銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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皆さま、ようこそ再び地獄の艦隊へ。
帝国暦482年、ファルケンハイン艦隊は今日も元気に訓練中です。
訓練目標?それは「美しさ」
そう、彼らは戦うのではなく踊るのです。宇宙を舞台に。

今回のテーマは――
「戦場よりも恐ろしいのは、恋人の機嫌である」

嫉妬、誤解、逃走、報告書。
怒りの女神アナと、氷の副官ロイエンタール、そして怠惰の預言者アルブレヒト。
この三人が織りなす宇宙的日常喜劇を、どうぞ心ゆくまで笑ってください。

そして気づいてください。
この艦隊、誰も悪くないのです。
ただ一人を除いて。


慈悲深き地獄

帝国暦482年。俺たちグレイマン艦隊は、無事に一個艦隊へと増強された。いや、正確には「俺の功績によって増強された」と言って差し支えない。なにせ、俺がいなければ全員死んでいたわけだしな。これは公式記録にも書いてある。「ファルケンハイン准将の決死の奮戦により、帝国は救われた」ってな。ふふん、やはり俺は歴史に名を残す男。

 

そんな俺の率いる艦隊は、今まさに訓練の真っ最中だ。ブリッジにはいつものメンバーがそろっている。グレイマン中将は黙々と紅茶をすすり、アナは端末を操作しながら淡々と指示を出し、ロイエンタールは冷たい目で俺を見ている。あの目はたぶん「閣下は今日も仕事してないですね」という無言の圧だ。だが俺は気にしない。俺の心は広い。

 

ホログラムに映し出された艦隊の動きを見ながら、腕を組んで満足げにうなずいた。

「うむ、完璧だ。我が天才的練兵術の成果が出てきたな」

 

隣のロイエンタールが即座に突っ込む。

「その練兵計画を立案したのは、小官とホーテン参謀長ですが」

 

「……細かいことはいい!」

俺は堂々と宣言した。

「部下の手柄は上官の手柄!部下のミスは部下のミス!それが上官というものだ!」

 

ロイエンタールは微妙に呆れた顔で、いや、表情を動かさずに言った。

「左様でございますか」

 

 

うむ、完璧なリアクションだ。何を言っても肯定とも否定とも取れない。

 

多分、アナが聞いていたら「またサボってる」と怒鳴られていた。ロイエンタールのほうが扱いやすい。俺の怠けを芸術として受け止めてくれる。

 

ロイエンタールが淡々と報告を続けた。

「練成は順調です。このままいけば一年後には実戦投入も可能でしょう。ただし、閣下。これほど多様な艦隊運動を慣熟させる必要があるのでしょうか?儀礼用の観艦式でしか使い道のないものも多いですが」

 

「それは必要なのだ、ロイエンタール君」

自信満々に言った。

「考えてもみろ。無数の戦艦が、糸を引くように美しく交差し、ショー的に駆け巡る艦隊の姿を。見てみたいだろう?」

 

ロイエンタールは眉一つ動かさずに「…左様でございますか」とだけ返した。

 

 

アナが後方のオペレーターに指示を飛ばす声が聞こえてくる。

「第七戦隊、もう少し角度を浅く。はい、もっと美しく。そう、それで良いわ」

うむ、いい。アナがノってきた。彼女は仕事に関しては鬼だが、美しいものには弱い。俺の作戦の意図を感覚で理解している。これが以心伝心というやつだ。

 

ロイエンタールが横目で俺を見た。

「閣下、この訓練の目的は艦隊の美的演出ですか?」

「そうとも言う」

「……それを実戦でどう応用するおつもりで?」

「敵が見惚れてる間に撃つ!」

「……天才の発想ですね」

声にまったく感情がこもってない。たぶん皮肉だ。でも俺は笑顔でうなずいた。

「そうだろう?俺もそう思う」

 

 

この調子で行けば、一年後には俺の艦隊は宇宙一美しい艦隊になる。芸術と軍事の融合。まさに文明の極致。

 

ケンプ准将が通信越しに報告を入れてきた。

「閣下、第八戦隊、推進軸が揃いません!」

「んー、じゃあ気合で合わせろ」

「気合で!?」

「気合は科学を超える!信じろ!」

「了解!」

 

