銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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新生銀河帝国の体制が整い、
帝国は一見すると安定した双頭体制のもとにあるように見えます。

しかし歴史において、
強すぎる権力が長く均衡を保つことは稀です。

今回は宇宙艦隊司令長官マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーと、
合同人事局長パウル・フォン・オーベルシュタインの二人を中心とした回になります。

戦場で刻まれた傷と、
それを見つめる冷徹な参謀。

そして、まだ誰も知らない未来の可能性。

少しだけ不穏な空気を感じていただければ幸いです。


勝利の女神の傷

新生銀河帝国 正規軍 宇宙艦隊司令長官 私室

 

室内は、主の趣味をこれでもかと反映させた結果、壁紙から絨毯、果ては天井のシャンデリアの装飾に至るまで、目が痛くなるほどのショッキングピンクで統一されている。

 

部屋の中央に置かれた、無駄に装飾の凝った特大の姿見。

 

その鏡の前に、宇宙艦隊司令長官マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー元帥が、一糸まとわぬ全裸の姿で立っている。

 

本来であれば、若く張りがあり、透き通るように滑らかだったはずの彼女の肌。

 

しかし今、その小さな体には、かつての苛烈な特攻の際、ひしゃげた装甲板や折れ曲がった鉄骨が容赦なく突き刺さってできた、痛々しく生々しい無数の傷跡が、赤黒く、そしてケロイド状になって無残に残っている。

 

帝国の最新医療技術をもってしても、高価な細胞再生ポッドを何日も稼働させても、完全には消し去ることができなかった、死線の名残だ。

 

「うう……」

 

「これでは……これでは、ジークに抱かれるのは恥ずかしいのじゃ……。こんな傷だらけの体、まるでフランケンシュタインの怪物ではないか。これを見たジークが、百年の恋も冷めて『うわ、グロっ』とか言って逃げ出したらどうしよう……」

 

全宇宙の軍隊を束ねるトップの姿とは到底思えない、ただの恋する乙女の切実な悩みがそこにある。

 

「……キルヒアイス国務尚書は、そのような表層の傷で貴女の価値を測るような、浅薄でお粗末なお方ではないと思いますが」

 

「ひゃあああっ!?」

 

「お、お前!オーベルシュタイン!なぜそんな部屋の隅の暗闇に突っ立っておるのじゃ!ここは妾の私室じゃぞ!そしてなぜ電気が消えているのに平気な顔をしておる!」

 

「私は貴女の公式な『愛人』であり、合同人事局長でもありますから、長官のスケジュールの空き時間に次の人事案の決裁を頂くために待機しているだけです。それと、私はこの最新型の赤い義眼に赤外線暗視モードを搭載しておりますので、部屋の照明の有無は全く活動の妨げになりません。極めて快適です」

 

「赤外線暗視モードだと!?ということは、お前、さっきから妾の全裸を暗闇の中でバッチリと観察しておったということか!このセクハラサイボーグめ!乙女のプライバシーという概念をどこに置いてきたのじゃ!」

 

「お言葉ですが、閣下から服を脱ぎ始めたのです。私はただ書類を持っていただけで、わざわざ目をそらすという非合理的な筋肉の運動を省いただけです」

 

「それが一番腹が立つのじゃ!少しは照れるとか、慌てて後ろを向くとか、そういう人間らしいリアクションをせんか!」

 

「しかし、閣下のその無駄な心配性には、少々呆れますな。キルヒアイス国務尚書が、閣下の傷を見て逃げ出す確率など、0.00001パーセントにも満たない天文学的な数字です。むしろ『痛かっただろう、僕が守れなくてごめんね』と泣きながら抱きしめてくるパターンのほうが、計算上99パーセントを超えています」

 

「……そう思う……が。たしかに、ジークの優しさは本物じゃ。あの男は、道端の石ころにすら優しく話しかけそうな男じゃからな」

 

しかし、彼女の顔にはすぐにまた、暗い影が落ちる。

 

