銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
ひとつは、理想を掲げる英雄が放つ希望の光。
もうひとつは、追い詰められた人間が振りかざす、
切実で悲しい暴力の閃光です。
銀河の裏側で蠢くフェザーンと、
黒狐ルビンスキーの恐怖。
そして、歴史が動く瞬間の静かな緊張を、
少しでもお楽しみいただければ幸いです。
フェザーン自治領 自治領主府
宇宙暦797年9月。銀河の経済を一手に握る商業国家、フェザーン自治領。その心臓部である自治領主府の最上階にアドリアン・ルビンスキーは、高級な革張りの椅子に深々と体を沈め、指先で自身のトレードマークである禿頭をゆっくりと撫で回している。
目の前にある巨大な壁面スクリーン。そこに映し出されているのは、自由惑星同盟の首都ハイネセンにある総統府の執務室の映像だ。背後には同盟国旗。そして、その中央に座る一人の男。ベレー帽を被り、気だるげな、しかし底知れない瞳をした青年。ヤン・ウェンリー総統である。
「……お初にお目にかかります。……ヤン・ウェンリー総統閣下。フェザーン自治領主、アドリアン・ルビンスキーです。……以後、お見知り置きを」
ルビンスキーは、商売用の仮面を完璧に装着し、慇懃無礼に頭を下げる。
画面の中のヤンは、少し困ったように眉を下げ、軽く会釈をする。
「ヤン・ウェンリーです。……フェザーンの『黒狐』殿とお話しできて光栄ですよ。……噂はかねがね。『禿げ頭を撫でる時は、ろくでもないことを考えている時だ』と、うちの情報部の人間が言っていましたね」
初対面で相手の身体的特徴と陰謀癖を同時にいじるとは、なかなかの度胸だ。いや、単に空気を読んでいないだけかもしれない。ルビンスキーは、撫でていた手をピタリと止める。
「……ははは。……ユーモアがお好きなようですな。……さて。ヤン閣下。……総統就任、おめでとうございます。……で、合ってますかな?『民主主義の英雄』殿が、独裁者の椅子に座るとは。……歴史の皮肉というやつですかな」
「心ならずも……といったところですがね。……私としては、年金生活に入りたかったのですが、どうやら運命と部下たちがそれを許してくれないらしい。さて、本題に入りましょう。……長話は苦手です。通信費もかかりますしね」
「結構。……ビジネスの話は早い方がいい」
借金の延滞交渉か。同盟は今、首が回らない状態だ。ヤンが出てきたということは、「利息をまけてくれ」か「期限を延ばしてくれ」と泣きついてくるに決まっている。ここで恩を売れば、ヤン政権をコントロール下に置ける。
「今回は……補佐官のケッセルリンク氏にはすでに申し上げたことの繰り返しになりますが……。我々に……貴国への債務を支払う義務はありません」
「……は?」
思考が一瞬停止する。支払う義務がない?延期ではなく?
「……あの、総統閣下?回線の調子が悪いのですかな?『今すぐは支払えない』と仰ったのですかな?」
「いいえ。『支払う義務がない』と言いました。……つまり、チャラです。ゼロです。無効です」
はっきりと否定する。黒い瞳が、スクリーン越しにルビンスキーを射抜く。
商人の常識を超えている。これは交渉ではない。宣言だ。
「……あの詭弁、まさかと思いましたが……本気ですかな?『同盟は国家ではないから、借金も無効だ』などと……。子供の屁理屈にも程がある。……そんなものが、国際社会で通用すると思っているのですか?」
「ええ。……本気ですよ。あなた方は……所詮、銀河帝国の属領に過ぎない。……そうでしょう?」
「形式上はそうです。……しかし。フェザーンは独立した国家として、帝国・同盟双方から半ば認められているはず。……事実上の独立国として、通商条約も結んでいる」
