銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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本章は、俗物参謀アルブレヒトが「絶対に死にたくない」という本音と、「絶対にアナを死なせない」という矛盾を抱えながら戦場に立つ姿を描いています。
彼の戦術は常識破りで愚策の寄せ集めに見えますが、すべてが繋がった時、同盟軍四万五千隻を翻弄する“伏龍”の姿が現れます。
コメディとシリアスが交錯する、最初の大きな山場です。


伏龍、死地に楔を打つ

‥………正直に言おう。俺は今、心の底から思っている。マジでこれは死ぬ。いや、「死ぬかも」とか「死ぬかもしれない」じゃない。「死ぬ」だ。確定事項。なにせ敵は三個艦隊、四万五千隻。こっちは半個艦隊、六千隻。計算するまでもなく、普通に戦えば二時間もたない。俺の人生、オワタ\(^o^)/である。

 

艦橋の雰囲気も最悪だ。全員が無言で端末を操作している。いや無言じゃない。俺の耳には全員の心の叫びが聞こえる。「帰りたい」「休みたい」「俺はまだ結婚してない」「昨日のプリン冷蔵庫に置きっぱなし」とか。なんで今プリンのこと思い出すんだよ!いや俺も思い出したけど!

 

で、レーダーに映る敵艦隊の光点。あれな、最初は「おお、きれいな星空だな」と思ったのよ。違った。全部敵艦。蟻の這い出る隙間もないほどに包囲されている。逃げ場ゼロ。俺の希望ゲージもゼロ。

 

でも俺には一縷の望みがあった。そう、撤退!戦略的撤退!俺の唯一にして得意技!「命あっての物種」こそ俺のモットーである。これなら流石に撤退が許されるはずだ。誰がどう見ても無理ゲーだし!

 

と思った瞬間、悪魔のような通信が入った。

 

「要塞司令官クライスト大将閣下より伝令!『要塞防御の最終準備のため、グレイマン艦隊には半日の遅滞戦闘命令を課す。最後の一兵に至るまで、皇帝陛下の恩為に殉職せよ!』以上です!」

 

…………………。

 

俺の脳内で何かがぶちっと切れた。

 

「ふざけんなよなあああああああああああああああ!!!!」

 

艦橋に俺の絶叫が響いた。全員が一斉にこっちを見た。グレイマン少将もケンプ大佐も、唇を噛み締めて何も言わない。おい、何か言えよ!お前ら司令官だろ!「よし撤退!」って言えよ!俺の代わりに言えよ!

 

モノローグという名の現実逃避をしながら状況を再認識する。撤退?無理。包囲されてる。降伏?無理。帝国軍にそんな選択肢はない。残る選択肢は死、もしくは死。わーい、多様性ゼロ!俺の未来もゼロ!

 

そんな時、隣から澄んだ声が聞こえた。

 

「アル様。私が全空戦隊を率いて、敵の包囲網の一角に突撃します。必ずや活路を拓きますので、その間に艦隊は──」

 

……は?何言ってんの、この人?

 

俺は思わず彼女の言葉を遮った。

 

「それだけは、絶対に許さん」

 

自分でも驚いた。声が震えてない。普段の俺なら「やめてやめてやめて死ぬのやだー!」と取り乱しているところだ。それが今は、冷たい怒りのこもった声になっていた。なんだ俺、キャラ変か?

 

でもな、アナが特攻なんてしたら、確かに包囲網に穴は開くかもしれない。でも俺の心に穴も開くんだよ。いやむしろ心臓が爆発四散する。俺は英雄じゃない。ただの俗物だ。でも俗物だからこそ、大事な人がいなくなるのは絶対にイヤなんだ。

 

「アル様……」

 

アナがこっちを見つめる。うるうるした瞳。やめろ、その目。俺が悪役みたいになるだろ。いや俺はだいたい悪役っぽいけど!

 

艦橋の空気は重苦しい。皆が黙って俺たちを見ている。お前ら、なんか言えよ!「そうだそうだ!突撃はダメだ!」とか言えよ!なのに誰も何も言わない。全員「痴話喧嘩始まった」みたいな顔してる。やめろ。

 

俺は深呼吸して言った。

 

「アナ。突撃は許さない。俺が死ぬのは構わん。俺は死神にモテモテだからな。でもお前が死ぬのはダメだ。それだけは絶対にダメだ」

 

おお、言ったぞ俺。なんか格好良くない?艦橋のクルーがざわついてるぞ?「ファルケンハイン中佐が真面目なこと言った!」

 

俺だってたまには真面目になるんだよ!

