銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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この章では、同盟軍の「大攻勢」が、開始早々にもかかわらず奇妙な静寂に包まれていきます。
大軍は動かず、前線には焚き火の光が揺れ、後方にはパスタを茹でる匂いが漂う――。

しかし、その静けさの裏では、
政治、陰謀、怠惰、そして善意と悪意が、複雑に入り混じった戦いが進んでいます。

敵が動かず、味方が動かず、
戦争そのものが「動かない」ことによって、新たな悲劇と喜劇が生まれていく。

銀英伝の表舞台では描かれない、
戦争の裏側と静かな攻防を楽しんでいただければ幸いです。


昼寝という名の鉄壁と、パスタ発言

同盟軍・占領星系/奇妙な静寂

 

自由惑星同盟軍による「帝国領大攻勢」総兵力3000万人、艦艇20万隻という、銀河の歴史が始まって以来の最大規模のピクニック……もとい、軍事作戦は、開始早々にして奇妙な膠着状態に陥っていた。

 

イゼルローン要塞を出発し、意気揚々と国境を越えた同盟軍は、帝国の辺境にある居住可能な3つの星系を、ほとんど無血で占領することに成功した。帝国軍の抵抗は皆無だった。村人は飢え、倉庫は空っぽで、あるのは広大な荒野と、ペンペン草だけ。いわゆる「肩透かし」である。

 

そして、その3つの星系を確保した時点で、同盟軍の進撃はピタリと止まった。まるで、見えない壁にぶつかったかのように。あるいは、全員が同時にやる気を失ったかのように。

 

現在の配置は以下の通りである。

 

まず、最前線となる第三占領星系。ここには、パエッタ中将率いる第2艦隊と、ボロディン中将率いる第12艦隊が駐留している。彼らは、「とりあえずここが終点ってことでいいのかな?」という顔で、艦隊を停泊させ、トランプに興じている。

 

その一つ手前、第二占領星系。ここには、アップルトン中将の第8艦隊と、ウランフ中将の第10艦隊がいる。彼らは、「前が詰まってるから進めないよね」という正当な理由を掲げ、艦のメンテナンス(という名のサボり)に精を出している。

 

さらに後方、第一占領星系。ここには、老将ビュコック中将の第5艦隊と、ルフェーブル中将の第3艦隊が陣取っている。彼らは、「補給線の中継地点を守る」という名目で、実質的にキャンプファイヤーを楽しんでいる状態だ。

 

そして、最も安全な最後尾。イゼルローン回廊の出口付近。ここには、今回の作戦に最も懐疑的だった二人の男、ヤン大将率いる第13艦隊と、ホーランド元帥率いる第11艦隊が居座っている。名目は「補給路の絶対防衛」

実態は「一番安全な場所での高見の見物」である。

 

この、全長数百光年にも及ぶ巨大な「宇宙規模の渋滞」に対し、一人だけ血管をブチ切れさせている男がいた。総司令部で作戦指揮を執る(つもりになっている)、フォーク准将である。

 

「(通信スクリーンで絶叫)なぜ進まないのですか!!」

 

フォークの金切り声が、各艦隊司令官の指揮卓にあるモニターから響き渡る。音量調整をミスしたわけではない。彼の声量が、物理的な限界を超えているのだ。

 

「敵は逃げたのですよ!?抵抗はないのです!今こそ追撃し、戦果を拡大し、オーディンへ雪崩れ込むべきです!!なぜ止まるのです!エンジンが故障したのですか!それとも勇気が故障したのですか!!」

 

彼は、イゼルローン要塞の司令室で地団駄を踏んでいる。彼の予定表では、今頃はすでに帝国の重要拠点を5つくらい落とし、英雄として凱旋パレードの予行演習をしているはずだったのだ。

 

「それに!!」

 

フォークは、さらに叫ぶ。

 

「なんで10個艦隊のはずが、8個艦隊しかいないんですか!?計算が合いません!第9艦隊のアルサレム提督と、第7艦隊のホーウッド提督はどこへ消えたのですか!?」

 

出兵計画では、もっと多くの艦隊が動員されるはずだった。しかし、蓋を開けてみれば、2個艦隊が丸ごと欠席している。数百万人の兵士が、神隠しに遭ったかのように消えているのだ。

 

その問いに対し、最前線のパエッタは面倒くさそうに通信を切ったため、中継地点にいるビュコックが答えることになった。ビュコックは、モニターに向かって小指で耳をほじりながら、気だるげに応答する。