「であれば、良かった。ですが……我々は帝国の公式見解によれば、『辺境の反乱勢力』らしいですからね。……逃げ出した犯罪者の末裔です。反乱軍が……帝国の自治領に対して、法的な債務を負う道理がない。……帝国の法律では、反乱軍との商取引自体が違法です。……違法な契約は無効。……これが法治国家の原則でしょう?」
残念そうに首を振る。帝国のプロパガンダを逆手に取る逆張りだ。
「……詭弁だ!!自分たちに都合の良い時だけ『国家』を名乗り、金を返す段になったら『反乱軍』を自称する……。そんな二枚舌が許されると思うか!恥を知れ!」
「恥ですか。……まあ、背に腹は代えられないと言いましてね。それに、私は総統に就任した際、『同盟を繁栄させる義務』を負わされましてね。……そのためなら、恥も外聞も捨てる覚悟です」
「……後悔することになりますぞ、総統閣下。フェザーンを敵に回すという意味を理解していないようだ。……物流を止めれば、困るのはそちらだ。同盟のエネルギー、レアメタル、食料……その少なくない部分をフェザーン経由の輸入に頼っていることをお忘れか?……我々が蛇口を締めれば、同盟は6ヶ月で干上がる。……貴方のその『総統』の椅子も、市民の暴動で燃え上がることになりますぞ」
それは、明確な脅迫だ。経済封鎖。それがフェザーンの最強の武器だ。金のない同盟になど、勝ち目はない。これでヤンは折れるはずだ、と。だが。画面の中のヤンは、少しも動揺していない。
「……そうなる前に手を打つのが、私の仕事らしいですよ?『同盟を繁栄させる義務』がありますから。……邪魔をする者は、排除しなければならない」
「……どういう意味ですかな?」
◆
「ルビンスキー閣下。……一つ、クイズを出しましょう。私が今……どこにいるか、わかりますか?」
「は???ハイネセンの総統府では??……後ろに同盟国旗が見えますが」
何を言い出すんだ、この若造は。画面には、確かに見慣れた総統府の内装が映っている。窓の外には、ハイネセンの街並みらしきものも見える。
「いいえ。これは……バーチャル背景というやつです。……最近の技術は凄いですね。本物そっくりだ」
「バーチャル……?」
「キャゼルヌ先輩が用意してくれましてね。……『威厳が出るからこれを使え』と。……ですが、そろそろネタばらしをしましょう」
ヤンは、手元のコンソールを操作する。パチン。指を鳴らすような軽い音がした瞬間。
ヤンの背景の映像が、フッと消滅した。デジタルノイズと共に、幻影が晴れる。
そして。代わりに現れたのは、無骨な金属の壁。無数に並ぶ計器類。忙しなく動き回るオペレーターたち。そして何より。ヤンの背後にある、巨大な展望窓。そこに映し出されているのは、ハイネセンの青い空ではない。漆黒の宇宙空間と。そこに浮かぶ、惑星の姿だった。
「!!」
ルビンスキーは、弾かれたように椅子から立ち上がる。彼の目は、驚愕で見開かれ、禿頭から冷や汗が一気に噴き出す。見覚えがある。いや、見間違うはずがない。彼が毎日、このオフィスの窓から見下ろしている大地。フェザーンだ。惑星フェザーンが、画面の向こう、ヤンの背後に浮かんでいる。
「まさか……!!いつの間に!?馬鹿な!!」
フェザーン回廊には、監視網がある。同盟軍の大艦隊が近づけば、探知されるはずだ。それなのに、警報一つ鳴らなかった。
「私は今……戦艦ヒューベリオンの艦橋にいます。フェザーンの衛星軌道上ですよ。……高度3000キロメートル。……自由落下爆弾でも届く距離です」
背景が変わっても、彼の態度は変わらない。紅茶のカップを持っているのも変わらない。
「き、貴様ッ!!」
「ここは……そうですね。とても景色がいいです。……あなたの執務室の窓も見えそうだ。ルビンスキー閣下。……あなたの頭、上から見るとよく光りますね。……いい標的になりそうだ」
「ふざけるなッ!!ど、どうやって……。監視衛星はどうした!哨戒艦隊は!」
経済封鎖?そんなものは、数週間かかる。だが、ヤンの艦隊砲撃は、数秒でフェザーンを焦土に変えることができる。
