銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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本章では、帝国を揺るがす重大な選択が描かれます。
同盟軍の侵攻を前に、帝国の首脳たちはそれぞれの立場から最善を模索しますが、
その議論はやがて、兄弟の絆と大義さえ揺るがす決断へと収束していきます。

本章は、ラインハルトが初めて光だけでは進めないことを悟り、
覇王としての影をその身に宿す回です。
彼が選んだ道が正しかったのか――それは、物語の先で明らかになるでしょう。

どうか、帝国の天秤が傾く瞬間をお楽しみください。


焦土の提案と、覇道の代償

帝都オーディンローエングラム元帥府/作戦会議室

 

部屋の中央には、巨大なホログラムスクリーンが浮かび上がり、帝国領の辺境星域の詳細なマップが表示されている。それを囲むように、帝国の若き獅子たちが着席している。ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥。ジークフリード・キルヒアイス大将。ヒルデガルド・フォン・ローエングラム参謀長。パウル・フォン・オーベルシュタイン少将。そして、15歳の天才(兼・猛獣)、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー中将。

 

議題は、目前に迫った自由惑星同盟軍による大規模侵攻への対応策、特に「戦場となる辺境星域の住民をどうするか」という一点に絞られている。

 

「……というわけで、ローエングラム伯」

 

マルガレータが、指示棒(先端に可愛らしい猫の飾りがついている)で地図を叩く。彼女の表情は、いつもの「ジーク大好き♡」モードではない。冷徹な軍略家としての、氷のような顔だ。

 

「迎撃作戦についてですが、やはりファルケンハイン元帥が進めている『辺境住民の避難計画』……あれは、おやめになったほうがよろしいかと」

 

彼女の提案は、あまりにも唐突であり、そして非情なものだ。現在、ラインハルトの兄(のような存在)であるアルブレヒト・フォン・ファルケンハイン元帥は、自身が管轄する貴族直轄領の民を、物資ごと奥地へ避難させるという大規模なプロジェクトを推進している。それを「やめろ」と言うのだ。

 

「(眉をひそめ)……どういうことか?」

 

ラインハルトが、不快感を隠さずに問い返す。彼の美しい眉間に、深い皺が刻まれる。

 

「民を戦火から守るは領主の務め。それに、同盟軍に物資を奪われないためにも、人と物を移動させるファルケンハインのやり方は理にかなっているではないか」

 

ラインハルトにとって、民を見捨てるという選択肢はない。彼は腐敗したゴールデンバウム王朝を倒し、公正な社会を作ることを目指している。その彼が、無辜の民を敵の前に晒すなど、矜持が許さない。

 

「軍事的には下策です」

 

冷ややかな声が、ラインハルトの熱を冷ますように響く。オーベルシュタインだ。彼の義眼は、感情の色を一切映さず、ただ損得勘定だけを計算している。

 

「同盟軍は『解放軍』を騙っています。……彼らの大義名分は、『圧政に苦しむ帝国臣民を、専制政治から解放する』というものです」

 

オーベルシュタインは、淡々と説明を続ける。

 

「ならば、彼らは占領した星域の住民を、無下にはできません。……もし、住民に『食べ物がない』『ミルクがない』と言われれば、彼らは軍の備蓄を削ってでも、物資を供給せざるを得ません」

 

「……」

 

「これこそが、彼らのアキレス腱です」

 

マルガレータが引き取る。彼女は、地図上の赤いエリア(同盟軍の予想進路)を指し示す。

 

「数千万人の餓えた口は、数万隻の艦隊よりも恐ろしい武器になります。……想像してくだされ。兵士たちが自分たちの食料を削り、民衆に配る姿を。補給線はパンクし、輸送船団は悲鳴を上げ、前線の士気は崩壊する」

 

彼女は、残酷な未来図を提示する。

 

「敵の補給線に多大な負担をかけ、戦わずして自滅を誘う好機……。これをみすみす失うわけには参りますまい」

 