ケンプは単純で助かる。命令の意味を考えずに従ってくれる。これぞ軍人の鑑。結果?まあ、そのうち整うだろう。

 

ロイエンタールがため息をついた。

「閣下、推進軸の同期率が10%未満です」

「よし、10%も合ってるなら十分だ」

「普通は90%以上でないと事故ります」

「大丈夫だ。俺は運がいい」

「……それを戦略要素に組み込むのはやめてください」

 

 

こいつ、だいぶ俺の扱いが上手くなってきたな。いちいち正論で殴らないで、呆れで包んでくるタイプのツッコミ。精神的柔道。

 

アナが報告してくる。

「アル様、艦隊の動き、だいぶ滑らかになってきました」

「うむ、完璧だ。見ろ、あの動き。艦の流れがまるでバレエのようだ」

「バレエ……?」ロイエンタールが呟いた。

「そう、宇宙バレエだ。俺の艦隊は芸術で戦う」

 

 

ああ、また考え込んでる。

 

艦橋の照明が落ち、訓練終了のサインが点灯する。

「全艦、訓練終了。損耗ゼロです」

ロイエンタールが報告する。

「当然だ。俺の指揮にミスはない」

「指揮というより、放任の極致ですが」

「自由を与える指揮と言え」

「……哲学的ですね」

「だろう?」

 

今日も無事に訓練を終えた。艦隊の練度は上がり、部下は混乱し、俺は気分がいい。完璧な日だ。だが一つだけ問題がある。

 

アナがニコニコしながら言った。

「アル様、次は本番です。明日から新戦術訓練を実施します」

「え?また?」

「はい、艦隊全員、24時間態勢で」

「…………」

 

終わった。地獄の始まりだ。アナは優しい顔して、鬼より怖い。ロイエンタールは皮肉を言いながら俺を休ませない。ケンプは勢いで全部実行する。ああ、俺は天才にして哀れな中間管理職。

 

それでも艦隊は動く。なぜなら、俺がいるからだ。

……多分。

 

 

 

 

 

 

 

今日の俺は、珍しく真面目にモニター監視をしていた。

いや、正確には「真面目っぽい姿勢で座っているだけ」だ。副官のロイエンタールに「閣下、たまには勤務中に寝ないでください」と釘を刺されたからな。

俺も准将、威厳が大事だ。たまには上官らしくブリッジに仁王立ちして、部下の訓練を眺めておくのも必要なことだ。

 

そんな俺の視線の先に、ふと別モニターの映像が映った。

空戦隊訓練区画。アナがシミュレーターの記録を確認している。そしてその隣には、ミッターマイヤー。あの金髪の好青年だ。

二人は笑顔で談笑していた。なんだかやけに楽しそうだ。

 

 

………ん? おいおいおい。なんだ、その距離の近さは。肩、ちょっと触れてないか? いや、映像の角度の問題か? いや、触れてるな、確実に。おい、アナ、それは副官との業務的距離じゃないぞ!?

 

瞬間的に背筋がピンと伸びた。

胸の奥から、言葉にならないモヤモヤが湧き上がる。

これは嫉妬か?いや違う。純粋な懸念だ。そう、「軍規上の懸念」そういうことにしておこう。

 

だが、その「懸念」は加速度的に膨張していった。

俺の頭の中では、もうすでに悲劇が再生されていた。

 

——アナがミッターマイヤーの腕に抱かれて笑っている。

——「アル様、あなたのことは忘れました」と言うアナ。

——俺は宇宙の果てで孤独に泣く。

——背景で流れるのは悲しげな弦楽。

——完

 

 

やめろ俺!勝手に悲恋映画を脳内上映するな!

