銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜 作:斉宮 柴野
ヤンは救出に動く帝国軍の隙を突き、ラインハルトはその包囲を正面から破ろうとする。
桃色竜騎兵、黒色槍騎兵、黄色特戦隊、そして老将ビュコック。
それぞれの意地と戦術が、硝煙の宇宙で激突する。
【同盟軍総旗艦 《ヒューベリオン》】
破壊されたガイエスブルク要塞の残骸はまだ熱を帯びている。巨大な人工天体だったものは無数の破片となって戦域を漂い、砲火の閃光を浴びるたびに不規則な影を落としていた。
ヤン・ウェンリーはモニターの光点を静かに見つめていた。指先でベレー帽の縁をなぞる彼の顔には微かな疲労が滲んでいる。周囲の幕僚たちはその穏やかな横顔に騙されない。彼がこのような静けさを保っている時ほど脳内では致命的な罠が構築されているのだ。
「……やはり、敵は救出を優先するあまり数の優位を活かしきれていないね。あちらの焦点は一点に絞られている」
「一点というと、メルカッツとミュラーの残存部隊ですか」
「それもある。だが今の帝国軍の精神的な焦点は救出そのものだ。救うべき味方がいると強い軍隊ほど足を止める。見捨てないという美徳は戦場では実に扱いやすい弱点にもなる」
「先輩、言っていることがかなり悪役ですよ」
「自覚はある。だから嫌なんだ」
ヤンの視界の先でピンク色に強調表示された帝国艦隊の一群が戦域を鋭く切り裂くように動いている。
「鍵はあの桃色竜騎兵だ。ヘルクスハイマー艦隊の勢いを止めないとこちらの包囲網が物理的に引きちぎられる」
フレデリカの声が情報を補う。
「マルガレータ元帥は救出作業中の味方から敵砲火を逸らすため、あえて目立つ位置へ出ています」
「そう。健気だね。色も健気かどうかは知らないが」
「色は本人の趣味でしょうか」
「趣味であってほしいね。軍制上の正式指定だと後世の歴史家が困る」
アッテンボローの唇が弧を描く。
「もう十分困っていますよ。トリニティ・クロワッサン・ボトムの時点で」
「それはホーランドに言ってくれ」
「ウランフ提督、聞こえるかい?あちらが集中させてくる砲火を散らさせたい。……無理はしなくていい、陣形を横に広げてくれ」
◇◇
【同盟軍第十艦隊旗艦 盤古】
「了解!!見たところ、ヘルクスハイマー艦隊はあえて派手に目立つことで救出活動中の味方への損害を一身に引き受けようとしているらしい」
「提督、あの色ですから目立つどころの話ではありません」
「あれは艦隊運用としては悪くない。だが健気であるがゆえに隙だらけだ」
「第十艦隊、ヘルクスハイマー艦隊の左側面を斉射!奴らが怯んだ隙に救出作業にかまけている水色を横から狙え!!」
副官の動きが僅かに硬直する。
「提督、水色水兵団という呼称を正式通信で使われますか」
「敵がそう名乗っているなら使うしかあるまい」
「ファーレンハイト提督が少し気の毒です」
「戦場で同情される時点であの命名は相当な損害だな」
砲撃命令が下る。第十艦隊の斉射がピンク色の光跡を側面から叩き、帝国軍の救出艇を庇うように展開していたヘルクスハイマー艦隊の外縁が激しく揺らいだ。
◇◇
【ヘルクスハイマー艦隊旗艦《クリームヒルト》】
「おのれ不届き者が!敵は水色水兵団の脇の甘さを狙っておるぞ!」
「ヘルクスハイマー元帥、できればその呼称は敵味方ともに控えていただきたい」
「戦場で名乗った以上、運命として受け入れよ!」
「名乗らされたのです」
「歴史とはそういうものじゃ!」
「閣下、敵第十艦隊の横展開によりファーレンハイト艦隊の救出支援線が薄くなっています」
「分かっておる!ヤン・ウェンリーの本体は一旦無視しろ!敵第十艦隊の脇を固めている第十二艦隊を力押しでねじ伏せるのじゃ!!」
