銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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ヤンはユリアンを守りたかった。
アルはそれを戦略だと思った。

それだけの話である。

……本当に、それだけの話である。


誤解から始まる戦争

帝都オーディン ノイエサンスーシ

 

微かに鼓膜を撫でる小鳥たちのさえずりを心地よい調べとし、俺、アルブレヒト・フォン・ファルケンハイン帝国宰相は、朝の光に満ちた極めて優雅なひとときを噛み締めていた。

 

目の前の豪奢なテーブルを彩るのは、専属シェフが持てる技巧のすべてを注ぎ込んだ芸術品のごとき品々である。

朝露をまとい、まるで命を宿した宝石のように瑞々しく輝くフルーツの盛り合わせ。

ふくよかで香ばしいバターの香りを部屋の隅々にまで漂わせる、焼き立てのクロワッサン。

さらに、俺の味覚を完全に支配していると言っても過言ではない、甘さを絶妙に抑えた特製のケーキが並べられ、視覚と嗅覚の両面から俺の心に満ち足りた幸福感を訴えかけてくるのだ。

 

俺は今、このノイエサンスーシという、全宇宙を統べる絶対的な権力の象徴のただ中で、愛してやまない妻たち──エリザベートとサビーネに両脇を愛らしく固められながら、至福の朝食を味わっている。

昨夜は深夜に至るまで、この広大なベッドで三人揃って甘美な時間を「頑張った」余韻がまだ肌に残っている。

心地よい疲労感が骨の髄まで染み渡る奥底で、俺の魂はこれ以上ないほどに甘く満たされていた。

愛する妻が三人おり、あろうことかそのうち二人が帝国の頂点たる皇帝であるという事実。

俺は間違いなく、この銀河の歴史上、最も恵まれた宇宙一の果報者であろう。

 

権力の頂点に君臨する男にのみ許された、この上ない絶頂感と陶酔を全身の細胞一つ一つで噛み締めながら、俺は極めて優雅な手つきで、芳醇な香りを放つダージリンティーのカップを静かに唇へと運んだ。

 

「……でも」

 

不意に、隣に座るエリザベートが、どこか満たされない熱を帯びた瞳で甘い溜息をこぼした。

 

「……昨晩は、アナお姉様がいらっしゃいませんでしたから、少しだけ……いえ、かなり物足りなさを感じてしまいましたわ。私、アナお姉様のあの氷のように冷たい目で見下ろされながら、無慈悲に踏みにじられたり、厳しく嗜められたりしないと……夜の甘美な快楽が半分以下に薄れてしまいますの」

 

……相変わらず、全くブレない。

本当に、この美しき皇帝はいついかなる状況であろうとも、自らの奥底に潜む特殊な嗜好について微塵の揺らぎも見せないのである。

筋金入りのマゾヒストであり、あろうことか自身の夫のもう一人の妻であるアナに冷酷に踏みにじられることへ無上の悦びを見出しているとは……。

 

仮にこの倒錯した事実が後世の歴史家たちの知る処となれば、燦然たる銀河帝国の正史には一体どのような筆致で記されるというのか。

『ファルケンハイン朝の初期は、為政者たちの極めて変態的なパワーバランスの恩恵により、奇跡的な平穏を維持していた』とでも皮肉られるのだろうか。

 

「じゃあ、私はアル様がいっぱい構ってくれて、頭を優しく撫でてくれて、すっごく気持ち良かったから大満足だよ!アナお姉様がいない分、私がアル様を独り占めできたしね!ねえ、アル様、今日もこの後……」

 

もう一人の妻であるサビーネが、太陽のような明るい笑顔を咲かせて俺の腕にすり寄ってくる。

彼女の放つ、一切の混じり気がないストレートな愛情表現は、エリザベートの抱える複雑怪奇な性癖に比べれば圧倒的に健全で分かりやすく、俺の急速にすり減りつつあった精神衛生を劇的に回復させてくれる一筋の光であった。

 

「うん、サビーネちゃんは最高だ。お前のその裏表のない素直なところが、俺は何よりも愛おしいよ。……だがな」

 

俺は優しく彼女の髪を撫でながら、ふと窓の外の遠い空へと視線を落とした。

 

「アナは昨夜、どうしても外せない公務が立て込んでいて、帰還できなかったんだ。最近は帝都に巣食う地下組織の摘発で、夜昼問わず飛び回っているらしくてな。……俺としても、彼女の冷たい温もりが隣にないのは、少しばかりさみしい気分だよ」

 

ドカァァァァーーン!!!

