銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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勝敗は、戦う前にほとんど決まっている。

残るのは、それをどう確定させるかだけだ。


毒入りケーキの再調理

【帝国軍総旗艦《ロンゴミニアド》 作戦会議室】

 

無機質な空間を埋め尽くすのは、およそ正気の沙汰とは思えない光景である。

 視界の右半分には血生臭い最前線の戦略図が展開され、左半分には緻密な計算式が躍る経済航路図が並走している。軍務省の極秘資料と通商庁の経済統計が、同じ卓上で仲良く地獄の様相を呈していた。

 

 この部屋の主たる帝国宰相アルブレヒトの脳内では、常にこの二つの狂気が同時処理されている。軍艦の装甲厚を計算した数秒後に、辺境惑星の小麦の相場を決定する。帝国という巨大なシステムは、この男の脳細胞を過労死させることで辛うじて成立していた。

 

最前線は現在、奇妙な膠着状態にある。

 実務者レベルの和平協議に向けた前線後退。立派な名目がつけられているが、両軍とも神経が焼き切れかけており、少しでも距離を詰めれば砲手が反射的に主砲の引き金を引いてしまうからだ。

 

 とりわけ帝国軍は、巨大要塞を質量兵器として叩きつけようとした特大の前科がある。物理的な距離をとらなければ、また誰かがうっかりボタンを押しかねないという切実すぎる危機感が、アルブレヒトの精神をゴリゴリと削り取っていた。

 

(絶対に裏がある)

 

ヤン・ウェンリーとの会談を終えたばかりのアルブレヒトの脳内には、拭い去れない疑念が渦巻いている。

 

「……俺がなんで、ヤンの仕掛けた『罠』だとわかっていて、イゼルローン要塞の返還に応じるかわかるか?」

 

この空間に集められた帝国の最高頭脳の一人から、一切の躊躇がない優等生的な模範解答が即座に返ってくる。

 

「安全保障上、喉から手が出るほど必要だからでしょう。フェザーン回廊とイゼルローン回廊、両方を抑えられて戦略的に絶対不利な状況を、少しでも改善できる最善の手です」

 

(百点満点の回答だ、アナ。だが相手は、宇宙で最も油断ならないペテン師だぞ)

 

「それは表向きの理由だ。正しい。だが正しすぎて、ヤンがわざわざ差し出してくる理由としては薄っぺらすぎる。あいつが本気で親切な善人なら、とっくに退役して年金で食っちゃ寝の生活を満喫してるはずだ。他には?」

 

もう一人のマルガレータが、沈黙の中で思考の海へ潜る。

 かつての彼女であれば、直感に任せて言葉を放っていただろう。だが今の彼女からは、脳内で無数の情報を高速で照合し、最適解を導き出そうとする気配が放たれている。

 

「……消費拠点、というお話がありました。閣下は、フェザーンを『孤立』させるおつもりでは?」

 

(完璧だ)

 

「フェザーンの莫大な資本で成り立っていた銀河経済を、帝国……ひいてはイゼルローン側に新たな経済圏を確立することで、相対的にフェザーンの価値を削ぎ落としていく。魔術師の資金源を、一朝一夕ではなく、長い時間をかけて干上がらせる構えですね?」

 

「大正解だ。相手が『有事の際の再奪取』や『経済的な優位』を求めてわざわざ出してきた毒入りケーキだ。ならば、その毒の成分だけを綺麗に抽出して、我々の栄養剤に作り変えてやる必要がある」

 

「毒入りのケーキを、わざわざ自分たちで解体して再調理するのですか。寿命の無駄遣いも甚だしいですね」

 

「今の帝国は、全幹部の寿命を前借りして無理やり回しているようなものだ。多少の劇薬は水なしで飲み下してもらわないと困る」

 

(イゼルローンは堅牢な要塞だ。だが、要塞だからこそ、人も物資も莫大な資本も吸い寄せられる。数十万の軍隊が駐留する場所は、それだけで一個の巨大な消費市場として成立するのだ)

 

「帝国が本気でイゼルローンを、単なる『防衛の門』ではなく『自立した巨大都市』として育て上げれば、銀河の血流は確実に変わる。これまでフェザーンに吸い込まれていた資本を、こちら側でも根こそぎ受け止められるようになる」

