銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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この物語は、銀河の歴史における「もしも」のひとつです。
もし、ヤン・ウェンリーが望まぬまま歴史の渦に放り込まれ、
ついには民主主義者の独裁者として国家を背負うことになったら——。

本作では、政治、軍事、組織運営、そして人間関係の綾が、
原作の精神を尊重しつつ、別の可能性へと分岐してゆきます。
英雄は望まずして英雄となり、
凡人は権力の影で蠢き、
愛と皮肉と、ほんの少しのユーモアが銀河を駆けめぐる。

銀河英雄伝説という壮大な宇宙へ、
もう一つの道筋を描く試みに、おつきあい頂ければ幸いです。


粛清の嵐と、国家総動員の結婚式

ハイネセン 総統府(旧最高評議会ビル)

 

 

 

旧最高評議会ビルは、現在、歴史的なリニューアルオープンを迎えている。

 

看板は「ヤン総統府」に掛け替えられ、入り口には無駄に屈強な兵が直立不動で立ち並び、ロビーには「ヤン総統」をモチーフにした抽象画が飾られている。

 

民主主義の殿堂は、わずか数週間で「独裁者の城」へと変貌を遂げているのだ。

 

壁紙はシックな黒檀色に変更され、窓ガラスは対レーザー防御仕様になり、デスクは空母の甲板のように広い。その広大なデスクの上に広げられているのは、銀河の運命を左右する人事リスト。

 

「……キャゼルヌ先輩。私は……ヤケクソで人事権を行使すると言った。言ったが……。結局のところ、私の知っている人間を当てはめただけじゃないか。……これではただの『お友達内閣』だぞ。いや、『身内だけの宴会』だ。政治的な配慮とか、バランス感覚とか、そういう高尚なものはどこへ行ったんだ」

 

リストに並ぶ名前は、馴染み深すぎるイゼルローン要塞の食堂で見た顔ぶれが、そのまま国家の中枢にスライドしている。

 

同盟の政治家や官僚が見たら、「ふざけるな」と暴動を起こすレベルの身内人事である。

 

キャゼルヌ大将は、真新しい階級章を撫でながら、涼しい顔で答える。

 

「何を言うか。……信用できる人間で周りを固める。これぞ独裁者の基本だ。文句を言うな。いいか、ヤン。独裁者にとって最大の敵は『疑心暗鬼』だ。……知らない奴を重用して、寝首をかかれたらどうする?お前は枕が変わると眠れないタイプだろう?人事も同じだ。見知った顔の方が、お前の胃に優しい」

 

「それはそうだが……。それにしても、濃すぎるだろう、このメンツは」

 

ヤンは、改めてリストを見る。そこには、銀河を混沌の渦に叩き込むための「ドリームチーム」の名前が連なっている。

 

総統:ヤン・ウェンリー

 

総統付最高顧問官(新設):ドワイト・グリーンヒル元帥

 

親衛隊長(新設):ワルター・フォン・シェーンコップ大将

 

後方統括司令長官(新設):アレックス・キャゼルヌ大将

 

イゼルローン方面軍司令官:ダスティ・アッテンボロー大将

 

宇宙艦隊司令長官:ウィレム・ホーランド元帥

 

統合作戦本部長:ラザール・ロボス元帥

 

自由惑星同盟高等参事官:ヨブ・トリューニヒト前議長

 

総統付副官兼ファーストレディ:フレデリカ・グリーンヒル・ヤン少佐

 

「……ツッコミどころが多すぎて、どこから手をつければいいのか分からない。アッテンボローに……イゼルローン要塞を任せて大丈夫か?彼は『革命』とか『打倒体制』とかいう言葉が大好きなんだぞ?暇を持て余して、『伊達と酔狂』で要塞主砲を撃ったりしないか?」

 

あのアッテンボローだ。「今日は総統の誕生日だから、ケーキのろうそく代わりに主砲を撃ちます!」とか言い出しかねない。イゼルローン回廊が花火大会の会場になってしまう。

 

「安心しろ。……ムライがついている。ムライ中将を、アッテンボローの参謀長として貼り付けておいた。……彼なら、アッテンボローが発射ボタンを押そうとするたびに、『法的根拠は?』『予算の無駄です』と説教をして止めてくれるはずだ」

 

「ああ……ムライさんか。なら安心だ」

 