「ああ、それなら……。通信妨害と、デコイを使わせてもらいました。……それに、あなた方が『同盟のデフォルト騒ぎ』に気を取られて、経済ニュースばかり見ていた隙に、こっそりと近づかせてもらいました」
「こっそりだと!?艦隊規模でか!?」
「ええ。……『オペレーション・メテオ』ですからね。……流星のように、音もなく、突然降ってくるのが流儀です。軍事演習としては……民間人に被害がないようにしないといけませんが……」
ヤンは、隣にいる副官のフレデリカに目配せをする。フレデリカは、凛とした表情で頷く。
「軍事演習……?侵略だろうが!!」
「いいえ。……これは『債権者会議』ですよ。……物理的な。オペレーション・メテオ、発動。第13艦隊、および第7、第9、第11、第12艦隊をもって……フェザーン回廊を封鎖せよ!!」
ヤンは、通信機に向かう。彼の声が、静かに、しかし確実に宇宙に響く。その瞬間。ヤンの背後の宇宙空間に、無数の光が現れる。光学迷彩を解除した、同盟軍の主力艦隊だ。一、二、いや、7万隻を超える大艦隊が、フェザーンの空を埋め尽くす。それは、まさに流星群の如く。
「一隻たりとも逃すな!……フェザーンに出入りする全ての商船を臨検し、資産を凍結せよ!全砲門、フェザーン地表へ照準固定!……ただし、撃つなよ。脅すだけだ。……間違って引き金を引いたら、アッテンボロー、君の給料から引くからな」
『了解しました、総統閣下!……手が滑らないように気をつけます!』
通信機から、アッテンボローの楽しげな声が聞こえてくる。彼らは本気だ。国家ぐるみの強盗団が、フェザーンの玄関前に押しかけてきたのだ。ルビンスキーは、へなへなと椅子に座り込む。終わった。経済力も、情報力も、圧倒的な武力の前には無力だった。「金」という名の盾は、「暴力」という名のハンマーで粉砕されたのだ。
「……あ、悪魔め……。民主主義の英雄が……こんな、山賊のような真似を……」
「お褒めいただき、光栄です。商人の悲鳴は、同盟の財政再建のファンファーレです。……さあ、ルビンスキー閣下。……金庫の鍵を開けていただけますか?それとも、私がこじ開けましょうか?主砲で」
◆
フェザーンの市民たち、特に商人たちは、空を見上げて呆然としている。
「おい、あれはなんだ?」
「同盟軍だぞ!あんな数、見たことない!」
「株価が!株価が暴落するぞ!」
「いや、その前に保険屋に電話だ!『宇宙人による侵略』は補償対象か!?」
そんな地上の混乱を他所に、宇宙空間では淡々と、そして冷徹に「包囲網」が完成しつつある。
「こちら第7艦隊、ホーウッドです。回廊の帝国側出口、封鎖完了しました。……機雷原の敷設も終了。蟻一匹、いや、電子メール一通たりとも通しません」
通信モニターに、実直そうな提督の顔が映る。彼は、道路工事の交通整理をするような手際で、艦隊を展開させている。
「こちら第9艦隊、アルサレムだ。同盟側出口も封鎖完了!……これでフェザーンは完全に孤立した。袋の鼠だ」
別のモニターに、髭面の提督が現れる。ヤン・ウェンリー総統の描いた絵図通り、フェザーンという「財布」は、同盟軍という「強固なポケット」の中に完全に収納された。
旗艦ヒューベリオンの艦橋。ヤンは、満足げに頷く。手元の紅茶は、少しぬるくなっているが、勝利の美酒のように甘く感じる。
「よし。……外堀は埋まった。フェザーン本星に突入するのは……親衛隊だ」
ヤンは、マイクのスイッチを入れる。ここからは、繊細かつ大胆な、外科手術のような作業だ。
ターゲットは、フェザーン全土ではない。特定の「お宝」だ。ヤンは指名する。本来なら、正規軍が降下して治安維持を行うべきだが、今回のミッションは「制圧」というよりは「強奪」に近い。ならば、行儀の良い正規兵よりも、荒事に慣れた不良集団の方が適任だ。
「目標は……自治領首府、帝国の弁務官事務所、航路センター、放送センター。……要所を電撃的に抑えろ。特に……『資産』と『航路データ』だ。フェザーン中央銀行の金塊、レアメタル備蓄庫、そして帝国領への詳細な裏ルートのデータ。……これらを最優先で確保しろ。……これがあれば、借金はチャラどころか、向こう10年分のお釣りがくる」
