銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
かつて銀河経済を裏から操っていたフェザーン自治領は、ヤン・ウェンリーによる電撃的な占領によって消滅します。
では、その支配者であったアドリアン・ルビンスキーは、その後どうなったのか。
今回は、フェザーン崩壊後の彼らの意外な「その後」を描いた回になります。
少しコメディ寄りのエピソードですが、楽しんでいただければ幸いです。
「だから!私が本物のフェザーン自治領主、アドリアン・ルビンスキーだと言っているだろうが!この顔を見てわからんのか!全宇宙の経済を裏で操ってきた、この『フェザーンの黒狐』の顔を忘れたとは言わせんぞ!」
しかし、彼を冷ややかに見下ろしている宰相府の警備衛兵は、顔の筋肉をミリ単位すら動かさず、極めて事務的な、まるでマニュアルを棒読みするような声で冷酷に言い放つ。
「偽物はみんなそう言うんですよ。それに貴方……大変申し上げにくいのですが、ここ数日間にこの正門へやって来た他の『自称ルビンスキー』の偽物たちに比べると、割と似ていないほうかと思います」
「なっ!?似ていないだと!?私より私に似ている偽物がいるとか、そんなふざけた物理法則があり得るのか!?」
「ええ。昨日の午後に来た偽物のルビンスキーさんは、頭の輝きがもっと自然でしたし、葉巻のくわえ方にも堂々とした風格がありました。貴方のは、どうも作り物めいているというか、切羽詰まった小悪党のオーラが滲み出すぎているんですよ」
「小悪党のオーラだと!?無礼な!私が本物なのだから、これが正真正銘のルビンスキーのオーラだ!あのヤン・ウェンリーという宇宙最強の強盗に国ごと財産を差し押さえられて、夜逃げ同然で逃げ出してきたのだから、切羽詰まっているのは当たり前だろうが!」
彼の背後には、同じくフェザーンから逃げ延びてきた側近たち、ルパート・ケッセルリンク、ニコラス・ボルテック、そして愛人のドミニク・サン・ピエールが、疲れ切った顔で立ち尽くしている。
彼らはかつてフェザーンで絶対的な権力を握っていたエリートたちだが、今は着の身着のまま、ハイネセンの強盗総統の電撃的な侵略によって全てを奪われ、帝国のファルケンハイン新体制に再就職の売り込みにやって来た、ただの哀れな難民集団に成り下がっている。
「事情はどうあれ、ここは帝国最高権力者であるファルケンハイン宰相閣下の執務府です。アポなしの飛び込み営業はお断りしております。どうしても面会したいと言うなら、正式な身分証明書と、オーディン市役所が発行した住民票、それに過去三ヶ月の納税証明書を提出してください。話はそれからです」
「だから!フェザーン失陥の時にヤン・ウェンリーの軍事行動があまりにも早すぎて、荷物をまとめる暇もなく、パンツ一丁から慌ててズボンを履いて逃げ出してきたのだと何度も言っているだろう!身分証もパスポートも、全部机の引き出しに置いたままなのだ!あの悪魔のような民主主義のペテン師が、私の愛用していた純金製のボールペンまで持っていきおったのだぞ!」
「大変なご苦労をされたのは同情いたしますが、身分証がないのではどうしようもありません。規則は規則です。お引き取りを」
「融通の利かない役人め!……そうだ、ならばこの男の証言ではダメか?こいつは私の補佐官を務めていた、ルパート・ケッセルリンクだ!帝国軍の将官たちとも面識があるはずだ!」
ルビンスキーは、背後にいたケッセルリンクの襟首を掴み、無理やりに衛兵の前に突き出す。
「……確かに、この方は以前、外交の場でお見かけしたケッセルリンク補佐官に少し似ておられますが」
「少しじゃない!本人だ!」
