銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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平和な時代ほど、表には見えない戦いが激しくなる。
 その戦いは、笑い声の裏で進行している。


平和の裏側

【ハイネセン 総統官邸玄関ホール】

 

ヤン・ウェンリーの頬は、珍しく緩みきっていた。普段なら照れ隠しの逃げ道を表情のどこかに残す男が、今日ばかりは無防備な歓喜を露わにしている。イゼルローンからユリアン・ミンツが帰還したのだ。

 

「ユリアン!よく戻ってきてくれた!」

 

 周囲の副官たちは、主の弾むような声に目を細める。彼がこの少年へ向ける好意の深さは疑いようがない。もっとも、その感情の何割かが自身の怠惰な願望と結びついていることも、衆目の一致するところだった。

 

「これでもう、私の生活……いや、この国の事務処理も万全だ!」

 

 ユリアンは制服の襟を正し、視線を絶妙な高さに留めたまま直立不動の姿勢をとった。

 

「はい!総統!ユリアン・ミンツ中尉、本日付で総統次席副官として着任いたします!!」

 

「うん、承認する」

 

「これからは、イゼルローンのような危ない前線勤務よりも、君の明晰な才覚をこの官邸で活かしてもらいたいんだ」

 

有能な身内に雑務を任せられる喜びを隠しきれないあたりが、いかにも彼らしい。

 フレデリカが歩み寄り、ユリアンの肩へそっと手を添える。

 

「ユリアン、また三人で一緒に頑張りましょうね」

 

「はい!」

 

 唇から紡がれた快活な返事とは裏腹に、ユリアンの胸中にはまったく異なる決意が渦巻いていた。

 

『……提督、フレデリカさん。お二人の見ている景色は、僕が必ず守ってみせます。たとえこの手が汚れに染まろうとも』

 

少年の内面に宿る決意の重さを、ヤンは察知していない。彼に見えているのは、かつてと変わらぬ真っ直ぐな姿だけだ。だからこそ、トリューニヒトはこの少年を選んだのだろう。理想主義者の足元を固めるには、躊躇いなく汚れ役を引き受け、かつそれを自身の汚れと認識しない人間が必要なのだ。

 

「ところで」

 

 ヤンは周囲の目を気にするように声を潜めた。

 

「官邸の仕事は退屈かもしれないけど、まあ、その、どうにか慣れてくれると助かる」

 

「はい。提督のためなら、退屈も歓迎です」

 

 淀みない即答に、ヤンはばつが悪そうに頭を掻く。

 隣でフレデリカが微笑を深めた。

 

「総統、そう仰りながら昨日は『ユリアンが戻ってくれば、決裁待ちの書類が三割減る』と計算されていましたよ」

 

「フレデリカ!?」

 

「言うなよ、そういう本音を」

 

「でも事実でしょう?」

 

「事実だが」

 

「でしたら良いではありませんか」

 

「良くはない。年少者を便利な高性能事務処理装置みたいに扱っている感じが出る」

 

 ユリアンは真顔のまま応じた。

 

「大丈夫です。提督の事務処理装置として使われるのは、かなり名誉です」

 

「その返しもどうなんだろうな……」

 

 困惑を深めるヤンをよそに、フレデリカは楽しげに続ける。

 

「それに、ユリアンがいてくれれば、総統の私生活の管理も少し楽になりますから」

 

「私生活?」

 

ユリアンが首を傾げる。

 

「ええ。食事、睡眠、外出の時間、紅茶の回数、居眠りの頻度」

 

「それ、だいぶ飼育記録寄りでは」

 

「国家元首の健康管理です」

 

有無を言わせぬ語気に、ヤンは身を縮める。

 

「最近、私は官邸で丁寧に飼われている気がする」

 

「気のせいではありません」

 

「そこはもう少し否定してほしいな」

 

 穏やかな応酬。ニュース映像にでも流せば、市民がこぞって安堵するような温かな光景だ。

 だが、その温もりの足元には、光の届かない冷たい空間が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

【総統官邸 地下特務室】

 

窓のない閉鎖区画。空調の微かな稼働音だけが響く室内に、観葉植物の類はない。無機質な端末の光が、壁一面に広がる名簿や関係図を青白く照らし出している。

 ユリアン、カリン、そしてバグダッシュの三人が、端末を前に座っていた。

 

「……これが特高の工作員名簿?ずいぶん多岐にわたっているな」

 

 名簿に目を落としたユリアンの網膜に、膨大なデータが焼きついていく。

 カリンは手元のモニターから目を離さずに頷く。

 

「秘密警察らしく、表の地位……清掃員から高級官僚まで、隠れ蓑を持っていないといけないから。私もこうして総統警護班を隠れ蓑にしているわ」

 

「慣れなさい。諜報ってそういうものよ」

 

 カリンの横顔に感情の揺らぎはない。

 

「僕の人生、最近そういう『慣れなさい』が急に増えたんだけど」

 

「大人になるってそういうことだ」

 

「もっと嫌な言い方をすると、国家に使われるってそういうことだ。いいかユリアン」

 

