銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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読者の皆様へ

本日は、物語の大きな転換点となる回のため、
特別に 2話同時投稿 とさせていただきました。

内戦編はいよいよ終盤に入り、
これまで積み上げてきた因縁や関係性が一気に衝突する局面となります。

戦場の混乱の中で、多くの人物がそれぞれの覚悟を示す展開となりますが、
この流れは物語開始当初から決めていた構成でもあります。

最後までお付き合いいただければ嬉しいです。


銀河の終局点

宇宙空間を真白に染め上げた二つの巨大な光の球が、ゆっくりと収縮し、やがて完全な虚無へと溶けて消えていく。

 

後に残るのは、瞬く無数のデブリの群れと、通信回路に乗る不快なノイズだけだ。

 

帝国が誇る二つの巨大な命、ジークフリード・キルヒアイスとアナスタシア・ファルケンハインが、文字通り相打ちとなって宇宙から消滅する。

 

その残酷すぎる現実を映し出すメインスクリーンを前に、ピンク色の装甲に包まれた旗艦《クリームヒルト》の艦橋は、凍りついたような静寂に支配されている。

 

「……嘘じゃ。そんな、嘘に決まっておる……」

 

マルガレータの大きな瞳から、大粒の涙が溢れ出しそうになる。

 

「ジークが!?……あやつ、妾と約束したではないか!絶対に死に急ぐなと、私のために生きて勝てと……!あんなにしっかりと頷いて、約束したというのに……!馬鹿者、大馬鹿者じゃ!!」

 

つい数十分前まで、彼女に優しく微笑みかけていた赤毛の青年の姿は、もうどこにもない。

 

彼女の右胸の貫通傷の痛みなど、心が引き裂かれるこの痛みに比べれば、まるで無に等しい。

 

膝から崩れ落ちそうになる彼女の肩を、背後から冷たく、しかし力強い手がガシッと掴む。

 

「閣下!正気を保ちなさい!まだ戦いは終わっておりません。我々はまだ、負けたわけではないのです!」

 

「離せ、オーベルシュタイン!ジークが死んだのじゃぞ!妾の愛する男が、宇宙の塵になってしまったのじゃぞ!泣くことすら許されぬというのか!」

 

「許されません!今ここで貴女が泣き崩れて指揮を放棄すれば、それこそキルヒアイス提督の死は完全に無駄になります!彼はローエングラム候を、そして貴女を守るために、自らの命を盾にして敵の矛を砕いたのです!その血まみれの覚悟を、たかが涙で無下にするおつもりか!」

 

オーベルシュタインの言う通りだ。

ここで立ち止まれば、ジークの命を賭けた特攻は何の意味も持たなくなる。

 

「……!」

 

「……その通りだ、オーベルシュタイン!お前の言う通りじゃ!泣くのは全てが終わってからでいい!今はただ、目の前の敵を粉砕することだけを考えるのじゃ!」

 

彼女の声には、もはや迷いも悲しみも一切含まれていない。

あるのは、純粋な殺意と、復讐の念だけだ。

 

「全艦に通達!これより我が『桃色竜騎兵』は、アルブレヒトの乗る総旗艦《ロンゴミニアド》の懐へと直接突入する!あの忌まわしい緑色の超戦艦を、何としても落とせ!!ジークを死に追いやった全ての元凶を、この砲火で宇宙の果てまで消し飛ばしてやるのじゃ!ジークの仇じゃ!!推力限界まで引き上げよ!」

 

マルガレータの怒号に呼応し、《クリームヒルト》をはじめとするピンク色の艦隊が、メインエンジンのリミッターを完全に解除して、恐るべき速度で前進を開始する。

 

その狂気じみた突撃の様子は、当然ながら目標である《ロンゴミニアド》のセンサーにも即座に捉えられている。

 

「閣下!下方より《クリームヒルト》が異常な速度で急接近してきます!こちらの砲塔の死角、シールドの最も薄い下腹部をピンポイントで突いてきます!」

 

《ロンゴミニアド》の艦橋で、オペレーターのクナップシュタインが、血相を変えて報告の声を張り上げる。

 

「しぶといな、あの放蕩娘め!育ての親のロイエンタールを自分の手で吹き飛ばしておいて、まだ暴れ足りないというのか!親の顔が見てみたいぜ、まったく!」

 

「これ以上、俺の大事なものを奪わせてたまるか!多弾頭ミサイル、全基射出準備!照準は下方のピンク色の艦隊に固定だ!絶対に俺の艦に近づけさせるな!圧倒的な弾幕で、あのハエどもを完全に押し潰せ!」

