銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
1. 損害分析と推計戦死者数
【銀河帝国軍】
投入総数: 117,000隻
残存総数: 66,965隻
損失: 50,035隻(損失率 42.7%)
推計戦死者数: 約650万人
分析: 防衛戦でありながら、同盟軍の倍近い損害を出した原作とは異なり、帝国軍も半壊に近い損害を被りました。特に中央(ラインハルト直衛・キルヒアイス・シュタインメッツ)と、背後を突こうとして爆散したメックリンガーの被害が甚大です。
【自由惑星同盟軍】
投入総数: 130,000隻
残存総数: 73,538隻
損失: 56,462隻(損失率 43.4%)
推計戦死者数: 約800万人
分析: 敗走ではありますが、主力艦隊の過半数を持ち帰ることに成功しました。特に「ロボス直衛」と「第12(ボロディン)」「第2(パエッタ)」の温存に成功したため、国家としての防衛能力は維持されています。
帝国軍
ローエングラム艦隊
総数15000隻 残存数6210隻
キルヒアイス艦隊
総数15000隻 残存数6440隻
ヘルクスハイマー艦隊
総数15000隻 残存数13670隻
ルッツ艦隊
総数12000隻 残存数8965隻
ワーレン艦隊
総数12000隻 残存数7800隻
ファーレンハイト艦隊
総数12000隻 残存数9650隻
シュタインメッツ艦隊
総数12000隻 残存数5400隻
ビッテンフェルト艦隊
総数12000隻 残存数6400隻
メックリンガー艦隊
総数12000隻 残存数2430隻
同盟軍
ロボス直衛艦隊
総数20000隻 残存数17890隻
第二艦隊
総数15000隻 残存数11005隻
第五艦隊
総数15000隻 残存数5700隻
第八艦隊
総数15000隻 残存数6780隻
第十艦隊
総数15000隻 残存数7003隻
第十一艦隊
総数15000隻 残存数5320隻
第十二艦隊
総数15000隻 残存数9980隻
第十三艦隊
総数20000隻 残存数9860隻
同盟首都星ハイネセン 統合作戦本部記者会見場
壇上に並ぶのは、今回の「帝国領進攻作戦」を主導した三人の巨頭。最高評議会議長サンフォード。宇宙艦隊司令長官ロボス。そして、統合作戦本部長シトレ。
本来なら、凱旋会見となるはずだった。しかし、現実は違う。帰ってきたのは、傷ついた艦隊と、莫大な戦費の請求書、そして一千万人分の遺族年金の申請書類だけだ。
「議長!説明してください!今回の帝国領出征は、完全な失敗だったとの意見もありますが!」
最前列の記者が、唾を飛ばしながら叫ぶ。
「兵士の3割以上が帰ってきていないのですよ!未帰還者一千万人!これは同盟軍史上、最悪の数字です!どう責任を取るおつもりですか!」
カメラの砲列が、サンフォードを狙い撃ちにする。サンフォードの顔は、茹で上がったタコのように赤い。額からは滝のような脂汗が流れ落ち、高級なスーツの襟を黒く染めている。彼の目は血走り、視線は泳ぎまくっている。
「……こ、これは失敗ではない!断じて失敗ではない!」
サンフォードは、自分に言い聞かせるように叫ぶ。
「いいかね、諸君!感情論で語ってはいけない!客観的なデータを見てほしい!数字は嘘をつかない!」
彼は、震える手でフリップを掲げる。そこには、無理やりひねり出した「成果」が箇条書きにされている。
「第一に!『敵領土深くまで侵攻し、打撃を与えた』!これは事実だ!我々はアムリッツァまで行ったのだ!」