 

こらえきれず、隣のロイエンタールに詰め寄った。

「おい、ロイエンタール!」

 

彼は端末から顔を上げもせず、いつもの氷のような声で言った。

「なんです?」

 

「貴様の親友は、俺の女に手を出しているのか!?」

 

ブリッジの空気が一瞬で凍りついた。

オペレーターが小声で「えっ」とか言っているのが聞こえる。だが俺は止まらない。

 

ロイエンタールは眉一つ動かさずに答えた。

「ミッターマイヤーには、故郷に長年想いを寄せている女性がいます。ご安心を」

 

「そうなのか!? では……まさか、アナが誘惑を!?」

「……」

 

ロイエンタールの沈黙が逆に怖い。

俺は混乱していた。頭の中で「いやまさか」「でもあの距離感」「あれは業務的には近すぎる」「うっかりなら仕方ない」「いや仕方なくない」などと、無限ループが始まる。

 

 

どうして俺の人生は、いつもこう混乱から始まるんだ。戦場でも恋愛でも、いつも俺だけが死地に立たされる。これは運命か? 宇宙に嫌われているのか?

 

「アル様は、私がそのような尻軽な女だと思っておいでですか?」

 

氷点下の声が背後から響いた。

心臓が止まりかけた。

俺はゆっくりと振り返る。そこには、アナがいた。背後霊みたいな気配ゼロの登場だった。

 

「アナ! い、いつの間に!」

 

「今の発言、聞き逃すわけにはいきません」

「い、いや、違うんだ! そういう意味じゃない! 俺はただ、ミッターマイヤーが好青年すぎるのが心配で! つまり、だな……その、男として……」

「……男として?」

 

冷たい笑みが浮かんだ。俺は汗が背中を伝うのを感じた。

「えっと……つまりだ、その、もしお前があいつを好ましく思ったとしても、俺は責めないし、むしろ応援というか……いや違う、そうじゃない! お前が俺に飽きたなんてことは——」

 

「アル様」

その一言で俺は口をつぐんだ。

 

アナはゆっくりと歩み寄り、俺の頬に手を当てた。

そしてにこやかに言った。

「そもそも、ミッターマイヤー大尉を私の副官にと推薦なさったのは、アル様ご自身でしょう?」

 

「……あ」

 

あーーーーーーー。そうだった。完全に俺だった。思い出した。確かに俺が「ロイエンタールの親友で仕事早いならアナの下につけてやれ」って言った。

 

「アル様は、私が職務中に不適切な関係を持つような人間だと?」

「ち、違う! そんなことはこれっぽっちも!」

「では、なぜ浮気などとおっしゃったのです?」

「……気の迷い」

「迷う暇があったら報告書をお書きください」

「ううっ……」

 

ロイエンタールが後方でくすっと笑った。

「閣下、愛されてますね」

「お前は黙ってろ!」

 

アナは涼しい顔で続けた。

「……どうやら、お仕置きが必要なようですね」

 

「え? お、お仕置き? アナ、冗談だろ?」

「今夜は眠れると思わないでください」

 

「ちょ、待て! 話し合いで解決しよう! 俺たちは文明人だろ!? アナ!? アナぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

その夜、俺は悟った。女の怒りはレーザーより速い。謝罪は防御シールドを貫通する。そして、愛は時に重力兵器になる。

 

——翌朝、ブリッジに立つ俺の顔は、誰が見ても分かるほど青ざめていた。

ロイエンタールがぼそっと言った。

「閣下、まさか昨夜……本当に眠れなかったのですか?」

遠い目で答えた。

「……宇宙が回って見える」

アナが優雅に微笑む。

「おはようございます、アル様。昨夜の反省の成果は?」

「完璧だ……もう二度と疑わない」

「よろしい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事の発端は、たぶん昨日の夜だ。いや、正確に言えば「昨日の夜から今日の朝にかけて」だ。なぜか?なぜなら、俺が寝かせてもらえなかったからだ。いや、そういう意味じゃなくてな?お仕置き的な意味でだ。説明するだけで心が痛い。

 

で、ようやく朝になり、俺は反省モードで仕事をしていた。

が、アナが医務室に行って留守になった瞬間、俺の中の悪魔が囁いた。

「今だ、少しぐらい休憩してもバレない」

俺は愚かだった。

 

モニターに映るロイエンタールとミッターマイヤーが、真面目に業務報告している。二人とも仕事が早い。俺はふと羨ましくなった。

 

あいつら、絶対に俺より早死にするタイプだな。

 

そんなくだらないことを考えていたときだ。

医務室帰りのミッターマイヤーが戻ってきて、ロイエンタールに声をかけた。

 

「ロイエンタール。お前こそ、あまりやりすぎるなよ。苦情が殺到してるぞ」

 

……ああ、まただ。こいつらは本当にどこに行っても女難がついてくる。俺の艦隊は訓練より恋愛の方が忙しいのか?軍隊なのか婚活パーティーなのか分からなくなってきた。

 

だが、その時、俺の脳内で電撃が走った。

——そうだ、今こそこの状況を利用する時!