 

突如として、優雅な朝の静寂を無惨に引き裂く凄まじい爆発音が、俺の背後から轟き渡った。

 

強固なはずの豪奢な扉が、文字通り木端微塵に爆砕され、無数の鋭い破片となって凶器のように部屋中へと降り注ぐ。

もうもうと立ち込める白くきな臭い硝煙。その分厚い煙の壁を鋭く切り裂くようにして、一つの黒い影が微塵の躊躇いすら見せず、颯爽とした足取りで部屋の只中へと躍り出てきたのだ。

 

「ブーッ!!!」

 

俺は口に含みかけたダージリンティーを派手に吹き出し、激しく咽せ返った。

 

「ゲホッ、ゴホッ!……ド、ドアが、また爆発しただと!?またしても我が家の平和なドアが無惨に破壊されたというのか!!なぜだ!!なぜ我が新生銀河帝国は、静かにノックをしてから入室するという文明的な基本マナーを完全に忘れ去り、とにかく物理的な破壊を以て押し入るという野蛮極まりない悪習が、かくも深く浸透してしまったのだ!!ここは血生臭い最前線の塹壕ではないぞ!!」

 

「アル様!!朝食の最中に大変失礼いたします!ですが、一刻の猶予も許されない緊急事態にございます!」

 

舞い散る硝煙を鬱陶しそうに払い除け、氷のように冷たく整った貌を微塵も崩すことなく、直立不動の完璧な姿勢で美しく敬礼をしてみせたその人物。

それは他でもない、俺がほんの数十秒前まで「さみしい」と心底会いたがってやまなかった、冷徹なる内務尚書にして貴族直轄軍総司令官。そして俺の最愛の妻の一人である、アナスタシア・フォン・ファルケンハインその人であった。

 

「アナ!お前だったのか!!お前がこの高価なドアを爆破したというのか!!お前だって以前、金髪のバカ弟がドアを蹴り破って乱入してきた時、『なんて野蛮で非文化的な振る舞いですか!この高価なドアの修理代は誰が払うと思っているのです!』と、烈火のごとく怒り狂って咎めていただろうに!なぜ、よりにもよって自分から全く同じ、いやそれ以上の凶行に及んでいるんだ!」

 

俺は震える指で無惨な残骸を指差し、声を裏返らせながら抗議した。

 

「……ええ。おっしゃる通りですわ。私も以前は、そのように憤りを感じておりました」

 

アナは自らの暴挙を微塵も悪びれる様子を見せないどころか、むしろ長年の重い憑き物が落ちたかのような、恐ろしく清々しい表情で深く頷いてみせた。

 

「ですが、こうして実際に国家の命運を左右する緊急の報告を手に握りしめ、自らの手で実行に移してみますと……あの時のラインハルト様の『一秒でも早く、この極めて重要な情報を届けたい』という焼け付くような焦燥感と、ドアのノブを回すコンマ数秒の時間すら惜しいという熱きお気持ちが、今の私には痛いほどよく理解できましたわ。それに、いざ自分でドアをぶち破ってみますと、閉塞感が吹き飛ぶようで、実に爽快で最高のストレス発散になりますのね」

 

「わかるわけがあるか!ノブを回すわずかコンマ数秒を惜しむがために、特注のドアを木端微塵に爆破する奴がいるか!後の修理の手配と始末書などの無駄な書類仕事のほうが、よっぽど無駄に浪費されるだろうが!……というか、お前、一体全体何をどうやってこの分厚い装甲並みのドアを爆破したんだ?いくらお前でも、単なるキックでここまで粉微塵に粉砕できるはずがないぞ」

