銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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今回の章では、アムリッツァ星域における両軍決戦の最終局面を描きます。
激戦の中で、指揮官たちはそれぞれの信念、葛藤、そして感情を抱えながら戦場に立ち続けます。

帝国軍は追い詰められながらも、仲間の献身や思わぬ救援を得て反撃へ。
同盟軍は崩れゆく前衛を支えつつ、生き残るための最善の選択を迫られます。

戦術、感情、そして偶然が複雑に絡み合い、誰も予測できない結末へと進む一日。
それぞれの想いが交錯するアムリッツァ戦をお楽しみいただければ幸いです。


アムリッツァ星域会戦(後編)

帝国軍中央 帝国軍旗艦《ブリュンヒルト》

 

 

「右舷後方、被弾!シールド出力、危険域に突入!」

 

「ダメです!敵の圧力が強すぎます!支えきれません!」

 

オペレーターたちの悲鳴が、断末魔の合唱のように響き渡る。同盟軍の猛攻は、留まることを知らない。彼らは、「家に帰って温かいご飯を食べる」という、全宇宙で最も崇高かつ強力なモチベーションに突き動かされているのだ。その執念の前に、帝国軍の精鋭たちもタジタジである。

 

そんな火事場のような艦橋で、一人の美しい青年が、コンソールをバンバンと叩いていた。銀河帝国軍の至宝、ラインハルトである。彼の整った顔立ちは、今や焦りと怒りで般若のようになっている。

 

「ええい、なぜだ!なぜ奴らは退かん!質ではこちらが有利なはずだぞ!」

 

彼は叫ぶ。計算が合わない。理屈が通じない。それがアムリッツァ会戦だ。

 

彼の傍らで、ヒルダが、タブレットを抱きしめながら悲痛な声を上げる。彼女の顔色は、ブリュンヒルトの白い装甲よりも白い。

 

「ラインハルト様!現実を見てください!我々の損害が想定をはるかに超えています!」

 

彼女は、真っ赤に染まった損害状況図を突きつける。これを見れば、普通の神経の持ち主なら即座に白旗を上げるレベルだ。

 

「前衛のシュタインメッツ艦隊は半壊!キルヒアイス艦隊も限界です!これ以上は物理的に支えきれません!後退すべきです!一時撤退して体制を立て直しましょう!」

 

ヒルダの提案は、軍実に合理的だ。だが、今のラインハルトの脳内に、合理性という単語は存在しない。あるのは、燃え盛る対抗心だけだ。それも、目の前の敵に対してではなく、遥か後方で兄貴分に対する、一方的な対抗心だ。

 

「まだだ!まだ負けてはおらん!」

 

ラインハルトは、駄々をこねる子供のように叫ぶ。

 

「ここで引けばどうなる!『やっぱり口だけだったか』と笑われるのだぞ!あの兄上に!」

 

彼の思考回路は、全て対ファルケンハインで構成されている。この戦いは、彼にとって同盟軍との戦争である以前に、兄離れのための通過儀礼なのだ。ここで失敗すれば、彼は一生、あのやる気のない元帥の掌の上で踊らされることになる。そんな屈辱は耐えられない。

 

「ここで負ければ、兄上に政治的に勝てないことは必定!あの人を追い落とし、私が全権を握る計画が水泡に帰すのだ!」

 

彼は、自分の野望を赤裸々に語る。部下たちがドン引きしていることにも気づかない。

 

「ファルケンハイン元帥の影に怯えるのはもう御免だ!『よくやった、偉いぞ』と頭を撫でられるだけの弟分は卒業するのだ!だから……ここから押し込むのだ!意地でも勝つのだ!」

 

彼は、精神論を振りかざす。だが、精神論でビームは防げない。

 

メインモニターに、同盟軍の最前線の様子が映し出される。そこには、二人の鬼の姿があった。

 

同盟軍第5艦隊司令官ビュコックと、第10艦隊司令官ウランフだ。彼らは、普段は温厚な老将と、食べることが好きな中年提督だが、今は違う。彼らの顔は、残業を強要する上司を殴り殺さんとするサラリーマンの形相そのものだ。

 

「どけぇぇぇ帝国軍!わしは早く帰って渋茶を飲むんじゃぁぁぁ!」

 

「シチューが!私のシチューが煮詰まってしまう!邪魔をするな金髪小僧!」

 

彼らの気迫は、画面越しにも伝わってくる。彼らは、ラインハルトの首を物理的に取りに来ている。

 