「だがな、オーベルシュタイン。その『優しさ』が問題なのじゃ。ジークが妾を抱いてくれるとして、それが心底からの愛情ではなく、この傷だらけの体に対する『同情からくるもの』かもしれないと……どうしても考えてしまう妾がおるのじゃ。アンネローゼ様のような、傷一つない白磁のような肌と比べられたら、妾なんてただのポンコツ戦艦みたいなものじゃろう?」

 

「アンネローゼ様と比較するのは、カテゴリーが違いすぎる非合理的な分析です。あちらは観賞用の美術品、閣下は実戦用の重装甲戦艦です」

 

「誰が重装甲戦艦じゃ!妾はピチピチの乙女じゃぞ!」

 

「……冗談はさておき」

 

マルガレータが、再び姿見の方へと振り返る。

 

「オーベルシュタイン……。お前は、嘘がつけない男じゃ。だから、誤魔化さずにストレートに答えよ。……妾は……醜いか?」

 

マルガレータのその声は、いつものような元気で高飛車なものではなく、ひどく弱々しく、傷つきやすいガラス細工のように震えている。

 

彼女は、自分が女としての価値を失ってしまったのではないかという、深い恐怖に苛まれているのだ。

 

「……いえ」

 

「……美しゅうございます。極めて、圧倒的に」

 

彼の口から出たのは、計算機のような彼には全く似つかわしくない、純粋な賞賛の言葉だ。

 

「……お世辞は言うなと言ったじゃろう。こんな傷だらけの体が美しいわけが……」

 

「お世辞など、私の辞書には存在しません。私は常に事実のみを述べます。……その傷こそが、貴女が戦場を生き抜き、そして我々に勝利をもたらしたという、何よりの動かぬ証明なのです。もしその傷がなければ、私は今頃宇宙の塵となって消滅し、ローエングラム候もキルヒアイス国務尚書も、今この世界には存在していなかったでしょう」

 

「貴女のその肌に刻まれた一つ一つの痕跡は、貴女の勇気と、決断と、そして途方もない愛の深さの結晶です。……いかなる高価で無傷の宝石よりも、私にとっては、その傷跡の方が遥かに価値のある輝きを放っていると、断言できます」

 

彼の言葉には、一切の打算も嘘もない。彼なりの、極限まで論理的で、そして不器用すぎる最高の賛辞なのだ。

 

「ふっ……。お前という奴は、本当に変わっておるな。傷跡を宝石だなんて、そんなサイコパスみたいな褒め言葉で女が喜ぶと思っているのか」

 

「本当に?お前がそう言うなら、少しは信じてやってもいいが。……でも、分かっておるさ。お前やジークはそう言ってくれるかもしれんが、世間が妾のこの傷と、そして妾の存在そのものをどう見ているかくらい、妾にはお見通しじゃ」

 

窓の外のオーディンの街並みを見下ろす。

 

「本来であれば、イゼルローン要塞が陥落したみぎり……銃殺されるところであった妾を助け、手厚く保護してくれたのは、他でもないファルケンハイン閣下じゃ」

 

「ええ。その事実は、帝国軍の記録にもはっきりと残っております」

 

「そうじゃ。あの男は、妾を無条件で救い、そして豪華な食事とベッドを与えてくれた。……それなのに妾は、恩人であるはずのファルケンハイン閣下に真っ向から歯向かい、ローエングラム軍の先鋒としてあの人の要塞を破壊し、あろうことか育ての親であるオスカー父様をこの手で撃ち落とした」

 

「世間の門閥貴族どもや、頭の固い保守派の連中が、背後で妾のことを『恩知らずの小娘』『飼い犬に手を噛まれるとはこのことだ』と、毎日のように嘲笑って陰口を叩いていることも、妾の耳にはしっかりと入っておるのじゃ。……この体の傷は、その恩知らずの報いであり、呪いの刻印だと、そう陰口を叩かれておるのもな」

 

彼女は、自分の行動が世間の倫理や道徳から大きく外れていることを、誰よりも正確に自覚しているのだ。

 

「……気になさっておいででしたか。そのような、生産性の欠片もない無能どものくだらない雑音を」

 

「別に気にするものか。あんな連中の陰口など、ジークの笑顔と、そして今妾が手に入れたこの宇宙艦隊司令長官という地位に比べれば、安い代償じゃと思っておった。……だがな」

