銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
二つの艦隊が真正面から激突する決戦回となります。
アルブレヒトとラインハルト。
それぞれが築いた軍と信念。
戦術か、覚悟か。
怠惰か、覇道か。
どうぞ最後までお付き合いください。
ファルケンハイン軍旗艦《ロンゴミニアド》 艦橋
漆黒の宇宙空間に、巨大なエメラルドグリーンの超戦艦が静かに浮かんでいる。
アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン元帥の座乗する総旗艦《ロンゴミニアド》である。
その巨体は通常の戦艦の数倍のボリュームを誇り、装甲の表面には高出力のエネルギーシールドが淡い緑色の光の波紋を絶えず走らせている。
その艦橋の中央、一段高くなった特注の広々とした指揮席に、アルブレヒトが深く腰を下ろしている。
いつものような気だるげな「昼寝をしたい」というオーラは少し影を潜め、その双眸はメインスクリーンに映る星の海を静かに見据えている。
そして、彼から見て斜め右後ろの副官の位置には、流れるような黒髪と、左右で色の異なる金銀妖瞳(ヘテロクロミア)を持つ男、オスカー・フォン・ロイエンタール上級大将が端正な姿勢で立っている。
「ロイエンタール、悪いな」
「……一個艦隊の司令官であり、帝国軍きっての名将であるお前に、今日だけはわざわざ俺の副官に戻ってもらうなんてな。お前の部下たちも、さぞかし不満に思っているんじゃないか?『うちの提督をパシリに使いやがって』とな」
ロイエンタールは、その言葉に気を悪くする様子もなく、薄く、しかしどこか楽しげな笑みを口元に浮かべる。
「構いませんよ、閣下。……むしろ、血湧き肉躍る気分です。この特等席で、ラインハルト・フォン・ローエングラムという不世出の天才の戦術を、そして閣下の悪巧みを、一番近くで拝見できるのですからな。それに……」
「……思い出しますな。帝都オーディンで私が副官として、初めて閣下に配属された時のことを。……あの時、私は血気盛んな大尉で、閣下はまだ准将でいらっしゃった」
「もう7年前になるか。……あっという間だな。お互いにずいぶんと偉くなったもんだ。あの頃は俺もまだ若くて、今よりももう少しだけ真面目に書類仕事をやっていた気がするぞ」
7年前。それは、この泥沼の内戦が始まるずっと前、銀河帝国がまだ表面上の平和を保っていた時代である。
「閣下が真面目に書類仕事を?それはどこの平行宇宙の話ですか。あの時は、あまりに情けなく、昼寝ばかりしている怠惰な上官に当たってしまったと、私は自分の運命を本気で後悔したものです。『こいつの下では、私の軍人としての出世は絶対に望めん。早く別の部署に異動願いを出さねば』と、毎日真剣に悩んでおりましたよ」
当時の不満を隠すことなくストレートにぶつける。
その言葉の端々には、しかし、現在の上官に対する絶対的な信頼と親愛の情が滲み出ている。
「おいおい、手厳しいな。俺だって、両目の色が違う、やたらとプライドが高くて生意気で女癖の悪い奴が副官に来たと、心底辟易していたんだぞ。『俺の平穏で怠惰なティータイムの生活を、こいつの暑苦しい野心で乱すな』ってな。お前が毎日毎日、処理しきれないほどの書類の山を俺のデスクにドンと置くたびに、俺は胃薬を飲んでいたんだからな」
二人の間に流れる空気は、極度の緊張を強いられる決戦前夜とは思えないほど、穏やかでリラックスしたものになっている。
周囲のオペレーターたちも、二人のやり取りを背中で聞きながら、少しだけ肩の力を抜いている。
彼らはこの7年間、数え切れないほどの戦場を共に駆け抜け、貴族たちの陰謀を裏で躱し、生き残るためにあらゆる悪知恵を絞ってきた。