 

アルブレヒトの命令が下されると同時、《ロンゴミニアド》の船体側面の無数のミサイルハッチが一斉に開放される。

 

「発射!!」

 

数千発にも及ぶ小型の多弾頭ミサイルが宇宙空間へと吐き出される。

それらのミサイルは、それぞれが独自の熱源探知システムを持ち、複雑な軌跡を描きながら艦隊へと殺到していく。

 

「マルガレータ閣下!敵艦よりミサイル来ます!数が多すぎます、レーダー画面が完全に埋め尽くされています!このままでは回避しきれません!」

 

「あの巨大な戦艦に、こんなセコい武装も隠しておったのか!アルブレヒトめ、どこまで卑怯な手を用意しておるのじゃ!」

 

マルガレータが、迫り来る無数の光点を見据えながら舌打ちをする。

 

「……だが、まだまだ!こんなオモチャの弾幕で、妾の愛の突進が止められると思うな!全艦、回避行動を中止!対空迎撃システムに全エネルギーを回せ!レーザー機銃と近接防御火器で、文字通りの対空弾幕を張ってミサイルを防げ!一発も船体に当てるな!」

 

「一点突破じゃ!ミサイルの群れに風穴を開け、そのまま《ロンゴミニアド》の装甲を食い破るのじゃ!!」

 

連続する爆発の衝撃波が船体を激しく揺さぶるが、マルガレータの艦隊は一歩も引くことなく、着実に《ロンゴミニアド》との距離を詰めていく。

 

「ちっ!あの対空砲火の密度、尋常じゃないぞ!マルガレータの奴、完全にイカれてやがる!」

 

しかし、彼の視線はすでに、足元から迫る《クリームヒルト》ではなく、正面の遠方に浮かぶ純白の総旗艦《ブリュンヒルト》へと固定されている。

 

「……捉えたぞ、ラインハルト。お前がキルヒアイスの死に気を取られて、一瞬だけ足を止めたその隙をな。……正面の《ブリュンヒルト》へ、この超戦艦の最大最強の牙、超大型艦首重粒子砲『ロンゴミニアド・スピア』を叩き込む!」

 

「これで全て終わりだ。お前のその馬鹿げた野望も、俺の平穏な生活を脅かす全ての元凶も、この一撃で消し飛ばしてやる!」

 

《ロンゴミニアド》の巨大な艦首部分の装甲が左右にスライドし、中から恐るべき威力を秘めた重粒子砲の砲身が姿を現す。

 

「エネルギー充填率、限界突破の120%!システムオールグリーン!目標、ローエングラム軍総旗艦、完全にロックオンしました!」

 

「放てぇ!!」

 

 

一方、その真下で決死の突撃を続けている《クリームヒルト》

 

マルガレータの神がかった直感と、クルーたちの必死の弾幕展開により、飛来する数千発のミサイル群は次々と空中で撃ち落とされ、艦隊への直撃は奇跡的に避けられている。

 

「よし!全て叩き落としたぞ!見ろ、艦首が開きかけておる!ラインハルトに、あのビームを撃たせるな!全砲門、仰角最大!下から撃ちまくれ!スピアの砲身そのものを狙って、物理的に破壊してやるのじゃ!」

 

その瞬間。

 

「!!閣下、右舷です!直ちに緊急回避を!!」

 

「何!?」

 

マルガレータが、右舷のモニターへと視線を向け。

 

ズドン!!

 

「きゃあああ!!」

 

艦橋内の照明が一瞬で消え去り、代わりに非常用の赤い警告灯が激しく点滅し始める。

 

「何が起きたのじゃ!!敵のミサイルは全て撃ち落としたはずであろうが!」

 

「右舷機関部に直撃弾を受けました!装甲が完全に貫通されています!」

 

血まみれになったオペレーターが報告を上げる。

 

「どういうことだ、オーベルシュタイン!どこから撃たれたというのじゃ!」

 

「……完全に死角を突かれました。ロンゴミニアドの巨大な船体の陰に、光学迷彩で完全に気配を消して隠れていた随伴の駆逐艦が一隻、存在していたのです。我々がミサイル迎撃とスピアの砲身破壊に全神経を集中させたその瞬間を狙って、至近距離から不意打ちの対艦ミサイルを撃ち込んできたのです」

 

「そんな……!アルブレヒトめ、どこまで狡猾な男なのじゃ!」

 

ドォォォォン!!