ムライの小言攻撃なら、アッテンボローの暴走も物理的に阻止できるだろう。

 

「まあ、ムライの胃薬の消費量は、国家予算レベルで増えるだろうがな。……そこは『必要経費』として計上しておいた」

 

「そして……。ホーランドとロボス……。この二人がそのままというのは、どうなんだ?普通、クーデターが起きたら前体制の軍幹部は粛清されるものだろう?」

 

「お前は彼らを殺したいのか?」

 

「いや、殺したくはないが……」

 

「なら置いておけ。……ホーランドは『ヤン総統万歳!』と叫んでご機嫌だし、ロボスはステーキの質さえ落とさなければ無害だ。……下手にいじって、彼らの派閥を敵に回す方が面倒だ」

 

キャゼルヌの判断は現実的だ。政治的な野心がないなら、彼らは非常に扱いやすい「置物」なのだ。むしろ、彼らがいることで「ヤン政権は軍の長老たちも尊重している」というポーズが取れる。最高のインテリアだ。

 

「そして、最高評議会は……『自由評議会』として、私の諮問機関に格下げか。……トリューニヒト議長……いや、参事官は?」

 

民主主義の象徴だった議会が、ただの「総統のお悩み相談室」になってしまった。議員たちは、ヤンの顔色を伺いながら、「総統の仰る通りです!」と拍手するだけの簡単なお仕事に従事することになる。

 

「ここにいるよ、ヤン総統。実務から解放されて、実に清々しい気分だ。……予算の折衝も、野党の相手も、陳情の処理も、すべて君がやってくれる。……これからは君の『知恵袋』として、裏から支えさせてもらうよ。責任のないアドバイスほど、楽しいものはないからね」

 

「……一番厄介なポジションに収まりましたね」

 

トリューニヒトは「責任」という重荷をヤンに背負わせ、自分は「権威」と「影響力」だけをキープした。成功すれば「私のアドバイスのおかげ」、失敗すれば「ヤンの未熟さのせい」。この男、本当に政治生物としての生存能力が高すぎる。

 

「まあ、いいでしょう。……あなたが味方にいるなら、これほど心強いことはない。さて……。組織を固めた以上、仕事をしなければならない。……まずは『汚職』についてだ」

 

この猛毒を使いこなしてこそ、独裁者というものだろう。

 

独裁者として、最初にやらなければならない「汚い仕事」が待っている。

 

ヤンは、分厚いファイルをデスクに広げる。それは、情報部が集めた、同盟内部の腐敗に関する調査資料だ。独裁政権のスタートダッシュには、「悪を討つ」というパフォーマンスが不可欠だ。血祭りが必要なのだ。

 

「ああ。……トリューニヒト派の議員たちを洗ってみたが……」

 

「どうだった?」

 

「……シロだ。いや、限りなくグレーだが、法的にはシロだ」

 

「なに?」

 

「意外にもクリーンだったな。……トリューニヒト参事官、あなたは部下に賄賂を取らせないのか?」

 

「ヤン総統。……三流の政治家は、現金の詰まった菓子折りを受け取る。二流は、未公開株を受け取る。……だが、私の一派は違う。私は彼らに、『法の範囲内』で儲けさせているからね。……公共事業の合法的受注、関連企業への天下り、そして政策による株価誘導。……すべて、現行法では違法ではない。ギリギリのラインを攻めるのが、プロの仕事だよ。違法な賄賂など、リスクが高いだけで割に合わんよ。……捕まるような真似をするのは、知恵のない馬鹿だけだ。私の部下に馬鹿はいない」

 

「……食えない男だ。だが……。こちらは深刻だ。……『フェザーン』による汚職、癒着、浸透……。これが本丸だ」

 

そこには、フェザーン自治領の商人たちと、同盟の有力者たちの黒い関係が記されている。高利貸し、軍事機密の売買、物資の横流し。

 

フェザーンは、経済という武器を使って、同盟の血を吸い続けてきた。トリューニヒトの「合法的な利権」とは違い、こちらは明確に国益を損なう「寄生」である。

 

「同盟の経済と情報は食い荒らされている。……こいつらを放置すれば、いくら私が改革をしても、すべて吸い取られてしまう。……やるぞ。フェザーンと不適切な関係にある政治家、軍人、実業家……。全員検挙だ」