真面目で野心家の副官と、怠け者でハッタリばかりの上官。
水と油のように見えた二人は、いつしか誰よりも互いの思考を理解し、背中を完全に預け合える無二の戦友へと変貌を遂げていたのだ。
二人は視線を合わせ、言葉を交わすことなく、フッと同時に笑みをこぼす。
そこには、7年間の激闘と、言葉では語り尽くせないほどの深い信頼関係が、確かな重みを持って凝縮されている。
「……勝ちましょう。閣下。この宇宙で、誰が一番賢く、誰が一番強いのか。あの金髪の若造に、我々の大人の戦い方というものを、骨の髄まで教えてやりましょう」
「ああ。……見せてやろうぜ、ロイエンタール。俺たちの7年の怠惰と悪巧みの、集大成となる最高の成果をな」
◆
ローエングラム軍旗艦《ブリュンヒルト》 個室
ラインハルトは出撃前の最終的な身支度を整えている。
金色の髪は美しく梳き撫でられ、純白のマントには一切のシワもない。
そして、彼の前に立ち、その軍服の襟元を細い指先で丁寧に直しているのは、参謀長であり、そして彼の妻でもあるヒルデガルド・フォン・ローエングラムである。
「……ラインハルト様、襟元の装飾はこれで完璧です」
その手つきは優しく、彼への深い愛情に満ちている。
ラインハルトは、彼女の手をそっと自分の手で包み込み、少しだけ躊躇うような表情を見せる。
銀河を統一するという強烈な覇気を常に放っている彼が、この部屋の中だけで見せる、一人の青年としての迷いの顔である。
「ヒルダ……君はこのブリュンヒルトを降りろ。今すぐ後方の安全な星域の基地へと向かうシャトルに乗るんだ」
「どういうことですか、ラインハルト様。私は貴方の参謀長です。この決戦の場において、貴方の側を離れる理由などどこにもありません」
「アレクがいる。……我々の愛する息子が、安全な場所で待っているのだ。今回の戦いは、これまでのような圧倒的な戦力差で押し切る戦いではない。一個艦隊同士の、純粋な戦術のぶつかり合いだ。兄上も、アナスタシア元帥も、ロイエンタールも、全力を出して俺の首を狙ってくる。……もしもの時のために、君だけは生き残って、あの子を守ってくれ」
万が一、自分がこの決闘で命を落とすようなことがあっても、ヒルダとアレクだけは絶対に守り抜きたい。その強い思いが、彼にこの弱音とも取れる命令を口にさせているのだ。
「……ラインハルト。貴方は、今日の戦いに負けるつもりで出撃なさるのですか?」
「いや、勝つさ!俺は誰にも負けない!だが……戦場には常に絶対はない。何が起こるか分からないのが戦争だ。だからこそ、最悪の事態に備えて……」
「そうではないなら、私がここに残ることに何の問題もないでしょう。……それに、ラインハルト。貴方は私のことを、一体どう思っていらっしゃるのですか?ただの守られるべきか弱き存在ですか?それとも、司令部を彩る単なる美しいお飾りですか?」
「違う!君は俺の最高の理解者であり、かけがえのないパートナーだ!お飾りなどと思ったことは一度もない!」
「ならば、私を貴方の傍から遠ざけないでください。私は、貴方が勝利するその瞬間を、一番近くで分かち合いたいのです。……妻として、貴方の覇道の隣を、最後まで一緒に歩むと決めたのです。貴方が死ぬ時は、私も共に死ぬ時です。アレクのことは、信頼できる者たちにしっかりと託してあります。私は、貴方の妻としての覚悟を、とうの昔に決めているのです」
ヒルダの瞳に、揺るぎない強い決意の光が宿っている。
彼女は、ただ守られるだけの女性ではない。自らの意志でラインハルトという激しい炎の隣に立つことを選び、その火の粉を共に被る覚悟を持った、真の強さを持つ女性なのだ。
ラインハルトは、彼女のその気高い姿に圧倒され、しばらくの間、言葉を失う。
やがて、彼は小さく息を吐き出し、負けを認めたように優しく微笑む。