 

「時折、こうして一人で鏡を見ると、嫌でも思い出すのじゃ。自分が、どれほどの血と、そしてどれほどの深い恩義を踏み躙って、今この舞台に立っているのかを。……ファルケンハイン閣下は、今でも妾を見るとお小遣いをくれる。それが逆に、妾の心を深く抉るのじゃ」

 

「閣下がそのように心を痛められる必要は、論理的に全くありません」

 

「もしそのように、陰で閣下を中傷し、精神的なデバフをかけてくる貴族どもが目障りであるとおっしゃるのなら。私の方で、その発言の出処を完全に特定し、彼らの脱税の証拠や愛人関係のスキャンダルを捏造して、明日には全員、辺境の流刑星へと左遷させる人事案を起案いたしますが。暗殺リストの作成も、十五分あれば完了します」

 

「やめい!お前はすぐにそうやって、物事を物理的な排除で解決しようとする!そんなことをしたら、ますます妾が暴君として歴史に名を残してしまうではないか!少しは平和的な解決策を提案せんか!」

 

オーベルシュタインのタブレットをバシッと叩き落とそうとするが、やはり避けられる。

 

「平和的な解決など、この宇宙には存在しません。存在するのは、力による完全な制圧か、利益による完全な買収のどちらかのみです」

 

「お前のその極端な思考回路、本当にどうにかしろ。……まあいい。お前がそういう冷血漢だからこそ、妾は安心してお前を愛人として側に置いておけるのじゃからな」

 

「……閣下」

 

その場に片膝をつき、まるで騎士が主君に忠誠を誓うような、完璧で美しい姿勢をとる。

 

「私は、先ほども申し上げた通り、貴女こそが私の真の主君であると、心からの計算と論理に基づいて認めているのですよ?貴女の傷も汚名も、全て私が完璧に処理し、貴女の行く道を平坦に舗装してみせます」

 

いつもの冷たい彼からは想像もつかないほど、熱を帯びているように聞こえる。

 

「……ふん」

 

「調子の良いことを言うな。お前、最初は妾のことなど、ただの駒としか思っていなかったじゃろう?ラインハルト・フォン・ローエングラム侯へ取り入るための、便利な『繋ぎ』の道具として利用することしか考えていなかったくせにな」

 

「……否定はしません。当初の私は、貴女はただの通過点に過ぎませんでした。生意気で、やかましくて、非合理的な行動ばかりを繰り返す、ピンク色のノイズだと認識しておりました」

 

「ピンク色のノイズとは失礼な!相変わらず口が減らん奴じゃな!」

 

「しかし、です。閣下」

 

「貴女はその非合理的なノイズのまま、私の完璧な計算式を次々と破壊し、論理では絶対に導き出せない『勝利』という結果を、何度もこの手で掴み取ってみせました。イゼルローンでもあなた自身は負けなかった。要塞を奪取されたのは貴女ではない。そしてレンテンベルグ要塞でのオフレッサーとの死闘、そして何より、あのロンゴミニアドへの特攻。……貴女は、私が自らの命を捨てる価値があると計算した、唯一のイレギュラーな存在なのです」

 

「……」

 

「私は、銀河帝国に仕える参謀です。しかし、私の忠誠は、貴女という存在に捧げられています。貴女が恩知らずと罵られようが、貴女の影として、全ての汚れ仕事を請け負うことに、何ら変わりはありません。……ですから、もうご自身の価値を疑うような、非生産的な悩みはお捨てなさい」

 

「……ふん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く、お前という奴は本当に可愛げがないのじゃ。せっかく乙女がセンチメンタルな悩みを打ち明けておるのに、もっとこう、甘い言葉で慰めるとか、優しく抱きしめるとか、そういうロマンチックなオプションは搭載しておらんのか。サイボーグめ」

 

マルガレータが文句を言うと、直立不動で立っているパウル・フォン・オーベルシュタイン上級大将の顔に、信じられない変化が起こる。

 