 

死神よ。もし俺を殺したいなら、俺一人を狙え。アナには指一本触れるな。それができないなら……俺がお前を出し抜いてやる!

 

 

 

 

 

 

 

 

要するに、こういうことなんだよな?三個艦隊を半日足止めしつつ、俺たち全員が生き残って要塞に帰ればいい。それだけ。いや、それだけって言っても四万五千隻相手に六千隻で「はい半日お願いします」って、誰ができるか!神か!バグか!いや俺はバグかもしれんが!

 

俺は震えるアナの肩を掴んで、ぎゅっと抱きしめた。周りの艦橋クルーが「え、また痴話喧嘩ですか…」みたいな顔をしていたが無視だ。

 

「アナを死なせはしない。絶対に死なせはしない!」

 

口に出した瞬間、自分でもびっくりするほど声が震えてなかった。よく考えたら俺って、普段から声震えまくりで「ひぃぃ」とか「いやぁぁ」とか情けないことしか言ってないからな。むしろ今の俺はレアキャラ。SSRファルケンハイン。

 

でな、その瞬間から脳みそが勝手に回り始めた。頭の中でシナプスがビカビカ光ってるのが分かる。カフェイン500杯くらい一気飲みした感じだ。普段は「昼寝しよ」とか「ビール飲みたい」とかしか考えないのに、今はやけに頭が冴えてる。

 

戦況マップを睨みながら俺はぶつぶつ言った。

 

「…包囲はされているが、完全じゃない。イゼルローン回廊の入り口付近だから、暗礁宙域が隙間を作ってる。だが機雷を敷設する時間はないし、この寄せ集め艦隊で狭い地形を使った機動戦も無理。突撃すれば全滅、防御すれば圧殺…。ならば…!」

 

 

 

 

 

 

同盟軍総旗艦アイアースの艦橋は、勝利を目前にした緊張と昂揚に包まれていた。戦況表示のホロスクリーンには、帝国の艦列が崩れ、次々と散り散りになっていく様が映し出されている。帝国艦艇の損害は急激に増え、要所ごとに炎上する光点がはじけ飛んでいた。

 

ラザール・ロボス大将は、威厳を込めて椅子に深く腰を下ろし、指揮棒を軽く振った。

「…どうやら、袋の鼠のようだな。位置が少し悪いが、これ以上要塞に近づかれるよりはましだ。油断なく、容赦なく攻撃せよ」

 

その言葉を合図に、同盟三個艦隊の火力が一斉に解き放たれた。レーザーと実体弾の奔流が宇宙を覆い、帝国艦の装甲を次々と焼き裂いた。わずかな時間で、数百隻規模の損害が帝国側に発生した。

 

だが、そのあまりの脆さに、ロボスは眉をひそめた。

「…他愛もない。いや、おかしい。脆すぎる」

 

隣の幕僚も同意するように頷いた。「これが、あの『伏龍』の艦隊なのですか?報告にあった凄烈な抵抗とは、到底一致しません」

 

そこへ通信が割り込んだ。シドニー・シトレ大将の重々しい声がアイアースの艦橋に響く。

「ロボス提督、同感だ。あまりに脆すぎる。とても我が同盟軍を震撼させた、あの『伏龍』の艦隊とは思えん」

 

ロボスは小さく唸った。確かにその通りだった。過去数度の戦闘で、グレイマン艦隊は常に二倍以上の敵を退けてきた。決して精強な寄せ集めではなかったはずだ。どの戦闘報告を見ても、そこには冷徹な計算と異常なまでの状況把握が存在していた。その中心にいたのが、アルブレヒト・フォン・ファルケンハインという若き参謀だとされている。

 

ロボスは戦況画面を睨みつけた。

「うむ、この程度で崩れるのであれば、とっくに崩れているだろう…。何かあるぞ…ん?」

 

オペレーターが慌ただしく報告を上げてきた。

「て、敵艦隊、10隻単位の小集団に分かれて、それぞれが完全に別方向へ散開していきます!」

 

