銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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銀河を震わせる艦隊戦よりも、
時に恐ろしい戦いがあります。

それは――
「恋と誤解と、未亡人の嫉妬」

本章では、帝国の軍事再建を巡る緊迫した会議と、
その裏側でひっそりと発生していた、
キルヒアイス邸・深夜の小規模銀河大戦を描きます。

英雄たちが覇権を夢見るとき、
恋の戦場もまた、彼らの足元で燃え続けるのかもしれません。

どうか肩の力を抜きつつ、
彼らの激しくも繊細な戦いを、お楽しみいただければ幸いです。


銀河帝国内戦編
冷戦下の軍備と、キルヒアイス争奪戦


帝都オーディン ローエングラム元帥府(仮)

 

 

 

最奥にある大会議室。仮設状態は緩和されず簡素な机とパイプ椅子が並んでいる。

中央には、ラインハルトを中心として、彼を支える主要提督たちが集まっている。空気は張り詰めているが、悲壮感はない。彼らの瞳には、未来への希望と、現状に対する健全な緊張感が宿っている。

 

「……報告を聞こう。艦隊再建の進捗は?」

 

その蒼氷色の瞳は、かつての焦燥感を捨て去り、より深く、より冷静な光を湛えている。彼は問う。

 

「はっ。損害を受けた艦艇の修理、および新造艦の配備……すべて完了しました。工廠の稼働率は200%。……現場の職人たちが、徹夜で頑張ってくれたおかげです」

 

最初に答えたのは、ワーレンだ。淡々と報告する。

 

「うむ。……彼らには特別手当を支給しておけ」

 

「はい!訓練も順調じゃ!アムリッツァ前と遜色ないどころか……妾の『桃色竜騎兵』は、前よりも強くなっていることを約束しよう!愛の力でな!新兵たちの士気も高いのじゃ。……毎朝、『ラインハルト様万歳!』と叫びながらランニングをさせておる。……愛の叫びは、筋肉を裏切らない!」

 

次に声を上げたのは、マルガレータだ。その胸元には、ハートマークの刺繍が施されている。軍規違反ギリギリだが、誰も注意できない。ラインハルト軍の最強戦力の一角だからだ。

 

「……色はともかく、戦力数値は回復しました。物理的には戦えます。……シミュレーション上、我が軍の戦力指数は、対リップシュタット連合軍比で45%まで回復しました」

 

オーベルシュタインが、冷ややかに口を挟む。彼は、マルガレータの「愛の力」という非科学的な要素を、完全に無視している。

 

「政治的には……依然としてファルケンハイン元帥との冷戦状態が続いていますが……。軍事的に下手に出なくても済むようになったのは大きいですわね。……対等な交渉のテーブルには着けます。『何かあれば噛みつくぞ』という姿勢を見せるだけで、相手の出方を牽制できますから」

 

ヒルダが、補足する。彼女は、ラインハルトの政治的な折衝を一手に引き受けている。その聡明な瞳は、現在の微妙なパワーバランスを見抜いている。

 

「しかし……それも、ファルケンハイン閣下の経済的な支援のおかげが大きいです。関税撤廃と、物流維持。……兄上は、我々を兵糧攻めにするのではなく、あえて生かそうとしておいでだ。……物資の流れを止めず、我々の再建を間接的に助けている」

 

キルヒアイスが、静かに発言する。彼は、ラインハルトの半身であり、最も信頼できる友だ。キルヒアイスの指摘は鋭い。敵対しているはずのアルブレヒトが、なぜかラインハルト軍に塩を送っている。これは、単なる慈悲か、それとも高度な政治的計算か。

 

「……ああ。兄上の掌の上で踊らされている感は否めない。……彼は、私が強くなるのを待っているのかもしれん。『かかってこい、小僧』とな」

 

兄のような存在であるアルブレヒト。彼とは戦いたくないのが本音だ。

 

だが、覇道を歩む以上、避けては通れない壁でもある。ラインハルトは、拳を握りしめる。悔しさ半分、嬉しさ半分だ。対等な敵として認められていることが誇らしくもあり、同時に子供扱いされていることが腹立たしくもある。

 