 

「(耳をほじりながら)……うるさいのう。キンキン喚くな、ヒステリー男」

 

「なっ……!准将に向かって失礼な!」

 

「わしゃ中将じゃ。階級くらい覚えてから物を言え。……アルサレムとホーウッドのことか?彼らは欠席じゃよ」

 

「欠席!?遠足じゃないんですよ!!」

 

「インフルエンザじゃ」

 

いや、ある意味では真実かもしれない。「この作戦に参加したら死ぬ病」という、軍人特有の流行り病に感染したのだ。

 

「二人同時に、しかも艦隊丸ごとインフルエンザにかかったそうじゃ。……集団感染じゃな。学級閉鎖ならぬ、艦隊閉鎖じゃ。バイオハザードじゃよ。無理に出勤させて、全軍にうつったらどうする?責任取れるんか?」

 

「そ、そんな馬鹿な……!!」

 

艦隊司令官が二人同時に風邪で欠席。しかも、数万人の部下全員が自宅待機。そんなふざけた理由が通るわけがない。だが、書類上は「防疫のための隔離措置」として、ロボス元帥のハンコが押されているのだ。

 

(※注:ロボスは、ハンコを押した記憶がない。おそらく、ヤンあたりがドサクサに紛れて押させたのだろう)

 

「……分かりました。百歩譲って、彼らは病欠としましょう」

 

フォークは、ギリギリと歯ぎしりをする。

 

「ですが、ここにいる8個艦隊は健康体でしょう!なぜ進まないのです!足が動かないなら、手で漕いででも進むべきです!」

 

「総司令官殿の許可がないと動けんと言うておろうが」

 

フッと鼻息を吐く。

 

「出発前の会議で、ロボス元帥閣下が仰った言葉を忘れたか?『私の直接命令以外で進軍してはならない』と。……我々は、忠実に命令を守っているだけじゃよ」

 

「くっ……!」

 

その言葉は、フォーク自身にとっても呪縛となっている。シビリアン・コントロールと、指揮系統の遵守。彼が散々振りかざしてきたルールが、今度は彼自身を縛り付けているのだ。

 

「ならば、ロボス元帥に許可を頂けばいいのです!今すぐ元帥を出してください!私が説得します!」

 

通信手を怒鳴りつける。総司令官室へ繋げ、と。

 

だが、画面に割り込んできたのは、第10艦隊のウランフだった。彼は、いかにも「困ったもんだ」という顔で、モニター越しに告げる。

 

「フォーク准将。……それは不可能だ」

 

「なぜです!?」

 

「元帥閣下は現在、『戦略的午睡(ストラテジック・ナップ)』に入っておられる」

 

「は?」

 

「昼寝だ」

 

ウランフは、厳かに告げる。

 

「閣下は、此度の遠征に際し、体力を温存するために深い眠りにつかれている。……これは、来るべき決戦に備えた、高度な軍事行動なのだ」

 

嘘ではない。ロボスは、出発してからずっと寝ている。起きたのはトイレと食事の時だけだ。もはや冬眠している熊と変わらない。

 

「起こせばいいでしょう!緊急事態ですよ!」

 

「馬鹿者!総司令官の安眠を妨害するなど、反逆罪に等しいぞ!」

 

「それに、ロボス閣下は寝起きが悪い。……起こして機嫌を損ねたら、どうなると思う?『うるさい!全軍撤退だ!』と叫ばれたら、作戦そのものが終わるぞ?貴官が責任を取れるのか?」

 

「ぐぬぬ……!」

 

あり得る。あのロボスなら、不機嫌さを理由にすべてをひっくり返しかねない。ステーキを取り上げられた恨みもまだ消えていないはずだ。今、下手に刺激するのは地雷原でタップダンスを踊るようなものだ。

 

「な、ならば……!私が!この私が直接指揮を執ります!」

 

「作戦参謀としての権限を行使します!全艦隊、前進せよ!准将命令だ!従え!」

 

彼は、越権行為スレスレ……いや、完全にアウトな命令を下す。指揮系統など知ったことか。自分が動かさなければ、この巨大な軍隊はここで化石になってしまう。

 

だが、提督たちの反応は冷ややかだった。

 

「……准将の命令で艦隊は動かせんよ。悪いが、回線を切らせてもらう」

 

パエッタが、プツンと通信を切る。

 

「わしも忙しいんじゃ。……今日の夕飯の献立を考えんといかんのでな」

 

ビュコックも切る。

 