艦橋にざわめきが走った。通常、散開といえば敵の火力を分散させるために100隻単位で行うのが常道である。だが、今目の前で展開されているのは、あまりに細かい分散だった。10隻単位でばら撒かれるように散開し、まるで宇宙空間に砂を撒き散らしたかのように、帝国艦は各所に散らばっていく。

 

「なんだと!?的を絞らせないのが目的なら、100隻単位の拡散が定石だ。何を考えている、ファルケンハイン…!」ロボスは声を荒げた。

 

シトレも画面を凝視したまま応じた。

「…いや、ただの混乱ではないな。あれは、何か意図している。艦ごとに独立した行動を取るよう、あらかじめ準備されていたとしか思えない。通信の断片を拾ってみろ。必ず合図があるはずだ」

 

分析班が慌ただしく通信傍受の結果を並べていく。断片的に拾われた暗号は、すでに解読されていたはずの帝国コードを変形させた未知のパターンであった。解読に時間を要すると報告されると、ロボスは苛立たしげにテーブルを叩いた。

「悠長に構えている暇はない!全艦に命令だ!散開した小集団を逐一叩け!少しでも合流を許すな!」

 

 

 

 

(ヤン・ウェンリー視点)

 

私はシトレ大将の艦にいた。今、帝国軍のグレイマン艦隊が眼前で崩れている。ロボス提督が「袋の鼠」と言ったのも無理はない。三個艦隊に包囲され、火力を集中されれば、半個艦隊が持ちこたえられるはずがない。スクリーンには爆炎が次々と上がり、帝国の艦艇が消えていく様子が映し出されている。

 

だが、私はその様子を見て、妙な違和感を覚えている。崩壊が早すぎる。確かに数の差は歴然だが、報告にあるファルケンハインという参謀の知略が本物なら、もう少し組織立った抵抗を見せてもおかしくない。

 

シトレ大将もそれを口にした。「あまりに脆すぎる。これでは今までの戦果と結びつかん」と。私も頷くしかなかった。

 

そして次の瞬間、オペレーターから報告が入った。

「敵艦隊、10隻単位の小集団に分かれて、それぞれが別方向へ散開しています!」

 

その言葉を聞いた瞬間、私はすべてを理解した。頭の中でパズルがぴたりと噛み合う。100隻単位ではなく10隻単位、それは火力の分散が目的ではない。統一行動を放棄してでも戦場に残り続けるための布陣。つまり、時間稼ぎだ。

 

私はシトレ大将に進言した。

「閣下、これは時間稼ぎです。10隻単位なら撃滅は容易ですが、その都度射線を調整し、火力を分配しなければならない。三個艦隊が動けば連携にも遅れが生じる。6000隻をまとめて叩くよりも、遥かに時間を浪費するでしょう」

 

大将は黙って私の言葉を聞いていた。艦橋の幕僚たちはざわめきを抑えきれない。勝利の確信が一瞬にして揺らいだのだ。

 

私はさらに続けた。

「敵は完全に包囲されています。逃げ場はない。降伏するならとっくにしているはずです。なのに降伏もせず、全力の突撃もせず、小分けにして時間をかける戦術を選んだ。目的はひとつ。友軍の到着を待っているのです」

 

 

ロボス提督は苛立ちを隠さず声を荒げた。

「友軍だと?そんな兆候はどこにもない!ただの逃げの算段だろう!」

 

私は肩をすくめた。

「兆候は今のところ掴めません。しかし、イゼルローン要塞の防衛線に近いこの宙域で、援軍の可能性を排除するのは危険です。半日の遅滞で充分。あの参謀はそれを理解しているはずです」

 

シトレ大将が低く言った。「…やはり、そう考えるか」

 

私は頷いた。

「我々の包囲が完全であることは、敵も承知しているでしょう。それでもなお抗うのは、己の命を賭して時間を稼ぐ覚悟があるからです。つまり、撤退できないとわかっている。わかっていてなお、生き残りではなく遅滞を選んでいる。そういうことです」

 

艦橋に重苦しい沈黙が落ちた。誰もが理解したのだ。これは単なる勝利の前哨戦ではなく、敵の必死の抵抗を受け止めざるを得ない消耗戦に変わったのだと。

 

私はスクリーンに映る小集団を眺めながら考えた。帝国の将兵一人ひとりには、家族や故郷がある。彼らは今日、十隻単位で切り捨てられ、我々の時間を奪うための石ころになる。それを命じたのが、同じ人間だという事実が胸に重くのしかかる。