これが、彼らの提案する「焦土作戦」の真の姿だ。単に物資を焼き払うだけではない。「人間」という、最も燃費が悪く、最も厄介な「荷物」を、あえて敵に押し付ける。敵の善意(解放軍という建前)を利用し、内側から食い破らせる。悪魔的としか言いようがない発想だ。

 

「(苦い顔で)……焦土作戦か」

 

ラインハルトが呻く。

 

「物資だけを運び出し、人は残す。……彼らに飢えろと言うのか。敵の情けにすがって生きろと言うのか。……残酷な策だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会議室の空気は、さらに重くなる。オーベルシュタインとマルガレータの提案は、軍事的には100点満点の正解だ。だが、政治的・道義的には0点、いやマイナス100点の劇薬だ。

 

ラインハルトは、救いを求めるように、信頼する二人の腹心に視線を向ける。

 

「……参謀長(ヒルダ)と、キルヒアイス大将はどうか?」

 

ヒルダは、手元のタブレットを置き、居住まいを正す。彼女の瞳には、強い意志の光が宿っている。

 

「(毅然と)私は反対でございます、閣下」

 

凛とした声。彼女は、ラインハルトの良心を守る砦だ。

 

「人道的な観点からはもちろんでございますが、政略的にも悪手です」

 

ヒルダは、冷静に分析を始める。彼女の視点は、戦場だけでなく、その後の統治までを見据えている。

 

「この非道な仕打ちを民衆が知れば、閣下への批判は必定です。『ローエングラム伯は、勝利のために我々を見捨てた』……その噂は、光の速さで銀河中に広まります」

 

彼女は、仮想敵である「兄」の存在を引き合いに出す。

 

「現在、帝国はファルケンハイン閣下の改革にて、貴族も民衆も豊かになりつつあります。閣下は、『民の生活第一』を掲げ、実際に避難計画まで実行しようとしている。……その『善政』との落差は致命的です」

 

ヒルダの言葉は鋭い。兄であるアルブレヒトが「慈悲深い保護者」として振る舞っている横で、弟であるラインハルトが「冷酷な軍略家」として民を切り捨てればどうなるか。

 

「閣下の支持基盤を揺るがします。……民衆は、どちらの指導者を望むでしょうか?自分たちを逃がしてくれる兄か、自分たちを囮にする弟か」

 

比較される。そして、負ける。ラインハルトが目指す「民衆に愛される皇帝」への道が、ここで閉ざされてしまうかもしれない。

 

「私も同意見です」

 

キルヒアイスが、静かに、しかし力強く同意する。彼は、ラインハルトの半身であり、その道徳的羅針盤だ。

 

「焦土作戦という観点であれば、住民ごと避難させて『完全な無人惑星』にするだけでも、敵への物資補給を断つ効果はあります。……食料も、水も、そして人間もいない星。そこに進軍しても、敵は何も得られません」

 

キルヒアイスは、代案を示す。住民を避難させれば、敵は略奪も徴発もできない。補給線を伸ばす効果は十分にあるはずだ。

 

「それに、辺境星域はファルケンハイン閣下の管轄(貴族直轄領)であります」

 

キルヒアイスは、最も重要な事実を指摘する。

 

「現在、避難計画を進めているのは、あのファルケンハイン閣下ご自身です。……それに横槍を入れ、計画を中止させ、民を見捨てるような真似をさせることは、明白な越権行為にもなりかねません」

 

兄の領地経営に、弟が口を出す。しかも、「人道的な計画を中止しろ」と命じる。これは、兄弟間の亀裂を生むだけでなく、貴族社会全体からの反発を招く恐れがある。

 

「ラインハルト様。……貴方は、覇道を歩むお方です。ですが、その道は血で舗装されたものであってはなりません。……少なくとも、無辜の民の血であってはならないはずです」

 

キルヒアイスの言葉は、ラインハルトの胸に深く刺さる。そうだ。俺は、姉上(アンネローゼ)に誇れる弟でありたい。卑怯な真似をして勝ったとしても、姉上は喜ばないだろう。

 

「……うむ」

 

ラインハルトは頷く。迷いは消えた。やはり、非道な策は採るべきではない。

 

「オーベルシュタイン、マルガレータ嬢。……卿らの提案は却下する。ファルケンハインの避難計画を支持し、我々は軍事面での迎撃に専念す……」

 

ラインハルトが結論を出そうとした、その時だった。

 

バンッ!!