「依然として数は向こうが上、更には質でも我々に劣るものではありません。オスカー・フォン・ロイエンタール、ウォルフガング・ミッターマイヤー……『双璧』と呼ばれる二人の名将。……そして、アナスタシア・フォン・ファルケンハイン元帥。……彼らの能力は、我が軍の提督たちと同等か、それ以上です。勝率は……4割といったところでしょう」

 

オーベルシュタインが、冷徹な現実を突きつける。オーベルシュタインの分析はシビアだ。数で負け、質で互角なら、勝率は5割を切る。常識的な判断だ。

 

「分かっている。まだ睨み合いだな。……正面からぶつかれば、共倒れになるか、あるいは我々が押し切られる。……今は動くべきではない。だが、隙さえあれば……!兄上が油断した瞬間、あるいは帝国貴族どもが内輪揉めを始めた瞬間……。その時こそ、我々の出番だ。……乾坤一擲の一撃で、宇宙を手に入れる!」

 

ラインハルトは頷く。かつての彼なら、「全軍突撃!」と叫んでいたかもしれない。だが、今の彼は違う。「待つ」ことの重要性を学んだのだ。

ラインハルトの目に、野心の炎が灯る。その気迫に、提督たちも背筋を伸ばす。

 

「御意!我らも、その時のために爪を研いでおきます!」

 

会議室の空気が熱くなる。彼らは、準備ができている。いつでも、銀河の覇権を賭けた大博打に打って出る覚悟だ。

 

 

 

 

 

 

その時である。重厚な会議室の扉が、控えめに叩かれた。

 

コン、コン。

 

「……入れ」

 

ラインハルトが許可を出すと、扉が静かに開かれた。そこに立っていたのは、一人の女性だ。その姿を見た瞬間、会議室の空気が一変した。春の木漏れ日のような温かさと、夜の蝶のような妖艶さが、同時に流れ込んできたのだ。

 

「失礼します、ラインハルト」

 

「姉上!どうされたのですか、わざわざここまで。……何か必要なものでも?」

 

ラインハルトの表情が、パッと明るくなる。

 

総司令官の顔から、ただの甘えん坊の弟の顔へと、0.1秒で変身する。

 

入ってきたのは、アンネローゼ・フォン・グリューネワルト伯爵夫人だ。

 

だが、今日の彼女は、いつもの雰囲気ではない。身にまとうドレスは、色はシックな黒だが、そのデザインは大胆だ。背中が大きく開き、歩くたびにスリットから白い足が覗く。喪服のようでありながら、見る者を惑わせるような、成熟した女性の色気が漂っている。「未亡人」という属性が、彼女の中で何かを覚醒させたようだ。

 

「貴方が心配で……。あまり……恩に背くようなことはしてはいけませんよ?アルブレヒト様には、私たち姉弟はずいぶんと良くしていただいたのですから」

 

「申し訳ありません……姉上。しかし……俺は兄上には……勝ちたいんです!弟として、男として!いつまでも守られているだけでは……!」

 

「まあ、ラインハルトったら……」

 

「アンネローゼ様。……して、本日はどのようなご用件で?ラインハルトへの諫言だけではないようですが」

 

彼は、アンネローゼの姿を見て、少し頬を赤らめている。初恋の人だ。いつ見ても美しいが、今日の彼女は、直視できないほどに眩しい。

 

「あら?ジークに会いに来た……では、いけませんか?」

 

「え……?」

 

アンネローゼは、ゆっくりとキルヒアイスの方へ向き直る。そして、誰もが予想しなかった行動に出た。彼女は、キルヒアイスの目の前、吐息がかかるほどの至近距離まで顔を近づけたのだ。そして、その白魚のような指先で、キルヒアイスの赤い前髪をクルクルと弄り始めた。

 

「ジークの髪は……いつ見ても綺麗ね……。ルビーのように燃えていて……」

 

「あ、あの……アンネローゼ様……?」

 

「ち、近いのじゃ!!アンネローゼ様!そこは妾の指定席じゃ!ジークの半径50センチ以内は、妾の不可侵条約領域なのじゃぞ!」

 

マルガレータは、猫が敵を見つけた時のように、全身の毛を逆立てて、二人の間に割って入ろうとする。シャーッ!という威嚇音が聞こえてきそうだ。

 

