銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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ガイエスブルク要塞跡宙域の戦いは、なおも続いていた。
帝国軍は救出を終え、反撃の機をうかがう。
だがその時、ラインハルトの身体に限界が訪れる。
戦場の勝機は失われ、そしてオーディンから届いた一通の命令が、マルガレータを新たな覇道へ押し出す。


死刑台より玉座を

【ガイエスブルク要塞跡宙域】

 

同盟軍の執拗な削り合いに、帝国軍は堪え忍んでいる。

 

焦げた金属とプラズマの匂いが仮想的に感じられるほどの激戦の中、帝国軍の陣形は未だ崩壊の兆しを見せていない。

 

ラインハルトの本隊、マルガレータの桃色竜騎兵、ビッテンフェルトの黒色槍騎兵、ファーレンハイトの水色水兵団、そして損傷を抱えながら再編を急ぐミュラーの黄色特戦隊。

 

それぞれの艦隊が限界を迎えつつも、血と鉄、そして緻密な計算が織りなす地獄の淵で踏みとどまっている。

 

ラインハルトの顔面から血の気は失せ、額には脂汗がにじむ。脈打つこめかみの奥で警鐘が鳴り響いている。

 

だが、その蒼氷色の瞳にはまだ烈火が宿っていた。それを少しでも認めてしまえば、傍らに控えるキルヒアイスとヒルダによって、有無を言わさず医務室へ連行されることを理解しているからだ。

 

「敵の砲火が乱れた!よし!ヤン艦隊の側面に全火力を叩き込む!反撃に移るぞ!!」

 

喉から絞り出された声は鋭利だが、かすれを伴っていた。

キルヒアイスは友の背中を見つめ、痛ましげに眉をひそめる。ヒルダもまた、微細な異変を感じ取っていた。

 

先ほど無理に流し込んだ軽食と鎮痛剤が、都合よく劇的な効果をもたらすはずもない。戦場特有の高揚感が、辛うじて彼の身体を立たせているに過ぎない。

 

「ラインハルト様、少しお下がりください」

 

「何を言う、キルヒアイス。ここが勝機だ。ヤン・ウェンリーが作った包囲の間隙が見えた。ここを叩けば」

 

ラインハルトの言葉は、唐突に途切れた。

 

強烈な悪寒が背筋を駆け上がる。視界の隅から戦術図の光芒が歪み、明滅する光点が二重、三重にブレていく。ヤン艦隊の位置を示す指標がにじみ、砲火の軌道が渦を巻く。

足の裏から床の感触が消え失せ、重力の法則から切り離されたような浮遊感が彼を襲った。

 

「……あれ?」

 

次の瞬間、世界が傾いた。

硬質な鈍い音が、艦橋の床から響き渡る。豪奢な金髪が純白の床に広がり、主君の崩れ落ちる様は、いかなる敵弾の直撃よりも凄惨な絶望を艦橋にもたらした。

 

「ラインハルト!」

 

「あなた!!軍医を!早く軍医を呼んで!!」

 

周囲の士官たちが呼吸を忘れ、思考を停止させる中、キルヒアイスは内なる動揺を抑え込み、指揮官としての責務を果たすべく声を張る。

 

「指揮系統を止めるな!指揮は私が取る!主砲管制は維持、敵の砲撃線をずらせ!ヒルダ様、軍医をこちらへ!」

 

「はい!」

 

ヒルダは意識を失ったラインハルトの手を両手で包み込みながら、コンソールに触れる。瞳には涙が滲んでいるが、震えのない指先が医療班への緊急回線を開いた。

 

帝国軍の挙動が、ほんのコンマ数秒、遅れた。

通常ならばセンサーの誤差として処理されるほどの、極めて微細な停滞。しかし、対峙しているのはあのヤン・ウェンリーである。魔術師は、敵の致命的な失策よりも、こうした小さな綻びを好んで食い破る。

 

通信モニターの向こうで、各提督たちも異変を察知していた。

 

「ん?どうした?ローエングラム公からの指示が途絶えたぞ??」

 

ビッテンフェルトが不審げに眉を寄せる。

 

「閣下、ブリュンヒルトの回頭が止まっています」

 

オイゲンが血相を変えて報告する。

 

「なぜだ!ここが突撃の好機ではないか!」

 

ファーレンハイトも自陣を整えながら、静謐な中に鋭い焦燥を滲ませた。

 

「ここが反撃のしどころではないか!何をしている!」

 