「第二に!『帝国軍に倍近い出血を強いた』!これも事実だ!キルヒアイス艦隊やシュタインメッツ艦隊に大打撃を与えた!」
「そして第三に!『主力艦隊の過半数が生還した』!これこそが最大の事実だ!全滅ではない!軍の骨格は維持されている!」
「これを勝利と言わずして、何と言おう!これは『戦略的勝利』であり、『未来への投資』なのだ!」
詭弁だ。誰がどう聞いても、苦しい言い訳にしか聞こえない。
「しかし、戦死者は合わせて一千万を下りません!軍事的には『壊滅』あるいは『敗走』と言うのではありませんか!?」
アナウンサーが食い下がる。彼らの追求は鋭い。市民の怒りを代弁しているからだ。
「そ、そこは……専門家たるロボス元帥に説明していただきましょう」
サンフォードは、答えに窮し、隣に座っている巨漢に話を振る。
「……な、ロボス元帥。頼むぞ。うまいこと言ってくれ。……後で予算を弾むから」
そこには、山のような男が座っている。ロボス。彼は、この殺伐とした会見場にあって、一人だけ別次元の空気感を纏っている。先ほどまで、目を開けたまま寝ていたのではないかと疑われるほど、その反応は鈍い。
「……ん?」
ロボスは、のっそりと顔を上げる。その表情は、仏像のように無機質だ。
「ロボス元帥!軍事的なトップとして、今回の出征の評価をお願いします!これは勝利なのですか!?」
マイクが突きつけられる。全同盟市民の視線が、この老元帥の口元に注がれる。サンフォードは、祈るような目でロボスを見ている。「そうだ、勝利だ」と言ってくれ、と。ロボスは、ゆっくりと立ち上がる。その巨体が動くと、壇上が軋むような錯覚を覚える。彼は、マイクの高さが合わないため、手で鷲掴みにして口元へ持っていく。
「……うむ」
低い、重低音の声が響く。
「今回の出征の目的は……帝国領の恒久的占領、もしくは帝都オーディンの直撃であった」
彼は、淡々と事実を述べる。教科書通りの定義だ。
「……これが達成されていない時点で作戦は『失敗』だったと言えるだろう」
ズバッ。一刀両断。身も蓋もない正論が、会場の空気を切り裂く。
「え?」
サンフォードが、間の抜けた声を上げる。隣のシトレも、目を丸くしてロボスを見上げる。裏切った。この男、公衆の面前で、政府の公式見解を否定しやがった。会場がざわめく。記者が色めき立つ。「失敗と認めたぞ!」「言質を取った!」だが、ロボスの真の狙いはここからだ。彼は、大きく息を吸い込む。そして、その顔をくしゃりと歪める。
ポロ……ポロポロ……。
ロボスの目から、大粒の涙が溢れ出す。それは、演技にしてはあまりにも唐突で、そして量が多い。まるで、ダムが決壊したかのような勢いだ。
「うっ……ううっ……!うううぅぅぅッ!!」
ロボスは、顔を両手で覆う。巨大な肩が震える。マイクが、彼の嗚咽を拾って、会場全体に大音量で放送する。
「我々の……我々の指揮がまずかったばかりに!一千万もの若者を死に追いやってしまった!!」
絶叫。それは、悔恨の叫びだ。
「これはひとえに総司令部、および無理な出兵を命じた政府の責任だ!兵士たちに罪はない!悪いのは……無能な私だぁぁぁ!うわーーーん!!」
号泣。いい歳をした大男が、子供のように泣きじゃくる。その姿は、あまりにも衝撃的だ。
全員がドン引き……いや、圧倒されている。記者のペンが止まる。カメラマンがシャッターを切るのを忘れる。あの「昼寝男」と揶揄されるロボスが、ここまで感情を露わにするとは。
「元帥!?」
アナウンサーも狼狽する。
「しかし……元帥の艦隊は損耗率も低く、敵の包囲を食い破って生還しているではありませんか!殿まで務め、味方を逃がしたと聞いています!」
