銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
今回描くのは、武力ではなく言葉と演出によって世界が動いていく瞬間。
ラインハルトの演説、トリューニヒトの政治的天才、そして小さな勘違いが大きな波紋を生む外交劇。
それら全てを、少しのユーモアと、少しの哀しみを混ぜながら綴りました。
どうぞ、銀河政治の裏側に広がるもう一つの物語をお楽しみください。
イゼルローン要塞 司令官室
宇宙暦797年2月。
ここは今、歴史的なイベントの準備に追われている。200万人もの人間が移動する一大プロジェクトである。
通常なら、感動的な再会や、人道的な意義が語られる場面だが…。
ヤン・ウェンリー元帥は、デスクに突っ伏している。彼の周囲には、書類の山がアルプス山脈のごとくそびえ立っている。その頂上付近で遭難しかけているヤンは、死んだ魚のような目で一枚のリストを凝視する。
「……何々?」
掠れた声で読み上げる。喉が渇いている。ユリアンが入れてくれた紅茶(ブランデー入り)だけが、彼の生命線だ。
「帝国側の捕虜交換責任者は……マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー上級大将??」
二度見、いや三度見する。何度見ても文字が変わることはない。『上級大将』。軍隊における階級としては、元帥の一歩手前。何十万人もの将兵を指揮する、雲の上の存在だ。
「……大尉。私の目が腐っていなければ、ここには『16歳』と書いてあるように見えるんだが」
「はい。腐っていませんわ、閣下」
フレデリカ・グリーンヒル大尉が、テキパキと次の資料を束ねながら答える。彼女の記憶力は完璧だ。
「以前、このイゼルローン要塞に駐留していた『第二駐留艦隊』の司令官だった女の子ですわ。……確か、第七次イゼルローン攻防戦の時に、私たちが追い出した……」
「あー、思い出した」
脳裏に、強烈な記憶が蘇る。あれはイゼルローン要塞を攻略した際。
「『愛しのジーク様のアルバムを返せ!』と通信回線で泣きついてきた子か……」
あの時、彼女は置き忘れた「ジークフリード・キルヒアイスの写真集(自作)」の返還を要求してきたのだ。ヤンは呆れながらも、部下に命じてそのアルバムを探し出し、ロケットで送り届けてやった覚えがある。
「……年齢は16歳。16歳で上級大将か」
「私がその歳の頃なんて……歴史の授業で居眠りして、先生にチョークを投げつけられていただけだがな。……飛び級にも程があるだろう。帝国の人材不足は深刻なのか?それとも、若年労働力の搾取か?」
16歳といえば、まだ高校生だ。恋やスポーツに悩み、親に反抗する時期だ。それが、艦隊を率いて宇宙戦争をしている。しかも、階級はヤンと一つしか違わない。
「世も末だな。……子供が戦争をするようになったら、人類はおしまいだよ」
「閣下も30歳で元帥ですから、人のことは言えませんよ」
シェーンコップだ。要塞防御指揮官である彼は、今日も今日とて優雅にコーヒーを飲んでいる。
「30歳で元帥も、歴史的に見れば十分異常です。……ルドルフ大帝以来の快挙でしょう。世間から見れば、閣下もそのお嬢ちゃんも、等しく『化け物』の類ですな」
「化け物呼ばわりはひどいな。……私はただの『年金志望者』だ」
唇を尖らせる。彼は、自分がエリートだという自覚がない。ただ「楽をしたい」という一心で工夫(魔術)を使った結果、なぜか出世してしまったという認識だ。ある意味、ファルケンハイン元帥と似たもの同士かもしれない。
「しかし、そのお嬢ちゃんが来るとなると……少し厄介ですな」
真面目な顔(といってもニヤけているが)になる。
「彼女は、アムリッツァの戦いで同盟軍の側面を食い破った猛将です。……『愛の力』で物理法則を無視する機動を行うとか。……まともな理屈が通じる相手ではありませんぞ」
