銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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ハイネセンを占領したマルガレータは、戦闘ではなく統治という新たな難題に直面する。
一方、ビッテンフェルトとファーレンハイトは、彼女の行動が反逆なのか、帝国への忠誠なのかを問う。


偽りの玉座、真なる覇道

【ハイネセン】

 

無人の巨大スクリーンから放たれる白い照明が、少女の纏う鮮やかなピンク色のマントを冷ややかに照らし出していた。

 

ここはかつて、同盟軍の心臓部であった場所。

 

巨大な司令室には、壁面に掲げられた戦術表示や、ヤン・ウェンリーの演説映像を流すためのスクリーンが虚しく残されている。卓上には手付かずのカップや、無造作に散らばった書類が放置され、逃走の切迫感を静かに物語っていた。

 

歓喜の声も、勝利の熱狂もない。

マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーは、ただ圧倒的な静寂に包まれていた。

 

「……政府高官には逃げられたが、ハイネセンという星そのものが占領できた。それだけで十分じゃ」

 

 

逃げられた。その事実は、彼女の自尊心を微かに苛立たせる。ヨブ・トリューニヒトという政治家は、想像を絶するほど逃走の準備に長けていた。これほどの大規模な首都放棄は、事前の計画なしには成し得ない。フェザーンの陥落を察知するよりも前から、彼はこの事態を想定していたのだ。

 

「こちらとしては、残った無辜の民を拘束するわけにもいかん。寛容に構えつつ、我々帝国の統治と同化できるようにするのじゃ。逃げたのはあくまでハイネセンの市民だけなのじゃからな」

 

背後に佇むオーベルシュタインが、静かに首肯する。

 

「御意。残留市民への対応は、寛大さを前面に出すべきでしょう。ここで恐怖政治を敷けば、ヤン・ウェンリーに反撃の大義名分を与えます」

 

「分かっておる。妾は征服者であって、盗賊ではない」

 

「であれば、まずは食糧、医療、通信の安定です。放送局は接収しましたが、帝国式の威圧放送より、同盟市民向けの安心声明を出すべきかと」

 

「安心声明?」

 

「はい。帝国軍は市民生活に干渉しない。略奪を禁じる。行政機関は当面従前の運用を認める。税も急には変えない。これだけで、少なくとも暴動の芽は減ります」

 

「占領したばかりなのに、同盟式の行政をしばらく残すのか」

 

「統治とは、旗を替えることではなく、帳簿を止めないことです」

 

「フェザーン人みたいなことを言うな」

 

「フェザーンを押さえた以上、学ぶべき点は学ぶべきでしょう」

 

マルガレータの唇に微かな笑みが浮かび、そしてすぐに消え去った。

 

「しかし、総統府も統合作戦本部も空。高官の家族もいない。これではヤン・ウェンリーの手足を縛ることはできぬ」

 

「その分、こちらも不要な人質を抱えずに済みます」

 

「お前は何でも都合よく受け取るな」

 

「都合よく解釈できる者だけが、生き残ります」

 

軍靴の足音が、司令室の静寂を破る。

 

フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトとアーダルベルト・フォン・ファーレンハイト。

黒色槍騎兵の指揮官と、水色水兵団の名将。

 

ビッテンフェルトが歩みを止め、胸を張る。

 

「帝国三長官であるヘルクスハイマー元帥に、一つ質問したい!!」

 

オーベルシュタインが一歩前へ出る。

 

「ビッテンフェルト提督。長官は占領行政で多忙の身だ。後にして頂きたい」

 

「この!貴様のような影の男に用はないわ!」

 

「影にも用途はある」

 

「黙れ!俺は元帥に聞いている!」

 

マルガレータは手を軽く上げ、オーベルシュタインを制する。

 

「良い良い。どうしたのじゃ?ビッテンフェルト。そのように声を張らずとも聞こえるぞ」

 

ビッテンフェルトはさらに一歩踏み出す。

 

「此度の電撃的なハイネセン制圧の手腕、誠に見事!武人として賞賛を惜しまん!フェザーンを抜き、敵首都を突く。その大胆さ、速度、まさしく戦史に残る!」

 

「褒めに来たのなら、もう少し柔らかい顔をせぬか」

 

「しかし!」

 

「これは帝国宰相たるファルケンハイン閣下の裁可を頂いた上での行動であるのか!?それとも、死地を逃れるため、私心で起こした割拠か!それを明確にされたし!」

 

司令室の空気が張り詰める。

マルガレータは隣のファーレンハイトへ視線を移した。

 

「……それは隣のファーレンハイトも同じか?」

 

ファーレンハイトは深く頷く。

 

「御意。我々はあくまでも銀河帝国軍人である。主君への忠誠に反する行いであれば、いかに元帥閣下の命令とて従うわけにはいきません」

 