右腕にピンクの野獣。正面に黒い聖女。キルヒアイスは、両手に花どころか、両手に核弾頭を抱えた状態だ。アンネローゼは、マルガレータの剣幕を完全に無視する。視線すら向けない。彼女の瞳には、キルヒアイスしか映っていないようだ。

 

「……ジーク。最近、少し痩せたのではないかしら?私の館にいらっしゃい。……美味しいケーキを焼いてあげるわ。……泊まっていっても、良くてよ?」

 

胸に手を置く。心臓の上だ。

 

「と、泊まる!?何を言っておるか、この……この泥棒猫!いや、泥棒聖女!ジークは渡さんぞ!ジーク!浮気は許さんぞ!鼻の下が伸びておる!」

 

「え?い、いや、私は……。私は昔からアンネローゼ様が……その、憧れで……」

 

「ふふ。ジークは……私にだけ優しければいいのです。……ね?」

 

アンネローゼは、妖艶に笑う。上目遣いでキルヒアイスを見上げる。その破壊力は、トールハンマーの直撃に匹敵する。

 

「ぐむむ……!未亡人になってから、キャラが変わっておらぬか!?昔はもっとこう、清楚で控えめだったはずじゃ!」

 

「人は変わるものですよ、マルガレータさん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キルヒアイス邸 深夜(1日目)

 

帝都オーディン。ファルケンハイン元帥府からほど近い高級住宅街に、一際静寂に包まれた屋敷がある。ジークフリード・キルヒアイス上級大将の私邸である。彼は、アルブレヒトから「もっと良い家に住め」と言われて、この広すぎる屋敷に引っ越してきてしばらくたつ。警備は厳重……なはずだが、今夜、そのセキュリティシステムは、ある二人の「侵入者」によって無効化されていた。愛という名のハッキング、あるいは物理的な脅迫によって。

 

深夜2時。屋敷の廊下は、吸い込まれるような静寂に支配されている。その闇の中を、一つのピンク色の影が動いていた。マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー上級大将である。彼女は今、帝国軍の軍服ではなく、布面積が著しく制限された、ショッキングピンクのネグリジェを纏っていた。レースとフリルが過剰にあしらわれたその衣装は、「勝負服」と呼ぶにはあまりにも攻撃的に見える。

 

「ふふふふ……。この服なら……あの朴念仁のジークといえども、悩殺間違いなしじゃ。……あやつの部屋に潜り込み、既成事実を作ってしまえば、こっちのもの。……アンネローゼ様も、弟の腹心が手を出したとなれば、諦めるしかあるまい……。待っておれ、ジーク。……今夜こそ、お前を妾の色で染め上げてやるからの……」

 

彼女の作戦は単純明快だ。夜這いである。古来より、恋の戦場で使われてきた最終奥義だ。彼女は、キルヒアイスの寝室の位置を事前に完璧に把握していた。そこを曲がれば、愛しのキルヒアイスの寝室だ。彼女の胸は高鳴り、鼻息は荒くなる。

 

だが。角を曲がった瞬間、彼女は「それ」と鉢合わせた。

 

「むっ!」

 

「あっ!」

 

そこにいたのは、もう一つの影だった。闇夜に溶け込むような、漆黒のナイトガウンを纏った女性。そのガウンは、高級なシルク製でありながら、大胆なシースルー素材が使われており、月光を浴びて艶めかしく光っている。

 

まるで、夜の女神ニュクスが地上に降り立ったかのような、圧倒的な存在感。アンネローゼ・フォン・グリューネワルト伯爵夫人。今、マルガレータにとって最大の恋敵である。廊下の真ん中で、ピンクと黒が対峙する。

時間は深夜。場所は独身男性の寝室前。状況は、完全にアウトだ。

 

「……マルガレータさん。またお会いしましたね。……こんなところで」

 

アンネローゼが、ふわりと微笑む。その笑顔は、聖母のように慈愛に満ちているが、目は全く笑っていない。絶対零度の冷気が漂っている。

 

「これはこれは……アンネローゼ様。このような深夜に……どのようなご用件ですか?ここは独身男性の家ですが?」

 

マルガレータの頬が引きつる。彼女は、とっさに自分のネグリジェの裾を直そうとするが、無駄だ。隠すべき場所が多すぎる。

 

