銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
むしろ、それは意外なほど日常の延長にあり、時に一杯のスープや一皿の菓子が歴史を動かすことさえあります。
賑やかで、滑稽な帝国の日常と非日常を、どうぞお楽しみください。
帝都オーディン ファルケンハイン侯爵邸
帝都オーディンに、久しぶりに穏やかな朝が訪れていた。
テーブルには、真っ白なリネンのクロスが敷かれ、その上には芸術品のような朝食が並んでいる。焼きたてのクロワッサン。その表面は幾重にも重なったパイ生地が美しい狐色に焼き上がり、バターの芳醇な香りを漂わせている。
湯気を立てるコーヒーは、最高級の豆を丁寧にドリップしたものだ。新鮮なサラダ、半熟のスクランブルエッグ、そしてカリカリに焼かれたベーコン。銀河の歴史上、これほど完璧な朝食風景があっただろうか。
そのテーブルを挟んで、二人の男女が向かい合っている。この屋敷の主、アルブレヒト。そして、その妻であり、帝国軍の事実上の最高実力者(色々な意味で)であるアナスタシアだ。
「……ふぅ。アナとこうして優雅に朝食をとるのは久しぶりだな」
「そうですね。……内乱の気配など微塵も感じさせない静けさです」
「冷戦だろうと、別に戦っているわけではないからな」
「むしろ、ラインハルトがいない分、俺の部屋のドアを破壊して入ってくる奴がいない……。それが一番大きい」
そうなのだ。かつて、弟分のラインハルト・フォン・ローエングラムがこの屋敷に出入りしていた頃は、朝の静寂など望むべくもなかった。あの金髪の若者は、常に何かに怒り、焦り、あるいは興奮していた。「兄上!」「兄上!」そう叫びながら、ノックもせずにドアを蹴破るのが彼の日常だった。おかげで、元帥府の修繕費の三割は、ドアの修理代に消えていたという都市伝説があるほどだ。
「あいつが自分の元帥府(仮設)に引きこもってくれているおかげで、こうしてゆっくりと咀嚼ができるというものだ。……皮肉なものだな。敵対した方が、生活の質が上がるとは」
弟がいなくて寂しいかと言われれば、正直少し寂しい気もするが、それ以上にこの「静かな朝食」の魅力は絶大だった。胃に優しい。精神に優しい。そして何より、鼓膜に優しい。
「平和だ。……このまま一生、朝食を食べていたい……」
その時である。彼のささやかな願いを、そして屋敷の静寂を、暴力的な轟音が粉々に打ち砕いたのは。
ドガァァァァァァァァン!!!!
ダイニングルームの入り口にある、厚さ5センチの頑丈なマホガニー製の両開き扉が、蝶番ごと吹き飛んだ音である。爆風と共に、木片と粉塵が室内に舞い込む。
「あつっ!?」
ビクッとして手元のコーヒーをこぼした。熱い液体が、彼の太ももにかかる。だが、熱さよりも驚きが勝った。テロか。暗殺か。それともラインハルトが、ついに戦車で突っ込んできたのか。
舞い上がる粉塵。差し込む朝日に照らされて、キラキラと舞う塵の向こうから、二つの影が現れる。
現れたのは、二人の男だ。
ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯。帝国の二大門閥貴族であり、アルブレヒトにとっては、エリザベートとサビーネの実父……つまり、「二人の義父」である。
「アルブレヒト君!!」
「緊急事態だ!!悠長に飯など食っている場合ではないぞ!!」
二人は、競うようにしてダイニングルームに侵入してきた。彼らの後ろには、止めようとして弾き飛ばされたであろう執事やメイドたちが、おろおろと立ち尽くしている。
「……義父上達!!」
「なんですか?いったい何事ですか?」
「帝国からは……『ノック』という奥ゆかしい文化は死に絶えたのですか??それとも、私の家の扉は、使い捨ての消耗品だとでも思っているのですか?」
無惨な姿になったマホガニーの扉を指差す。あれは高かったのだ。職人が手彫りで装飾を施した、一点物なのだ。それを、挨拶代わりに吹き飛ばすとはどういう神経なのか。ラインハルトがいなくなって平和になったと思ったら、今度は義父たちが破壊神として降臨した。
