銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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両陣営は、平和を望んでいた。

ただし、その方法だけが決定的に違っていた。


誤解と要塞

ガイエスブルク要塞

 

 

「閣下!お待ちしておりました!フェザーンの防衛網は万全ですぞ!」

 

鼓膜を震わせるほどの豪快な声量に、ミッターマイヤーは要塞の装甲がさらに分厚くなったのではないかと密かに辟易する。

 

アナスタシアは涼やかな瞳を細め、穏やかな所作で答礼した。

 

「ケンプ提督、要塞の防衛、ご苦労さまです。……アル様より、オーディン銘菓のお土産を預かっています。会議のあとで、皆で紅茶と一緒にいただきましょう」

 

その瞬間、張り詰めていた司令室の空気が奇妙に揺らいだ。

歓喜すべきか、呆れるべきか、あるいは銘菓の産地を問うべきか。その微細な思考の迷走を、ミッターマイヤーが呆れ混じりの溜息とともに断ち切った。

 

「閣下も呑気なものですな。……さて、ケンプ提督。フェザーン側の状況は?」

 

ケンプの表情から、先刻までの緩みが潮が引くように消え去る。菓子に目を細めていた男とは思えぬ滑らかな指先で、彼は星図パネルを操作した。

 

「同盟軍に目立った動きはありません。何も仕掛けてはこない。……ファルケンハイン閣下の読み通り、ヤン・ウェンリーの本命はやはりイゼルローンかと推測されます」

 

レンネンカンプが、硬い髭の生えた顎を撫でながら低い声を落とす。

 

「それでも、こちらも気は抜けませんな。フェザーン方面の同盟軍駐留艦隊も、歴戦の精鋭と聞く」

 

「第5、第10、第12艦隊でしたね。ビュコック提督、ウランフ提督、ボロディン提督……いずれも、ラインハルト様が認める名将です。ヤン・ウェンリーほど妙な手品は使わないでしょうけれど、正攻法で来られれば十分に厄介です」

 

妙な手品。

同盟最高司令官を評する言葉としてはあまりに稚拙だが、この場にいる誰一人として異論を挟まない事実こそが恐ろしい。事実、ヤン・ウェンリーという男の戦術は手品と呼ぶほかなかった。

 

虚空から艦隊を湧き出させ、確実な退路を死地の泥濘へと変える。帝国軍の最前線において、その名はもはや血を好む亡霊と同種の怪談として定着していた。

 

「総司令官閣下なら、あの三名将を相手に勝てますか?」

 

将官に対する率直すぎる問い――否、無礼すれすれの挑発である。だが、アナスタシアの秀麗な貌に不快の色は浮かばない。彼女はむしろ愉悦を覚えたように、ガイエスブルクの冷たい鋼鉄の壁へと白魚のような指先を這わせた。

 

「その台詞は、ぜひ『疾風ウォルフ』の異名を持つミッターマイヤー提督にお返ししたいところですが……。そうですね」

 

「この要塞にいて、私が防衛の指揮を執る限り、絶対に落とされることはありません。彼らも馬鹿ではない。無理な出血は避けるはずです」

 

声は羽毛のように軽やかだが、その内包する意思は狂気じみた豪胆さに満ちていた。否、豪胆という言葉すら生温い。彼女の精神は今や、この巨大な鋼鉄の城壁そのものと同化しているかのようだ。

 

「さすがは元帥閣下、頼もしいお言葉だ。我々も全力でお支えしますぞ」

 

「よろしくお願いします」

 

微笑みとともに返された声は柔らかい。だが、その本質は超硬度鋼よりも頑絶だ。

 

「防衛任務ばかりで体が鈍るようなら、あとでワルキューレのシミュレーション戦闘でもどうですかな?ホーテン少尉?」

 

旧姓での呼び掛けに、アナスタシアの紅い唇が艶やかに弧を描く。

 

「またですか、ケンプ教官?ふふふ……受けて立ちますよ。最近の義手は反応速度が良いので、負けません。……こんなことなら、アル様も無理やり連れてくればよかったですわね。あの人はサボってばかりでしたから」

 

副官席のグリルパルツァーが、耐えきれずに身を乗り出す。

 

「……え?総司令官閣下は、戦闘機に乗られるのですか!?」

 

レンネンカンプが「無知な若輩め」とでも言いたげに、不満げな鼻息を漏らす。

 

「ほう。若い者は知らんのか。お二人の経歴を」

 