 

「結局のところ、戦争というのは大義の衣をまとった大量虐殺ですね」私は口の中だけで呟いた。誰にも聞かれていないはずだ。

 

だが、隣にいたシトレ大将が小さくため息をついたのが耳に届いた。どうやら聞こえてしまったらしい。彼は何も言わなかったが、その沈黙がかえって答えになっているように思えた。

 

幕僚の一人が声を上げた。「敵小集団、散開完了。各方面に散らばっています!」

 

ロボスが即座に命じる。「逐次撃滅せよ!我々には圧倒的優勢がある!惑わされるな!」

 

その言葉の裏で、私は深くため息をついた。惑わされるな、とは言うが、すでに我々は惑わされている。優勢であるはずが、戦場は相手のリズムで動き始めている。数の優位を活かせば短時間で終わる戦いを、わざわざ細切れにされて長引かされている。それこそがファルケンハインの狙いだ。

 

私は心の中で思った。結局、この戦争は数字の帳尻合わせだ。敵がどれだけ散ろうが、こちらがどれだけ撃とうが、死者の数が増えるだけ。戦術が鮮やかであればあるほど、その犠牲は「必然」と呼ばれて処理される。

 

シトレ大将が私に視線を向けた。「ヤン、結論はどう見る」

 

私は短く答えた。「敵は撤退しません。殲滅されるまで抵抗します。その目的は半日の時間稼ぎ。援軍が来るかどうかは別にして、そう命じられているのでしょう」

 

大将は重々しく頷いた。「やはりそうか」

 

それ以上、私は口を閉ざした。戦場で冷静に状況を読むことに意味があるのか、時々わからなくなる。どうせ結末は同じ、殺し合いだ。どちらが勝っても負けても、死んだ者は帰ってこない。

 

戦術史を研究することは好きだ。だが、こうして実際の戦場でそれを応用するたびに、自分がただ人の死に理由を与えるだけの役割に過ぎないと痛感する。私の予想が的中すればするほど、死者の数は増え、その責任は誰にも問われない。

 

スクリーンの向こうで、また十隻の光点が消えた。どちらの艦かはわからない。

 

 

 

 

(アルブレヒト視点)

 

 

俺は艦橋の中央に立ち、マップに広がる光点を睨みつけていた。敵は三個艦隊、四万五千隻。こちらは六千。計算上の勝ち目はゼロ。普通なら、ここで諦める。降伏するか、玉砕するか、その二択しかない。だが俺の頭は静かに冴えていた。恐怖はすでに遠ざかり、冷たい理性だけが残っている。

 

「各艦、指定ポイントまで散開せよ」

俺の声は、落ち着いていた。

 

すぐにグレイマン少将が訝しむ声を上げた。

「無人艦を突撃させる?これはどういう意図があるのだ、ファルケンハイン」

 

俺は答えた。

「仮に無人だと分かっていても、向かってくる船を完全に無視することはできません。敵は必ず迎撃する。しかも、あの無人艦にはゼッフル粒子を満載してある。砲火が集中すれば、大規模な爆発を引き起こす。敵艦の陣形を乱すには十分です」

 

ケンプが眉をひそめた。

「しかし、それでは味方の数を減らすだけではないのか?」

 

「気づきましたか、ケンプ大佐」

俺はわずかに口角を動かした。

「転進方向を線で結ぶと、新たな合流ポイントになる。しかもそれは敵の各集団の至近距離だ。敵は味方を巻き込むことを恐れ、容易には撃てない。こちらは敵艦の隙間に浸透しつつ、障害物を増やしていく。動けない艦は最高の盾になる」

 

沈黙が艦橋を支配した。誰もが理解していた。常識的な戦術ではない。自艦を自ら切り捨て、敵陣深くへと艦隊を溶け込ませる狂気の手。だが、これ以外に残された道はなかった。

 

「浸透後は空戦隊が物を言う。ケンプ大佐。できる限り敵を破壊せず、動力部だけを潰せ。漂流艦は足止めの障害になる」

 

「わかった」

 

「では……行ってくる」

 

強襲揚陸艦への移乗を決断したのは、その瞬間だ。艦橋で指揮を執り続けるよりも、自ら敵中に入って全体の動きを制御した方が勝機がある。俺はアナスタシアの肩に触れた。

「行くぞ、アナ」

「御意」

 

