銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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民意は時に、どんな権力よりも強い。
 そしてそれは、必ずしも理性によって動くとは限らない。


亡命と民意

【イゼルローン要塞 宇宙港】

 

 

元来ここは、軍艦や輸送シャトルが淡々と出入りし、無機質な機械油の匂いと駆動音が支配する空間である。拍手も歓声も介在する余地はない。必要なのは無機質な認証コードと、厳格な搬入許可証の提示のみ。

 

だが、今日の空気は明らかに異質だった。

整備班の制服を着た男の胸ポケットは、不自然に四角く膨らんでいる。受付係の女性の唇には、普段の業務では見られない鮮やかな紅が引かれていた。警備兵に至っては、背中に隠し持った色紙の角が軍服から覗いている。鋼鉄の軍事施設が持つべき緊張感は欠落し、ある種の文化劇場の開演前夜たる熱を帯びていた。

 

理由は、ただ一つ。

ランズベルク伯アルフレット。

政治的な建前を用いるならば「亡命」である。

しかし現場を支配する熱量は、疑いようもなく「大文豪の来要塞記念イベント」のそれであった。

 

「来たぞ」

 

誰かの押し殺した声が導火線となり、数秒後にはドック全体が熱狂の渦に飲まれる。責任者らしき士官の「静粛に」という制止の声は、彼自身の手の中で揺れる色紙のせいで、微塵の説得力も持ち合わせていなかった。

 

「先生えええええ!!」

 

最初に泣き崩れながら握手を求めてきたのは、歴戦の猛者たる威厳を備えた司令部員だった。

 

「分かっておりますとも、先生!! 帝国では表現の自由が制限され、創作に不向きだったのですね!! さあさあ! 政治の話は後です! 総統閣下が用意された、ハイネセン行きの超豪華VIPシャトルにお乗りください!!」

 

「いや、あの、私は亡命をしようとしたのであって、そもそも帝国における正統な……」

 

「もちろんですとも! その辺りの難しいことはあとでヤン総統閣下が何とかしてくださいます! 先生は今はとにかく、創作の自由を満喫してください!」

 

「話を聞かぬな、この人たちは……」

 

ランズベルクの視界が目まぐるしく揺れる。

その傍らでは、幼いエルウィンの瞳が、見たこともない光景に眩いばかりの輝きを放っていた。

 

「すごいね先生!! 本物のお城より豪華だよ! VIPだ!」

 

少年は軽やかな足取りでシャトル内へ飛び込み、最高級のベルベットが張られたふかふかのソファへと全身を沈め込んだ。

 

「おお……。これはたしかに、皇帝の玉座より座り心地が良いかもしれぬ」

 

「比較対象が危険すぎます、エルウィン様」

 

フェルナーの冷ややかな指摘が、背後から突き刺さる。

 

「ここでは設定通り『お父さん』と呼ばないと」

 

シュザンナの柔らかな声が、場の空気を優しく包み込んだ。

 

「取材旅行中なのですからね」

 

「なるほど……」

 

「スパイみたいでかっこいいや! お父さん!!」

 

ランズベルクは自身の胸元を強く押さえた。

 

「……陛下に『お父さん』と呼ばれる日が来るとは……。このランズベルク伯アルフレット、感激の極み!!」

 

「感激している場合ではないのですが」

 

最後尾で荷物を運び込むフェルナーの視線は、遥か遠くの虚空を彷徨っている。

 

無事に、かつこれ以上ないほど安全な亡命。それは事実だ。だが、この得体の知れない居心地の悪さは何なのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

【シャトル機内】

 

シャトルは滑るように宇宙の暗海を進み、一路ハイネセンを目指す。

 

その道中の待遇もまた、没落した元皇帝一行へのそれではなく、銀河に名を轟かせる大作家の移籍記念ツアーに相応しいものだった。クリスタルグラスに注がれるのは最高級のヴィンテージワイン。

 

シートポケットの機内誌は急遽「ランズベルク文学の魅力」という特大号に差し替えられ、客室乗務員は「先生、万年筆はこちらでよろしいでしょうか」と、過剰なまでの気配りを見せる。

 

「同盟は、文化人にここまで手厚いのか」

 

「大文豪に、です」

 

フェルナーの容赦ない訂正が入る。

 

「そこを一般化すると期待値が危険です」

 

「まあよいではないか」

 

シュザンナは流れていく星々の光を眺めながら、穏やかな微笑を浮かべていた。

 

「こういう待遇は嫌いではありません」

 

「僕も!」

 

「革命って楽しいんだね!」

 

「その理解はかなりまずい」

 

フェルナーの声は氷のように冷たい。

 

「革命を遊園地のアトラクションみたいに言うな」

 

「でも、旅して、おいしいもの食べて、みんな優しいよ?」

 

「今のところはな」

 

「じゃあ、楽しいでいいじゃないか」

 

「その無邪気さがまぶしいな……」

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

【ハイネセン 政府専用宇宙港】

 

 