 

立ち上がり、ロイエンタールの腕をつかんだ。

「逃げるぞ、ロイエンタール!」

 

「は!?何を——」

 

「アナには『お前が変なことを吹き込んだせいだ!』って言ってやった!その隙に逃げてきた!」

 

ロイエンタールの顔が一瞬で蒼白になった。

「なっ……何をしている!この無能が!!」

 

「お?今無能って言ったな!?本音が出たな!?まあいい!とにかく今は逃げるぞ!」

「なぜ俺が巻き込まれるんだ!」

「いいかロイエンタール、よく聞け!部下のミスは部下のミス!上司のミスもまた、部下のミスなのだ!」

 

「論理が死んでる!!」

 

だがもう遅い。俺はロイエンタールの腕を引っ張り、ブリッジを飛び出した。背後からアナの冷気が迫っているのを肌で感じる。

 

「ミッターマイヤー!アナが来たら、逆方向に逃げたと伝えておけ!」

「お、おう!わかった!がんばれ閣下!!」

 

その言葉の直後だった。

ブリッジの扉が爆音と共に開いた。

 

アナスタシア登場。

その顔は——鬼。いや、鬼よりも冷静で、冷静だからこそ怖い。

 

「聞こえてますよ!アル様!待てー!!」

 

全力で逃げ出した。

「アハハハハ!逃げろー!!」

 

ロイエンタールが叫ぶ。

「なぜ俺まで逃げなければならんのだ!!」

 

 

知るか!もう一緒に逃げてる時点で共犯だ!あきらめろ!

 

通路を駆け抜け、角を曲がり、非常階段を二段飛ばしで下る。

後方からアナの怒号が響く。

「同罪です、ロイエンタール大尉!あなたには複数の女性士官から苦情が来ています!この際、ついでに去勢して禍根を断ちます!!」

 

「!!!!!!」

ロイエンタールが人間離れした速度で走り出した。

「アルブレヒト准将!俺を巻き込むなぁぁぁ!!」

「すまん!もうお前しか頼れるやつがいないんだ!」

 

 

俺は思った。

これが友情だ、と。

 

廊下の端を抜け、物資倉庫へ飛び込む。俺とロイエンタールはドアの後ろに身を隠した。息が荒い。

「……ふう……危なかったな」

「……貴様のせいでな!」

「だが助かったろ?俺がいなければ今ごろ——」

「黙れ」

 

ドアの向こうで足音が止まった。

アナの声がする。

「どこですかぁ〜?アル様ぁ〜?」

やさしい声。だが地獄の使者の囁き。

「出てきなさい?ロイエンタール大尉もご一緒に?」

 

ロイエンタールが俺の腕をつねった。

「お前、先に出ろ」

「やだ!お前が先だ!」

「いやお前が!」

「じゃんけんだ!」

「真剣にやる気か!」

 

指先でグーチョキパーをやりながら、ひそひそと押し問答していた。

結果、同時にチョキ。引き分け。最悪。

 

アナの声が近づく。

「そこですね?」

 

俺たちは同時に叫んだ。

「逃げろォォォ!!!」

 

再び全力疾走。廊下を駆け抜け、格納庫へ突入。

作業員が慌てて避ける。誰かが「また始まった」と言っている。慣れているのか!?