彼の、常に氷点下で凍りついているかのような無表情な顔の、その薄い唇の端が。

ほんのミリ単位ではあるが、確かに、微かに上へと吊り上がる。

 

「なっ……!?」

 

「お、お前!今、笑ったか!?この感情欠落サイボーグが、口角を上げたぞ!天変地異じゃ!明日、オーディンにピンク色の雪が降るかもしれん!それともシステムのエラーか!?顔面神経痛か!?」

 

しかし、オーベルシュタインは表情を元に戻すことなく、その微かな笑みを浮かべたまま、静かに口を開く。

 

「……閣下に隠し事はできませんな。ええ、少しばかり愉快な気分になったのは事実です」

 

「愉快じゃと?妾の裸を見て変なスイッチでも入ったか?それとも妾が恩知らずと罵られているのがそんなに面白いのか、この悪趣味め」

 

「違います。私はただ、閣下のその底抜けの素直さと、驚くべき生命力に感嘆しているのですよ」

 

「私にとって、自分の計算を超越する存在など、これまでは恐怖と排除の対象でしかありませんでした。理解できないエラー要因は、システムから消去するのが一番の最適解だからです」

 

「……ですが、そんな規格外の貴女だからこそ。貴女のその底知れぬ非合理なパワーを間近で見続けてきたからこそ……私は、生まれて初めて、『夢』を見ているのです」

 

「……は?」

 

「夢?……夢じゃと?お前が?この、徹底した現実主義と合理主義の権化であるお前が、夢なんていうファンタジーで非科学的な単語を口にするなど、前代未聞にも程があるぞ! 本気で頭の回路が焼き切れたのではないか!?」

 

「これも貴女の影響です。……私の夢。それは……」

 

「貴女がいつの日か、この宇宙をその手に入れる……と」

 

部屋の空気が、ピタリと止まる。

 

マルガレータは、オーベルシュタインのその重すぎる言葉の意味を理解するのに、数秒の時間を要する。

 

宇宙を手に入れる。

それはつまり、銀河帝国の最高権力者、すなわち皇帝の座に就くということだ。

 

「……ぷっ」

 

「あははははっ!なんじゃそれは!あー、びっくりした!ふふ……冗談が言えるようになったのだな、オーベルシュタイン!流石は妾の愛人じゃ。お前もなかなかユーモアのセンスがあるではないか。お世辞としては満点じゃぞ。妾のご機嫌取りのために、そこまで大風呂敷を広げるとはな!」

 

彼女は、オーベルシュタインの言葉を、完全にタチの悪いブラックジョークだと受け取っている。

 

「私が宇宙を手に入れる?妾が女帝になる?馬鹿馬鹿しい!そんなこと、誰も望んでおらんし、第一、妾自身がそんな面倒くさい仕事は絶対にお断りじゃ!書類仕事なんか三分で嫌になるわ!」

 

「お世辞でも冗談でもありません。私は極めて本気です」

 

その冷ややかな声に、マルガレータの笑いがピタリと止まる。

 

「……本気、なのか?」

 

「ええ。今は、ローエングラム候とファルケンハイン宰相の双頭体制という形で落ち着き、貴女も宇宙艦隊司令長官という地位に甘んじてはおられますが……」

 

オーベルシュタインが、ゆっくりと立ち上がる。

 

「いずれ、この平和は必ず崩れます。ファルケンハイン宰相は、有能ですが本質的には怠けていたいと考えている。一方のローエングラム候は、軍事の天才ではありますが、政治的な柔軟性に欠け、その高すぎる理想ゆえに自滅する危険性を常に孕んでいます。あの二人の絶妙なバランスは、いつ崩壊してもおかしくない砂上の楼閣なのです」

 

「……」

 

「そして、もしその時が来たならば。あの二人ではなく……貴女こそが、新たな『女帝』となり、この宇宙の全てを統べるべきだと、私は真剣に考えているのです。それが最も帝国の繁栄と安定をもたらす最適解なのですから」

 

「な、何を馬鹿なことを……!妾が女帝じゃと!?そんな器があるわけなかろう!」

 

しかし、オーベルシュタインは一歩も引かない。

 