閉じられた扇子が星図の一点を鋭く示す。
「ボロディンめ、アムリッツァでの借りを今ここで返してくれるわ!!」
オーベルシュタインの視線が僅かに動く。
「閣下、アムリッツァの借りは帝国軍全体のものでは」
「妾が返すと言ったら妾の借りじゃ!細かいことを言うでない!」
「御意」
ピンク色の閃光が戦域を蹂躙する。ヘルクスハイマー艦隊の猛攻は第十二艦隊の前面を容赦なく圧迫し、全方位から飛び交うビーム砲火の中で陣形が微かに歪み始めた。
ボロディンの口内に苦い味が広がる。
「思ったより手強いな。あの娘、見た目は派手だが押し込みの勘は一級だ」
参謀の視線がコンソールを走る。
「陣形、わずかに後退します」
「後退ではない。誘いだ。そう見せろ」
ボロディンの判断は冷徹に下される。
「ウランフ提督へ連絡。こちらは綻びを作る。ヘルクスハイマー艦隊が食いつけば前後で挟む」
「了解」
◇◇
ラインハルトの顔には僅かな紅潮が浮いている。微熱はまだ引いていない。
だが彼はその事実を決して認めようとはしなかった。自身の不調を口にすれば即座にキルヒアイスとヒルダによって休息を強いられると分かっているからだ。
「……マルガレータが前に出過ぎたな。確かにボロディンの足は止まったが彼女の側面ががら空きだ。ヤン・ウェンリーがこの隙を見逃すはずがない」
キルヒアイスの指先が計器の数値を確かめる。
「では一旦後退して陣形を立て直しますか?」
ラインハルトの唇に不敵な笑みが浮かぶ。
「馬鹿を言え。後退など我が辞書にはない!」
「その辞書は健康管理の項目も欠落しています」
「ヒルダ、今は戦術の話だ」
「健康も戦術です」
キルヒアイスが淡々と同意する。
「その通りです」
「二人して私を老人扱いするな」
「病人扱いです」
「もっと悪い!」
ラインハルトは気まずさを誤魔化すように星図を指し示した。
「ヘルクスハイマー艦隊が敵を引きつけている間に本隊を回頭させろ!ヤン艦隊の正面に躍り出る!そのまま主砲斉射三連、魔術師の鼻柱を叩き折るぞ!!」
キルヒアイスの眼差しが鋭さを増す。
「正面突破ですか」
「ヤンはこちらの救出行動を読み包囲を深めてくる。ならその読みの前にこちらから懐へ入る」
ラインハルトは即座に通信回路を開いた。
「ビッテンフェルトに連絡を!!その隙に黒色槍騎兵を動かせ。第十三艦隊の側面を抉り取れ!!」
「心得た!!待っていたぞ、この時を!!」
その後方でオイゲンがすでに頭を抱える姿が見える。
「閣下、待っていたのは分かりますが突撃角度の確認を」
「角度など勢いで合わせろ!黒色槍騎兵、全艦突撃!!同盟軍を宇宙の塵にしてくれるわ!!」
「せめて機雷源の確認を!」
「機雷が怖くて黒色槍騎兵が務まるか!」
「怖がってください!」
黒い艦列が巨大な槍の穂先のように展開し戦域を切り裂くべく猛進を開始する。
だがヤンの目はその挙動を完全に捉えていた。
「あの黒い艦隊が側面攻撃の準備を始めたね。分かりやすくて助かる。本人には絶対言わないけど」
アッテンボローの口元が緩む。
「言ったら怒って猛進してきますよ」
「だから言わない。アッテンボロー、ヘルクスハイマー艦隊が包囲を抜ける前に我々からあの黒い艦隊へ肉薄する。包囲は解かない。もっと深く敵をこちらへ誘い込め」
「了解。ビッテンフェルト提督にはこちら特製の歓迎料理を出しますか」
「機雷と電子攪乱の盛り合わせだ。食後の紅茶はなし」
「帝国には不評でしょうね」
「だろうね」
ヤン艦隊がわずかに後退の素振りを見せる。逃げるようにも誘うようにも見えるその微細な変化をラインハルトは見逃さなかった。
「今だ、主砲……斉射……!!」
その言葉が響いた瞬間、星図上の敵影の一部が霧散する。
「……!?しまった!敵のデコイか!?」