 

「ああ、これのことですか?実は最近、義手内部に、帝国軍技術部の極秘の特別仕様として、小型の高性能爆薬とマイクロミサイルを内蔵できるように改良を施してもらいましたの。……ほら、日常のちょっとした障害物の排除に、とても便利でしょう?」

 

カシャッ。

 

次の瞬間、精巧で美しい人工皮膚が滑らかにスライドして開き、その下から金属の装甲が剥き出しになる。

そして、内部から蜂の巣のような形状をした物騒極まりないマイクロミサイルが背筋の凍るような稼働音を伴って展開されたのだ。

 

黒光りする幾つもの砲口からは、先ほど我が家の平和なドアを無慈悲に吹き飛ばした際の薄い硝煙が、いまだ妖しく立ち上っている。

 

「ヒッ……!!」

 

「怖い!純粋に怖いぞ!お前は一体どこの闇の暗殺組織から送り込まれた殺人サイボーグなんだ!!帝国の威信をかけた医療技術を、そんな物騒に人を殺傷するための無駄遣いな改造に消費するな!隣で寝ていて、いつ寝首を吹き飛ばされるかと怯えなければならない夫の身にもなってみろ!」

 

「ご安心くださいませ。私が愛するアル様の寝首を掻くような真似は、決して残虐にはいたしませんわ。……ええ、アル様が、私の全く知らない泥棒猫のような女と浮気をしない限りは、ね」

 

ミサイルポッドの砲口を俺の顔面の中心にピタリと照準を合わせたまま、アナはニッコリと微笑んだ。

 

全身のすべての毛穴から一気に氷のような冷や汗がどっと吹き出すのを感じながら、俺はこれからの生涯、いかなる誘惑があろうとも絶対に浮気だけはすまいと、天に座す神々に向けて固く、そして切実に誓いを立てた。

 

「まあ、私のささやかな機能拡張の話題など、今はどうでもよろしいのです」

 

「アル様。もはや軽口を叩いている猶予はありません。……つい先ほど、イゼルローン回廊でパトロール任務にあたっていたヒルデスハイム伯の哨戒部隊から、緊急通信が入りました。……自由惑星同盟軍が、我が方のわずか二百隻からなる哨戒部隊との偶発的な遭遇戦に乗じて……なんと、3万5000隻もの、総力戦を前提とした常軌を逸する大軍を突如として出撃させてきたとのことです!」

 

「なんだと……!!」

 

「3万5千隻だと!?たかが辺境の哨戒部隊同士の些末な小競り合いに、なぜそれほどまでにバカげた数の戦力を惜しげもなく投入する!オーバーキルという次元を通り越しているぞ!……ヤン・ウェンリーが、ついにフェザーンから吸い上げた莫大な経済資本を背景にして、本気でこの帝国領への全面侵攻の牙を剥いてきやがったというのか!」

 

「恐らくは、その通りかと!さらにヒルデスハイム伯からの詳細な報告によれば、この異常な大艦隊の出現と完全にタイミングを合わせるようにして、イゼルローン回廊の各宙域に設置していた我が軍の監視衛星群が、複数同時に何者かの手によって物理的に破壊され、通信を絶ちました。……彼らの意図はあまりにも明白です。同盟軍の主力艦隊の正確な移動経路と最終的な規模を、我々の目から完全に隠蔽するための組織的な工作……。間違いなく、我らが帝国への大規模侵攻の明確な兆しと断定して相違ありません!」

 

事態がもはや一刻の猶予も許されない、国家存亡の危機という絶対的なレッドゾーンに突入したことを無慈悲に示していた。

 

ヤン・ウェンリーという男。普段は昼寝と紅茶ばかりを愛する無害な怠け者を装っているくせに、いざ戦略の盤面を動かすと決めた時は、神仏すら畏れぬほどに容赦というものを知らない。

