銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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戦争は、武力だけで起きるものではない。

それは、ときに商売として計画される。


健全企業の不健全な仕事

帝都オーディン 『株式会社腹黒流通』 本社ビル

 

 

 ほんの少し前まで、裏路地の薄暗い事務所で、怪しい荷札と出所不明の伝票、そして血なまぐさい契約書が仲良く山を成していた企業だとは到底信じられない。磨き上げられた外壁は冷たい陽光を反射し、受付に鎮座する青々とした観葉植物が清浄な空気を吐き出している。来客用のソファは、腰を下ろせばそのまま骨抜きにされそうなほどに柔らかい。一瞥しただけならば、文化事業に情熱を注ぐ健全で優良な出版社兼流通会社として、完璧に通りそうな面を被っていた。

 

三人の男が密やかな謀議を交わしている。

 ルビンスキー。ルパート。ボルテック。

 

 帝国に根を下ろしてなお、フェザーン残党の臓腑に染み付いた腹黒さは一ミリたりとも漂白されてはいなかった。むしろ、出版事業という表の顔が大成功を収め、潤沢な資金の匂いが彼らの嗅覚を満たしたことで、権謀術数を巡らせる手つきはより滑らかになっている。人は経済的な安定を得ると己の趣味に散財する生き物だが、この三人の場合、その情熱が「国家転覆」の方向へ傾いているのが致命的に厄介だった。

 

 ルビンスキーは太い葉巻を指先で転がし、紫煙を深く肺へと吸い込んだ。芳醇で暴力的な煙の香りが部屋を満たす。彼は静かに火種を見つめ、権力の遊戯に酔いしれる甘い疼きを舌の上で転がしていた。だが、その巨躯と威圧感のせいで、ただ思考を巡らせているだけでも「他者の人生を蹂躙しようとしている」空気が常時二割増しで放たれてしまう。

 

「……昨年、帝国と同盟では『内戦』という同じ事象を経験しているが、結果はまるで逆になった。分かるかね、ルパート」

 

 水を打ったような静寂の中、ルパートが手元のデータパッドを指先で軽く弾く。硬質な電子音が微かに響いた。

 

 彼は若く、恐ろしいほどに有能で、心拍数すら一定に保たれているかのように落ち着き払っている。その過剰なまでの冷静さゆえに、この場が「新進気鋭の若手副社長による経営戦略ミーティング」に錯覚させられそうになる。実際に行われているのは銀河の秩序を破壊する反社会的な陰謀なのだが、表面上のパッケージだけは意識の高い優良企業そのものだった。

 

「はい。一言で言えば、同盟は強化され、帝国は弱体化しています」

 

 ボルテックが、肉厚な顎を引いてうんうんと頷く。

 顔の造作だけを見れば、実直で良心的な町工場の工場長にしか見えない。しかし、その頭蓋の中では常に市場の撹乱と国家の不安定化が皮算用されているのだから、油断のならない男である。

 

「言い方が簡潔でよろしいですな」

 

「簡潔で済ませるには、だいぶ血生臭い話だがね」

 

 彼は心の底から楽しんでいた。

 

「同盟はヤン・ウェンリーの強盗行為によって、我らフェザーンの莫大な資本と航路データを得ました。結果、経済的にも軍事的にも一気に健全化しています。内戦による兵力の消耗もほぼ皆無。むしろ成功体験まで積んでいる」

 

「人の財産を『成功体験』の一言でまとめるの、だいぶ腹が立つな」

 

 自らが築き上げた富を奪われた屈辱は本物だ。だが、その苦い屈辱感すらも次の謀略の極上なスパイスとして消化してしまうところが、この男の底知れぬ恐ろしさである。

 

「一方の帝国は、艦隊をすり減らした上に、権力構造に根本的な変化が生じていません。ローエングラムの正規軍と、ファルケンハインの貴族直轄軍。この二重構造は、平時であれば絶妙な牽制と均衡になります。しかし外から巨大な圧力がかかれば、その均衡はひどく脆い」

 

「その通りだ。平和な時なら『うまくやっている』で済む。だが、巨大化した同盟という脅威の前で、その綱渡りがどこまで持つか……」

 

「現在の国力比を総合的に見ますと」

 

「五分五分……いや、同盟がやや有利と見ていいでしょうな。フェザーンの富がそのまま同盟に乗ったのは痛い。あれは痛いどころか、普通に骨折の痛手です」

 

「骨折どころか全治未定の重傷ですよ」

 