 

「全員、か?」

 

その数は数百人、いや数千人に及ぶかもしれない。政財界の大物がずらりと並んでいる。これをやれば、同盟の経済は一時的に麻痺するかもしれない。

 

「全員だ。……見せしめではない。根こそぎだ」

 

「裁判の手続きはどうしますか?」

 

フレデリカが、心配そうに尋ねる。通常の手続きなら、逮捕状の請求、取り調べ、起訴、裁判……と、何年もかかる。その間に、彼らはフェザーンに逃亡するか、証拠を隠滅するだろう。民主主義の手続きは、正しいが「遅い」のだ。

 

「……無視する。……証拠は揃っている。アッテンボローとシェーンコップが集めた決定的な証拠がある。……総統権限で一気にやる。逮捕、資産凍結、国外追放だ。裁判をしている間に証拠隠滅されたらたまらない。……それに、彼らはフェザーンの法律で守られているつもりだろうが、ここは私の国だ。私のルールに従ってもらう」

 

彼は、一瞬ためらった。彼は民主主義者だ。法の支配を信じている。手続きの正当性を無視することは、彼の信条に反する。だが。彼は今、独裁者なのだ。非常時のリーダーなのだ。彼は、拳を握りしめる。

 

「……独裁者らしい発言だな」

 

「……こんなことは、本来はしたくないのだけど……。国家の土台にシロアリが入り込んでいるとなると、家ごと燃やすわけにもいかないしな……。一本一本、ピンセットでつまみ出して潰すしかない。……たとえ、手が汚れても」

 

心が痛い。自分が、かつて軽蔑していたルドルフのようなことをしようとしている。

誰かがやらなければならない。トリューニヒトは「合法的な腐敗」を守るために、外部の「違法な寄生虫」を排除する必要がある。利害は一致している。

 

「うむ……大丈夫だ、総統。汚れ役は君がやる。……だが、その『説明』は私がやろう。私がメディアを使って、世論を誘導してやる」

 

「誘導……?」

 

「『独裁者の横暴』という批判は……私が引き受けて、『正義の鉄槌』に書き換えてやろう。……君はただ、サインをするだけでいい。国民は君を称賛するだろう」

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜。ハイネセンの全テレビ局が、緊急特番を放送した。画面には、ヨブ・トリューニヒト参事官の姿がある。彼は、同盟国旗を背に、情熱的に、そして演劇的に語りかけている。

 

『市民諸君!喜んでくれたまえ!我らがヤン・ウェンリー総統は、今まさに、長年この国を蝕んでいた寄生虫を駆除しているのだ!フェザーンの悪徳商人たちと、それに魂を売った裏切り者たちに、正義の鉄槌を下している!』

 

画面には、逮捕連行される政治家や実業家の映像が流れる。彼らは、顔を隠し、無様な姿でパトカーに押し込まれていく。その中には、かつてテレビで偉そうなことを言っていたコメンテーターや、大企業の社長も含まれている。市民の溜飲が下がる映像だ。

 

『これは……法を超えた正義である!総統は、自らの手を汚してでも、この国の未来を守ろうとしているのだ!法律の抜け穴を使って甘い汁を吸っていた奴らに、法の外から鉄拳制裁を加えたのだ!総統に続け!悪い奴らを追い出せ!今こそ、同盟が真に独立し、我々の富を取り戻す時だ!』

 

「超法規的措置」を、「勇気ある行動」にすり替える。

 

「うおおおお!ヤン総統万歳!」

 

「悪い奴らを追い出せ!」

 

「ざまあみろ!金持ちどもが!」

 

「ヤンは俺たちの味方だ!」

 

民衆の反応は、劇薬のように早かった。街中のパブで、家庭で、SNSで、歓喜の声が爆発する。人々は、複雑な法手続きよりも、分かりやすい「悪の成敗」を求めていたのだ。

 

ヤンが行った「強権発動」は、独裁の恐怖ではなく、カタルシスとして消費された。トリューニヒトの演出によって。

 

 

「……また支持率が上がった……。どうしてこうなるんだ……。私はただ、シロアリ退治をしただけなのに……。なんで英雄扱いなんだ……」

 