 

「フェザーンの代わりを、一から創り出すというのですか」

 

「完全なコピーなど最初から不可能だ。だが、『フェザーンでなくても事足りる分野』を少しずつ侵食していけばいい。すべてを奪う必要はない。三割、いや四割の物流がこちらに傾くだけで、向こうの優位性は完全に崩壊する」

 

「理屈は通ります。しかし、それには気の遠くなるような時間と労力がかかりますよ。果てしない長期戦です」

 

「ああ、かかる。だからこそ、ただの武将ではなく、防衛線を維持しつつ経済拠点としての舵取りができる、優秀な指揮官が必要になる」

 

「ならば、私が参りましょうか? 毒蛇が巣食う要塞には、私が最も似合いでしょう」

 

(うちの優秀すぎる内務尚書の悪い癖だ。これ以上の破壊衝動は断固として阻止しなければならない)

 

「……アナは今回の『要塞特攻未遂』の件があるからな。一度頭に血が上ると、要塞ごと敵陣に突っ込もうとする人間に、都市開発を任せられるか。却下だ」

 

「うっ……。しかし、深く反省いたしました。そのあたりは、妻として信じてはいただけませんか?」

 

「妻としては、誰よりも信頼してる。だが司令官としては、歩く火薬庫そのものだ。オーディンの屋台骨であるお前を前線に張り付ければ、帝都の行政が物理的に崩壊する」

 

「そう言われると心が満たされますが、感情論だけでは銀河は回せませんよ。……では、誰を?」

 

「私が適任では?」

 

(今度は宇宙艦隊司令長官が名乗りを上げた。なぜ我が軍のトップたちは、こぞって辺境に引きこもりたがるのか)

 

「同じ理由で却下だ。宇宙艦隊司令長官が要塞に引きこもってどうする。手足を縛られた獅子になるだけだ」

 

「うむ、それは確かに。私とて、自らが刃として振るわれるべき局面と、背後から大局を俯瞰すべき局面の違いくらいは弁えておりますぞ」

 

「おお、ずいぶんと成長しているな。泣ける」

 

「今、親戚の小父のような声を出しておりましたね」

 

「……能力と柔軟性、そして政治的バランス感覚であれば、ロイエンタール軍務尚書が適任かと」

 

(アイツを前線に出す? 冗談ではない。俺の命綱だぞ)

 

「アイツは俺の切り札だ。前線には出さん。オーディンでアイツが睨みを利かせていないと、俺の机の右半分が完全に機能停止して、帝都が未処理書類の山で物理的に沈没する」

 

「それは否定しません。ロイエンタールが不在となれば、中央の行政機構は三日で息絶えるでしょう」

 

(残る人材は限られている。最前線の防衛を担う絶対的な武力。複雑な経済政策に押し潰されない強靭な胆力。そして何より、あのヤン・ウェンリーを前にして、冷静に盤面を読み続けることのできる強靭な理性)

 

「…………ミッターマイヤーに任せよう」

 

「私の副司令官ですが……。彼は根っからの武将です。複雑な政治や経済の舵取りには不向きなのでは?」

 

「そうでもありません。あの実直さと決してブレない公平性は、為政者として最も重要な資質です。うまく環境を整えれば、有能な文官としての才も開花するはずです」

 

(文官ミッターマイヤー。デスクの向こうで凄まじい速度で書類を捌きながら、『閣下、早く決裁を!』と光の速さで急かしてくる姿が目に浮かぶ。恐ろしい)

 

「仕事の速度は保証つきでしょうね。ですが、その猛烈な速度に、周囲の文官たちがついていけずに過労でバタバタと倒れるかもしれません」

 

「それは貴女も人のことは言えませんよ」

 

「妾が?要塞ごと回廊へ突貫しようとした方は、少し静かにしていてください」

 

「うっ」

 

「いや、そこは本当に反省してくれ」

 

「何より、兵や民衆からの信頼が桁違いに厚い。イゼルローンを都市として発展させるのであれば、まず『あの提督がいるならここは安全だ』と思わせる象徴が必要です。派手な奇策は打てないかもしれないが、実直に秩序を構築していく仕事には誰よりも向いている」

 