ミュラーは再編中のコンソールを見つめ、嫌な予感に唇を噛む。

 

「ローエングラム公の艦隊が止まった……?まさか」

 

「今だ!敵の指揮系統が麻痺している。敵の先端、ブリュンヒルト周辺にピンポイント射撃をかけろ!」

 

「了解。全艦、照準を絞れ!ローエングラム艦隊先端部へ集中砲火!ただし深入りするな、包囲線は崩すな!」

 

アッテンボローの号令が艦隊に響き渡る。

フレデリカは手元の端末から顔を上げ、緊張に強張った表情で尋ねる。

 

「総統、ブリュンヒルトそのものを狙いますか?」

 

「狙わない。いま旗艦を沈めれば、帝国軍が恐慌か狂乱に陥る。どちらも後始末が悪い。周囲を削って、戦う意志を折る」

 

同盟軍の砲列が火を吹き、ローエングラム艦隊の防御網を正確に抉り取る。高出力のビームが斜めから突き刺さり、無人防御艦が連鎖的に爆発して閃光を散らす。

 

「な……何をしておるか!ラインハルト!!なぜ撃ち返さん!!」

 

マルガレータは苛立ちから爪を噛み、コンソールを睨みつける。

通信画面が開き、そこに映し出されたキルヒアイスの顔には、かつてないほどの切迫した色が浮かんでいた。

 

「マルガレータ!!ラインハルト様が倒れた!!」

 

「なんじゃと!!」

 

「すごい高熱だ!!とても指揮を取れるような身体ではない!!申し訳ない、全軍の指揮ができない!!」

 

通信の背後からヒルダの声が重なる。

 

「意識は戻りましたが朦朧としています!今は無理に指揮を取らせられません!」

 

「くっ!指揮は全軍、3長官たるこの妾が引き継ぐ!!」

 

オーベルシュタインは感情の読めない指先で、流れるように端末を操作する。

 

「全軍指揮権、マルガレータ閣下へ移行。各艦隊へ通達します」

 

「しかし……この状況で最高指揮官が倒れては、勝てるものも勝てぬわ!!」

 

マルガレータは戦術図を睨む。自軍の救出は完了しつつあるが、勝機はすでに手のひらからこぼれ落ちている。ここで無理な抵抗を続ければ、ローエングラム艦隊を起点に包囲網が完成してしまう。

 

「全艦、撤退を!!殿は妾の艦隊が務める!!ミュラー、ビッテンフェルト!ブリュンヒルトを護衛して後退せよ!!」

 

ビッテンフェルトから抗議の通信が入る。

 

「撤退だと!?ここで退けというのか!」

 

「黒猪!今は獅子が倒れておるのじゃ!猪が吠えている場合か!!」

 

「黒猪とは何だ!」

 

ビッテンフェルトの怒りを、オイゲンが制止する。

 

「閣下、反論は後で!今は命令に従ってください!」

 

ビッテンフェルトは血が滲むほど拳を握りしめ、通信越しにもその無念さが伝わってきた。

 

「ええい!ブリュンヒルトを護れ!黒色槍騎兵は盾ではないが、今日だけは盾になれ!」

 

「黄色特戦隊、ローエングラム艦隊の後衛を支える!損傷艦は内側へ、動ける艦は外へ出ろ!今日だけは色で目立つのも役に立つ!」

 

「提督、自らおっしゃいましたね!」

 

「うるさい!記録から消せ!」

 

「水色水兵団、撤退路を確保する。……この呼称は後で正式に抗議する」

 

マルガレータの口元に、わずかな笑みが漏れる。

 

「抗議は生きて戻ってから聞いてやる!」

 

桃色竜騎兵が殿として前線に残る。

視界を覆うほどの砲火が彼らに集中するが、そのあまりにも目を引く艦体色が、結果的に友軍への射線を逸らす役割を全うしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【同盟軍総旗艦ヒューベリオン】

 

「帝国軍、後退を始めます。ヘルクスハイマー艦隊が殿を務めています」

 

フレデリカの報告を受け、ヤンは戦術図の推移を黙然と見つめる。

 

「退くのかい?」

 

追撃の指示を出せば、敵の中枢を完全に破壊できるかもしれない。

 

「総統!追撃すれば、帝国本隊に致命傷を与えられます!」

 

「与えられるかもしれない。だが、こちらもかなり削られる。ヘルクスハイマーが殿に立つなら、あの娘は死ぬまで噛みついてくる。しかも噛みつく力が強い」

 