次々と消えていくモニター。フォークは、イゼルローンの司令室で、一人取り残された。

 

「おのれ……!おのれぇぇぇッ!!」

 

フォークは、コンソールを叩き壊す勢いで拳を振り下ろす。無能な現場指揮官たちめ。臆病風に吹かれた老害どもめ。私の完璧な計画を、サボタージュで台無しにする気か。

 

 

 

 

 

 

 

フォークの精神は、限界を超えつつあった。ステーキ不足による栄養失調(思い込み)と、極度のストレス、そして何より「自分は天才なのに認められない」という承認欲求の爆発。それらが化学反応を起こし、彼の中でどす黒い何かが生まれた。

 

彼は、再び全艦隊への緊急回線を強制的に開く。今度は、彼の顔が大写しになる。その目は血走り、髪は乱れ、もはやエリート士官の面影はない。

 

「聞こえるか!無能ども!」

 

第一声が罵倒だった。

 

「貴官らが動かない理由は分かっている!補給だろ!物資がないから進めないと言い訳をしているのだろ!」

 

彼は、唾を飛ばしながら叫ぶ。

 

「ならば!解決策を授けてやる!……簡単なことだ!」

 

彼の口元が、三日月形に吊り上がる。

 

「物資が足りないなら、現地調達です!」

 

「……?」

 

各艦隊の幕僚たちが、顔を見合わせる。現地調達?この荒野で?ペンペン草でも食えというのか?

 

「帝国の民衆など、敵も同然です!専制政治に飼い慣らされた家畜です!彼らに人権などない!」

 

フォークの声が、狂気を帯びる。

 

「隠しているはずです!食料を、燃料を、貴金属を!……全て暴き出し、奪うのです!抵抗するなら殺せばいい!全て殺して奪い、その肉を食らってでも先へ進めば良いのです!!」

 

シーン……。

 

全艦隊のブリッジから、音が消えた。オペレーターの打鍵音さえ止まった。静寂。それは、呆れや怒りを超えた、純粋なドン引きの音だった。

 

略奪。虐殺。カニバリズムの示唆。民主主義の守護者たる同盟軍の将校が、公然とそれを口にしたのだ。

 

「(小声で)……正気か、あいつ」

 

フォークが嫌な奴だとは思っていたが、ここまで壊れているとは思っていなかった。

 

「……解放軍が、略奪と虐殺をしてどうする」

 

ボロディンが、頭を抱える。

 

「我々の大義名分はどうなる?『圧政からの解放』を掲げておいて、やってることは強盗殺人か?……これでは、政治宣伝もできんぞ。帝国よりも野蛮だと思われたら、占領政策など不可能だ」

 

軍事的な合理性すらない。民衆を敵に回せば、ゲリラ戦が頻発し、補給線はさらにズタズタになる。素人でも分かる理屈が、今のフォークには見えていない。

 

「聞こえんのか!やれ!今すぐ村を襲え!家を焼け!それが勝利への近道だ!!」

 

フォークは叫び続ける。だが、誰も動かない。軍人としての最低限のプライドが、その命令を拒絶している。

 

その頃。遥か後方、イゼルローン回廊の出口付近に停泊している第13艦隊旗艦《ヒューベリオン》その調理室で、ヤンは、鍋にお湯を沸かしていた。

 

「(後方の第13艦隊で)……病んでますねえ」

 

ヤンは、モニターから流れてくるフォークの狂気じみた演説を聞きながら、パラパラと塩を振る。

 

「精神衛生上よくない。……ユリアン、音声を切ってくれないか?せっかくのパスタが不味くなる」

 

「はい、閣下。……それにしても、酷い発言ですね」

 

従卒のユリアンが、顔をしかめてモニターを消音にする。画面の中では、フォークがパントマイムのように暴れている。

 

「略奪を命令する指揮官なんて、聞いたことがありません。……これ、軍法会議ものですよね?」

 

「ああ。……だが、彼をそこまで追い詰めたのは、我々のサボタージュかもしれないな」

 

ヤンは、沸騰したお湯にパスタを投入する。アルデンテを目指して。

 

「しかし、略奪したところで、そもそも物資がないんだ。帝国軍(ラインハルト)は、物資ごと住民を移動させているわけではなく、中途半端に残しているようだが……」

 

ヤンは、現地の偵察データを思い出す。村には人がいる。だが、備蓄食料は極端に少ない。「今日食べる分しかない」というギリギリの状態だ。これを奪えば、住民は即座に餓死する。同盟軍にそれをさせるのが、ラインハルトの狙いか。あるいは、フォークのような男が暴走することを予見していたのか。

