銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
時にそれは、一人の作家の手によっても左右される。
【帝都 腹黒流通 社長室】
ルビンスキーの太い指が、ランズベルクの華奢な手を痛いほどに力強く握りしめている。
「引き受けてくれますか!ランズベルク先生!!貴方のカリスマだけが頼りだ!」
「おお!社長!やはり私にはこのような大役……亡命という名の『叙事詩』がふさわしい!私の筆が、新たな歴史を刻むのですな!」
亡命。その二文字が意味するのは、血生臭い逃亡劇であり、一歩間違えれば国家反逆罪で断頭台の露と消える絶望の綱渡りである。だが、目の前の大文豪の脳内では、そのすべてが華麗なる「叙事詩」へと変換されていた。現実は常に彼の文学の肥やしでしかない。自己完結した、極めて危うい精神の構造だった。
傍らに立つフェルナーは顔をしかめた。
「……社長、正気ですか?あまり余計なことはせずに、このまま出版事業を続けていれば十分儲かるのでは?そもそも退位した元皇帝を担いでも、今さら正統性なんて主張しにくいですよ」
「何を言いますか!」
ルパートの瞳孔が野心に見開かれている。
「これは銀河を揺るがす『義挙』です。歴史小説の題材としても最高でしょう?」
「その通り!!」
「この亡命劇こそ、次巻のクライマックスにふさわしい!いや、むしろこれは現実のほうが私の小説へ追いついてきたと言うべきか!」
「そこを競争みたいに言わないでください」
現実という化け物が牙を剥いた時、真っ先に噛み砕かれるのは最前線を走る現場の人間である。
「悲観的だな、フェルナー君。君はもっとドラマというものを信用したまえ」
「信用した結果、俺が補佐役で地獄を見るんでしょう」
「見返りはある」
「命ですか?」
「同盟への亡命権だ」
「命よりちょっとマシな程度ですね……」
フェルナーは重くのしかかる疲労感に、肺の底から濁った空気を押し出した。
だが、彼は諦めの早い男でもあった。こうなった以上、自身に割り当てられた役割を全うし、生き残る確率をコンマ数パーセントでも引き上げるしかない。
「わかりましたよ……。こうなれば、マネージャー、いえ、補佐役として、亡命の手土産が最大化されるよう努力するのみです」
「マネージャー!いい響きですな!先生とマネージャー!やはり人は肩書が増えるたびに輝く!」
「俺は減る一方ですが」
「なぜだ?」
「帝国軍人という肩書が、今やだいぶ怪しいからです」
「大丈夫ですよ。売れればすべて美談です」
「出版業界の倫理観が雑すぎる」
斯くして、元皇帝亡命支援作戦は決定された。
手順だけを見れば企業の新規プロジェクト立ち上げと何ら変わらない。ただ、取り扱う商品が銀河帝国の元君主という、途方もない劇薬であること以外は。
◆
【帝都 シュザンナ・フォン・ベーネミュンデの隠居所】
深夜。
かつての寵姫シュザンナ・フォン・ベーネミュンデが暮らす隠居所は、帝都の中心部から離れた静謐な森の辺りにひっそりと佇んでいた。華美な装飾はないが、手入れの行き届いた庭木や窓から漏れる温かなオレンジ色の光が、確かな生活の息吹を伝えている。
エルウィン・ヨーゼフは、そこでシュザンナと本当の母子のように寄り添い、静かな時を紡いでいた。夜の静寂の中、どこまでも穏やかで満ち足りた空気が流れていた。
少なくとも、闇夜に紛れて忍び寄る者たちの視界に入るまでは。
「エルウィン、夜更かしはいけませんよ。何を読んでいるの?」
エルウィンは真新しいインクの匂いが残る本を両手でしっかりと抱え込んだ。
「『銀河英雄伝説』も良いけど、ランズベルク先生のこの新作『アルスラーン戦記』もすごく面白いよ……お母さん。亡国の王子の物語なんだ」
「あら、そうなの?明日、私も読んでみようかしら」
「うん!すごく面白いよ!主人公が格好いいし、周りの人もみんな濃いし!」
「それは先生の本らしいわね」
「あと挿絵もいい!」
