銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
時にそれは、紙とインクから生まれる。
【帝都オーディン・株式会社腹黒流通社長室】
己の耳を疑うとは、まさにこのことか。
想定外の報告に、裏社会を牛耳ってきたルビンスキーの思考が激しく軋む。
「何!!同盟で亡命政府が……作られないだと!?」
対するルパートの冷ややかな理知は、上司の動揺を嘲笑うかのように静まり返っていた。最近の彼は出版部門の数字の動きを完全に掌握しており、その事実が神経をさらに逆撫でする。
「はい」
「ランズベルク伯の文豪としての人気が凄すぎて、元皇帝陛下の政治的な話題性が皆無です。同盟のメディアは『新作の執筆状況』と『麗しきご家族』の話題で持ちきりです」
「ご家族……」
「寵姫と元皇帝を連れて行ったのに、『ご家族』で処理されるのか」
「はい。かなりきれいに」
「世論調査でも、『亡命政府の樹立を支持する』は伸びていません。その代わり、『ランズベルク先生の安全な執筆環境を全力で守るべきだ』が異常な数字を出しています」
「国家の方向性としてどうなんだ、それは」
頭痛の種がまた一つ増えた感覚に苛まれる。
「ですが、数字は強いです」
「あと、むしろ帝国内部で『ランズベルク伯が亡命したことで、次巻から帝国での発禁処分や、関税による値上げが起こるのでは!?』という、読者の動揺が走っています。市民だけでなく、将兵の一部まで落ち着きがありません」
「将兵もか」
「はい。帝国軍は意外と読書家が多いので」
「意外ではない」
最前線で娯楽に飢える兵士たちの顔が脳裏をよぎる。
「戦争が長引くと、人は話を求める。現実よりましな虚構に逃げるためにな」
「自社の商品に対してずいぶん詩的ですね」
「出版人の顔くらい使うさ。今は腹が立っているだけで」
「うむ……。ならば、そのファンの動揺を煽って暴動を起こさせ、帝国内部を混乱に陥れれば、同盟を武力で焚き付ける余裕も……!」
「いえ」
一縷の希望は、即座に叩き割られた。
「その事態を受けて、ファルケンハイン宰相が先手を取りました。今朝の緊急会見の映像をご覧ください」
「嫌な予感しかしないな」
「当たっています」
モニター越しでさえ、胃の腑が粟立つような威圧感が伝わってくる。私的な感情の欠片もない、国家の意思そのものを体現した気配だった。
「帝国臣民諸君」
「我が国の至宝たる文豪、ランズベルク伯アルフレットが自由惑星同盟に亡命したことについては、誠に遺憾の意を表明する。彼の筆が帝国を離れたことは、文化的にも大きな損失である」
文化の喪失を悼み、民衆の不満を逸らす。ここまでは想定内だ。
「しかし……私は、旧帝国の悪癖である『現実の外交の否定』は、ここに根絶しておくべきとの結論に至った」
「……よって、ここに銀河帝国は、自由惑星同盟を一つの対等な『国家』として承認し、文化圏の交流および自由な貿易を保証する!」
百五十年もの間、頑なに固守されてきた「反乱軍」というレッテルが、たった今、消滅した。歴史が転換する強烈な熱気が、画面から溢れ出しそうだった。
「過去にわたる交戦記録や、非公式な交渉等も、全て公的なものと差し替える!これは、貴族院も全会一致で認めたものである!」
「何だ、その理由は……」
「非常に帝国らしい実利と俗情の融合かと」
「そして、自由惑星同盟総統ヤン・ウェンリー元帥より申し出のあった『和平とイゼルローン要塞の返還』について、現在、前向きに調整が進んでいることを宣言する!……以上だ。これで心置きなく次巻を待て!」
質問が怒涛のように押し寄せる。
「今の『対等な国家として承認』は歴史的転換では!?」
「文化と外交を同時に片付けましたね!」
「宰相閣下、関税は!関税はどうなりますか!?」
最後の質問が最も強い狂騒を帯びている事実に、帝国の行く末が透けて見えた。