強襲揚陸艦は小型で機動性に優れ、強襲作戦には最適だった。だが同時に、もっとも危険な任務を担う艦でもある。敵の真っ只中に突入し、至近距離で指揮を執るのだ。

 

艦を離れる瞬間、俺は敵がすでに時間稼ぎの意図を見抜いていることを悟った。

ならば俺もまた、さらに一歩先を行かねばならない。

 

艦隊の再集結ポイントを変更する。敵に悟られた時点で、そこはもはや「死地」になる。俺は外縁部に新たな座標を設定した。そこに到達するまで時間を稼ぎ続ければ、僅かだが生還の可能性が残る。

 

「進路変更。再集結ポイントを新座標に切り替え」

「了解」

 

強襲揚陸艦が母艦を離れた。振動が収まり、窓外に広がるのは、火線と爆炎が入り乱れる地獄の光景だった。

 

俺はアナスタシアに視線を向けた。彼女は既に戦闘服を着込み、迷いのない瞳で正面を見据えている。

「怖くはないのか」

「アル様がおられます」

その答えに、俺の胸の奥で何かが熱を帯びた。

 

狂気と呼ばれるかもしれない。だが俺は今、冷静に計算している。恐怖も迷いも存在しない。あるのは、敵の隙を突き、味方を生かすための手段だけだ。

 

敵艦の群れの間を縫うように、強襲揚陸艦が加速する。随伴の小隊がシールドを展開し、火線を浴び止める。ゼッフル粒子を満載した無人艦が次々と突撃し、光の花を咲かせていく。その爆発に敵がひるみ、間隙が生まれる。そこへ俺たちが滑り込む。

 

「目標まであと五分!」

操舵士の声が響く。

 

俺は深く息を吸い、吐いた。五分でいい。その間だけ耐え切れば、敵中に楔を打ち込める。

 

 

 

 

(ヤン・ウェンリー視点)

 

頭の中で嫌な予感が膨らんでいる。敵は自艦を無人で突撃させている。

放棄艦など、本来なら脅威にならないはずだ。だが、向かってくる船を完全に無視することはできない。回避すれば陣形が乱れる。迎撃すれば時間を奪われる。どちらにせよ、こちらの動きを縛る。しかも、撃てばゼッフル粒子の爆発で味方艦を巻き込む可能性が高い。つまり、敵の狙いは我々の指揮系統そのものを麻痺させることにある。

 

「これは浸透工作です」

 

シトレ提督が静かにこちらを見る。

 

「敵は艦隊戦で勝つつもりはありません。無人艦で我々の判断を縛り、散開した小集団で混乱を拡げる。最終的な狙いは……総旗艦です」

 

背筋が冷たくなるのを感じた。総旗艦を麻痺させる。それは艦隊全体の思考を奪うことと同義だ。もし成功すれば、三個艦隊は一時的に盲目になる。戦力差など一瞬で逆転する。

 

「シトレ提督、至急、全艦に警告を。総旗艦への接近を絶対に許してはなりません」

 

シトレは即座に頷き、命令を発した。

 

だが、問題はロボス大将だ。第六艦隊旗艦アイアースの周囲は、勝利を確信していたのか、警戒が緩んでいた。無人艦に気を取られ、注意が分散していた。私は慌てて通信士に叫んだ。

「第六艦隊旗艦へ緊急通信!強襲揚陸艦の接近に注意しろ!」

 

通信士が必死に操作する。だが、その一瞬が遅かった。

 

「接舷警報!」

声がブリッジに響いた。スクリーンに切り替わった映像に、黒い塊が映し出される。強襲揚陸艦だ。小型で機動性が高く、護衛線の死角を縫って突入してきた。周囲の巡航艦が迎撃を試みるが間に合わない。強靭な艦首がアイアースの船腹に衝突し、固定アームが展開する。

 

「強行接舷……!」

私の声は驚愕ではなく、諦めに近かった。これが敵の本命だ。時間稼ぎの末に、敵はここまで到達した。

 

スクリーンの中で、揚陸艦のハッチが開く。白兵戦部隊が突入するのは時間の問題だった。総旗艦が混乱すれば、第六艦隊全体が沈黙する。数だけではどうにもならない。指揮系統を潰す、それが最短の勝利手段であることを、敵は理解していた。

 