 

マルガレータの言葉を遮るように、右舷機関部から二度目の、さらに巨大な爆発音が轟く。

 

誘爆が始まったのだ。

 

「被害拡大!右舷のメインエンジン、完全に沈黙!動力パイプの連鎖爆発が止まりません!艦の右半分が……吹き飛びます!!」

 

「きゃあああああっ!!」

 

船体が、右半分を無惨に引きちぎられ、宇宙空間に大量の破片と炎を撒き散らしながら、きりもみ状態となってコントロールを失っていく。

 

 

 

 

 

 

 

「うう……まだじゃ!まだ終わっておらん!エンジンはまだ生きている……!勝つのじゃ!ジークとの約束を、こんなところで終わらせてたまるものか!!」

 

彼女の額からは赤黒い鮮血が流れ落ち、軍服を痛々しく染め上げているが、その瞳に宿る執念の炎は少しも衰えることを知らない。

 

艦内の照明は完全に落ち、非常用の赤いサイレンが明滅を繰り返している。

 

あちこちで動力パイプが断裂し、火花が散る中、彼女は生き残った左舷のメインエンジンだけを頼りに、クリームヒルトの船体を無理やりに前へと進めようとしている。

 

「閣下!船体の構造限界を完全に超えています!これ以上の推進は、艦そのものの分解を招きます!」

 

「うるさい!限界など愛と気合で超えよ!全速前進じゃ!目標はただ一つ、アルブレヒトの乗るロンゴミニアドのど真ん中!このままあの緑の化け物に突っ込め!桃色竜騎兵の意地を見せてやる!!!」

 

彼女は自分の命など、とうの昔に投げ出している。育ての親であるロイエンタールを討ち、愛するキルヒアイスを失った今、彼女を突き動かしているのは、ただ目の前の巨大な敵を道連れにするという純粋な復讐心だけだ。

 

「閣下!」

 

「オーベルシュタイン、貴様はここで脱出せよ。……脱出カプセルは左舷にまだ残っておるはずじゃ。さっさと逃げろ」

 

「……何を仰るのですか。私は貴女の参謀です」

 

「ここから先は、地獄行きの片道切符じゃ。お前のような冷血漢が付き合う義理はない。……お前の知略と計算能力は、ラインハルトが宇宙を手に入れた後の、新しい帝国に絶対に必要じゃ。こんなところで、妾の個人的な復讐の道連れになって死ぬのは、お前の言う『合理的』ではないじゃろう?」

 

オーベルシュタインは、その言葉を受けて、しばらくの間沈黙する。

 

彼が導き出した答えは、彼自身がこれまで信奉してきた徹底的な合理主義とは、全く正反対のものであった。

 

「……却下します。お供します!」

 

「!」

 

「私の計算によれば、貴女を一人でこの特攻に向かわせた場合の成功確率は極めて低い。私が軌道計算とエンジンの出力調整をサポートして、初めてその特攻は意味を成すのです。それに……」

 

「私の主君は、貴女だけです。……最期まで」

 

ただ、目の前でボロボロになりながらも決して立ち止まろうとしない、この不器用でやかましい少女の隣で、共に燃え尽きることを彼は選んだのだ。

 

それが、彼の中で芽生えていた、名付けようのない「熱」の正体であった。

 

「………オーベルシュタイン」

 

マルガレータの瞳から、ついに大粒の涙が零れ落ちる。

彼女は泣き笑いのような、美しく、そして切ない微笑みを浮かべる。

 

「………ありがとう。お前は本当に、最高に可愛げのない、最高の参謀じゃ。……行くぞ!!二人で、あの緑の巨城に風穴を開けてやるのじゃ!!」

 

半壊したクリームヒルトが、最後の推進剤を全て噴射し、凄まじい轟音と共に、ロンゴミニアドの下腹部に向かって決死の突進を開始する。

 

「閣下!クリームヒルト、減速しません!右舷を失ったまま、真っ直ぐにこちらへ突っ込んできます!!」

 

「なんだと!!あの小娘、本当に命を捨てる気か!ロイエンタールを巻き込んだだけでは飽き足らず、この俺まで道連れにするつもりか!」

 

クリームヒルトの狙いは、ロンゴミニアドの装甲が最も薄く、多重シールドの展開システムが集中している下腹部のジェネレーター部分だ。

あそこにあの質量の戦艦が特攻してくれば、いかにロンゴミニアドといえど、ただでは済まない。

 

「ぐうううう!!面舵一杯!全スラスターを吹かせ!回避しろ!あのイカれたピンク色に触れさせるな!」

 

