銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

213 / 220
イゼルローン回廊を抜けたホーランド艦隊は、帝国辺境星域を席巻していた。
そこへ現れたのは、アルブレヒト率いる帝国本隊。
奇才ホーランドと宰相ファルケンハインが激突する中、銀河の盤面を揺るがす報せが届く。
フェザーンで、何かが起きていた。


盤面は三つに割れた

【帝国辺境星域】

 

 

イゼルローン回廊を突破した同盟軍ホーランド艦隊は、帝国辺境星域の深部へと刃を突き立てていた。

 

ホーランド元帥の旗艦《エピメテウス》を中心とした艦列は、占領というよりは挑発を目的とするかのような速度で進撃を続ける。周辺の小規模な防衛拠点は次々と沈黙を強いられ、帝国側の通信網には修復不可能な混乱が広がっていく。

 

辺境の駐留部隊も決死の抵抗を試みるが、正規の主力艦隊を正面から押し留められるはずもない。ある補給港は無傷のまま接収され、別の哨戒基地は通信施設のみを正確に焼かれて機能を停止した。

 

ホーランドは自らの行為を占領とは呼ばない。敵の舞台装置を一時的に拝借するだけだと豪語する。現場の兵士たちにしてみれば、日常的な拠点制圧業務以外の何物でもないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

唐突に空間が歪み、大規模なワープアウト反応が星図を塗り替えた。

現出した艦影は二万。陣列の中心に座すのは旗艦《ロンゴミニアド》。

 

銀河帝国宰相、アルブレヒト・フォン・ファルケンハインが率いる本隊の到着である。

スクリーンに瞬く敵艦隊の識別信号を見つめ、アルブレヒトは眉間へ指を押し当てた。

 

「ヤン・ウェンリーじゃないだと……?ホーランドとはな……」

 

彼が全軍を率いて急行した理由は、魔術師ヤンがイゼルローン方面から本格侵攻を仕掛けてくると予測したからだ。だが、待ち受けていたのは芸術家を自称する奇才である。

 

「なぜあの奇人元帥が、こんな辺境をウロウロしているんだ。……一体、ミッターマイヤーはどうしたと言うのだ。イゼルローン要塞で何があった」

 

副官の応答が響く。

 

「現在もミッターマイヤー元帥との通信は途絶状態です。イゼルローン方面の中継網も不安定化しております」

 

通信途絶。戦場においてそれは、撃破、撤退、電子妨害、裏切りのいずれかを意味する。楽観的な観測を抱くほど、彼は現状を甘く見てはいなかった。

ヤンがイゼルローンを抜いたのか。あるいは未曾有の事態が発生したのか。

 

「……どちらにせよ、ホーランドがここにいる以上、同盟軍は辺境を食い荒らす気だ」

 

「敵別働隊の一部が、すでに周辺星域へ散開しています。本隊は我々と接触する意思を示していますが、全軍をこちらへ向けているわけではありません」

 

「つまり、ホーランドは俺を足止めする気か」

 

「その可能性が高いかと」

 

正面で派手に立ち回るホーランド。その背後で、実務的に星域を押さえていく別働部隊。奇矯な男の艦隊にしては、目的が妙に整理されている。

 

「相手はヤンではない。だが油断はできん。ホーランドは奇人だが無能ではない。奇人で有能な奴は、普通の有能より厄介だ」

 

参謀が同意を示す。

 

「敵艦隊、速度を落としません。こちらと交戦する意思ありと見ます」

 

「当たり前だ。あの男なら、俺を見て引くより喜ぶ」

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

【ホーランド艦隊旗艦 エピメテウス】

 

予想通りの展開を前に、ホーランドは指揮杖を天へと突き上げた。

顔に張り付いているのは狂喜に近い笑み。艦橋の士官たちは高揚する指揮官を見ても動じない。むしろ静まり返るホーランドのほうが、彼らにとっては恐怖の対象であった。

 