 

凄まじい音が響く。マルガレータが、小さな拳でマホガニーの机を叩き割らんばかりの勢いで叩いたのだ。指示棒の猫の飾りが、衝撃でぷるんと揺れる。

 

「じゃからジーク!そこが狙いなのじゃ!」

 

彼女が叫ぶ。その声は、キルヒアイスに対する甘えや愛情ではなく、苛立ちと焦燥に満ちている。

 

「……え?」

 

キルヒアイスが目を丸くする。なぜ怒鳴られたのか分からない。自分は、マルガレータが尊敬するファルケンハインの顔を立てる発言をしたはずだ。

 

「……どういうことです?マルガレータ様」

 

キルヒアイスが、困惑しながら尋ねる。

 

「貴女は、ファルケンハイン閣下を尊敬しているはず。……その閣下の避難計画を、なぜそこまでして止めようとするのです?」

 

マルガレータは、深いため息をつく。そして、まるで「物分かりの悪い生徒」を見るような目で、愛するジークと、そしてラインハルトを見回す。

 

「……お前たちは、何も分かっておらん」

 

彼女は、低い声で呟く。その瞳の奥には、15歳の少女とは思えない、ドロドロとした宮廷政治の闇を知る者だけが持つ、昏い光が宿っている。

 

「いいか?よく聞け。……これは軍事の問題ではない。ましてや人道主義の話でもない。……これは『演出』の話じゃ」

 

「演出?」

 

「そうじゃ。……ファルケンハイン元帥は、完璧すぎるのじゃよ」

 

マルガレータは、モニターに映るアルブレヒトの顔写真(やる気なさそうな顔)を指差す。

 

「あの方は、民を逃がすと言うた。……もし、それが成功したらどうなる?」

 

彼女は問いかける。

 

「数千万の民が、無傷で避難する。……民衆は歓喜し、ファルケンハイン元帥を『慈悲深い救世主』として崇めるじゃろう。……ここまではいい」

 

彼女は一呼吸置く。

 

「だがな。……もし同盟軍が侵攻してきて、その『無人の星』で補給に苦しみ、撤退していったら?……その勝利は、誰の手柄になる?」

 

「……それは」

 

ラインハルトが口を開く。

 

「……ファルケンハイン兄上の、手柄だ」

 

「ご名答」

 

マルガレータは頷く。

 

「『ファルケンハイン元帥の鮮やかな避難計画により、敵は兵站を断たれて自滅した』。……歴史書にはそう書かれる。ローエングラム伯、お前の出番はない。お前はただ、兄が作った舞台の上で、残敵掃討をしただけの『掃除屋』として記録される」

 

「ッ……!」

 

ラインハルトが息を呑む。図星だ。兄が完璧な防御を敷けば、弟が活躍する場はなくなる。

 

「それだけではないぞ」

 

マルガレータは、さらに畳み掛ける。

 

「もし、同盟軍が『無人の星』を見て、早々に撤退を決断したらどうする?……彼らは戦力を温存したまま、イゼルローンへ帰っていく。……我々は、敵を叩く機会を失うのじゃ」

 

彼女は、オーベルシュタインと視線を交わす。義眼の参謀が、無言で頷く。

 

「我々の目的は、敵を追い返すことではない。……敵の主力を、再起不能になるまで『殲滅』することじゃ」

 

マルガレータの声に、殺気が混じる。

 

「そのためには、敵に『もっと奥へ進みたい』と思わせねばならん。……『現地で食料が調達できる』という希望(エサ)を見せて、帝国の深部まで誘き寄せる必要があるのじゃ」