アッテンボローが皮肉げに口角を上げる。

 

「桃色なのに猛犬ですね」

 

「猛禽かな」

 

「どちらにしろかわいくない」

 

「我々は反転する。……このままイゼルローン回廊へ戻り、ファルケンハインと対峙しているホーランド元帥たちを援護する。ファルケンハインを叩くんだ」

 

「またトリニティ・クロワッサン・ボトムですか」

 

「正式名称を口にすると頭痛がするからやめてくれ」

 

ビュコックの通信回線が繋がる。老将の顔には疲労が刻まれているが、双眸の光は衰えていない。

 

「よし。あの猪にファルケンハインを一人で任せるのは確かに不安じゃからな。ヤン総統に続け!」

 

「ビュコック提督、猪はホーランド元帥のことですか」

 

「他に誰がおる」

 

「否定できませんね」

 

ボロディンが通信に割り込む。

 

「念のため、このガイエスブルク宙域の回廊出口は、大量の機雷で完全に封鎖しておけ。これで奴らは、しばらくこちらへは来られまい」

 

「お願いします。機雷の配置は嫌らしく。見える機雷と見えない機雷を混ぜてください」

 

「実に総統らしい注文だ」

 

「褒めないでください。自分でも陰険だと思っています」

 

「戦場では褒め言葉だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かろうじて帝国領内の軍事基地に帰投したマルガレータは、疲労の極致にあった。

安堵の息を吐く間もなく、オーディンから直通の超光速通信が入る。

 

画面に映し出された内務尚書アナスタシアの姿を見た瞬間、室内の空気が張り詰めた。その瞳は冷酷なまでの透明度を持ち、見つめられるだけで喉元に刃を突きつけられているかのような錯覚を覚える。

 

マルガレータは居住まいを正し、敬礼する。

 

「アナスタシア閣下。こちらは戦線を一時後退し、再編中です。ローエングラム公は急病により」

 

「ヘルクスハイマー元帥。直ちにオーディンに出頭しなさい」

 

「……は?」

 

「言葉通りの意味です。多大な戦力を持ちながらの敗戦、および要塞の喪失は、指揮官の責に帰するところです。……直ちにオーディンに出頭するように」

 

「何をおっしゃるか!!それはどういう意味じゃ!!」

 

「言葉通りの意味です」

 

「まだ負けてはおらぬ!総司令官の急病により、一時後退して戦線を立て直しただけであろう!これから反撃に出るのじゃ!」

 

「言い訳は無用です。決定事項です。ヘルクスハイマー元帥、ローエングラム公爵、キルヒアイス上級大将、オーベルシュタイン上級大将、ヒルデガルド工部尚書は、直ちに軍の指揮権を委譲し、オーディンに出頭して裁きを受けなさい」

 

「待たれよ!!ファルケンハイン閣下は!?宰相閣下はなんと……!!」

 

通信は、返答を待たずに切断された。

黒く染まったモニターを見つめながら、マルガレータは己の頬に冷たい汗が伝うのを感じていた。

 

怒りは急速に冷え、底知れぬ恐怖が全身を侵食していく。あの眼差しは、形ばかりの査問ではない。明確な殺意を持った粛清の宣告だ。

 

覚束ない足取りで通信室を後にしたマルガレータの前に、義眼を妖しく光らせる男が立っていた。

 

「オーベルシュタイン……妾は……妾はどうすれば良い?どうすればこの理不尽な疑いが晴れるかのう?」

 

彼女は無意識のうちに、すがるような視線を向けていた。

オーベルシュタインの薄い唇が、弧を描く。

 

「閣下……御運が開けましたな」

 

「……は?」

 

「御運が、ついに開けましたと申し上げております」

 

マルガレータの奥底に、再び怒りの火が灯る。

 

「ふざけるな!妾達はこれからオーディンに呼び出され、まず間違いなく銃殺されるのだぞ!あの女の目は本気じゃった!!」

 

「ええ、その通りです。オーディンに戻れば、我々は罪を着せられ、死あるのみ。……ですが」

 

「今、ヤン・ウェンリーがイゼルローン方面へ反転したことで、我々の目の前にあるフェザーン回廊はガラ空きです」

 

マルガレータは呼吸を忘れた。

 

「そして、同盟軍の主力の目は、ファルケンハイン宰相の艦隊に完全に釘付けとなっている。……であれば」

 

「………妾には、お前が何を言ってるのかわからん。わからんぞ!!それは軍令違反……いや、反逆じゃ!」

 