「エルウィンは本当に読むのが好きなのね」
「うん。だって、本の中だと、誰でもどこへでも行けるから」
少年らしい純粋な夢と希望に満ちた言葉が寝室を満たした、まさにその直後。
カチャリ、と窓の鍵が外れる硬質な音が鳴り、夜風と共に黒衣の二人組が滑り込んできた。
平穏な空気が一瞬にして凍りつく。侵入者とは得てして、他者の紡ぐ美しい時間を暴力的に踏みにじる存在である。
「……元皇帝と寵姫の屋敷だというのに、これほど警備が手薄だとは。帝国の油断も極まれりですな」
「単に平和だということでしょう……。さあ、手早く」
「うむ」
「それと、なるべく静かに」
「わかっている」
「本当にわかっていますか」
「私を誰だと思っている」
「大文豪です」
「そうだ」
「だから不安なんですよ」
ランズベルクは意を決したように、エルウィンのベッドサイドに歩み寄った。
気配を感じ取ったエルウィンが、まぶたを擦りながら身を起こす。
「え……?だれ……?誘拐?ギデオン・チュイ?」
「違います!私はランズベルク伯アルフレットと申すもの。陛下をお救いするために、イゼルローンの果てまで参りました!」
その瞬間。
恐怖に強張るはずだったエルウィンの顔面に、太陽が昇ったかのようなまばゆい光が差した。
「え?ランズベルク……おじさん!?本物のランズベルク先生なの!?」
フェルナーは自身の耳を疑った。
想定していた反応とのあまりの落差に、思考回路がショートを起こす。
「……すごい知名度だな」
「は、はい。まあ、ランズベルクという名の文豪は、この銀河には私一人かと思いますが……」
ランズベルクの頬が、暗がりの中でもわかるほどに赤く染まる。
大文豪は、自身の知名度という甘美な毒にすこぶる弱かった。
「すごい!!!お母さん!!!!ランズベルク先生が来たよ!!!!」
「ちょ、大声を……!!」
フェルナーの心臓が警鐘を鳴らす。
だが、事態はすでに彼の制御を離れていた。
足音を荒らげ、寝間着姿のシュザンナが部屋へ飛び込んでくる。
「どうしたの、エルウィン!?……!!貴方は!!!」
フェルナーの指先が、コートの裏に隠した銃のグリップに触れた。
最悪の事態、強行突破。脳内でシミュレーションが高速回転を始める。
しかし、シュザンナの口から紡がれたのは、助けを求める言葉ではなかった。
「夢じゃないかしら……。ランズベルク先生ではありませんか!?」
「……は?」
「私、『銀河英雄伝説』の熱狂的なファンですの!ぜひ、この枕カバーにサインを!!」
フェルナーは重力に逆らうように視線を天井へと逃がした。
黒装束の男たちが深夜に窓から侵入してきたという明確な異常事態が、彼らの頭の中では完全にパージされている。
「僕は『アルスラーン戦記』のファンです!!本にサインお願いします!!!」
「え……あ……はい。わかりました。これでいいですかな?『正統な読者へ。ランズベルク伯アルフレット』と……」
ランズベルクの手には、いつの間にか万年筆が握りしめられていた。
抵抗力は皆無。読者からの無垢な眼差しこそが、彼にとって最大の陥落ポイントであった。
「先生、できれば日付も!」
「私はこのクッションにも!」
「僕のしおりにも!」
「ええい、順番に!困らせるでない!」
極限の緊張感から始まった潜入作戦が、ものの数分でファン感謝祭へと変貌を遂げていく。その滑らかすぎる崩壊の過程に、彼の精神は悲鳴を上げていた。
廊下から、複数の足音が近づいてくる。
異変を察知した警備兵や使用人たちが、各々武器を手に飛び込んできたのだ。
作戦失敗。ここで終わる。フェルナーは覚悟を決めた。
だが、ランズベルクという存在が持つ特異な引力が、この空間の物理法則さえも歪めてしまう。
「ま……まずい!囲まれた!強行突破するぞ!」
「貴方は……!その独特の髪は……大文豪のランズベルク先生!!」
先頭に立っていた屈強な使用人が、持っていた警棒を床に取り落とす。
「何だって!?ランズベルク先生が来ているのか!!」