直後、轟音が宇宙空間を錯覚させるほどの振動となって伝わる。ビッテンフェルトの猛進がヤンの敷設した機雷源と電子攪乱の網に捕らえられたのだ。黒色槍騎兵の先頭集団が火花を散らし整然とした艦列が乱れる。そこへヤン艦隊の反撃が牙を剥いた。
「おのれヤン・ウェンリー!戦場に落とし穴を掘るとは武人の風上にも置けん!」
オイゲンが必死の形相で端末を操作し続ける。
「宇宙に穴はありません閣下!機雷です!」
「似たようなものだ!」
「違います!」
だがキルヒアイスは全く動じることなくコンソールを操っていた。
「……ラインハルト様、ご安心を。こんなこともあろうかとあらかじめ防御用無人艦を配置しておきました。直撃は免れます」
モニターの中で無人艦群がビッテンフェルト艦隊の側面へ滑り込み同盟軍の射線を遮断する。爆発の光が広がるものの黒色槍騎兵の壊滅的な被害は避けられた。
ラインハルトの瞳に歓喜の色が宿る。
「流石だ、キルヒアイス!」
ヒルダも静かに同意を示す。
「見事です」
キルヒアイスの顔に驕りはない。
「ラインハルト様の猛進される癖とビッテンフェルト提督の猛進される癖を同時に考慮するとこれくらいの保険は必要です」
ラインハルトの表情が微かに不満げに歪む。
「私をビッテンフェルトと同列にするな」
「方向性は違いますが速度は似ています」
「キルヒアイス」
「はい」
「あとで話がある」
「昼食のあとでお願いします」
ラインハルトは言葉を失う。
その沈黙を破るようにミュラーからの通信が割り込んだ。救出されたばかりの艦隊は満身創痍のはずだが彼の声には強靭な意志が宿っている。
「このまま負けてなるものか!!ボロボロの要塞から俺たちを救ってくれたローエングラム公のため恩返しをするぞ!!」
部下の切迫した声が響く。
「ミュラー提督、艦隊再編はまだ完全ではありません!」
「完全でなくても盾にはなれる!黒色槍騎兵に肉薄しようとしているヤン艦隊を後ろから潰せ!!」
「はっ!!」
黄色特戦隊という特異な名を背負ったミュラー艦隊が甚大な損傷を抱えたままヤン艦隊の後方へと圧力をかけ始める。装甲を剥がされた艦、砲門の半数を失った艦。それでも彼らの闘志が止まることはない。
「ミュラーもよく立ち上がった!!このまま逆に包囲を……!!」
だがその時、戦域の彼方から尋常ならざる加速で迫る艦隊が現れた。
◇◇
【同盟軍第五艦隊旗艦《リオ・グランデ》】
船体が限界の軋みを上げ火花を散らしながら宇宙空間を駆ける。
オペレーターの緊迫した報告が響く。
「敵第五艦隊!!凄まじい勢いで接近してきます!!このままでは中央を突破されます!!」
ビュコックは口元の葉巻を噛み直した。
「ヤンの小僧の理屈はもういい!!老い先短い老人の特攻、受けてみせい!!行けぇ!!」
副官の表情に焦りが浮かぶ。
「提督、特攻という単語は縁起が悪すぎます!」
「なら突撃じゃ!」
「それも十分危険です!」
「老人の言い換えに付き合う暇はないわい!」
第五艦隊が帝国軍の中央を抉るように突き進む。
「ケンプの回収は済んだか!?」
オペレーターが即座に応じる。
「はい!ケンプ提督を乗せた医療艦はすでに戦域を離脱!メルカッツ提督の残存部隊もマルガレータ元帥の保護下に入りました!!」
「よし!!ならば後顧の憂いはない!!」
翻るマントの軌跡が空気を切る。
「反撃だ!!総員、回頭!!ビュコックの第五艦隊を押し戻せ!!ここを抜けられるとヤンと挟み撃ちにされてミュラー艦隊の後方が撃たれるぞ!!死力を尽くせ!!」
艦橋内の緊張が一気に頂点へと達する。飛び交う命令、再構築される砲撃線、回頭を始める巨大な艦列。その喧騒の中心でヒルダがキルヒアイスの袖を密かに引いた。
「キルヒアイス提督」
キルヒアイスは戦術図から視線を外さずに応える。