そして、彼女の両手をしっかりと、力強く握りしめる。
「……分かった。すまない、ヒルダ。俺が間違っていた。君の覚悟を侮るような真似をして、許してくれ」
「謝る必要はありませんわ。貴方の優しさは、十分に理解しておりますから」
「……ともに勝とう、ヒルダ。俺の覇道は、君がいなければ完成しないのだから」
「はい、ラインハルト。必ずや、勝利の女神を貴方の元へとお連れいたします」
◆
そのラインハルトの個室から少し離れた、ブリュンヒルトの広大な艦橋の片隅。
忙しく行き交うオペレーターたちの死角になる通路の陰で、二人の人物が並んで立ち、先ほどのラインハルトとヒルダのやり取りの余韻を感じ取るように、静かに言葉を交わしている。
一人は、マルガレータ。もう一人は、キルヒアイスである。
「ふふ……あの2人も、色々と不器用じゃが、ようやく夫婦らしくなってきたのう」
「ですね。……ラインハルト様は、常に前だけを見て突っ走るお方ですが、あんなに穏やかで、人間らしい顔をされるのは、間違いなくヒルダ様のおかげです。彼女が隣にいてくれるからこそ、ラインハルト様は孤独にならずに済んでいるのです」
彼はラインハルトの半身として常に彼を支えてきたが、妻という存在がもたらす安らぎまでは提供できないことを誰よりも理解している。
「妾とジークも、あの二人のように、ぜひそうなりたいものよな」
キルヒアイスは、その言葉に少しだけ驚いたように目を見開くが、すぐに視線を足元へと落とす。
彼の心の中には、常に一つの強烈な葛藤が存在しているのだ。
「……マルガレータ様」
彼は、自分を熱烈に愛してくれる目の前の少女に対して、これ以上、曖昧な態度は取れないと決心している。
「私は、貴女に対して決して嘘は言えません。ごまかすこともしたくありません。私は……ラインハルト様のお姉上である、アンネローゼ様を愛しています。ずっと、昔から。私が軍人になったのも、全ては彼女を守るためなのです」
キルヒアイスは、自分の心の奥底にある、誰にも譲れない一番大切な想いを、包み隠さずに告白する。
しかし、マルガレータは怒ることも、泣き喚くこともない。
「知っておる。……貴方のそのまっすぐで不器用な想いくらい、乙女の直感で見抜けないわけがなかろう。貴方がアンネローゼ様を見つめる時の目は、まるで女神を崇拝する騎士のようじゃからな」
マルガレータのその予想外に落ち着いた反応に、キルヒアイスは逆に言葉を詰まらせる。
「ですが……」
「貴女へのこの気持ちは、まだ自分でも完全に整理がつかないのです。アンネローゼ様への想いが、遠くから見守る『憧れ』や『純愛』だとするならば、貴女に対する感情はそれとは全く違うものです。……戦場において、自分の背中を完全に預けられるという絶対的な信頼。そして、貴女のその破天荒なエネルギーに引っ張られ、振り回されることで感じる、説明のつかない『熱』のようなもの……。それが恋愛感情と呼べるものなのか、私にはまだ分からないのです」
キルヒアイスは、生真面目すぎる性格ゆえに、自分の感情を分析して正直に伝えようとする。
その不器用な誠実さが、マルガレータにはたまらなく愛おしく思える。
「今は、それで良い」
「……だがの、約束してくれ、ジーク」
マルガレータが、キルヒアイスの腕を両手でしっかりと掴む。
「ん?約束ですか?」
「けして、死に急ぐな。……妾は……いや、私は、貴方を愛しています。宇宙中の誰よりも」
「ですから、戦場でラインハルトのためだと言って、自分で勝手に盾になったり、誰かのために自分の命を簡単に捨てようなどとは、絶対に考えないでください。貴方の命は、もう貴方一人のものではないのです」