「ですが、だからといって、貴方が本物のルビンスキー自治領主だという決定的な証明にはなりません。赤の他人が、ケッセルリンク補佐官のそっくりさんと組んで行っている、手の込んだ集団詐欺かもしれませんし。最近はホログラム整形技術も進歩していますからね。通すわけには参りません」
「どんな疑い深さだ!ならばこっちはどうだ!ニコラス・ボルテックだ!!」
ルビンスキーが、今度はボルテックを突き飛ばす。
「あの、少しだけでも通していただけませんか?ほんの少し、立ち話で構いませんので。ファルケンハイン閣下とお会いできれば、必ず私たちが本物だと証明してみせますから」
「無理です。貴方のような、いかにも胡散臭い揉み手をする男を宰相府に入れるなど、セキュリティ上の重大なインシデントになります」
「胡散臭いって……事実だから言い返せないのが辛いですね……」
「ええい、役立たずどもめ!ドミニク!お前も何か言え!その女の武器を使って、この堅物の衛兵を丸め込まんか!」
ドミニクは、ため息をつきながら艶やかな髪をかき上げ、胸元の少し開いた服を強調しながら、衛兵に色っぽい視線を投げかける。
「ねえ、衛兵さん。私たち、本当に遠くから逃げてきて、もうクタクタなの。少しだけ中で休ませてくれないかしら?ファルケンハイン閣下に取り次いでくれたら、後で個人的に、とってもいいお礼をしてあげるわよ?」
しかし、ファルケンハイン宰相府の警備を任されている衛兵は、アルブレヒトによる徹底的なコンプライアンス研修とセクハラ防止講習をみっちりと叩き込まれた、鋼鉄の理性を持つエリート中のエリートである。
「申し訳ありませんが、当施設ではいかなる個人的な賄賂や利益供与も、コンプライアンス違反として厳しく罰せられます。また、その過度な露出と扇情的な態度は、公序良俗に反する恐れがありますので、これ以上続けるようであれば、風紀紊乱の罪で直ちに憲兵隊を通報させていただきます」
「……冗談じゃないわ。なんなのこの石頭。フェザーンなら五秒で落ちるのに、帝国の役人は面白みも何もないわね」
「どうだ、分かっただろう!私にはこれだけの個性的な仲間が揃っているのだ!こんなアクの強い集団、偽物で用意できるわけがないだろう!」
「いえ、むしろあまりにもテンプレ通りの『没落した悪役ご一行様』すぎて、三流の劇団員が役作りをしてやって来たとしか思えません。申し訳ありませんが、ファルケンハイン閣下は現在、新しい双頭体制の構築と、ヤン・ウェンリー強盗総統に対する国際裁判の準備で、一分一秒を争う激務の最中にあります。貴方たちのような身元不明のコント集団の相手をしている暇はないのです。速やかにお引き取りを」
衛兵が、ついに腰のブラスターのグリップに手をかけ、明確な威嚇の姿勢を見せる。
「な、なんだと……!この私が、フェザーンの支配者だったこの私が、こんな一介の門番に追い払われるというのか!ヤン・ウェンリーめ、あの男がフェザーンの資産をごっそりと奪い去って、同盟の財政を黒字化してふんぞり返っているというのに、なぜ本物の持ち主である私が、オーディンの冷たい風の中で門前払いを食らわねばならんのだ!理不尽だ!宇宙の法則が乱れている!」
しかし、彼の絶叫も虚しく、冷たい金属の門はピシャリと完全に閉じられ、彼の希望は完全に絶たれる。
「……終わりましたね、閣下」
「帝国に逃げ込めば、ファルケンハイン元帥なら我々の経済的知識を高く買ってくれて、すぐさま財務のトップに返り咲けるという貴方の甘い目論見は、見事に最初のゲートで粉砕されました。身分証一枚ない我々は、この広大な帝国において、ただの不審な難民でしかありません」
「うるさい!わかっている!だが、他にどうしろというのだ!私たちの口座は全てヤン・ウェンリーに凍結され、現金すらろくに持っていないのだぞ!」
