銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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和平は結ばれた。
だが、平和とは一発の砲撃で壊れるほど薄いものだった。


誰が先に撃ったのか

【ハイネセン 総統府】

 

宇宙歴七九九年四月十五日

 

 

 唐突に、鼓膜を劈くけたたましい緊急アラームが鳴り響いた。

 

「うわっ」

 

 陶器のカップが手から滑り落ちそうになり、熱い紅茶の水面が大きく揺れる。総統という地位に就いても、この神経を逆撫でする音への耐性は備わっていない。

 

 オペレーターが血相を変えて振り返った。

 

「報告します!! フェザーン駐留艦隊、アレクサンドル・ビュコック大将からの緊急入電です!!」

 

 ヤンは無意識に頭上のベレー帽へ手を伸ばしていた。指先で生地の感触を確かめることで、無理やり日常から引き剥がされそうになる自我をどうにか繋ぎ止める。

 

「すぐにメインスクリーンに繋いでくれ」

 

 切り替わったモニターには、老練な猛将の顔が映し出されていた。背景に見える艦橋の空気は、明確な異常事態を告げている。

 

「ヤン、緊急事態じゃ。……我々同盟軍は現在、フェザーン回廊において、帝国軍より攻撃を受けておる」

 

「……どういうことです? イゼルローンでの歴史的な和平条約がなってから、まだ三ヶ月と少しですよ。帝国の公式な作戦行動ですか?」

 

「そんなことはわかっておるわい!」

 

「しかし、現に散発的ではあるが、国境警備の部隊が攻撃を受けておるのだ。こちらの哨戒艦が二隻中破、補給艇が一隻撃沈。駐留部隊の若い連中が、やり返しましょうと目を血走らせておる」

 

「そのほかは?」

 

「妙じゃな。我々としても被害は無視できんが、かといって帝国が全力で回廊を突破しにきている規模でもない。小艦隊がちょっかいを出し、撃っては退く。まるで小石を投げてこちらを怒らせようとしているかのようだ」

 

 「……わかりました。前線の判断での反撃は許可します。ただし、追撃は必要最小限に留めてください。帝国政府には直ちに厳重な抗議文を送りますので、私もイゼルローン方面に向かいます」

 

「もう一つの国境か」

 

「ええ。もしこれが帝国の公式行動でないなら、両側で誰かが火種を撒いている可能性がある。もし公式行動なら……まあ、その時は私の年金がまた遠ざかります」

 

「まだ年金を言うか、この若造は」

 

「心の支えなので」

 

「そんな支えは艦橋へ持ち込むでないわ」

 

「努力します」

 

 ビュコックは渋面を作りながらも、深く頷いた。

 

「うむ。頼むぞ」

 

 通信が切れた瞬間、官邸の空気が一変した。

 副官たちの靴音が廊下を叩き、無数の端末が警告音を発する。平和の微睡みに浸っていた官邸が、唐突に戦時の記憶を呼び覚ましていた。

 

「聞いていたな。出るぞ。《ヒューベリオン》を準備してくれ。それとホーランド元帥に連絡を。彼の艦隊の機動力が必要だ。第一艦隊のクブルスリー提督には、ハイネセンの守備を任せる」

 

「はっ!! 直ちに手配いたします!!」

 

敬礼する副官に、ヤンは言葉を継ぐ。

 

「それと、フレデリカに知らせてくれ」

 

「はい。総統夫人へはすでに」

 

「早いな」

 

「こういう時、総統より夫人のほうが先に動かれることがありますので」

 

口元に微かな苦笑が浮かぶが、それも一瞬で消え去った。

 

慌ただしく人が行き交う廊下の片隅で、ヤンはトリューニヒトと声を潜めていた。

 

「……ファルケンハイン宰相が、条約のインクも乾かぬうちに軍を動かしたと?」

 

「独裁国家ゆえの横紙破りとはいえ、彼の合理的精神からすれば、あり得ない悪手……とは思えませんな。我々の蒔いた種が早くも芽吹いた……ということかね?」

 

「それにしても早すぎる」

 

ヤンは首を横に振る。

 

「フェザーン側の出口、ガイエスブルク要塞の司令官はケンプ上級大将です。ファルケンハイン宰相の最古参であり、無断で軍紀を破って軍を動かすような、そう緩む人間ではないはずだが……」

 

「なら、ケンプ以外が動かした?」

 

「それも妙です。ガイエスブルク要塞周辺で、ケンプの目を盗んで小艦隊が暴れられるなら、帝国軍の統制は相当崩れている」

 