「それを聞けば、ヤンあたりは一番嫌がるだろうな。アイツはきっと、ミッターマイヤーのような『裏表がなく、ただひたすらに速い』人間を最も苦手としているはずだ」

 

「それは少々、偏見が入っていませんか?」

 

「いや、芯を食ってるぞ。魔術師ってのは、相手の思考の迷路を利用して罠を張る生き物だ。己の信念だけを信じて一直線に突っ込んでくる真面目な相手とは、根本的に波長が合わない。嫌がらせとしては最高の人事だ」

 

(さて、この件は決着だ。次は、目の前で目を輝かせているこの若い才能の処遇である)

 

「………マルガレータ。お前、良いぞ。同盟との事前交渉での見事な立ち回り、そして今の冷静な現状認識……完璧だ。もう、己の感情に振り回されて暴走する心配は無用だな。オーディンに帰還したら、統帥本部総長を兼務しろ」

 

室内の空気が、一瞬にして凍りついた。

 無音。圧倒的な無音である。

 

「そろそろ、グレイマン閣下には重責から解放されて休んでもらう時期だ」

 

「………! よろしいのですか!? 統帥本部総長といえば、帝国軍令の最高峰ですぞ!」

 

「よろしいも何もない。元々は、お前自身が『未熟な自分のストッパーになってほしい』と望んでグレイマン閣下を据えたはずだ。だが、今のマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーに、もうストッパーは必要ない。これからは、お前が後継を育てろ。銀河の明日は、お前たち若い世代の双肩にかかっているんだ」

 

(計算高い野心家ならここで権力の使い道を皮算用するだろうが、この娘は純粋に感動している。頼もしい)

 

「閣下!! 身に余る光栄! このマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマー、文字通り粉骨砕身の覚悟で邁進いたします!」

 

「粉になるのは困る。砕けるな。ちゃんと固形物のまま原型を保って職務を全うしろ」

 

「比喩表現です!」

 

「今の帝国は慢性的な人材不足だ。有能な幹部が骨まで砕かれたら、元に戻すのにどれだけ国家予算が飛ぶと思ってるんだ」

 

「そこは機械と同じ扱いなのですな。代わりが利かない特注の部品という、最高級の賛辞として受け取っておきます!」

 

嵐が去るような勢いで、若き才能が部屋を飛び出していく。あの足取りの軽さ、確実に廊下ですれ違う人間すべてに今の話を自慢して回る気だ。

 扉が閉まり、室内には極端な静寂が降りる。

 

「しかし、ミッターマイヤーに経済都市の運営まで任せるとなれば、補佐につける文官の選定は極めてシビアになりますよ。実直すぎる将に、狡猾な文官をつければ、三日で予算を横領されます。逆に、実直すぎる将に、輪をかけて真面目な文官をつければ、七日で規定の予算を使い果たして機能停止に陥るでしょう」

 

「だからこそ、その両極端を中和できる『灰色の人材』が必要になる。その人材発掘は、俺とロイエンタール、そしてこれからはお前も担うんだ。統帥本部総長という椅子は、上がってきた命令書に判を押すだけのスタンプ係じゃない。『誰をどの配置に置けば、その人間が最も化けるか』を見抜くための特等席だ。グレイマン閣下は、その見極めが異常なほど上手い。引退させる前に、あいつには閣下の技術を骨の髄まで盗んでもらう」

 

「教育方針が野蛮すぎますね。才能は盗んで磨くもの、ですか。では、貴方のその重度の怠け癖まで盗まれてしまったら?」

 

「それはそれで、大物になる素質があるってことだ」

 

「帝国の未来が暗澹たるものに見えてきました」

 

「安心しろ。あの怠惰さは、俺だけが持つ固有の才能だ」

 

(イゼルローンは、ただ巨大な要塞を置いただけでは機能しない。商人に『ここは投資する価値がある』と思わせ、駐留する兵に『ここなら骨を埋めてもいい』と思わせ、そして民草に『ここでなら明日を生きられる』と思わせる必要がある。戦争を遂行するための消費都市じゃない。平和が訪れた後も、銀河の結節点として自立し続ける都市だ)

 

「アル様。……危険ではありませんか? マルガレータは、先の内戦で一度は我々に反旗を翻し、敵対した過去があります。あれほど若い年齢で、強大な軍令権力を集中させれば……いずれ抑えきれない野心を抱き、再び牙を剥くやもしれません」