 ルパートが氷のように冷たい声で訂正した。

 

「こちらは本社移転や出版部門の再編で忙殺されているというのに、銀河全体のパワーバランスまで狂っている」

 

「おかげで我々は、健全な経営者として新天地で懸命に汗を流しているではないか」

 

「いや社長、その台詞を鏡の前で十回言ってみてください。鏡が曇ります」

 

「失礼な。高級鏡だぞ」

 

 交わされる言葉は羽のように軽いが、内包される悪意は鉛より重い。

 

 フェザーン自治領が消滅したことで、銀河の力学は根底から変容した。普通の商人であれば、この混沌を前に防衛本能を働かせて危険回避に走るだろう。だが、腹黒流通の上層部は違う。彼らの網膜は、血の流れる戦場に「利益の鉱脈」しか映し出さない。

 

「しかし厄介なことに、ヤン・ウェンリーはその有利を活かして押し切ろうとしていない。和平を模索しているという確かな報告がある」

 

「あの男、ほんとうに働きたくないのですね」

 

「銀河史に名を残す英雄級の才覚を持ちながら、本人の動機が『できれば早く帰って寝たい』なの、逆に恐ろしいですよ」

 

「ある意味では一貫している」

 

 ボルテックも、渋い顔で同意する。

 

「権力欲の怪物より読みにくいですな。欲が薄い人間は、動機が見えませんから」

 

「いや、見えているよ」

 

「怠けたいのだ。あの男は驚くほど筋の通った怠け者だ。だからこそ厄介なのだよ。野心家ならば餌で釣れる。義人ならば大義で縛れる。だが怠け者は、面倒な状況そのものを避けようとする」

 

「我々としては、両国が手を結ばれては困ります」

 

「困るどころか、商売が縮小します」

 

「戦争の特需と混乱がないと、うちは本気で再浮上できません」

 

「そうだ」

 

「両国は不倶戴天の敵でなければならない。和平などもってのほかだ。どちらかが勝ち切っても困る。両方がほどよく傷つき、ほどよく憎み合い、ほどよく長引く。それが最良だ」

 

 経営会議で「両国が傷つくのが最良」などと公言すれば狂人扱いだが、彼らにとってはこれが日常業務の延長である。

 

「戦争の特需と混乱を生み出し、その上で我々は同盟において腹黒流通と出版のシェア一位を狙う。武器だけではない。本も、新聞も、娯楽も、不安の時代ほど飛ぶように売れる。人は平和だと財布の紐を固く締めるが、不安に苛まれると理由を探して金を払う生き物なのだよ」

 

「ずいぶん嫌な消費者分析ですね」

 

「気に入っただろう?」

 

しばしの沈黙が降りた後、ルパートが一段声を落とした。室内の温度が急激に下がったかのような錯覚を覚える。

 

「……では、やはりあの切り札を使うと。エルウィン・ヨーゼフ元皇帝を誘拐する計画ですね」

 

 冗談ではない。彼らは本気で歴史を引っくり返そうとしているのだ。

 

「左様。幼帝を同盟へ亡命させ、『正統政府』を樹立させる。そうなれば帝国は面子にかけても同盟を討たねばならなくなる。完璧な開戦の口実だ」

 

「完璧すぎて、逆に歴史の教科書で『だいたいこいつのせい』と太字で書かれるやつですね」

 

「その場合、巻末資料ではなく本文に大きく載りますな」

 

「それはむしろ名誉かもしれん」

 

 凡百の道徳など、彼の前では紙屑にも等しい。

 

「銀河を動かす悪名なら、凡百の善人の美名より余程価値がある」

 

「その価値観、ほんとうに一貫していますねえ」

 

 誘拐計画は劇薬だ。幼帝という帝国の保守的な象徴を奪い去れば、それは巨大な政治的爆発物となる。成功すれば得られる利益は天文学的だが、失敗すれば全員の首が物理的に飛ぶ。

 

「しかし社長。誘拐の実行役はどうしますか。ランズベルク伯を『皇帝陛下への忠誠』で唆して神輿にするのはいいとして、あの詩人一人では心許ない。実務を取り仕切る冷徹な補佐役が要ります」

 

 ランズベルク伯の持つ貴族としての気位と反骨心は利用価値が高い。だが、過剰な文豪としての自意識が、実務の現場では致命的なノイズとなるのは火を見るより明らかだった。

 

「最近うちの倉庫番として潜り込んだ、アントン・フェルナーという者が適任だろう」

 