「それどころではない!」
「ラインハルトの小僧が!あの金髪の孺子が、とんでもないことをしでかしおった!」
「はあ……」
「裏で反乱軍に対して、クーデターを画策したとの情報が入ったのだ!」
「捕虜交換にかこつけて、工作員を送り込んだらしい!同盟政府を転覆させ、我々が内戦で疲弊するのを待つつもりだ!卑怯極まりない!」
彼らの情報網は、意外と正確だった。あるいは、オーベルシュタインがあえて情報をリークして、彼らを煽ったのかもしれない。
「我々は正当なる帝国の藩屏として、結束せねばならんのだ!このままでは、あの小僧に寝首を掻かれるぞ!」
「そうだ!アルブレヒト君、君も悠長にコーヒーなど飲んでいる場合ではない!すぐに軍を動かす準備をせねば!」
二人は、左右からアルブレヒトに詰め寄る。
頭痛がする。優雅な朝食は、もはや過去の遺物となった。
「はいはい、結束結束……。分かりましたよ」
「で、朝ごはん食べていいですか?まだ途中なんですけど」
「何を言っている!危機感がないのか!」
「そこでだ!我々門閥貴族は、この危機に対抗するため、歴史的な盟約を結ぶこととなった!」
「盟約?」
「うむ!全貴族が一致団結し、ローエングラム一派を排除するための、鉄の結束を誓うのだ!」
彼らは、自分たちが「一致団結」できると本気で信じているようだ。普段は互いの領地の境界線1メートルを巡って裁判沙汰になるほど仲が悪いのに、共通の敵が現れると急に親友面をする。人間の業というやつだ。
「だから今すぐ、リップシュタットへ来るように!全員集合だ!」
「リップシュタット?」
「そうだ!私が所有する広大な森と、そこにある別荘地だ!そこに、帝国の主要な貴族たち三千人を集めて、大決起集会を開くのだ!」
「三千人!?またですか!?」
結婚式の悪夢が蘇る。また数千人の前で、延々とスピーチを聞かされるのか。しかも今度は「森」だという。アウトドアだ。虫がいるかもしれない。トイレ事情はどうなっているんだ。
「1人ずつ喋ってください!!声が大きすぎて内容が入ってきません!」
「あと、朝食後に通信で済む話ですよね!?なんでわざわざドアを壊してまで、直接言いに来るんですか!TV電話という文明の利器を使ってくださいよ!」
「馬鹿者!直接顔を合わせてこそ、熱意が伝わるのだ!」
「通信など盗聴される恐れがある!機密保持のためには、直接乗り込むのが一番だ!」
機密保持のためにドアを爆破していたら、逆に目立って仕方がないだろうに。
「とにかく、今すぐ出発だ!車は用意してある!」
「さあ、着替えるのだ!軍服だ!一番派手なやつを着ろ!」
「ちょ、待って!俺は行かないぞ!今日は休みだ!絶対に動かない!」
◆
「まぁまぁ、アル様。……少し落ち着いてください」
彼女はカップをソーサーに置く。カチャリ、という澄んだ音が、場を制する。
「義父上方?……一つお伺いしてもよろしいですか?」
「リップシュタットとは……具体的にどのような場所なのですか?」
「おお!アナスタシア君か。おはよう」
ブラウンシュヴァイク公は、彼女に対しては甘い。娘(エリザベート)を可愛がってくれているからだ。
「リップシュタットはな、儂の自慢の領地だ。……広大な原生林の中に、最新鋭の設備を備えた保養施設がある。温泉も湧くぞ」
「保養施設……」
「うむ。……今回は、貴族たちを集めて大パーティー……いや、決起集会を開くのだ!結束を固めるためには、同じ釜の飯を食うのが一番だからな!」
「同じ釜の飯……」
「別荘で、貴族たちを集めて大パーティーということは……」
「シェフも、一流どころが集められているのではありませぬか?」
「もちろんだとも!」
「帝都の一流ホテルの料理長、宮廷料理人、そして各貴族が抱えるお抱えシェフたち……。全員招集した!食事が不味くては、士気に関わるからな!」
「全宇宙の美食を用意してある!フォアグラ、キャビア、トリュフ、そして最高級のワイン!食べ放題飲み放題だ!」