背後にいた別の使用人たちの顔にも、次々と歓喜の色が伝染していく。
「すごい!サインを!娘の名前でお願いします!!」
「ちょっと待て!今は逃走計画の真っ最中――」
フェルナーの切実な声は、熱狂の渦に飲まれて消滅した。
広々とした寝室は、あっという間に深夜の特設サイン会場へと様変わりした。
熱に浮かされた使用人の一人が窓から外へ向かって大声を出したことで、事態はさらに悪化する。近隣を巡回していた警備兵にまで情報が伝播していく速度は、帝国軍の正規の通信網を凌駕しているかもしれない。
けたたましいサイレンの音と共に、パトカーまでが屋敷の前に横付けされた。
フェルナーは両手で顔を覆った。包囲網は完璧。逃げ道は分子レベルで存在しない。
ずかずかと踏み込んできた警官が、ランズベルクの姿を認めるなり直立不動で敬礼する。
「おお……ランズベルク先生でしたか!侵入者の通報がありましたが、まさか先生が深夜のゲリラ・サイン会を催されているとは。お勤めご苦労様です!」
「は……はあ。……うむ、ご苦労」
ランズベルクは威厳ある態度を保とうと、咳払いを一つした。
「すいません……ついでに、この交通違反切符の裏でいいのでサインを」
「そんな紙でよいのですかな?」
「一生の宝にします!!」
「では書きましょう」
「先生ぇぇぇぇ!!」
フェルナーの意識が、現実という名の荒野から静かに離陸していく。
誰か、この狂った世界線を修正してくれ。
時計の針が丑三つ時を過ぎても、屋敷に集う人影は減るどころか増殖の一途をたどっていた。
使用人。
警備兵。
警官。
寝巻き姿の近所の住人。
果てはどこから調達したのか、高級そうな菓子折りを持参する巡査まで現れる始末。
エルウィンは、次々とサインをこなしていく大文豪の姿を、星屑を散りばめたような瞳で見つめている。
「すごい……。本当に人気者なんだね、先生」
「まあ、その……少しはな」
「少しどころではないと思います」
シュザンナの吐息には、陶酔の響きが混じっていた。
「こんなに人を幸せにできるなんて、やはり先生の筆は偉大ですわ」
「それはありがたいが、今はできれば静かに――」
「先生、この枕カバーの余白にも一言を!」
「先生、こちらの皿にも!」
「皿はやめろ!!」
◆
【翌朝】
朝露に濡れた屋敷の玄関先に、真新しい旅行鞄を手にしたシュザンナとエルウィンの姿があった。
昨夜の狂乱の渦が嘘のように、その表情はピクニックへ出かける前の子供のように晴れやかだ。
「いってらっしゃいませ!!!先生の取材、しっかり支えて差し上げるのですよ!!」
使用人たちが一斉に深く頭を下げる。
フェルナーの心に、真実を告げる気力など一ミリも残されてはいなかった。
「取材、なのか……」
「同盟かー。どんなところだろう?きっと物語のヒントがいっぱいあるよね!」
エルウィンの足取りは軽い。
「先生の取材旅行に、家族役として同行できるなんて……光栄ですわ!!」
「家族役、なのですか」
「はい」
シュザンナの笑顔には、一片の曇りもない。
「エルウィンもそう呼んでくれていますし」
「お父さんが、こんなに立派な大作家なら誇らしいよ!」
『……最初からこういう形で、普通に誘えばよかったのでは?あの無駄な緊張感を返してほしい』
ランズベルクの視線もまた、虚空を彷徨っていた。
「私もそう思う……。私って、こんなに有名になっていたのだな……。詩は一枚も売れないというのに」
「そこはまだ気にしていたのですね」
もしここにルパートがいれば市場のニーズを持ち出して一刀両断にするところだが、あいにく不在であるため、フェルナーはこめかみを強く揉みほぐすことで応えるしかなかった。
「マネージャーさん、クルマを回してくれる?」
「……俺はもはや、帝国軍人ではなくマネージャーなのか」
「はい。とても頼りになりますもの」
シュザンナの淀みない肯定に、フェルナーは唇を噛み締めた。その絶対的な信頼の眼差しを向けられては、否定の言葉など紡げるはずがない。