「崩れていてほしい気もしますが、崩れ方が早すぎるとこちらも危ない」

 

「貴方はこういう時、正直ですね」

 

「総統、外交とは正直な悪意を上品に包装する技術です」

 

「聞かなければよかった」

 

「お役に立てて何よりです」

 

軽口を切り上げ、ヤンは真摯な面持ちへ戻る。

 

「ともかく、現場で何が起きているか確認するためにも出撃する」

 

「うむ……国民への発表はまだ伏せておいたほうが良いでしょう。パニックになります。特に、和平記念商品を大量に抱えている流通業者が泣きます」

 

「心配する順番がおかしいのでは」

 

「いえ、経済不安は政情不安へ直結します。ランズベルク先生の帝国版装丁が発売延期になれば、読者暴動すらあり得る」

 

「あり得るのが嫌だな」

 

胸の奥に澱んだ空気を吐き出すように、ヤンは深く息をついた。

 

「政治的対応は頼みますよ、高等参事官」

 

「任されましょう」

 

その顔には、底知れぬ自信が張り付いている。

ヤンは背後に控える少年へ視線を向けた。

 

「ユリアン!! お前も来るんだ。最悪、前線での戦闘になるかもしれない」

 

「はい! お供します!」

 

 ヤン・ウェンリーの平和を脅かす存在は、帝国であれ同盟であれ、己の牙で跡形もなく噛み砕く。

 

 彼はすでに特高警察のトップとして、司法手続きすら省略し、国家の安全という大義の下に和平反対派を狩り立てていた。ヤンが真実を知れば、間違いなく顔色を失うだろう。

 

だが、ユリアンに迷いはない。敬愛する保護者の理想を護るためならば、自らが泥を被ることに微塵の躊躇もなかった。

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【フェザーン回廊 同盟駐留艦隊】

 

 

ビュコックは艦橋の戦況図を睨みつける。

 

「聞いての通りじゃ。前線での反撃は行う。しかし、深追いは禁物じゃぞ」

 

ウランフは不満を隠そうともせずに腕を組んでいた。

 

「随分と中途半端な命令ですな。売られた喧嘩なら、きっちり買い取るのが同盟軍の気風でしょうに」

 

「喧嘩の買い取りにも予算と領収書がいる時代じゃ。和平後の最初の喧嘩じゃぞ。高くつくわい」

 

「仕方あるまい。長年の賊軍扱いから、ようやく国家と認められてすぐにこれだ。政治的な対応が必要なのだろう。ヤン総統も苦労される」

 

「苦労を避けたい男が一番苦労する地位にいるとは、世の中は皮肉じゃのう」

 

「まあ、それはそれとして。我々駐留艦隊は、帝国側の回廊出口までちょっかいを出してくる敵を追い出し、そこで完全に停止じゃ。……一歩でも帝国領に踏み込めば、それこそ全面戦争の引き金になるからの」

 

「相手が撃ってきたのに、こっちが足元の線を気にしながら反撃とはね。まるで酔っ払い同士の喧嘩で、店の敷居だけは超えるなと言われているようだ」

 

「上手いことを言うな」

 

ボロディンの口元が僅かに綻ぶ。

 

「だが、その敷居を超えた瞬間、店ではなく街が燃える」

 

「わかっている」

 

ウランフの表情から笑みが消える。

 

「だから不満を言っているだけだ。命令には従う」

 

「それでよい。兵には徹底させろ。相手の挑発に乗るな。撃たれたら撃ち返せ。だが、怒りで航路を伸ばすな」

 

「了解」

 

「了解しました」

 

艦隊が、巨大な獣のように暗礁宙域を滑り出す。抜身の牙を晒しながらも、噛みつく相手と場所を冷徹に見定めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【帝都オーディン 宰相府】

 

 

同盟以上に悲痛な警告音が、宰相府の執務室を揺るがしていた。

 伝令が血相を変えて飛び込んでくる。

 

「報告します!! フェザーン回廊より、同盟軍のビュコック、ウランフ、ボロディンの三個艦隊が進発!! 我が軍の国境警備部隊を撃破し、ガイエスブルク要塞への侵攻を企図する動きあり!!」

 

間髪入れず、別の伝令が続く。

 

「さらに報告します!! イゼルローン方面に、ヤン・ウェンリー率いる艦隊二万が合流! 合計四個艦隊でイゼルローン要塞に肉薄しつつあり! 要塞司令官ミッターマイヤー元帥から、対応を確認する連絡が!!」

 

アナスタシアが息を呑む。

 

「これは……!! アル様!!」

 

