銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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帝国と同盟の英雄たちは、
血と鉄によって歴史を動かした。

しかし彼らは知らなかった。

「続きが気になる小説」には
戦争を止めるほどの破壊力があることを。


ランズベルクの戦争

帝都オーディンの外れに位置する、薄暗く埃っぽい路地裏。

 

常に重苦しいスモッグが立ち込めるその一角に、今にも倒壊しそうなボロい雑居ビルが存在する。

 

『株式会社腹黒流通』の事務所の中は、現在、阿鼻叫喚の地獄絵図と化している。

 

ジリリリリリリリリッ!!

ジリリリリリリリリッ!!

 

「はい!はい!誠に申し訳ございません!ええ、おっしゃる通りでございます!決して嫌がらせや、何らかの宗教団体の勧誘などではございません!はい!すぐに責任者を向かわせますので!どうか、どうか今回ばかりはご容赦を!今後の取引停止だけはなにとぞ思いとどまっていただきたく!」

 

その隣のデスクでは、彼の息子であるルパートが、額に青筋をビキビキと浮かび上がらせながら別の電話に対応している。

 

「ですから!その段ボール箱の中に入っていた不気味な紙切れは、決して呪いの手紙などではございません!はい、文字の羅列が狂気じみているというお客様の率直なご感想は、真摯に受け止めさせていただきます!ですが、決して爆発物や有害なウイルスが塗布されているわけではありませんので、保健所に通報するのだけはお待ちください!すぐに新品の商品と交換にお伺いします!」

 

隣ではボルテックが、泣きベソをかきながら、三台目の電話の受話器を両手で拝むように持っている。

 

「ひいいいっ!お許しください!奥様がその紙切れを読んで寝込んでしまった!?誠に申し訳ございません!精神的苦痛に対する慰謝料のご請求につきましては、弊社の顧問弁護士が……いえ、弊社には現在弁護士を雇う余裕がございませんので、なんとか私のこの誠意ある土下座で示談にしていただけないでしょうか!あああっ、電話を切らないで!」

 

三人の男たちが、次から次へと鳴り響く電話の対応に追われ、事務所の中を右へ左へと走り回っている。

 

およそ一時間もの間、ひたすらに平謝りを繰り返した後、ようやく三台の電話のベルが同時に鳴り止む奇跡の瞬間が訪れる。

 

「……っざけんなああああああああっ!!」

 

「なに!?また苦情が!?今度は一体どこのどいつから、どんな内容のクレームが来たというのだ!朝から晩まで謝りっぱなしで、私のこの立派な頭の輝きがストレスで曇ってしまいそうではないか!どうなっているんだ、この会社の品質管理は!」

 

「どうなっているも何もありませんよ、社長!」

 

「昨日配達したすべての荷物の中に、恐ろしく下手くそで、意味不明で、しかも狂気すら感じるような気味の悪い詩やポエムを書き殴ったチラシが、勝手に混入されているのですよ!お客様からは『開けた瞬間に呪いの手紙が出てきた』『不吉すぎて縁起が悪い』『うちの犬がその紙を見て狂ったように吠え出した』と、前代未聞の苦情の嵐です!気味悪がられて当然の代物ですよ、これは!」

 

「申し訳ございません!申し訳ございません!!私がお届けした高級ワインの箱の中にも、その謎のポエムが入っていたらしく、お得意様の機嫌を完全に損ねてしまいました!直ちに回収に向かわせますから、どうか私のお給料から損害賠償を天引きするのだけは勘弁してください!」

 

「またアイツか!!またあの男の仕業か!!ランズベルク!!お前という奴は、どうしてこうも私の商売の邪魔ばかりするのだ!!」

 

すると、事務所の奥にある、荷物の仕分け作業を行うためのバックヤードの薄暗がりから、一人の男がゆっくりと姿を現す。

 

元門閥貴族にして、自称『帝都の詩神』、ランズベルク伯アルフレットその人である。

 

「お呼びですかな、ルビンスキー社長!私の名前が呼ばれたということは、ついに私のアートが、大衆の心を激しく揺さぶることに成功したという吉報でしょうか!」

 

「社長のその顔を見ればわかりますぞ。私の詩がもたらしたあまりの反響の大きさに、喜びと驚きを隠しきれないご様子!これは、私が考案した極めて高度な宣伝戦略なのですぞ!!」

 

「……宣伝戦略、だと?」

 