 彼は人差し指を立てる。

 

「情報には『方向性』というものがある。そのデマを流したい奴が、誰に流したくて、相手にどう行動してほしいのか?というベクトルだ」

 

「そのベクトルを逆に辿れば、送り主の意図と次の予測がつく……ということですね」

 

 ユリアンの脳内で、論理のピースが瞬時に組み上がる。

 

「そういうことだ。飲み込みが早いな。トリューニヒトが目をつけたわけだ」

 

 満足げなバグダッシュの言葉に、ユリアンは眉間を寄せる。

 

「気に入らない表現だな」

 

「特高の局長殿が、そんな可愛い感想を言っていてどうする。向こうから見れば、お前だって十分『目をつける側』だぞ」

 

「嬉しくない事実ですね」

 

「でも事実よ」

 

 カリンが画面の表示を切り替える。

 

「まずは年末の和平条約に向けた反戦派の動向の監視かと思うけど、どうする?」

 

「いや」

 

 ユリアンは首を振る。

 

「国内の確認はそれまでに終わらせる。地下組織や汚職が皆無になることはないだろう。……だが、暗部はコントロールできる状態にしておかなくてはならない」

 

「おいおい。あまり締め上げると窮屈になってネズミが死ぬぞ?」

 

「わかっています」

 

「コントロールされた汚れが必要なだけです」

 

忠誠心と合理性が結びついた結果、この若者は恐るべき速度で暗部の論理を吸収している。

 

「……カリン、接触したい相手は決まっているね」

 

「ええ。帝国の御用商人にして、今やハイネセンの時の人……腹黒流通の『自称』ルビンスキーよ」

 

「『自称』をつけるの、だいぶひどいですね」

 

「だってみんな、あの人を本物のルビンスキーだと思ってないもの。今のハイネセンだと、『そっくり芸人兼敏腕プロデューサー』って認識よ」

 

「本人は?」

 

「たぶん半分くらいは諦めてる。出演料がいいから受け入れてる」

 

「商人だなあ。良いことだ。諦めと金勘定は、情報屋と商人の生命線だ」

 

 ユリアンの視線がファイルへ注がれる。

 

「今のハイネセンで、ランズベルク先生とルビンスキーの周辺に群がっている連中を、ただのファンだと思うなよ。本物のファンもいる。商売目当てもいる。記者もいる。外交筋もいる。帝国からの接触役もそのうち混ざる。華やかな場所ほど、情報はよく落ちる」

 

「なるほど。では、ルビンスキーのテレビ出演も、ただのバラエティではなく接触点になる」

 

「そういうこと。だから、放送局にもこっちの目を入れてる。ヘアメイク、照明、台本管理、警備、観客整理。どこに誰を紛れ込ませても不自然じゃないもの」

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

【ハイネセン・テレビジョンメイク室】

 

同時刻。鏡の前に座るルビンスキーの眉間には、深い皺が刻まれていた。

 

「もっと艶が出たほうが画面映えしますので」

 

 担当者の手元で謎の液体が光る。

 

「スキンヘッドに艶って要るのか?」

 

「とても要ります。高級感が増します」

 

「……出演料に含まれているのか?」

 

「もちろんです」

 

「では任せよう」

 

「黒系のスーツですとフェザーンの独裁者感が強すぎます!ここは少し柔らかめのネイビーで!」

 

「私が独裁者っぽく見えるのは色のせいではないと思うが」

 

「そこが魅力なんです!視聴率は取れます!」

 

「もっと嫌だな」

 

 視聴率という単語が出た時点で、抵抗は無意味だった。政治的な正しさと大衆の娯楽が奇妙に融合する都市、それがハイネセンだ。

 

「『ここで一拍置いて渋く笑う』とは何だ」

 

「視聴者が求めてるんですよ、そこ!」

 

 若いディレクターが身を乗り出す。

 

「視聴者は私に何を求めているのだ」

 

「本物っぽさです!」

 

「本物だ」

 

「そういう設定、大好きです!」

 

 ルビンスキーは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。

 

『……同盟市民というのは、どうしてこう、現実を娯楽へ寄せたがるのだ。平和というのは、人をここまで面倒にするのか』

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

【ハイネセン テレビジョンスタジオ】

 

 

「では次のお便り!ペンネーム『自由は本棚から』さん!『ルビンスキーさんは、どうしてそんなに悪そうな顔が自然にできるのですか?』」

 

 客席から笑い声が沸き起こる。

 

「生まれつきです」

 

 表情筋を動かさずに答えると、スタジオの温度がさらに上がった。

 

「うわー、本物っぽい!」

 

「褒めているのか?」

 

「最高に褒めてます!」

 

 次のお便りが読み上げられる。

 

「ペンネーム『亡命記念しおり』さん!『ランズベルク先生を最初に見た時、どう思いましたか?』」

 

「……金になる木だと思った」

 

「わあ、正直ー!」

 

「プロデューサーの鑑ですね!」

 

「そこを『魂の震え』とか言わないあたりが逆に好き!」

 