 

「……性格が悪いな、敵の司令官も」

 

ヤンは苦笑する。

 

「まあ、我々が動かなければ、その策も不発に終わる。……さあ、飯にしよう。今日はカルボナーラだ」

 

ヤンは、戦争よりも夕食を優先する。それが、彼なりの狂気への対抗手段だった。

 

一方、その隣に停泊している第11艦隊旗艦《エピメテウス》ホーランドは、艦内のトレーニングルームでベンチプレスを上げていた。

 

「ふん!ぬん!せいっ!」

 

150キロのバーベルを軽々と持ち上げる。彼の筋肉は、今日も絶好調だ。

 

「(腕を組み)……聞いたか、ラップ」

 

ホーランドは、汗を拭きながら、傍らに立つ参謀を見る。

 

「あいつ(フォーク)、ついに『殺して奪え』とか言い出したぞ。……カルシウムが足りてないんじゃないか?」

 

「……閣下。カルシウム不足で済む話ではありません。あれは、完全な錯乱状態です」

 

ラップが、タブレットを見ながら溜息をつく。

 

「俺たち第11艦隊が、ここにいて良かったな」

 

ホーランドは、ニカっと笑う。

 

「もし俺たちが最前線にいて、あんな命令を聞かされたら……。俺は間違って、主砲のスイッチを押していたかもしれん。……ターゲットは敵ではなく、後方の司令部(フォーク)にな」

 

「……シャレになりません」

 

「ガハハハ!冗談だ!……半分はな」

 

目は笑っていない。彼は、無能な味方こそが最大の敵であることを、本能で理解している。

 

「あいつが前線にいなくてよかったよ。……後ろから味方を撃つような奴は、戦場には要らん。ステーキでも喉に詰まらせて寝てればいいんだ」

 

ホーランドは、再びバーベルに向かう。

 

「よし!俺たちは動かんぞ!ヤンがパスタを茹で終わるまでは、テコでも動かん!……これが俺たちの『不動の陣』だ!」

 

「……パスタ関係あります?」

 

「ある!腹が減っては戦はできん!ヤンのパスタは美味いからな!」

 

この奇妙な膠着状態を打破するのは、フォークのさらなる暴走か、それとも帝国軍の反撃か。あるいは、ロボス元帥の気まぐれな寝返り(物理)か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自由惑星同盟 首都星ハイネセン

 

 

 

 

「……ん?」

 

財務委員長のレベロは、手元の端末に送られてきた最新の報告書を見て、目を疑った。彼は、何度も画面をスクロールし、老眼鏡(最近ストレスで視力が落ちた)の位置を直す。

 

「(報告書を見て)……進軍停止?……前線部隊、国境付近の3星系にて滞留中?」

 

レベロの声が震える。恐怖ではない。歓喜で震えているのだ。

 

「物資搬入要請リスト……。食料、医療品、トランプ、嗜好品……のみ?弾薬は?燃料は?」

 

「ありません」

 

向かいのデスクで、後方勤務参謀のキャゼルヌが、書類の山から顔を出す。彼の顔にも、久しぶりに人間らしい血色が戻っている。

 

「弾薬の追加要請はゼロです。燃料も、アイドリングに必要な分だけ。……戦闘が行われていない証拠です」

 

「……た、助かった……!」

 

レベロは、天井を仰ぎ、大きく息を吐き出す。その瞬間、彼の背後から後光が差したように見えた。

 

「ああ。予測の範囲内の進軍距離だ。……これなら、備蓄物資と輸送船団のピストン輸送で何とか賄える。国家予算の底が抜ける前に、蛇口が閉まったぞ」

 

「あのフォークとかいう戦争屋め!!」

 

レベロが、机をバンと叩く。怒りはあるが、先ほどまでの絶望感はない。

 

「国家財政を破綻させる気か!3000万人を敵地で餓死させる気か!あいつの頭の中には電卓がないのか!」

 

「全くだ。度し難いな!!……あんなのが士官学校の首席とは、同盟の教育レベルも地に落ちたものだ」

 

キャゼルヌは、苦笑しながら引き出しを開ける。そこから取り出したのは、高級なブランデー……ではなく、業務用の特大サイズの胃薬(液体タイプ)だった。

 

「飲むか?レベロ委員長」

 

「ああ、頂こう。……今の私には、どんなヴィンテージワインよりも美味そうだ」

 