「ああ、あの元ブラウンシュヴァイク公の部下で、帝国憲兵から逃げ回っている男ですね。確かに頭が切れます」

 

「倉庫番の肩書きで済ませていい経歴ではありませんな。うちの倉庫、やたら人材が濃いんですよ」

 

「伝票整理している横で元貴族派残党が内乱罪の逃亡生活を語っている職場、労基署より先に憲兵が来そうです」

 

「だから来ないように工夫しているのだろう」

 

「福利厚生が物騒すぎません?」

 

「安心したまえ。給料はちゃんと出している」

 

「そこは普通なんだ……」

 

「フェルナーも、捕まれば内乱罪で死刑がほぼ確定だ。私の手引きで同盟へ逃がしてやると言えば、喜んで汚れ仕事を引き受けるだろう」

 

「喜んで、ですか」

 

「人は追い詰められると、選択肢を与えてくれる悪党に妙な感謝を抱くものだ。こちらは救いの舟を出すのだ。多少、その舟底に穴が開いていてもな」

 

ため息をつきながら、別のデータを開いた。出版部門の売上推移だ。

 

「それに、ランズベルク伯の執筆活動も、これからは同盟にいたほうが利益が上がるでしょうね。帝国の検閲を気にせず、より『自由』な銀河英雄伝説の続編が書ける。亡命貴族による正統政府日記。売れますよ。題材として強い。政治性、悲哀、自己正当化、ちょっとしたロマン。読者が大好きなものが全部入っている」

 

「おお、出版人らしい発想ですな。陰謀に販促計画がくっついてくると、急に社業との一体感が増します」

 

「一石二鳥だ」

 

「皇帝誘拐で戦争を誘発し、ついでに看板作家の販路まで拡大する。まったく、仕事というものは複合的に考えねばならん」

 

「その複合の仕方は普通の経営学の教科書に載っていません」

 

「載せる側になればいい」

 

「教育に悪いなあ」

 

「さあ、我々の新しいビジネスの始まりだ」

 

「陰謀の言い換えにしては、だいぶ美しく盛りましたね」

 

「言い換えは商人の基本だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃。銀河の別の場所では、地球教団の本部がまったく別の次元の理不尽によって頭を抱え、絶望の淵に立たされていた。

 

「ええい!まだルビンスキーと連絡は取れんのか!?フェザーンが陥落して以来、我が教団の資金源が完全に断たれておるのだぞ!」

 

 怒声を浴びた信徒たちは、冷たい床に額を擦り付けて平伏している。教団の重圧的なヒエラルキーが、彼らの精神をゴリゴリと削り取っていた。

 

「はっ!申し訳ありません!帝都オーディンに潜伏しているという情報までは掴んだのですが……いかんせん、偽物が多すぎまして!」

 

「偽物だと?」総大主教の顔面が怒りで歪んだ。「どういうことだ!」

 

「おのれフェザーンの俗物ども……元自治領主にあやかれば金になると思ったのか、年金目当てなのか、闇社会の見栄なのか、理由は不明ですが、とにかく黒いハゲが多すぎるのです!」

 

「何を言っておる」

 

 総大主教は、言葉の意味が脳内で結像せず、本気で呆けた顔になった。

 

「黒いハゲが多いとは何だ。人種か」

 

「人種ではありません!現象です!」

 

「説明せい」

 

「はっ。帝都の下町、酒場、裏市場、倉庫街、果ては昼間の公園ベンチに至るまで、判で押したように『黒くてハゲた威圧感のある中年男』が散発的に出現しております。路地裏を曲がれば黒いハゲ、酒場に入れば黒いハゲ、荷馬車の影にも黒いハゲ。中には葉巻までくわえている者もおります」

 

「馬鹿な」

 

「ですが事実です!」

 

 総大主教は言葉を失った。信徒も黙った。重苦しい沈黙だけが、じっとりと礼拝堂を支配する。誰もが「一体我々は何の話をしているのだ」と正気を疑っていたが、現場がそれで機能不全に陥っている以上、無視するわけにはいかない。

 

「我々も最初は変装かと思いました。だが、数が多すぎます」

 

「どれくらいだ」

 

「本日の午前だけで候補者が十八人です」

 

「多すぎる!」

 

「午後も増えました!」

 

「増えるな!」

 

