「さあさあ、お座りください!」

 

キャスターが促す。円卓を囲むように、出演者たちが着席する。ヤンは、一番端の席に座り、水の入ったグラスを命綱のように握りしめる。

 

「早速ですが、ヤン大将!」

 

キャスターが、いきなりヤンを指名する。ヤンが、ビクッとして水をこぼしそうになる。

 

「これで帝国軍への反攻拠点、橋頭堡ができましたね!イゼルローン要塞という巨大な足がかりを得た今、国民の期待は最高潮に達しています!」

 

キャスターは、スタジオの巨大モニターを指差す。そこには、『帝国領進攻、賛成90%』という、捏造くさい円グラフが表示されている。

 

「ズバリ!国民は『帝国領への進攻』を期待していますが!いつやるのですか?今でしょう!」

 

スタジオが沸く。「やれー!」「独裁者を倒せー!」「正義の鉄槌を!」というシュプレヒコールが起きる。空気は完全に主戦論一色だ。ここで「NO」と言えば、非国民として石を投げられそうな雰囲気だ。

 

だが、ヤンはグラスを置き、マイクを手に取る。彼の声は、熱狂的なスタジオの中で、異質に響くほど静かで、淡々としていた。

 

「(淡々と)……いえ。それは現実的ではありません」

 

冷や水。スタジオの温度が一瞬で下がる。

 

「帝国の領土は、同盟よりも遥かに広く、人口も多い。……イゼルローンから帝都オーディンまでの距離を考えてみてください。補給線が伸びきり、維持するだけで莫大なコストがかかります」

 

ヤンは、理路整然と語る。彼は、観客のご機嫌取りをするつもりはない。事実を述べるのが、専門家の仕事だと信じているからだ。

 

「それに、文化の違いもあります。数百年、専制政治の下で暮らしてきた彼らに、いきなり『今日から民主主義だ』と言っても混乱するだけです。……性急な出兵は、泥沼化するだけで危険です。維持費だけで国家財政が破綻しますよ」

 

正論だ。ぐうの音も出ない正論だ。だが、テレビ番組において、正論ほどつまらないものはない。

 

「(ムッとして)……ヤン提督!それはいささか『弱腰』な発言ではありませんか?」

 

キャスターが、攻撃的な口調になる。彼は、ヤンが「行きます!楽勝です!」と言って盛り上げてくれることを期待していたのだ。それが、予算だの補給だの、地味な話ばかりしやがって。

 

「我々は正義の軍隊ですよ?圧政に苦しむ帝国臣民を解放するのが使命でしょう!専制君主と共存などできません!悪は滅ぼすべきでしょう!お金の問題ではありません!魂の問題です!」

 

精神論。キャスターは、論理を感情で塗り潰そうとする。観客たちも、「そうだそうだ!」と野次を飛ばす。ヤンは、小さくため息をつく。これだから、テレビは嫌いなのだ。1+1=2だと言っているのに、「2だなんて夢がない!100だと言え!」と強要される。

 

「ですが、現実問題として……」

 

ヤンが反論しようとした、その時だった。

 

「(静かに手を挙げ)……待ちたまえ、キャスター君」

 

低く、しかしよく通る声が、議論を遮る。トリューニヒトだ。彼は、ゆったりとした動作でマイクを引き寄せる。

 

「は、はい?委員長?」

 

キャスターが、媚びへつらうような顔で振り向く。きっと、委員長がヤンを叱責し、「進め!一億総特攻だ!」と演説してくれると期待したのだろう。

 

だが、トリューニヒトの口から出た言葉は、全員の予想を裏切るものだった。

 

「キャスター君。君の言う『悪は滅ぼすべき』という言葉……。それは少々、危険な響きを含んでいるのではないかね?」

 

「え?」

 

「『多様な政治形態の受容』こそ、民主主義の真髄だよ」

 

トリューニヒトは、聖職者のような穏やかな表情で語り始める。

 

「自分たち以外の政体は認めない。自分たちと違う考えを持つ者は悪だと決めつける……。それは、画一的な価値観を強制し、異端者を排除した、あのルドルフのやり方と、何が違うのかね?」

 

「……ッ!!」

 

キャスターが言葉に詰まる。スタジオが、水を打ったように静まり返る。「ルドルフ」という言葉は、民主主義国家において最強のタブーであり、最強のカウンターワードだ。「お前はルドルフと同じだ」と言われたら、反論は不可能に近い。

 

「我々は自由を愛する。自由とは、異なる他者を認めることだ。……専制政治を行っている帝国でさえも、一つの『他者』として、まずは対話を試みる。それが、成熟した民主主義国家の態度ではないかね?」

 

トリューニヒトは、カメラ目線で語りかける。その瞳は、慈愛に満ちている(ように見える)