「とりあえず、今日の寝床と食事を確保しなければなりません。プライドを捨てて、下町のコンビニエンスストアで深夜のアルバイトでも探すしかありませんな。このままオーディンの路地裏で野宿をすれば、明日の朝までに凍死する確率が七割を超えます」
「私がコンビニのアルバイトだと!?この頭脳でレジ打ちをやれというのか!しかも深夜シフト!?ふざけるな!」
「文句を言っている場合ですか。私だって、こんなボロボロの靴で歩き回って足が限界なのよ。早く暖かい部屋と、まともな食事が欲しいわ。ボルテック、あなた少しお肉が余っているから、いざとなったら非常食になりなさいよ」
「ドミニク様、いくらなんでもそれはジョークがきつすぎますよ!私だって、お腹が空いて倒れそうです!」
完全に論破され、反論の余地も失ったルビンスキー一行は、重い足取りでトボトボと、オーディンの冷たい石畳の道を歩き出す。
◆
その惨めな難民集団の様子を、宰相府の最上階にある豪華な執務室から、二人の男が冷たい窓ガラス越しに見下ろしている。
新体制において帝国宰相の座に就き、実質的な内政のトップとなったアルブレヒト・フォン・ファルケンハインと、学芸尚書、ゼーフェルトである。
「……今日のルビンスキーの偽物は、なかなか声のトーンが似ていたな〜。あの腹から絞り出すような絶叫の響き、本物の音声データと照合しても、95パーセントは一致しているんじゃないか?」
彼は、先ほどの正門でのやり取りを、監視カメラの映像と音声で最初から最後まで完全にモニタリングしていたのだ。
「ええ、閣下。声だけでなく、あの独特のスキンヘッドの輝き具合や、傍にいるケッセルリンクたちの配役の妙など、これまでに来た五十組以上の偽物の中では、間違いなくトップクラスのクオリティを誇る劇団でしたな。演技指導がしっかり行き届いている証拠です」
彼らは、あの男が本物のルビンスキーである可能性など、一ミリも考慮していない。完全に「よくできた偽物のエンターテインメント」として消費しているのだ。
「それにしても、ゼーフェルト。なんで最近、あいつの偽物がこうも毎日毎日、湧いて出てくるかね?フェザーンがヤン・ウェンリーに占領されてからというもの、うちの正門はすっかりルビンスキーのそっくりさんコンテストの会場みたいになっているじゃないか。衛兵たちも、毎日違うハゲ頭の相手をさせられて、いい加減ウンザリしているぞ」
「古来より、歴史の大きな変わり目や、国家が崩壊した直後には、必ずと言っていいほどこうした偽物が大量に現れるものなのです。人間の浅ましい欲望の歴史的必然とでも言いましょうか」
「地球時代の古い歴史書を紐解いてみても、その例は枚挙にいとまがありません。たとえば、古いロシアの歴史において、混乱時代に現れた『偽ドミトリー』。彼は自分が死んだはずの皇子であると騙って、一時は本当にツァーリの座まで登り詰めました。しかも一人だけでなく、偽ドミトリー二世、三世と、次々に偽物が湧いて出たのです」
「へえ、二世に三世か。まるで映画の続編みたいだな。ルビンスキーもそのうち、メカ・ルビンスキーとか、スーパー・ルビンスキーとかになって正門に現れるかもしれないな」
「他にも、フランス革命の後に、処刑されたはずのマリー・アントワネットの息子を名乗る偽物が数十人も現れたり、日本の戦国時代にも、死んだはずの武将を名乗る者が各地で蜂起したりと、権力者の空白地帯には必ずペテン師が群がるのです。……フェザーンという巨大な経済国家が、ヤン・ウェンリーという想定外の強盗によって一瞬にして消滅した今、その莫大な隠し資産の情報を知っているかもしれない元首を騙って、我々帝国政府に取り入り、高額な年金やポストにすがりつこうとする卑劣な輩は、これからも後を絶たないでしょうな」