「いかにも!ただ荷物を運ぶだけの味気ない運送業では、他社との差別化は図れません!そこで私は、皆様の荷物の中に、この私の魂の叫びを綴った高尚な詩を一枚一枚丁寧に忍ばせることで、御社の知的でエレガントな企業イメージを、宇宙の果てまで一気に持ち上げようと画策したのです!荷物を開けた瞬間、美しい言葉の調べがお客様の心を癒す……。なんという素晴らしいサービス精神でしょうか!」

 

「持ち上げるどころか、超大型の対空砲火でうちの会社ごと撃ち落とそうとしているではないか、この大馬鹿者が!!」

 

「お前のその自己満足のゴミのせいで、今日だけでお得意様が三件も一気に減ったぞ!『こんな気味の悪いチラシを入れる業者とは二度と取引しない』と、完全に愛想を尽かされたのだ!我々の売上目標が、お前のその狂ったポエムのせいで完全にマイナス成長に転落しているのが分からないのか!」

 

「な、なんということを!私の詩をゴミとは聞き捨てなりませんぞ!あのお客様たちは、芸術というものを根本的に理解していない、ただの無教養な俗物どもに過ぎないのです!真の芸術は、時代を先取りしすぎるがゆえに、最初は常に迫害を受ける運命にあるのです!」

 

「お前など……お前など、今日限りでクビだ!!!」

 

「今すぐこの事務所から出て行け!そして二度とそのツラを見せるな!お前のような疫病神を雇ってしまったのが、私の人生最大のミステイクだ!」

 

「ひいっ!しゃ、社長!暴力はいけません!私はただ、会社のために良かれと思って……!」

 

「……と言いたいところだが。くそっ……!人がいない……!圧倒的に人手不足だ……!」

 

現在の腹黒流通は、慢性的な人手不足に悩まされている。

 

こんな役立たずのポエム伯爵であっても、単純な肉体労働の頭数としては、絶対に手放すわけにはいかないという、零細企業特有の悲しすぎる現実がそこにはある。

 

「社長!もう限界です!また電話が鳴り始めました!これ以上クレームの対応を続けていたら、私のメンタルが完全に崩壊してしまいます!電話回線がパンクしますよ!!」

 

「ええい!わかっている!ならば……おい、ランズベルク伯!!」

 

「お前がどうしても自分の作品を荷物に同梱したいというのなら、条件がある!あの『小説』をセットでつけろ!手慰みで書いたとかいうあの歴史小説の束だ!アレを一緒に箱の中に入れろ!」

 

「小説、ですか?」

 

「そうだ!私もケッセルリンクも、お前が休憩時間に書いているあの小説の原稿を盗み読みさせてもらったが、アレは恐ろしく面白い!エンターテインメントとして完璧に成立している!あの小説のコピーを同梱して、お客様の気をそらせ!お前のその気味の悪い詩は、あくまで『小説のオマケ』という体裁にして、メインのコンテンツを小説にすり替えるのだ!」

 

「何を!!」

 

「小説などという、俗悪で凡俗な大衆娯楽をメインに据えるなど、私の美意識が絶対に許しません!あんなものはただの暇つぶしの落書きです!私の魂の結晶である高尚な『詩』をオマケ扱いにするなど、芸術への許しがたい冒涜ですぞ!!そんな恥知らずな真似をするくらいなら、私は舌を噛み切って死にます!」

 

「うるさい!お前が運んでいる荷物を受け取るのは、そのほとんどがお前が馬鹿にしている凡俗な大衆なんだよ!!芸術だの魂だの、そんなくだらないプライドは今すぐその辺のゴミ箱に捨てちまえ!いいから私の言う通りにやれ!さもなければ、今度こそ本当にクビにして、お前をオーディンの極寒の路上に放り出すぞ!」

 

ランズベルク伯は、路頭に迷って餓死するという究極の現実を突きつけられ、顔を青ざめさせる。

 

彼は、ブルブルと震えながら、芸術家としての矜持と、明日のパンを買うための給料との間で、激しい葛藤を繰り広げる。

 

「…………わかりました。社長の命令とあらば、従いましょう」

 

「ですが!これだけは言っておきます!あくまで『小説がおまけ』です!!メインは私の詩であり、あの小説はただの緩衝材代わりのオマケの紙切れに過ぎません!そこだけは、私の最後のプライドにかけて、絶対に譲りませんぞ!!」

 

「はいはい、わかったわかった。お前の中ではそういう設定にしておけばいい。どうせ客が読むのは小説の方だけだからな。さっさと原稿を輪転機にかけて、千部くらいコピーしてこい!急げ!」