事実、ロボス直衛艦隊は無傷で帰還し、最後まで戦場に残って睨みを利かせていた。軍事的には、彼は「最も優秀な指揮官」という評価を受けてもおかしくないのだ。だが、ロボスは首を振る。ハンカチを取り出し、顔を覆って泣く。
「……それは……現場の皆が優秀だからのこと……。部下たちが、わしの無茶な命令にも関わらず、命がけで支えてくれたからだ……」
謙虚。圧倒的謙虚。
「申し訳ない……わしは……わしは……無力だった……。止められなかった……。うわーーーーん!!!」
ロボスは、机に突っ伏して泣く。
「わしの責任だ!全責任は私が取る!わしは退役する!年金だけで細々と暮らす!もう二度と軍服は着ない!」
「だから……現場で戦った司令官たち、兵士たちには寛大な処置を!!!彼らを責めないでやってくれぇぇぇ!!彼らは英雄なのだぁぁぁ!!」
これは、彼の本心だ。「退役して年金で暮らしたい」という部分は100%本音だ。
テレビ中継を見ている同盟市民たち。彼らの目には、この光景はどう映ったか。
「……あんな立派な人が」
「部下を庇って泣いているぞ」
「自分は殿軍を務めて無傷で帰ってきた英雄なのに、手柄を誇るどころか、死んだ兵士のために泣いている」
感動の渦だ。政治家が保身のために嘘をつく中で、この軍人は泥を被ろうとしている。その対比が、ロボスを聖人へと押し上げる。
「悪いのは誰だ?」
「無理な出兵を命じたのは誰だ?」
「政治家だ!サンフォードだ!」
世論の矛先が、一気に回転する。会見場のアナウンサーもまた、その空気を敏感に察知する。彼は、義憤に駆られた表情を作り、サンフォードへ向き直る。
「議長!見なさい!ロボス元帥がこれほど真摯に責任を認めているのに、あなたは何ですか!」
「えっ?私?」
サンフォードが驚く。
「『勝利だ』などと誤魔化して!元帥の爪の垢を煎じて飲みなさい!恥ずかしくないのですか!」
「い、いや、それは……」
サンフォードは追い詰められる。隣ではロボスがまだ「うわーん」と泣いている。その泣き声が、サンフォードへの断罪のBGMとなっている。
「なぜ出兵したのです!軍部が反対していたにも関わらず、なぜ強行したのですか!」
記者が畳み掛ける。
「そ、それは……必要だったのだ……。同盟の正義のために……」
「本当ですか?支持率のためではないのですか?」
「い、いいや、違う……私はただ……」
サンフォードはパニックになる。思考回路がショートする。
「せ、選挙が近いから……戦争をして勝てば、票が入ると……」
言ってしまった。本音中の本音を、マイクの前でポロリと。
ピタリ。
会場の空気が凍りつく。シャッター音さえ止まる。ロボスの泣き声も、一瞬だけ止まる。
「……なんですって!!??」
「あ……いや……その……」
取り返しがつかない。全国放送だ。数百億人が聞いている。
「し、失礼する!!」
サンフォードは、椅子を蹴倒して立ち上がる。
脱兎のごとく逃げ出す。舞台袖へ向かって、全力疾走。一国の元首とは思えない、見事な逃走劇だ。「逃げたぞ!追え!」「議長が逃亡した!」記者たちが雪崩を打って追いかける。会見場はカオスと化す。その混乱の中。壇上に残されたのは、泣き伏しているロボスと、呆然としているシトレだけだ。ロボスは、机に顔を埋めたまま、ハンカチで覆った指の隙間から、チラリとサンフォードの背中を見る。そして。
(ニヤリ)
口元が、三日月形に吊り上がる。計画通り。いや、計画以上の大戦果だ。これで、面倒な政治家は失脚する。完璧なシナリオだ。
◆