「なるほどな。人間の強欲さってのは、銀河時代になっても全く進歩していないってことか。ヤン・ウェンリーがあんな派手な泥棒を働くから、こっちにまでその余波が来ているってわけだ。本当に迷惑な強盗総統だよ、あいつは」
彼の頭の中には、同盟の財政を奇跡の黒字化に導き、98パーセントという独裁者顔負けの異常な支持率を叩き出してふんぞり返っている、あのボサボサ頭の男の憎たらしい顔が浮かんでいる。
「そういうものか……。偽物が湧くのは歴史の必然か。だがな、ゼーフェルト」
「はい、閣下」
「俺としては、あのルビンスキーの偽物騒動を笑ってばかりもいられないんだよ。フェザーンが持っていた広大な物流ネットワークと、星間為替の裏ルート。あれが完全に同盟の手に落ちたことで、帝国の経済は今、深刻なサプライチェーンの寸断に苦しんでいる。お前も知っての通り、来月の国家予算の編成、かなり厳しい数字が出ているだろう?」
「……おっしゃる通りです。軍事的な内戦は終結しましたが、経済的な戦いはこれからが本番です。フェザーンという仲介者が消えたことで、各星域間の物資の流通コストが跳ね上がり、インフレの兆候が見え始めています」
「だからこそ、本物のルビンスキーが欲しいんだよ。あいつなら、フェザーンの経済網を知り尽くしているし、裏帳簿の隠し場所や、ヤン・ウェンリーの知らない秘密の流通ルートをいくらでも持っているはずだ。もし本物が俺の前に現れたら、過去の罪は全て不問にして、財務省の特別顧問として、超高待遇の給料と豪華な社宅付きで、即座に登用してやるんだがな。あいつのその黒い頭脳を、帝国の経済復興のために死ぬまでこき使ってやるのに」
彼にとって、他人の優れた頭脳を利用して自分の仕事を減らすことこそが、人生の最大の目的である。ルビンスキーのような裏社会の経済を知り尽くした男は、喉から手が出るほど欲しい人材なのだ。
「本物は、一体どこで何をしているのやら。もしかしたら、ヤン・ウェンリーの強盗に巻き込まれて、フェザーンの宇宙港の片隅で、本当に身ぐるみ剥がされて路頭に迷っているのかもしれんな。哀れな黒狐め」
「もし本物が見つかれば、閣下のその素晴らしいご提案、必ずお伝えいたします。ルビンスキーも、閣下のその寛大な処置に涙して喜ぶことでしょう」
「ああ、頼むよ。俺は経済の細かい数字を見るのは嫌いなんだ。面倒くさい計算は全部あいつに丸投げして、俺はアナスタシアとゆっくり温泉旅行にでも行きたいんだよ」
「しかし、閣下。フェザーンの流通網を失った今の状態を放置するわけにはいきません。本物のルビンスキーが現れるのを待つだけでは、帝国の経済は立ち行かなくなります。何か、新たな流通の仕組みを我々自身で構築しなければ……」
「わかっているさ。だからこそ、俺はすでに新しい手を打ってある」
「新しい手、ですか?」
「ああ。ヤン・ウェンリーが表の物流を力で制圧したなら、俺たちは裏の流通網をゼロから作り上げればいい」
◆
帝都オーディンの外れ、再開発から完全に取り残された寂れた工業ブロックの片隅。
常に重苦しいスモッグが立ち込める薄暗く埃っぽい路地裏に、そのちっぽけでみすぼらしい事務所は存在する。
入り口の立て付けの悪い薄汚れたガラス戸には、不器用な手書きの文字で『株式会社腹黒流通(Haraguro Ryutsu)』という、見た瞬間に顧客の信用度がマイナス一万パーセントにまで急降下しそうな、絶望的なネーミングセンスの看板がガムテープで乱暴に貼り付けられている。
事務所の中は、もはや足の踏み場もないほどに、天井スレスレまで積み上げられた段ボール箱の山、山、また山である。
その段ボールの谷間に埋もれるようにして置かれたパイプ椅子の上に、かつて全宇宙の経済を裏から操り、両陣営の最高権力者たちを手玉に取っていた『フェザーンの黒狐』こと、アドリアン・ルビンスキーが腰掛けている。
ジリリリリリリリッ!!