「ああ、分かっている」
「彼女は、ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥の懐刀だ。……つまり、今回の捕虜交換には、ラインハルト君の強烈な意志が働いているということだ」
彼女が運んでくるのは、200万人の捕虜だけではない。「内乱」という名の、見えない爆弾も一緒に運んでくるのだ。
「やれやれ。……おむつの取れていない子供の相手をするのは苦手なんだがね」
◆
『……無念にも捕虜になった忠勇なる帝国軍の兵士たちよ』
『私は、ラインハルト・フォン・ローエングラムである。……卿らは今、不安の中にいるだろう。だが、安心してほしい』
『卿らが捕虜となったのは、卿らが弱かったからではない。……卿らが怯懦だったからでもない』
ラインハルトの声に、熱がこもる。
『捕虜になったことを罪に問うような、古き悪しき愚かな慣習は、ここに廃止する。……私は、卿らを「恥ずべき敗者」とは見なさない』
ざわっ……。捕虜たちの顔が上がる。軍隊において、捕虜になることは恥とされる。帰国しても、白い目で見られ、出世コースからは外れるのが常だ。だが、敵の総大将が、それを否定したのだ。
『では、真に罪あるのは誰か』
『それは……卿らを捕虜にならざるを得ない状況に追い込んだ、無能で愚鈍な指導者たちである!』
『安全な後方でふんぞり返り、現場の兵士に無理な作戦を強要し、失敗すれば責任を部下に押し付ける……。軍部の旧指導部、そして帝国の門閥貴族ども!彼らこそが、卿らの青春を奪い、未来を閉ざした真犯人なのだ!』
捕虜たちの目に、共感の色が浮かぶ。そうだ。俺たちが悪いんじゃない。無理な命令を出した上官が、政治家が悪いんだ。
『私は約束しよう』
『皆には帰国後、全員に一時金を給付する。……これは、卿らが受け取るべき、慰謝料である』
「金が出るのか!?」
「マジかよ!」
『さらに、希望者には1階級の昇進後、軍に戻れるよう取り計らう。……卿らは英雄として迎えられるべきだ』
金と名誉。人間が最も欲しがる二つを、彼は惜しげもなく提示する。
『最後に、人道的な捕虜交換に応じてくれた同盟政府に、感謝の意を表する。……だが、忘れないでほしい。卿らの敵は、我々帝国軍ではない。……理不尽な命令を下す、無能な権力者こそが、全宇宙の市民の敵なのだと』
最後にビシッと敬礼する。その姿は、あまりにも眩しい。
『銀河帝国軍宇宙艦隊司令長官、ラインハルト・フォン・ローエングラム』
映像が消える。一瞬の静寂の後。ホールは、爆発的な歓声に包まれる。
「すげえ……!」
「なんて器の大きい男なんだ!」
「俺たちのことを分かってくれている!」
◆
「……完璧だ」
敵ながらあっぱれと認めざるを得ない。
「兵士の心を掴み、自分への忠誠を植え付ける……見事な演説だ。……あんな顔で、あんなことを言われたら、誰だってコロッといっちまうよ」
「閣下も、ああいう演説をなさればよろしいのでは?」
フレデリカが提案するが、ヤンは首を振る。
「無理だよ。……私がやったら『詐欺師の口上』にしか聞こえない。……あれは、彼が本心から『無能な権力者が憎い』と思っているからこそ、響くんだ」
ラインハルトの言葉には嘘がない。彼は、本気で門閥貴族や腐敗した政治家を憎んでいる。その純粋な怒りが、言葉に魔力を与えているのだ。
「(苦笑して)が、門閥貴族への敵愾心が隠せていないな」
「『慰謝料』とか、『無能な貴族』とか……。あれは、捕虜に向けた言葉であると同時に、帝国内部の『兄上(ファルケンハイン)一派』への宣戦布告にも聞こえるよ」
ラインハルトは、捕虜を利用して、帝国内の民衆にもアピールしているのだ。
「国内の敵を叩くために、国外の敵を利用する。……恐ろしい男だ」
モニターの電源を切る。画面が消えても、ラインハルトの残像が焼き付いているようだ。