「私もまだ十分若い年齢のつもりですがね……。アル様も私も、士官学校を出たあとは末端のワルキューレ・パイロットとして任官したのよ。ケンプ提督は、その頃の上官であり教官だったの」

 

グリルパルツァーは眼窩が見開かれるほどの衝撃を受けた。

 

「なんと……!あの、常にソファで紅茶を飲んでおられるファルケンハイン宰相閣下が、前線でドッグファイトを!?信じられません!」

 

ミッターマイヤーが、腹の底から愉快そうに笑い声を上げる。

 

「まあ、それでもお二人の軍歴はまだ十年もありませんからな。一介のパイロットから、わずか数年で元帥と宰相……。帝国史をひっくり返しても類を見ない、素晴らしい、そして異常な昇進でした」

 

「……三十歳そこそこで元帥杖を賜っている貴方や、ロイエンタール提督も十分おかしいと思いますがね?」

 

「それを言えば、全員そうでしょう!」

 

ケンプが雷鳴のような笑い声を轟かせた。

 

「グリルパルツァー大将、貴様とてまだ二十代だろうが!今の帝国軍上層部は、若造の集まりよ!」

 

「確かに……」

 

グリルパルツァーは真顔になり、改めて周囲の顔ぶれを見渡した。

深く考察するまでもなく、常軌を逸している。ほんの数年前まで、家柄と年功序列という錆びついた鎖で椅子にしがみつく老将たちこそが、帝国軍の象徴であったはずだ。それが今や、三十前後の若き提督たちが元帥や大将の階級章を輝かせ、二十代の将官すら珍しくない。しかも、彼らは皆、背筋が凍るほどに有能なのだ。

 

「あははははは!」

 

銀河帝国は今、実力さえあれば若輩でも頂点に立てる組織へと変貌を遂げている。

 

それは国家の動脈に新鮮な血を送り込む活力ある改革だが、同時に「若くして将官に登り詰める者は、漏れなく人格的に破綻している」という致命的な副作用を伴っていた。しかし、その副作用を糾弾すべき者自身が、等しく異常者の括りに属しているため、誰も真正面から異議を唱えることができないのだ。

 

その束の間の和らぎを、耳障りな警報音が無慈悲に引き裂いた。

 

ビーッ!ビーッ!ビーッ!

 

司令室の空気が一瞬にして沸騰する。

 

「緊急入電!全暗号通信網を突破して、直接こちらのメインスクリーンにアクセスしてきます!」

 

「何!?サイバー攻撃か!?」

 

「いえ!」

 

オペレーターの声が裏返り、金切り声となって響く。

 

「発信元は同盟軍……ヤン・ウェンリー総統からの直接通信文です!!」

 

 

「……読み上げなさい。あの不本意な魔術師が、今度は何を仕掛けてきたというの」

 

震える手で敬礼を試みたオペレーターが、ひきつった声を絞り出す。

 

「はっ!メインスクリーンに表示します!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『銀河帝国の元首に告げる。我々はもはや無益な流血を望むものではない。

しかし、現実としてイゼルローン、フェザーン両回廊は完全に我々の制圧下にあり、貴国が置かれた状況は純軍事的に不利であり、戦略的に劣勢であり、戦術的な挽回は不可能である。

我々は帝国との平和的な交渉を望んでいる。交渉に応じるのであれば、我々は対等な貿易に応じる用意がある。私は総統として、同盟市民に益する行動を行う義務があるからだ。

貴国の指導層の賢明な判断を願う。

もしも決裂となれば、我々は直ちにガイエスブルク要塞を破壊し、銀河統一へ向けて武力行動することになるだろう。

自由惑星同盟総統・ヤン・ウェンリー元帥』

 

将官たちの脳裏を同じ疑念が駆け巡る。これは和平提案か。否。では降伏勧告か。それも違う。論理的で洗練された言葉の羅列でありながら、網膜に焼き付く読後感はヘドロのように重く、不快だ。外交文書という羊の皮を被った底意地の悪い挑発状――あるいは、知性の刃で研ぎ澄まされた脅迫状。

 

 

 

 

 

その頃、遥か彼方の宇宙空間では、その冷徹な文面を起草した張本人自身が、自らの頭を抱えていた。

 

ヤン・ウェンリーは、肺の底から深い溜息を吐き出す。

 

「……いくらなんでも、挑発的すぎたかな?これ、どう読んでも降伏勧告じゃないか?ファルケンハインが激怒しないか心配だ」

 