 

「ヤン提督の言葉は、臆病なのではない。……まさに理性的で、寛容な、真の民主共和政の軍人の言葉だよ。私は感動した」

 

トリューニヒトは、わざとらしく目頭を押さえる。名演技だ。これで、ヤンを擁護しつつ、自分の株を爆上げした。

 

「(狼狽して)で、で、では、トリューニヒト委員長は……出兵には反対だと?」

 

キャスターが、しどろもどろになる。台本にない展開だ。政府の要人は、全員戦争したがっているはずではなかったのか。

 

「勿論、反対だとも」

 

トリューニヒトは、きっぱりと断言する。

 

「戦争は政治の手段の一つでしかない。……軍事力という暴力装置を使わねば解決できないようでは、我々政治家が無能者だと認めるようなものだ。まずは外交、対話、そして経済交流だ。若者の血を流すのは、最後の最後の手段だよ。違うかね?」

 

彼は、観客席に問いかける。一瞬の沈黙。そして。

 

パチ……パチパチ……。誰かが拍手をした。それをきっかけに、爆発的な拍手が巻き起こる。

 

「すげえ!トリューニヒト、正論だ!」

 

「平和主義者だ!カッコいい!」

 

「そうだ!戦争反対!」

 

さっきまで「やれー!」と叫んでいた観客たちが、手のひらを返して「平和万歳」を叫び始める。大衆とは、かくも移ろいやすいものだ。そして、トリューニヒトは、その風向きを自在に操る帆の使い手だった。

 

隣で、ホーランド元帥が口を開けてポカンとしている。シェーンコップ中将が、感心したように口笛を吹く。

 

そしてヤンは……。その死んだ魚のような目で、トリューニヒトという怪物を凝視していた。

 

(……なんて食えない男だ。自分の支持基盤である主戦派の意見すら、人気取りのためなら平気で切り捨てるのか)

 

ヤンは戦慄する。この男には、信念がない。あるのは、「自分が勝つこと」への執着だけだ。だからこそ、誰よりも柔軟で、誰よりも恐ろしい。

 

「というわけで、私はヤン提督を支持するよ。……政府内で『進攻』の声が上がっても、私は体を張って止めてみせる。国民の命を守るためにね」

 

トリューニヒトは、カメラに向かって力強く宣言する。視聴率が跳ね上がる音が聞こえるようだ。こうして、生放送討論番組は、トリューニヒトの独壇場となり、ヤンは「トリューニヒト公認の賢者」という、ありがたくもないレッテルを貼られて幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

番組終了後。ヤンは、首を絞め続けていたネクタイを緩め、ソファに深く沈み込んでいる。ドーランの下の肌は荒れ、疲労の色が濃い。

 

「(ネクタイを緩めながら)……よろしいのですか?委員長閣下」

 

ヤンは、ミネラルウォーターを飲んでいるトリューニヒトに問いかける。

 

「あんなに堂々と『反対』と公言して。……サンフォード議長や、貴方の派閥の主戦派は、支持率回復のために出兵したがっていますよ。裏切り行為だと糾弾されませんか?」

 

テレビでの発言は、公約に近い重みを持つ。これでトリューニヒトは、政府の方針と真っ向から対立することになる。

 

「(ミネラルウォーターを飲みながら)構わんよ」

 

トリューニヒトは、ボトルを置く。その顔には、先ほどの「聖人君子」の仮面はない。あるのは、冷徹な計算機の顔だ。

 

「君たち実戦の英雄(現場)が『無理だ』と言うのだから、勝ち目はないのだろう?」

 

彼は、ヤンとホーランドを見る。

 

「ホーランド元帥。君も、本音では反対なのだろう?」

 

「おうよ!当たり前だ!」

 

ホーランドが、スナック菓子をバリバリと食べながら答える。彼は、カメラが回っていないと途端に野生化する。

 

「今の我が軍は、イゼルローンを取っただけで息切れ状態だ。補給も整備も追いついていない。……この状態で敵地深くへ進攻?自殺志願者か、地図の読めない馬鹿の提案だ!」

 

「だそうだ」

 

トリューニヒトは、ヤンに向き直る。

 

「現場のトップ二人が『負ける』と断言している戦いだ。……なら、私は反対しておけばいい。簡単な賭けだよ」

 

彼は指を立てる。

 

「もし政府が私の反対を押し切って強行し、出兵して……君たちの予見通り『大敗』したとしよう」

 

トリューニヒトの目が、爬虫類のように細められる。

 

「数万の兵が死に、艦隊が壊滅し、国民が絶望の淵に立たされる。……そうなれば、進攻を提案したサンフォード議長や主戦派の連中はどうなる?」

 