ふと、シュザンナが何かを思い出したように手を打つ。
「そうだわ。しばらく留守にするって、アルブレヒト君とアナちゃんに連絡を……」
「ストーーーップ!!!」
ランズベルクの喉から、裂帛の気合がほとばしった。
「それだけはやめてください!取材のサプライズが台無しになりますから!!」
「サプライズ……?」
「国家機密漏洩阻止です!!先生は、作品のリアリティのために、現地で驚かれる必要があるのです!」
フェルナーが即座に割り込み、強引な理屈を被せる。
「まあ……!先生ったら、芸のためにそこまで」
「やっぱり本物の作家は違うんだね!」
『違うのは多分そこじゃない』
なんにせよ、一行を乗せた車は走り出した。
そしてここから先、幾重にも張り巡らされた帝国の検問も、国境付近での密航船への臨検も、その本来の機能を完全に喪失することとなる。
大文豪ランズベルクという歩く特大パスポートの前に。
◆
【帝都郊外 検問所】
コンクリート打ちっ放しの無機質な検問所。
銃を構えた警備兵が、行き交う車両を鋭い目つきで睨みつけている。身分証の徹底的な照合、トランクの底の底まで探る荷物検査。通常の密出国者であれば、ここで一巻の終わりである。通常であれば。
「貴方は!!ランズベルク先生!!大ファンです!!!」
「ぜひ新作の構想を教えてください!!通ってよし!!」
「いや、構想と通行許可は別問題では……」
フェルナーの常識的な異議申し立ては、熱狂の波に瞬時に掻き消された。
「妻も先生の大ファンで!昨日も『ロン・テイラーはどうなりますの!?』と騒いでおりました!」
「それはありがたい。では少しだけ、次巻では――」
「先生!それ以上はネタバレです!でも通ってよし!!」
「検問って何なんだろうな……」
フェルナーは薄曇りの空を見上げ、国家の安全保障体制について深く思索した。
【宇宙空間 密航船内】
薄暗いカーゴスペースに潜伏する一行の前に、重武装の憲兵が足音を響かせて現れる。
「不審な三人連れ……」
万事休す。フェルナーの全身の筋肉が硬直する。
だが、憲兵の視線がランズベルクの顔を捉えた瞬間、そのいかつい顔に満面の笑みが広がった。
「ああっ!ランズベルク先生のお忍び旅行でしたか!お気をつけて!!あ!妻がファンなのでサインください!!」
「また妻か。帝国の家庭はどこもランズベルク先生で回っているのか?」
「それだけ人気があるということです」
ランズベルクの誇らしげな横顔。
「作家としては嬉しい」
「誘拐実行犯としてはどうなんだ」
「その肩書で呼ぶな」
【帝国国境付近 最終検問所】
厳格そうな士官が、モニターから目を離し、一行の顔をまじまじと見つめる。
「ランズベルク先生!もしかして、このお二人はご家族ですか!?素晴らしい美男美女ですね!」
「元皇帝の寵姫に何ということを……!」
フェルナーの背筋を冷たい汗が伝う。不敬罪。国家反逆。恐ろしい単語が脳裏をよぎるが、咎める者は誰もいない。
「ランズベルク先生の……奥さん……。あら、良い響き……」
シュザンナの頬が、乙女のように朱に染まる。
「お父さんが、こんなに立派な大作家なら誇らしいよ!」
「お父さんではない。まだ」
「何だその含みは」
フェルナーの鋭い視線を、ランズベルクは軽く受け流す。
「いや、ここまで来ると、もうそういう役で行ったほうが通りがいいのではと」
「やめろ。妙なリアリティを持たせるな」
「でも実際、正規ルートで出国できてますよね、これ」
「……そうなのだよな」
ランズベルク自身も、首を傾げている。
「我々、別に密航している感じがしない」
「最初の黒づくめ潜入だけが一番犯罪っぽかったですね」
「その通りだ」
サイン。握手。あふれんばかりの声援。
それらに包まれながら、彼らは陽の当たる大通りをパレードするかのように、悠々と帝国領を突破していった。
◆
【同盟領 イゼルローン要塞】
イゼルローン要塞の受付窓口。