粛清を行えば、少しは「ヤンは怖い」「やりすぎだ」という批判が出て、支持率が下がると思っていた。独裁者としての恐怖政治を行えば、民衆は離れていくと思っていた。だが、結果は逆だ。「頼れるリーダー」「行動力のある指導者」として、さらに神格化されてしまった。

 

「そりゃあ、お前、見ていてスカッとするからな。民衆はいつだって、勧善懲悪劇が好きなんだよ。……お前は今、銀河一の人気ドラマの主演男優だ。視聴率は100%だぞ」

 

「降りたい……。このドラマから降板したい……」

 

「無理だ。……次は『国家総動員の結婚式』というスペシャル特番が待っているぞ。……フレデリカ君が、ドレスのデザイン画を持って待機している」

 

「……殺してくれ」

 

ヤン・ウェンリーの受難は続く。粛清の嵐は、同盟の腐敗を一掃したが、同時にヤンを「後戻りできない独裁者の高み」へと押し上げてしまった。彼は、清潔になった同盟の頂点で、孤独に震えることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハイネセン 総統府(旧最高評議会ビル) 接見室

 

 

 

 

 

 

部屋の中央には、つい先日「救国軍事会議」を名乗り、クーデターを画策していた首謀者たちが並んでいる。

 

ドワイト・グリーンヒル大将の元部下であるエベンス大佐、クリスチアン大佐、そして情報部長ブロンズ中将だ。彼らは手錠こそかけられていないが、その背後には「親衛隊」の屈強な兵士たちが、いつでも首をへし折れる距離で仁王立ちしている。無言の圧力が凄い。シェーンコップ親衛隊長に至っては、ニタニタしながらナイフでお手玉をしている。怖い。

 

そして、彼らの正面。この国の新しい支配者、ヤン・ウェンリー総統が座っている。

 

彼は、頬杖をつき、死んだ魚のような目で彼らを見ている。怒っているようにも見えるし、単に「早く帰って紅茶が飲みたい」と考えているようにも見える。

 

「……ヤン総統!いや、ヤン元帥!我々は……決して、自らの栄達を望んで事を起こしたわけではない!信じてくれ!我々は、政治の腐敗を許せなかったのだ!トリューニヒトとその取り巻きが、この国を食い物にするのを見ていられなかったのだ!」

 

沈黙に耐えきれず、エベンス大佐が口を開く。彼は、まだ自分たちの正義を信じている。彼の主張は熱い。確かに、動機は純粋だったのかもしれない。だが、純粋なバカほど始末に負えないものはない。

 

「……エベンス大佐。君は『政治の腐敗』と言ったね。……だが、君の定義は少し間違っている」

 

「何?」

 

「政治家が賄賂を取るのは、政治の腐敗ではない。……それは『政治家本人の腐敗』だ。個人の犯罪に過ぎない。政治家が賄賂を受け取り、不正を働き……それを、メディアが批判できず、司法が裁けず、国民が糾弾できない社会体制。……それを指して、初めて『政治の腐敗』と言うのだよ」

 

「自由惑星同盟は、確かに腐っていたかもしれない。……だが、批判の自由はあった。選挙もあった。……それを、君たちはどうした?貴官らは、武力により言論を統制した。……『正義のため』というお題目の下、反対する者を銃で黙らせようとした。……それだけで、君たちがやろうとしたことは、あのルドルフ・フォン・ゴールデンバウムと同じだ。……民主主義の自殺だよ」

 

ルドルフも最初は「腐敗の一掃」を掲げて皇帝になった。彼らもまた、同じ道を歩もうとしていたのだ。

 

「違う!我々は……それでも私利私欲をもって事を起こしたのではない!現に……現にこうして、あなたは総統として立っているではないか!我々の行動がきっかけで、あなたが立ち上がり、腐敗したトリューニヒト政権は倒れた!結果として、我々はあなたの覇道を切り開いたのだ!」

 

クリスチアン大佐は、自分の正義が否定されることに耐えられない。

彼らはまだ勘違いしている。自分たちが「ヤン総統誕生の立役者」だと思っている。「俺たちが神輿を担いだんだぞ」という自負があるのだ。

 

こいつら、まだ分からないのか。

 

「……勘違いしないでくれたまえ。私は……あなた方に求められたから総統になったのではない。……断じて違う」

 

「なっ……?」

 