「妾が反逆者なら、お前たちはここで妾に剣を向けるか」

 

ビッテンフェルトは躊躇いなく応じる。

 

「必要ならば!」

 

オーベルシュタインが淡々と告げる。

 

「敵首都の占領直後に内紛とは、ヤン・ウェンリーが聞けば茶を噴くでしょうな」

 

「貴様の理屈は聞いていない!」

 

「我々は閣下の武勲を疑っているのではありません。むしろ、見事すぎるからこそ危うい。ここまで来てしまえば、後戻りは難しい。だからこそ、今、忠誠の向き先を確認したいのです」

 

マルガレータは二人を見つめる。

彼女は十七歳だ。

 

だが、この瞬間だけは、若さを言い訳にできない。彼らは部下であると同時に、帝国軍の将帥である。彼らが求めているのは弁明ではなく、進むべき確固たる旗印なのだ。

 

「ならば、心配は無用です。私は銀河帝国元帥、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーであります。このフェザーンからハイネセンに至る進軍は、全て帝国の国益の為になると信じての行動です。決して私心による反逆ではありませぬ」

 

「ファルケンハイン閣下のご意志に反するものではないと?」

 

「そう信じています」

 

「信じている、か」

 

ファーレンハイトの視線が微かに鋭利さを帯びる。

マルガレータは逃げない。

 

「この行動が、結果として宰相閣下を救います。同盟軍はハイネセンを放置できぬ。ヤン・ウェンリーは反転を強いられ、帝国辺境への圧力は減る。フェザーンとハイネセンを押さえれば、帝国は戦略的不利を一気に解消する。これが国益でなくて何です」

 

ビッテンフェルトは沈黙する。彼は細かな政略は不得手だが、戦場の理は熟知している。マルガレータの言葉は、少なくとも軍事的な合理性において正しかった。

 

「では、内務尚書からの出頭命令は」

 

マルガレータの表情が微かに強張る。

 

「不当なものです。ローエングラム公が急病で倒れた中、我々は味方を救い、壊滅を避けた。それを敗戦と断じ、主戦力を処断しようとする命令は、帝国を害するものです」

 

ファーレンハイトが静かに確認を求める。

 

「つまり、閣下はアナスタシア内務尚書の命令を不当とし、ファルケンハイン宰相への忠誠を保持する、と」

 

「その通り」

 

ビッテンフェルトはファーレンハイトと視線を交わす。二人は同時に敬礼した。

 

「はっ!失礼致しました!」

 

「疑うことは悪ではない。むしろ、この局面で何も聞かぬ者のほうが信用ならぬ。二人とも持ち場へ戻れ。占領は戦闘より難しいぞ」

 

ビッテンフェルトは胸を張る。

 

「黒色槍騎兵は治安維持も全力で行う!」

 

オーベルシュタインが間髪入れずに告げる。

 

「それはおやめください。市民が恐怖します」

 

「何だと!」

 

ファーレンハイトが淡々と肩を叩く。

 

「我々は外縁防衛に回ろう、ビッテンフェルト提督」

 

「うむ。市民に俺の武威を見せる機会はまた今度だな」

 

「今度もあまり必要ないかと」

 

二人が退室し、重たい扉が閉まると、司令室には再び静寂が訪れた。

その瞬間、マルガレータの肩からふっと力が抜ける。先ほどまでの威風は霧散し、十七歳の少女の素顔が疲労とともに覗く。

 

「……どうしたものかな、オーベルシュタイン」

 

「何がでしょう」

 

「先ほどはああ言ったが、妾は内務尚書の粛清から生き残るために、軍令を無視してこの手段を取った。結果論でいかに国益になろうとも、反逆と言われれば反論はできぬ」

 

「反論はできます」

 

「強弁じゃろう」

 

「政治と軍事において、強弁とは弱い証拠を補強する装甲です」

 

「嫌な物言いじゃな」

 

「妾は本当に帝国のために動いたのか。それとも、ただ死にたくなくて、玉座に近づく道を選んだのか。自分でも分からぬ時がある」

 

オーベルシュタインはわずかに沈黙する。

 

「その場合は、ご心配になるには及びません。ファルケンハイン宰相閣下は、我々を討伐することはないでしょう」

 

マルガレータは首を傾げる。

 

「どういうことじゃ?いくら閣下が優しくとも、帝国の法がそれを許さんじゃろうに」

 

「法は解釈されるものです。特に、勝者と必要な者に対しては」

 

「それはお前の理屈じゃ。閣下はもっと筋を通す」

 

「だからこそ、討伐されません」

 

「意味が分からぬ」

 

「……私の勘です」

 

マルガレータは呆れたように笑みをこぼす。

 

「ふふっ!お主が勘とな?理詰めの権化のようなお前が。それはまた……明日にはハイネセンに隕石が大量に降ってくるかもしれんな」

 