彼の脳裏に、ラインハルトを庇って凶弾に倒れる自分の姿という、あり得たかもしれない最悪の運命のビジョンが一瞬だけフラッシュバックする。彼は常に、ラインハルトの盾になる覚悟を持っていた。自分の命など、いつでも投げ出すつもりでいたのだ。
しかし今、マルガレータの真っ直ぐな瞳の奥に、自分の姿がはっきりと映っているのを見て、その自己犠牲の精神がどれほど残された者を悲しませるのかを、痛烈に理解する。
「私のために、生きて勝ちましょう。そして、生きて二人でオーディンに帰りましょう。……それが、私から貴方への、唯一の命令であり、お願いです」
「……マルガレータ様……いや」
キルヒアイスは、マルガレータの肩を優しく抱き寄せる。
そして、彼の中で何かが明確に切り替わる。
「マルガレータ。……分かった。約束する。僕は絶対に死なない。君を残して死ぬような真似はしない。……僕たち二人で勝たせよう。ラインハルト様を。そして、必ず生きて帰ろう」
「はい!ジーク!」
マルガレータが、右胸の傷の痛みなど完全に忘れたかのように、満面の、太陽のように明るい笑顔を弾けさせる。
二人の間に、戦場の緊張を吹き飛ばすような、絶対的な愛と信頼の絆が完全に結ばれた瞬間である。
◆
オーベルシュタインは、二人のやり取りを最初から最後まで、無表情のまま、一言も発することなく見つめ続けていた。
彼の無機質な義眼のレンズが、微かに、規則的なリズムでチカチカと明滅を繰り返している。
「……奇妙だな」
「私の義眼の内臓センサーには、いかなる物理的異常も検知されていない。……しかし、胃の粘膜の奥深くから、胸の中央にかけて、まるで酸が逆流しているかのような、不快な熱と締め付けられるような痛みが断続的に発生している」
「マルガレータ閣下とキルヒアイス提督の対話。……あれは、軍事行動の効率を高める上での、相互の士気向上のためのコミュニケーションプロセスに過ぎない。……それを見て、なぜ私の内臓がこのような非合理的な反応を示すのか」
彼は胃をさする手を止め、再び柱の陰から二人の姿をチラリと盗み見る。
マルガレータの満面の笑顔が、彼の義眼の光学センサーに焼き付く。
「……胸焼けがする。極めて不快だ。……これが、一般の人間がよく口にする、『妬ける』という感情の物理的発露なのか?」
しかし、彼はその仮説を即座に脳内のゴミ箱へと放り捨てる。
「馬鹿馬鹿しい。私のような感情を持たない計算機が、嫉妬などという非生産的なノイズを発生させるはずがない。……私の全ての行動原理は、マルガレータ閣下と、国家の利益のためだけに存在しているのだ」
彼は小さく首を振り、自らの仮説を完全に否定する。
「……間違いない。これは感情の問題ではない。……あるいは単に、今朝の士官食堂で提供された朝食のパンが、消費期限を過ぎて古かったか、ワセリンの成分が気化して消化器官に悪影響を及ぼしたかのどちらかだ。……後で兵站局の食品管理システムを徹底的に監査し、責任者を処罰せねばなるまい」
オーベルシュタインは、自らの胸の痛みを「古いパンによる食中毒」という極めて現実的で合理的な理由に無理やりこじつけると、義眼の明滅を止め、踵を返す。
彼が歩き去るその後ろ姿は、いつもと変わらない冷徹な参謀長のものであったが、その歩幅は普段よりもわずかに短く、そしてその背中は、ほんの少しだけ寂しげに見えたかもしれない。
◆
帝国暦四八八年九月二十四日。
星々の瞬きさえも凍りつくような、絶対零度の漆黒の虚空。
そこに、全宇宙の運命を決定づける二つの巨大な艦隊が、互いの息遣いすら聞こえそうな距離で静かに対峙している。
片や、エメラルドグリーンの装甲が鈍い光を放つ超戦艦《ロンゴミニアド》を中核とする、ファルケンハイン軍。
片や、純白の白鳥を思わせる流線型の美しき総旗艦《ブリュンヒルト》を先頭に掲げる、ローエングラム軍。
両軍の距離が、じりじりと、しかし確実に縮まっていく。