「ガハハハ!!見よ!あの見事な流線型の旗艦を!!あれぞ帝国宰相ファルケンハインの乗艦だ!!」

 

モニター越しの《ロンゴミニアド》を指し示す。

 

「まさか辺境の制圧で、これほどの大物に遭遇できるとはな!!これは天が俺に与えた舞台だ!」

 

副司令官モートンは冷静に戦術図の解析を続ける。彼はホーランドの横で、荒ぶる才能を現実の軍務へと繋ぎ止める役割を担う男である。

 

「元帥。敵は二万。こちらは現時点では互角ですが、敵は宰相直率の精鋭です。無理な突撃は危険です」

 

「危険でなければ芸術ではない!」

 

「軍務上は、危険でないほうが望ましいです」

 

「分かっている。だが相手はファルケンハインだ。中途半端な手は通じん。全軍へ号令!」

 

通信士が全艦隊への回線を開く。

ホーランドが指揮杖を振り下ろした。

 

「全艦、芸術の極致を見せつけよ!!ファルケンハインは大物だ!出し惜しみはなしだ、一気に仕留めろ!ル・マン・トルネード・アタックだぁぁぁ!!」

 

艦隊が躍動する。単純な横列でも縦列でもない。複数の分艦隊が螺旋を描くように突き進み、速度差を生み出しながら回転し、外縁の部隊が内側の部隊を追い越していく。流体の渦のごとき機動であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ロンゴミニアド】

 

スクリーンに映し出される光景に、帝国軍のオペレーターたちが言葉を失う。

 

「敵艦隊、螺旋軌道で接近!」

 

「軌道予測、困難です。外縁部が高速、中央部が遅延、砲撃線がずれています!」

 

「……なんだあの動き。バカなのか?」

 

応える者はいない。

 

「……物理の法則を教えてやれ」

 

「ファイエル。相手がホーランドだからといって、絶対に油断するなよ。あいつの奇策や、常識外れの無理な機動には付き合うな」

 

砲術士官がコンソールを叩く。

 

「主砲、照準固定。突出部隊へ集中します」

 

「突出してきた部隊にのみ砲火を集中させる。その他は安定して距離を取り、確実に削る。敵の全体像を追うな。部分だけを殺せ。これが奴への一番嫌がる対策だ」

 

帝国艦隊の反撃は堅実だった。敵の渦に巻き込まれるような愚は犯さない。螺旋軌道の外縁で一瞬だけ前へ出た同盟艦群へ、正確無比な火線が集中する。敵の回転に合わせるのではなく、突出した部分だけを機械的に切り落としていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

砲撃の余波がエピメテウスの船体を揺らす。

 

「外縁第二群、損害!」

 

「第三群、射線から離脱!」

 

ホーランドは退屈そうに指揮杖を回した。

 

「ふん……。つまらん戦い方をするな。あのファルケンハインは、もっとド派手な奇策を好む男だと思っていたが……。まるでビュコック提督のような堅実さだ」

 

「彼が奇策を弄していたのは、内戦前、常に寡兵を率いていた時代によく見られます。今は帝国宰相です。おそらくは、我々が一番嫌がること、つまり持久戦に持ち込んでこちらの疲労とミスを誘う……ということでしょう」

 

「なるほどな。大人になったというわけか」

 

「あるいは、立場が彼を大人にしたのでしょう」

 

「ならば、その大人を舞台へ引きずり出すまでだ」

 

ホーランドは口角を上げるが、声から先ほどの浮かれた調子が消え失せている。彼もまた、己の役割を理解していた。アルブレヒトが安定した戦術を選んだ理由を正確に見抜いている。

 

「カールセンに、あまり前に出るなと伝えろ。援軍が来るまでは無理をせん。アッテンボローとパエッタには、辺境星域の占領と奪取を続けさせろ」

 

モートンが同意する。

 

「承知しました。ファルケンハイン艦隊をここで拘束し、別働隊に戦果を稼がせるのですね」

 