「……失脚、ですね」

 

ヤンが答える。責任を問われ、辞任に追い込まれるのは確実だ。

 

「そうだ。賛成した連中は全員、政治生命を絶たれる。……だが、一人だけ、『私は止めたんだ』『警告したんだ』と胸を張れる男が残る」

 

トリューニヒトは、自分の胸を指差す。

 

「(ニヤリ)そうすれば、私の政権が見えてくるというものさ」

 

「……ッ」

 

ヤンは息を呑む。この男は、味方が負けることを前提に動いている。いや、むしろ「負けてくれ」と願っているのだ。国の敗北を、自分の出世の踏み台にするために。

 

「国民は、予言者(私)を崇めるだろう。『ああ、トリューニヒト様の言う通りにしておけばよかった』とな。……そうして手に入れた権力は、盤石だ」

 

「(呆れて笑う)はっはっは!相も変わらずの私利私欲ですな!清々しいほどだ!」

 

ホーランドが、大声で笑う。彼は、この男の腐敗ぶりを一周回って気に入っているようだ。隠そうともしない悪党は、嘘をつく善人よりも扱いやすい。

 

「欲を満たすための努力はするさ。……民主主義の政治家は、『善行を積むふり』はしなければ選挙に勝てないからな」

 

トリューニヒトは、悪びれもせずに言う。

 

「当面は、君たちへの便宜という名の援護射撃をしてやろう。……君たちが『反対』を唱え続ける限り、私も全力で君たちを守る。サンフォード議長の圧力からも、マスコミの批判からもな」

 

「……後ろから撃たないで頂ければ、それだけで十分です」

 

ヤンは、皮肉を言う。この男の「援護」ほど、信用できないものはない。いつ、その銃口が自分たちに向くか分からないのだから。

 

「それは、私が君たちを『利用価値がある』と思っている限りは絶対だな」

 

トリューニヒトは、立ち上がり、ヤンの肩をポンと叩く。

 

「君たちは人気者だ。私の『平和主義』を補強する、最高の広告塔だ。……せいぜい、長生きしてくれたまえよ。私のためにね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さて、ここからが本題だ」

 

トリューニヒトの瞳から、酔いや演技の色が消える。

 

「当面、ヤン提督、ホーランド提督。……貴官らには、『負けたあとの仕事』を考えてもらいたい」

 

「負けたあと?」

 

ホーランドが、スナック菓子を持ったまま手を止める。彼の辞書には「勝利」「突撃」「筋肉」の文字は大きく書かれているが、「敗北」の文字は米粒より小さい。

 

「そうだ。……サンフォード議長は、選挙のために必ず『帝国領侵攻』を強行するだろう」

 

トリューニヒトは断言する。議会での多数派工作、世論の動向、そして議長自身の焦り。すべてのデータが、無謀な出兵を指し示している。

 

「そして、恐らく負けるだろう。……いや、負けてもらわねば困る」

 

「……」

 

ヤンは、こめかみを指で押さえる。自国の軍隊が負けることを前提に、いや、それを望んで作戦を立てる政治家。腐っている。発酵しすぎて、もはや別の生命体が湧いているレベルだ。

 

「その時の被害想定、撤退戦の指揮、そして帝国との講和や国境線の維持……。それらをどうするか、今からシミュレーションしておいてくれ」

 

トリューニヒトは、まるで週末のゴルフの予定を決めるような軽さで言う。

 

「勝つための作戦ではない。『上手に負けるための作戦』だ。……補給線が切られ、前線が崩壊した時、いかにして兵力を温存し、イゼルローン要塞まで逃げ帰るか。その『逃げ道』を確保するのが、君たちの次の任務だ」

 

「(寒気を感じて)……つまり」

 

ヤンは、背筋に冷たいものが走るのを感じる。エアコンの設定温度のせいではない。

 

「最初から『敗戦処理』を任せると?……火事になることが分かっていながら、消火活動の準備だけしておけと?」

 

「ご名答」

 

トリューニヒトは指を鳴らす。

 

「勝てない戦なら、被害を最小限に抑えて帰ってくるのが、名将の条件だろう?……それに、負け戦の殿ほど、英雄の株が上がるシチュエーションはない」

 

彼は、ヤンの顔を覗き込む。

 

「君ならできる。エル・ファシルで見せた、あの鮮やかな撤退劇。……あれをもう一度、今度はもっと大規模にやってのけるのだ。期待しているよ、魔術師」

 

ヤンは絶句する。この男は、ヤンの能力を高く評価している。だが、その使い方が最悪だ。「勝つため」ではなく、「自分の政敵を失脚させるための敗戦を演出するため」に、ヤンの才能を使おうとしているのだ。

 