しかし、オーベルシュタインの精密な軌道計算と、マルガレータの執念の操舵が合わさったクリームヒルトの突進は、ロンゴミニアドの回避行動を完全に読み切っていた。

 

半壊したクリームヒルトの鋭い艦首が、ロンゴミニアドの分厚い下腹部の装甲に深々と突き刺さる。

 

その凄まじい物理的衝撃によって、ロンゴミニアドの艦内は激震に見舞われ、クルーたちが次々と床に叩きつけられる。

 

「うおおおおっ!!」

 

「機関部、被弾!クリームヒルトの船体が、第三ジェネレーターに突き刺さっています!」

 

クナップシュタインが、血を流しながらコンソールにしがみついて叫ぶ。

 

クリームヒルトは、自らの船体を完全に圧壊させながらも、ロンゴミニアドの急所を的確に破壊していた。

 

「シールド発生装置、制御不能!エネルギーの逆流が起きています!多重シールド、完全にダウンします!」

 

鉄壁の防御を誇ったアルブレヒトの巨城が、ついにその無防備な素肌を宇宙空間に晒したのだ。

 

「シールドが死んだか……!あの馬鹿娘、本当にやりやがった!」

 

アルブレヒトが、床から這い上がりながら、血走った目でモニターを睨みつける。

 

「だが、まだ主砲は生きている!シールドが剥がれようが関係ない!ロンゴミニアド・スピアの充填はすでに完了しているんだ!あの一撃さえ撃ち込めば、全てが終わる! ラインハルトを宇宙の塵にすれば俺の勝ちだ!撃て!!今すぐ撃ち放て!!」

 

「……マルガレータが、自らの命を賭して道を切り開いた!見ろ、ロンゴミニアドを覆っていたあの忌まわしいシールドは完全に消え去っている!あいつが、俺たちに最大のチャンスをくれたのだ!」

 

「敵の超大型主砲、発射秒読みです!このままでは直撃を受けます!直ちに緊急回避を!」

 

「まだだ!回避するな!今ここで回避行動をとれば、再び敵に体勢を立て直す隙を与えることになる!シールドのない今のロンゴミニアドの懐に、一気に潜り込むのだ!」

 

「突撃!発射寸前の『ロンゴミニアド・スピア』の巨大な砲口に、ブリュンヒルトの艦首から直接体当たりを仕掛ける!!機関部、全エネルギーを推進力に回せ!」

 

「なっ!閣下!?正気ですか!」

 

「正気だ!敵の主砲は巨大すぎるがゆえに、発射直前の数秒間は砲身の角度を微調整できない!その隙を突き、砲口のど真ん中にブリュンヒルトをねじ込めば、物理的に発射を阻止できる!キルヒアイスもマルガレータも、命を懸けて俺をここまで運んでくれたのだ! 《ブリュンヒルト》もまた特攻を仕掛ける!……兄上の懐に飛び込めぇ!!」

 

質量と質量がぶつかり合う、宇宙時代において最も原始的で、最も暴力的なチキンレースだ。

 

「ラインハルト!貴様、自分の艦ごと俺の砲口を塞ぐか!!」

 

ドォォォォォォン!!!!!

 

ブリュンヒルトの艦首が、ロンゴミニアドの巨大な主砲口に真正面から突き刺さり、分厚い装甲をひしゃげさせながら、そのまま奥深くへとねじ込まれていく。

 

ロンゴミニアド・スピアの砲身内部で収束しつつあった莫大な重粒子エネルギーは、ブリュンヒルトの船体という巨大な物理的障害物によって行き場を失い、内部で暴発を起こしてショートする。

 

「接舷成功!……敵の主砲は完全に沈黙した!我々の勝利への道は開かれた!」

 

「これより敵艦に直接乗り込む!艦隊戦は終わりだ!ここからは白兵戦だ!!装甲擲弾兵部隊、俺に続け!行くぞ!兄上の首を、この手で直接取る!」

 

ラインハルトの号令に、生き残ったクルーたちが雄叫びを上げて応える。

純白の軍服を血と煤で汚しながら、若き覇者は自ら先頭に立って、敵艦へと通じるハッチへと駆け出していく。

 

ブリュンヒルトの艦首が突き刺さった衝撃は、この超戦艦の内部にも甚大な被害をもたらしていた。

アルブレヒトは、激しい衝撃で指揮席から弾き飛ばされ、硬い金属の床に無様に叩きつけられている。

 