彼らは、この決起集会を「政治的な同窓会」か何かと勘違いしている節がある。だが、その「勘違い」が、アナスタシアという猛獣のスイッチを押した。
「分かりました」
「……参りましょうか、アル様」
「えええ??」
「アナ!行くの?本気で?俺のクロワッサン、まだ半分残ってるんだけど!」
「クロワッサンなど、後で焼かせればよろしいのです」
「向こうに行けば、もっと美味しいものが食べられますよ。……宮廷料理人のフルコースです。行かない手はありません」
彼女の動機は不純だった。「タダで美味しいものが食べられる」という、極めて庶民的な欲望だ。
「それに、アル様が行かなければ始まらないでしょう!貴方は盟主(という名の神輿)なのですから!」
「いやだ!俺は行きたくない!森は虫がいる!あと、絶対スピーチさせられるだろ!また10時間コースだろ!」
テーブルの脚にしがみつく。元帥の威厳など、とうの昔に朝露と共に消え去っている。
「往生際が悪いですよ」
アルブレヒトの美しい銀髪を、ガシッと掴んだ。
「いたた!髪!髪はやめて!俺の本体が抜けちゃう!」
彼の銀髪はサラサラで美しいが、引っ張られると痛いのは同じだ。
「行きますよ。……車まで引きずってでも連れて行きます」
「暴力反対!家庭内暴力だ!憲兵を呼ぶぞ!あ、ケスラーも向こうに行ってるのか!詰んだ!」
容赦なく夫を引きずる。ズルズルと引きずられる帝国元帥。その姿を見て、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯は、「仲が良いのう」「夫婦漫才か」と微笑ましそうに見ている。止めろよ。
「アナ!せめて着替えさせて!スウェットなんだよ!」
「向こうに着替えがあります。……さあ、美食の森が待っていますよ!」
こうして。帝国最強の元帥アルブレヒトは、妻に髪を引かれ、義父たちに急かされながら、歴史の転換点となる「リップシュタット盟約」の会場へと引きずられていった。
◆
リップシュタットの森
ブラウンシュヴァイク公が壇上に立ち、マイクを握りしめて熱弁を振るっている。彼の顔は、興奮とアルコールで赤く上気し、額には脂汗が光っている。
「我々門閥貴族は!今こそ結集して戦わねばならない!」
「なぜならば!ローエングラムの小僧は、現実にそぐわない野心で動いているからだ!金髪の孺子が、伝統ある帝国の秩序を破壊しようとしている!これを許してよいものか!否!断じて否である!」
「そうだそうだー!」
「許せんー!」
貴族たちが、シャンパングラスを片手に呼応する。彼らの多くは、政治的な理念など持っていない。ただ、「あいつが気に入らない」「俺たちの特権を守れ」という単純な動機で集まっているだけだ。
しかし。そんな熱気とは無縁の場所が、この会場には存在する。会場の後方。壁際に設置された、長大なビュッフェコーナーである。そこには、ブラウンシュヴァイク公が豪語した通り、全宇宙から集められた美食の数々が、山脈のように積み上げられている。
その「食の山脈」の麓に、一人の男が張り付いている。本日の主役、アルブレヒトである。彼は、壇上の演説などBGM程度にしか聞いていない。彼の全神経は、今、目の前の皿の上に集中している。
「もぐもぐ……これ美味いな……。焼き加減が絶妙だ」
「アナ、このローストビーフは当たりだぞ。……3回おかわりする価値がある」
「そうですね。……塩加減も完璧です。流石は一流のシェフを招集しただけはあります」
厚切りにカットされたローストビーフを頬張る。噛み締めた瞬間、肉汁が口いっぱいに広がる。柔らかい。歯がいらないレベルだ。ソースはトリュフをふんだんに使った濃厚なグレービーソース。これが、ただのケータリング料理ではないことを如実に物語っている。
「アル様、あっちのテリーヌも良さそうですわよ。……フォアグラと鴨肉の層が美しいです」
「お、本当だ。……芸術的だな」
「ワインもいいやつだ。……これは410年物のヴィンテージじゃないか?」