 

「つまり……」

 

キルヒアイスが、戦慄する。

 

「住民を囮(エサ)にして、敵を誘き寄せろと……?」

 

「そうじゃ。……残酷じゃろう?非道じゃろう?だがな、ジーク」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴホン!……よいか。よく聞くのじゃ、ローエングラム伯」

 

マルガレータが、わざとらしく咳払いをする。彼女は、指示棒で空中にホログラム投影されたファルケンハイン元帥の顔写真をペチペチと叩く。その叩き方は、親の敵に対するそれではなく、目の上のタンコブに対する苛立ちそのものだ。

 

「現状、ファルケンハイン閣下の地盤は固い。……いや、固いどころではない。オリハルコン並みじゃ。盤石と言って良い」

 

彼女は、指を折って数え上げる。

 

「軍事的な才能は言うに及ばず。……政治的な駆け引きの巧みさ。フェザーンや国内産業界と太いパイプを持つ経済力。……そして何より、あの脱力系のキャラクターによる、民衆からの圧倒的な人気」

 

マルガレータは、悔しそうに唸る。

 

「『やる気はないけど、やるときはやる』。……このギャップ萌え属性により、貴族だけでなく、平民層、果ては主婦層までをも虜にしておる。……全てを、あの『有能な俗物』が握っておるのじゃ」

 

事実だ。アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン。ラインハルトにとっては兄のような存在であり、最大の理解者。だが同時に、ラインハルトが「銀河の覇者」となるためには、絶対に越えられない壁として立ちはだかっている。彼がいる限り、ラインハルトは永遠に「優秀な弟分」でしかない。

 

「我らが覇業をなすためには、そこに亀裂を入れるしかないのです」

 

マルガレータの声色が、低く沈む。彼女の瞳から、少女の甘さが消え失せる。

 

「正面から戦って勝てる相手ではない。……ならば、搦め手を使うしかない。あの方の最大の武器である『民衆からの支持』を、根本から腐らせるのじゃ」

 

「……腐らせる、だと?」

 

ラインハルトが、怪訝な顔をする。人気を落とすために、スキャンダルでも流す気か?「元帥は実はキノコ派ではなくタケノコ派だ」とか、そういうレベルの話ではないはずだ。

 

「(冷徹に引き継ぎ)……焦土作戦の実行。そして、住民避難の失敗です」

 

オーベルシュタインが、事務的に言葉を継ぐ。彼の声には、感情というノイズが一切混じっていない。ただの事実として、恐ろしい未来を語る。

 

「同盟軍が侵攻してくれば、物資を断たれた住民は飢え、苦しむでしょう。……家を焼かれ、食料を奪われ、寒空の下に放り出される。地獄です」

 

彼は、ラインハルトの反応を待たずに続ける。

 

「我々が勝利した後、彼らは帝国軍を恨み、批判するでしょう。『なぜ守ってくれなかったのか』『なぜ見捨てたのか』と」

 

当然だ。守るべき領民を見殺しにしたのだから、怨嗟の声が上がるのは必然。

 

「しかし……その批判の矛先は、直接の管轄者であるファルケンハイン閣下に向かうように仕向けるのです」

 

「なに……?」

 

ラインハルトが身を乗り出す。彼の黄金の髪が、微かに揺れる。

 

「批判を……兄上に集中させるというのか?」

 

「ご名答です」

 

オーベルシュタインの義眼が、カシャリと微かな音を立ててズームする。

 

「辺境星域は、ファルケンハイン元帥の直轄領です。……避難計画を立案し、実行しているのも彼です。ならば、その失敗の責任もまた、彼にあるのが筋というもの」

 

彼は、淡々とシナリオを読み上げる。

 

「『ファルケンハイン元帥は、自分の財産を守ることを優先し、民を見捨てた』……あるいは『彼の日頃の怠慢と不手際で、避難船の手配が間に合わなかった』そのように、世論を操作いたします」

 