「……かはっ!ゴホッ!ゴホッ!!」

 

彼が口を右の手のひらで押さえると、その指の隙間から、ドクドクと大量の赤黒い鮮血が溢れ出し、床のカーペットを汚していく。

 

呼吸をするたびに肺が焼け焦げるように痛み、視界がチカチカと明滅する。

 

「閣下!アルブレヒト閣下!お怪我を!衛生兵!早く衛生兵を呼べ!」

 

クナップシュタインが駆け寄り、アルブレヒトを抱き起こそうとする。

 

「……触るな」

 

アルブレヒトが、低い声で制止する。

彼はクナップシュタインの手を払い除け、壁に手をつきながら、震える両足でゆっくりと立ち上がる。

 

「……この………いい度胸だ、ラインハルト。俺の自慢の主砲を、自分の艦を犠牲にして物理的に塞いでくるとはな……!あいつ、本当にどこまでも俺の想定を超えて、面倒くさい手を使ってきやがる」

 

彼がそこから取り出したのは、高出力の大型ブラスターライフルと、帝国軍の将官が儀礼用ではなく実戦用として用いる、分厚く重い実体剣のサーベルである。

彼はブラスターの安全装置を解除し、サーベルを右手にしっかりと握りしめる。

 

「全員、武器を取れ!迎撃用意だ!敵はハッチを破ってこの艦橋まで乗り込んでくるぞ!……俺の愛する妻を奪い、俺の平穏な生活をぶち壊したあの金髪の小僧を、絶対に生かして返すな!」

 

「……俺に、白兵戦で勝てると思うなよ、ラインハルト。俺がこれまで、どれだけ裏で泥水をすすって生き延びてきたか、その身に刻み込んでやる!」

 

「……アナ……見ていろ」

 

「お前の仇は、俺が必ず取る。……俺の、最後の舞踏(ダンス)を……特等席で見ていてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

爆散して宇宙の塵となった艦から、間一髪で射出された小型の脱出シャトル。

 

冷たい金属の壁に背中を預け、オスカー・フォン・ロイエンタール上級大将は、自身の顔にべっとりと付着した黒い煤と血の混じった汚れを、軍服の袖で乱暴に拭い取る。

 

「……運がいいのか悪いのか。……艦を失って、おめおめと生き残るとはな」

 

彼の隣で、操縦桿をきしむほどに強く握り締めている副官のベルゲングリューンが、前方の窓から広がる凄惨な景色から目を離さずに答える。

 

「運は良いですよ。絶対にそう思いましょう、閣下。……命さえあれば、そしてアルブレヒト閣下が生きていれば、我々はまだいくらでもやり直せます。あの爆発から五体満足で逃げ出せたこと自体が、奇跡以外の何物でもないのですから」

 

ベルゲングリューンの声は震えているが、必死に自分と上官を鼓舞しようとしている。

 

そこには、言葉を失うような地獄絵図が広がっている。

彼らの総旗艦であるロンゴミニアド。

その巨大な下腹部に、右半分を失ってボロボロになったクリームヒルトが、巨大な槍のように深々と突き刺さっているのだ。

 

どう見ても、あの中にいる人間が無事で済むような激突ではない。

 

「……馬鹿者が」

 

「親より先に死ぬなよ……。あんなに俺の戦術を完璧にコピーして、俺を出し抜いてみせたんだ。……あんな見事な罠を仕掛けられるようになったお前が、なんでこんな無茶な特攻なんて馬鹿な真似をするんだ……マルガレータ」

 

悲しみに暮れている余裕はない。戦場はまだ動いている。

 

「ベルゲングリューン、ロンゴミニアドのハッチへ急げ!あそこが全ての終着点だ!閣下の安否を確認し、そして……あいつらがどうなったか、この目で確かめなければならない!」

 

「了解しました!手動制御で強行接舷します!衝撃に備えてください!」

 

 

分厚い隔壁をこじ開け、ロンゴミニアドの内部通路へと足を踏み入れたロイエンタールとベルゲングリューンを待っていたのは、想像を絶する惨状だ。

 

クリームヒルトの特攻と、それに続くブリュンヒルトの艦首からの激突。

 

二隻の戦艦の特攻を立て続けに受けたロンゴミニアドの内部は、至る所で誘爆が起き、激しい火災が発生している。

 

壁はひしゃげ、天井からは太いケーブルが千切れて垂れ下がり、火花を散らしている。

しかし、アルブレヒトが莫大な予算をつぎ込んだその異常なまでの堅牢な設計のおかげか、船体そのものの崩壊は免れており、中枢機能へ続く通路はまだギリギリのところで形を保っている。