「あります。貴女には、他の誰にもない強大な武器がある。それは、兵士たちからの圧倒的な人気と、カリスマ性です。貴女の無茶苦茶な命令に、なぜ兵士たちが喜んで従い、命を懸けるのか。それは、貴女の言葉に嘘がなく、常に自らが先頭に立って危険に飛び込むからです。今や帝国兵士たちにとって、勝利の女神の象徴となっているのです」

 

「想像してみてください、閣下。貴女が玉座に座り、全宇宙の艦隊をピンク色に塗装し、全ての軍服の裾にフリルをつける法案を通す日を。……実に壮観で、そして非合理の極みですが、貴女が命じれば、全軍がそれに従うでしょう。それこそが、究極の権力というものです」

 

「なんじゃその地獄のような未来予想図は!妾の趣味を全宇宙に押し付けるつもりか!」

 

「………………………オーベルシュタイン」

 

マルガレータの声が、一段低く、冷ややかなものに変わる。

 

「その話。妾以外に、誰かにしたことはあるのか?」

 

その問いかけには、明確な殺意と警戒が含まれている。

 

もしこの「女帝擁立」という野望を、他の誰かが聞けば、それは即座に国家反逆罪に問われる重大な案件だ。

 

「ありません」

 

「私の頭脳の中にのみ存在します。音声として発したことも、今この瞬間が初めてです」

 

「……ならば、その妄想は、一生お前の心の奥底に深く秘しておけ。絶対に、けして口外するな」

 

「もしその話が、ファルケンハイン閣下やラインハルトの耳に入ってみろ。お前も妾も、明日には反逆罪で八つ裂きにされて、宇宙のゴミ捨て場に放り込まれるぞ」

 

「それに……」

 

「妾は、宇宙の覇権だの女帝だの、そんな大層なものには一切の興味はないのじゃ。権力などという面倒くさいものは、あの金髪と銀髪の二人組に押し付けておけばよい」

 

「妾の望みは、ただ一つ。……ジークフリード・キルヒアイスという男の、愛する妻となれるだけで。彼の隣で笑って、彼の不器用な優しさに包まれて生きていけるだけで……妾は、それで十分幸せなのじゃから」

 

「まあ、アンネローゼ様という、強力すぎる第一夫人の存在があるから、妾は第二夫人という立場じゃがな。でも、それも悪くないわ。あの女神のようなお姉様と一緒に、ジークを両側から挟み撃ちにして、毎日彼を困らせながらもデレデレに甘やかす日々。……想像しただけで鼻血が出そうじゃ!これこそが、乙女の究極のロマンというものじゃ!」

 

「ジークの右腕の代わりは妾が務めるのじゃ!あーんでご飯を食べさせてあげるのじゃ!いや、やっぱりアンネローゼ様とおかずを取り合いになるかもしれん!それもまた一興!」などと、一人でブツブツと呟きながら悶えている。

 

先ほどまでの「傷跡が恥ずかしい」と悩んでいた悲劇のヒロインの姿は、一体どこへ行ってしまったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だいたいな、オーベルシュタイン。お前のその壮大すぎる『宇宙を手に入れる』という途方もない計画には、根本的で、かつ絶望的な欠陥が一つあるのじゃ」

 

「欠陥、ですか。私のこの頭脳が弾き出した完璧な計算式に、そのような初歩的なバグがあるとは到底思えませんが。参考にいたしますので、ぜひご指摘願えますか」

 

「年齢じゃよ、年齢!少しは常識的に考えてみろ。ファルケンハイン閣下は、まだ二十七歳という若さじゃ。そして、ラインハルトに至っては、まだ二十二歳そこそこのピチピチの若造じゃぞ!あいつら、二人ともどう見ても健康そのもので、まだまだこれから何十年も銀河の中心でふんぞり返って生きる気満々ではないか!」

 

「確かに、ファルケンハイン閣下はあの謎の死ぬ死ぬ詐欺の吐血癖が物理的な手術で完治してすっかり健康体になりましたし、ラインハルト様も若さと野心に満ち溢れておられますね。それが私の計画に何か問題でも?」

 