 だが、物理法則を無視したかのように増殖する黒いハゲの勢いは止まらない。

 事実、フェザーン残党の一部が自衛や虚勢のためにルビンスキーの模倣を始めていた。黒っぽい服、剃り上げた頭、葉巻。それだけで下町のチンピラすら大物に見えてしまうという、謎のブランド力が発揮されていたのだ。強烈な見た目でありながら記号として単純すぎるがゆえに、模倣のハードルが低すぎるのが致命的だった。

 

「おのれ……」

 

「いいから、本物の『黒いハゲ』を探せ!しらみ潰しに当たるのだ!」

 

「しかし、偽物は見事に皆、判で押したように黒いハゲなのです!もう誰が本物のアドリアン・ルビンスキーなのか、我々の脳がゲシュタルト崩壊を起こしておりまして……!」

 

「ゲシュタルト崩壊だと?」

 

「はい!黒い、ハゲ、黒い、ハゲ、と見続けるうちに、だんだん『黒い』とは何か、『ハゲ』とは何かすら分からなくなってきます!」

 

「そんな報告は聞きたくない!」

 

「現場は深刻なんです!」

 

「もっと深刻な方向にまとめろ!」

 

 別の信徒が、虚ろな目で口を挟む。

 

「昨日は候補者の一人を三時間追跡しましたが、ただの床屋の主人でした」

 

「なぜ三時間も追った」

 

「途中で葉巻を買ったので!」

 

「買うな!紛らわしい!」

 

「本人に罪はありません!」

 

「ある!この状況ではある!」

 

 総大主教はついに頭を抱え、冷たい祭壇の前でうずくまった。宗教的威厳など、もはや一片の欠片も残っていない。

 

「ならば他に何か特徴はないのか!彼を彼たらしめる絶対的な特徴が!声でも癖でも歩き方でもよい!何かないのか!」

 

 信徒たちは無言で顔を見合わせた。礼拝堂の底に、重く冷たい絶望が沈殿していく。

 

「……ないのか?」

 

「……視覚的には」

 

「視覚以外でもいい!」

 

「声は低いです」

 

「黒いハゲはだいたい低い!」

 

「威圧感があります」

 

「それもだいたいある!」

 

「葉巻を吸います」

 

「吸う者が真似している!」

 

「あと、偉そうです」

 

「下町に行けばそういう男はいくらでもおる!」

 

 信徒の一人が、堪えきれずに慟哭するように叫んだ。

 

「ないではありませんか!黒くてハゲている以外に、あの男の視覚的特徴が!むしろ黒くてハゲていることが強すぎて、他の情報が脳に入りません!」

 

「分かる」

 

「分かるな!」

 

「申し訳ありません!でも分かります!」

 

「分かるなあ!」

 

 礼拝堂の空気が、もはや集団ヒステリーの様相を呈し始める。総大主教は天を仰いだ。神からの救いは、一向に降りてくる気配がない。

 

「ぐむむむ……まさかルビンスキーの外見的特徴が、ここまで識別に向かんとは……。あれだけ濃い見た目をしておいて、記号として雑すぎる……!」

 

「逆に完成度が高すぎるのです。黒いハゲという様式美が」

 

「その言い方はやめろ!本人が芸術作品みたいではないか!」

 現場の混乱は極まっていた。ルビンスキーの悪役としての完成されたビジュアルが、皮肉にも最強の光学迷彩として機能してしまっているのだ。

 若い信徒が、息も絶え絶えに報告書を読み上げる。

 

「本日の候補者一覧ですが、三番は古書店主、五番は肉屋、七番は元船員、九番は本当にただの通行人、十一番は床屋の主人、十三番は劇団員でした」

 

「劇団員?」

 

「はい。『黒衣の独裁商人』という芝居の役作りだそうで」

 

「ややこしいことをするな!」

 

「しかも妙に似ていました」

 

「やめろ!」

 

 総大主教は、全身の骨を抜かれたようにへたり込んだ。「本物はどこだ……」その声には、怒りよりも深い疲労がにじみ出ている。

 信徒の一人が、震える声で恐ろしい提案をした。

 

「いっそ、偽物を全部片端から――」

 

「やめんか!それをやれば帝都の治安機関が総出で動くわ!何人の黒いハゲを消せば気が済む!」

 

「少なくとも十八人は……」

 

「多い!」

 

 怒号が響く中、地球教本部の混迷は深まるばかりだった。

 

 




戦争は、武力だけで起きるものではない。

それは、ときに商売として計画される。

長期化して初期との表記揺れも目立ってきたので最初から書き直すべきでしょうか?

  • 最初から書き直すべき
  • 加筆修正で保つべき
  • そもそもいらない
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