情報操作。プロパガンダ。事実がどうあれ、「大衆がどう信じるか」が重要なのだ。

 

「そして、地獄を見た民衆の前に……我々ローエングラム軍が現れるのです」

 

オーベルシュタインは、両手を広げる。まるで、舞台の演出家のように。

 

「我々が同盟軍を撃退し、たっぷりの救援物資と食料を持って駆けつければ……我々は『解放者』となります。『無能な領主(ファルケンハイン)に見捨てられた我々を、ローエングラム伯が救ってくれた!』と」

 

マッチポンプだ。自分たちで(間接的に)火をつけておいて、消火活動をして感謝される。極めて悪質。極めて政治的。

 

「そうすることで、一般大衆の支持をファルケンハイン元帥から剥がし、そっくりそのままローエングラム伯に持ってくるのです」

 

マルガレータが引き取る。彼女は、ラインハルトを見つめる。

 

「元々、閣下は門閥貴族よりも平民からの支持が多いお方。……ここで決定的な差をつけておけば、戦後のパワーバランスは劇的に変わります」

 

彼女は拳を握りしめる。

 

「ファルケンハイン元帥の名声は地に落ち、代わりにローエングラム伯が『真の民衆の味方』として輝く。……これぞ、将来、貴族をファルケンハイン閣下ごと叩き潰して覇業をなす、最大の布石になります」

 

静寂。部屋の中には、エアコンの送風音だけが響く。あまりにも完璧な、そしてあまりにも残酷な計算式。1+1=2になるように、犠牲+裏切り=覇権となる。

 

ラインハルトは、言葉を失う。怒るべきか。呆れるべきか。それとも、その冷徹な知性に感服すべきか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(絶句して)……ありえません!」

 

ヒルダは、普段は冷静沈着な参謀長だが、今は顔を紅潮させ、声を震わせている。

 

「それは、ファルケンハイン閣下への裏切りです!……あの方は、閣下のことを実の弟のように想い、これまで何度も助けてくださいました。カストロプ動乱の時も、イゼルローンの時も!」

 

ヒルダは訴える。彼女にとって、アルブレヒトは夫の恩人であり、頼れる義兄だ。その恩人の背中を、後ろから刺すような真似は許容できない。

 

「あの方の善意を利用し、あの方を悪者に仕立て上げるなど……。人として、いえ、同じ志を持つ同志として、あるまじき行為です!」

 

正論だ。100%の正論だ。

 

「それに、そのようなことをすれば、バレた時にどうなります?……ファルケンハイン閣下とて馬鹿ではありません。ご自分が陥れられたと気づけば、黙ってはいないでしょう!」

 

ヒルダは警告する。

 

「最悪、帝国軍が真っ二つに割れての内戦になります!……目前に同盟軍という外敵がいるのに、味方同士で殺し合うおつもりですか!」

 

帝国の二大巨頭、ローエングラムとファルケンハインが激突する。それは、帝国の滅亡を意味するかもしれない。

 

「(義眼を光らせ)……どちらにせよ、内戦とならなければ、ローエングラム伯が宇宙を手にすることはできない所まで来ているのです」

 

オーベルシュタインが、冷ややかに反論する。彼は、ヒルダの感情論を一蹴する。

 

「マリーンドルフ参謀長。……貴女は、現状維持がお望みか?仲良し家族ごっこを続け、ぬるま湯の中で一生を終えるのが幸せか?」

 

「そ、それは……」

 

「あの元帥がいる限り、閣下は永遠に『弟分』であり、実質的な『No.2』です。……ラインハルト・フォン・ローエングラムという男の才能は、他人の下で飼い殺しにされて良いものではない」

 

オーベルシュタインは、ラインハルトを見る。その言葉は、ラインハルト自身の心の奥底にある、暗い欲望を刺激する。

 

「兄上は優しい。……だが、俺はその優しさという檻の中にいるのかもしれん」

 

ラインハルトが、ポツリと漏らす。誰もが彼を「ファルケンハインの弟分」として見る。彼自身の功績も、「兄の七光り」と陰口を叩かれることもある。それが、若き獅子のプライドを傷つけていないと言えば嘘になる。

 

「それならば、立ち位置を少しでも有利にすることが肝要です」

 

マルガレータが、追い打ちをかける。

 

「綺麗事では、あの『怪物(アルブレヒト)』には勝てませぬぞ」

 

「怪物……?」

 

キルヒアイスが眉をひそめる。あの、いつも執務室で紅茶を飲みながら「帰りたい」とぼやいている脱力系の元帥が、怪物?

