銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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争いは、憎しみから生まれるとは限らない。
 時にそれは、愛情や忠誠から始まるのだ。


愛は、最も鋭い刃である

【ノイエサンスーシ】

 

 

新年の祝賀が去った後の宮殿は、幻影が剥がれ落ちたかのように静まり返っている。

そこを、内務尚書アナスタシアと共同皇帝エリザベートが歩みを進める。二人の歩みはあまりにも近く、衣擦れの音が重なり合う。

 

アナスタシアの視線が、エリザベートの腹部へと向けられた。式典の最中に張り詰めていた彼女の表情は柔らかく解けている。

 

「エリザベート……。懐妊、おめでとう。これで帝国の血脈も安泰ですね」

 

エリザベートの頬が淡く朱に染まる。皇帝という立場にありながら、最愛の女の前ではただの無垢な少女へと還っていた。

 

「ありがとうございます、お姉様。……それにしても、先ほどの式典でのご様子……。やはり、軍を掌握したマルガレータや、公爵に昇ったラインハルトが気になるのですか?」

 

「ええ……」

 

否定する理由は、彼女たちの間には存在しない。

 

「エリザベート、貴女はアル様のことは好き?」

 

不意の問い。エリザベートは一瞬だけ言葉を探すように瞬きをした後、はっきりと口を開く。

 

「もちろん、夫としては尊敬しておりますし、好きです。……ですが、私が心から愛しているのは、お姉様です!!」

 

一切の迷いがない。アナスタシアの指先が、エリザベートの頬にそっと触れる。

 

「ふふ、ありがとう。私も愛していますよ。……家族として、アル様のことも私は深く愛しています。だからこそ……不安なのですよ」

 

「内戦で一度は敵対したあの二人が……いえ、将来的にアル様の権力を脅かす『可能性』そのものを、私は完全に潰しておきたいのです」

 

エリザベートの瞳が、熱を帯びて爛々と輝き始める。彼女の愛情の向かう先には、制動という概念が欠落していた。

 

「ああ!なんて健気で、夫想いなお姉様!!わかりました。もう何も言わないでください!明日にでも、私からあの二人に『死』を賜りましょう。皇帝の権限をもって!」

 

「ええ、そうね。明日にでも……」

 

アナスタシアは一度だけ同意を示し、すぐに首を横へ振る。

 

「いや、やはりだめです」

 

「どうしてですか?」

 

疑問がエリザベートの顔に浮かぶ。権力という刃の重さを、彼女はまだ理解していない。

 

「サビーネは、公式にマルガレータを信任してしまいました。貴女一人の権限で彼女たちを罰しては、もう一人の皇帝であるサビーネとの間に決定的な障りが生じます。それは帝国を二分する」

 

「そうですね……。では、仕方ありませんか」

 

不満げに唇を尖らせる様は、まるで楽しみにしていた遊戯を取り上げられた子供のようだ。

 

「ですが……サビーネに『何か』あった時。例えば……不幸にも命を落とすようなことがあれば、唯一の皇帝としてエリザベート、貴女がすべての判断をしなければならない時もあるかも知れない」

 

瞬時に意味を悟り、その口元に甘く歪んだ笑みが形作られる。

 

「ふふ……そうすれば……お姉様の障害はなくなりますね」

 

「ええ。粛清なり残酷な所業は、反撃の隙を与えないよう『すべて一回で』終わらせることが必要です」

 

紡がれる言葉の残虐さとは裏腹に、声音はひたすらに優しい。

 

「……ラインハルト、マルガレータ、ミュラーにケスラー、ミッターマイヤー。それにオーベルシュタイン、キルヒアイスとアンネローゼ様、ヒルダ。……あの派閥が根こそぎいなくなれば、アル様の政権は永遠に安心です」

 

「わかりました……。その日に、一気に……ですね」

 

うっとりとした声音が返る。純粋な狂気がそこにはあった。

 

「そうです。ただし今は動いてはいけません。貴女は皇帝です。皇帝が刃を振るう時は、一度で終わらせなければなりません」

 

「お姉様は、やはりすごいです。私なら、すぐに『死刑!』と言ってしまいます」

 

「それはそれで可愛いですよ」

 

「本当ですか?」

 

二人の間に交わされる熱は、ただひたすらに狂おしく、そして危険な色を孕んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エリザベートが満ち足りた足取りで去った後。

陰から、音もなく影が滲み出る。内務省安全保障局長、ハイドリッヒ・ラングだ。

アナスタシアは振り返らない。

 

「聞いていましたね、ラング」

 

「ええ。わざわざ私のために、ご自身の服に超小型マイクを仕込まれるとは……。素晴らしい用意周到さでございますな」

 

「貴方の仕事には、証拠が必要でしょう」

 

「もちろんでございます。もっとも、証拠とは作るものでもございますが、最初から本物があれば手間が省けます。私ども事務方としては大変ありがたい。まるで決裁済みの処刑予定表のような快適さです」

 

「その比喩は不快ですね」

 

「光栄でございます」

 

この男の精神は、嫌悪を向けられることで裏返しの喜悦を覚えるようにできている。

 