「奥方様、いかがなさいました?敵の砲火が激しくなっております。お下がりを」
ヒルダの眼差しはラインハルトの背中へ向けられていた。
「もしかして閣下は朝から何も食べておられないのでは?」
キルヒアイスの間に僅かな沈黙が落ちる。
「……ええ。お恥ずかしながら」
「それに指揮の声にいつもの張りがありません。もしかしてまた少し熱が出ているのでは?」
「はい。微熱がぶり返しているようです。ですが戦場の極度の緊張で本人は高揚しておいでで熱に気づいていないということもあると思いますが……」
「とにかく食べさせないとダメです!」
「この戦闘はヤン・ウェンリーが相手です。簡単には終わりそうにないし長期戦になれば閣下が倒れてしまいますわ」
キルヒアイスの表情が引き締まる。
「わかりました。……ラインハルト様!」
ラインハルトは星図を睨んだまま鬱陶しげに応じた。
「何だキルヒアイス。敵の左翼が……」
キルヒアイスの手がラインハルトの肩を強く掴む。そこに在るのは親友ではなく保護者のごとき厳格さだった。
「ラインハルト!昼食です!しっかり食べないとダメです!!」
「キルヒアイス!今はいいところなんだ!!あとにする!」
「腹が減っては戦はできぬという古きことわざがあります!第一、最高指揮官である貴方が食べないと艦橋のオペレーターたちも気を遣って食事が取れないでしょう!!」
ラインハルトの視線が周囲を巡る。オペレーターたちが空腹を堪えつつ期待の眼差しでこちらを窺っていた。手にしたサンドイッチを口に運ぶタイミングを見失い硬直している者すらいる。
「……お前たち」
「閣下が召し上がらないと我々も何となく……」
「しかも先ほどからサンドイッチが乾いてきております」
ラインハルトは抗う術を失い静かに視線を落とした。
「……はい。わかった……」
ヒルダが手早くサンドイッチと薬そして水筒を差し出す。
「よしっ」
「ヒルダ、今ガッツポーズをしたな」
「しておりません」
「見たぞ」
「戦況確認のための拳です」
「何だそれは」
キルヒアイスが薬包を差し出す。
「ラインハルト様、薬も」
「キルヒアイス、私は子供ではない」
「子供ではない方は朝食を抜きません」
艦橋の士官たちは一様にモニターへ視線を釘付けにしている。だがその耳は間違いなく彼らのやり取りを捉えていた。
ラインハルトは不承不承サンドイッチを口へ運ぶ。戦場の中心で摂る昼食は帝国元帥の威厳を削るかもしれないが確実な体力を与えてくれる。
◇◇
【同盟軍第十二艦隊旗艦《ペルーン》】
ボロディンは罠の完成を確信していた。
「ヘルクスハイマー艦隊の誘い込みには成功したか?」
「はい!ウランフ提督とも示し合わせ陣形にわざと綻びを作りました」
「よし。我が艦隊を前後で分断されたように見せかけよ!突出してきたあのピンク色の艦隊をその袋のなかで窒息させてやるわ!」
「敵が乗れば包囲可能です」
「乗るさ。あの勢いならな」
◇
「閣下、敵第十二艦隊を分断することに成功しました。第十艦隊の脆い側面が見えます。このまま猛進を」
マルガレータの手元で扇子が鋭い音を立てて閉じられた。
「………全艦、急速後退!!」
オーベルシュタインが珍しく瞬きをする。
「罠ですか?」
「罠じゃ!!ボロディンがこんなにあっさり隙を見せるはずがない!それにメルカッツ提督たちの救出作戦が成功した今、我が艦隊が突出する必要はないのじゃ!」
彼女の意思は即座に艦隊全体へ伝播する。
「後退しヤン艦隊本体の牽制に戻る!桃色竜騎兵は餌に食いつく魚ではない。餌を見て針まで噛み砕く龍じゃ!」
オーベルシュタインは静かに頭を垂れた。
「……御意。見事なご判断です」
「ふふん。妾を誰だと思っておる」
「私の愛人です」
「そこを最初に言うな!」
「最重要情報かと」