 

「そうじゃ。……あの方は、底が見えん」

 

マルガレータは、身震いする。

 

「私たちがどんな策を弄しても、あの方はいつもその上を行く。……今回だって、私が左遷されたと思ったら、いつの間にか『栄転』させられておった。……あの方の手のひらの上で踊らされているような恐怖を感じるのじゃ」

 

15歳の天才少女が抱く、得体の知れない恐怖。アルブレヒトの「無欲」や「脱力」は、全て計算された擬態かもしれない。その本性は、リヒテンラーデさえ手玉に取る政治的怪物だ。

 

「だからこそ、今のうちに牙を剥かねばならんのじゃ。……完全に飲み込まれる前に」

 

マルガレータは、ラインハルトに詰め寄る。

 

「閣下、ご決断を!……焦土作戦を行うには、ファルケンハイン元帥の『避難計画』を物理的に止める必要があります」

 

「……止める?どうやってだ?俺が兄上に『やめてください』と言っても、あの方は聞かんだろう」

 

ラインハルトは首を振る。民を守るという信念を持つアルブレヒトは、弟の頼みでも頑として譲らないだろう。

 

「簡単です。……権力を使えばよいのです」

 

マルガレータは、悪魔の笑みを浮かべる。

 

「住民の避難計画については、陛下とリヒテンラーデ国務尚書から『却下』としていただければよろしい」

 

「却下……?」

 

「はい。……『出征前の景気付けに、弱気な避難など許さん』『民衆が逃げ出せば、兵士の士気に関わる』……適当な理由をつけて、公的に計画を中止させるのです」

 

皇帝の勅命。あるいは、国務尚書の決定。それがあれば、いかにファルケンハイン元帥といえども、表立っては逆らえない。

 

「私が裏から手を回します。……リヒテンラーデ公に、『避難計画はファルケンハインの独断専行であり、中央政府の威信に関わる』と吹き込めば、あの老人は喜んで邪魔をするでしょう」

 

マルガレータは、貴族社会の嫉妬と足の引っ張り合いを利用する気だ。醜い。あまりにも醜い策謀だ。

 

「閣下は、何も知りませんでしたという顔をしていればよいのです。……ただ、宇宙艦隊司令長官として、陛下に『確実な勝利のため、全軍の指揮権を委ねていただきたい』と奏上するだけでよい」

 

汚れ仕事は、すべてマルガレータとオーベルシュタインが引き受ける。ラインハルトは、綺麗な手のまま、結果(民衆の支持と勝利)だけを受け取れる。

 

「……ッ」

 

ラインハルトは、拳を握りしめる。爪が皮膚に食い込む。

 

断るべきだ。人として。弟として。

 

だが。「No.2」のままでいいのか?姉上を取り戻し、宇宙を手に入れるという誓いはどうなる?兄上と仲良くお茶を飲んで暮らす未来は心地よいが、それは「停滞」ではないのか?