 

ついにその圧倒的な軍事力を背景に、我々を本気で根絶やしにしに来たのだ。

 

「あの食えない魔術師め……。暇つぶしのレクリエーションにしては、いささかタチが悪すぎるぞ。わざわざこちらの防衛体制が完全に整う前の絶妙なタイミングを狙って、先手必勝の冷酷な奇襲をかけてくるとはな」

 

ギリッと、口の中で血の味がするほど奥歯を強く噛み締めながら、俺は己の脳髄の奥底で、瞬時に数万通りにも及ぶ敵の侵攻ルートと迎撃のシミュレーションを恐ろしい速度で回し始めた。

 

「アナ!悠長な朝食は即刻中止だ!今すぐ、上級大将以上の全ての武官、および主要な閣僚たちを、最高司令部の第一会議室に緊急招集しろ!全軍に対して第一級の特別警戒態勢を発令だ!あの憎きヤン・ウェンリーの首を、今度こそ俺のこの手で、物理的に刎ね飛ばしてやる!」

 

「御意!!」

 

アナスタシアは軍人としての短く力強い返事を室内に響かせると、漆黒の軍服の裾を鋭く翻し、自らが無惨に破壊したドアの残骸を軽々と踏み越え、一陣の疾風のごとく私室から飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

一時間後

 

 

部屋の中央に鎮座する巨大な円卓を囲むようにして、我が新生銀河帝国の命運を握る最高幹部たちが、一様に顔を強張らせてずらりと顔を揃えていた。

 

俺のすぐ隣には、国務尚書キルヒアイスが静かに座している。

その向かいには、軍務尚書ロイエンタールが鋭い視線を巡らせていた。

 

さらに、派手な出立ちの宇宙艦隊司令長官マルガレータ、

聡明さを顔に張り付けた工部尚書ヒルデガルド。

 

そして、冷徹な表情を崩さない俺の妻、内務尚書アナスタシア。

 

その他にも、メックリンガー、ワーレン、ビッテンフェルトといった、帝国軍が誇る錚々たる猛将・智将たちが、空気が凍りつくような重苦しく息詰まる沈黙の中で、それぞれの席について開会を待っていた。

 

だが。

国家の存亡を懸けた未曾有の一大事であるというのに、その円卓の一番上座に用意された、ひときわ目を引く最も豪華な椅子。

 

全軍の軍事作戦における絶対的な最高意思決定者であるはずの『帝国軍最高司令官』の席だけが空席のまま放置されているのだ。

 

「……皆、集まったな」

 

「現在の状況については、すでにアナスタシア内務尚書から粗方の説明がなされた通りだ。ヤン・ウェンリー率いる同盟軍が、突如として3万5千という数の艦隊を動かし、前線にいた我が方の哨戒部隊を無慈悲に蹴散らした。そして、監視衛星群の同時破壊。……あらゆる客観的な事実が、奴らがこのイゼルローン回廊を突破口として、帝国領への大規模な侵攻を仕掛けてくることを示唆している。……だが、俺にはどうしても腑に落ちないのだ」

 

「なぜ、よりにもよって『今』というこのタイミングなのだ?奴らはまだ、あのフェザーンから強奪した経済資産を、自国の経済システムに完全に組み込み終わってはいないはずだ。国内の政治地盤も、盤石な状態になったわけではない。……あの魔術師が、なぜこんな隙を与えかねない未完成な時期に、大軍を動かしてまで仕掛けてくる?背負うリスクが高すぎる。必ず何か、裏に俺たちの全く感知していない、とんでもない裏事情が隠されているはずだ」

 

ヤン・ウェンリーという男の行動原理の根底には、常に冷徹なまでに研ぎ澄まされた合理的な裏付けが存在する。今回のこの、一見すると無謀な大規模侵攻、あるいは「陽動」とも思える強引すぎる動きの裏には、我々の想像を絶するような恐るべき真の目的が隠されているに違いないのだ。

 