 

「ひどいな……これは……。完全に地獄の釜の底だ」

 

空気は煙と焦げた臭いで充満し、呼吸をするだけで肺が焼けるように痛む。

周囲には、逃げ遅れたクルーたちの遺体が無数に転がっている。

 

その時だ。

 

「誰かいないか!誰か!!誰でもいい!!」

 

「マルガレータ様を助けてくれ!!!お願いだ、誰か来てくれ!!」

 

その声の主には、全く聞き覚えがない。いや、声質そのものは知っている。しかし、その声がこんなにも感情を剥き出しにして、泣き叫ぶように歪んでいるのを聞いたことがないのだ。

 

「!!ベルゲングリューン、今の声……オーベルシュタインか!?」

 

「えっ!?あのオーベルシュタイン閣下が、あんな大声で叫ぶわけが……!」

 

ロイエンタールはベルゲングリューンの言葉を待たず、弾かれたように声のする方向へと駆け出す。

 

炎を抜け、崩れかけた隔壁をくぐり抜けた先、クリームヒルトの船体が突き刺さっている区画のすぐ近く。

 

そこに、ロイエンタールの視覚が捉えたのは、彼の生涯において絶対に忘れることのできない、信じがたい光景だ。

 

瓦礫の山の中で、一人の男が力なく座り込んでいる。

漆黒の軍服はボロボロに引き裂かれ、全身が煤と血で汚れている。

 

オーベルシュタインの顔は、普段の冷徹な参謀のそれではない。

彼のトレードマークであり、冷酷な計算機の象徴であった両目の義眼は、激しい爆発の衝撃で完全に吹き飛んでいる。

ぽっかりと空洞になった二つの眼窩から、真っ赤な鮮血がとめどなく流れ落ち、彼の青白い頬を伝って顎から滴り落ちている。

 

そして、その震える細い腕の中には、一人の少女が大切に抱きしめられている。

軍服は焼け焦げ、全身に鋭い金属の破片が無数に突き刺さり、見るも無惨に血まみれになったマルガレータだ。

彼女の金色の髪は血と煤で汚れ、その顔は信じられないほどに真っ白だ。

 

「誰か!医者はいないか!軍医はどこだ!彼女が……彼女が息をしていないんだ!!」

 

彼はマルガレータの血まみれの頬を震える手で何度も撫で、自らの顔を彼女の顔にすり寄せるようにして、必死に呼びかけている。

 

「マルガレータ!」

 

「誰だ!敵か!近づくな、彼女には指一本触れさせないぞ!」

 

「俺だ!ロイエンタールだ!落ち着け、オーベルシュタイン!」

 

ロイエンタールが、オーベルシュタインの肩を強く掴む。

 

「ロイエンタール提督……!助けてくれ!激突の瞬間、彼女が私を……私なんかを庇って、コンソールの下へと私を突き飛ばしたんだ!私が計算して指示を出すべきだったのに、彼女が自分で盾になって……!」

 

ロイエンタールは何も言わず、膝をつき、マルガレータの細い首筋にそっと指を当てる。

……脈はない。

 

胸に耳を近づけても、呼吸の音も、心臓の鼓動も全く聞こえない。

 

「くそっ……!死ぬな!嘘だろう、マルガレータ!お前、キルヒアイスと結婚するんじゃなかったのか!こんなところで死んでどうするんだ!」

 

しかし、彼もまた歴戦の指揮官だ。

ここで泣き崩れていても、現実は一ミリも変わらないことを知っている。

 

「オーベルシュタイン!立てるか!まだ諦めるな!」

 

「……え?」

 

「この戦艦の医務室は、中枢ブロックの奥深くにある!あそこならこの火災でもまだ生きているはずだ!あそこには、閣下が導入させた、帝国で一番性能のいい最新の細胞再生槽がある!まだ完全に脳が死んでいなければ、あるいは間に合うかもしれない!」

 

ただの気休めかもしれないし、無駄な足掻きかもしれない。

しかし、今ここで何もしないで彼女の死を受け入れることなど、彼には絶対にできないのだ。

 

「再生槽……!そうか、まだ、確率がゼロになったわけではない……!」

 

「頼む……ロイエンタール上級大将……!マルガレータ様を……!彼女を助けてくれ!息をしてくれ!私の計算では……私の計算では、彼女がここで死ぬなんていう結果は、絶対に出ちゃいけないんだ!こんな非合理的な結末、私は絶対に認めない!」