 

(優秀な治安維持責任者としての正当な懸念だ。だが、過去の亡霊に囚われていては前へは進めない)

 

「そんなことを言い出したら、ラインハルトやヒルダちゃんだって、常に監視の目を光らせなければならなくなる。過去のしがらみは、あの内戦で完全に焼き払った。誰がどちらの陣営に属したか。誰がどの局面で判断を誤ったか。そんな記録をいつまでも首に巻きつけていたら、帝国の新しい世代は息が詰まって死んでしまう」

 

「それは……事実ですが」

 

「ある程度の『謀反の気配』や『野心』は、組織を活性化させる良い起爆剤になる。うまく水をやって大木に育て上げれば、俺がさっさとこの重圧から解放されて引退できるという、一筋の光が見えてくるかもしれないしな」

 

「…………まだ、諦めていなかったのですね。その非現実的な夢を。貴方は、共同皇帝陛下の夫君にして、全銀河の命運を握る帝国宰相なのですよ? 隠居など、天がひっくり返っても不可能です」

 

「俺の究極の目標は、昔から何一つ変わっていないぞ。アナと甘い時間を過ごして、一日中、美味い酒を飲んでぐーたら生きる。俺が血反吐を吐いて帝国を平和にしようとしているのは、すべてその理想郷を実現するためだ。マルガレータが帝国宰相の激務を肩代わりできるくらいに化けてくれれば、俺の仕事は半分になる。そうすれば、お前ともっと長い時間を共にできる」

 

(この瞬間、目の前の空間から『内務尚書』という冷徹な概念が完全に消失したのを感じる。代わって現れたのは、ただ一人の愛おしい妻だ)

 

「今日は、久しぶりに……誰の目もない、二人きりですね」

 

「ああ。オーディンを出立してから、息をつく暇もなかったからな。俺だって休みたいさ。だが、あの魔術師が厄介な脅迫状を送りつけてくるし、金髪の孺子は風邪で倒れるし、おまけに俺の妻は要塞ごと敵陣に突撃しようとするしで、休む暇がない」

 

「最後の一件は、深く反省しております。……でも、ほんの少しだけです。あの要塞ごと突っ込んでやりたいという衝動は、心の奥底に少しだけ残っています」

 

「頼むから、そんな物騒な衝動は綺麗さっぱり消し去ってくれ」

 

「そろそろ……子供が欲しいです」

 

(不意打ちすぎる。銀河の命運を左右する謀略よりも、遥かに心臓に悪い一撃だ)

 

「……ああ。全知全霊をかけて、最高の『ファルケンハイン』を創ろう」

 

「言い方が、新型兵器の開発計画みたいですよ」

 

「そこはほら、根っからの設計者の血が騒ぐんだ」

 

「子供にそんな血は継がせないでください。でも……貴方の子なら、きっと賢くて優しい子になりますね」

 

「俺の性質を受け継いだら、相当に扱いづらい厄介なガキになるぞ」

 

「貴方に似たら、世界の構造を根本からいじくり回すのが上手な子になりそうです」

 

「それは、褒め言葉として受け取っていいのか?」

 

「半分くらいは。残りの半分は……幼いうちから、家の壁を勝手に解体して改造しそうです」

 

「……やりそうだな」

 

「でしょう?」

 

「もしそうなったら、お前が物理的に止めてくれ。できれば、手加減して優しくな」

 

「義手で殴り飛ばしても? 力加減の保証はいたしかねます」

 

「アル様。もし本当に平和な時代が訪れたら、どこへ行きたいですか」

 

「お前が俺の隣で笑っていて、目を通すべき決裁書類が紙切れ一枚もなく、俺のことを『宰相閣下』と呼ぶ人間が一人もいない場所なら、宇宙の果てでもいい」

 

「随分と難易度の高い条件ですね。では、まずはこの帝国が抱える無数の問題を、一つ残らず片付けないといけませんね。気合いを入れて頑張りましょう、宰相閣下」

 

「頼むから、今だけはその堅苦しい呼び方をやめてくれ」

 

「では……アル様。頑張りましょうね」

 

「……そうだな」




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