 

こうして、ランズベルク伯の全く望まない形で、彼の書き殴った「手慰みの娯楽小説」が、腹黒流通の配送ネットワークに乗って、帝国全土へとばら撒かれることになったのである。

 

そして、その結果は、ルビンスキーの商売人としての勘すらも遥かに凌駕する、恐るべきものとなる。

 

『おい、昨日腹黒流通から届いたタマネギの箱に入っていたあの小説、読んだか!?』

 

『ああ!読んだぞ!なんだあの圧倒的な面白さは!金髪の若造が主人公の戦記物だが、描写がリアルすぎて手が止まらない!』

 

『あの赤毛の副官が最高にかっこいいんだよ!続きはどうなるんだ!?あの要塞戦の結末が気になって夜も眠れない!』

 

『腹黒流通に電話して聞けば、次の章がもらえるらしいぞ!』

 

そんな口コミが、ご近所の井戸端会議から、酒場のサラリーマンの雑談、果ては軍の士官食堂にまで、凄まじい勢いで広まっていく。

 

「荷物を送る用事はないが、あの小説の続きが読みたいから」という、完全に本末転倒な理由だけで、腹黒流通への架空の運送注文や、無意味な空箱の配送依頼が殺到し始める。

 

クレームでパンクしそうだった電話回線は、今度は「次のコピー本を早く送ってくれ」という熱狂的な読者たちのリクエストによって、文字通り完全にパンク状態に陥る。

 

腹黒流通の売上と運送注文数は、わずか数週間の間に、瞬く間に十倍、いや二十倍以上に跳ね上がったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その異次元のブームから一ヶ月後。

 

かつての薄汚れた路地裏の事務所は、隣の空きテナントをぶち抜いて三倍の広さに拡張され、新品の高級オフィス家具がズラリと並べられている。

 

その最も奥にある、やたらと立派な社長専用の革張りチェアに深く腰掛け、ルビンスキーは、全身を眩しいほどに仕立ての良い最高級のシルクのスーツで包み込み、葉巻をくゆらせながら、腹の底から湧き上がるような高笑いを上げている。

 

「ガハハハハハ!!笑いが止まらん!全く笑いが止まらんぞ!!」

 

「ルパート!もうタマネギやソーセージを運ぶような泥臭い運送業は、適当な下請け業者に全部丸投げしてしまえ!我々の本業は今日から変わる!急遽、出版部門を独立させて『腹黒出版』を立ち上げるぞ!あのランズベルクの書く小説の独占出版権は、雇用契約書に極小の文字でこっそり書き加えておいたから、完全に我々が握っている!これからは、紙にインクを刷るだけで、無限に金が湧いてくる錬金術の始まりだ!」

 

「ええ、父さん。まさかあのポエム伯爵の落書きが、これほどのドル箱になるとは思いませんでしたよ。父さんの商売の勘が、完全に戻ってきましたね」

 

「国内だけではありません。同盟側に繋がっているあの密輸ルートを使って、ヤン・ウェンリーの関税網をすり抜け、この小説のコピー本をハイネセンの闇市場にも流してみたところ……あちらでも、まさに異次元の大ヒットを記録しています。同盟の市民たちは、帝国の内情を面白おかしく描いたこの物語に完全に熱狂しており、この小説を読むことでストレスを発散しているようです。需要は供給を完全に上回っています。……ただし」

 

「ただし、なんだ。何か問題でも発生したのか?税務署でも嗅ぎつけてきたか?」

 

「いえ、税務署よりも遥かに恐ろしい事態です」

 

「この小説の『第2巻』以降の続きを熱望する読者たちの声が、日に日にエスカレートしておりまして……。今や、熱望というレベルを通り越し、腹黒流通の窓口へ向かって、完全に脅迫レベルのメッセージが怒涛のように押し寄せるようになっているのです」

 

「脅迫だと?」

 

「はい。『続きをすぐに出さないと、お前たちの事務所に爆弾を投げ込むぞ』とか、『あの金髪の主人公がどうなったか教えないと、社長のハゲ頭を物理的にかち割る』といった、極めて過激で具体的な殺害予告まがいの手紙が、今日一日だけで百通を超えています。過激なファンたちは、続きが読めないストレスで完全に暴徒と化しつつあります」

 

「な、なんだと……!?たかが小説の続きが読めないくらいで、事務所を爆破するだと!?同盟の市民は頭がおかしいのか!!」

 