「奴の仕掛けたその悪辣な謎を解き明かすためにも、まずは我が軍の迎撃態勢を一刻も早く整える必要がある。……だが」

 

「なぜ、肝心の軍のトップがいつまでも顔を見せない?何事だ?ラインハルトの奴、国家存亡の危機を話し合うこの軍議の場にすら来られないというのか?一体どうしたというんだ、あいつは。いつもなら『戦い』の二文字を聞いただけで誰よりも早くこの席に陣取り、『ヤン・ウェンリーめ、待っていたぞ!』などと子供のように目をキラキラさせて、全軍で一番にテンションを暴走させているはずの筋金入りの戦闘狂のくせに」

 

「おい、ヒルダちゃん。お前、あいつのれっきとした妻だろう。夫は一体どうしたんだ?もしかして、また些細なことで壮絶な夫婦喧嘩でもして、部屋に閉じ込めているのか?……あ、そうか。なるほど、俺にはすべて分かったぞ」

 

「まさかお前、ラインハルトが、お前という若くてこれほど可愛い妻がそばにいながら、来る日も来る日もキルヒアイスのことばかりを想い続け、夜な夜なアブノーマルで怪しい関係に耽っていることに激しく嫉妬して……ついに耐えきれなくなり、憎悪のままに夫の寝首を掻いて血祭りに上げた、というわけじゃないだろうな!?」

 

「違いますっ!!」

 

意地悪な言葉が完全に終わるか終わらないかの絶妙なタイミングで、工部尚書として同席していたヒルデガルド・フォン・ローエングラムが、両手で激しく机を叩いて立ち上がった。

 

「ファルケンハイン宰相閣下!いい加減にしてくださいませ!そのような根も葉もない、あらぬBL的な腐った妄想を、よりにもよって軍議の場で口にするのは!

ラインハルト様とキルヒアイス国務尚書の間の、客観的に見て気持ち悪いくらいに異常に親密で、妻である私ですら入る隙間が一ミリたりとも存在しない『不適切な関係』の進行につきましては……正妻である私が、毎日己の命を懸けて、全力で物理的にブロックして防波堤となっております!断じて、まだ最後の一線だけは越えさせておりません!」

 

「……ヒルデガルド様」

 

「……貴女は未だに、私とラインハルト様の間にそのような、同性同士の肉体的な関係があるのではないかと本気で疑っておいでなのですね……。何度も申し上げておりますが、私たちはただの古い幼馴染であり、親友という、ただそれだけの清らかな関係ですよ。ラインハルト様が事あるごとに私の髪を触りたがるのも、ただの昔からの幼い癖の延長に過ぎません。どうか、その恐ろしい誤解を解いてください……」

 

「当然じゃ!!」

 

「油断も隙もあったものではないからな!あの極度のシスコン小僧は、まるで息を吐くようにジークとの物理的な距離を詰めてきおる!もし妾とヒルダ殿がほんの少しでも監視の目を離せば、明日には間違いなく『キルヒアイス、俺のベッドで朝まで添い寝をしてくれ』などと理不尽な命令を下すに決まっておるのじゃ!ジークの清らかな貞操は、鉄壁のタッグによってのみ、完璧に死守されているのじゃ!」

 

当の被害者であるキルヒアイスは、両脇を二人の女にがっちりと挟まれながら、自身の貞操の危機について大真面目に論議されているという、生き地獄のようなこの状況に完全に顔を引きつらせていた。

 

全く、この最高司令部の会議室に集結している帝国軍のトップメンバーたちは、国家存亡の危機という最も深刻な事態においてすら、身内のくだらない痴話喧嘩や妄想を優先させてしまう、救いようのない連中の集まりである。

 

「わかった、もう十分にわかったから、その不毛な話はここで打ち切れ。聞かされているこっちの顔まで恥ずかしさで熱くなってくる。……で?寝首を掻いて刺し殺されたわけではないのだとしたら、欠席の本当の理由は一体何なんだ?あの戦争狂がこの場に来ないなんて、天地がひっくり返るほどのよっぽどの重大な理由があるのだろうな」