「非道は一気に、です。……『その日』が来れば、速やかに全員を拘束し、一刻以内に処刑するように。法的な手続きは後で捏造しなさい」

 

「もちろん、心得てございます」

 

「その後は……分かりますね?」

 

「はい。恐ろしいことですが、忠臣たちを大量粛清し、『狂気に染まった皇帝エリザベート』は廃位され、人知れず幽閉先で病死するでしょう。……すべては、彼女の『暴走』ということに」

 

「それは……悲しいことですね」

 

言葉とは裏腹に、アナスタシアの美しい貌には、嗜虐の悦びが薄皮一枚の下に透けて見えていた。

 

「……そのような、心底嬉しそうな顔で言われましても。ちなみに、陛下が身籠っておられるお子は?」

 

「出産前に起これば母子もろとも。出産後なら……乳児の死亡率は、昔から高いものです」

 

「それは道理ですな」

 

「用が済んだ汚物は、綺麗に流してしまわないと、下水が詰まりますからね」

 

母としての慈愛すらも、彼女の論理の中では牙を研ぐための砥石でしかない。

 

「閣下の御心のままに。下水掃除は得意でございます。もっとも、最近は局の名前が清潔すぎて、部下が自分たちの仕事を一瞬きれいなものと錯覚しそうで困ります」

 

「錯覚させておきなさい。長く働かせるには必要です」

 

「まったく、内務尚書閣下は人心掌握もお上手で」

 

「掌握ではありません。利用です」

 

「言い換えが率直で、実に気持ちよい」

 

「貴方と会話していると、気持ちの悪い鏡を見ている気分になります」

 

「恐悦至極」

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

【宰相執務室】

 

アルブレヒトは椅子の背に身を預け、手元の柔らかな髪を梳いていた。サビーネは皇帝であり、彼の妻でもあるが、今はただ不安に揺れる一人の少女としてそこにある。

 

「あれでよかったの?アル様。式典での私の言葉……」

 

「ああ。少し露骨だったが、あれで十分に俺の意志は伝わったろう。少なくとも、これでサビーネちゃんという『皇帝のお墨付き』がある以上、アナも簡単にはマルガレータに手が出せん」

 

サビーネの表情に、安堵の光が差す。

 

「アル様の役に立てたなら、嬉しいな!えへへ」

 

「うん。ありがとう。……ゆっくり休んで、いい子を産んでくれよ」

 

「うん!アル様似の子がいい?」

 

「いや、できればサビーネちゃんに似たほうが可愛いだろ」

 

「でもアル様に似たら、きっと怠け者ね」

 

「それは遺伝させたくないな」

 

「でも可愛いかも」

 

「可愛くても仕事しない子は困る」

 

「アル様が言うと説得力がないな」

 

「それはそうだ」

 

やり取りの後、サビーネの瞳に真剣な色が宿る。

 

「アナ姉様、大丈夫かな」

 

「……大丈夫にするさ」

 

アルブレヒトは静かに、しかし確かな意志を込めて答える。

 

「無理しないでね」

 

「今年こそ怠けるつもりだったんだがな」

 

「初日から失敗しているね」

 

「言うな」

 

サビーネが退室し、扉が閉ざされ、入れ替わるようにケスラーが姿を見せた。

 

「ケスラー」

 

「はっ!」

 

「内国安全保障局の動きを、徹底的に見張れ。それと、相手に気取られてもかまわん。むしろ露骨にやれ。それが一番の牽制になる」

 

ケスラーの眉根が微かに寄る。

 

「御意のごとくいたしますが……それでは、アナスタシア閣下を庇護するエリザベート陛下のご不興を買いませんか?」

 

「問題はそこだ。皇帝権力の片割れを味方につけられるのが、何より厄介だ。エリザベートちゃんはアナにぞっこんだからな。理屈が通じない」

 

「ええ。狂信的な愛情は、政治よりも厄介です」

 

「何かあればすぐに手を打つ。……クソが。家族で殺し合いの算段など、これだから権力者なんてなりたくなかったんだ。……早く引退したい」

 

ケスラーの口元に、同情と諦念の混じった苦笑が浮かぶ。

 

「閣下、その言葉は何度目でしょうな」

 

「数えるな。悲しくなる」

 

「ですが、今の状況で引退は」

 

「無理だな。わかっている。わかっているから言いたくなる」

 

「では、せめて労わってください」

 

「そこへ冷静に返すな」

 

ケスラーの表情が引き締まる。

 

「ラングには、こちらが見ていると分からせます。憲兵隊の監査、通信記録、局員の身辺。全てに影を置きます」

 

「頼む」

 

「ただし、アナスタシア閣下が本気で動く場合、ラングは捨て駒に過ぎません」

 

「わかっている」

 

「本体はアナではなく、アナの愛情だ。そこが一番面倒だ」

 

「愛情を逮捕できれば楽なのですが」

 

「本当にな」

 

沈黙が降りる。冗談の形をとってはいるが、そこには一切の笑いが含まれていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

【リヒテンラーデ侯の隠居所】

 