「閣下、敵艦隊、我が軍の主砲有効射程距離まであと三十秒で到達します。各艦、エネルギー充填率は既に百二十パーセントを維持。いつでもいけます」
ロンゴミニアドの艦橋で、副官席に座るオスカー・フォン・ロイエンタール上級大将が、
手元のコンソールから目を離さずに淡々と報告を上げる。
その声には微かな高揚感が混じっているが、表面上はどこまでも冷徹な参謀の顔を崩さない。
「三十秒か。酒を飲み干すにはちょうどいい時間だな」
指揮席に深く腰掛けるアルブレヒト・フォン・ファルケンハイン元帥は、焦る様子など微塵も見せず、優雅な手つきでボトルを傾ける。
「こんな決戦の直前に酒盛りを満喫できるのは、全宇宙を探しても閣下くらいのものでしょうな。緊張という概念を母親の胎内に置いてきたのですか?」
「緊張なんて疲れるだけだからな。それに、最高のウイスキーを味わうのに場所やタイミングを選ぶのは野暮というものだ。……ああ、美味しい。さて、そろそろ仕事の時間か。オペレーター、現在の距離は?」
「距離、四百万キロ!三百八十万……三百五十万!敵艦隊、一切の減速を見せず、真っ直ぐに突っ込んできます!」
「ラインハルトの奴、相変わらず血の気が多いな。少しはブレーキを踏むということを覚えればいいのに。まあいい、あいつがその気なら、こちらも最高の挨拶で出迎えてやろうじゃないか」
アルブレヒトは空になったボトルをサイドテーブルにコトリと置き、懐からなぜか古風な「扇子」を取り出す。
金箔が張られたその扇子を、パチンという小気味良い音を立てて勢いよく開く。
「……閣下、その扇子は一体どこから調達したのですか?帝国軍の制式装備にそのような雅なアイテムは存在しないはずですが」
「ああ、これか?以前、辺境の惑星を視察した時に土産物屋で買ったんだよ。『風流』という言葉を体現した素晴らしいデザインだろう?指揮杖の代わりにちょうどいいと思ってな。ほら、仰ぐといい風が来るぞ」
「結構です。そのようなふざけた小道具で全軍への発砲命令を下すおつもりですか?歴史家が後で頭を抱えますよ」
「歴史家なんて知ったことか。俺がルールだ。……よし、距離二百万を切ったな。各艦、主砲の照準を敵陣のど真ん中に固定しろ。撃ち漏らしは減給処分にするぞ」
「はっ!全艦、砲門開きます!目標、ローエングラム軍本隊!」
緊迫したオペレーターの叫び声が響く。
一方、その対面にある純白の旗艦ブリュンヒルトの艦橋。
ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥は、純白のマントを翻して指揮席の前に立っている。
彼の蒼氷色の瞳には、眼前に迫るエメラルドグリーンの巨艦がはっきりと映り込んでいる。
「キルヒアイス、敵の動きはどうか?」
「ファルケンハイン軍、陣形を密集状態に保ったまま、各艦の主砲にエネルギーを集中させています。いつでも一斉射撃が可能な状態です。……全く隙がありません」
「だろうな。あの兄上が、陣形を崩すような真似をするはずがない。堅く、そして重い。まさに分厚い鉄の壁だ。だが、いかに分厚い壁であろうと、一点に力を集中させれば必ず風穴は開く!」
「ラインハルト様、距離二百万キロを切りました!敵の射程圏内に突入します!」
「よし!全艦隊、主砲のエネルギー回路を解放しろ!最初の一撃で、敵の出鼻を完全に挫いてやる!出し惜しみはするな!」
ラインハルトが、右腕を前方に向かって鋭く突き出す。
アルブレヒトが、金色の扇子を頭上高く掲げ、そして気合いと共に勢いよく振り下ろす。
「全艦、砲撃開始!ファイエル!!」
「撃てぇ!ファイエル!!」
二人の最高司令官の号令が、全く同タイミングで広大な宇宙空間に解き放たれる。
ズガァァァァァァァン!!!!