「芸術の力は、時に大衆を狂気に駆り立てるのです。……父さん、このままでは本当に、熱狂的なファンによって我々が物理的に暗殺されかねません。一刻も早く、ランズベルク伯に第2巻の原稿を書き上げさせなければ!」

 

「わかっている!おい、誰か!あのポエム伯爵を今すぐここに連れてこい!徹夜させてでも続きを書かせるんだ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

腹黒出版のオフィス奥深くに新設された、防音設備と最高級の家具が完備された専用の豪華な執筆室。

 

「さあさあ、ランズベルク大先生!!続きの執筆を!!今すぐ次のページの執筆をどうかお願いいたします!!銀河中の読者が、同盟も帝国も関係なく、先生のその神がかった筆の進みを、今か今かと待ちわびておりますぞ!」

 

ルビンスキーが、まるでご神体に祈りを捧げるかのように、大袈裟なジェスチャーで原稿用紙を指し示す。

 

「ぐ………むむう……。背に腹は代えられぬとはいえ……私がこのような俗悪な大衆娯楽の続きを書かねばならんとは……。しかし、私の芸術家としての本分は、あくまで高尚なる詩人……。小説などという泥にまみれた文字の羅列で持て囃されても、私の魂は少しも満たされぬのだ……!」

 

彼にとって、この空前の大ベストセラーを生み出している現状は、自分の真の才能が否定され、ピエロとして消費されているという屈辱以外の何物でもないのだ。

 

「そこをなんとか!先生の才能は小説でこそ輝くのです!外からの脅迫状の山を見てください!先生が筆を止めれば、うちの会社ごと熱狂的なファンに爆破されてしまいますぞ!」

 

窓ガラスに貼り付けられた「続きを出せ」という物騒な手紙の数々を指差す。

 

「私の命などどうなっても構わん!私は……私は、後世の歴史に『偉大なる詩人』として名を残したいのだ!『通俗小説家』などという肩書きで呼ばれるくらいなら、筆を折る!」

 

「……先生。お気持ちは痛いほどよくわかります。そこで、私から一つ、素晴らしいご提案があるのですが」

 

「提案、だと?」

 

「ええ。この大ヒット確実の小説第2巻にも、もちろん巻末に『先生の書き下ろしの新作詩』をたっぷりと、好きなだけ何ページも追加していただいて全く問題ありませんよ!いや、むしろぜひとも追加していただきたい!」

 

「な、なんだと!?あの大衆に迎合した小説の巻末に、私の高尚な芸術を載せても良いというのか!?」

 

「もちろんですとも!考えてもみてください、先生!この小説は今や、全宇宙で飛ぶように売れているのです。つまり、読者はこの小説を買うと同時に、自動的に先生のその高尚な『詩』も買っていくことになるのですよ!何百万、何千万という人々が、先生の詩を強制的に……いえ、必然的に目にする機会を得るのです!これほど効率的な詩の布教活動が、他にあるでしょうか!?」

 

ルビンスキーの言葉は、ランズベルク伯の最大の急所である「詩人としての承認欲求」を見事に、そして完璧に撃ち抜いた。

 

「……!」

 

「そ、そうか……!そういうことか!!この小説は、私の真の芸術である『詩』を、無知な大衆の元へ届けるための、壮大なるトロイの木馬であり、偉大なる布教の手段だったのか!!」

 

「その通りです、先生!さすがは帝都の詩神、理解がお早い!」

 

「キリッ!!」

 

ランズベルク伯が、姿勢を正し、これ以上ないほどにキリッとした、使命感に燃える芸術家の顔つきになる。

 

「わかりました、ルビンスキー社長!私の真の芸術である『詩』を広めるためならば、この俗なるエンターテインメントの筆も、喜んで執りましょう!むしろ、読者を小説で完全に惹きつけ、最後に私の詩で魂を昇天させるという、究極の芸術体験を提供してやりますぞ!直ちに執筆に掛かります!紙とインクをもっと持ってきなさい!」

 

「おお!素晴らしい!その意気ですぞ、先生!よし、ケッセルリンク!輪転機をフル稼働させろ!第2巻の増刷準備だ!」

 

こうして、自らの才能の方向性を完全に勘違いしたまま、望まぬ巨匠・ランズベルク伯アルフレットは、銀河の文学史に永遠にその名を残すことになる。

 

帝国・同盟の双方の陣営で、軍人から一般市民まで幅広く読み継がれる、不滅の超大作戦記文学の大文豪として……。

 