 

「……はい。誠に申し上げにくいのですが。実は、ラインハルト様は昨日の夜半から突如として原因不明の高熱を出され、ベッドに寝込んでおりまして……」

 

「高熱だと?」

 

「はい。すぐさま駆けつけた医療チームによる診断によりますと、ただの極度の過労とストレスからくる『風邪』であろうとの所見でしたが、熱が39度を優に超え、ご本人もかなり苦しそうに喘いでおられます。……ですから、妻であるこの私が自らの職権を最大限に濫用し、物理的に無理やりベッドに縛り付けて休ませてまいりました」

 

「ご本人は、『ヤン・ウェンリーが攻めてきただと!?戦場でこの俺を呼んでいる!俺は行く!今すぐ兄上の主催する軍議に出る!』と、高熱で足元もおぼつかない状態で部屋の中で激しく抵抗して暴れ回りましたが……。強力な鎮静剤をたっぷりと仕込んだ特製スープを無理やり口に流し込み、強制的に大人しく眠らせてまいりました」

 

「お前……自らの手で鎮静剤を盛ったというのか。流石はあの男を手懐ける妻だけあるな、一切の容赦というものがない。……しかし、よりによって風邪か」

 

「…………全宇宙を見渡しても敵なしと謳われた無敵の軍事の天才も、風邪のウイルスには勝てんということか。体内に侵入するウイルスは防げなかったとは。なんとも情けない最高司令官殿だ」

 

「まあ、病人を鞭打っても仕方がない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「宰相閣下!!」

 

「ぜひ!ぜひとも、この我が黒色槍騎兵艦隊(シュワルツ・ランツェンレイター)に、栄えある先鋒をお任せください!!猪突猛進、一気呵成!あのヤン・ウェンリーという小賢しく生意気な魔術師の首、この私が必ずや獲ってご覧に入れます!我が艦隊の圧倒的な猛攻の前には、小手先の子供騙しの手品は一切通用しないという事実を、奴らの骨の髄まで思い知らせてやりましょう!」

 

相変わらず、頭で考えるより先に体が本能で動く、歩く脳筋を体現したような血の気の多い男である。

 

「少し落ち着け、ビッテンフェルト。卿のその燃え滾るような勇猛さと、圧倒的な突破力は俺も誰より高く評価している。だが、今回ばかりは相手が悪い。敵はあのヤン・ウェンリーだ。ただ正面から殴りかかるだけで勝てるような相手なら、とっくの昔にあの忌々しい同盟は我々の手で滅んでいる。それに、いくら精鋭とはいえお前の艦隊だけでは、手数が足りん。犬死にをしたいのか」

 

ビッテンフェルトは「むぐっ……」と喉の奥で悔しそうに唸り声を上げながらも、俺の理詰めの反論に抗いきれず、しぶしぶと腰を下ろした。

 

「……ヘルクスハイマー元帥!」

 

「はっ!」

 

「卿は宇宙艦隊司令長官として、ただちに正規軍の主力を率いて出撃しろ。そして、イゼルローン方面から進攻してくる敵艦隊の迎撃を全面的に担当せよ。何としてもヤン・ウェンリーの足をその宙域に縫い止め、これ以上、我らが帝国領の奥深くへと一歩たりとも侵入させるな」

 

「はっ!承知いたしました!」

 

即座に力強い返事をしたマルガレータだったが、彼女はすぐには席に座ろうとはせず、俺の顔の奥底にある真意を探り当てようとするかのように、見つめ返してきた。

 

「………と言うことは。ファルケンハイン宰相閣下。閣下は、敵の仕掛けてきた今回の『本命の狙い』は、イゼルローン回廊から進攻してくる艦隊の先には存在せず……全く別の場所に隠されていると、そうお考えですか?」

 

流石は、数々の死線を自らの知略と度胸で潜り抜けてきただけのことはある。伊達に派手なピンク色の暴走娘を演じているわけではないのだ。

 