「抵抗する者は?」
「適当にあしらえ。……ただし、民間人の死傷者は出すなよ。……支持率に関わるからな」
通信機から、シェーンコップ親衛隊長の楽しげな声が返ってくる。
「了解しました、総統閣下!……いやあ、痺れますな!ハイル・フューラー!……任せていただきましょう!宇宙最大の銀行強盗とは、血が騒ぎますな!突入10秒前!……野郎ども、稼ぎ時だ!フェザーンの金庫を空にしてやれ!」
強襲揚陸艇の中。シェーンコップは、特注の黒いコンバットスーツに身を包み、斧を親指で弾いている。ローゼンリッターの面々もまた、「ヒャッハー!」と言わんばかりのテンションで武器を構えている。彼らは知っている。今回の作戦が成功すれば、ボーナスが弾むことを。そして何より、ヤン・ウェンリーという「面白い男」の伝説に、また一つとんでもないページが加わることを。
「オオオオオッ!!」
ローゼンリッターの強襲揚陸艇が、雨あられとフェザーンの大気圏へ突入する。地上の警備隊が、慌てて対空砲を向けるが、遅すぎる。そして、甘すぎる。彼らは所詮、商人の用心棒だ。歴戦の猛者であるローゼンリッターにとって、彼らは案山子同然だ。
「動くな!ヤン総統の命令により、この施設を接収する!」
「金庫の鍵を出せ!パスワードもだ!」
「逆らう奴は、給料を帝国マルクで払うぞ!」
フェザーンの重要施設は、次々と制圧されていく。抵抗しようとする警備兵など、彼らの敵ではない。斧の一振り、蹴りの一撃で無力化され、縛り上げられていく。圧倒的な暴力。しかし、そこには奇妙な「明るさ」がある。彼らは楽しんでいるのだ。国家権力を背負った強盗ごっこを。
◆
地上では、祭りのような略奪劇が繰り広げられている一方、地下の世界では、もっと深刻で、もっと惨めな逃亡劇が進行していた。
フェザーン自治領主府の地下深く。一般には存在すら知られていない、緊急避難用のシークレット・トンネル。湿った空気と、ネズミの足音しかしないこの暗闇を、二人の男が息を切らせて走っている。一人は、禿頭の巨漢、アドリアン・ルビンスキー。もう一人は、その補佐官であり隠し子でもある、ルパート・ケッセルリンクだ。彼らのスーツは泥に汚れ、額からは脂汗が滝のように流れている。数時間前まで、銀河経済を牛耳っていた支配者たちの見る影もない。
ドスーン!ズズズーン!
頭上から、重い振動が伝わってくる。ローゼンリッターが、上の階で暴れ回っている音だ。もしかしたら、シェーンコップが金庫の扉を斧で叩き割っている音かもしれない。
「なんてことだ……!はぁ、はぁ……!宣戦布告もなしに!最後通牒もなしに!いきなり強襲揚陸だと!?……国際法違反だ!ヤン・ウェンリーは民主主義者ではなかったのか!法の支配を信じているんじゃなかったのか!」
ケッセルリンクが、膝に手をついて喘ぐ。彼の常識が崩壊している。ヤン・ウェンリーといえば、「ルールを守る堅物」というイメージだった。だからこそ、フェザーンは「借金交渉」というルールの範囲内で彼を追い詰めようとしたのだ。だが、ヤンはそのルールブックを破り捨て、さらに相手の顔面に叩きつけてきた。
「奴は……民主主義者ではない……!奴は……強盗だ!!ただの強欲な強盗だ!……借金を返すくらいなら、貸主を襲って強奪する道を選びおった!我々は……甘く見ていたのだ。……窮鼠猫を噛むというが、奴は猫を噛み殺して、その皮を剥いでコートにするタイプのネズミだったのだ!」
ルビンスキーが、壁に手をついて答える。商人の論理が通じない相手。損得勘定ではなく、「生存本能」と「開き直り」で動く相手。それが、これほど恐ろしいとは。
「……どうしますか、閣下。資産も、データも、すべて接収されます!……銀行のサーバーはダウンし、隠し口座も凍結されました。……我々は無一文です!ただの『元・金持ち』です!」