「民意によってだ。……市民が、そしてトリューニヒト議長が、私に『やってくれ』と頼んだから、仕方なく……いや、厳粛な気持ちで引き受けたのだ。……君たちのクーデター未遂など、あくまできっかけに過ぎない。……いや、正直に言えば迷惑だった」

 

「お前らのせいじゃない、俺の人気のおかげだ」と。これは、彼らに「キングメーカー気取り」をさせないための、ヤンなりの計算(と本音)だ。

 

「……そ、そんな……」

 

「……我々は、どうなる?」

 

ブロンズ中将が、震える声で尋ねる。革命に失敗した者の末路は、相場が決まっている。処刑か、終身刑か。

 

「……あなた方には、功績はない。ただ、社会に無用な混乱を生んだだけだ。……よって、相応の処分は受けてもらう」

 

エベンスたちが唾を飲む。銃殺か。ギロチンか。

 

「……しばらく、地方でゆっくりしてくると良い」

 

「は?」

 

「辺境の開拓惑星に、いくつか空きポストがある。……そこの警備隊長や、駐在武官として赴任してもらう。……まあ、何もないところだが、空気は綺麗だし、魚釣りもできる。……頭を冷やすにはいい場所だ。栄転の形にしますから。……家族には迷惑はかけませんよ。一緒に連れて行ってもいいし、単身赴任でもいい」

 

「え……?……そ、総統……。それは……本気で?」

 

クーデターの首謀者が、栄転?家族も保証?これは処罰なのか?ただの「リゾート地への異動」ではないのか?

 

「ああ。……私は、無意味な血が流れるのを好まない。……君たちも、軍人としての能力はあるのだから、辺境で海賊退治でもしていてくれ。……以上だ」

 

エベンスたちは、呆然としたまま、親衛隊に連れられて退室していく。

 

「……甘いですな、閣下。国家転覆を謀った大罪人ですよ?それを『地方でゆっくり』とは。……これでは、第二第三の反乱分子が『失敗しても左遷で済むならやってみるか』と舐めてかかりますぞ」

 

「いいんだよ、シェーンコップ。彼らは、やり方を間違えただけで、国を思う気持ちは本物だった。……それに、彼らを殺せば、彼らを慕う部下たちが恨みを持つ。……恨みの連鎖は、どこかで断ち切らねばならん」

 

ヤンは、性善説で動いている。自分が寛容であれば、相手も分かってくれるはずだ。それが、民主主義者ヤン・ウェンリーの信念であり、同時に、独裁者としては致命的な「甘さ」でもあった。

 

「やれやれ。……まあ、閣下がそう仰るなら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後。ハイネセンの天候は、陰鬱な雨模様だった。

 

旧港湾地区。再開発から取り残され、廃墟となった倉庫街。昼間でも薄暗いこの場所は、夜ともなれば、野良犬さえ寄り付かない闇の底となる。叩きつけるような雨音が、全てを遮断するカーテンのように降り注いでいる。

 

その一角、錆びついたトタン屋根の下で、一人の男がタバコの火を弄んでいる。バグダッシュ中佐だ。情報部の「汚れ仕事担当」として、ヤン政権の裏側を一手に引き受ける男。彼は、湿気ったタバコを投げ捨て、靴底で踏み消す。

 

「……遅いな」

 

彼は、闇の向こうを睨む。約束の時間は過ぎている。

 

ザッ、ザッ、ザッ。雨音に混じって、正確なリズムを刻む足音が近づいてくる。

バグダッシュは襟を正す。現れたのは、黒い傘を差した長身の男。ドワイト・グリーンヒル元帥。ヤン・ウェンリーの義父であり、総統府最高顧問官である。

 

「……報告します。救国軍事会議の首謀者……エベンス、クリスチアン、他数名……。全員、栄転先への移動中に『不慮の事故』に遭いました」

 

「そうか。……ブレーキの故障か?それともシャトルのエンジントラブルか?」

 

「両方です。エベンス大佐の乗った地上車は、山道でブレーキ系統が全損しました。……どうやら、整備不良だったようです。ガードレールを突き破って、谷底へ転落しました」

 

「……痛ましいな」

 

「クリスチアン大佐の乗ったシャトルは、離陸直後にエンジンが爆発しました。……燃料パイプの劣化を見落としていたようです。……乗員全員、宇宙の塵となりました」

 

「……不運なことだ」

 