 ルビンスキーの意識は、すでに半ば解脱の境地に達していた。

 

大文豪の専属プロデューサーにして、フェザーン元首のモノマネ芸人。肩書きの渋滞を抱えながら、彼は今やハイネセンの夜の顔になりつつある。

 

 ワイドショーの司会者が声を張り上げる。

 

「いやーー、本当にそっくりですね!皆さん、見てください、この見事なスキンヘッドと不敵な面構え!」

 

「……何度も言っていますが、私が本物のアドリアン・ルビンスキーですよ」

 

「はいはい!そういう『設定』で通さないと、芸としての格好がつきませんものね!本日のゲストは、アドリアン・ルビンスキー(自称)さんです!」

 

「……どうも。……この後、通販番組の収録もあるんだが、早くしてくれんか」

 

「通販もやるの!?」

 

 客席の熱を浴びながら、ルビンスキーは商人の顔を作った。

 

「売るとも。平和と物流と本と、それに付随する夢は、大抵売れる」

 

 そこへ、スタジオの大型モニターにヤンの姿が映し出された。手には紅茶のカップがある。

 

「いやぁ……本当に似ていますね」

 

「似ていますね、ではない!」

 

 反射的に声が出る。

 

「フェザーン強襲の時に見た、画面越しの顔に……声の掠れ具合までそっくりです。同盟のモノマネ技術はすごいな」

 

 ヤンの瞳には、純粋な好奇心が浮かんでいる。

 

「ヤン総統閣下。……あの時は、よくも私のフェザーンを無茶苦茶に占領してくれましたな」

 

「おお、その嫌味ったらしい感じ!本当に似ています!いや、面白い方だ」

 

「似ているのではない!!」

 

「そこ、三回目ですね。視聴者の皆さんも大喜びです!コメント欄が『設定が細かい』『解像度が高すぎる』『本人より本人っぽい』で埋まっています!」

 

「本人より本人っぽいとは何だ!!」

 

「芸として最高ってことですよ」

 

「そうではない!」

 

 番組の熱狂は頂点に達し、アナウンサーがとどめの告知を放つ。

 

「そしてなんと!ランズベルク先生の新作ドラマ『銀河英雄伝説』で、宿敵エイドリアン・ロマンスキー役での出演も決定しております!!」

 

 客席の悲鳴にも似た歓声が、ルビンスキーの鼓膜を打つ。

 

『……まさか自分が自分の役を演じることになるとは。だが、出演料がとてつもない額だ。……ま、いいか』

 

 出演料の額面が、あらゆる屈辱を甘受させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

【ハイネセン ホテル】

 

収録の喧騒から離れ、スイートルームのソファへ沈み込んだ瞬間。

 ルビンスキーの顔から、愛嬌のある芸人の仮面が剥がれ落ちた。唇の端が微かに下がり、眼光が鋭さを増す。空気が一変し、フェザーンを支配した黒狐の気配が部屋を満たした。

 彼を待っていたのは、暗がりに佇むユリアンだった。

 

「お疲れ様です、アドリアン・ルビンスキーさん」

 

 青年の声に感情の起伏はない。

 

「……僕は貴方が偽物でも本物でも、どちらでも良いんです」

 

「……ほう。中尉殿は、あの『怠け者の総統』とはずいぶん目が違うようだ」

 

 表舞台で見せていた軽薄な響きは消え去り、権謀術数を操る男の低い声が響く。

 

「そうかもしれません。僕は貴方の情報網、そして両国に広がる販路に興味がある。……芸能活動の裏で、何を動かしていますか?」

 

「いえいえ、私はしがない商人ですよ。この上は、サインを書きながら細々と平和に商売ができればそれで……」

 

ユリアンが音もなく一歩を踏み出す。

 

「……銀河を統べる男の影である、僕の右腕となる。……その地位では不足ですか?」

 

室内の空気が張り詰める。

 ルビンスキーは瞬時に目の前の青年の価値を値踏みした。ヤン・ウェンリーという光を守るために生み出された、新しく、そして自らの役割を熟知している影。

 

「………なるほど」

 

「……坊や、ずいぶん立派な猟犬になったな」

 

「褒め言葉として受け取っておきます」

 

「……つまり、私を合法的に儲けさせていただけるので?」

 

「同盟は民主共和政です。表向き、違法な営業は認めません。……僕が目を光らせている限り、貴方の商売の『邪魔』を誰もさせない……それが報酬です」

 

「なるほど。つまり、堂々とやれと」

 

「ええ」

 

「そして、時々はこちらの毒も運べと」

 

「必要なら」

 

「面白い」

 

 ルビンスキーが右手を差し出す。

 

「お受けしましょう、ユリアン・ミンツ大佐……いや、『局長』殿。……これからは、表ではサインを書き、裏では貴方のための毒を運びましょう」

 

 ユリアンがその手を握り返す。

 掌から伝わる体温の交換はごく僅かな時間だったが、その意味するものは重い。

 

 




ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回の『表と裏』の構図、どのように感じられたでしょうか。
ぜひご感想をお聞かせください。
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