「ひぃっ!来ます!真正面からです!」

 

「敵の突進エネルギー、計測不能!このままでは衝突されます!」

 

オペレーターたちがパニックに陥る。ブリュンヒルトの目前にまで、同盟軍の戦艦が迫っているのだ。

 

その時。赤い髪の長身の男が、ラインハルトの前に立ちはだかる。キルヒアイス。ラインハルトの唯一無二の親友であり、この宇宙で最も苦労している中間管理職だ。

 

「……ラインハルト様。ご安心ください」

 

キルヒアイスの声は静かだが、その背中には悲壮な覚悟が漂っている。

 

「敵第5艦隊、突出してきます!狙いは本艦です!……総員、防御態勢!防げ!何としてもローエングラム伯を守るのだ!」

 

キルヒアイスは、自分の艦隊に命令を下す。それは、戦術的な防御ではない。もっと原始的な、物理的な防御だ。

 

「バルバロッサを前に出せ!他の艦もだ!ブリュンヒルトの盾となれ!肉壁を作るのだ!」

 

彼は、自分の艦隊を、ラインハルトを守るための使い捨ての盾にすることを躊躇わない。それが、彼の忠誠心であり、彼の悲しい性なのだ。

 

「キルヒアイス!無茶だ!貴様の艦が沈むぞ!」

 

ラインハルトが叫ぶ。

 

「構いません。……ラインハルト様がご無事なら、艦などいくらでも代わりがききます」

 

キルヒアイスは微笑む。その笑顔は、聖母のように慈愛に満ちているが、やっていることは狂気じみている。赤き旗艦バルバロッサが、ブリュンヒルトの前に滑り込み、同盟軍の猛烈なビームの雨を一身に受け止める。装甲が焼けただれ、爆発が起きる。だが、キルヒアイスは一歩も引かない。彼は、金髪の駄々っ子を守る、最強の保護者なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、攻め込む同盟軍側。第5艦隊旗艦リオ・グランデの艦橋もまた、修羅場と化していた。

 

ビュコックは、額から血を流している。先ほどの衝撃で、どこかにぶつけたらしい。だが、彼はそんなことを気にする様子もない。彼が見ているのは、ただ一点。目の前にある、白く輝く美しい戦艦、ブリュンヒルトのみだ。

 

「ぬぅぅぅん!しぶとい!実にしぶといのう、帝国軍は!」

 

ビュコックは唸る。彼の帰宅願望は、もはや執念の域に達している。

 

「良いポイントに集中してきおる。……あの赤毛の小僧、自らを盾にして金髪の小僧を守りおったか。泣かせる忠誠心じゃのう」

 

彼は、敵ながらキルヒアイスの献身に感心する。だが、感心して手を止めるわけにはいかない。ここで手を止めれば、アムリッツァの藻屑となり、二度と渋茶を啜ることはできないのだ。

 

「だが無視せよ!構わん!多少の被害は覚悟の上じゃ!盾ごと砕け!」

 

ビュコックは、老人とは思えない力強さで指揮杖を振るう。

 

「肉を切らせて骨を断つ!いや、肉をミンチにして、骨を粉砕するのじゃ!敵中枢は目の前ぞ!!あと一押しじゃ!!」

 

同盟軍の艦艇が、さらに加速する。被弾しても止まらない。彼らは、自分たちが生きて帰るための、最後の賭けに出ているのだ。

 

あと数キロ。宇宙空間においては、目と鼻の先だ。ビュコックの手が、ブリュンヒルトに届こうとした、その瞬間。

 

 

突如として、戦場の横合いから、毒々しい色の光が殺到する。ショッキングピンクのビームの嵐だ。それは、物理的な破壊力もさることながら、色彩的な暴力として同盟軍の視神経を焼き尽くす。

 

「な、なんじゃ!?この下品な色は!」

 

ビュコックが目を覆う。通信回線に、甲高い少女の声が割り込んでくる。マルガレータだ。

 

『させんぞ!!絶対にさせんぞ、エロジジイ!!』

 

「はあ!?エロジジイだと!?」

 

ビュコックが青筋を立てる。彼は、この歳になるまで、そんな不名誉な呼び方をされたことは一度もない。

 

『私の愛するジークと、ラインハルトの間には、指一本入れさせぬ!二人の美しい友情を邪魔する者は、馬に蹴られて死んでしまえ!』

 