ケッセルリンクが、絶望的な声で尋ねる。フェザーンの力は金だ。金がなければ、彼らはただの小賢しい詐欺師集団に過ぎない。ヤンは、彼らの生命線である「富」を、物理的に奪い尽くしたのだ。
「命があるだけマシだ!逃げるぞ!……帝国だ!ラインハルト・フォン・ローエングラム、あるいはアルブレヒト・フォン・ファルケンハインの元へ逃げ込む!」
ルビンスキーは、叱咤する。彼は、まだ死んでいない。黒狐のしぶとさは、ここからだ。
「帝国へ!?しかし、手土産もなしに……」
「手土産ならある。……『ヤン・ウェンリーの脅威』という情報だ。……奴がフェザーンを抑えた以上、次は帝国だ。……帝国の貴族どもに、その恐怖を売りつけてやる!覚えておれ、ヤン・ウェンリー!!……この借りは、高くつくぞ!!利子をつけて返させてやるからな!!」
この敗北さえも、次の商売のネタにするつもりだ。二人は、暗い地下道の奥へと消えていく。その背中は、かつての威厳を失い、ただの夜逃げする小悪党のように小さく見えた。
◆
ヒューベリオン 艦橋
フェザーン制圧作戦、完了。モニターには、同盟軍の管理下に置かれたフェザーンの宇宙港や、制圧された重要施設の映像が次々と映し出されている。略奪……いや、資産接収は順調だ。金塊、レアメタル、そしてルビンスキーの隠し財産。それらが続々と輸送船に積み込まれ、同盟の懐へと還流されていく。
指揮席に座るヤン・ウェンリーは、その光景を眺めながら、深く安堵の息をつく。手元の紅茶はすっかり冷え切っているが、今の彼にはどんな高級ワインよりも美味く感じられる。
「……ふぅ。なんとか民間人の被害は最小限で済んだか。強盗にも礼儀は必要だからな。……民家に押し入っても、靴は揃えて脱ぐ。それが私の流儀だ」
ヤンは呟く。彼の命令通り、ローゼンリッターは施設と資産だけを狙い、一般市民への乱暴狼藉は働いていない。むしろ、「ヤン総統からの給付金です!」と言って、押収したルビンスキーの高級ワインを市民に配るくらいの余裕を見せているらしい。
「呆れ果てて言葉も出ないな。礼儀正しい強盗なんて聞いたことがないぞ、ヤン。……強盗は強盗だ。靴を脱ごうが脱ぐまいが、家主にとっては迷惑千万だ。で、俺を呼んだのは何だ?……久しぶりの再会を祝して、略奪品のワインでも奢ってくれるのか?俺は一介の商人で、今は捕虜みたいなもんだが」
背後から、呆れ声が聞こえてくる。
ボリス・コーネフ。フェザーンの独立商人であり、ヤンの幼馴染でもある男だ。
彼は、たまたまフェザーンに停泊中だった自身の商船《ベリョースカ号》から、親衛隊によって「丁重に」連行されてきたのだ。ボリスは、ヤンの前の席にドカッと座る。捕虜の扱いではない。友人の距離感だ。彼は、事態を冷静に受け止めている。ヤンが自分を呼んだ以上、命を取られることはないだろう。だが、もっと面倒なことに巻き込まれる予感はしている。
「ワインならいくらでも奢るよ。……ルビンスキーのコレクションからね。だが、その前に頼みがある。……このままでは、フェザーンの管理運営ができないんだ」
「管理?」
「ああ。……軍事的な制圧は終わったが、経済を回すのは別問題だ。……軍人が商売に口を出すと、ろくなことにならない。価格統制だの配給制だのと言い出して、市場を殺してしまう。……であれば、頼むよ?ボリス」
ヤンは、自分の部下たち(特にキャゼルヌあたり)の思考回路をよく理解している。彼らに任せると、フェザーンは「巨大な兵站基地」になってしまい、商売の活気は失われるだろう。それでは、金の卵を産むガチョウを殺すようなものだ。
「『フェザーン臨時商務総監』……それが君の新しい肩書きだ」
「……ヤン、お前な……。俺は独立商人だぞ?自由に宇宙を飛び回って、安く買って高く売るのが仕事だ。……お役所仕事なんて真っ平御免だ」