 

覇権争い、皇帝の座、銀河の統一。

そんな大義名分は、この血まみれの少女の命の前では、あまりにも軽くて、くだらないものに思えてくる。

 

「……ああ。俺はもう降りた」

 

彼は、オーベルシュタインの腕の中からマルガレータの体をそっと受け取り、自分の胸にしっかりと抱きかかえる。

 

「ラインハルトとアルブレヒトの、どっちが宇宙を手に入れようが、そんな勝敗などもうどうでもいい。この内戦は、これ以上はただの地獄だ。俺はもう、これ以上大事な奴が死ぬのを見たくない」

 

「ベルゲングリューン!手を貸せ!オーベルシュタインに肩を貸してやれ!あの子を医務室へ運ぶぞ!絶対に死なせはしない!」

 

「はっ!こちらです、閣下!ルートを確保します!」

 

ロイエンタールにとってもはや戦いの行方はどうでもいい。

彼が今守るべきは、自分の腕の中で冷たくなっていく、この不器用で愛おしい娘の命だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

生き残ったオペレーターたちはすでに退避し、あるいは瓦礫の下で静かに眠る。

逃げ場のない鉄の棺桶と化したこの空間に、今、生きている人間は二人しかいない。

 

ひしゃげた豪華な玉座の前。

アルブレヒト・フォン・ファルケンハインが、ゆっくりと立ち上がる。

彼の口元からとめどなく溢れ出す鮮血が、床のカーペットをどす黒く染め上げる。

 

彼は手の甲で血を乱暴に拭い捨て、床に転がっていた実戦用の重いサーベルを拾い上げ、真っ直ぐに構える。

 

「ラインハルト!……さあ、決着だ!!」

 

「お前がずっと望んでいた皇帝の座だ!欲しければ、この俺を倒して、その手で直接奪ってみろ!」

 

対するラインハルト・フォン・ローエングラムもまた、純白の軍服を煤と返り血で汚しながら、腰のサーベルを抜き放つ。

 

「おおおおっ!!お前さえいなければ!キルヒアイスの仇!!」

 

ラインハルトが、獣のような叫び声を上げて床を蹴る。

二人の英雄が、互いの命を削り合うために激突する。

 

体格はほぼ同じ、いや、むしろ若いラインハルトの方が体力では勝っているはずだ。

しかし、サーベルを通して伝わってくる腕力、そして剣の軌道をコントロールする熟練度は、病に蝕まれているはずのアルブレヒトの方が完全に上回る。

 

「どうした!剣が軽いぞ、ラインハルト!」

 

「怒りで我を忘れて、動きが素人みたいに大振りになっているじゃないか!お前の剣術の教官は、そんな雑な振り下ろし方を教えたのか!」

 

「黙れ!黙れ黙れ黙れ!!お前を殺す!!」

 

ラインハルトが、体勢を崩しながらも強引に二撃目、三撃目を放つ。

しかし、その全てが空を切るか、アルブレヒトのサーベルの腹でいとも簡単に受け流される。

 

「冷静さを失った指揮官は、ただの案山子だ!お前はいつもそうだ、自分の思い通りにいかないとすぐ感情的になる!」

 

ザシュッ!!

 

「ぐあっ!」

 

アルブレヒトのサーベルの切っ先が、ラインハルトの右肩のを切り裂き、深く肉に食い込む。

 

しかし、アルブレヒトの追撃は止まらない。

 

「口ほどにもない!キルヒアイスの仇だと?笑わせるな!あいつを死地に追いやったのは、他でもないお前自身の傲慢さだろうが!」

 

「違う!俺はあいつと、一緒に宇宙を手に入れると……!」

 

「一緒にだと?お前はあいつを自分の都合のいい盾として使っていただけだ!俺の大事なアナを巻き込んで、お前は自分の手を汚さずに玉座に座るつもりだったのか!」

 

「ふざけるな!俺は誰よりもあいつを……!」

 

ザクッ!!