彼女の論理は飛躍している。彼女にとって、キルヒアイスがラインハルトを庇う姿は、美しい主従愛の究極形であり、それを邪魔するビュコックは愛を引き裂く悪魔なのだ。

 

マルガレータ率いるヘルクスハイマー艦隊が、同盟軍の側面に食らいつく。その攻撃は、正確無比だ。彼女の恋の力は、戦術的な直感力として発揮されている。

 

「ぐううう!!あの小娘、巧妙な!!ここぞという急所を突いてくる!」

 

ビュコックが呻く。彼の艦隊は、前進することに集中していたため、側面が手薄になっていた。そこを、ピンク色の悪魔が的確にえぐったのだ。

 

「ええい、鬱陶しい!ハエのようにブンブンと!これでは前に進めん!」

 

ビュコックの突進が、物理的に止められる。

 

一方、ブリュンヒルトの艦橋では。ラインハルトが、安堵のため息をついていた。

 

「……ふぅ。助かった。マルガレータ嬢か」

 

彼は、額の汗を拭う。あのピンク色の暴走娘が、今回ばかりは女神に見える。

 

「礼を言わねばならんな。……後で、キルヒアイスのサイン入りブロマイドでも送ってやるか」

 

「ラインハルト様、それは逆効果です。彼女がさらに暴走します」

 

キルヒアイスが冷静に突っ込む。彼は、自分が盾になっていることよりも、自分のブロマイドが通貨代わりにされていることの方が心配なようだ。

 

さて、同盟軍側。ビュコックが足止めを食らったことで、隣にいた第10艦隊のウランフが動き出す。

 

「爺さんが捕まったか。……だが、これは好機だ!」

 

ウランフは、旗艦《盤古》の指揮席で、状況を冷静に分析する。敵の右翼がビュコックに引きつけられたことで、中央へのルートが一本、手薄になったのだ。

 

「まだ行ける!ヘルクスハイマー艦隊の相手は、ビュコック提督に任せろ!あの人は年の功でなんとかするだろう!」

 

ウランフは、面倒な相手を年長者に押し付ける。これもまた、処世術だ。

 

「我らは、その隙にローエングラム艦隊へ突入する!目標は金髪の元帥首ただ一つ!そして、私のシチューだ!」

 

「シチューは関係ないでしょう!」

 

「関係ある!早く帰らないと煮詰まるんだよ!全艦、突撃!ビュコック提督の屍を越えていけ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来ます!敵第10艦隊、本気です!」

 

「数が違いすぎます!このままでは押し潰されます!」

 

バルバロッサの艦橋で、幕僚たちが悲鳴を上げる。だが、キルヒアイスの瞳は、静謐な湖のように澄み切っていた。彼は、この絶体絶命の状況下で、一つの決断を下す。

 

「……装甲の厚い艦を、ローエングラム閣下の前に展開せよ!」

 

キルヒアイスの声が響く。

 

「戦艦、巡洋艦、全てだ!一隻残らずブリュンヒルトの前に並べろ!動く壁を作れ!肉壁となれ!」

 

「しかし閣下!それでは攻撃ができません!」

 

「構わん!防御に徹しろ!一発たりとも後ろへ通すな!」

 

キルヒアイスは、艦隊の主力である大型艦を、全て防御に回す。それは、戦術的には自殺行為に近い。だが、彼はラインハルトを守るためなら、どんな非合理も受け入れる。

 

「そして……残りの高速艦艇、駆逐艦と巡洋戦艦は、私に続け!」

 

彼は、マントを翻す。彼の赤毛が、燃える炎のように揺れる。

 

「我々は、この機動力をもって、敵の艦隊の要衝を切り裂く!!」

 

彼は、敵の真っ只中へ飛び込むつもりだ。防御を捨てた、捨て身の特攻。

 

「1000隻で良い!私についてこい!!死ぬ覚悟のある者だけ、ついてこい!」

 

「「「オオオオオッ!!」」」

 

キルヒアイスの部下たちが吼える。彼らは、この心優しき提督のためなら、火の中だろうと飛び込む覚悟ができている。

 

キルヒアイス率いる1000隻の高速機動部隊が、本隊から分離する。彼らは、赤い彗星となって、ウランフ艦隊の巨大な陣形へと突っ込んでいく。それは、巨象に挑む群狼の姿だ。

 

「なにっ、速い!?」

 

敵は防御に徹すると思っていた。まさか、1割にも満たない小部隊で、こちらの大軍に突っ込んでくるとは予想外だ。

 

「迎撃せよ!叩き落とせ!」

 

ウランフが命じるが、遅い。キルヒアイス隊の速度は、常識を超えている。彼らは、死を恐れない。ラインハルトを守るためなら、自らが弾丸となることも厭わない。

 

「ここだ!ここが急所だ!」

 

キルヒアイスが、先頭に立って突撃する。彼が狙ったのは、ウランフ艦隊の陣形制御を担当する中枢部。そこに、一点突破のくさびを打ち込む。

 

ズガガガガガガガガーン!!