「貴女こそ。そんな……破廉恥な服で。……風邪を引きますよ?それとも、熱でもあるのかしら?」

 

「貴女に言われたくないですわ!その透け透けのガウンはなんじゃ!中身が見えそうではないか!」

 

「これは……通気性が良いだけです」

 

「嘘をつけ!……で、何をしに来たのじゃ!」

 

「ジークに……緊急の軍事の相談がありまして」

 

「嘘じゃ!貴女は民間人じゃろうが!軍事機密に触れる権限などないわ!」

 

「あら、弟の相談役ですから。……弟のことで、ジークにどうしても今すぐ、ベッドサイドで聞きたいことがあって……」

 

「ベッドサイド限定の相談などあるか!」

 

アンネローゼの言い訳は苦しい。だが、彼女の堂々とした態度は、その苦しさをねじ伏せている。

 

「貴女こそ、その格好は?」

 

「わ、妾は……そう、ジークの健康管理じゃ!夜間の心拍数を測りに来たのじゃ!」

 

「その格好で?」

 

「患者をリラックスさせるための……アロマテラピー的な視覚効果じゃ!」

 

「ふふ。……お互い、苦しい言い訳ですこと。……今夜は、月が綺麗ですわね」

 

二人の距離は、鼻先が触れ合うほどに近い。無言の圧力がぶつかり合う。スパークする火花が見えるようだ。

 

(……この女、やる気じゃ)

 

(……この小娘、退く気はないようね)

 

二人は悟った。今夜は、決着がつかないと。ここで騒げば、キルヒアイスが起きてしまう。そうなれば、二人ともつまみ出されるだけだ。それは得策ではない。

 

「……おやすみなさいませ、アンネローゼ様」

 

「ごきげんよう、マルガレータさん」

 

 

 

 

 

 

キルヒアイス邸 深夜(2日目)

 

翌日の深夜。懲りない二人は、再び同じ場所、同じ時間に現れた。ただし、その装備は、昨日よりも明らかにグレードアップしていた。防御力は下がり、攻撃力は上がっている。

 

マルガレータは、もはやネグリジェですらない。サテン生地のランジェリー風ドレスだ。色は相変わらずのショッキングピンク。スリットが腰まで入っており、歩くたびに健康的な太ももが露わになる。

 

対するアンネローゼは、黒いレースのベビードールだ。背中は完全にオープン。胸元も危ういバランスで保たれている。喪服のイメージを残しつつ、極限まで扇情的にアレンジされた、背徳的な衣装である。

 

「あら、マルガレータさん。……『夜這い』なんて、帝国軍上級大将ともあろう方が、恥ずかしいのでは?部下に示しがつきませんよ?提督の品位が疑われます」

 

アンネローゼが、呆れたようにため息をつく。彼女は、正論で攻めてくる。「社会的地位」というカードを切ってきたのだ。

 

「ふん!愛の前では階級など無意味じゃ!それに、アンネローゼ様こそ……フリードリヒ四世陛下の喪に服するべきでは?未亡人になられたばかりでしょうに!そのような格好で他人の家を徘徊するなど、元・寵姫としていかがなものか!」

 

マルガレータは、「道徳」というカードで応戦する。

 

「あら……。喪中だからこそ……心細くて……。広いお屋敷に一人……。寂しくて、寒くて、震えてしまって……。ジークに……昔馴染みのジークに、少しだけ慰めてもらおうかと……」

 

彼女は、女優だ。彼女は、自分の二の腕を抱くようにして、身をよじる。彼女は、ウルウルとした瞳でマルガレータを見る。「可哀想な未亡人」の完成だ。これを見せられたら、大抵の男はイチコロだし、女でも同情してしまうかもしれない。だが、マルガレータは違う。

 

「詭弁じゃあああ!!その格好のどこが寒いんじゃ!布面積がハンカチくらいしかないではないか!心細いなら毛布を被れ!ジークを湯たんぽ代わりにするな!」

 

「ふふ。……ジークは温かいもの」

 

「知っておるわ!……くっ、この女、自分の『不幸』さえも武器にするとは……!」

 

アンネローゼは、自分が「守られるべき存在」であることを熟知し、それを最大限に利用している。対してマルガレータは「強い女」だ。この勝負、相性が悪い。

 

「……今日も引き分けですね」

 