二人は、プラスチックのコップに、ドロリとした白い液体を注ぐ。それは、彼らにとっての聖水だ。

 

「だが……不思議だな。なぜ止まった?」

 

レベロが、胃薬を煽りながら首を傾げる。

 

「フォーク准将は、『行け行けドンドン』だったはずだ。現場の指揮官たちが、命令違反をしてまで止まるとは思えんが」

 

「そこだよ」

 

キャゼルヌは、ニヤリと笑う。悪だくみをする狐のような顔だ。

 

「前線の司令官たちが……特に、ヤンやビュコックじいさんたちが、見事な言い訳を見つけたんだ」

 

「言い訳?」

 

「『ロボスの昼寝』だよ」

 

キャゼルヌは、通信ログを見せる。そこには、『総司令官、睡眠中のため指示を仰げず。待機する』という報告がズラリと並んでいる。

 

「ロボス閣下が『私が寝ている間は動くな』と命令したらしい。……それを逆手に取って、現場は堂々とサボタージュを決め込んでいるわけだ。ロボス閣下が起きるまで、彼らは一歩も動かんよ」

 

「……ロボスの昼寝、だと?」

 

レベロは絶句する。あの、ただ飯を食って寝るだけの、穀潰しだと思っていた総司令官。その怠惰が、結果として暴走する参謀(フォーク)を止め、国家の破綻を防いだというのか。

 

「なんという皮肉だ……」

 

レベロは、空になったコップを見つめる。

 

「勤勉な馬鹿(フォーク)が国を滅ぼしかけ、怠惰な豚(ロボス)が国を救うとはな。……民主主義とは、かくも奥深いものか」

 

「首の皮一枚繋がったぞ。……ロボスの惰眠に感謝する日が来るとはな」

 

キャゼルヌは、二杯目の胃薬を注ぐ。

 

「さあ、乾杯しましょう。……我らが総司令官の、安らかなる眠りと、果てしなき食欲のために」

 

「乾杯。……願わくば、彼が一生起きてこないことを祈ろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝都オーディン ローエングラム元帥府

 

 

 

 

 

主であるラインハルトが、部屋の端から端までを、まるで獲物を探す飢えたライオンのように往復し続けている。

 

彼の軍靴が床を叩くリズムは、メトロノームのように正確だが、そのテンポは分速180ビートを超えている。高級な絨毯には、すでに彼の動線に沿って獣道のような溝ができ始めている。

 

「(執務室を行ったり来たり)……なぜだ?なぜ来ない?」

 

ラインハルトが、美しい顔を歪めて唸る。

 

「同盟軍は国境を越えたはずだ。3000万の大軍だぞ?勢いに乗って、雪崩のように押し寄せてくるはずではないか!なぜ止まる?なぜ進まない?彼らの足には鉛でも入っているのか!?」

 

彼のイライラは頂点に達している。彼が描いた絵図はこうだ。

 

1.同盟軍が深く侵攻してくる。

2.焦土作戦により、敵の補給線が伸びきり、飢えに苦しむ。

3.弱りきったところを、各個撃破で殲滅する。

4.ついでに、住民を見捨てた(ように見せかけた)ファルケンハイン元帥の評判を落とし、自分が救世主となる。

 

完璧なシナリオだ。軍事的勝利と、政治的勝利。その両方を手に入れるための、悪魔的な一石二鳥の策。だが、肝心の「獲物」が罠の入り口で座り込んで動かないのだ。これでは、ただ自分たちが意地悪な準備をしただけで終わってしまう。

 

「焦土作戦の効果が出るのは、奴らが奥地へ進み、伸びきった補給線に苦しんでからだぞ!玄関先でキャンプファイヤーをされては、こちらの兵糧攻めが無意味になるではないか!」

 

ラインハルトは、窓の外を睨みつける。そこには平和なオーディンの空が広がっているが、彼の心は嵐の中だ。

 

「予期されていた可能性です、閣下」

 

冷静な声が、ヒートアップした空気を冷やす。参謀長のヒルダだ。彼女は、手元のタブレットで最新の偵察情報をチェックしながら、淡々と分析を述べる。

 

「敵にも、理知的な指揮官がいます。……ヤンや、ビュコックといった古狸たちです。彼らは『罠の臭い』を感じ取ったのでしょう」

 

画面上の同盟軍の配置図を示す。

 