 

衝突。爆発。閃光。キルヒアイス隊は、自らの艦を敵艦に擦り付けるようにして、内部へと食い込んでいく。

 

「ぐわぁぁぁ!陣形が乱れる!」

 

「通信系統、麻痺!各艦の連携が取れません!」

 

ウランフ艦隊が大混乱に陥る。巨大な象が、足元を走り回る狼の群れに翻弄され、ステップを乱す。その影響は、隣で戦っていたビュコック艦隊にも波及する。

 

「なんじゃ!?ウランフの奴、何をしておる!」

 

ビュコックが叫ぶ。側面をカバーしていたウランフ艦隊が乱れたことで、ビュコック艦隊の脇腹が無防備になる。二つの艦隊の連携が、完全に断たれたのだ。

 

「……やったか」

 

バルバロッサの艦橋で、キルヒアイスが息をつく。彼の艦も被弾し、あちこちから煙が出ている。だが、彼の瞳は勝利を確信していた。彼の捨て身の行動が、戦況をひっくり返したのだ。

 

一方、ブリュンヒルト。ラインハルトは、目の前で起きた奇跡のような逆転劇に震えていた。

 

「……キルヒアイスがこじ開けた!」

 

彼は叫ぶ。親友が、命がけで作ってくれた、千載一遇のチャンス。これを逃せば、一生後悔する。

 

「今だ!全軍、反転攻勢!押し込め!!混乱している敵を、一歩も逃がすな!」

 

ラインハルトの号令が響く。守勢に回っていた帝国軍が、一気に牙を剥く。

 

右翼では、マルガレータが扇子を振り回して叫ぶ。

 

「敵は崩れた!愛の勝利じゃ!しかし油断はするな!まだ数は敵のほうが多いぞ!油断したらジークに叱られる!」

 

彼女は、冷静な状況判断を忘れない。

 

「そう、その通りだ!」

 

ラインハルトが同意する。まだ敵は多い。ここで確実に息の根を止めるには、圧倒的な暴力が必要だ。理屈も戦術も吹き飛ばす、純粋な破壊の化身が。

 

ラインハルトの脳裏に、一人の男の顔が浮かぶ。オレンジ色の髪をした、猪突猛進の猛将。前哨戦でステーキに負け、復讐の炎を燃やしている男。

 

「ならば、あの男を出せ!」

 

ラインハルトは、ニヤリと笑う。

 

「ビッテンフェルトだ!黒色槍騎兵を解き放て!奴らの鬱憤を、全て敵にぶつけさせろ!トドメを刺せ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……承知!!待ちわびたぞ!ラインハルト閣下からのGOサインだ!」

 

「全艦、突撃準備!目標は目の前の同盟軍!奴らは……奴らは我々が固いレーションを齧っている間に、ステーキを食い、サンドイッチを食い、コーヒーを飲んでいたのだ!許せん!万死に値する!」

 

動機が不純だ。だが、食い物の恨みほど恐ろしいものはない。

 

「猪突猛進こそ我らの本領!サンドイッチの恨み、ここで晴らしてくれるわ!!突撃だ!!奴らの胃袋ごと粉砕してやる!」

 

「閣下、作戦目標は敵の殲滅ですが……」

 

「うるさい!敵の補給艦を奪い、ステーキを確保するのが最優先だ!行くぞオラァァァァッ!!」

 

ドォォォォォォォン!!