「他の数名も……階段から落ちたり、食中毒で呼吸困難になったり、あるいは入浴中にドライヤーが浴槽に落ちたり……。全く、整備不良や家電の故障とは恐ろしいものですな」

 

これだけの「偶然」が重なれば、それはもう「必然」だ。だが、警察の報告書には、すべて「事故死」と記載される。捜査は行われない。なぜなら、警察長官はシェーンコップであり、その上司はグリーンヒルだからだ。

 

グリーンヒルは、冷徹な目で雨空を見上げる。その目には、娘婿に見せる温和な表情など微塵もない。

 

「うむ。……ご苦労だった。ヤン総統は……慈悲深い。……だが、国家統治において、慈悲だけでは秩序は保てない。……『国家に弓引く者には死を』……そういう『恐怖』も、統治には必要なのだ。裏切り者がのうのうと生き延び、辺境で再起を図る……。そんなリスクを、ヤン政権に残すわけにはいかん」

 

彼は、ヤンが捨てた「恐怖」というカードを、自らが拾い上げて行使しているのだ。ヤンが「許す」と言っても、システムがそれを許さない。そういう構造を作り上げている。

 

「……全く、汚れ仕事がない政権……というわけにはいきませんが。こういう仕事は許容できます。……国の安定のためですからな。……ところで、閣下。総統閣下は……この件を、ご存知で?」

 

バグダッシュは、肩をすくめる。彼は知っている。歴史上のどの名君も、その玉座の下には死体の山があることを。ヤンだけが例外であるはずがない。

 

ヤンは、自分が助けたはずの人間が、全員死んだことを知っているのか。もしかして、ヤンが「表向きは助けて、裏で殺せ」と命じたのか?

 

「知らせる必要はない。息子(ヤン)は……このような血なまぐさいものを嫌うからな。……あの子は、歴史の本を読み、紅茶を飲み、平和を愛していればいい。きれいな手で……歴史の表舞台に立っていればいいのだ。……あの子の手は、血で汚れてはならん。……人殺しの汚名は、私たちが背負えばいい。裏の掃除は、私たちが……『家族』がしておくしかあるまい。……フレデリカのためにも、あの子のためにも」

 

「……良い義父上をお持ちだ。了解しました。……リストの残りを処理します。……まだ数名、空気の読めない連中が残っていますからね」

 

バグダッシュは、心底そう思った。ヤン・ウェンリーは、本人が知らぬ間に、最強のセキュリティーシステムに守られている。過保護なまでに。

 

「頼む。……手際はきれいに。……ヤン総統の安眠を妨げぬようにな」

 

「御意」

 

グリーンヒルは、踵を返す。再び、規則正しい足音を響かせながら、闇の中へと消えていく。

 

「やれやれ。……『独裁者』やるのも楽じゃないな。……周りが勝手に神輿を担いで、勝手に掃除までしてくれるとは。さて……帰って熱いシャワーでも浴びるか。……風邪を引いたら、労災が下りるかな?」

 

雨はまだ止まない。この雨が、今夜流れた血を、そして同盟の民主主義の残骸を、すべて海へと洗い流してくれるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さて。仕事も一段落したし……そろそろ、個人的な契約……結婚式についてだが」

 

公務(粛清)は終わった。次は、私的な契約の話だ。これを片付ければ、ようやく少しは休めるはずだ。

 

ヤンは、恐る恐る切り出す。彼は、この話題が苦手だ。戦略戦術の議論なら何時間でもできるが、愛だの恋だの、ましてや式典だのという話になると、途端にIQが低下し、言葉に詰まる。

 

「はい、閣下」

 

声のトーンが、普段の業務報告より3オクターブ高い。そして、語尾にハートマークが見える。確実に浮かれている。いや、準備万端で待ち構えている。

 

「……あのね、フレデリカ。私は……こういう立場になってしまったが、根はただの貧乏軍人だ。……派手なことは苦手だし、何より目立ちたくない。だから……式は、質素なものでいいだろう。……官舎の近くの小さな教会で、牧師さんに立ち会ってもらって……あとは身内だけでお茶でも飲んで、ケーキを食べて解散。……それでいいよね?」

 

できるだけ声を潜め、諭すように語りかける。ヤンの提案は、極めて慎ましく、常識的だ。費用もかからない。準備もいらない。何より、恥ずかしくない。完璧なプランだ。フレデリカは、ニコニコと笑っている。肯定も否定もしない。

 

その時である。執務室のドアが、爆発したかのような勢いで開け放たれる。

 

バンッ!!