音の伝わらないはずの真空の宇宙空間が、錯覚の轟音と共に激しく揺れ動く。
ファルケンハイン軍の数万の砲門から放たれた極太のレーザーと、ローエングラム軍の砲列から放たれた純白のビームが、中間地点で真正面から激突する。
無数の光の矢が交錯し、宇宙空間が真昼の太陽を何千個も集めたかのような、目を焼くほどの強烈な閃光に包み込まれる。
ビーム同士がぶつかり合って生じるエネルギーの奔流が、周囲に漂う微小なデブリを一瞬にして蒸発させ、プラズマの嵐となって荒れ狂う。
一個艦隊同士、他からの干渉を一切受けない、純粋な用兵術と火力のぶつかり合いが、ついにその凄絶な幕を開ける。
「報告!第一波の砲撃戦、両軍ともにエネルギーシールドでほぼ完全に防いでいます! 直撃による艦艇の喪失はごくわずかです!」
「当然だ。あの距離からの正面の撃ち合いで致命傷を負うような間抜けな指揮官は、どちらの陣営にもいない。……だが、これでは埒が明かんな」
閃光が収まりつつあるブリュンヒルトの艦橋で、ラインハルトが舌打ちをする。
互いの防御力と火力が拮抗している状態では、正面からの消耗戦はただ時間を浪費するだけだ。
そして、ラインハルトには、どうしても避けなければならない最悪のシナリオが存在する。
「キルヒアイス!敵に的を絞らせるな!全艦隊に直ちに機動を開始させろ!」
「はっ!しかしラインハルト様、今陣形を崩して散開すれば、敵の集中砲火を浴びる危険があります!」
「構わん、動け!兄上の乗るあの悪趣味な緑色の超戦艦には、規格外の超長距離波動砲『ロンゴミニアド・スピア』が搭載されている!あれの充填が完了する前に、我々が立ち止まっているのは自殺行為に等しい!」
ロンゴミニアド・スピア。
それは、アルブレヒトが己の怠惰な性格を極限までこじらせた結果、「面倒くさい艦隊戦をボタン一つで終わらせるためのチート兵器が欲しい」という極めて不純な動機で、帝国の莫大な国家予算を横領すれすれの強引な手段で注ぎ込んで開発させた、悪魔のような戦略兵器である。
その威力は、一撃で小惑星を粉砕し、一直線上に並んだ艦隊を数千隻単位で蒸発させるという、理不尽の極みと言うべき代物だ。
ただし、その発射には莫大なエネルギー充填時間と、完全に静止した状態での精密な照準固定が必要となる。
つまり、足を止めて正面から睨み合っている現在の状況は、アルブレヒトにその凶悪なスピアを突き出す準備時間を与えているに等しいのだ。
「足を止めれば一気に決められるぞ!全艦隊、即座に三次元的な機動戦闘に移れ!敵の照準システムを撹乱し、常に動き続けろ!」
「了解しました!全艦、散開しつつ前進!エネルギー充填を確認しながら、各個に回避運動と攻撃を継続せよ!」
キルヒアイスが、ラインハルトの意図を完璧に汲み取り、流れるような手つきでコンソールを操作して全軍に複雑な機動指示を飛ばす。
「ふふふ……!ついに待ちに待った妾の出番じゃな!」
「高速戦闘を仕掛ける!我が『桃色竜騎兵(ピンク・ドラグーン)』の圧倒的な機動力と、乙女の愛のパワーを見せつける時じゃ!」
戦場のど真ん中に、宇宙の常識を完全に無視した強烈なショッキングピンクに塗装された一団が、凄まじい推進炎を噴き上げて飛び出してくる。
マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー上級大将が率いる、特務分艦隊である。
彼女の乗る旗艦クリームヒルトを先頭に、ピンク色の戦艦群が、通常の軍事教練では絶対に教えられない、予測不能な複雑怪奇な軌道を描いて突き進む。
「全艦、妾の愛のステップに遅れるなよ!右へ左へ、上へ下へ!敵のレーダーをピンク色で塗りつぶして翻弄せよ!!狙うはオスカー父様の乗る旗艦のすぐ横っ腹じゃあ!」
「ま、マルガレータ閣下!機動が激しすぎます!慣性制御が追いつかず、乗組員が壁に叩きつけられています!」
「気合いで耐えろ!シートベルトを二重に締めよ!愛するジークに妾の勇姿を見てもらうためじゃ、これくらいのGで泣き言を言うな!突撃あるのみじゃあ!」
マルガレータの無茶苦茶な号令の下、桃色竜騎兵たちは物理法則の限界に挑むようなアクロバティックな機動で、ファルケンハイン軍の強固な防衛線を掻き回しにかかる。
その常軌を逸した動きと、目に痛いほどのピンク色の装甲は、ファルケンハイン軍の砲手
たちの視覚とレーダーシステムに深刻なエラーと混乱を引き起こしていく。
「……なんだあのふざけた色の艦隊は。目がチカチカして照準が全く定まりませんよ、閣下。それにあの動き、まるで酔っ払ったハエのようですな」
ロンゴミニアドの艦橋で、ロイエンタールが心底嫌そうな顔をしてメインスクリーンを睨みつける。
彼の金銀妖瞳でさえ、マルガレータの艦隊の不規則な軌道を完全に予測することは困難を極めている。
「……ふん。相変わらず生意気で、やかましくて、そしてデタラメな動きだ」
「だが、ラインハルトの奴、俺の『ロンゴミニアド・スピア』を警戒して足を止めずに高速戦闘に持ち込んできたのは正解だ。あいつなりによく俺の性格と手持ちのカードを分析している。褒めてやってもいい」
「褒めている場合ですか。どうなされますか?このままでは陣形の内側に食い込まれます。迎撃の陣を敷き、弾幕を張って足を止めさせますか?」
「いや、受けて立つ。弾幕で防ぎきれるようなおとなしい連中じゃないからな、あのピンク色は。……それに、勘違いしてもらっては困るな」
アルブレヒトは扇子をパチンと閉じ、指揮席からゆっくりと立ち上がる。
その瞬間、彼の全身から漂っていた「昼寝をしたい怠け者」という気だるいオーラが完全に消失し、代わりに、背筋が凍るような鋭い覇気と、冷酷な武人の牙が剥き出しになる。
「高速戦闘で陣形をかき乱せば、俺が対処できなくなるとでも思ったか?ラインハルトの野郎、俺がいつも要塞のソファで寝転がってばかりいるから、俺の昔の戦い方を忘れたらしいな」
「……閣下?」
「高速機動戦闘こそ、このアルブレヒト・フォン・ファルケンハインの本来の、そして一番の得意分野だ!忘れたかラインハルト!!俺がまだ前線でバリバリと汗を流して働いていた頃、お前たちに戦術の基本を叩き込んだのはどこの誰だと思っている!」
幾多の戦場を生き抜き、その神速の用兵術で敵を翻弄し、現在の元帥という絶対的な地位まで実力で登り詰めた、正真正銘の軍事の天才なのだ。
地位と権力を手に入れてから極端にサボるようになっただけで、その牙は決して錆びついてなどいない。
「オペレーター!スピアのエネルギー充填を全てキャンセルしろ!そのエネルギーを全てメインエンジンと姿勢制御スラスターに回せ!」