そして、彼が自らの真の芸術の結晶であると信じて疑わず、毎巻の巻末に無理やりねじ込み続けた「謎のポエム集」は、後世の読者たちからは、彼の意図とは全く異なる、奇妙な愛され方をしていくことになる。

 

『本編の重厚な政治劇と悲壮な戦闘シーンを読み終えた後に、この巻末の支離滅裂なポエムを読むと、なんか脳の緊張が解けてフフッて笑えるんだよね』

 

『シリアス展開の後の、作者からのちょっとした脳の休息(ギャグパート)だろ、これ』

 

という具合に、完全に「癒やしのオマケ要素」として定着し、一部に熱狂的なカルトファンを生み出すに至るのであった。

 

それから数週間後。

『銀河英雄伝説』第2巻が発売され、全宇宙がさらなる狂騒の渦に包まれている頃。

 

帝国宰相アルブレヒト・フォン・ファルケンハインは、机の上に山積みになった重要な国政の決裁書類を完全に隅へと追いやるか、あるいは床に放り出し、代わりに真新しい、分厚い紙の束を手に持って、夢中でページをめくっている。

 

「おい!おいメックリンガー!聞いたか!あのランズベルクのやつ、ついに腹黒出版の社長の説得に応じてやる気になったらしいぞ!第2巻が出たぞ!」

 

「……ヤバい!めっちゃ面白い!面白すぎる!前巻のあの要塞戦の続きから、まさかこんな政治的な裏工作の展開に繋がるとは!この『ファーレンシュタイン宰相』の、裏で手を回して敵を同士討ちさせる腹黒い策謀の描写が熱すぎる!作者は俺の心の中を完全に透視しているんじゃないかと思うレベルだ!」

 

「すぐだ!今すぐ腹黒出版に直接電話をして、第3巻の予約を入れろ!いや、宰相の特権を使って、一般販売の前にゲラ刷りの段階で俺のところに持ってこさせろ!俺はもう続きが気になって、夜の昼寝もできやしない!」

 

「落ち着いてください、閣下」

 

「すでに腹黒出版の特別ルートに連絡を入れ、限定の箔押し特装版の第3巻を予約済みです。……それにしても、閣下のおっしゃる通り、この作品の引力は凄まじい。私も、昨晩は届いた第2巻を読み始めてしまい、気づけば窓の外が明るくなるまで、徹夜で一気に読みふけってしまいました」

 

「お前もか、メックリンガー。芸術提督を徹夜させるとは、ランズベルクのやつ、とんでもないバケモノを生み出しちまったな」

 

 

同じ頃、帝国軍最高司令部。

ラインハルトが、軍の作戦図が広げられたデスクの真ん中で、同じく『銀河英雄伝説』第2巻を広げ、目をキラキラと輝かせながらページをめくっている。

 

「……見事だ。実に見事な筆致だ」

 

ラインハルトが、感嘆の息を漏らす。

 

「この主人公、『アインハルト・フォン・ローゼンシュタイン』というのは、その経歴といい、金髪の描写といい、どう見ても明らかに俺自身がモデルだな。……素晴らしい。作者は俺と直接話したこともないはずなのに、俺の胸の奥底で燃えている覇道が、これ以上ないほど完璧に、そして美しく言語化されている。自分が伝説の主人公になったような、悪くない気分だ。ぜひ一刻も早く続きを読みたいものだ!」

 

その隣で、国務尚書に就任したばかりのジークフリード・キルヒアイスが少しだけ困ったような、苦笑いを浮かべている。

 

「ラインハルト様、あまり小説に読み耽って、大事な軍の再編会議や公務に支障をきたさないようにしてくださいね。アンネローゼ様も、貴方が最近夜更かしをしていると心配しておられましたよ」

 

「分かっているさ、キルヒアイス。だが、この展開の熱さは、一度読み始めると止められないのだ」

 

「……それにしても」

 

キルヒアイスが、自分の手元にある同じ本のページをパラパラとめくりながら、少しだけ首を傾げる。

 

「この小説の中に登場する、主人公の親友である赤毛の副官のキャラクターですが……。なんだか、現実の私に比べて、随分と聖人君子のように、過剰なまでに美化されて描かれているような気がするのですが……。これでは読者の方々に、私がどれだけ立派な人間だと誤解されてしまうか、少し恥ずかしいですね」

 

「何を言う、キルヒアイス。お前は現実でも、その小説のキャラクター以上に聖人で、完璧な俺の半身じゃないか。作者の人物眼は極めて正確だぞ」

 

「ラインハルト様まで、そんなお世辞を……」

 