「やれやれ。……政治家というのは、軍人よりも残酷ですな」

 

シェーンコップが、呆れたように肩をすくめる。彼らローゼンリッターも、汚れ仕事には慣れているが、ここまでスケールの大きい「マッチポンプ」は初めてだ。

 

「それが仕事だからね」

 

トリューニヒトは立ち上がる。ジャケットを羽織り、完璧な笑顔を作る。

 

「では、私は次の選挙応援に行ってくるよ。……『平和の守護者』としてね」

 

彼は、鏡の前で髪を整える。

 

「『無謀な出兵反対!市民の命を守ろう!』……うん、いいキャッチコピーだ。これで女性票はいただきだな」

 

「……」

 

三人は言葉もない。この男、自分が一番「無謀な出兵」を利用しようとしているくせに、表向きは「反対派のリーダー」として振る舞うつもりだ。二枚舌どころか、三枚舌、四枚舌だ。

 

「あ、そうだ。……そのブラックカードは置いていくよ。今夜は好きなだけ飲みたまえ。……これから忙しくなるからね」

 

トリューニヒトは、カードを指差してウインクする。そして、SPを引き連れて、颯爽と部屋を出て行った。まるで、正義のヒーローが出動するかのような足取りで。

 

バタン。ドアが閉まる。後に残されたのは、重苦しい未来の予感と、底なしの限度額を持つカードだけだ。

 

「……頭が痛い」

 

ヤンは、テーブルに突っ伏す。

 

「同盟は、前門の帝国、後門のトリューニヒトだ。……挟み撃ちじゃないか。逃げ場がない」

 

「ガハハハハ!!」

 

突然、ホーランドが爆笑する。ヤンがビクッとして顔を上げる。猛牛は、なぜか嬉しそうだ。

 

「悩むなヤン!これはチャンスだぞ!」

 

「は?チャンス?」

 

「『負ける準備』だと?上等じゃないか!つまり、俺たちは『最初から負けるつもりで、好き勝手に暴れていい』というお墨付きをもらったわけだ!」

 

ホーランドの超解釈が炸裂する。ポジティブシンキングが暴走している。

 

「とりあえず、負ける準備(撤退計画)を完璧に練り上げるぞ!敵を罠に嵌め、翻弄し、最後は華麗にドロンする!『大脱走』のシナリオを書くようなもんだ!燃えるじゃないか!」

 

彼は、ヤンの肩を揺さぶる。

 

「おいヤン!お前の得意分野だろ?『逃げる』ことに関しては、お前の右に出る者はいない! 作戦名は『ギャラクシー・エスケープ・ミッション』だ!」

 

「……名前がダサいです」

 

ヤンは力なく突っ込む。

 

「それに、負ける前提の作戦なんて、軍人の士気に関わりますよ……」

 

「構わん!命あっての物種だ!生きて帰れば、また美味い酒が飲める!それが俺たちの正義だ!」

 

ホーランドは、ブラックカードを手に取り、ウェイターを呼ぶ。

 

「おい!追加だ!今度はシャンパンタワーを持ってこい!……敗戦の前祝いだ!いや、生還の前祝いだ!」

 

「やれやれ……。この人には勝てませんな」

 

シェーンコップも苦笑しながら、グラスを差し出す。

 

「まあ、いいでしょう。……どうせ地獄へ行くなら、笑って行きたいものです」

 

「……はいはい、閣下」

 

ヤンは、諦めてグラスを持つ。

 

こうして。自由惑星同盟軍は、「熱狂的な勝戦ムード」の中で、ひっそりと、しかし確実に「敗戦の準備」を進めるという、歴史上類を見ない奇妙な状況に突入していくのであった。

 

表向きは「帝国打倒!」裏では「いかにして怪我なく逃げるか」その矛盾した二つの歯車を回すのは、やはりこの男、ヤン・ウェンリーの役目となるのだった。

 

「……ユリアン。帰ったら、胃薬を箱買いしておいてくれ」

 

ヤンの呟きは、シャンパンの泡と共に消えていった。

 




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

今回は同盟編の華やかさと恐ろしさを一気に詰め込んだ回でした。
三英雄の騒がしさ、メディアの熱狂、そしてトリューニヒトの静かな怪物性――。
物語としてもキャラクターとしても、非常に賑やかで、同時に少し背筋が冷える展開になったかと思います。

もし楽しんでいただけたなら、ぜひ感想をお寄せください。

・どのキャラクターが印象に残ったか
・お気に入りの場面はどこだったか
・政治劇とコメディのバランスはどうだったか
・トリューニヒト、怖かったですか?

皆さまのひと言が、次の話への大きな力になります。

帝国と同盟の内乱どちらから見たいですか?

  • 銀河帝国
  • 自由惑星同盟
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