「そうだ。俺が芸術を見せる場所は、必ずしも勝利を飾る場所とは限らん。観客を足止めできれば、それも舞台の役割だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

敵の機動の変化を、アルブレヒトは見逃さなかった。

 

「ふん……。どうやらあの猛牛は、忍耐とか自制とか、そういう人間らしき物を身につけたようだ」

 

参謀が数値を読み上げる。

 

「敵の前進速度、低下。突出を避け、射程限界での牽制に移っています」

 

「こちらも援軍を待つか。ルッツとワーレンは急がせろ。ホーランド単体なら押し切れるが、無理に削ればこちらも痛い。今は辺境全体が崩れるほうがまずい」

 

言葉を区切り、再び問う。

 

「それにしても、ミッターマイヤーとはまだ連絡が取れないのか」

 

「はい……未だ通信途絶状態です」

 

オペレーターの報告を遮るように、新たな警報が艦橋に鳴り響く。

 

「閣下!報告!!同盟軍に新たな艦隊がワープアウトしてきます!!」

 

「数は」

 

「識別中……これは……同盟軍第七艦隊、ホーウッド!さらに第九艦隊、アル・サレムです!!合計およそ3万!!」

 

「チッ。これで完全に三倍の敵を相手にする……か」

 

参謀の一人が硬直した声を発する。

 

「通常戦では包囲されます。後退しますか」

 

「後退すれば、辺境星域を食い荒らされる。かといって正面から殴り合えば、数で押し切られる」

 

アルブレヒトは指揮座から立ち上がる。

 

「全艦へ」

 

通信回線が開く。

 

「全艦!!我々はこれより、敵艦隊の懐へ突撃する。十隻単位の小集団に分散し、敵陣へ肉薄せよ。浸透突撃だ」

 

一瞬の静寂。直後、帝国軍将兵の間に熱が伝播する。

 

「浸透突撃……!」

 

「出たぞ!!ファルケンハイン宰相閣下の、伝説の浸透突撃だ!!」

 

「閣下が本気になられたぞ!!続けぇぇ!!」

 

通信越しに響く歓声を聞いても、アルブレヒトの表情は微動だにしない。

 

「浮かれるな。伝説で勝てるなら、軍人はいらん。各小集団は互いの距離を見失うな。敵の中心へ入ることが目的ではない。敵に、どこを撃てばいいか分からなくさせることが目的だ」

 

帝国艦隊が凄まじい速度で細かく分裂していく。十隻単位の小集団が、それぞれ異なる角度から同盟軍の陣形へ食い込もうとする。通常の艦隊戦において自ら陣形を崩すのは自殺行為に等しい。だが、三倍の敵を相手に正面から陣形を保つこともまた等しく自殺であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その光景に、ホーランドは目を輝かせた。

 

「ほう!数的劣勢を悟ると、すぐに自ら陣形を崩しての奇策か!やはりそれでこそファルケンハインだ!面白い!!」

 

モートンが問いかける。

 

「私は初めて対峙いたしますが、閣下は彼と経験がお有りで?」

 

「ああ。アイツとはイゼルローンで二度、ティアマトで一度対局させてもらっている。あの時は出し抜かれたが、今回こそは決着をつけてやる」

 

「いかが対処いたしますか」

 

「ホーウッドとアル・サレムには、遠距離からの射撃に限定して、砲撃も最低限にさせろ!ファルケンハインの狙いは乱戦だ。無理やりに小規模な戦闘を繰り返しつつ、我が軍のど真ん中で再集結を図って指揮系統を麻痺させる戦法だ!」

 

「なるほど。小集団を無理に追えば、こちらの艦隊単位の統制が乱れる」

 

「そうだ。だから追うな。吸い込め」

 

「吸い込む、ですか」

 

「我がホーランド艦隊は、芸術的艦隊運動により、敵の小集団を柔軟に包み込むアメーバ・アタックを仕掛ける!敵の浸透を吸収し、消化してしまえ!ゆけ!!!」

 