「ええ。……明日こそは。……明日こそは、決着をつける」

 

マルガレータは、闘志を燃やす。二日目の夜もまた、キルヒアイスの貞操は守られた。

 

 

 

 

 

 

 

キルヒアイス邸 深夜(3日目)

 

 

三日目。事態は、もはや「ファッションショー」の域を超えていた。

 

マルガレータの衣装は、マイクロビキニに近い何かだ。ピンク色の紐と、わずかな布切れ。しかし、彼女の肉体は完璧に鍛え上げられている。腹筋は割れ、太ももは引き締まり、肌は健康的な小麦色だ。

 

「見よ!妾のような引き締まった身体が……軍人のジークは好きに決まっておる!機能美じゃ!健康的じゃろう!一緒にランニングもできるし、スパーリングもできるぞ!」

 

マルガレータは、廊下でビシッとポーズを決める。自分の腹筋をパンパンと叩く。いい音がする。彼女のアピールポイントは「ヘルシー&スポーティー」だ。

 

対するアンネローゼ。彼女の衣装は、服というよりは「装飾品」に近い。透ける素材の下に、豊満な曲線が浮かび上がっている。彼女は、マルガレータのような筋肉はない。あるのは、圧倒的な柔らかさと、包容力を感じさせる曲線美だ。

 

「お子様ね……。ジークは……男の子よ?戦場で疲れた男が求めるのは……硬い腹筋ではなく、柔らかいクッションよ。……私の大きな胸で包んであげたら、ジークはイチコロよ!彼は母性に飢えているの。私がよしよししてあげれば、彼は赤ちゃんのように眠るわ」

 

アンネローゼは、マルガレータの腹筋を見てクスリと笑う。彼女は、自分の胸元を強調するように、手を添える。アンネローゼの攻撃は、精神的急所を突いてくる。

 

「くっ……!質量では勝てぬ……!しかし、弾力なら負けん!」

 

マルガレータは、自分の胸を見下ろす。ある。確かにある。だが、アンネローゼの「それ」と比較すると、やはり質量と重力の法則において分が悪い。

 

「柔らかさが正義です」

 

「筋肉は裏切らない!」

 

「母性は世界を救います」

 

廊下で繰り広げられる、低レベルかつ高尚な議論。二人の美女が、半裸に近い格好で、筋肉と脂肪のどちらがキルヒアイスにとって有益かを討論している図は、シュールの一言に尽きる。

 

「……今日も決着はつかぬか」

 

「ええ。……明日こそは」

 

三日目の夜も、キルヒアイスは何も知らずに高いびきをかいていた。彼の枕元には、二人の生霊が立っていたかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

キルヒアイス邸 深夜(4日目・決着)

 

そして、運命の四日目。二人は、最終決戦の覚悟を決めていた。もう、言葉はいらない。服もいらない。

 

廊下に現れた二人は……。表現をマイルドにすれば、プレゼント用にリボンを巻かれた状態に近かった。羞恥心という概念は、オーディンの大気圏外へ投棄されたようだ。あるのは、殺気と、性欲と、そして執念だけだ。

 

「こうなれば……ジークに直接決めてもらうのじゃ!突撃じゃ!先に入った方が勝ちじゃ!」

 

もう、起こしても構わない。いや、起きて選んでもらわないと困る。

 

「望むところよ!ジークは私を選ぶに違いないわ!!初恋の重みを知りなさい!!」

 

「現在の情熱が勝つのじゃ!!」

 

アンネローゼも、聖女の仮面を投げ捨てた。今の彼女は、愛に飢えた獣だ。二人は同時にダッシュする。ドアノブに手をかける。勢いよく開けようとした、その瞬間。

 

ガチャ。

 

内側から、ドアが開いた。二人は、つんのめるようにして踏み止まる。

 

「……え?」

 

「……あ?」

 

ドアの向こうから、熱気と共に現れたのは、黄金色の髪。蒼氷色の瞳。そして、シャツのボタンを外し、首筋に玉のような汗を浮かべた美青年。ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥である。

 

「ふぅ……。それじゃあキルヒアイス、また明日な。また……暑い夜を過ごそう。今夜は最高だったぞ」

 