一等地にある、会員制の高級料亭「憂国」
名前だけ聞けば、国の行く末を案じる志士たちが集う場所のように思える。だが、その実態は、国の予算をいかにして自分たちの胃袋と懐に流し込むかを相談する、政治家と高級軍人の密会場所である。
外では、記者会見の興奮冷めやらぬ市民たちが、「ロボス元帥万歳!」「政治家は恥を知れ!」とデモ行進を行っている。しかし、この料亭の個室は、完全防音の壁と、分厚い純毛のカーペット、そして高級な香の匂いによって、下界の喧騒とは完全に切り離されている。
静寂。あるのは、氷がグラスに当たる涼やかな音と、高級食材が咀嚼される音だけだ。円卓を囲むのは、四人の男たち。
一人は、上機嫌でブランデーを揺らす、トリューニヒト。一人は、先ほどの号泣会見が嘘のようにスッキリした顔で、特上の刺身を頬張るロボス。一人は、包帯だらけの体で、骨付き肉を野獣のように食いちぎるホーランド。そして、部屋の隅で、借りてきた猫のように背中を丸めている、ヤン。異様な光景だ。このメンツで食事が進むわけがない。消化不良を起こす自信がある。
「……ふぅ」
ロボスが、熱いお絞りで顔を拭く。その顔には、先ほどの涙の跡など微塵もない。
「あの演技でよろしかったかな?委員長……」
ロボスは、大トロの刺身を醤油にたっぷりと浸しながら尋ねる。悪党の顔だ。さっきまで「うわーん」と泣いていた男と同一人物とは到底思えない。
「いや、最高だったよ元帥。……君にあんなアカデミー賞級の才能があるとはね」
トリューニヒトが、琥珀色の液体を透かして見ながら、うっとりと答える。彼の声は、蜂蜜のように甘く、そして毒を含んでいる。
「あの『男泣き』……。あれには私も貰い泣きしそうになったよ。計算され尽くしたタイミング、絶妙な震え声、そしてサンフォードへの視線誘導。……完璧だ。政治家顔負けのパフォーマンスだよ」
トリューニヒトは称賛する。彼は、実力のある人間は評価しないが、演技力のある人間は高く評価する。なぜなら、同類だからだ。
「サンフォードの自滅も見事だった。……まさか、あんなに見事に地雷を踏み抜いて爆死するとはね。おかげで、私の手は汚れずに済んだ」
サンフォードは、ロボスの涙に動揺し、自らの保身のために失言をした。その瞬間、彼の政治生命は終わったのだ。そして、その後釜に座るのは、当然、軍部と太いパイプを持ち、市民人気も高いトリューニヒトである。
「これからは『議長』と呼んでくれたまえ。……君とのコンビなら、この国を好きなようにデザインできそうだ」
「ふふ……承知しました、議長閣下」
ロボスは、猪口を干す。密約成立だ。ロボスは「統合作戦本部長」の地位を約束され、トリューニヒトは「政権」を手に入れた。一千万人の死者は、彼らにとっては出世の踏み台に過ぎない。
「ガハハ!辛気臭い話はそこまでだ!」
その空気をぶち壊すように、ホーランドが吠える。彼は、テーブルの上に積まれたローストチキンの山を、次々と解体し、胃袋へ放り込んでいる。包帯から滲む血が痛々しいが、食欲は健康体そのものだ。
「命令は果たしましたぞ!トリューニヒト議長!」
ホーランドは、口の周りを脂だらけにしながら叫ぶ。
「なるべく『良い負け方』をしたつもりです。……最後はパエッタのおっさんを盾にして、全弾撃ち尽くしてからの離脱!ニュース映えする映像は撮れましたか!?」
彼は、戦争をエンターテインメントとして捉えている。勝つことよりも、目立つこと。それが彼の美学だ。
「おかげで俺の艦隊はボロボロですがね!修理費の請求書は、議長のツケで回しておきますよ!ガハハハ!」