「彼らは、補給が確実に続く範囲でしか動いていません。……『無理はしない』『危なくなったら帰る』という、極めてサラリーマン的な、しかし堅実な運用を徹底しています。これでは、我々の『誘い込み』は機能しません」

 

「くっ……!臆病風に吹かれたか!それとも、こちらの意図を見抜くほどの慧眼か!」

 

敵が馬鹿なら楽だった。だが、敵の中に「やる気のない天才(ヤン)」と「保身の天才(ロボス)」が混ざっていたことが、最大の誤算だった。

 

「(冷徹に)……ですが、賽は投げられています」

 

部屋の隅で、義眼の光を明滅させている男、オーベルシュタインが口を開く。彼の声には、焦りも苛立ちもない。あるのは、事実を確認する冷たさだけだ。

 

「ファルケンハイン元帥と仲違いしてまで、この道を選んだのです。……住民避難計画を妨害し、兄貴分を裏切り、修羅の道を歩むと決めた。今更、『やっぱりやめた』とは言えません。戻れはしません」

 

オーベルシュタインの言葉は、鋭い刃物のようにラインハルトの胸を刺す。そうだ。もう引き返せない。兄上との関係に決定的な亀裂を入れてまで、この策を実行したのだ。ここで「何も起きませんでした」で終われば、ただの「性格の悪い弟」になってしまう。

 

「うむ。それに、プロパガンダは順調じゃ」

 

ソファでクッキーを齧っているマルガレータが、能天気に報告する。彼女の足元には、なぜかキルヒアイスの写真集(自作)が積まれている。

 

「侵攻前の星系……つまり、閣下の管轄外にある、ファルケンハイン元帥の直轄領じゃな。あそこでも、物資不足による飢餓が始まっておる」

 

彼女は、クッキーの粉を払いながら、残酷な現実を口にする。同盟軍が来ようが来まいが、避難計画を遅らせ、物資輸送を滞らせた影響は出ているのだ。物流とは血管のようなもの。一度詰まらせれば、末端の細胞(民衆)は壊死を始める。

 

「オーベルシュタイン。……状況は?」

 

「我々は、それを徹底的に『ファルケンハイン元帥の失政』として宣伝しております」

 

オーベルシュタインは、情報操作の成果を報告する。

 

「『ファルケンハイン元帥は、自分の財産と美術品を守るために、民衆の食料輸送を後回しにした』……。『彼が私腹を肥やしている間に、子供たちが泣いている』……。そのような噂を、市井に流しております」

 

「効果は?」

 

「絶大です。……民衆の怒りは、同盟軍よりも、まず無能な領主(ファルケンハイン)に向かいつつあります」

 

成功だ。計画通りだ。アルブレヒトの名声に傷をつけ、ラインハルトが救世主として登場する舞台は整いつつある。だが。

 

「(苦渋の表情)……皮肉にも、敵が来ないことで、戦火ではなく、飢えだけが広がり……兄上への怨嗟が溜まっていくわけか……」

 

ラインハルトは、拳を握りしめる。同盟軍が攻めてきて、その混乱の中で「仕方なく」飢えるなら、まだ言い訳も立つ。だが、戦争が起きていないのに飢えている現状は、単なる「人災」だ。そして、その人災を引き起こしたのは、紛れもなく自分たちなのだ。

 

「ラインハルト様」

 

それまで沈黙を守っていたキルヒアイスが、一歩前に出る。彼の赤毛は、悲しげに揺れている。その瞳は、親友の良心に訴えかけている。

 

「占領されていない星系では、既に餓死者が出始めています。……特に、老人や子供といった弱者が犠牲になっています。これ以上は……」

 

キルヒアイスの声が震える。

 

「救援を……。我々の備蓄米を放出すれば、彼らを救えます。今ならまだ、間に合います」

 

彼は、政治的な勝利よりも、目の前の命を優先すべきだと訴える。それは正しい。人として、あまりにも正しい。

 

だが、ラインハルトは背を向ける。

 

「(拳を握りしめ)……ならん!」

 

拒絶。それは、彼自身にとっても身を切るような痛みだ。

 

「今動けば、全てが中途半端になる!……ここで我々が救援を出せば、『なぜ最初からやらなかったのか』と問われる。ファルケンハイン派の貴族たちに、『ローエングラムのマッチポンプだ』と見抜かれる!」

 

「民衆の怒りが頂点に達し、ファルケンハインの威信が地に落ちるまで……待つのだ!彼らが絶望し、泥水を啜り、天を呪うその瞬間まで……我々は動いてはならん!」

 