 

「ラインハルト様」

 

キルヒアイスが、静かに声をかける。彼の瞳は、悲しげだ。

 

「……私は、反対です。ですが……」

 

彼は言葉を濁す。彼もまた、感じているのだ。ラインハルトの才能が、今の立場に収まりきらなくなっていることを。そして、アルブレヒトという存在が、あまりにも大きすぎる蓋になっていることを。

 

「……時間は待ってはくれません」

 

オーベルシュタインが、時計を見る。

 

「同盟軍の侵攻まで、あと僅か。……ご決断を。ファルケンハイン元帥と共に沈むか、それとも彼を踏み台にして天に昇るか」

 

究極の二択。ラインハルトは、目を閉じる。脳裏に浮かぶのは、兄のように慕ったアルブレヒトの笑顔と、姉アンネローゼの面影。そして、彼自身の燃え盛る野心。

 

 

 

 

 

 

 

ラインハルトは、目を閉じている。彫刻のように美しいその顔には、苦渋の色が張り付いている。彼の脳裏には、二つの天秤が揺れている。右の皿には、「正義」と「兄(アルブレヒト)への敬愛」。左の皿には、「覇道」と「宇宙を手に入れるという野心」。

 

本来なら、迷う余地などないはずだ。彼は、腐敗した貴族社会を憎み、正々堂々とした実力主義を掲げてきた。兄の足を引っ張り、民を犠牲にしてまで勝つなど、彼の美学に反する。

 

だが。「No.2」のままでは、何も変えられないという現実もまた、彼を締め付ける。アルブレヒトは偉大だ。優しくて、賢くて、そして絶望的に「欲がない」。あの人がトップにいる限り、帝国は平和かもしれないが、ラインハルトが望む「革新」は、永遠にマイルドな改良止まりになるだろう。

 

(……俺は、どうすればいい?)

 

ラインハルトは自問する。瞼の裏に、姉アンネローゼの笑顔が浮かぶ。そして、その横で、なぜか煎餅をかじりながら「ラインハルト、無理すんなよ~」と手を振るアルブレヒトの顔が浮かぶ。

 

(……くっ、あの人の『脱力感』は、時として暴力だ)

 

ラインハルトは、ギリリと奥歯を噛み締める。あの温かいぬるま湯に浸かっている限り、俺は俺自身の足で立つことができない。

 

カッ!!

 

ラインハルトが、猛然と目を見開く。その瞳には、もはや迷いの色はなく、蒼氷のような冷徹な光だけが宿っている。

 

「…………………わかった」

 

短く、重い一言。それは、彼が少年時代からの「良心」を切り捨てた音でもあった。

 

「ラインハルト!!」

 

ジークフリード・キルヒアイスが、思わず呼び捨てにする。普段の温厚な彼からは想像もできない、悲痛な叫びだ。彼は立ち上がりかけ、ラインハルトを止めようとする。友よ、そっちは修羅の道だ、と。

 

「あなた!!」

 

ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフもまた、夫の名を叫ぶ。彼女の顔から血の気が引いている。政治的判断力に優れた彼女は、この決断が意味する「重さ」を誰よりも理解している。これは、ファルケンハイン元帥への宣戦布告であり、ラインハルトが「綺麗な英雄」から「冷酷な覇王」へと脱皮することを意味する。

 

「(二人を制し、静かに問う)……キルヒアイス、ヒルダ」

 

ラインハルトは、片手を上げて二人を制する。その仕草には、有無を言わせぬ威圧感がある。

 

「……俺に、宇宙が手に入れられると思うか?」

 

唐突な問い。だが、それは彼らの覚悟を問う、踏み絵のような質問だ。清廉潔白なままで、あの巨大なゴールデンバウム王朝を倒し、さらにあの「怪物」アルブレヒトを超えられるか、と聞いているのだ。

 

「(悲痛な面持ちで)………………………………」

 

キルヒアイスは、唇を噛む。否定したい。そんな汚い手を使わなくても、ラインハルト様ならできるはずだと。だが、彼は嘘をつけない。現実は甘くないことを、彼もまた知っている。

 

「……ラインハルト以外の誰に、それが叶いましょう」

 

キルヒアイスは、絞り出すように答える。それは、肯定であり、同時に「貴方が地獄へ行くなら、私もお供します」という誓いの言葉だ。彼の赤毛が、悲しく揺れる。

 

「(涙を堪え)……………………」

 