 

「ああっ!」

 

言葉を返すラインハルトの左太腿を、アルブレヒトの容赦のない刃が切り裂く。

 

アルブレヒトは口から絶えず血を流しているというのに、その動きはまさに鬼神の如き強さだ。

 

「そんな腕で、そんな未熟な覚悟で、この広大な宇宙が統べられると思うなよ、金髪の孺子!」

 

「これで終わりだ!地獄でキルヒアイスに詫びてこい!」

 

「……まだだ!!俺はまだ、負けん!!」

 

ラインハルトが、最後の力を振り絞って床を蹴る。

彼は立ち上がって剣で受けるのではなく、自らのサーベルを手放し、文字通りの捨て身のタックルをアルブレヒトの懐へと仕掛ける。

 

「なっ!?」

 

ラインハルトの肩がアルブレヒトの腹部にクリーンヒットし、振り下ろされるはずだった剣の軌道が大きく逸れる。

二人の男は激しくもつれ合い、そのまま金属の床へと転がり込む。

 

彼は血に染まった拳を振り上げ、アルブレヒトの顔面を殴りつける。

 

「お前が!お前が門閥貴族にこだわらなければ!」

 

ゴッ!という鈍い音が響き、アルブレヒトの頬が大きく腫れ上がる。

しかし、アルブレヒトは全く怯むことなく、ラインハルトの胸ぐらを掴み、強引に体を反転させて逆にラインハルトを下敷きにする。

 

「俺がこだわっただと!?ふざけるな!俺はただ、面倒くさい争いを避けて、のんびりと昼寝がしたかっただけだ!お前が勝手に戦争を吹っ掛けてきたんだろうが!」

 

アルブレヒトの重い拳が、ラインハルトの顔面を容赦なく打ち据える。

 

「ぐはっ!」

 

「お前のそのふざけた態度が!腐った貴族どもを甘やかすそのやり方が、俺は昔からどうしても許せなかったんだよ!」

 

「ガッ……!青臭い理想ばかり並べて、現実の泥掃除から目を背けるお前のその潔癖症こそが、一番の害悪なんだよ!」

 

「はあ……はあ……!」

 

(ゴフッ!)

 

口から再び大量の血の塊が吐き出される。

それでも、彼の拳の重さは全く衰えない。

 

その一撃一撃に、失われた平和な生活と、妻の命の重さが込められているからだ。

 

「はあ……はあ……!くそっ……!」

 

「なぜ……なぜ倒れない……!お前の体は、もうボロボロのはずだろう……!」

 

「倒れるわけがないだろうが!俺はまだ、お前に払ってもらう慰謝料の計算が終わっていないんだよ!」

 

アルブレヒトが、ラインハルトの腹部をさらに強く蹴り上げる。

 

もはや、ラインハルトに抵抗する力は残っていない。

 

アルブレヒトは、荒い息を吐きながら、軍服の隠しポケットから小型だが殺傷力の高い軍用ブラスターを引き抜く。

 

彼はその冷たい銃口を、ラインハルトの汗と血に塗れた眉間にピタリと突きつける。

 

「……チェックメイトだ、愚かな弟よ」

 

 

ラインハルトは、突きつけられた銃口から逃げようともせず、ただ真っ直ぐに、アルブレヒトの目を睨み返す。

 

「……撃て」

 

「お前の勝ちだ、兄上。……さっさと引き金を引け。……だがな、俺の魂は、俺の流した血は、貴様を永遠に呪い続けるぞ。お前が手に入れる平和は、俺とキルヒアイスの屍の上にしか成り立たない、血塗られたものだと忘れるな」

 

「……ああ。分かっているさ。そんなことは百も承知だ」

 

「俺はこれから、お前が残した面倒くさい後始末を、一生かけて片付けていくんだ。お前は何も考えずに、地獄でゆっくりと休んでいろ」

 

「……キルヒアイスによろしく伝えておくよ」

 

「終わりだ!!」

 

アルブレヒトの指が、ブラスターの引き金に深くかかる。

銀河の歴史が、今まさに一人の天才の死によって、完全に新しいページへと書き換えられようとする、その瞬間。

 

キューーーーン!!

 

閃光が走る。

 

アルブレヒトとラインハルトの二人の動きが、まるで時間が停止したかのように、完全に止まる。

 

撃たれたのは、誰だ?

そして、撃ったのは、誰だ?

 

赤い非常灯が、対峙する二人の男の顔を、ただ無言で照らし出し続ける。




ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

今回の戦闘は、この物語の中でも最も大きな局面の一つです。
多くの人物がそれぞれの立場で覚悟を決め、
その結果が連鎖的に戦場を大きく動かしていく回となりました。

かなり激しい展開となったため、
読者の皆様の感想や受け取り方も様々ではないかと思います。

宇宙を統一するのは誰だと思いますか?

  • アルブレヒト
  • ラインハルト
  • ヤン・ウェンリー
  • マルガレータ
  • ロイエンタール
  • ルビンスキー
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