「大ありじゃ!お前は『いずれ彼らに代わって女帝になれ』と軽々しく言うがな、あの二人が寿命で老いぼれて権力の座から自然に降りるのを待つなど、気が遠くなるにも程があるわ!三十年?四十年?そんなに長期間待っておったら、妾の番が回ってくる頃には、妾もすっかり腰の曲がったお婆ちゃんになってしまうではないか!」

 

「女帝になる前に、妾の寿命が尽きてしまうわ!そもそも、妾はそんな老後までドロドロの権力闘争に身を投じるつもりなど毛頭ないのじゃ。あの二人が老いるのを待つ前に、妾は愛するジークとさっさと結婚して、彼の可愛い子どもをサッカーチームができるくらい大量に産んで、この面倒くさい軍隊からとっとと引退しておるよ!!」

 

彼女の脳内ではすでに、赤毛と金髪が混ざったピンク色の髪の毛を持つ子どもたちが、広い庭を走り回っている光景が鮮明に再生されているのだ。

 

「……お忘れですか、閣下」

 

「貴女は、そのお二人よりもさらに若い。圧倒的に若いのですよ。ファルケンハイン閣下やラインハルト様が四十代、五十代と加齢による肉体的・精神的な衰えを見せ始める頃、貴女はまだ三十代という、政治家としても軍人としても、最も成熟し、エネルギーに満ち溢れた黄金期を迎えるのです。……時間は、貴女の最大の武器です」

 

「む……」

 

「それに、あの二人の権力者が、天寿を全うするまで平穏無事に玉座に座り続けられるという保証はどこにもありません。暗殺、病気、あるいは内乱。権力の頂点に立つ者は、常に致死率の高いリスクと隣り合わせなのです。彼らが今後二十年以内に非業の最期を遂げる確率は、決して低くはありません。その時こそ、最も若く、最も支持を集めている貴女が、正当な後継者として宇宙を手に入れる絶好のタイミングなのです」

 

「……お前、本当に息を吐くように物騒な確率を計算する男じゃな。ファルケンハイン閣下が聞いたら、胃に穴が開いてまた血を吐き出すぞ」

 

「それはさておき、閣下」

 

「……隠居される前に、私の子も産んで頂けるので?」

 

「…………は?」

 

「おま……お前、今、なんと言った?誰の子を産むじゃと?」

 

「私の子です。パウル・フォン・オーベルシュタインの遺伝子を受け継ぐ子どもです」

 

「お、お前!頭の回路が完全にショートしたのか!?なぜ妾がお前の子を産まねばならんのじゃ!妾はさっき、愛するジークの子どもをサッカーチーム分産むと宣言したばかりじゃろうが!」

 

「極めて合理的な提案です。閣下。貴女は私の公式な『愛人』であると、先ほどご自身で高らかに宣言されました。愛人関係にある男女の間に、次世代の遺伝子を残すという生殖行動が発生するのは、生物学的に見て極めて自然な成り行きです」

 

「屁理屈をこねるな!あれはただの権力の象徴としての、ステータスシンボル的な意味合いの愛人じゃ!実際に肉体関係を持とうなどと一ミリも考えておらんわ!」

 

「それは実にもったいない非効率的な運用ですね。考えてもみてください。私のこの帝国一の演算能力を誇る天才的な頭脳と、貴女のその常軌を逸した驚異的な生命力、そして絶対に死なないという宇宙の法則を捻じ曲げるような悪運の強さ。この二つの優れた遺伝子が交配し、ハイブリッドとして掛け合わされた子どもが誕生すれば……それは間違いなく、次世代の宇宙を支配するに相応しい、最強のパーフェクト超人類となるはずです」

 

「私の知略と、貴女の暴力。これらを兼ね備えた子どもがいれば、キルヒアイス提督との間に生まれるであろう、ただ優しくて人が良すぎるだけの子どもたちの、完璧なバックアップ兼、政治的な用心棒として機能します。リスクマネジメントの観点からも、遺伝子の多様性を確保しておくことは、名家を存続させる上で必須の戦略です」

 

「誰が我が子を用心棒にするか!そしてお前と妾の子どもとか、性格がひん曲がりすぎて絶対にグレる未来しか見えんわ!」

 