商務総監。つまり、フェザーンの経済トップだ。一介の船乗りがいきなり大臣クラスの大出世である。普通なら喜ぶところだが、相手は「強盗団のボス(ヤン)」だ。ブラック企業の管理職に任命されたようなものだ。
「だからだよ。役人には任せられない。……君のような、現場を知り尽くした商人にやってほしいんだ。……フェザーンの商人たちを取りまとめてくれ。彼らを安心させ、商売を続けさせてくれ。フェザーンの経済を回して……その利益を、スムーズに同盟に還元するシステムを作ってくれ。……中抜きされないように、しっかりと監視してくれ」
「要するに、カツアゲの集金係をやれということか?」
「人聞きが悪いな。……『納税の管理』と言ってくれ」
「同じことだ!……断る!俺は忙しいんだ!」
こんな面倒な仕事を引き受けたら、一生こき使われる。
「頼むよ、ボリス。……友達甲斐を見せてくれよ。……他に適任者がいないんだ」
「友達甲斐で国家運営を押し付けるな!規模が大きすぎる!これじゃ強制労働収容所じゃないか!」
「報酬は弾むよ。……フェザーンの資産からね」
「……!」
ボリスの眉がピクリと動く。商人の悲しい性だ。「報酬」という言葉に反応してしまう。
「いくらだ?」
「君が一生遊んで暮らせる額の……10倍はどうかな?……もちろん、経費は使い放題だ。……新しい船も、倉庫も、好きなだけ使っていい」
「……人の金で!!」
ヤンは自分の懐を痛めず、奪った金で友人を買収しようとしている。錬金術師か。
「それに……。君が引き受けないなら……キャゼルヌ先輩が『全商人の資産を没収して国営化する』と言い出しているんだが……止める自信がなくてね」
「……脅迫か」
「相談だよ」
ここで断れば、フェザーンの同業者たちが路頭に迷うことになる。それに、提示された条件は、商人としては魅力的すぎる。リスクはあるが、リターンはでかい。
「……はぁ。わかったよ。……引き受ける」
ボリスは、深いため息をつく。負けた。この男の「困ったような顔で無理を通す」スキルには、昔から勝てた試しがない。
「本当か!ありがとう!」
「ただし!期限付きだぞ!同盟の財政が立ち直るまでだ!それと、俺の商売には一切口出しするなよ!」
「もちろんさ。……頼んだよ、ボリス商務総監。……これは総統命令だ」
ヤンは、嬉しそうに敬礼する。ボリスは、やれやれと首を振る。
「……随分と強権的な商工会議だな、おい!!」
ヤン・ウェンリーは、軍事だけでなく経済の面でも、最強の(そして不本意な)パートナーを手に入れたのである。
国家存亡の危機であった経済的破綻は、ヤン・ウェンリーの「総統就任」と「フェザーン強奪」という、常識外れのウルトラCによって、鮮やかに、そして乱暴に解決を見た。
同盟は、イゼルローン回廊とフェザーン回廊という、銀河の二大交通要衝を完全に掌握した。さらに、フェザーンの富を吸収することで、国力は倍増し、戦略的にも政略的にも、帝国に対して圧倒的優位に立つことになったのである。
もはや、同盟は「辺境の反乱軍」ではない。銀河の半分を支配する、巨大な軍事国家へと変貌を遂げたのだ。その頂点に立つのは、世界で一番やる気のない独裁者、ヤン・ウェンリー。
同盟『内乱』編 完
フェザーンという巨大な商業国家は、
その富によって銀河を動かしていました。
しかし同時に、その富こそが脆弱な政治と軍事の土台でもありました。
今回、ヤン・ウェンリーはその構造に真正面から挑み、
ある意味では最も乱暴で、しかし最も合理的な解決を選びました。
彼の選択は正義か、暴挙か。
それは後世の歴史家が判断するのでしょう。
ヤンとの対話におけるルビンスキーの恐怖、
そしてボリスが抱えた諦めと友情の温度差。
こうした人間の心の揺れが、
巨大な歴史の渦の中心でどのように響くのか。
感想をお待ちしています。
宇宙を統一するのは誰だと思いますか?
-
アルブレヒト
-
ラインハルト
-
ヤン・ウェンリー
-
マルガレータ
-
ロイエンタール
-
ルビンスキー