「シトレ提督……」

私は言葉を選んだ。

「彼らの狙いは、殲滅ではありません。要塞を守るための時間を稼ぎ、なおかつ同盟艦隊の中枢を麻痺させること。それを両立させるには、この手しかなかった」

 

提督は苦い顔で頷いた。

「分かっていたはずだな、ヤン。だが現実は容赦がない」

 

私は口を閉ざした。分かっていた。理解していた。だが、それでも止められなかった。敵の参謀──ファルケンハイン。その名が、頭の中で重く響いた。

 

彼は狂気としか言えない手を選んだ。無人艦突撃、漂流艦による障害物、敵陣深くへの浸透。そして最後に、総旗艦への直接攻撃。常識から見れば全てが愚策だ。だが、愚策を連ね、組み合わせたことで、常識の外にある一手となった。

 

「皮肉なものですね」

私は誰にともなく呟いた。

「四万五千隻が六千隻を狩りに出たのに、狩られているのはこちらの方だ」

 

言葉の裏にあるのは、自嘲に近いものだった。私が気づいた時には、すでに仕組まれていた。遅すぎる。それが戦場では致命的だ。

 

アイアースの通信は途絶えた。総旗艦の沈黙は、戦場全体に不安を広げる。これで敵は狙いを果たした。残る問題は、彼らがどれだけ長く耐えられるかだけだ。

 

私は冷たい現実を認めざるを得なかった。

「……あの男、やはり伏龍か」

 

 

 

 

 

 

「…なるほど。自らの艦を犠牲にして、戦場を攪乱し、時間を稼ぐつもりか。これでは時間がかかるな。だが、我々の損害も軽微で済む。付き合ってやるか…」

 

ロボスの命令が発せられた直後、アイアース艦橋に衝撃が走った。艦底から突き上げるような激震で、床に固定されていた端末すら揺らいだ。オペレーターの顔が蒼白になる。

 

「直下より強烈な衝撃!敵強襲揚陸艦による、強行接舷です!」

 

一瞬の沈黙。すぐにロボスが吠えた。

「何だと!?直ちに陸戦隊を向かわせよ!白兵戦だ!」

 

だが、指揮卓に転送された艦内カメラの映像は、彼の予想を超えていた。分厚い装甲を持つ強襲揚陸艦がアイアースの船腹に食い込み、固定アームを広げて接続を完了させている。そのハッチが開き、帝国軍の装甲擲弾兵が黒い波のように流れ込んでくる。その先頭に立っていたのは、噂に名高いあの参謀、アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン。

 

「……あれは、ファルケンハイン!自ら乗り込んで来るとは…!一人も生かして返すな!」

ロボスは血管が切れそうなほど怒気を込めて叫んだ。

 

だが、帝国軍の侵入は迅速だった。重火器を構えた擲弾兵が廊下を制圧し、散発的な同盟兵士の射撃を圧倒的な火力で押し返していく。散布される閃光弾と催涙ガスが視界を奪い、アイアース艦内の防御網はみるみるうちに崩壊していった。

 

アルブレヒトはその最前列に立っていた。琥珀色の瞳には迷いがない。彼は銃を構え、引き金をためらいなく絞った。発砲音とともに、敵兵が一人、二人と倒れていく。その横でアナスタシアが無言で動いた。彼女の手に握られているのは短機関銃だけではない。腰に差していたトマホークが抜かれ、振り下ろされた。装甲服ごと叩き割られた同盟兵の姿が床に沈む。

 

「アル様、白兵戦は初めてでは?」

アナスタシアの声は、銃声と爆発音の中でも冷静だった。

 

「それはお前も同じだろう。だが問題ない。敵が撃つより先に、銃で撃つか、トマホークを脳天に叩き込めばいいだけだ」

アルブレヒトの答えは短く、しかし確固としていた。

 

「頼もしい。では、私も遠慮なく、トマホークを叩き込むとしましょう」

「お淑やかに頼むぞ?我がレディ」

「ヤボール!マインヘル!」

 

 




彼の戦いは、決して英雄の物語ではありません。死神に追われ続ける俗物が、それでも守りたいもののために足掻いた記録です。
そして、その姿を最も冷静に見抜いていたのは、ヤン・ウェンリーでした。
物語はここからさらに、同盟と帝国、そして“伏龍”の宿命を大きく揺さぶっていきます。

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