◆
「入港します!帝国の特使シャトルです!」
管制官の声が響く。エアロックが開き、純白のシャトルが滑り込んでくる。その機体は、軍用機とは思えないほど優美な曲線を描き、所々に金色の装飾が施されている。
プシュー……。
蒸気と共にタラップが降りる。無数のフラッシュが一斉に焚かれる。視界が白く染まる中、その「特使」が姿を現した。
「……っ!?」
会場の時間が止まる。息を呑む音すら聞こえない。
輝くプラチナブロンドの髪。透き通るような白磁の肌。大きな瞳は、最高級のサファイアのように青く澄んでいる。
そして、身に纏っているのは、帝国軍の軍服なのだが……何かがおかしい。肩章や襟元に、さりげなくフリルがあしらわれている。スカートの丈も、軍規ギリギリの絶妙な短さだ。
マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー上級大将。16歳。
彼女は、タラップの上で優雅に立ち止まり、集まった群衆に向けてニッコリと微笑んだ。その瞬間、宇宙港の気温が3度上がり、兵士たちの心拍数が2倍になった。
「お、おい……天使か?天使が降りてきたぞ」
「アイドルじゃないのか?あれが上級大将?嘘だろ?俺たちの上官(ムサイおっさん)と生き物としての種族が違うぞ」
敵意など、瞬時に蒸発した。あるのは「尊い」という感情だけだ。これが、ラインハルトが送り込んだ「劇薬」の第一の効能、すなわち『視覚的無力化』である。
マルガレータは、タラップを軽やかな足取りで降りてくる。コツ、コツ、というヒールの音が、心地よいリズムを刻む。彼女は、出迎えの列の先頭に立つ、一人の男の前に歩み寄る。
「ヤン・ウェンリー提督……いえ、元帥閣下」
彼女の声は、鈴を転がすように愛らしい。
「自由惑星同盟が誇る最高の知将、奇跡の魔術師にお会いできて光栄に存じます。……本日は、捕虜交換という平和の式典にお招きいただき、ありがとうございます」
彼女は、裾をつまむようにして、優雅なカーテシーを披露する。王室のパーティー会場かと見紛うほどの気品だ。
対するヤン。彼は、寝癖を無理やり水で撫でつけ、着慣れない礼服に身を包んでいる。
「……こちらこそ。遠路はるばるようこそお越しくださいました。……ヘルクスハイマー上級大将」
ヤンは、ぎこちなく敬礼を返す。内心では冷や汗が止まらない。
(これが16歳の上級大将か……。聞いていた以上に『劇薬』だ。すでに兵士たちの半分が骨抜きにされている)
二人は、用意された調印台へ進み、書類にサインをする。そして、カメラマンの要求に応じて、握手を交わす。
バシャバシャバシャバシャ!!
歴史的な瞬間だ。だが、その絵面はシュール極まりない。「くたびれた中年男性」と「キラキラの美少女アイドル」の握手会。どう見ても、軍事的な会談には見えない。
その時。マルガレータが、カメラには映らない角度で、顔を近づけた。微笑みを崩さないまま、彼女の唇が動く。
「……イゼルローンを奪取された時以来ですね。ヤン元帥」
「あの時はしてやられました。……悔しくて、枕を濡らしたものですわ」
「運が良かっただけですよ。……それに、貴女も最後は見事な撤退でした」
ヤンも、笑顔を貼り付けたまま小声で返す。
「ところで……私物の方は無事に届きましたか?」
例の「返却物」のことだ。
その瞬間。マルガレータの瞳が、サファイアからダイヤモンドへと輝きを変える。
「届きました!無事に!傷一つなく!」
声が弾む。興奮を抑えきれないようだ。
「私の宝物……ジークの隠し撮りアルバム、vol.1からvol.15まで、全て完璧な状態で!特に『寝起きで髪がはねているジーク』のページが無事だったことには、感謝の言葉もありません!」
「……はあ」
15冊もあったのか。しかも中身は隠し撮りか。これはストーカーの証拠品ではないのか。