だが、それは停滞ではない。状況の変化に適応できなければ、明日には死体が転がる世界なのだ。
「くっ……!完全に『経済戦・文化戦』に切り替えるつもりだな、あの男!誘拐による開戦の大義名分を、ことごとく潰しおって!」
「ええ」
「これで同盟は『国家』として認められ、帝国は『平和の維持』という大義を得ました。ここから戦争に突入する可能性は、限りなくゼロに近いでしょう。我々の陰謀は失敗です」
「失敗、か」
「作家のサイン一つで革命の大義を失うとはな。銀河の歴史も、ずいぶんと軽くなったものだ」
「軽いのではなく、民衆が重いのです」
「文化に熱狂する読者は、時として艦隊より制御が難しい、ということでしょう」
「言いえて妙だな。腹立たしいが」
突如として雪れ込んできたのは、欲望にまみれた熱気だった。
「社長!!大変です!!」
「どうした?これ以上、そこまで慌てるような悪いことなど、もう起きないと思うぞ」
「それが……」
「帝国の国務省より直接連絡が……!『ランズベルク伯の専属出版社であることを鑑みて、先行して我ら腹黒流通が、帝国御用商人として同盟との流通ルートの先駆けになるように』との正式な特許状です!」
特許状から放たれる圧倒的な熱量に、思考が追いつかない。
「な、なんだと……!?」
「加えて!」
「同盟の財務省からも依頼がきています!『平和の架け橋たるランズベルク先生の書籍輸送と関連物流を独占的に任せる』と!内容は帝国側と同様です!!」
「……両国政府公認の、独占物流・出版企業」
政治的な陰謀としては完全な敗北。だが、経済活動としては未曾有の勝利。
莫大な利益予測の桁を前に、敗北感はあっけなく別の感情へと変質していく。
「ふふふ……」
「ふははははは!!やはりランズベルク先生だな!あいつは宇宙一の金のなる木だ!裏でコソコソする必要など全くない!我々は合法的に再び浮上する!銀河一の商人としてな!!」
「立ち直りが速いですね」
「商人は切り替えが命だ」
「戦争で儲けるのも結構だが、平和で独占できるならそのほうが良いに決まっている!血は流れず、金だけ流れる。最高ではないか!」
「最初の『宇宙を手中に収める』っていう趣旨から完全に変わってる気がするけど……まあ、血が流れないし儲かるなら、いいわね」
「その通りだ、ドミニク!」
「銀河は武力だけでは支配できん。物流と文化だ。……いや、正確には印税と流通だな!」
一つの野望が潰え、新たな商業帝国の産声が上がった。
◆
【自由惑星同盟ハイネセン・超高級マンション】
「む……むむう…………。私は誇り高き詩人だ……高尚な芸術家なのだ……。なのに、小説などという大衆娯楽が……なぜこんなにも売れるのだ……?私のアイデンティティは崩壊寸前だ……」
小説の爆発的な売れ行きが、芸術家としての矜持を容赦なく削り取っていく。高尚な詩を愛する己の存在意義が揺らぐ苦悩。
「頑張って、お父さん!!」
背中に回された小さな腕の温もりが、その葛藤をいとも容易く吹き飛ばした。
「明日は遊園地に連れて行ってくれる約束でしょ?」
「おお!よし!このアルフレット、遊園地の資金を稼ぐために頑張りますぞ、陛下……じゃなくて、エルウィン!」
もしこの場にフェルナーがいればその変わり身の早さを咎めていただろうが、この密室において彼を止める者は誰もいない。
「うん!革命より遊園地のほうが楽しみ!」
「順番の問題ではない気がするが、まあよい!」
「素晴らしいですわ!先生!!この流麗な文体、息を呑む展開……!ですが………あの天才軍師ナルサスが死んでしまうのは、あまりにも悲しすぎます……!」
「……世は無常なのです。夫人」
「英雄も天才も、時の流れと運命の前には等しく無力。いかに美しい知性も、歴史のうねりの中では儚く散る。だからこそ、命は尊いのです」
「…………!」
シュザンナの胸の奥底で、長い間忘れていた感情が激しく波打つ。あのフリードリヒ以来、干からびていた心に再び灯る恋の予感。