同盟側の幕僚たちも、自分たちが戴く総統が、極めて流麗な筆致で帝国に真正面から喧嘩を売ったことは痛いほど理解していた。理解してはいるが、発信された電波を止める術はない。

 

「いやあ、見事な降伏勧告、もとい脅迫状ですな。私のようなチンピラでは、ここまで流麗かつ高圧的な文章は書けません。さすがは支持率九十八パーセントの総統閣下だ」

 

「その数字を今ここで出さないでくれないか」

 

ヤンは胃の痛みをごまかすように眉間を揉む。

 

「なんだか、自分がますます嫌な独裁者に見える」

 

「見えるというか、文面はもうかなりそれです」

 

「でもいいじゃないですか。弱腰で行くよりずっといい。歴史家も大喜びですよ。『平和を求める名君、ただし口調はだいぶ怖い』って書ける」

 

「ヤン総統。……もしかすると総統は、内心では戦いたいと思っていらっしゃるのですか?無意識のうちに相手を挑発して、戦争の口実を作ろうとしているとか……」

 

「やめてくれ」

 

「自分の深層心理を側近にそんな風に分析されるの、けっこうつらいんだ。いや、もちろん帝国に足元を見られないよう、多少は強く出る必要があるとは思うよ。これくらいハッタリを効かせておいて、もし向こうが怒って攻めてくるなら、防衛戦に持ち込めるからそれはそれで都合がいいし」

 

「つまり計算はしているわけだ」

 

シェーンコップが大げさに肩をすくめる。

 

「安心しました。単なる筆が滑った事故ではないんですな」

 

「事故の可能性も半分くらいある」

 

ヤンは至極真面目な顔で答えた。

 

「私はたまに、冷静なつもりで文章を書くと必要以上に感じが悪くなる」

 

「たまにではないと思います」

 

フレデリカの小さな、しかし的確な訂正が室内に響いた。

 

そのやり取りを断ち切るように、トリューニヒトが白磁のティーカップを優雅に置いた。

 

「ふむ。見事な政治的レトリックです。もし交渉のテーブルに着くことになれば、そこから先はこの私に任せておきたまえ。帝国の全権大使の口を封じてみせましょう」

 

その手腕は頼もしいが、人間としては致命的に信用できず、しかし現況では彼の手札に頼るしかないという、極めて飲み込み難いジレンマだ。

 

「頼りにしていますよ、高等参事官。……とりあえず、返事を待ちましょう」

 

しかし、彼らが呑気に返事を待っているその裏で、帝国側では「返事」などという生易しいものではなく、要塞そのものが文字通り物理的に動き出そうとする最悪の事態が進行していた。

 

 

 

 

 

 

 

ガイエスブルク要塞 司令室

 

挑発的な文面がスクリーンから消えた直後、アナスタシアの義手が硬く握り込まれ、ギリギリと悲鳴のような金属音を立てた。

決して大きな音ではない。だが、周囲の幕僚たちの鼓膜には、「今すぐ己の墓穴を掘れ」と死神に宣告されたかのような絶望的な響きを伴って届いた。

 

「なんと……なんと無礼な!」

 

先刻までの優雅な面影は消え失せ、アナスタシアの類まれなる美貌は氷のような夜叉へと変貌した。

 

研ぎ澄まされた美貌の持ち主が放つ憤怒の冷気は、周囲の空気を凍てつかせる。ただでさえ恐ろしいというのに、彼女の場合は感情の沸騰がそのまま物理的な破壊力へと直結してしまうのだ。悪夢のような体質である。

 

「アル様とラインハルト様を愚弄するにも程があります!『戦術的な挽回は不可能』ですって!?この私がいる要塞を破壊するですって!?」

 

次の瞬間、彼女の義手が無慈悲な軌道を描いてコンソールを強打した。

 

バキィッ!