「ああ、構わんよ。……君の『狂気』は素晴らしい支持率を生んだ」
トリューニヒトは、ホーランドの粗野な振る舞いを咎めるどころか、楽しんでいるようだ。
「市民は、君のような分かりやすい英雄を求めている。……『傷だらけになっても敵に立ち向かう、勇敢なる猛牛』として、君の人気は急上昇中だ。関連グッズも飛ぶように売れているらしいぞ」
「マジですか!俺のフィギュアとか?」
「ああ。……今度、サイン会でも開くといい」
腐っている。完全に腐っている。敗戦の責任など、この部屋には存在しない。あるのは、戦死者の骨の上に築かれた、成功者たちの宴だけだ。
部屋の隅。上座から最も遠い席で、ヤンは縮こまっていた。彼の前には、豪華な料理が並んでいるが、箸をつける気になれない。彼は、ひたすらウーロン茶を飲んでいる。酒を飲んで酔っ払うことすら、この場では危険だと本能が告げているからだ。
(……なんで私はここにいるんだろう。帰りたい。切実に帰りたい。キャゼルヌ先輩の家に行って、愚痴を言いながらヤケ酒を飲みたい。ユリアンの淹れた紅茶を飲んで、ブランケットにくるまって寝たい)
彼は、この「悪の枢軸」のような会合に、数合わせとして呼ばれただけだと思っていた。自分はただの部下Aだ。早く終わってくれ。そして、二度と私に関わらないでくれ。そう願っていた。だが、神は彼を見逃さない。
「ん?」
トリューニヒトが、ふと視線を巡らせ、部屋の隅の暗がりで止まる。
「どうしたヤン提督。……箸が進んでいないようだが。料理が口に合わんかね?」
「!……い、いえ。恐縮です」
ヤンは、ビクッとして顔を上げる。蛇に見つかった蛙だ。
「君も我々と同じ派閥だから、ここにいるのは当然だろう。……今回の撤退戦、君の手腕は見事だったと聞いているよ」
「はあ……。逃げるのだけは得意ですので」
「謙遜するな。……なあ、ヤン元帥?」
ブフォッ!
ヤンは、飲んでいたウーロン茶を気管に入れそうになる。激しく咳き込む。鼻からウーロン茶が出そうだ。
「……げ、元帥??」
ヤンは、涙目で聞き返す。聞き間違いだ。そうであってくれ。自分は大将だ。それだって高すぎる階級なのに、元帥?
「そうとも。君は昇進だ」
トリューニヒトは、まるで「デザートのおかわり」を勧めるような軽さで言う。
「……というか、アムリッツァで生きて帰った指揮官は皆、昇進させる。ビュコックも、ウランフも、アップルトンもだ。……もちろん、君もな」
「な、なぜです!?今回は負け戦です!敗軍の将を昇進させるなど、軍の規律が!」
常識的におかしい。失敗したのに出世するなんて、組織として終わっている。
「規律?……ハハハ、ヤン提督。君は真面目だな」
トリューニヒトは笑う。
「いいかね?敗北を認めて処罰すれば、それは『政府の失敗』を認めることになる。……だが、全員を昇進させ、『彼らはよく戦った、英雄だ』と称えれば、それは『実質的な勝利』にすり替わるのだよ」
詭弁の極み。事実をねじ曲げ、黒を白と言いくるめる。
「英雄が必要だからね。……国民の不満を逸らすための、輝かしいスターが」
トリューニヒトは立ち上がり、重々しく宣言する。それは、ヤンという青年の平穏な人生に対する、死刑宣告にも等しい言葉だった。
「宇宙艦隊司令長官には、このホーランド元帥を充てる」
「おう!任せとけ!宇宙を俺色に染めてやる!」
ホーランドが骨付き肉を掲げる。この狂人が全軍のトップ?同盟軍は終わった。ヤンはめまいを覚える。
「そして……」
トリューニヒトの視線が、ヤンを射抜く。
「イゼルローン要塞、および回廊周辺を管轄する新設部隊……『イゼルローン方面軍』の司令官に、ヤン元帥。君を充てるつもりだ」