「ああ……。卿の推察の通りだ、マルガレータ」

 

「オペレーター、星図のホログラムを詳細モードで展開しろ」

 

俺は指揮用のレーザーポインターを手に取ると、星図上に浮かぶ、帝国と同盟を隔てる二つの極めて重要な戦略ポイントを順番に指し示した。

 

「よく見ろ。我らが帝国と敵対する同盟を結ぶ、安全に航行できるルート。それが、この『イゼルローン回廊』と、かつてフェザーン自治領が存在していた『フェザーン回廊』の二つだ」

 

「俺の勘と読みによれば、ヤン・ウェンリーの真の本命は、決してイゼルローン回廊を力押しで突破しての、直接侵攻ではない。奴らの標的は……フェザーン回廊の帝国側出口を封鎖するため、俺たちが配置した要塞……ガイエスブルク要塞だ」

 

「なんと!ガイエスブルク要塞が標的ですか!?」

 

「そうだ。思考をクリアにして、敵の立場で冷静に考えてみろ。イゼルローン回廊は、要塞が蓋をしているおかげで専守防衛の拠点としては最適だが、逆に同盟側からこちら側へ攻め込むための侵攻ルートとして使うには、不向きな地形なのだ。

ヤン・ウェンリーほどの思慮深い男が、馬鹿げた泥沼の総力戦を正面から挑んでくるとは到底思えん」

 

「結論を言おう。イゼルローン回廊に突如として出現した大軍は、ヤン総統自らが豪華な囮となって我々の目と戦力を完全に引きつけるための、大規模な『陽動作戦』だ。

奴らの真の目的は、我々の主力をイゼルローン方面に釘付けにしているその隙に、別働隊を使ってフェザーン回廊を突破し、そこに居座っている彼らにとって邪魔な壁である、ガイエスブルク要塞を完全に陥落させることにある」

 

会議室の誰もが反論の余地もなく、ただ息を呑んで静まり返り、聞き入っていた。

 

「なるほど、そういうカラクリでしたか。完全に合点がいきました」

 

「では、イゼルローン方面の防衛任務へと向かう妾たち正規軍に求められる役割とは、ヤンの率いる『囮』の艦隊を正面から相手にして、彼らを一歩も出さずに回廊の奥底へと押し込めておくこと……というわけですか?」

 

「基本的にはそうだ。お前たちには、宇宙が割れるほど派手にドンパチと立ち回り、ヤン・ウェンリーの目に『帝国軍の主力は完全にこちらに引きつけられ、相手をするだけで手一杯だ』と錯覚させておくという、極めて重要な役者としての役割がある」

 

「だがな、絶対に油断だけはするな。相手は魔術師ヤンだ。一国の総統自らがリスクを冒して最前線に出張ってきている以上、俺たちの隙を突いて、あるいは俺たちが『囮だと見破って手を抜いている』と判断したその瞬間に……奴らはいつでも本気で帝国領の星系を次々と武力で占領し、支配地域を拡大する『本隊』へと、その役割をシームレスにスイッチするつもりかもしれん。戦場では、状況の僅かな変化に応じて即座に対応できる、極めて柔軟な臨機応変さが求められるぞ」

 

「……作戦に従事する正規軍の具体的な人選と編成は、宇宙艦隊司令長官であるお前の裁量に全て任せる。お前の得意なやり方で、存分に暴れ回ってこい。帝国の盾を頼むぞ、マルガレータ」

 

「はっ!この大任、謹んでお受けいたします!」

 

「おい、そこの血の気の多いオレンジ頭!ビッテンフェルト提督!お前、ヤンの首をどうしても獲りに行きたいのであろう!ならば、お前のその自慢の黒色槍騎兵艦隊ごと、この妾の指揮下に入って一緒に最前線へ参るぞ!お前の望み通り、思う存分、暴れさせてやる!」

 

「おおっ!長官閣下、その寛大なお言葉、感謝の極みに存じます!我が艦隊の持つ宇宙最強の破壊力、その采配で存分にお使いください!」

 