キルヒアイスが、照れくさそうに笑う。

彼らの司令官室にも、ランズベルク伯の紡ぐ物語の熱が、確実に伝播している。

 

そして、その熱狂は、遠く離れた敵国にまで及んでいた。

 

自由惑星同盟の首都、ハイネセン。

その最高権力の中枢であるヤン・ウェンリーの総統執務室。

 

「……ほう。帝国からわざわざ密輸されてきた書籍だと聞いて、どんなプロパガンダの代物かと思えば……」

 

「歴史書や戦記物としては、随分とエンターテインメントの娯楽に流れているきらいはあるけど、それを補って余りあるほどに、登場人物たちの人間心理の描写が極めて秀逸で、純粋に物語として面白いな。帝国にも、これほどの筆力を持った作家が隠れていたとは」

 

「ヤン提督、それ、今同盟軍の若手将兵たちの間でも、闇ルートで出回って大流行してるんですよ」

 

「ああ、そうらしいね。みんな、軍の規則を破ってまで隠れて読んでいるらしいじゃないか。アッテンボローなんて、続きが気になりすぎて、イゼルローンからわざわざ特使の船を出して密輸業者から買い付けようとしたらしいぞ。馬鹿な奴だ」

 

ヤンが、呆れたように笑う。

しかし、彼自身もその本から目を離すことができないでいる。

 

「……それにしても、ユリアン」

 

「この小説の同盟側に登場する、『ロン・テイラー』という名前の、いつもベレー帽を被っている智将のキャラクターなんだけど……。これ、どう見ても私のことだよね?」

 

「ええ、まあ。誰が読んでもそう思うでしょうね。紅茶好きという設定まで同じですし」

 

「『本当は歴史学者になって静かな年金生活を夢見ているのに、軍の理不尽な命令で戦場に駆り出され、なぜか奇跡的な戦術で勝ってしまう、不本意な魔術師』……か」

 

「ふむ。この帝国の作者は、一度も会ったことがないはずなのに、私の心の奥底にある本質と、このやるせない内面を、恐ろしいほどよく分かっているじゃないか!同盟のどの政治家やジャーナリストよりも、私のことを正確に理解してくれているよ!」

 

「ユリアン、すまないが……」

 

本を机に置き、極めて真剣な、まるで国家の存亡を懸けた作戦を指示するような顔つきで、ユリアンに向き直る。

 

「この本の出版元である『腹黒出版』というところに、同盟の裏ルートを使って極秘に連絡を取ってくれないか。そして、私の権限で、まだ影も形もない第3巻の初版を、絶対に確実に予約しておいてくれ」

 

「……はい?」

 

「いや、1冊じゃ足りない。保存用と布教用を含めて、3冊予約だ。……総統の職権濫用だと、レベロ委員長や市民から後ろ指を指されても構わん!私は、このロン・テイラーが、最終的に無事に軍を退役して年金をもらえるのかどうか、どうしてもその結末を見届けなければならない義務があるんだ!」

 

「……はいはい。わかりましたよ、ヤン提督。総統の特権を使って、密輸の裏ルートで娯楽小説を予約するなんて、歴史上でも貴方くらいのものですよ」

 

呆れ返りながらも、メモ帳に『腹黒出版に連絡、3巻予約』と書き込む。

 

かつて、血を洗う凄惨な戦いを繰り広げ、互いの命を狙い合った英雄たち。

アルブレヒト、ラインハルト、キルヒアイス、そしてヤン・ウェンリー。

 

彼らは今、全く別々の場所にいながら、一人の変人が不本意ながらに紡ぎ出した、「物語」の続きを、同じように心を踊らせ、同じように心待ちにしていた。

 

銀河は今、武力による制圧や、血みどろの政治交渉ではなく。

「エンターテインメント」という、誰も予想しなかった全く新しい、そして圧倒的な引力を持つ力によって国境やイデオロギーの壁を越え、緩やかに、そして確実に、一つの大きな輪となって繋がろうとしていたのである。

 

歴史の女神は、剣と血の代わりに、ペンとインクによる平和の可能性を、彼らにそっと提示しているのかもしれない。

 

 




もっとも、この小説が銀河の平和に寄与するかどうかは、歴史の女神のみが知るところである。

ただし少なくとも一つだけ確かなことがある。

続きが気になる小説は、時に艦隊よりも強力であるということだ。

長期化して初期との表記揺れも目立ってきたので最初から書き直すべきでしょうか?

  • 最初から書き直すべき
  • 加筆修正で保つべき
  • そもそもいらない
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