「……ではなぜ、閣下は笑っておられるのですか?」

 

マルガレータは弾かれたように自身の頬に触れる。

 

「え?はは……あれ?ハハハ……」

 

恐怖の奥底から、抗いがたい歓喜が這い上がってくる。

前方に広がる無防備なフェザーン。

 

死刑台という名の絶望が、皮肉にも彼女を全宇宙の覇権へと続く橋の上へ押し出していた。

 

「妾は……笑っておるのか」

 

「はい」

 

「この状況で?」

 

「この状況だからこそです」

 

「ご自身の本能はお気づきになられたはずです。オーディンに戻れば死。……ですが、このままフェザーンを突いて占領すれば?」

 

「……このままフェザーンを突き、占領する」

 

「そして……無防備な同盟領の奥深くに、我々がなだれ込めば……」

 

「ヤン・ウェンリーと同盟軍は、ファルケンハインとの激突の真っ最中。……妾が同盟の中枢、ハイネセンを落とし、帝国とヤンの激突を尻目に、漁夫の利を得る……」

 

脳裏に鮮明なビジョンが浮かび上がる。

 

「閣下……ご決断を。我々が生き残るには、そして閣下が全宇宙を手に入れるには、それしか道はございません」

 

「全宇宙……」

 

「それに……我々がここで犬死にすれば、あの心優しいファルケンハイン宰相閣下も、後で真実を知って悲しまれますぞ」

 

マルガレータは目を閉じ、葛藤と向き合う。

 

「しかし……二度も閣下を裏切るなど……」

 

「これは裏切りではありません!」

 

オーベルシュタインの声が、珍しく熱を帯びる。

 

「先に相手が、我々の頭に銃を突きつけてきたのです!正当防衛です!」

 

「正当防衛でフェザーンを取るのか?」

 

「正当防衛の範囲が少々広いだけです」

 

それでも、彼女の中にあった迷いは霧散していた。

生存本能、大義、そして覇道への渇望が、一つの強烈な意志へと結実する。

 

「………………。艦隊を再編し、フェザーン回廊へ向かう!!」

 

オーベルシュタインは恭しく頭を垂れる。

 

「閣下……!我が主君!!」

 

「勘違いするな、オーベルシュタイン。ファルケンハイン宰相閣下は今、イゼルローン方面で苦戦しているはずだ。……しかし、我々がフェザーンを突いてハイネセンまで肉薄すれば、同盟軍は侵攻どころではなくなり、兵を引くはずじゃ」

 

「はい」

 

「我々のこの単独行動は、結果的に帝国の利益となり、宰相閣下をお救いすることになる!」

 

「その通りにございます」

 

「………そうだ!妾は帝国元帥であるからに!!」

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

「全艦、フェザーンへ向けて進発せよ!!」

 

その号令は、瞬く間に全艦隊へ伝播した。

 

「フェザーンへ向かうだと!?面白い!黒色槍騎兵はいつでも突撃できるぞ!」

 

「閣下、まず損傷確認を!」

 

「損傷など勢いで補え!」

 

「補えません!」

 

ファーレンハイトが冷静な指摘を挟む。

 

「これは軍令違反では?」

 

「帝国のための超法規的軍事行動じゃ!」

 

マルガレータは一切の迷いなく言い放つ。

 

「便利な言葉ですね」

 

「今覚えた!」

 

ミュラーの顔には、隠しきれない疲労の色が浮かんでいた。

 

「ヘルクスハイマー元帥、本当に行かれるのですか」

 

「黄色特戦隊は不満か?」

 

「不満というより、気が重いです」

 

「慰労は後でしてやる!今はフェザーンじゃ!」

 

もはや、彼女の目に迷いはなかった。

 

「進むぞ。フェザーンへ。同盟の喉元に爪を立てる。オーディンに戻れば死ぬなら、妾は前へ出る。死刑台より玉座のほうが似合うからな」

 

アナスタシアの冷酷な宣告は、意図せずして銀河最凶の猟犬を解き放ち、少女にルビコン川を渡らせた。

 

歴史の歯車が、狂おしいほどの熱を帯びて回転し始める。

この一歩が、全てを飲み込む激流となることを、まだ誰も知らない。




ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
今回はラインハルトの戦線離脱、マルガレータの撤退、そしてフェザーン進撃決断までを描きました。
ヤンの判断、アナスタシアの粛清宣告、マルガレータとオーベルシュタインのやり取りについて、感想をいただけると嬉しいです。
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