 

黒色の高速戦艦群が、一斉に加速する。その質量と運動エネルギーは、物理的な破壊力を超え、怨念の波動となって宇宙を震わせる。キルヒアイスの突撃で陣形を崩された同盟軍第10艦隊と、第5艦隊の隙間に、黒い槍が突き刺さる。

 

「ぐわぁぁぁ!なんだこの威力は!?」

 

「敵の攻撃が重い!ビームの中に空腹という念が込められています!」

 

同盟軍のオペレーターたちが悲鳴を上げる。黒色槍騎兵の突撃は、通常の3倍の破壊力を持っている。なぜなら、彼らは全員、勝ったらステーキ食べ放題と洗脳されているからだ。

 

「第5艦隊、左舷突破される!支えきれん!」

 

「第10艦隊、通信途絶!ウランフ提督、負傷!」

 

同盟軍の前衛が、音を立てて崩壊していく。ビュコックもウランフも名将だが、混乱状態のまま、腹を空かせた猛獣の群れに襲われてはひとたまりもない。

 

後方の第13艦隊。ヤンは、モニターを見てベレー帽を叩きつける。

 

「いかん!前衛が溶ける!……まるで熱したナイフでバターを切るようだ」

 

「バターなら美味しいですけどね」

 

フレデリカが冷静にツッコミを入れるが、状況は深刻だ。

 

「冗談を言っている場合じゃない。……我らも前に出る!ビュコック提督とウランフ提督をお救いしろ!!彼らが崩れれば、次は我々の番だ!」

 

ヤンは、嫌々ながらも救援に向かう。だが、黒色槍騎兵の勢いは止まらない。彼らは、目の前の敵を動く肉塊と認識しているフシがある。

 

 

 

 

 

 

同盟軍総旗艦《アイアース》

 

 

戦況は決定的になりつつある。同盟軍の敗色は濃厚だ。

 

フォークが、ガタガタと震えながらモニターを凝視している。彼は、ロボスによって無理やり最前線に連れてこられた被害者だ。

 

「あ、あわわ……。前線が……崩壊している……。来る……こっちに来る……」

 

フォークは、恐怖で失禁寸前だ。黒い艦隊が、こちらに向かってくる幻覚が見える。

 

その横で。総司令官ロボスは、懐から何かを取り出す。それは、高級プリンである。彼は、プッチンと容器の底のツメを折り、皿の上にプリンを滑り落とす。プルルン。美しい揺れだ。

 

「……ふむ」

 

ロボスは、スプーンでカラメル部分をすくいながら呟く。

 

「ヤンを援護する!全速前進!!」

 

「ひぃっ!?」

 

フォークが悲鳴を上げる。前進?この状況で?

 

「閣下!前進!?正気ですか!?前線は崩壊しています!敵の猛獣が暴れているのですよ!?逃げましょう!今すぐ逃げましょう!私は死にたくありません!エリートなんです!」

 

フォークは、ロボスの足にしがみつく。見苦しいことこの上ない。

 

「……無視せよ」

 

ロボスは、足元のゴミを見るような目でフォークを一瞥し、プリンを口に運ぶ。甘い。脳に糖分が行き渡る。

 

「……閣下、どうなさいますか?前進して、殴り込みますか?」

 

総参謀長のグリーンヒルが、真剣な顔で尋ねる。彼は、ロボスならやりかねないと思っている。

 

ロボスは、プリンを飲み込み、ナプキンで口を拭う。そして、満足げに息を吐いた。

 

「……撤退する」

 

「は?」

 

フォークが固まる。さっき前進と言ったではないか。

 

「この状況では、勝っても被害が多すぎる。……私の安眠妨害だ。それに、プリンも食べたしな」

 

ロボスは、空になった皿を置く。

 

「戦略的には、サンフォード議長の政治ショーに付き合ってやったのだ。……花火も上げた。激戦の演出も撮れた。キルヒアイス艦隊を半壊させ、ラインハルトを追い詰めたという実績も作った。……もう終わりだ!」

 

完璧な損切りだ。これ以上戦っても、得るものは少ない。むしろ、ビッテンフェルトのような狂犬に噛まれたリスクの方が高い。

 

「十分だ。……これ以上やると、残業代を請求せねばならん」

 

「了解しました。……全軍に撤退準備を」

 

グリーンヒルが頷く。彼の表情にも安堵が浮かぶ。

 

「パエッタとホーランドに連絡!……一気に突撃し、敵が怯んだ隙に後退しろ!」

 

ロボスは、撤退の手順を指示する。ただ逃げるのではない。一度殴って、相手が痛っとなっている間に逃げるのだ。喧嘩の基本である。

 

「そして……我々は殿を務める!!」

 

「え?」

 

艦橋の全員が、耳を疑う。総司令官が殿?一番危険な最後尾を?