モートンは静かに瞼を伏せた。戦術的な意図は正確に理解できる。だが、名称が致命的だった。この作戦名を公式な軍務文書に記載する未来を想像すると、深い徒労感に襲われる。

 

「了解しました。アメーバ・アタック、発動します」

 

「もっと誇りを持って言え!」

 

「作戦としては誇ります」

 

「名前にも誇れ!」

 

「努力します」

 

同盟軍が柔軟に形を変遷させる。ホーランド艦隊が薄い膜のように展開し、小集団ごとに入り込む帝国艦隊を包み込もうとする。ホーウッド、アル・サレム両艦隊は遠距離から火線を絞り、深追いせずに圧力をかけ続ける。帝国の浸透突撃は、敵の内側へ食い込むはずが、粘性の高い液体へ沈むように前進速度を奪われていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「チッ、これではあまり効果がないな。ホーランドのくせに、的確に嫌な対処をしてくる」

 

「小集団の一部が包囲されつつあります」

 

「救出に向かうな。近くの集団同士で射線をつなげ。中央で再集結する前に食われるぞ」

 

「はっ!」

 

「全艦、ランダム回避!《ロンゴミニアド》が前に出る!俺が直々に風穴を開けてやる!」

 

参謀の表情が強張る。

 

「旗艦を前に出されるのですか」

 

「出さなければ詰む。陽電子砲一番、二番!!てぇぇぇーーー!!」

 

《ロンゴミニアド》の主砲が閃光を放つ。極太のエネルギービームが同盟軍の中央を薙ぎ払う。艦橋の照明が砲撃の反動で一瞬暗転し、星の海を白い暴力が横切っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホーランドは目を見開くが、直後に笑みを深める。

 

「読めているわ!!全艦、緊急回避!!」

 

同盟艦隊がまるで引き裂かれるように左右へ流れる。アルブレヒトの砲撃は、戦場の中央に巨大な光の軌跡を残すが、肝心の敵主力を捉えきれない。

 

「被害報告!!」

 

「……完璧です。被害はほぼありません!」

 

「はっはっは!今日こそは俺が勝つ!!あのファルケンハインに土をつけてやるわ!」

 

その時、オペレーターの切羽詰まった声が響いた。

 

「緊急入電!!ヤン総統からの最重要通信、極秘回線です!!」

 

「……何?戦闘中だぞ。まわせ」

 

モニターにヤン・ウェンリーの姿が映し出された。画面越しの彼は疲労困憊の様子であった。深く被ったベレー帽の下には、戦場と政務、そして慢性的な紅茶不足がもたらした深い隈が刻まれている。

 

「ホーランド提督、お疲れ様です」

 

「現在進行系で疲れている最中だがな。何の用だ?今はとても忙しい。もう少しでファルケンハインの首が取れる」

 

「本当に申し訳ないが……今すぐに撤退です。占領星域の防衛ラインまで下がってください」

 

ホーランドの思考が一時的に停止する。

 

「……何?」

 

ヤンは音声を切り、暗号化された文字列を画面に表示させた。

 

『フェザーンが敵に占領されました』

 

ホーランドの目が見開かれる。モートンも端末の文字を凝視している。

 

「……なに」

 

ヤンの文字が続く。

 

『ヘルクスハイマー元帥です。あのやられようでは、オーディンに呼び戻されて失脚する……と思ったのですが、私の見通しが甘かった』

 

ホーランドは瞬時に状況を理解する。フェザーンが落ちる。それは同盟本国への直通路が開かれることを意味する。ヤン本隊はイゼルローン方面から動く必要がある。ホーランド艦隊がここでアルブレヒトを討ち取ったとしても、ハイネセンを失えばすべてが水泡に帰す。

 

「今、本国にはクブルスリーしかおらん。そういうことだな」

 

ヤンが音声を戻す。

 

「はい。私は直ちに、イゼルローンから同盟本国へ急行し、敵を迎え撃ちます」

 