「そうですか。では、論理的な説得からアプローチを変えましょう。……愛人としての、私のささやかな、そして切実な『お願い』です。主君として、愛人の小さな夢を一つくらい叶えてくださっても罰は当たらないのではないでしょうか」

 

「うっ……」

 

「……わ、わかった。そこまで言うなら、考えてやらんこともない。だがな……!」

 

「ジークの後じゃ!まずは妾の最愛の夫であるジークの子どもを一人キッチリと産み終えるのが先決じゃ!お前の順番が回ってくるのは、その後じゃ!」

 

「了解いたしました。私は忍耐力には自信があります」

 

「ふん。今は、これで許せ」

 

彼女は背伸びをして、オーベルシュタインの頬に、チュッと軽いキスを落とす。

 

「……!」

 

「どうじゃ。愛人への特別ボーナスじゃ。これで大人しく順番待ちの列に並んでおれ」

 

「……」

 

「……承知いたしました。……では、私はこれより人事局の深夜の残業業務に戻ります。明日の早朝までに、将官たちの無駄な経費をさらに一割削る案を完成させねばなりませんので」

 

「おやすみなさいませ、我が『主君』」

 

ドアが静かに閉まり、私室には再び、マルガレータ一人だけの静寂が戻ってくる。

 

一人になったマルガレータは、再び窓辺へと歩み寄る。

 

窓の外には、煌びやかなの光の海と、そしてその遥か向こうに広がる、無数の星々が瞬く無限の宇宙の闇が広がっている。

 

「宇宙を………手に………入れる…………か」

 

マルガレータが、先ほどのオーベルシュタインの言葉を、まるで呪文のように、口の中でゆっくりと反芻する。

 

新生銀河帝国は、アルブレヒトとラインハルトの絶妙なバランス感覚と、キルヒアイスの献身的な調整によって、いかなる外敵にも揺るがない盤石の双頭体制を築いたかのように見えた。

 

しかし、歴史の女神は常に残酷であり、そして気まぐれであることを知っている。

若すぎる権力者たちが集うその巨大な組織の内部には、常に新たな火種が燻っているのだ。

 

そして、その強大な帝国を内部から焼き尽くす着火剤となるのは、往々にして、純粋な「愛」という名の下に巧妙に隠された、果てしない「野心」の炎であることを、今の彼らはまだ誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝都オーディンの中枢から遠く離れた、厳重なセキュリティで守られた地下の暗号通信室。

そこには、先ほどマルガレータの部屋を辞したばかりの、パウル・フォン・オーベルシュタインの姿がある。

彼は、外部のあらゆる傍受システムを完全に遮断した、最高レベルの暗号回線を繋ぎ、通信用のマイクに向かって、静かに、そして淡々と語りかけている。

 

『……はい。私です』

 

『……ええ、準備は着々と進行しております。はい、来るべき日が訪れた際には、ぜひ貴方様の持つ影響力を、我々に貸していただき、お力添えをお願いしたい。……はい、わかっております。条件は以前お話しした通りです』

 

『……ええ。我が主君、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー閣下は、間違いなくこの宇宙を統べる器を持つ傑物です。彼女を玉座に据えることこそが、帝国の真の安定に繋がると、私は確信しております。……そのための布石は、私が全て裏で打っておきます』

 

『……ええ、よろしくお願いいたします。……リヒテンラーデ侯爵閣下』




ここまで読んでいただきありがとうございました。

今回はマルガレータとオーベルシュタインの関係を中心に描いてみました。

戦場での活躍が目立つ彼女ですが、
その裏でどのような思いを抱えているのか、
そしてそれを見ているオーベルシュタインが何を考えているのかを書いてみた回になります。

また、最後には少しだけ不穏な動きも入れてみました。

この二人の関係や、
「女帝構想」についてどう思われたか、
よろしければ感想で教えていただけると嬉しいです。

宇宙を統一するのは誰だと思いますか?

  • アルブレヒト
  • ラインハルト
  • ヤン・ウェンリー
  • マルガレータ
  • ロイエンタール
  • ルビンスキー
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