「ラインハルト様……!」

 

「くどいぞキルヒアイス!……覇道とは、こういうことだと言ったはずだ!」

 

ラインハルトは、マントを翻して窓際へ行く。彼の背中は、拒絶の壁を作っている。だが、その肩が微かに震えていることを、キルヒアイスだけは見逃さなかった。

 

黄金の獅子は、今、血の味を噛み締めている。兄を悪者にし、民を飢えさせ、それでも勝利を掴もうとする自分の業の深さに、彼は誰よりも傷ついているのだ。

 

室内に、重苦しい沈黙が落ちる。オーベルシュタインの義眼だけが、無感情に点滅を続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

一方、悪者(スケープゴート)にされている当の本人の館。ファルケンハイン元帥府のサロン

 

「……ふむ」

 

アルブレヒトは、ティーカップを傾けながら、遠い目をしている。窓の外では、今日も平和な陽光が降り注いでいる。だが、彼の手元にある情報端末には、領地の悲惨な状況と、自分に対する罵詈雑言の嵐が表示されている。

 

「ラインハルトとの政争のために、静観しているわけだが……。領民が可哀想だなあ」

 

彼の声は軽い。まるで、雨に濡れた子猫を心配するような口調だ。

 

「(書類を整理しながら)……棒読みですね、アル様」

 

アナが、冷たく突っ込む。彼女は、主君の悪評などどこ吹く風で、淡々と事務処理をこなしている。

 

「『可哀想』と言いつつ、おやつのケーキを完食されましたね。……同情するならカロリーを分けてあげてください」

 

「いや、本心だぞ?腹が減っては戦(内乱)もできん。……民衆のエネルギー不足は、俺の将来の税収減に直結するからな」

 

アルブレヒトは、フォークを置く。

 

「それにしても、ラインハルトの野郎、容赦ないな。……『ファルケンハインは私腹を肥やしている』だと?俺の私腹(お腹)は、アナの手料理だけで満たされているというのに」

 

「のろけないでください。……それで、どうなさいますか?各地で小規模な暴動の兆候があります」

 

「うーん……」

 

表立って動けば、ラインハルトの挑発に乗ることになる。かといって、放置すれば自分の領地が荒廃する。

 

「……そうだ!ロイエンタール!」

 

彼は、部屋の隅でワイングラスを回している男に声をかける。オスカー・フォン・ロイエンタール上級大将。「金銀妖瞳(ヘテロクロミア)」を持つ、帝国軍きっての伊達男であり、現在はファルケンハイン派(という名の静観組)としてここに詰めている。

 

「はっ」

 

ロイエンタールは、優雅に立ち上がる。その態度は、主君に対する忠誠心というよりは、「面白いから付き合ってやっている」という遊び人のそれだ。

 

「民衆にパンがないなら、パスタを食べればいいんじゃないか?」

 

「……は?」

 

「パスタなら保存もきくし、茹でれば増える」

 

アルブレヒトは、名案を思いついた顔をする。

 

「(真顔で)……閣下」

 

ロイエンタールは、氷のような冷笑を浮かべる。

 

「火に油を注ぐような『マリー・アントワネット発言』はお控えください。……パンがないならお菓子(パスタ)を食べればいい、などと公言すれば、暴動どころか革命が起きます」

 

「えー?パスタ美味しいのに」

 

「そういう問題ではありません。……民衆が求めているのは、炭水化物ではなく、領主としての誠意です」

 

ロイエンタールは手厳しい。彼は、この「やる気のない主君」の扱い方を完全に心得ている。

 

「ちぇっ。……優柔不断に過ごすのも楽じゃないな」

 

「(呆れて)……閣下」

 

もう一人の男、ミッターマイヤーが口を挟む。「疾風ウォルフ」の異名を持つ彼は、直情径行な性格で、このまどろっこしい状況にイライラしている。

 

「もはや誰も、閣下の『無能なふり』を信じる者はいませんよ。……バレバレです」

 

「なんだと!?」

 

ガバッと起き上がる。

 

「俺の演技力は完璧なはずだぞ!『昼行灯』『穀潰し』『歩く給料泥棒』……完璧に演じきっているはずだ!」

 

「演じていると思っているのは、ご自分だけです」

 

ミッターマイヤーは容赦ない。

 

「部下たちは皆、知っていますよ。閣下が裏で物流を調整し、経済界に根回しし、最低限のインフラを維持していることを。……『無能なふりをして、実は有能』というのは、一番タチの悪いリーダーです」