 

 

俺の艦隊、絶対に士気の方向性おかしい。

 

ロイエンタールは本気で怒鳴った。

「いい加減にしろアルブレヒト!なぜ俺が婦女暴行未遂の共犯にされなければならん!!」

「違う!これは恋愛戦争だ!同じ艦に乗ってる以上、もう運命共同体だ!!」

「ふざけるな!!」

 

その時、後方の扉が開き、アナが現れた。

長い髪が宙に舞い、冷たい笑み。

「……捕まえました」

 

ロイエンタールの顔が絶望で固まる。俺は反射的に叫んだ。

「ミッターマイヤー!!援護を!!」

 

格納庫の上層デッキで、件の好青年が腹を抱えて笑っていた。

「ははははっ!頑張ってください閣下ー!!」

「笑ってないで助けろぉぉぉ!!」

 

 

 

 

 

(ロイエンタール視点)

 

帝国暦482年。俺は今日も「理解不能な男」の補佐をしている。

名をアルブレヒト・フォン・ファルケンハイン准将。肩書だけ見れば立派だが、実態は宇宙が生んだ奇跡の怠け者。いや、怠け者という言葉ではまだ足りない。むしろ、怠惰を信仰の域まで高めた聖職者。

 

彼の指揮のもと、俺たちグレイマン艦隊は正式に一個艦隊へ増強された。

 

今日も艦橋の中央で、准将は偉そうに腕を組み、ホログラムを見上げていた。

「うむ、完璧だ。我が天才的練兵術の成果が出てきたな」

 

口を動かすより先に脳が自動で突っ込みを生成した。

「その練兵計画を立案したのは、小官とホーテン参謀長ですが」

 

すると、彼は迷いなく言い放った。

「部下の手柄は上官の手柄!部下のミスは部下のミス!それが上官というものだ!」

 

……信念だけは宇宙規模だな。

一瞬、何も言えなくなった。いや、正確には、言葉を失うほどの図々しさに感動したのだ。

 

仕方ないので、定型句を口にする。

「左様でございますか」

 

この一言を覚えたのは、就任初日に彼と10分間会話して脳がオーバーヒートしたからだ。この言葉を挟めば、どんな理不尽もスルーできる。俺の命綱だ。

 

訓練は順調に進んでいた。

各戦隊の動きも良く、連携も取れてきている。だから俺は報告した。

「このままいけば、実戦投入も可能です。ただし、観艦式でしか使えない動きもありますが」

 

すると彼は真顔で言った。

「それは必要なのだ、ロイエンタール君。見てみろ、あの艦隊の流れを。芸術だろう?」

 

……芸術。

この男はたまに、軍事行動を詩の朗読と混同している節がある。

「敵が見惚れてる間に撃つ」だと? それを実戦でやる気なのか?

 

だが、恐ろしいのは、この男が本当にそれで勝つことだ。

常識では説明がつかない。

彼の周囲の空気がときどき現実を歪めているような気がする。

いや、違うな。多分、周囲が諦めて「現実の方を合わせに行っている」んだ。

 

ホーテン参謀長の声が響いた。

「第七戦隊、角度を浅く。もう少し美しく」

……美しく?

ああ、もう艦隊全体が芸術派になっている。感染症のような拡がり方だ。

 

准将が満足げにうなずいた。

「うむ、完璧だ。宇宙バレエの完成だな」

……バレエ?今、バレエって言ったか?

軍事演習を芸術公演に昇華させる指揮官。

歴史書に書かれる時、きっと「軍人」ではなく「振付師」として記録されるだろう。

 

ケンプ准将が通信を入れてきた。

「閣下、第八戦隊、推進軸が揃いません!」

「気合で合わせろ」

「気合で!?」

「気合は科学を超える!信じろ!」

 

……。

頭を抱えた。だが、ケンプは「了解!」と元気に返した。

この艦隊の問題は、上司が暴走しても誰も止めないことだ。全員が慣れすぎている。

 

データを確認した。

「閣下、同期率が10%未満です」

「よし、10%も合ってるなら十分だ」

「普通は90%以上でないと事故ります」

「大丈夫だ。俺は運がいい」

 

……この人間、宇宙戦をギャンブルと勘違いしている。

しかも勝率がなぜか高い。もう理屈では負ける気がしない。

 

ホーテン参謀長が報告する。

「アル様、動きが滑らかになってきました」

「うむ、完璧だ。艦の流れがバレエのようだ」

 