 

「な、何をおっしゃいます!!」

 

フォークが叫ぶ。彼は、自分の耳がおかしくなったのかと思った。

 

「総司令官が殿など!前代未聞です!死ぬ気ですか!?ほかの艦隊を殿にしましょう!!第13艦隊とか、ボロボロの第11艦隊とか!捨て駒はいくらでもいるでしょう!!」

 

フォークは、他人の命などどうでもいい。自分の乗っている艦が助かればそれでいいのだ。

 

ロボスは、ゆっくりと首を回し、フォークを見る。その瞳は、眠たげだが、底知れぬ威圧感を放っている。

 

「……うるさい」

 

ドスに効いた声。フォークが、ヒッと息を呑んで凍りつく。

 

「貴官のような小物が騒ぐと、美味いプリンの味が落ちる。……黙って座っていろ」

 

ロボスは、巨大な体を椅子に預ける。

 

「総旗艦アイアースは、同盟軍で最も堅牢な戦艦だ。……それに、私がここに残れば、敵は警戒してうかつには手を出せん。あの昼寝男、何か罠があるのではとな」

 

心理戦だ。ロボスの底知れなさを武器にするのだ。

 

「離脱のタイミングを見誤るなよ!!……私が帰ると言ったら、光速で帰るぞ!置いていかれた奴は知らん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『総司令部より入電!「殴って逃げろ」とのことです!』

 

「突撃してから逃げろだと!?」

 

パエッタは、もはや思考を放棄していた。盾にされ、エネルギーを吸われ、今度は特攻しろというのか。

 

「……ええい、ヤケクソだ!どうせ死ぬなら前のめりで死んでやる!全艦突撃!撃ちまくれ!弾薬を使い切れ!」

 

第2艦隊が、やけっぱちの斉射を開始する。捨て身の攻撃は、意外にも高い命中率を記録する。

 

「ガハハハ!最後のダンスだ!」

 

ホーランドも、包帯をなびかせて狂喜する。

 

「ロボスのおっさんも粋なことを言う!特大のあだ花を咲かせてやる!行くぞ野郎ども!サヨナラ・逆噴射・ボンバーだ!」

 

意味不明な技名と共に、第11艦隊が突っ込む。帝国軍左翼のファーレンハイトたちは、この死に物狂いの反撃に、一瞬たじろぐ。

 

「ぬっ、敵の圧力が上がった!?最後の抵抗か!?」

 

「くそっ、これでは追撃に移れん!」

 

その一瞬の隙。それが、ロボスの狙いだった。

 

「よし!今だ!」

 

アイアースの艦橋で、ロボスが膝を叩く。

 

「グリーンヒル、生存者の確認は?」

 

「リオ・グランデと盤古の健在を確認!……ボロボロですが生きています!ウランフ提督はシチューを守りきったと通信してきました!」

 

「馬鹿者め。……だが、上出来だ!」

 

ロボスはニヤリと笑う。生きていれば、また飯が食える。また戦える。

 

「ヤンに伝えろ。……第5、第10艦隊を優先して下がらせるように。ボロディンも後退を援護せよ!負傷者を連れて行け!」

 

ヤンは、総司令部からの的確すぎる指示に、感嘆のため息をつく。

 

「やれやれ。逃げるとしましょうか」

 

彼は、ベレー帽をかぶり直す。

 

「逃げるが勝ちは私の専売特許だったんですがね。……元帥閣下に取られてしまいましたか」

 

ヤンは、巧みな用兵で傷ついた友軍をカバーし、撤退ルートを確保する。同盟軍の各艦隊は、潮が引くように、整然と後退を開始する。その動きは、進軍してくる時よりも遥かに統制が取れている。彼らは帰るという目的のためなら、世界最強の軍隊になれるのだ。

 

そして。同盟軍の最後尾。アムリッツァの赤い星を背に、一隻の超巨大戦艦が仁王立ちしていた。総旗艦アイアース。その威容は、追撃しようとする帝国軍を無言で威圧する。

 

「追うな!罠だ!」

 

帝国軍の中で、誰かが叫ぶ。ラインハルトも、その巨大な影を見て、唇を噛む。

 

「……ロボスめ。自ら殿を務めるとは。……あれほど怠惰な男が、ここ一番で胆力を見せるとは」

 

深読みだ。ラインハルトは、ロボスの中に名将の器を幻視してしまっている。実際には、ロボスは早く帰って寝たいだけなのだが、その欲望の強さが、オーラとなって敵を怯ませているのだ。

 

「よし!敵が止まった!」

 

ロボスは、モニターで帝国軍の足が止まったのを確認する。

 