 

強固なチタン合金製の操作盤が、薄っぺらなビスケットのように無惨な音を立てて陥没する。

オペレーターの一人が、現実逃避するようにきつく目を閉じた。見なかったことにしたいのは山々だが、無惨に砕けた軍の備品の請求書は確実に彼らの部門へと回ってくる。

 

「許せません……!」

 

「ケンプ提督!直ちにガイエスブルク要塞の主機を最大稼働!フェザーン回廊を逆走し、要塞主砲ガイエスハーケンでフェザーン本星の同盟軍拠点を丸ごと蒸発させに行きます!」

 

「なっ!?何をおっしゃる!!総司令官閣下!要塞を動かすなど聞いておりませんぞ!防衛任務はどうなるのです!?」

 

「防衛など不要!やられる前に要塞ごと突っ込んで、最大の質量兵器として同盟軍を蹂躙します!魔術師の小賢しい理屈など、物理的に圧殺してやります!」

 

文字通り、将官たちの全身から血の気が引き、心臓が握り潰されたかのような寒気が走る。

ミッターマイヤーは絶望に耐えかねたように天井を仰いだ。なぜ、帝国軍の最高峰たる天才たちは、狂気の方角へ向かって全力疾走する時までこれほどまでに優秀なのか。

 

レンネンカンプが、額から冷や汗の滝を流しながら決死の覚悟で進み出る。

 

「お、お待ちください、アナスタシア閣下!流石に要塞を単独で動かすのは軍規違反です!オーディンから正式な許可を得てからでないと!」

 

アナスタシアの唇に、薄氷のような冷たい微笑が浮かぶ。

その笑みがどれほど破滅的な意味を持つか、この場にいる全員が熟知している。

 

「いいえ。許可など事後承諾で十分です。正規軍の宇宙艦隊司令長官であるマルガレータと、貴族直轄軍のトップである私が同意すれば、実質的に帝国軍の全トップがゴーサインを出したも同然です」

 

「その理屈は無茶苦茶だ!アルブレヒト宰相閣下とローエングラム最高司令官を完全に無視しているではないか!」

 

「結果を出せば、ラインハルト様も『見事だ』と褒めてくださいます!」

 

アナスタシアは狂気的な自信とともに胸を張った。

 

「アル様も『仕方ないな』と笑って許してくださるはずです!さあ、マルガレータに通信を繋ぎなさい!『イゼルローンとフェザーンで同時に暴れましょう』と誘います!」

 

最悪だ。通信相手が最悪すぎる。あの好戦的なピンク色の小娘が、こんな魅惑的な誘いを断るはずがない。「面白そうじゃ!」と歓喜の声を上げ、数分後には銀河の各所で帝国軍の軍規が消し飛ぶ未来が見える。

 

「止めろ!誰も繋ぐな!」

 

レンネンカンプは将官の威厳を投げ捨て、悲鳴に近い声で叫んだ。

 

だが悲しいかな、軍の命令系統は絶対だ。総司令官の狂気に当てられた要塞スタッフたちは蒼白になりながらも、その指先を震わせてコンソールに触れようとする。発進シークエンス担当の士官などは、今にも泣き出しそうな顔でパネルを睨んでいる。押せば反逆、押さねば抗命。どちらに転んでも彼の軍歴は今日で終わる。

 

「閣下!どうか落ち着いてくだされ!この要塞は敵本星を丸ごと吹き飛ばすためのおもちゃではありません!」

 

「おもちゃではありません、戦略兵器です!」

 

アナスタシアは一秒の躊躇もなく即答する。

 

「ならば使うべき時に使うだけです!」

 

「使うべき時が雑すぎる!」

 

階級も礼節も知ったことか。目の前で、数百万人を乗せた宇宙要塞が、ひとりの女性の逆上によって巨大な砲弾に変えられようとしているのだ。言葉が荒れないほうが異常である。

 

それでも、アナスタシアの暴走は止まらない。

 

「通信はまだですか!マルガレータはどこにいます!あの子なら分かってくれます!」

 

「分かってしまうから困るのです!」

 

レンネンカンプが血を吐くような声で即答する。

今日の彼は異常なまでに頭の回転が速いが、どれほど的確なツッコミを入れようと事態が1ミリも好転しないという絶望が彼を打ちのめす。

 

アナスタシアは司令席の前に仁王立ちになり、真っ直ぐに腕を振り下ろした。

 

「主機始動!全推進区画に予熱開始!砲撃管制、対地攻撃モードの計算に入ってください!」

 

数名の士官が、条件反射で「はっ!」と声を上げてしまい、直後に自らの口を塞いで恐怖に戦慄いた。

レンネンカンプは再び頭を抱える。

 

絶対的な命令系統は軍隊の強みだが、頂点が狂気に染まった時、組織全体が整然と破滅の淵へ行進するという致命的な欠陥を抱えている。

 

ケンプが吠える。

 

「誰か止めろ!発進前点検など一日で済むものではない!この状態で要塞を逆走させたら、整備班が過労死する!」

 

「整備班にはあとで特別手当を出します!」

 