ホーランドの顔から先ほどまでの熱が消え失せる。残ったのは、冷徹な軍人としての判断力だけだ。

 

「わかった。ならば、この占領星域は俺に任せておけ。何かオーダーはあるか?」

 

ヤンが短く応じる。

 

「負けないこと。奪還されないこと。……撤退となれば士気が下がる以上、戦意は高揚させてください。しかし、そこでは決して決戦をしてはいけません」

 

ホーランドは呆れたように息を吐く。

 

「……勝たずに負けず、戦わずに戦意を保て、だと?不敗の魔術師に不敗を行えと命じられるとはな。トンチだな」

 

「すみません」

 

「謝るな。分かった。俺の芸術的指揮に任せておけ」

 

「芸術は少なめでお願いします」

 

「それは聞けんな」

 

「そこは聞いてほしかった」

 

通信が切断される。

ホーランドが指揮杖を下ろした。艦橋の将兵の視線が彼に集まる。

 

「全艦、後退する」

 

「元帥、今ならまだ」

 

「今ならまだ、だ。だから退く。勝ちかけている時ほど、命令に従わねばならん」

 

モートンが静かに頷いた。

 

「占領星域の防衛ラインまで後退。敵を誘い込まず、戦力を温存します」

 

「そうだ。だが、ただ逃げるな。美しく退け。ファルケンハインに、我々が敗走したとは思わせるな。秩序ある退却こそ、最も難しい芸術だ」

 

同盟軍が突如として見事な統制で後退を開始する。ホーランド艦隊は柔軟な膜をほどき、ホーウッド、アル・サレム両艦隊と足並みをそろえ、射線を保ちながら距離を稼いでいく。攻勢から防御的退却への切り替えは異常なほど速い。あの奇矯な男の艦隊とは思えないほど、計算し尽くされた秩序があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ロンゴミニアド】

 

「……同盟軍が撤退する?なぜだ。こちらが圧倒的に不利だったはずだ」

 

ホーランドは勝ちを捨てる男ではない。まして、ファルケンハインの首が見えていると本人が確信している状況ならなおさらだ。

 

「同盟本国で何があった」

 

オペレーターの報告が響く。

 

「不明です!!敵艦隊、統制を保ったまま占領済み星域方面へ後退中!」

 

「追うな」

 

「罠の可能性がある。こちらは三倍の敵に絡まれている状態だったんだ。追った瞬間に反転されれば、こちらが食われる」

 

「はっ!」

 

その時、大規模なワープアウト反応が検知された。

 

「閣下!!前方より大規模なワープアウト反応!……これは!ミッターマイヤー元帥です!ミッターマイヤー元帥の艦隊のワープアウトを確認!数、およそ二万隻!!」

 

アルブレヒトの全身から、初めて緊張が抜け落ちる。彼は重い身体を指揮座へ預けた。

 

「……無事で何より……だが、遅かったな。これでは疾風の名が泣くぞ」

 

それは皮肉であり、深い安堵の裏返しでもあった。

通信モニターに、沈痛な面持ちのミッターマイヤーが映し出される。彼は深く頭を垂れた。

 

「申し訳ありません。……イゼルローンが、ヤンの奇策により陥落いたしました。要塞を盾にすることもできず……這々の体で退却して参りました」

 

イゼルローン陥落。これ以上ない屈辱である。要塞司令官にとって、それは自らの軍歴に深く刻まれる致命的な失点となる。

ミッターマイヤーは顔を上げない。

 

「責はいかようにも。私が要塞を守れなかったことに、弁明はありません」

 

アルブレヒトは静かに目を閉じた。

沈黙が降り積もる。

 

「そうか」

 

まっすぐにミッターマイヤーの姿を見据える。

 

「無傷で二万艦隊と多くの将兵を連れ帰った。その判断は間違っていない」

 

ミッターマイヤーの肩がわずかに震えた。

 

「しかし、閣下……」

 

「イゼルローン要塞は失った。だが、卿の艦隊は残った。将兵も残った。ならば、後日の勝利で償える」

 