つい数ヶ月前に手に入れたはずの平穏な生活設計が、無残に散らばっていく。

 

「分かっている!! 上級大将以上の武官を直ちに集めろ!! 直ちに対策会議を開く!!」

 

「クソが!! せっかくの、せっかくの俺の平和を!! 同盟の年金泥棒どもは、一体何を考えている!!!」

 

そこへ、顔面を蒼白にさせた外交官が駆け込む。

 

「か、閣下! 今しがた、同盟政府より強い抗議文が届きました! 帝国から戦端を開くつもりなら、受けて立つ、とのことです!!」

 

「ふざけるなよ!! 先に国境を越えてきたのはあっちだろうが!!」

 

「ですが、同盟側は帝国軍から攻撃を受けたと」

 

「知らん!! うちの誰がそんな無駄で雑な嫌がらせをするんだ!!」

 

 室内が、一瞬だけ奇妙な沈黙に包まれる。帝国軍内に心当たりが皆無とは言い切れない事実が、それぞれの脳裏をよぎったからだ。

 

アナスタシアが、アルブレヒトの腕を力強く掴んだ。

 

「アル様、落ち着いて下さい。これは明らかな謀略の意図を感じます。昨年のヤン・ウェンリーの通信のように、同盟軍の暴走に見せかけた、何かしらかの政治的な裏があるのかもしれません」

 

荒い息を吐きながらも、頭脳は急速に冷却されていく。

 

「……そうだな……。お互いに『相手が先に撃ってきた』と認識している。見え透いたマッチポンプだ」

 

「はい」

 

「ここで感情的に戦端を開くわけにもいかん。ミッターマイヤーとケンプには、要塞の防衛のみに努め、決して打って出るなと伝達しろ!」

 

「はい!」

 

「ロイエンタールはどこだ!」

 

「副宰相閣下は既にこちらへ向かっています!」

 

「ケスラーは!」

 

「憲兵総監も、内国安全保障局と憲兵隊双方の通信記録を押さえに動いています!」

 

「リューネブルクは!」

 

「陸戦隊を待機させています!」

 

「マルガレータは!」

 

「軍三長官として、統帥本部にて全軍の即応態勢を整えています!」

 

「よし。あいつが暴走しないよう、キルヒアイスを横に置け!」

 

「国務尚書を軍令部に!?」

 

「置け! 恋人が見ていれば少しは格好をつける!」

 

「それは有効です」

 

「有効なのが嫌だな!」

 

その時、執務室の空気を切り裂くように、さらなる緊急通信のサイレンが鳴り響いた。

駆け込んできた伝令の顔には、もはや血の気すら残っていない。

 

「ほ、報告!! ガイエスブルク要塞周辺で、本格的な戦闘が発生しました! 同盟軍三個艦隊が要塞の絶対防衛圏に押し寄せています!」

 

アルブレヒトの表情が強張る。

 

「何!? 防衛に努めろと言ったはずだぞ!」

 

「それが……同盟軍の先制攻撃により、前線の視察に出ておられたケンプ提督の乗艦が被弾! ケンプ提督は重傷を負われたとのことです!!」

 

「ケンプ教官が!!」

 

アナスタシアが悲鳴のような声を上げた。

 

「…………一番近くにいる艦隊は、誰だ?」

 

「フェザーン回廊の後方宙域に展開している、ミュラー艦隊です!」

 

「ミュラーを急行させろ。あいつは帝国で最も堅い盾だ」

 

「はっ!」

 

「アナ」

 

「はい」

 

「これはもう、誰が仕掛けた罠だとか、そういう段階の話じゃない。意図は明確だ。奴らは俺達の恩師を撃った」

 

アナスタシアの肩が微かに震える。

 

「………はい」

 

「ミッターマイヤーにはイゼルローンで絶対に耐えろと伝えろ。ヤンが来るなら、向こうも本気だ。だが、こちらから撃つな。最後の最後まで撃つな」

 

「はい」

 

「ただし」

 

 アルブレヒトの視線が、窓の向こうに広がる暗黒の宇宙へ向けられる。その静けさは、先刻の怒りよりも遥かに危うい。

 

「ガイエスブルクでケンプを撃った連中は別だ」

 

 部屋にいる全員が、息をすることすら忘れていた。

 

「……平和は終わりだ。不本意ながらな」

 

吐き捨てるように紡がれた言葉が、冷たく響く。

 

「俺の昼寝の時間を邪魔した代償は、銀河の星より高くつくぞ」




ここまでお読みいただきありがとうございます。
和平後に再び動き出した戦火の気配、どう感じたかぜひ感想を聞かせてください。
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