「そういう問題ではない!」

 

「こういう時に限って、妙に細部へ配慮するのがまた厄介だな……」

 

アナスタシアの真の恐ろしさは、感情の爆発に実務能力が完璧に追随してしまう点にある。彼女の脳内ではすでに、整備班の特別手当から補給線の確保、護衛艦隊の再編に至るまで、狂気の作戦を成立させるための兵站計算が完了しているのだ。単なる妄言であれば無視もできるが、彼女はそれを「実行可能」にしてしまう。その類まれなる才能が、今、銀河を焼き尽くす方向へと全開になっている。

 

「ヤン・ウェンリー……よくもまあ、こんな文面を送りつけてくれましたね。交渉を望むと言いながら、こちらの面子を一枚ずつ丁寧にはがしにくるこの感じ……本当に腹が立つ!」

 

「ええ、そこは同意します」

 

ミッターマイヤーは疲労困憊の顔で頷いた。

 

「しかしだからといって、要塞ごと突撃してよい理由にはなりません」

 

「なります」

 

「ならん」

 

レンネンカンプは、ついに生命線とも言える通信機へと飛びついた。

 

「ええい!ファルケンハイン宰相閣下に緊急直通連絡だ!急げ!このままではヤン・ウェンリーとの平和交渉どころか、この要塞が引き金となって最終戦争が始まってしまう!」

 

オペレーターが涙声で応じる。

 

「は、はっ!最優先回線を開きます!」

 

ケンプも、祈りを捧げるように両手を組んで天を仰いだ。

 

「閣下!早く止めてくれ!笑顔で奥方を叱り飛ばしてくれぇ!」

 

帝国には星の数ほどの猛将がいるが、「激怒したアナスタシアの首根っこを掴める人間」は、全宇宙で彼ただ一人なのだ。

 

「私は冷静です!」

 

素手でチタン合金のコンソールを粉砕する人間を、辞書では冷静とは呼ばない。

 

「これは帝国の威信の問題なのです!」

 

彼女の言葉には、狂気的なまでの忠誠が宿っていた。

 

「ここで侮られれば、以後の交渉すべてに響きます!ならば一度、こちらの本気を見せつける必要があります!」

 

「いや、本気の見せ方がだいぶ暴力的すぎる!」

 

ミッターマイヤーが髪を掻き毟る。

 

「交渉前に相手の本星へ要塞を突っ込ませるなど、外交ではなく恐喝だ!」

 

「向こうが先にやってきたのです!」

 

「向こうは文書だ!こっちは要塞だ!質量が違う!」

 

その痛烈な指摘に、何人かの士官が「たしかに」と深く頷く。

説得の論理としては極めて正しい。紙切れと要塞では、物理法則を無視したレベルで釣り合いが取れていない。

 

「宰相府、回線接続中!ファルケンハイン宰相閣下の執務室へ繋がります!」

 

司令室に漂っていた絶望の淵に、細い蜘蛛の糸のような希望の光が差し込んだ。

アナスタシアだけが、面白くなさそうに眉をひそめる。

 

「……アル様に言いつけるのですか?子どもみたいな真似を」

 

「子どもみたいな真似をしているのは誰ですかな!?」

 

レンネンカンプはもはや上官への礼節など完全に忘却していた。

この年齢になれば、礼儀作法よりも生存本能が優先されるのは自然の摂理である。

 

要塞のスタッフたちは、文字通り固唾を呑んでスクリーンの変化を待つ。

発進シークエンスのボタンの上で、まだ数名の指が小刻みに震え続けている。押せと言われれば押し、押すなと言われれば泣き崩れて喜ぶだろう。

 

通信回線の接続完了を示すランプが、無機質な緑色の光を放つ。

 

その瞬間、要塞司令室にいる全将兵の心が一つになった。

どうか早く出てくれ、宰相閣下。

できれば、あの余裕に満ちた笑顔で。

そしてできれば、たった一言で。

「アナ、だめです」と。

 

もし彼が通話に出なければ、この銀河の歴史書には「和平交渉決裂」ではなく、「巨大要塞、怒りの物理外交」という前代未聞の新章が刻まれることになるだろう。

それだけは、何としても避けねばならない未来であった。




戦うべきか、話すべきか。

ぜひ率直なご意見をお聞かせください。

長期化して初期との表記揺れも目立ってきたので最初から書き直すべきでしょうか?

  • 最初から書き直すべき
  • 加筆修正で保つべき
  • そもそもいらない
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