甘い熱を帯びた吐息とともに、肩へ寄り添う柔らかな重み。ランズベルクの背筋が硬直する。高尚な理念を語る口とは裏腹に、男としての俗っぽくも人間らしい歓喜が内側から込み上げていた。
「やっぱり、お父さんとお母さんでいいんじゃない?」
「いや、それはまだ」
「取材旅行の設定上はともかく、現実においては色々と」
「先生、現実と物語の境目なんて、案外あいまいなものですわ」
「それを作家に言うのか……」
「だって、先生がそう仰ったのでしょう?時の流れと運命の前には、人は等しく無力だと」
「うっ」
己の言葉が刃となって返ってくる。それを跳ね返すだけの論理も、意志の強さも持ち合わせてはいなかった。
「……まあ、その、今はまず執筆ですな」
「ええ」
「遊園地の資金のために」
「そこを言うと急に俗っぽくなるな」
「でも、大事でしょう?」
「大事だ」
「じゃあ書いてください、先生」
「うむ……」
◆
【自由惑星同盟ハイネセン 統合作戦本部】
「本当に、話が全部そっちへ行くな……」
狂騒を伝える画面の光が、ヤンの疲労を際立たせる。どうしてこうも話が明後日の方向へ転がるのか。
「でも、結果として帝国との緊張はかなり薄まりました」
「それはそうなんだけど」
「戦争の大義名分が、『続きを読みたいので和平を』に負けるとは思わなかったよ」
「良いではありませんか。血より印税が勝つなら、そのほうが文明的です」
「文明的すぎて少し怖い」
「私は好ましいと考えます。思想より物流、革命より商流、玉座より重版。極めて健全です」
「健全かなあ……」
「でもまあ、少なくとも今すぐ大艦隊が動く空気ではなくなった」
「ええ」
「市民が求めているのは戦争ではなく、次巻ですから」
「読者としてはよくわかります」
「君までか」
「私も続きが読みたいので」
微塵も揺るがない肯定感に、ヤンは返す言葉を失う。
◆
【帝都オーディン 国務省】
「この便を増やせば、帝国側の予約分は捌けます。ただし、同盟側の部数も想定より増えていますね」
「はい。特に『先生がハイネセンの景色を見ながら執筆した記念版』という文言に、異様な反応が……」
「誰がそんな売り文句を?」
「腹黒流通です」
「仕事が速いな……」
「止めますか?」
「止めても別の言い方で売るだろう。なら、せめて輸送事故だけは出さないようにしよう」
止められないなら、せめて事故だけは防ぐしかない。政治家の使命感か、読者の渇望か、己でも判断のつかない感情にキルヒアイスは苛まれていた。
◆
【ハイネセン 財務省】
「なぜ書籍輸送のために、ここまで予算調整が必要なのだ!」
予算調整の理不尽さに、レベロの思考が焼き切れそうになっている。
「先生の歓迎ムードが強すぎて、民間の保険会社が『文化財特別条項』を追加すると言い出しました!」
「文化財!?」
「はい。先生ご本人と、原稿と、万年筆と、移動中の紅茶セット一式が対象です」
「国家運営とは何だ……」
「市民の機嫌を損ねないことかと」
「その通りだが、認めたくない!」
「ヤン先輩!大変です!」
「今度は何だい。先生が新しい帽子でも買ったのか」
「もっと大変です!同盟軍の若手士官の間で、『文豪読書親衛隊』なる集まりが勝手にできています!」
「何だそれは」
「先生の安全を守りつつ、感想を語り合い、運が良ければサイン会の整理券を優先的に――」
「駄目に決まってるだろう!」
「親衛隊を読書会経由で組織するな!」
「でも、少し羨ましいです」
「君までか」
「だって、先生の直筆サインは貴重です」
「この国、本当に大丈夫かな……」
「平和ではありますよ」
「そうだな……。変な方向へ、だけど」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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