イゼルローンのそれを遥かに凌駕する狂熱に包まれていた。

国家規模の歓迎態勢。足元には真紅の絨毯が敷き詰められ、儀仗兵が整然と立ち並ぶ。政府高官の列の背後には、無数の報道用ドローンが飛び交い、無数のフラッシュが瞬く。その隙間には「先生ー!」と記された手製のプラカードまでが揺れていた。

 

群衆の熱は警備の壁を越え、港全体を巨大な熱狂のるつぼへと変えている。民意が一度うねり始めれば、いかなる権力もそれを正面から押し留めることはできない。

 

列の先頭には、ヤン・ウェンリーが厳しい面持ちで立っていた。

 

「みんな、くれぐれも失礼のないように」

 

「ペンは剣よりも強し。銀河の至宝が、わざわざ我々の国を選んで来てくれたんだ」

 

傍らのトリューニヒトの口角が、優雅な弧を描く。

 

「うむ……この人物の政治的価値は非常に高い。……ですが、ヤン総統。今まさに帝国と和平を、という時に受け入れるのは、少々刺激が強いのでは?」

 

「もし帝国が文句を言ってくるなら、それを大義名分にして出兵すればいい。私には、自由惑星同盟を繁栄させ、文化を守る義務がありますからね」

 

「いやはや、流石は独裁者。都合のいい時だけ『義務』という言葉を使いこなす。流石は我らが総統閣下だ」

 

シェーンコップの皮肉を含んだ視線がヤンを射抜く。

 

「誰が独裁者だ」

 

「支持率九十八パーセントの方ですが」

 

「やめてくれないか、その数字を使うの」

 

横からフレデリカの控えめな声が割り込んだ。

 

「……それよりも、私は『創竜伝』の続きが気になります。帝国側なら情報があるかと思って」

 

「私は『アルスラーン戦記』の続きを……」

 

トリューニヒトの目にも、静かな熱が灯っている。

 

「特にナルサスの行く末を詰め寄りたいところですな」

 

 

 

 

 

 

 

シャトルが定位置に停止し、タラップがゆっくりと降り始める。

上空を飛び交う電波が、興奮に満ちたアナウンサーの声を全同盟の家庭へと送り届けていた。

 

 

「今! ランズベルク伯が到着いたしました!! おおっと! ヤン総統閣下自らタラップまで駆け寄り、出迎えております!! 今! 銀河を揺らす固い握手が交わされました!!」

 

「総統閣下は亡命した文化人にも敬意を払って、本当に立派ですね。自由の守護者そのものです」

 

「ええ、それも総統閣下の深い人徳あってのものでしょう。ランズベルク先生ほどの方が、帝国を捨ててまで自由を求めて亡命する国……。ヤン総統体制になってから、同盟は本当に良い国になりました」

 

テレビでは連日、ヤンを褒め称える番組が続いていた。

それは政府のプロパガンダではなく、視聴率が取れるからという理由で各局が「自主的」に制作しているものだった。民意の暴走は、時に国定の広報よりも恐ろしい。

 

タラップの下で待ち受けるヤンの頬は、高揚で赤く染まっていた。

 

「ランズベルク先生! お待ちしておりました!!」

 

ランズベルクは居住まいを正す。

名乗り、正統政府の構想、元皇帝の存在、帝国への対抗軸。それらを一気に叩きつけるべき真の舞台が、今ここにある。

 

「ヤン総統、お初にお目にかかります。ランズベルク伯アルフレットと申します。後ろにいるのが、私の……」

 

「ご家族も一緒とは、なんと素晴らしい!!」

 

ヤンの視線がシュザンナを捉えた瞬間、歓喜のベクトルは明後日の方向へと跳ね飛んだ。

 

「美しい奥方ですね!!」

 

シュザンナの白い頬が、ほのかに朱に染まる。

 

「あら……嬉しいわ……。もういい歳のおばさんなのに……」

 

「いや、この方はベーネミュンデ侯爵夫人シュザンナ様。今は訳あって……」

 

「なんと!!! あのフリードリヒ四世の寵姫だった方ではありませんか!! それを、先生が……! まさに現実の銀河英雄伝説だ!!」

 

シェーンコップが一歩前に出る。

 

「流石は銀河の大文豪。奥方も一流の『元・覇者の女』を連れてくるとは、羨ましい限りですなあ。男のロマンの体現者だ」

 

「ええ、まあ、ありがとうございます。……そして、この子が……」

 

ランズベルクが手で示そうとした先で、ヤンの大きな手がエルウィンの金髪を優しく撫でた。

 

「御子息ですね! 揃いの美しい金髪……実によく似ていらっしゃる!!」

 

「ええ……いえ、そうではなくて、実はこのお方は……」

 

「積もる話もございますが、まずはこちらへ!!」

 

言葉のドッジボールは、一方的な豪速球によって終結を迎える。

 

「全市民が先生の言葉を待っています! スピーチをお願いします!!」

 

「私の話を誰も最後まで聞いてくれんのだが!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ハイネセン 中央広場】

 

 