「は、方面軍司令官……!?わ、私が!?」
ヤンは椅子から転げ落ちそうになる。方面軍。それは、通常の艦隊司令官とはわけが違う。特定の宙域の軍事、行政、全てを統括する、いわば「小国家の王」のような権限を持つポストだ。
「ああ。……第13艦隊の再建は最優先で進める。さらに、ナンバーフリート3個艦隊……合計5万隻の指揮権を与える」
5万隻。同盟軍の全戦力の3分の1に近い。それを、29歳の青年に預けると言うのだ。
「予算も、人事権も、君の好きにしていい。独自の自由裁量件も与えよう。……同盟にとって良き未来と信じる方策を取りたまえ」
トリューニヒトは、ニッコリと笑う。あまりにも好条件。あまりにも巨大な権力。ヤンの表情が、険しくなる。彼は、歴史家志望だ。歴史の暗部を学んできた彼には、この人事の意味が瞬時に理解できた。
(……これは、口止め料だ)
ヤンは、拳を握りしめる。爪が掌に食い込む。
(このデタラメな人事。敗戦の隠蔽。そして、ロボスの茶番劇……。これら全てを黙認させるために、私に巨大な餌を与えたんだ)
彼は、トリューニヒトとロボスを見る。腐敗している。ウジが湧いている。
(この会合を……今ここで、私がボイスレコーダーにでも録音して告発すれば、同盟の浄化になるんじゃないか?)
ヤンの脳裏に、正義感が鎌首をもたげる。
(まさに高級軍人と政治家の癒着だ。汚職だ。民主主義の敵だ。……私がここで席を立ち、『ふざけるな』と叫べば……)
ヤンは、立ち上がろうとする。膝に力が入る。
「……ん?」
トリューニヒトが、グラスを揺らしながら、ヤンの顔を覗き込む。その瞳は、すべてを見透かすような、爬虫類の光を宿している。
「……『この会合を告発すれば、正義がなされるのではないか』……という顔かな?」
「!」
ヤンは息を呑む。読まれた。いや、この男にとっては、ヤンのような青年の葛藤など、手に取るように分かるのだろう。
「……い、いえ……そんな……」
ヤンは誤魔化そうとするが、声が震える。
「構わんよ。……若者らしくていい」
トリューニヒトは、余裕たっぷりに頷く。
「だがな、ヤン元帥。……よく考えたまえ」
彼の声のトーンが、一段低くなる。
「もし君が、私とロボス元帥を告発し、失脚させたとして……。その後、誰がこの国を治めるんだ?」
「それは……選挙で選ばれた、正当な政治家が……」
「いるかね?そんな人材が」
トリューニヒトは冷笑する。
「サンフォードは消えた。……野党は無能だ。市民はヒステリーを起こしている。……そんな混乱の中で、唯一『清廉潔白』で、『能力』があり、『軍事力』を持っている男がいる」
トリューニヒトは、指をヤンに向ける。
「君だ」
「……ッ!」
「腐敗した民主主義を憂い、悪徳政治家を断罪し、軍事力で秩序を取り戻す若き英雄……。市民は熱狂するだろうね。君を『救世主』として崇めるだろう」
トリューニヒトは、悪魔のシナリオを語る。
「その時、君は……否応なく、国家の指導者の座に就かされる。……いや、座らざるを得ない。混乱を収拾できるのは君しかいないからだ」
「そ、それは……」
「それは、民主主義ではないな。……それは『軍事独裁』だ」
ズドン。ヤンの心臓に、杭が打ち込まれる。
「『軍事独裁者ヤン・ウェンリー』!……ハハッ、なかなかいい響きじゃないか。ルドルフの再来だ」
「や、やめてください……!」
ヤンは呻く。彼が最も嫌悪し、最も忌避する存在。それが独裁者だ。自分が、その独裁者になる?正義を行おうとすればするほど、その道へ近づいてしまう?