「ええ。……ブラウンシュヴァイク公の地下セラーから出したものでしょう。飲み放題とは太っ腹です」
一方、壇上のブラウンシュヴァイク公は、さらにヒートアップしている。
「帝国は一連の改革で精強になった!これは誰の功績であるのか?ローエングラムか?否!我々貴族である!我々が支えてきたからこそ、帝国はあるのだ!」
「万歳!貴族連合万歳!」
「我らに栄光あれ!」
「……うーん。ちょっと食べ過ぎたかもしれん。……ベルトがきつい」
アルブレヒトはこっそりとベルトの穴を一つ緩める。ローストビーフ3皿、オマール海老のソテー2皿、そしてテリーヌ。流石に胃袋の容量が警告ランプを点滅させ始めている。だが、彼の目の前には、まだ攻略すべき最後の砦が残っている。
「デザートは別腹ですわ。……アル様、見てください。あそこのモンブラン」
アナが指差す先。そこには、茶色のクリームが高々と盛られた、巨大なモンブランタワーが鎮座している。栗の芳醇な香りが、ここまで漂ってくるようだ。
「高さが凄いです。……あれは栗の要塞です」
「……挑むしかないな」
◆
「そして!この高貴なる我らを牽引し、正義の旗手となるべき人物は誰か!」
「それは!我らが希望の星!若き龍!ファルケンハイン侯爵こそ!我らの盟主にふさわしいのだ!!」
ビカーッ!!
スポットライトが一点に集中する。モンブランを口に入れようとしていた、口を「あーん」と開けたままのアルブレヒトに。
「ファルケンハイン!ファルケンハイン!」
貴族たちが、名前を連呼する。何だ?誕生日サプライズか?それとも、このモンブランが「当たり」だったのか?
そこへ、人垣を割って一人の男が近づいてくる。
「さあ!ファルケンハイン閣下!盟主の座をお受けください!!」
アンスバッハが恭しく手を差し伸べる。
「え?」
(……ん?何も聞いていなかったぞ。……なんだ?「おかわりはいかがですか?」と聞かれたのか?それとも「味はいかがですか?」か?)
「さあ!我が義息子よ!!全貴族が君の言葉を待っている!」
(あー、もう。うるさいな。……早く食べてしまいたいのに。クリームが溶ける)
「あ、ああ。……わかった」
「このアルブレヒト、全力で励みます!(※このモンブランの皿を平らげることに)」
その瞬間。
ドワァァァァァァァッ!!!!
爆発。歓声の爆発だ。リップシュタットの森の木々が震えるほどの大音量が、ホールを揺るがす。
「盟主万歳!リップシュタット連合軍総司令官万歳!」
「我らに勝利あれ!」
「ファルケンハイン!ファルケンハイン!」
「んぐっ」
アルブレヒトは驚いて息を吸い込み、スプーンの上のモンブランを気管に入れそうになる。むせる。危ない。窒息死するところだ。
(……え?総司令官?)
隣で、アナスタシアが拍手をしている。彼女はナプキンで口元を拭い、満面の笑みを浮かべている。その笑顔は、夫の出世を喜ぶ良き妻のそれである。
「アル様、素敵です!やはり貴方こそが帝国の頂点に立つお方です!」
「おめでとうございます。……これで貴方は、貴族連合軍の全権を握りました。……名実ともに、ラインハルト様と対等の『敵』になりましたね」
「……ん?」
「なんか話が大きくなってないか?……俺、いま何を約束させられた?」
彼は震える手でスプーンを置く。周りを見渡す。数千の貴族たちが、期待に満ちた目で彼を見ている。「やってくれるはずだ」「あの英雄なら勝てる」という、重すぎる期待の眼差し。
自分が、ただ「デザートを食べたい」と言っただけで、帝国軍の半分以上を率いる最高責任者になってしまったことに。そして、それが「引くに引けない」状況であることを。
(……茶番だな)
なお、この日のパーティーで振る舞われたメニューは、後に「盟約の晩餐」としてレシピ本が出版され、帝国内でベストセラーとなる。特に、アルブレヒトが喉に詰まらせかけたモンブランは、「元帥の決意(マロン・デ・レゾリューション)」と名付けられ、人気商品となった。
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