アルブレヒトは全艦隊通信のスイッチを入れる。

 

「俺が帝国宰相として、ミッターマイヤー元帥のイゼルローン失陥の責任を一切問わないことを、ここに宣言する」

 

帝国艦隊の全域に、静かな衝撃が走る。敗戦の責任を問わない。しかも全軍の面前で明言する。それはミッターマイヤーだけでなく、彼に従って退却してきた全将兵を救済する言葉でもあった。

 

「要塞は奪い返せる。だが、死んだ兵は戻らん。卿は戻すべきものを持ち帰った。恥じるな。次に勝て」

 

ミッターマイヤーは感極まったように声を震わせた。

 

「……ありがとうございます。閣下。このご恩は、必ずや戦果にて……!」

 

「期待している。だが、その前に状況を説明しろ。ホーランドが突然退いた。同盟本国で何か起きている」

 

「……ですか」

 

「そうだ。ヤンがホーランドを退かせるほどの事態だ。単なる補給問題ではない」

 

その時、別回線からの割り込みが入る。情報部からの緊急報告であった。

 

「閣下……フェザーン方面より断片通信を傍受。詳細不明ながら、ヘルクスハイマー元帥の艦隊がフェザーン回廊へ向かった可能性があります」

 

「……マルガレータが?」

 

ミッターマイヤーも息を呑む。

 

「まさか、独断で」

 

アルブレヒトは言葉を発することができなかった。

 

ホーランドが退いた理由。

ヤンからの命令。

ミッターマイヤーの遅参。

イゼルローン失陥。

フェザーン方面の断片通信。

 

すべての事象が、一本の線に繋がっていく。

 

「……アナだな」

 

誰に聞かせるでもなく、アルブレヒトは独りごちた。

 

「いや、まだ断定はできん。だが、あの娘がフェザーンへ向かったなら、ただの軍事行動ではない。追い詰められたか、焚きつけられたか、あるいは両方か」

 

「ホーランドを追わなかったのは正解だ。こちらも、戦場そのものが変わった」

 

「いかがなさいますか」

 

正面には後退するホーランド。こちらには合流したミッターマイヤー。遠くフェザーンでは、マルガレータが致命的な何かを始めている可能性がある。そしてヤンは、間違いなく同盟領へ向けて駆けている。

 

「まずはこの辺境戦線を固める。ホーランドは決戦を避けるつもりだ。奴はヤンに命じられたのだろう」

 

ミッターマイヤーの口元に、かすかな苦笑が浮かぶ。

 

「ヤン・ウェンリーらしい命令ですな」

 

「ああ。実に腹が立つ」

 

「ミッターマイヤー、卿の艦隊を再編しろ。ルッツ、ワーレンと連絡を取り、この正面を維持する。俺はフェザーン方面の情報を確認する」

 

「はっ」

 

「そして、もう一度言う」

 

アルブレヒトは画面越しのミッターマイヤーを見つめる。

 

「卿の判断は間違っていない。生きて戻った者だけが、次の戦場を変えられる」

 

ミッターマイヤーは深く、力強い敬礼を返した。

 

「はっ。疾風の名にかけて、次は遅れません」

 

「頼む。今回は本当に少し遅かったからな」

 

「……返す言葉もございません」

 

「冗談だ」

 

イゼルローンは落ちた。フェザーンで何かが起きている。ホーランドは退き、ヤンは反転し、マルガレータはおそらく運命の橋を渡る。

 

「まったく……」

 

アルブレヒトの呟きが、静かな艦橋に溶けていく。

 

「俺はただ、怠けたかっただけなんだがな…だが、このまま行けば…」

 

誰も応える者はいない。




ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
今回はホーランド艦隊とアルブレヒト艦隊の対峙、そしてフェザーン陥落の報せを受けた戦局転換の回でした。
ホーランドの退却判断、アルブレヒトのミッターマイヤーへの対応、今後の三方面戦の流れについて、感想をいただけると嬉しいです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。