 

「何を言う!!一生恨まれるぞ!!」

 

怒号が飛んでくる。いつもの冷静沈着な事務官の顔を捨て去り、血相を変えて飛び込んでくる。その手には、分厚い「結婚式予算案(極秘)」のファイルが握られている。

 

「せ、先輩!?」

 

「お前は……お前は自分の立場を分かっているのか!?一国の元首だぞ!?独裁者だぞ!?その結婚式が『身内でお茶』だと?そんな貧乏くじいた真似ができるか!国家の威信に関わる!他国(帝国)にナメられる!そして何より……フレデリカ嬢……いや、総統夫人に恥をかかせる気か!」

 

「恥って……」

 

「一生に一度の晴れ舞台だぞ!ウェディングドレスを着て、世界中の祝福を浴びる……それが乙女の夢だろうが!それを『お茶で解散』だと?お前は悪魔か!人の心がないのか!」

 

すでにこの結婚式は「今年度最大の国家プロジェクト」として予算計上しているのだ。今さら縮小など許されない。

 

「しかし先輩、今は粛清の直後で、国内も動揺して……」

 

「キャゼルヌ君の言う通りだ、ヤン総統。総統閣下の結婚式は、もはやヤン・ウェンリー個人のものではない。……私的な契約?ノンノン。これは『国家行事』だ。……諦めたまえ」

 

「国家行事……?」

 

「そうだ。……粛清によって、市民の間には多少なりとも不安が広がっている。『明日は我が身か』とな。……その不安を払拭し、空気を一変させるにはどうすればいい?『祭り』だよ。……それも、とびきり明るく、華やかで、誰もが笑顔になれる祭りが必要だ。……『独裁者の結婚式』ほど、それにふさわしいイベントはない。全放送局で生中継。……放映権料だけで、戦艦が10隻買える。……当日は祝日とし、前後合わせて3連休とする。……観光客も呼べる。記念硬貨と切手も発行済みだ。『幸せのヤン総統コイン』……すでに予約が殺到しているよ。……関連グッズ、ホテル、飲食、交通……。経済効果は計り知れない。……GDPを1%押し上げるレベルだ」

 

パンとサーカス。古代ローマからの統治の鉄則だ。粛清(ムチ)のあとには、結婚式(アメ)を与える。この男、本当に政治的パフォーマンスの天才だ。

 

「GDPって……私の結婚式で?」

 

自分のプライベートが、国家経済のエンジンにされている。愛が金に換算されている。

 

「それに、警備の問題もありますな。パレードの護衛は、我がローゼンリッターにお任せを。……テロリストなど蟻一匹通しませんぞ。装甲車100台と、武装シャトル50機、さらに上空には巡洋艦を待機させ……完璧な布陣で、愛の誓いを守護いたします」

 

シェーンコップが、ウキウキとした足取りで入ってくる。彼は、すでに式典用の純白の礼服を着込んでいる。似合いすぎている。新郎よりも目立つ気満々だ。シェーンコップは、ウィンクをする。

 

「装甲車100台!?戦争でも始める気か!結婚式だぞ!なんで戦車が出るんだ!」

 

「愛は戦争(ラブ・イズ・ウォー)と言いますからな。……それに、閣下の晴れ姿を邪魔する不届き者がいれば、即座に主砲で蒸発させるのが親衛隊の務めです」

 

「過激すぎる!血なまぐさい結婚式にするな!」

 

多勢に無勢だ。「金(キャゼルヌ)」「政治(トリューニヒト)」「武力(シェーンコップ)」の三方向から包囲されている。

 

「まあ……!提督……いえ、あなた。皆さんが……こんなに祝ってくださるなんて……。私、夢のようですわ。装甲車に守られて、国民の皆さんに祝福されて……。私たち、世界一幸せな夫婦になれますね?」

 

彼女は、潤んだ瞳でヤンを見つめる。彼女は疑っていない。これが「異常事態」ではなく「祝福」であることを。彼女にとって、ヤンのためなら戦車も花火も同じ「彩り」なのだ。

 

「……う……。……わかった。……わかったよ。……好きにしてくれ。……パレードでも、生中継でも、記念硬貨でも……何でもやってくれ」

 