一応、突っ込みを入れた。

「バレエですか」

「そう、宇宙バレエだ。俺の艦隊は芸術で戦う」

 

……芸術で戦う艦隊。いや、正確には「芸術に魂を売った艦隊」だ。

もし敵がこの光景を見たら、恐怖より先に困惑するだろう。

「なぜ踊っているのか」と。

 

だが、これが不思議なことに、動きとしては理にかなっているのだ。

彼は本能的に、混乱を戦術化している。

理性で止めようとするほど、こちらが狂っていく。

だから俺は最近、悟った。

——彼に口出しするより、後で修正する方が早い。

 

訓練が終わり、報告する。

「全艦、損耗ゼロです」

「当然だ。俺の指揮にミスはない」

「放任の極致ですが」

「自由を与える指揮と言え」

「……哲学的ですね」

「だろう?」

 

やはりこの人間、どんな批判も褒め言葉に変換する能力を持っている。

精神構造が鋼鉄どころか、ブラックホール並みに自己肯定感を吸い込む。

 

 

「アル様、次は本番です。明日から新戦術訓練を実施します」

准将の顔が一瞬で死んだ。

「え?また?」

「はい、艦隊全員、24時間態勢で」

 

その瞬間、彼の目から光が消えた。

「……終わった……」

 

俺は淡々と記録をつけた。

《注:ファルケンハイン准将、本日も人類を超越した怠惰精神を発揮。》

《副官としては尊敬すべきでないが、観察対象としては非常に興味深い。》

 

結論。

彼は怠けているのではない。

怠けながら勝つ方法を確立した新しい進化系軍人だ。

 

……ああ、だが願わくば、俺の人生を巻き込まないでほしい。

芸術で戦う艦隊の副官ほど、胃に悪い職場はない。

 

 

 

 

 

 

 

俺の人生において、「上官と一緒に逃げる」という行為が、これほどまでに屈辱的だった日はない。

戦場でならまだ分かる。だが今回は違う。敵は同盟軍でもなく、女性一人だ。しかも、俺の直属の上官の恋人であり、艦隊の参謀長でもある。

 

……つまり、アナスタシア・ヴァン・ホーテン閣下。

通称「慈悲深き地獄」

 

そしてこの逃走劇を引き起こした元凶が、俺の上官、ファルケンハイン准将である。

俺はこの男を「上官」と認めている。だが「理性ある人類」としては認めていない。

 

きっかけは、ほんの些細なことだった。

いつも通り、ブリッジで俺は仕事をし、彼は仕事をしているふりをしていた。

いや、正確に言えば「威厳ある怠け方をしていた」と言うべきか。

 

そんな時だった。医務室から戻ってきたミッターマイヤーが、俺に苦言を呈した。

「ロイエンタール。お前こそ、あまりやりすぎるなよ。女性士官からの苦情が殺到しているぞ」

 

俺は肩をすくめた。

「心外だな。俺は常に紳士的だ」

「その紳士的が問題なんだよ」

まったく、親友のくせに容赦がない。だが、ミッターマイヤーの忠告が終わるよりも早く、災厄がやってきた。

 

「逃げるぞ、ロイエンタール!!」

 

ファルケンハイン准将が、息を切らせながら俺の腕をつかんできた。

「……閣下? 何を……」

「アナにはこう言ってやった!『ロイエンタールが変なことを吹き込んだせいだ!』ってな!」

 

……数秒、理解が追いつかなかった。

いや、理解したくなかった。

だが俺の脳は、即座に危険信号を鳴らした。

 

「なっ……何をしている!この無能が!!!」

 

准将は平然と笑っている。

「お?今無能って言ったな!本音が出たな!まあいい!とにかく今は逃げるぞ!」

 

「なぜ俺が巻き込まれるんだ!」

「いいかロイエンタール!上司のミスも部下のミスなのだ!!」

「論理が死んでいる!!」

 

その瞬間、俺の本能が叫んだ。

「この男と一緒にいると死ぬ!」

 