亡命希望者の対応は、通常であれば無味乾燥な事務手続きのみで完了する。しかし、この日は運命の女神がひどく悪戯な気分であったらしい。
「亡命を希望しているのだ。こちらにおわすお方は、実は……」
ランズベルクは声を張り上げ、最大限の威厳を込めようとした。続く言葉は「元皇帝陛下である」歴史が動く瞬間のはずだった。
「貴方は!!!!!ランズベルク先生!!!!!」
受付兵の鼓膜を破らんばかりの絶叫が、歴史的瞬間を粉々に吹き飛ばす。
「え、いや……こら、話を聞け。こちらには元皇帝陛下が……」
「みんなー!大ニュースだ!!!ランズベルク先生が亡命してきたぞ!!!!!」
「ちょっと待て!皇帝陛下のほうをだな!」
「はい?新作の構想ですか!?ぜひ!!サインと一緒に聞かせてください!!」
「聞いていない!会話をしろ!」
瞬く間に、周囲は同盟兵たちの黒山の人だかりとなる。
「あのランズベルク先生が!?」
「すぐにアッテンボロー方面軍司令官に報告だ!」
「あの人も作家志望だから絶対に喜ぶぞ!」
「ヤン総統にも伝えろ!あの人も愛読者だろ!」
「元皇帝は!?」
フェルナーの魂からの叫びも虚しい。
「先生の家族ですよね?」
「いや違」
「美男美女の素敵なご家族ですね!!」
「だから違」
「先生!亡命第一声として、今の心境をぜひ!」
「だから皇帝陛下が」
「先生、万年筆は何をお使いで!?」
「話を聞け!!」
◆
【同盟軍 司令部】
その頃、同盟軍司令部もまた、別の意味で激震に見舞われていた。
「ヤン先輩!!ヤン総統!!至急のご注進です!!イゼルローンに、神が……いや、ランズベルク先生が降臨しました!!政治交渉どころじゃありません!!」
通信機越しの報告に、アッテンボローの声は裏返っている。
「……ええっ!?『ロン・テイラー』の生みの親が来たのかい!?」
ヤンの口から、熱い紅茶が勢いよく噴出する。
「はい!!しかも亡命だそうです!!」
「亡命!?」
フレデリカが素早くハンカチを差し出す。
「総統、落ち着いてください」
「落ち着けるかい!すぐに、すぐに最高のおもてなしと最新の万年筆を準備するんだ!!」
「万年筆が先なんですか」
「作家への敬意だよ!」
シェーンコップが肩を震わせて笑う。
「いやあ、同盟の政界が小説家で沸くとは、実に文化的ですな」
元皇帝は確かに同盟領に入った。手駒はすべて揃っている。しかし、同盟市民の認識において、この一大イベントの主役は疑いようもなく「ランズベルク先生」であった。
喧騒の渦中、エルウィン・ヨーゼフは一人ぽつんと取り残されていた。
「ねえ、おじさん」
エルウィンはフェルナーのコートの裾を引いた。
「僕、今どの役?」
「……たぶん『迷子の皇帝陛下』です」
フェルナーの瞳は、はるか遠くの銀河を見つめている。
「それ、物語っぽくていいね」
「よくない」
「でも先生が書いたら売れるかも」
「それは否定しにくい」
ペンを走らせ続けるランズベルクの胸中にも、ようやく一つの実感が芽生えつつあった。
帝国の追手を逃れ、同盟という新天地へ足を踏み入れた。歴史の転換点に、自分は立っている。だが、自分に向けられるのは、政治的な思惑を含んだ視線ではなく、純粋な読者としての熱狂だった。
「……私の文学は、そんなに強いのか」
「ええ。強いですわ」
シュザンナがうっとりと頷く。
「先生、すごいよ!僕、ちょっと誇らしい!」
「先生が強いというより、みんな本が好きなんですよ」
フェルナーが冷や水を浴びせるが、大文豪の耳には届かない。
「つまり、私の勝ちでは?」
「その解釈の速さは見習いたくありません」
事実として、元皇帝の持つ政治的な価値は、ランズベルクのサイン一枚の前に完全に霞み去っていた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回の少し変わった亡命劇、楽しんでいただけたでしょうか。
よろしければご感想をお聞かせください。