「民衆は求めているのだよ。……強い指導者をね。楽をしたいからだ。自分で考えるのをやめて、英雄に全てを委ねたいのだ」
トリューニヒトは、民主主義の欠陥を、残酷なまでに突きつける。
「君が私を倒せば、君がその席に座らされる。……君の望む『年金生活』も、『歴史研究』も、永遠に不可能になるぞ?」
逃げ場はない。この体制に組み込まれるか。それとも、体制を破壊して、自分が新たな独裁者になるか。究極の二択。そして、ヤンという男の性格上、後者は絶対に選べない。
「その時は、私も高等参事官にでもしてくれたまえよ。……隠居して楽しくやるからさ。ハハハ!」
トリューニヒトは笑う。勝てない。この男には、勝てない。彼は、民主主義というシステムの「バグ」そのものだ。システムの中にいる限り、彼を排除することはできない。ヤンは、全身の力が抜けていくのを感じた。
(……詰んだ。完全に詰んだ。私が正義を行おうとすればするほど、私が一番嫌いな『独裁者』への道が開いてしまう。……この男は、それを知っていて、私に権力を与えるんだ)
ヤンは、俯く。彼の良心が、敗北宣言を出す。
バンッ!
その時、突然背中に衝撃が走る。ホーランドが、油でベトベトの手で、ヤンの背中を思い切り叩いたのだ。
「おお!その席はお前の才能に似合っているぞ!ヤン!」
ホーランドは、何も分かっていない。いや、分かっていないからこそ、幸せなのだ。
「俺が艦隊司令長官で、お前が方面軍司令官なら、宇宙は俺たちの庭みたいなもんだ!好きなだけ暴れられるぞ!ガハハハ!」
「……はは……」
ヤンは、乾いた笑いを漏らす。暴れたくない。庭いじりなんてしたくない。ヤンは、深いため息をつく。それは、彼の魂が抜けていく音だった。彼は、ゆっくりと顔を上げ、諦めの笑みを浮かべる。それは、処刑台に上がる囚人のような、静かで悲しい微笑みだった。
「……謹んで、元帥とイゼルローン方面軍司令官を拝命します」
彼は、悪魔の手を取った。同盟という腐った巨木を支える、人柱となることを選んだのだ。
「ハハハ!よろしく頼むよ、我らが英雄」
トリューニヒトは、満足げにグラスを掲げる。ロボスも、ニヤリと笑って杯を合わせる。ホーランドは、肉を食う。
こうして、自由惑星同盟は、新たな体制へと移行した。トップには、最悪のポピュリスト政治家、トリューニヒト。
軍の頂点には、無能を装う古狸、ロボス。
実戦部隊の指揮官には、制御不能の猛牛、ホーランド。
そして、最強の軍事拠点には、悩み多き魔術師、ヤン。
最悪の政治家と、最強の(そして最高に厄介な)軍人たちが手を組む、奇妙で強固な「暗黒ドリームチーム」の結成である。
ヤン29歳。史上最年少の元帥誕生である。彼の苦悩と胃痛の日々は、ここからが本番であった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
アムリッツァ戦後の政治ドラマは、今回の作品でも重要な転換点になります。
今回登場した
ロボスの号泣
サンフォードの自爆
トリューニヒトの暗躍
ホーランドの暴走人気
そして、ヤンの逃げ場のない受命
それぞれが、今後の同盟の行方に深く関わっていきます。
読者の皆さまの中では、
誰が一番恐ろしく見えたか
どの場面が印象に残ったか
ヤンの決断をどう感じたか
など、様々な感想が生まれたと思います。
もしよければ、あなたの感じたこの章の一言を教えてください。
感想が次の展開を書く力になります。
帝国と同盟の内乱どちらから見たいですか?
-
銀河帝国
-
自由惑星同盟