だが、すでに手遅れだった。

腕をがっちりつかまれ、ブリッジを引きずり出された。

オペレーターたちの表情は、「また始まった」という悟りの境地に達していた。

 

「ミッターマイヤー!アナが来たら、逆方向に逃げたと伝えておけ!」

ミッターマイヤーは腹を抱えて笑いながら「がんばれ閣下!」とだけ言った。

親友とはいえ、見捨てる速度が光速を超えていた。

 

次の瞬間、背後で爆音。ブリッジの扉が吹き飛ぶ。

「聞こえてますよ!アル様!待てー!!」

アナスタシア参謀長、出陣。

 

俺たちは全力で駆けた。

「アハハハハ!逃げろー!!」と准将が叫ぶ。

「なぜ俺まで逃げなければならんのだ!!」と俺が返す。

 

どんな地獄だこれは。

俺は副官だ。書類仕事と指揮補佐が業務範囲だ。恋人の逆鱗回避支援は契約に含まれていない。

 

「同罪です、ロイエンタール大尉!」

背後から怒号が飛ぶ。

「あなたには複数の女性士官から苦情が来ています!この際、ついでに去勢して禍根を断ちます!!」

 

「!!??!!」

恐怖が理性を凌駕した。

俺は人類史上最速の速度で走った。

「アルブレヒト准将!俺を巻き込むなぁぁぁ!!」

「すまん!もうお前しか頼れるやつがいないんだ!!」

「頼られる筋合いはない!!」

 

それでも俺は走った。死にたくない。ただそれだけだ。

 

物資倉庫へ飛び込み、ドアの後ろに身を隠した。

「……ふう……危なかったな」

「……貴様のせいでな!」

「だが助かったろ?」

「黙れ」

 

ドアの外で足音が止まる。

アナの声が響いた。

「どこですかぁ〜?アル様ぁ〜?」

 

声は穏やかだが、内容がホラーだ。

「出てきなさい?ロイエンタール大尉もご一緒に?」

 

准将が震えながら言った。

「お前、先に出ろ」

「やだ!お前が出ろ」

「じゃんけんだ」

「真剣にやる気か」

 

グーチョキパーを出した瞬間、同時にチョキ。引き分け。最悪。

 

「そこですね?」

 

その声に、俺たちは反射的に叫んだ。

「逃げろォォォ!!!」

 

再び廊下を駆け抜け、格納庫へ突入。

作業員が「またか」と言いながら避ける。日常化しているのが怖い。

 

 

「いい加減にしろアルブレヒト!なぜ俺が共犯にされなければならん!!」

「違う!これは恋愛戦争だ!同じ艦に乗ってる以上、運命共同体だ!!」

「黙れ!!」

 

そのとき、背後の扉が開いた。

アナの声。

「……捕まえました」

 

准将が悲鳴を上げる。俺は悟った。もう逃げ場はない。

 

「ミッターマイヤー!援護を!!」

 

上層デッキを見ると、あの金髪の男が、腹を抱えて笑っていた。

「ははははっ!頑張ってください閣下ー!!」

「笑ってないで助けろぉぉぉ!!!」

 

——その後、俺は報告書100枚の刑に処された。

罪状:「副官として不適切な逃亡行為」「女性士官からの信頼失墜」「艦内の風紀混乱」など。

 

ファルケンハイン准将?

「反省文200枚」と「無期限禁酒処分」だそうだ。

 

 

宇宙には三つの絶対法則がある。

一、重力。

二、光速。

三、ファルケンハインがトラブルを起こす。

 

俺は心に誓った。

次に「逃げるぞ」と言われたら、その場で射殺してから逃げる。

 




お読みいただき、ありがとうございました。
今回の話は、戦場ではなく「日常という名の地獄」を描きました。
宇宙最大の脅威、それは敵艦ではなく恋人の説教。
レーザーより速く、巡洋艦より重い。

ファルケンハインは今日も逃げ、ロイエンタールは胃を痛め、
アナスタシアは優雅に笑いながら制裁を下す。
それでも艦隊は動く――なぜなら、愛が推進剤だから。

彼らの物語は、戦場での英雄譚ではなく、
笑いながら生き延びる人間たちの記録です。

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