静寂を切り裂くように、今時アンティークショップでも見かけないような時代遅れのアナログ黒電話のベルが、事務所内にけたたましく鳴り響く。
「はいっ!お電話ありがとうございます!皆様の荷物を裏から表まで迅速にお届けする、株式会社腹黒流通でございます!……あっ、はい!いつもお世話になっております、オーディン駅前商店街の『肉のシュルツ』様ですね!ご契約のお電話ですか……!ありがとうございます、誠にありがとうございます!本日の集荷、喜んで伺わせていただきます!ええ、ええ!特売品の冷凍ソーセージ五十箱ですね!ドライアイスもたっぷりと詰め込んで、品質第一で運ばせていただきますとも!はい、午後三時に台車を押して伺います!失礼いたします!」
かつては兆や京という天文学的な単位の宇宙クレジットを動かしていた男が、今やソーセージ五十箱の運送料、わずか数千帝国マルクの売り上げに歓喜の声を上げているのだ。
宇宙の法則は、ヤン・ウェンリーという想定外の強盗の出現によって、あまりにも理不尽な方向へと捻じ曲がっている。
ジリリリリリリリッ!!
その電話を素早く取ったのは、ルビンスキーの実の息子であり、かつては彼の優秀な補佐官としてフェザーンの影の外交を取り仕切っていた、ルパート・ケッセルリンクである。
彼もまた、かつての仕立ての良い高級スーツではなく、ホームセンターの特売で買ってきたような安い作業着を身に纏っているが、その鋭い知性を宿した瞳と、頭の回転の速さは全く失われていない。
「はい!お電話ありがとうございます、腹黒流通です!……ええ、はい。同盟領のハイネセン方面への、特別な輸出ルートの構築をご希望ですね?……ええ、可能ですとも。我々の独自のネットワークを使えば、イゼルローン回廊の検問をスルーして荷物をお届けすることは物理的には十分可能です。……しかしですね、お客様。現在、同盟のあの悪名高きヤン・ウェンリー総統が、フェザーンの資産を接収した影響で、国境の関税網と密輸の取り締まりを異常なレベルで強化しているのですよ。あの男、軍隊嫌いのくせに、税金の取り立てに関しては悪魔のように鼻が利くのです」
「ですから、そのヤン総統の極悪非道な関税網を安全に抜け、確実に指定の座標へとお届けするためには、経由する中立宙域の海賊たちへのみかじめ料や、同盟軍の末端の警備兵をワイロで買収するための工作資金が別途必要になってくるのです。……ええ、そうです。ですから、通常のお見積りよりも、少々……いや、かなりお高くなりますよ?具体的には、通常の運送料の三百パーセント増し、プラス危険手当を頂戴することになりますが……それでもよろしいですか?……あ、はい!経費で落とすから問題ない、と。かしこまりました!では、すぐに詳細な特別お見積り書を作成し、暗号化通信で送信いたします!毎度ありがとうございます!」
外交という名の騙し合いのスキルが、密輸業の価格交渉という泥臭いビジネスにおいて、これ以上ないほどに完璧な形で活かされている瞬間である。
「よし、これで今月の目標ノルマはなんとか達成できそうですね、父さん……いや、社長。同盟の富裕層の間で、帝国の骨董品や高級ワインの裏ルートでの需要が急激に高まっています。ヤン総統の健全すぎる財政運営の裏で、闇市場はかつてないほどのバブルを迎えていますよ。強盗のおこぼれにあずかるのは癪ですが、利用できるものは何でも利用するまでです」
「うむ。お前のその商人としての才能、まさかこんな路地裏の事務所で開花するとは思わなかったぞ。……だが、気を抜くなよ。我々が今請け負っている仕事は、ファルケンハイン宰相の黙認……というか自分の仕事を減らすために丸投げしてきた『国営の裏流通』の一部だ。少しでもヘマをしてハイネセンの憲兵に尻尾を掴まれれば、ファルケンハインは我々を真っ先にトカゲの尻尾切りとして見捨てるに決まっているからな。あの男の腹黒さは、我々以上だ」