「感謝します、ヤン元帥。……貴方は命拾いをしましたよ」
マルガレータはニッコリと、しかし目は笑わずに告げる。
「あれがもし、紛失していたり、少しでも折れ曲がっていたりしたら……私は、休戦協定など無視して、オーディンにある全艦隊を率いてイゼルローンを焼き払っていたかもしれません」
「……」
本気だ。この子は本気だ。国家の命運よりも、推しの写真集を優先するタイプだ。最も危険なタイプの人種である。
「それは……無事に届いて本当によかった。……同盟の平和のために、郵便局員に勲章をあげたい気分だよ」
危なかった。銀河の歴史が、「アイドルの写真集紛失」というふざけた理由で終わるところだった。
「さあ、笑ってください元帥。……平和の使者として、最高の笑顔を」
◆
式典の合間。ヨブ・トリューニヒト議長からの長すぎる祝電(代読)を聞かされている隙に、マルガレータは会場内を少しだけ自由に動いていた。
ふと、彼女の視線が止まる。ヤンの後ろ、少し離れた場所に控えている、一人の少年に。亜麻色の髪をした、真面目そうな少年兵だ。彼は、周囲の大人が鼻の下を伸ばしている中で、一人だけ緊張した面持ちで直立不動の姿勢を保っている。
「あら、あなたは?」
マルガレータは、取り巻きたちをスルリと抜けて、少年の前に立つ。
「っ!!」
少年は、目の前に突然現れた「天使」に、心臓が止まりそうになる。近い。いい匂いがする。
「は、はい!ユリアン・ミンツ軍曹です!ヤン・ウェンリー元帥の被保護者であり、従卒を務めております!」
彼はまだ16。女性免疫、特に「同い年の綺麗なお姉さん」への耐性はゼロに等しい。
「ユリアン君、か。……ふふ、可愛らしい名前ね」
マルガレータは、屈み込んでユリアンの顔を覗き込む。殺傷能力が高すぎる。
「それはそれは。……ヤン元帥のような『変わり者』の下にいると、苦労するでしょう?」
「え、あ、いえ、その……」
「分かりますよ。……先人が偉大だと、下の者は苦労します」
「私も……偉大な父(亡くなった実父)と、そして今は……最高に面倒くさい義父(ロイエンタール)を持っているので、よく分かります」
「義父、ですか?」
「ええ。オスカー・フォン・ロイエンタールというのですが……。顔はいいのですが、性格がねじ曲がっていて、私の戦術にいちいちダメ出しをしてくるのです」
ユリアンは、敵軍の最高幹部の家庭の愚痴を聞かされて、どう反応していいか分からない。だが、不思議と親近感を覚える。ヤンも大概だが、向こうも大変らしい。
「でも、貴方はしっかりしていますね。……ヤン元帥のネクタイ、綺麗に結ばれていますもの。貴方がやったのでしょう?」
「は、はい。……閣下は不器用なので」
「ふふ、いい子ね」
マルガレータは、そっとユリアンの手を取る。両手で包み込むように。
「!!??」
手が。柔らかい手が。温かい。
「頑張ってと言える立場ではありませんが……。敵同士ですからね」
「でも……元気でいてくださいね。ユリアン君。……戦場で会わないことを祈っています」
彼女は、最後にキュッと手を握り、そして離した。残り香だけを残して、彼女は再び華やかな「特使」の顔に戻り、去っていく。
その場に石像のように固まっていた。顔は茹でダコのように赤い。手には、彼女の感触が残っている。洗えない。一生この手は洗えない。
その様子を、遠くから見ていた二人の男がいた。ヤンと、アッテンボロー。
「……先輩。見ましたか、今の」
アッテンボローが、戦慄した声で囁く。
「ああ。見た」
「ユリアンのやつ……魂を抜かれていましたよ。……これ、帝国に亡命しないですよね?」
「……」
ユリアンは素直だ。「僕、帝国に行ってマルガレータさんを守ります!」とか言い出しかねない。そうなれば、ヤン家は崩壊だ。家事全般が停止し、ヤンは餓死するかゴミに埋もれて死ぬ。