ラインハルトは、前髪をかき上げながら、満足げなため息をつく。その顔は、ほんのり紅潮しており、激しい運動の直後であることを物語っている。彼は、部屋の中にいるであろうキルヒアイスに向かって、爽やかな、しかし艶っぽい笑顔で声をかける。

 

【注釈】ラインハルトは、キルヒアイスと熱く「銀河統一のための新作シミュレーションゲーム」を一晩中プレイし、さらに「同盟軍侵攻ルート」についての激論を交わしていただけである。汗は、VRゴーグルをつけて動き回ったせいである。

 

だが。そんな真実は、廊下にいる二人の女性には伝わらない。彼女たちの脳内フィルターは、すでに「腐敗」していた。

 

「…………」

 

マルガレータとアンネローゼは、彫像のように固まる。リボンのような衣装のまま、石化したように動かない。彼女たちの視線が、ゆっくりと、そして鋭いナイフのようにラインハルトに突き刺さる。(……汗?)(……乱れた服?)(……『暑い夜』?)(……『最高だった』?)パズルのピースが組み合わさる。最悪の絵柄として。

 

「……嘘じゃろ?」

 

「……まさか」

 

「この……浮気者めえええええ!!!まさか……男と浮気するとはーーーっ!!しかもラインハルトと!?灯台下暗しにも程があるわ!!」

 

「ラインハルト!!貴方……同性愛は認めないと言ったはずですよ!いつからそちらの趣味に!?姉に隠れて……ジークとそんな関係になっていたのですか!?」

 

アンネローゼが、般若の形相になる。聖女の顔は消え失せ、弟を叱る鬼の姉の顔だ。

 

「え?姉上?マルガレータ?……なぜそんな格好で?風邪を引くぞ?」

 

彼は、目の前にいる「ほぼ全裸の美女二人」の状況も理解できていないし、なぜ自分が怒られているのかも分からない。彼は、純粋に心配する。

 

「誤魔化さないで!答えなさい!……どちらが攻めで、どちらが受けですか!?」

 

アンネローゼが詰め寄る。壁ドンだ。弟への壁ドンだ。

 

「は?攻めと受け……?ああ、戦術の話か?昨夜のシミュレーションでは、私が攻勢に出て、キルヒアイスが守勢に回ったが……。途中で攻守交代して、彼に背後を取られた時は焦ったな。……彼の槍は、深く突き刺さるからな」

 

攻め?受け?ラインハルトは、ゲームの話を続ける。だが、その言葉選びが致命的だった。

 

「せ、背後を取られた……?」

 

「深く……突き刺さる……?」

 

アンネローゼとマルガレータの顔が、真っ赤になる。妄想が暴走する。

 

「言い訳は聞かん!!ジークは妾のものじゃ!たとえ主君だろうと、恋敵は排除する!決闘じゃ、ラインハルト!」

 

「弟だろうと容赦しません!」

 

彼女の中で、「可愛い弟」が「泥棒猫」にランクダウンした瞬間だ。

 

「待て、二人とも!何を言っているんだ!俺たちはただ、ゲームを……」

 

「問答無用!!」

 

二人の美女が、ラインハルトに襲いかかる。キルヒアイス邸の廊下は、修羅場と化した。

 

翌日。

 

ジークフリード・キルヒアイス上級大将は、二人の女性から、身に覚えのない厳しい尋問と、執拗なボディチェック(特に尻周りの怪我の有無)を受けることになった。彼は「何もありません!私は健康です!」と訴えたが、彼女たちの疑いは晴れなかった。

 

そしてラインハルトは、「なぜか姉上が冷たい。口を聞いてくれない」と首を傾げ、オーベルシュタインに「姉上の機嫌を直す方法を計算せよ」と無茶振りをすることになる。

 

帝国の冷戦は、外部の敵よりも、内部の恋愛事情によって、より複雑怪奇な様相を呈していくのであった。




読者の皆さまが、
この騒がしくも愛おしい帝国の日常を楽しんでいただけたなら、
それ以上の幸福はありません。

ぜひ感想をお寄せいただければとても励みになります。
皆さまの一言が、次の銀河を動かす力になります。

宇宙を統一するのは誰だと思いますか?

  • アルブレヒト
  • ラインハルト
  • ヤン・ウェンリー
  • マルガレータ
  • ロイエンタール
  • ルビンスキー
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