その頃、事務所の入り口、半開きのシャッターの外側では、この腹黒流通のメンバーの中で最も肉体的に、そして精神的に追い詰められている男の、悲痛な叫び声が響き渡っている。
「待ってください!違います、憲兵さん!話を聞いてください!」
「はい!確かに私はこの腹黒流通の者です!ですが、決して怪しい者ではありません!……いえ!社名が『腹黒』だからといって、本当に腹が黒いわけではないのです!これはその、あれです!インパクト重視の、現代の若者にウケる自虐的なネーミングセンスというやつでして!中身は極めてホワイトな企業なのです!」
「我々は善良な商人です!法に触れるような危険物の密輸や、帝国の税網を潜り抜けるような脱税行為は、神に誓って一切しておりません!中身はただの……ええと、オーディン産の高級タマネギです!タマネギの輸送です!憲兵さん、どうか信じてください!ここでの抜き打ち検査はやめてー!段ボールの封を切られたら、鮮度が落ちて商品価値が下がってしまうんです!」
もし今ここで箱を開けられ、中から『タマネギ』と偽装された同盟向けの非合法な電子部品の束が出てくれば、彼はその場で逮捕され、重労働の刑務所へと直行する運命にある。
「ルビンスキー、ルパート、ボルテック。あんたたち、仕事のキリはついたの?そろそろ夕飯の時間よ〜。手を洗っていらっしゃい」
かつてフェザーンの社交界の華であり、ルビンスキーの愛人としてあらゆる男たちをその美貌で手玉に取っていた魔性の女、ドミニク・サン・ピエールである。
しかし今の彼女の姿に、あの頃の妖艶なオーラはない。
彼女は、安物の花柄のエプロンを身につけ、美しい髪を実用的なポニーテールにまとめ上げ、右手にはソースのついたフライ返しを握りしめている。
「今日はね、商店街のスーパーで特売になっていた、期限ギリギリのひき肉を大量にゲットしてきたから、愛情たっぷりのジャンボ・ハンバーグにしたわよ。特製の赤ワインソース……と言いたいところだけど、安い料理酒とケチャップで代用したから、味の保証はしないわ。でも、お腹に溜まることだけは間違いないわよ」
どんな絶望的な状況に陥っても、女性の環境適応能力というのは、男のそれを遥かに凌駕するものだ。
彼女は、ハイネセンから逃げ出してきて数日で、オーディンの下町のスーパーの特売日とタイムセールのスケジュールを完全に把握し、限られた予算内で四人の男たちの胃袋を満たすという、完璧な主婦のスキルを身につけてしまっているのである。
「おおっ!今日はハンバーグか!やったぞ!ドミニクのハンバーグは、下手な高級レストランの肉料理よりもずっと美味いからな!ルパート。見積書は後回しだ!肉が冷める前に食うぞ!」
「ええ、すぐに片付けます。……ボルテックの奴、外の憲兵の相手に手こずっているようですが、放っておいて先に食べちゃいましょうか。あいつには冷めた付け合わせのニンジンだけで十分でしょう」
「ちょっと!二人とも、ちゃんと石鹸で手を洗いなさいよ!段ボールの埃をつけたまま食べたらお腹を壊すわよ!あと、ボルテックもちゃんと呼んできなさい!あいつが捕まったら、明日の配達の運転手がいないじゃないの!」
◆
夕食後。
外の冷たい風が吹き込む、シャッターが半分閉ざされた事務所の片隅。
「……ふう……。痛てて……。本当に、毎日毎日、骨の髄まで疲れるわい……」
彼の筋肉痛は、年齢的なものもあるが、何よりも慣れない肉体労働の連続によるものだ。
「まさか……かつてはこの銀河の全てを、フェザーンの執務室から、電話一本で意のままに動かしていたこの私が……。今や、オーディンの下町で、一介の薄汚れた運送屋の親父として、毎日汗水垂らして荷物を運び、台車を押して走り回り、顧客に頭を下げ続ける肉体労働をするハメになるとはな……。人生というものは、本当にどこに落とし穴があるか分からんものだ」