「我らも後退する!!……今日の夕飯までには帰るぞ。メニューはハンバーグだ!」

 

「はっ!全速離脱!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「逃がすな!追撃を!!全滅させるのだ!」

 

ラインハルトは、指揮席から身を乗り出し、獲物を逃した猛禽類のように叫ぶ。彼の蒼氷色の瞳は、怒りと執念で燃え上がっている。

 

「あと一歩だ!あと一押しすれば、敵は崩壊する!兄上に完全勝利を報告するためには、ここでの殲滅が必要なのだ!全艦、エンジン最大戦速!アイアースを沈めろ!」

 

だが、ブリュンヒルトの艦橋要員たちの動きは鈍い。無理もない。彼らは限界を超えている。キルヒアイス艦隊は半壊し、消耗しきっている。シュタインメッツ艦隊は盾となって砕けた。ビッテンフェルト艦隊は空腹と怒りで暴れた挙句、ガス欠寸前だ。そして何より、ラインハルト自身も、連戦の疲労で立っているのがやっとの状態である。

 

「閣下……しかし、機関部の冷却が追いつきません!」

 

「シールド出力、15%!これ以上の戦闘機動は自殺行為です!」

 

オペレーターたちが悲鳴を上げる。物理的な限界だ。

 

「ええい、黙れ!根性だ!私の覇道に休みなどない!」

 

ラインハルトは聞く耳を持たない。駄々っ子だ。銀河一顔の良い、そして銀河一権力を持った駄々っ子だ。

 

その時。ラインハルトの振り上げた拳に、白く華奢な手がそっと重ねられる。

 

「……!」

 

ラインハルトが驚いて振り返る。そこには、ヒルダが立っていた。

 

「……無理です、ラインハルト様」

 

ヒルダは、静かに告げる。

 

「我々は傷つきすぎています。……これ以上進めば、敵の殿の罠にかかります。あの古狸は、まだ何か隠し持っています」

 

「ヒルダ……!だが、ここで引けば!」

 

ヒルダは、重ねた手に少しだけ力を込める。

 

「あなた」

 

「……ッ!?」

 

ラインハルトの肩が、ビクッと跳ねる。閣下でもない。ラインハルト様でもない。あなた。夫婦の間だけで許された、甘く、そして絶対的な響きを持つ二人称。

 

「……今回はここまでにしましょう。……これ以上の深追いは、破滅を招きます」

 

ヒルダは、ラインハルトの瞳を真っ直ぐに見つめる。

 

「アレクに……父親の顔を見せてあげてください。……勝って帰るのと、死んで帰るのとでは、意味が違います」

 

「…………」

 

ラインハルトの口が開いたまま固まる。毒気が抜けるとは、このことだ。今まで全宇宙を支配する魔王のような顔をしていた男が、一瞬で新婚の若夫の顔に戻る。

 

ラインハルトは、数秒間、言葉を失っていたが、やがて深く息を吐き出した。

 

「…………」

 

彼は、自分の手に重ねられたヒルダの手を見る。震えている。彼女もまた、恐怖と戦いながら、自分を支えてくれているのだ。

 

「……ヒルダ、わかった」

 

ラインハルトは、小さな声で答える。そして、顔を上げ、元帥としての威厳を取り戻して宣言する。

 

「全軍、追撃中止!……これより、我が軍はアムリッツァ星域を制圧し、勝利を宣言して帰投する!」

 

「はっ!追撃中止!機関停止!」

 

オペレーターたちが、安堵のあまり泣き出しそうな声で復唱する。

 

こうして、帝国軍の追撃は停止した。赤い巨星の下、傷ついた獅子は爪を収め、静かに帰路につくことを選んだのである。

 

 

 

 

 

 

一方、撤退する同盟軍。

 

艦は安定航行に入り、撤退戦は成功した。総司令官ロボスもまた、高級プリンを完食し、満足げにスプーンを置いたところだ。

 

そんな平和な空気を切り裂くように、一人の男の金切り声が響き渡る。

 

「ロボス元帥!なぜ後退したのですか!!」

 

フォークだ。彼は、さきほどまでロボスの足にしがみついて助けてと泣き喚いていたくせに、安全圏に入った途端、急に強気を取り戻している。

 

「まだ戦えました!敵は疲弊していたのに!あのまま攻め込めば、私の作戦通りにオーディンを占領できたはずです!」

 

フォークは、唾を飛ばしながら食ってかかる。

 