「やめてくれ……。シャレにならん。……帰ったらユリアンに『帝国の悪口』を3時間くらい吹き込んで、洗脳を解かなければ」
「教育的指導ですね。手伝いますよ」
この瞬間。同盟国内で、非公式ながら最大規模の勢力を持つことになる「マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー・ファンクラブ(同盟支部)」が爆誕した。その会員第一号が、ユリアン・ミンツ軍曹であることは、ヤン元帥の特権により軍事機密として最高レベルの封印処理がなされた。
◆
ハイネセン・スタジアム(帰還歓迎式典)
スタンドを埋め尽くすのは、10万人の市民と、そしてグラウンドに整列した数万人の「帰還者」たちである。彼らは、先日の捕虜交換で帝国から返還された、200万人の将兵の代表団だ。
通常、敗戦の捕虜が帰還する式典といえば、もっとこう、湿っぽくて、悲壮感が漂うものだ。「辛かったろう」とか「よく生きて戻った」とか、涙と鼻水が入り混じるお涙頂戴のイベントになるはずだ。だが、今日のハイネセンは違う。底抜けに明るいフェスティバル状態になっている。
「ヨブ!ヨブ!ヨブ!」
地鳴りのような「ヨブ・コール」が響く。ヨブとは、もちろんこの男のことだ。
ステージの中央。スポットライトを一身に浴びて、一人の男が両手を広げている。自由惑星同盟最高評議会議長、ヨブ・トリューニヒト。
彼は、完璧に仕立てられたスーツを着こなし、真っ白な歯を見せてニカっと笑っている。
「捕虜交換にて帰還する同盟軍兵士、いや、親愛なる市民諸君!」
トリューニヒトの美声が、最新の音響システムを通じてスタジアムの隅々まで響き渡る。
「私は最高評議会議長、ヨブ・トリューニヒトである!」
彼は、胸を張って名乗る。会場が一瞬、「え?知ってるけど?」という空気になったのを、彼は見逃さない。
「ん?『なんで今さら自己紹介するのか』って??」
耳に手を当てるポーズをとる。そして、カメラに向かってバチーンとウィンクを飛ばした。
「それは、君たちが捕虜になった時の議長は、私ではないからだ!君たちを戦場に送り出し、負けさせたのは、別の議長だ!私ではない!」
なんと。就任早々、前任者に全ての責任を押し付けた。清々しいほどの責任転嫁だ。
「私が議長になったからこそ、君たちはこうして帰ってこれたのだ!だから、名前を覚えて帰ってくれたまえ!次の選挙で書く名前は『ヨブ・トリューニヒト』だ!テストに出るぞ!」
「これは政治活動である!私は今、必死に選挙活動をしているのだ!」
ドッ!!会場から、爆笑が巻き起こる。普通なら「政治利用するな!」と怒号が飛ぶところだ。
だが、ここまであけすけに「票が欲しいんです!」と言い切られると、人間というのは逆に「正直でよろしい」と思ってしまうバグがあるらしい。
「ヨブ、最高!」
「ぶっちゃけすぎだろ!」
トリューニヒトは、笑いが収まるのを待って、次の爆弾を投下する。
「さて、君たちが一番心配しているのは……『帰っても仕事があるのか?』ということだろう!」
会場が静まり返る。切実な問題だ。何年も社会から離れていた浦島太郎状態の彼らにとって、失業は国軍のビームよりも怖い。
「だが、安心してほしい!今!同盟は戦後復興による好景気で、猛烈な人手不足である!」
「アムリッツァでの『勝利(のようなもの)』と、ロボス元帥の人気沸騰により、関連グッズが売れに売れ、経済は回りに回っている!猫の手も借りたい状況だ!」
(※注:実際にはバブル経済に近い危うさだが、今は誰も気にしない)
「つまり……君たちが帰ってから仕事に困ることはない、ということだ!選り好みしなければ、明日からでも働けるぞ!」
「おおーっ!」
どよめきが歓声に変わる。
「すぐに定職に就けるよう、再就職支援の手続きはすべて済ませてある!ハローワークに行く必要はない!面倒な書類仕事は、私が(部下にやらせて)やっておいた!安心したまえ!」