ピンクの艦列が鮮やかな軌道を描いて後退する。ボロディンの緻密な罠は虚空を掴む結果に終わった。
ヤンはその挙動を確認し微かな疲労を滲ませた。
「あそこでしつこく攻撃をしてくれれば後ろからも包囲して完全に殲滅できたのに……。相変わらず動物的な勘のいい娘だ」
フレデリカの視線が戦局を追う。
「敵は一時の混乱から立ち直りつつあります。陣形が再構築されています」
ヤンはモニターの表示領域を拡大した。
「……しかしローエングラム公の艦隊の反応が鈍いのが気になるね。後半から精彩を欠いているように見える」
アッテンボローの表情に疑問が浮かぶ。
「疲労ですか?」
「それだけではないかもしれない。ヘルクスハイマー艦隊も急に後退したのはそのローエングラム艦隊の隙をフォローしているようにも見える」
フレデリカの推測が静かに落とされる。
「病気……でしょうか」
ヤンの顔に微かな忌避感が浮かぶ。
「そういう可能性もある。戦場で相手の体調不良を利用するのはあまり気分が良くないが」
「やるんですね」
「やるよ。気分の良さで戦争をしているわけではないからね」
◇
ボロディンの舌打ちが艦橋に響く。
「チッ。罠を見抜かれたか。相変わらず勘のいい娘だ」
「ヘルクスハイマー艦隊後退。こちらへの深追いを中止しました」
「ならば突出してきた敵の黒色槍騎兵を撃て!!奴らヤン総統の艦隊と殴り合って疲労の極致にあるはずだ!」
十字砲火を浴びた艦体が激しく震動する。ビッテンフェルトの怒号がコンソールを破壊せんばかりの勢いで響き渡った。
「おのれ!次から次へと小賢しい陣形を……!」
オイゲンが冷静さを保ちつつ全力で彼の制止に入る。
「閣下……!ここは一旦後退してローエングラム本隊と足並みを揃えませんと!突出は危険です!」
「ええい!せっかくヤン艦隊の側面を捉えるはずが……!」
「捉える前にこちらが捕まっています!」
「無念だが後退する!!」
「そのご判断だけで今日は勝利です!」
「勝利ではない!」
「黒色槍騎兵の生存勝利です!」
ビッテンフェルトは歯噛みしながらも後退の指示を下す。黒い艦隊がようやく前進を止め帝国本隊との距離を縮め始めた。
「厄介な猪の攻勢が収まったとなれば我々も後退して足並みをそろえるぞ。依然として敵はこちらの包囲下にあり無理をして追う必要はない。なんせ敵のほうが多いんじゃからな」
「数では不利なのに包囲しているとは妙なものです」
「戦場では数より位置じゃ。もっとも数も欲しいがの」
ヤンの声が全軍通信網に乗る。
「我々が狙うのはヘルクスハイマー艦隊ではない。精彩を欠いているローエングラム艦隊を狙え。決定的な砲撃は避け砲撃位置を細かくずらして嫌がらせのように削るんだ。……もし射線が見えるなら再編中のミュラーも狙え」
アッテンボローの口元が再び緩んだ。
「嫌がらせのようにというのが実に先輩らしい」
「正面から殴るには相手が硬すぎる。嫌がらせも立派な戦術だよ」
「帝国側に聞かせたいですね」
「聞かせたら怒るからやめてくれ」
ヤンの指示は陰湿なまでに効果的だった。ローエングラム艦隊の脆い部分を的確に突き砲撃位置を散らし通信網を乱し再編中の艦列へ絶え間ない圧力をかける。大打撃ではない。だが極限状態にある指揮官の精神を削り取るには十分すぎる戦法だった。
終わりの見えない砲撃の応酬の中、両軍の思惑が交錯し続ける。
戦場はまだ誰にも決定的な勝利を許そうとはしていなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
今回はガイエスブルク残骸宙域での大乱戦回でした。
ヤンの包囲戦術、ラインハルト陣営の救出戦、マルガレータやビッテンフェルト、ミュラーたちの動きについて、感想をいただけると嬉しいです。