ヤン・ウェンリーという強盗に対する怒りも、今はただの筋肉痛の痛みに塗り潰されている。
「お疲れ様です。……父さん」
彼の手には、ドミニクが淹れてくれた、安いインスタントコーヒーから湯気が立ち上っているマグカップが握られている。
ルビンスキーは、差し出されたマグカップをゆっくりと受け取りながら、少しだけ目を見開いて息子を見つめる。
「……ルパート」
「……すまないな。お前ほど優秀な頭脳を持つ男を、私の油断と見通しの甘さのせいで、こんな惨めな底辺の生活に巻き込んでしまって。……お前なら、私から離れて帝国軍にでも一人で売り込めば、もっと良い地位と安全な暮らしを手に入れられたはずなのに」
かつてフェザーン時代、二人の関係は常に冷え切っていた。
ルビンスキーはルパートをただの便利な道具としてしか見ておらず、ルパートもまた、隙あらば父親の権力を簒奪しようと、虎視眈々と反逆の機会を狙う野心家であった。
「何を今更、柄にもないことを言っているのですか。気にしないでください」
「今はただの、雌伏のとき……かと。我々は完全に終わったわけではありません。ファルケンハイン宰相の、あの適当で隙だらけの経済政策の裏を突いて、この腹黒流通のネットワークを広げ、まずはこの路地裏から、確実に足元から資金を蓄えましょう。……そしていつか、あのハイネセンでふんぞり返っているヤン・ウェンリーの鼻を明かし、我々の財産を利子付きで全て取り返してやるのです」
「それに……」
「毎日汗を流して、美味いハンバーグを食って、こうして夜に安いコーヒーを飲みながら明日の作戦を練る。……こういう泥臭い生活も、意外と、悪くない日々ですよ。フェザーンの冷たい権力闘争の真ん中にいた時よりも、今の方が、ずっとよく眠れますからね」
「はっはっはっは!そうか、そうだな!お前の言う通りだ、ルパート!我々はまだ終わっておらん!このアドリアン・ルビンスキーと、優秀な我が息子の頭脳が合わされば、路地裏の運送屋からでも、必ず宇宙の経済を再びひっくり返してみせるわ!見ておれよ、ヤン・ウェンリー!」
かつて冷酷な陰謀の道具としてしか互いを見ておらず、常に疑心暗鬼の冷たい檻の中にいたこの親子にとって。
権力を失い、国を失い、全ての財産と身分をヤン・ウェンリーに奪い去られたことで……皮肉にも、彼らは初めて、同じ釜の飯を食い、共に汗を流すという、普通の「父と子」としての、温かい人間的な和解の時を迎えることができたのである。
銀河の歴史が大きく動き、無数の悲劇と喜劇が交差する中で。
唯一、中立国フェザーンがヤン・ウェンリーという想定外の強盗によって奪われ、消滅したことで良かったことがあるとすれば。
それは、オーディンの片隅で、冷え切っていた親子の絆が、安物のインスタントコーヒーの香りと共に、見事に修復されたことかもしれない。
今回はフェザーン側のその後を描いてみました。
ヤンによるフェザーン占領という大事件の裏で、かつて銀河経済を操っていた人々がどのような運命を辿るのかを考えながら書いた回になります。
シリアスな展開が続いた後なので、少しコメディ寄りのエピソードになりましたが、ルビンスキーやルパートたちの新しい生活を楽しんでいただけたなら嬉しいです。
もしよろしければ
・この回の感想
・好きなキャラクター
・今後の展開についての予想
などをコメントで教えていただけると励みになります。
宇宙を統一するのは誰だと思いますか?
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アルブレヒト
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ラインハルト
-
ヤン・ウェンリー
-
マルガレータ
-
ロイエンタール
-
ルビンスキー