 

元国務尚書リヒテンラーデと、現人事局長オーベルシュタイン。新旧の権謀家が机を挟んで対峙していた。

 

「……おそらく遠からず、帝国ではもう一度『分裂の危機』が訪れる、か。若造のくせに、ずいぶん縁起でもない挨拶をする」

 

「事実を述べているだけです。その際には、適切な手を打たねばなりません」

 

「この老骨をまた泥へ引き戻すつもりか」

 

「老骨ではなく、裏人脈です」

 

「言い方を変えれば良いものではないわ」

 

リヒテンラーデの喉の奥から、乾いた笑い声が漏れる。

 

「あの娘を神輿として担ぎ出すと?」

 

「いいえ、まだ時期尚早でしょう」

 

即座の否定。

 

「我が主君マルガレータは、サビーネ陛下の信任を受けることに成功しましたが、まだ軍を完全に掌握しきれてはおりません」

 

「では、どうする?このままでは、あの毒蛇に飲み込まれるぞ」

 

「であれば、分裂する前に『敵対勢力を自滅』させればよいのです。ファルケンハイン閣下の人事を見れば、アナスタシア閣下の暴走を警戒してのこととすぐにわかる」

 

リヒテンラーデの目が細められる。

 

「つまり、アルブレヒトは毒蛇の牙を封じたつもりでいる」

 

「ええ。しかし牙を封じられた蛇は、噛むための隙を探します。ならば、相手が動く『機会』をわざと与え、それを利用して相手を一網打尽にしてしまえば良い」

 

「……わざと動かせるのか?」

 

「ええ。アナスタシア閣下が失脚、あるいは亡くなれば、彼女を深く愛しているファルケンハイン閣下は、絶望のあまり表舞台には残るまい。政治的意欲を完全に喪失するはずです」

 

「夫の愛情まで盤上の駒にするか。貴様、気分が悪いほど政治家向きだな」

 

「私は政治家ではありません。人事局長です」

 

「もっと悪い」

 

「否定はしません」

 

「その後、空白となった頂点にマルガレータ様が台頭すれば……ラインハルトには、同盟のヤン・ウェンリーに当たってもらいます。我々自身の戦力が低下しすぎれば、同盟に隙を突かれて危険ですからね」

 

「……ふん。そのアナスタシアを動かすための『工作』を、監視下にあるこの儂の人脈を使ってやれ、と?」

 

「お得意でしょう?ラングの目をごまかしつつ、彼らに『好機』と思わせる餌を撒くことは」

 

「ふん。……若造が、言いおるわ」

 

「若造ですので、遠慮を知らないのです」

 

「そこは少しは知れ」

 

「必要があれば学びます」

 

「必要は今だ」

 

「では、検討します」

 

「する気がない返事だな」

 

「閣下ほどではありません」

 

皮肉な応酬に、リヒテンラーデは自嘲気味に口元を歪める。かつての自分を見ているような、得体の知れない苛立ちと共鳴だ。

 

「よかろう。ラングの耳へ、少しばかり甘い噂を流してやる。エリザベート陛下の周囲に、サビーネ陛下を疎ましく思う連中がいる、とな」

 

「十分です」

 

「十分ではない。仕込みは二重にする。貴族院の古い派閥にも、『マルガレータの三長官兼務に不満あり』と匂わせる。アナスタシアが動くなら、複数の火種が同時に見えるほうがよい」

 

オーベルシュタインは微かに頭を下げる。

 

「さすがです」

 

「褒めるな。気色悪い」

 

「では、必要な人材を後ほど」

 

「人材ではなく、駒だろう」

 

「同じです」

 

「違う、と言いたいところだが、この場では同じだな」

 

リヒテンラーデは椅子の背に重く身を沈めた。

 

「まったく、儂が隠居した途端に、若造どもは帝国を玩具にしおる」

 

「閣下も昔はその玩具で遊んでおられました」

 

「だから言うのだ。壊れやすいぞ、この玩具は」

 

「だから、最も握力のある者に持たせるべきなのです」

 

「それがマルガレータだと?」

 

「はい」

 

人工の瞳に、一切の揺らぎはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屋敷を辞したオーベルシュタインは、吹き抜ける夜風の中で立ち止まり、頭上の星海を見上げた。

地上の陰謀など意に介さぬように、星々はただ無機質に瞬いている。

 

『権力闘争、暗殺……下らんな。実に下らん。……だが、だからこそ、その泥沼の頂点には、最もふさわしい者が立たねばならない』

 

脳裏に浮かぶのは、高慢で、野心に溢れ、何よりも鮮烈な光を放つ主君の姿。

 

『マルガレータ様……。貴女こそが、この無能な俗物どもの宇宙を、その手にお入れください』

 

それは祈り。しかし、あまりにも計算高く冷徹な祈りであった。

 

最も厄介なのは悪意ではない。愛情という名を騙る狂気なのだから。




ここまでお読みいただきありがとうございます。
 今回の愛と狂気の構図、どのように感じられたでしょうか。
 ぜひご感想をお聞かせください。
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