ヒルダは、震える手でスカートの裾を握りしめる。彼女は、ラインハルトの「光」の部分を愛した。だが、彼の「影」の部分を支えることこそが、参謀長であり妻である自分の役目だと悟る。

 

「……貴方が望むなら、どこまでもお供します。……例え、それが茨の道であっても」

 

彼女は頭を下げる。覚悟は決まった。泥を被るなら、一緒に被ろう。

 

二人の答えを聞き、ラインハルトはゆっくりと立ち上がる。マントが翻り、風を切る音がする。その姿は、もはや「弟分」ではない。一人の、孤高の指導者の姿だ。

 

「……ならば、進むしかあるまい」

 

ラインハルトは、自分に言い聞かせるように宣言する。

 

「手を汚さずして、玉座は掴めん。……綺麗事だけで登れるほど、天は低くないのだ」

 

彼は、視線を「悪魔のコンビ」に向ける。

 

「マルガレータ嬢、オーベルシュタイン。……卿らの策を採用する」

 

「……はっ」

 

「……御意」

 

二人が頭を下げる。彼らの顔には、「やっと決断してくれたか」という安堵と、これから始まる謀略への期待が混じっている。

 

「子細を検討し、実行せよ。……リヒテンラーデ公への工作、世論の誘導、全て任せる」

 

ラインハルトは、冷徹に命じる。

 

「……まずは、同盟に勝たねば何も始まらん。民の犠牲は痛ましいが……今は勝利することからだ。勝って、その力で宇宙を変える。それが、俺の選んだ道だ」

 

彼は、もう振り返らない。ファルケンハイン邸で食べたクッキーの味も、兄上と呼び合った日々も、今は心の奥底にある宝箱にしまって鍵をかける。

 

「(深く頭を下げ)……御意。我が君」

 

マルガレータが、恭しく礼をする。彼女の瞳が、妖しく輝く。ついに、彼女が望んでいた「最強のラインハルト」が覚醒したのだ。これで、アルブレヒトという巨大な壁に風穴を開けることができる。

 

「承知いたしました」

 

オーベルシュタインは、淡々とタブレットを操作し始める。彼の義眼は、すでに次のステップ……すなわち「ファルケンハイン元帥の失脚」と「新体制の樹立」へのロードマップを描き始めている。

 

会議室の空気が変わる。重苦しい沈黙は消え、ピリピリとした緊張感と、これから始まる激動への予感が充満する。

 

ラインハルトは、窓のない壁を見つめ、心の中で誰かに語りかける。

 

(……すまない、兄上。貴方は、俺によくしてくれた。今の俺があるのは、貴方のおかげだ。 だが。俺は、貴様を超えねばならんのだ。貴方の作った「平和な鳥籠」の中で一生を終えるつもりはない。 ……例え、貴様を悪者にしてでも。例え、恩知らずと罵られても。俺は、俺の足で天を掴む)

 

こうして、ラインハルト・フォン・ローエングラムは初めて、敬愛する「兄」に対し、明確な敵意を含んだ牙を研ぎ始めた。

 

それは、銀河帝国を二分する、巨大な権力闘争の幕開けであり、同時に「黄金の獅子」が真の王へと変貌する、痛みを伴う成長の瞬間でもあった。

 

「……会議は解散だ。各自、持ち場に戻れ」

 

ラインハルトの声が響く。その背中は、昨日までよりも一回り大きく、そして孤独に見えた。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

本章は、ラインハルトが初めて兄(アルブレヒト)を意識的に超えようとするターニングポイントとなりました。
マルガレータとオーベルシュタインの冷徹な提案に対し、
ヒルダとキルヒアイスの良心が揺れ動き、
そしてラインハルト自身がどのような覚悟を固めたのか――
ぜひ、皆さまのご意見を伺いたいところです。

ラインハルトの選択をどう感じたか

マルガレータの軍師としての成長

オーベルシュタインの冷徹さ

アルブレヒトとラインハルトの今後の関係

この先に予想される展開

など、どんな小さな感想でも作品の力になります。

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