視界を埋め尽くす群衆。その数は数百万にも及ぼうかという勢いである。

政治家の演説であれば退屈しのぎに帰路につく者もいるだろう。だが、待っているのは大文豪の生の声である。「次巻の構想が聞けるかもしれない」という読者の執念は、鋼鉄よりも強固だ。

 

ヤンが演壇の中央に立つ。

 

「国民の皆さん! 私は今日この日を迎えられたことを、自由惑星同盟総統として誇りに思います!」

 

鼓膜を震わせる大歓声。

 

「かつて、多くの人々が自由を求めてこの国へ来ました。しかし! この人物の名は、銀河の歴史において特別な意味を持ちます!! すなわち! ランズベルク伯アルフレット先生!! 我らが銀河の至宝!! 大文豪の降臨だ!!」

 

地殻の底から響くような絶叫が、広場全体を揺るがせた。

拍手、指笛、名前を呼ぶ声。感極まって涙を流す者の姿さえある。

その圧倒的な質量を前に、ランズベルクは思わず後ずさった。

 

「……そこまでなのか」

 

「先生、今さらです。帝国でも散々見たでしょう」

 

「いや、帝国はもう少し『先生、サインください』くらいの熱でだな……」

 

「十分熱いですよそれ」

 

ランズベルクは肺腑に空気を満たし、演壇へ歩み出る。

今度こそ、己の責務を全うせねばならない。

 

「自由惑星同盟の皆様……。私は、こちらのエルウィン・ヨーゼフ二世陛下の正当な権利を取り戻すべく……!!」

 

「先生ー!! 『銀河英雄伝説』最高です!! 続きを書いてー!!」

 

最前列から飛んだ鋭い声が、演説の腰を無惨にへし折る。

 

「あっ、いや、それも大事だが、今は……」

 

「亡命おめでとう!! ペンは剣よりも強ーい!!」

 

「その標語は便利すぎる!!」

 

ランズベルクは腹の底から声を振り絞る。

 

「つまり我々は、銀河帝国正統政府を樹立し、ファルケンハイン体制下に一石を投じるべく……!!」

 

割れんばかりの拍手の壁が、音声の伝達を物理的に遮断した。

 

「帝国貴族の誇りにかけて、全銀河の正義を……!!」

 

轟音。もはや何を言っても無駄だという事実が、重くのしかかる。

 

「…………ありがとうございました」

 

限界まで窄められたその声すらも、謙虚な大作家の感謝の言葉として解釈され、さらなる熱狂の薪となった。

正統政府の理念など、誰の耳にも届いていない。

 

「お父さん、すごいや」

 

演壇の袖から見上げるエルウィンの瞳には、純粋な憧憬だけが映っていた。

 

「だからお父さんでは……いや、もうよい」

 

ランズベルクの胸中に、諦観という名の静かな波が広がる。

 

「こんなに歓迎されるなんて……。先生、本当に愛されているのですね」

 

目元をハンカチで押さえるシュザンナの横で、フェルナーの瞳だけが冷え切っていた。

革命声明は、ただのファン感謝祭の熱気の中に完全に融解してしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝。

フェルナーの手元にある同盟の新聞各紙は、どれも一目で内容が理解できる見出しを躍らせていた。

 

『大文豪ランズベルク先生、自由を求めて移籍!!』

 

『ヤン総統、文化の守護者として歴史的握手』

 

『美麗なる夫人のファッションチェックと、可愛らしい御子息の笑顔に同盟中が虜』

 

「……『正統政府』の『せ』の字も載っていない。エルウィン様は、ただの『大文豪の息子』としてアイドル扱いだ」

 

ベッドの上で脚を揺らすエルウィンの手には、朝から冷たいアイスクリームが握られている。

 

「マネージャーさん、同盟のアイスクリームってすっごく美味しいね! 革命って楽しいな!」

 

「革命をテーマパークみたいに言うな」

 

「でも、みんな優しいし、先生も人気だし、ぼくも昨日『かわいい』っていっぱい言われたよ」

 

「それはそうだろうな……。ビジュアル面では最強の亡命団体だからな……」

 

「マネージャーさんも『渋くて素敵』って言われてたよ?」

 

「やめろ。そういう情報は処理に困る」

 

「革命ってモテるんだね」

 

「違う。大文豪が強すぎるだけだ」

 

ランズベルクは真新しい同盟製の万年筆を握り、滑らかな紙の感触を確かめている。

 

「……まあ、いい。私がここでペンを走らせることで、結果的に歴史が変わる。それが『物語』というものかもしれませんな……」

 

「綺麗にまとめた。でも実態は、革命が歓声にかき消されただけです」

 

「それもまた、民意だ。民はパンだけではなく、物語も求める。ならば私は、それに応えるだけだ」

 

「そういうところだけ文豪なんだよなあ……」

 

手元のスケジュール帳には、サイン会、朗読会、作家協会との懇親会といった文字がびっしりと書き込まれ、政治的な予定は隅へと追いやられている。すでにホテルの廊下には「サイン目的の無断侵入禁止(ただし花束は可)」という謎の掲示まで出されていた。




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