「えっ!?しかし閣下、それでは最大の武器が……!」
「武器など後でいくらでも撃てる!今は足を動かすのが先だ!俺の指示した通りに動け!全艦、推力最大!防衛ラインを解除し、こちらからも敵陣に突っ込むぞ!」
「なっ……!閣下、本気ですか!?この巨艦で、あのピンク色の艦隊とドッグファイトを演じるおつもりですか!」
「本気も本気、大本気だ!相手が踊ろうって誘ってきているんだ、こちらも最高のダンスで応えてやらなきゃ男が廃るってもんだろうが!ロイエンタール、ついてこられるか!」
「……ふっ。心外な。ですが、そういう無茶苦茶な命令こそ、私が閣下の下で働く最大の醍醐味というものです。……全艦、推力全開!各艦長、気合いを入れろ!総司令官閣下が自ら陣頭指揮を執られるぞ!」
ロイエンタールの瞳に、狂気と歓喜の入り交じった光が宿る。
彼はコンソールに噛み付くような勢いで指示を入力し、アルブレヒトの無謀な命令を完璧な戦術機動へと変換していく。
エメラルドグリーンの超戦艦ロンゴミニアドが、その巨大な船体を軋ませながら、信じられないほどの急加速を開始する。
「ラインハルト!そしてマルガレータ!お前たちのその小賢しい動きが、いかに底の浅いものか。本当の『用兵』というものの神髄を、この俺がたっぷりと、骨の髄まで見せてやろう!!」
ファルケンハイン軍の全艦隊が、防衛の殻をかなぐり捨て、自らもまた猛烈なスピードでローエングラム軍の陣形へと雪崩れ込んでいく。
「なっ……!ファルケンハイン軍が前進してきます!あのロンゴミニアドが、信じられない速度でこちらに向かって突進してきます!」
「馬鹿な!あの巨体であの速度だと!?慣性制御の限界を超えているぞ!兄上は一体何を考えている!」
「ラインハルト様!敵の先鋒が我が軍の右翼に接触します!このままでは乱戦に持ち込まれます!」
「構わん!こちらも引く気はない!全艦、近接戦闘の用意!兄上のその首、俺が直接この手で獲ってやる!」
広大な宇宙空間を舞台にした、数万隻の戦艦による超高速のすれ違いと、至近距離からのビームの応酬。
陣形という概念はもはや意味を成さず、個々の指揮官の直感と、操艦技術の限界を競う、まさに血みどろの大乱戦へと突入していく。
ピンクの光と緑の光、そして純白の光が、複雑な軌跡を描きながら幾重にも絡み合い、宇宙空間に巨大で恐ろしい光のタペストリーを織り上げていく。
銀河の歴史と覇権を賭けた、皇帝を決めるための兄弟喧嘩は、最初の一撃から一切の出し惜しみなしの、最高潮の熱量を持って燃え上がっているのである。
決戦、ついに開幕です。
今回は各陣営の覚悟と関係性を中心に描きました。
アルとロイエンタールの七年。
ラインハルトとヒルダの夫婦としての覚悟。
マルガレータとキルヒアイスの選択。
そして、何も語らぬ男の胸焼け。
戦闘描写やキャラクターの解釈について、ぜひご意見をいただければ嬉しいです。
次話はいよいよ本格的な用兵戦に入ります。
評価・感想、お待ちしております。
宇宙を統一するのは誰だと思いますか?
-
アルブレヒト
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ラインハルト
-
ヤン・ウェンリー
-
マルガレータ
-
ロイエンタール
-
ルビンスキー