 

「ぐっ……」

 

図星だ。アルブレヒトは、自分が「底知れない怪物」として恐れられていることを、薄々気づいてはいたが、部下に面と向かって言われると傷つく。

 

「分かってないな、ミッターマイヤー。……『能ある鷹は爪を隠す』と言うだろう?俺は爪の手入れをしているだけだ」

 

「爪が伸びすぎて、隠しきれていませんがね」

 

ミッターマイヤーは肩をすくめる。

 

「とにかく、パスタ発言は禁止です。……これ以上、ラインハルト閣下を刺激する材料を与えないでください」

 

「へいへい。……まったく、部下が優秀すぎると上司は肩身が狭いよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まあいい。表立っては動けんが、裏でやるぞ」

 

「ケンプ」

 

「はっ!ここに!」

 

ケンプ大将が、直立不動で答える。彼は真面目な武人であり、この怪しい集会にも軍装で参加している。

 

「裏で、とは?……要人暗殺ですか?それともクーデターの準備ですか?」

 

「違う。……人助けだ」

 

「は?」

 

ケンプがずっこける。この格好で人助け?

 

「占領されていない、飢えに苦しむ星系へ……『バレない範囲』での物資援助だ」

 

積み上げられたコンテナを指差す。そこには、軍の予備物資である食料、毛布、医薬品が山のように積まれている。

 

「貴族直轄軍の予備物資を横流ししろ。……帳簿上は『演習での消費』あるいは『ネズミがかじった』ことにして処理しろ」

 

「ネズミ……ですか。この量を?」

 

「ああ。帝国のネズミは食欲旺盛なんだよ」

 

横領だ。公文書偽造だ。だが、目的は人命救助だ。

 

「アナ。名目はどうしますか?」

 

アナが、ラベルプリンターを片手に尋ねる。彼女もまた、黒いエプロンをつけてやる気満々だ。

 

「『ファルケンハイン元帥からの慈悲』と書けば、ラインハルトの計画(俺を悪者にするプロパガンダ)を邪魔することになる。……それでは、あいつの顔を潰してしまう」

 

あくまで「悪役」に徹するつもりだ。弟分の立てた作戦を、正面から否定はしない。だが、民を見殺しにはできない。その矛盾を解決するための、苦肉の策。

 

「そうだな……」

 

彼は、少し考えてからニヤリと笑う。

 

「『謎の慈善団体・黒いサンタクロース』からのプレゼント、とでもしておけ」

 

「……はい?」

 

「決してファルケンハインの名は出すなよ?『通りすがりの悪党』でもいい。……とにかく、俺の関与を消せ」

 

「(苦笑)……悪者になるために、こっそり人助けをするのですか」

 

ケスラー大将が、呆れたように笑う。彼は、本来ならこのような不正を取り締まる立場だが、今回は「見なかったこと」にする共犯者だ。

 

「閣下は本当に……不器用なお方だ」

 

「うるさい!ツンデレとか言うなよ!」

 

「少しでも悪評を減らしておかないと、後で統治するのが面倒なんだよ!民衆が死滅したら、誰が俺の老後の年金を払うんだ!これは先行投資だ!決して善意ではない!」

 

彼は、必死に言い訳をする。善意100%のくせに、悪徳領主のふりをする。それが、アルブレヒト・フォン・ファルケンハインという男の美学(ねじれた)なのだ。

 

「分かりました。……では、輸送船団の手配を」

 

ケンプが敬礼する。

 

「各個撃破されないよう、隠密行動で配って回ります。……しかし、奇妙な戦争ですね」

 

「ああ」

 

アルブレヒトは、コンテナの一つに「メリークリスマス(まだ夏だが)」と落書きをする。

 

こうして。同盟軍は進まず、帝国軍も動かず。俺だけが、コソコソと、まるで泥棒のように食料を配って回るという、奇妙な膠着状態が続くことになった。

 

戦場には銃声一つせず。あるのは、空腹の音と、秘密の輸送船のエンジン音だけ。ラインハルトは執務室でイライラし、俺は地下でサンタクロースごっこ。

 

「……戦争って、こんなんだっけ?」

 

銀河の歴史上、最も情けなく、そして最も優しい(?)戦いは、こうして静かに泥沼化していくのであった。

 

「アナ。……配り終わったら、俺にもパスタ作ってくれ」

 

「はい、アル様。……激辛のアラビアータでよろしいですか?」

 

「……お手柔らかに頼むよ」




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