「それから、ファーレンハイト提督!お前の持つその神速の機動力と、鮮やかな一撃離脱の遊撃戦術もこの作戦には絶対に必要じゃ!そして、ミュラー提督!お前もじゃ!お前のその『鉄壁』と讃えられる完璧無比な防御陣形で、前線に立つ妾の背中と、ビッテンフェルトの馬鹿が必ずしでかすであろう無謀な突撃のフォローを、きっちりと頼むぞ!」

 

マルガレータが、その鋭い審美眼で次々と帝国軍の誇る猛将と智将たちを名指しで指名していく。

 

「はっ!!我が遊撃部隊の全軍、必ずや長官閣下のご期待に応える働きを見せてみせます!」

 

「我が艦隊の誇る防御陣に、一ミリの隙も作らせはいたしません!」

 

「よし!我が直属の『桃色竜騎兵(ローゼン・ドラグーン)』と合わせ、これで我らが正規軍の誇る精鋭4個艦隊が完璧に揃った!相手がいくらあの狡猾な魔術師ヤン・ウェンリーであろうと、暗闇に何万の増援の罠が隠されていようと、絶対に何とかしてみせます!ファルケンハイン宰相閣下、オーディンにて美味い酒を用意して、妾たちの吉報をお待ちくだされ!」

 

彼女のその度を越した自信過剰っぷりは、時々見ていて胃が痛くなるほど不安にさせられるが、まあ、相手があの常識外れの魔術師である以上、あれくらい狂気じみた勢いと度胸がないと、ヤン・ウェンリーの底知れぬ奇策には到底対抗できないだろう。

 

「よし、これでイゼルローン方面の迎撃布陣は完璧に決まった!次だ!アナ!!」

 

「はっ!」

 

「ガイエスブルク要塞の防衛司令官であるケンプ上級大将に至急、連絡をとれ!同盟軍が隠し持っている『本命』の別働隊が、必ずそっちのフェザーン回廊の突破を狙って暗躍してくる!要塞の警戒レベルを直ちに最大へと引き上げろ!一隻のネズミの侵入すらも絶対に許すなと、俺の厳命として伝えろ!」

 

「御意。直ちに手配いたします」

 

「そして、フェザーン方面の実質的な星域防衛と、ガイエスブルク要塞の絶対的なバックアップは、『貴族直轄軍』の総司令官である、卿の手腕に全てを任せる。……ヤン・ウェンリーが周到に隠し持っている『本当の狙い』ごと、根こそぎ粉砕してこい!」

 

「はっ!この命に代えましても、承知いたしました、アル様。

……ミッターマイヤー提督!そしてレンネンカンプ提督!我々貴族直轄軍も、これより直ちにフェザーン回廊の出口宙域へと出陣いたします!」

 

「魔術師の思い描いた盤面通りになど、絶対に進行させはいたしません。……ヤン・ウェンリーは、我々貴族直轄軍のことを、門閥貴族の烏合の衆だと高を括り、甘く見積もっているかもしれません。

ですが……この私とミッターマイヤー提督による血の滲むような訓練によって完全に鍛え直され、全く新しく生まれ変わったこの軍の本当の精強さを、同盟の愚か者どもの脳髄にたっぷりと刻み込んでやりましょう!」

 

「御意!!貴族直轄軍の先鋒として、一滴の余さずいかんなく発揮してみせます!」

 

広大な宇宙を二分する二つの回廊に向けた、我が新生銀河帝国軍の誇る鉄壁の迎撃布陣は、今ここに完璧に整ったのである。




ここまでお読みいただきありがとうございます。

今回は「誤解によって拡大する戦争」をテーマに描きました。

アルの読みとヤンの行動、どちらがよりらしいと感じたか、ぜひ感想で教えていただけると嬉しいです。

長期化して初期との表記揺れも目立ってきたので最初から書き直すべきでしょうか?

  • 最初から書き直すべき
  • 加筆修正で保つべき
  • そもそもいらない
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