「ありがとうございます!あなた!」

 

フレデリカが抱きつく。ヤンは、白旗を揚げた敗将のように、力なく彼女の背中をポンポンと叩く。

 

「よっしゃあ!総員、第一種戦闘配備!作戦名は『オペレーション・ヴァージンロード』だ!」

 

「放送局に連絡を!CM枠を売りさばけ!」

 

「予算コード承認!国庫の鍵を開けろ!」

 

 

 

 

 

 

 

そして、運命の日は訪れた。

 

ハイネセンの空は、雲ひとつない快晴である。いや、雲があったとしても、地上から放たれる熱気とレーザー光線で蒸発していただろう。メインストリートは、数十万、いや数百万の市民で埋め尽くされている。ビルの窓という窓、屋上という屋上まで、人で溢れかえっている。

 

パパパパーン!パパパパーン!

 

 

「来たぞー!!」

 

「総統閣下だー!!」

 

「フレデリカ様ー!!」

 

 

一台の巨大なオープンカー(装甲リムジン・特注仕様)が、ゆっくりと進んでくる。その周りを、シェーンコップ率いるローゼンリッターの装甲車部隊が、威圧感たっぷりにガードしている。

 

上空では、スパルタニアンがハートマークの編隊飛行を描いている。どう見てもやりすぎだ。

 

オープンカーの上。そこには、この世の春を謳歌する新婦と、この世の終わりを見たような新郎が並んで立っている。

 

フレデリカ・グリーンヒル・ヤン。純白のウェディングドレスに身を包んだ彼女は、この世の者とは思えないほど美しい。

 

その笑顔は、太陽よりも眩しく、見ているだけで視力が回復しそうだ。彼女は、絶え間なく手を振り、市民の声援に応えている。「ありがとう!」「ありがとう!」

 

彼女にとって、今日は人生最良の日だ。

 

その隣。ヤン・ウェンリー総統。彼は、黒のタキシードを着せられている。首元には蝶ネクタイ。胸には勲章。だが、その顔は……。死んだ魚のようだ。いや、死んだ魚の方が、もう少し目に光があるかもしれない。

 

彼は、機械仕掛けの人形のように、ぎこちなく手を振っている。右、左、右、左。顔の筋肉が引きつり、笑顔というよりは「痙攣」に近い表情になっている。

 

「総統万歳!」

 

「おめでとうヤン提督!」

 

「お似合いだぞー!」

 

「俺たちの税金を使ってくれてありがとう!」

 

市民の声援は、容赦なくヤンを打ちのめす。彼らは喜んでいる。本気で祝っている。それが、ヤンには一番辛い。「祝わないでくれ」「放っておいてくれ」と言えない空気。

 

(……誰か……。誰か、私に静かな年金生活をくれ……。……紅茶と、本と、昼寝だけの生活を……。なんで私は、数十万人の前で、見世物パンダのように手を振っているんだ……)

 

「あなた……。私、幸せです。こんなに沢山の人に祝ってもらえて……。貴方と一緒になれて……。死んでもいいくらい」

 

「……そうか。……君が幸せなら、まあ……いいか」

 

ヤンは、引きつった笑顔を少しだけ修正し、フレデリカの手をぎゅっと握りしめる。フレデリカが、驚いて、そしてさらに嬉しそうに握り返す。

 

「キャーッ!!手繋いだー!!」

 

「見せつけやがって!!」

 

 

自由惑星同盟は、この日を境に「ヤン総統の愛の巣」と化した。人々は、独裁の恐怖よりも、この夫婦の微笑ましいニュースを消費することに喜びを見出し、政治への関心を「推し活」へと昇華させていく。

 

「パンとサーカス」ならぬ、「紅茶と結婚式」それが、ヤン王朝の統治スタイルの始まりであった。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
「もし、歴史がもう一歩だけ踏み外したら?」という問いから始まり、
気がつけば、政治劇、粛清劇、祝祭劇がほぼ同時に走り出す結果となりました。

ヤン・ウェンリーという人物は、
歴史の表で清廉を演じながら、裏では必ず誰かが汚れ仕事を担うという、
非常に皮肉な構造を持つ稀有な人物となりました。

感想をお待ちしています。

宇宙を統一するのは誰だと思いますか?

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