「それを……貴官の臆病風のせいで!歴史的勝利を逃しました!どう責任を取るつもりですか!これは利敵行為です!軍法会議ものですぞ!」

 

彼は、自分の失態を棚に上げ、全ての責任をロボスになすりつけようとしている。

 

「……」

 

ロボスは、無言だ。彼は、プリンの容器の底に残ったカラメルを、スプーンで綺麗にこそげ取っている。

 

「無視ですか!聞いていますか!」

 

フォークは、さらにヒートアップする。

 

「私であれば!この天才的な頭脳を持つ私であれば、命ある限り後退などできません!軍人の誇りにかけて、最後の1隻になっても敵に突撃します!それが真の英雄というものです!」

 

カタン。

 

ロボスが、スプーンを皿に置く。

 

ロボスが、ゆっくりと立ち上がる。その巨体が、艦橋の照明を遮り、巨大な影となってフォークを覆う。

 

「……ほう」

 

ロボスが、低い声で唸る。

 

「な、なんです」

 

「命ある限り後退しない、と言ったな?」

 

「い、言いましたとも!それが軍人の誇り……」

 

「……なら、やってみるか?」

 

ロボスの口元が歪む。

 

「……え?」

 

「グリーンヒル」

 

「……はっ」

 

「連絡艇を一機用意してやれ。……脱出用の、単座のやつだ」

 

「武器は……まあ、ハンドガン一丁でいいだろう。ビームライフルは勿体ない」

 

「え?あ、あの……?閣下?」

 

ロボスは、フォークの肩に、分厚い手を置く。ズシリと重い。逃げ場はない。

 

「貴官のその後退しない精神を、追撃してくる帝国軍に見せつけてやれ」

 

「貴官は天才なのだろう?一人でも戦えるのだろう?ならば、今すぐ行ってこい。……アイアースの格納庫から発進し、帝国軍の大艦隊に向かって、ハンドガン片手に突撃するのだ」

 

「……」

 

「安心しろ。……特進の手続きはしておいてやる。二階級特進だ。中将になれるぞ?良かったな」

 

フォークの顔から、急速に血の気が引いていく。

 

「ひっ、ひぃぃぃぃ!?」

 

フォークの喉から、鶏が絞め殺されるような声が出る。

 

「じょ、冗談ですよね!?閣下!?元帥閣下!?」

 

「私は冗談は言わん。……プリンの味と、軍人の覚悟についてはな」

 

「さあ、行け。英雄になるチャンスだぞ」

 

「いやだ!いやだぁぁぁ!」

 

フォークは、その場に崩れ落ち、ロボスの軍靴にしがみつく。

 

「ごめんなさい!嘘です!撤退します!全力で逃げます!死にたくない!助けてぇぇぇ!!」

 

ロボスは、足元の汚物を見るような目でフォークを見下ろす。

 

「……チッ」

 

舌打ち一つ。ロボスは、足を振ってフォークを振り払う。

 

「口だけ達者な小物が。……二度と私の前で突撃などとほざくな」

 

「は、はいぃぃ……!二度と言いません……!一生逃げ続けます……!」

 

艦橋の幕僚たちは、冷ややかな目で見ている。

 

 

アムリッツァの星の海に、准将の情けない悲鳴が吸い込まれていった。結局、フォーク准将は宇宙に放り出されることはなかったが、その精神は完全に粉砕され、宇宙の塵となった。彼はその後、重度のステーキ恐怖症と昼寝恐怖症を患い、長い療養生活に入ることになる。

 

こうして、銀河の歴史に残る激戦、アムリッツァ星域会戦は幕を閉じた。

 

結果は、痛み分け。引き分け。

 

そして、宇宙の片隅では、黒いサンタクロースに扮したファルケンハイン元帥が、こっそりと配った物資の請求書を見て、「……これ、経費で落ちるかな?」と頭を抱えているのであった。

 

銀河の夜明けは、まだ少し遠い。




ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

キルヒアイスの特攻

マルガレータの側面介入

ロボスの迷言と有能さ

ビッテンフェルトの胃袋主導戦術

ラインハルトとヒルダの夫婦の会話

そしてフォークの盛大な散り様

どの場面が印象に残ったか、
どのキャラの動きが「らしかった」か、
あなたの感想をぜひ聞かせてください。

感想は、作品にとって何よりの燃料です。
次の戦いや物語の流れにも、確かな影響を与えてくれます

帝国と同盟の内乱どちらから見たいですか?

  • 銀河帝国
  • 自由惑星同盟
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