「うおおおおおっ!!」
「議長!一生ついていきます!」
「就職先確保とか神かよ!」
割れんばかりの拍手と歓声。兵士たちが帽子を投げて喜ぶ。政治家に求められているのは、高尚な理念ではない。「明日の飯」と「面倒な手続きの代行」なのだ。トリューニヒトは、それを完璧に理解している。
「もう戦いたくない者は、退役して構わん!君たちは十分義務を果たした!これからは市民として、納税の義務を果たしてくれ!」
「はーい!」
「ただし!」
トリューニヒトは、人差し指をチッチッと振る。
「一人だけ例外がいる!」
「例外?」
「ヤン・ウェンリー元帥はダメだぞ!」
「彼は辞めさせん!彼にはまだまだ働いてもらわねばならん!彼が辞めると私が困るからだ!退役できるのは、捕虜の皆だけだ!」
「ギャハハハハ!」
「ヤン元帥、ドンマイ!」
「俺たちの分まで働いてくれー!」
会場は爆笑の渦に包まれる。国民的英雄が、ブラック企業のように拘束されているのが面白くて仕方がないのだ。
◆
「……公衆の面前で退職を阻止された……」
これで、辞表を出すたびに「あの時、議長がダメって言っただろ?」と国民全員からツッコミが入ることになる。
外堀どころか、内堀まで埋められ、天守閣にコンクリートを流し込まれた気分だ。
「ユリアン……。私はもうダメかもしれない……」
「提督、元気出してください。……ほら、歴史書の2ページ目を読みましょう?」
「ううっ、そうだな……。本だけが友達だ……」
◆
「また軍に戻りたい者は、手続きを済ませば一階級昇進の上、復帰できる!給料もアップだ!」
トリューニヒトは、大盤振る舞いを続ける。国庫の心配など知ったことか。
「……まあ、まずはゆっくり休みたまえ。温泉にでも行って、家族と美味いものを食え!それを許すのが、ここは自由の国だ!お帰りなさい、市民諸君!!」
彼は両手を高く掲げる。無数の紙吹雪が舞う。花火が打ち上がる。ハイネセンの空に、トリューニヒトの巨大なホログラムが浮かび上がる。
まさに、狂乱の祝賀会。誰もが笑い、誰もが明日への希望(と勘違い)に胸を膨らませている。トリューニヒト政権の支持率は、天井を突き破り、成層圏を突破していたのである。
さて。そんなお祭り騒ぎのスタジアムの片隅に、一人の男が立ち尽くしていた。帝国軍の捕虜に紛れて帰国した、アーサー・リンチ少将である。
彼は、帝国軍のオーベルシュタインから密命を帯びていた。「同盟国内の不満分子を煽動し、クーデターを起こせ」と。
「帰還兵は不遇な扱いを受け、社会に不満を持っているはずだ。そこが狙い目だ」と聞かされていた。
リンチは、呆然と口を開けていた。というか、隣の帰還兵は「やったー!再就職先が決まったぞ!」とハイタッチを求めてくる始末だ。
「……これは、クーデター起こす意味あるのか?」
むしろ、「今の政府最高!」という空気だ。
こんな状況で「立ち上がれ!政府を倒せ!」などと叫んだら、「お前バカか?邪魔すんな」と石を投げられるのがオチだ。
「話が違うじゃないか……。オーベルシュタインの野郎、騙しやがったな……」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
マルガレータの破壊力、トリューニヒトの清々しい悪徳、ヤンの不憫さ――
どれかひとつでも「好きだ」と思っていただけたら、作者としてこれほど嬉しいことはありません。
もし本章で心に残ったシーンや、
「ここが面白かった」「このキャラがもっと見たい」
というお声があれば、ぜひ感想としてお聞かせください。
いただいた一言が、次の銀河を描くための大きなエネルギーになります。
また次の戦場、祝祭、悲喜劇の中でお会いしましょう。
帝国と同盟の内乱どちらから見たいですか?
-
銀河帝国
-
自由惑星同盟