「降るかもしれませんな。宇宙ですから」

 

「真顔で返すな」

 

「ですが、勘というのは、言語化しきれない情報の統合です。まったく根拠がないわけではありません」

 

「その根拠とやらを言え」

 

「いずれ」

 

「今言え」

 

「今はまだ、閣下が知る必要のないことです」

 

「妾の運命に関わることを、妾に隠すか」

 

「はい」

 

「悪びれもせぬな」

 

「隠すことも忠誠の形です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【オーディン 宰相府】

 

時は遡る。

 

「オーベルシュタイン、よく来てくれた」

 

「いえ、宰相閣下のお召しとあれば」

 

オーベルシュタインは普段通りに一礼する。だが、室内の空気が尋常ではないことを、彼の鋭敏な感覚は即座に察知していた。護衛の配置が異なる。記録装置の気配も皆無だ。壁には妨害波が張り巡らされている。内務省の耳はおろか、宮廷のいかなる派閥の探りも届かない、完全なる密室であった。

 

「この話は極秘だ。ラングの耳はおろか、誰の耳にも触れるものではない。記録にも残らん。……そのつもりでいてくれ」

 

「…………伺いましょう」

 

「お前達が、アナスタシアに狙われていることは?」

 

オーベルシュタインは表情を変えない。

 

「存じております」

 

「俺が新年の人事を行い、マルガレータに三長官を兼ねさせたのが、お前達をアナの権限から守るためだということは?」

 

「存じております。であるからに、我が主君マルガレータは閣下の手腕に深く感謝しております」

 

アルブレヒトの口元に、自嘲的な笑みが浮かぶ。

 

「……それは真実だろうな。マルガレータの感謝は」

 

「そのようなことは言うまでもございますまい。マルガレータ様はひたすらに身を慎み、帝国のために」

 

アルブレヒトの冷ややかな声が、言葉を遮る。

 

「それが嘘である。という情報を、俺は持っている」

 

オーベルシュタインの眉が微かに動く。

 

「我が主君は覇気に満ちておられますゆえ………」

 

「そして、お前がリヒテンラーデ侯と繋がっているという情報。今の水面下の流れをもって、アナスタシアを逆撃しようとしている情報。……そして、ラングがそれをすでに察知し、アナスタシアに報告しているという情報も」

 

沈黙が部屋を満たす。

オーベルシュタインは深く一礼する。

 

「………どうやら、ファルケンハイン閣下が一枚……いや、遥か上でいらっしゃるようだ。その上で、私に極秘裏に言いたいことがあると」

 

「そうだ」

 

「これはお前への相談ではない。通達だ」

 

「近い未来、そうだな。四月頃に、フェザーン回廊で同盟と帝国の武力衝突が起こる。そしてその動きは、帝国、同盟の全体に広がる」

 

オーベルシュタインは目を細める。

 

「……何をおっしゃっておられる?和平がなったばかりではありませんか」

 

「だが起こる。和平がなったばかりだから、戦争を望む者には時間がない。帝国軍の中で、何者かの息がかかった者たちが、フェザーンの同盟軍に攻撃を仕掛ける」

 

「何者か」

 

「さあな」

 

アルブレヒトは意に介さない様子で肩をすくめる。

 

「帝国は同盟が先に撃ったと主張し、同盟は帝国が先に撃ったと主張する。謀略と思われようが、現実に戦闘になれば、両国とも対処せざるを得ない」

 

「その何者かを、閣下は止めないので?」

 

「止めれば、別の場所で別の火種が起こる。今の宮廷は乾いた藁だ。小さな火を完全に消そうとすれば、かえって奥に火が潜る。なら、燃える場所を選んだほうがいい」

 

「その対応には、ローエングラム公とヘルクスハイマー元帥、そして元帥府の面々が、俺の人事によって起用される。キルヒアイスも事態が事態だ。現役復帰を命じられる」

 

「となると、イゼルローン回廊へは、閣下ご自身が行かれると」

 

「そうなるな。俺は、『なぜか』イゼルローンが突破されたことに驚愕し、辺境で援軍を求める。同盟はフェザーンで、『なぜか』ケンプが負傷した隙を突いてガイエスブルクを突破し、ヤン・ウェンリーが俺の背後を突きに来るだろう。敵の目標として最も目立つのは、帝国宰相たる俺だ」

 

「閣下ご自身を餌になさるのですか」

 

「俺は昔から餌に向いている。身分が高く、顔も売れていて、しかもよく文句を言う。敵が狙いたくなる条件が揃っている」

 

「ご冗談を」

 

アルブレヒトの眼差しには、微塵の笑みもなかった。

 

「敵の主力の戦力は、嫌でも俺に釘付けになる。そこで、お前たちがどう動くかだ」

 

オーベルシュタインの脳内で、全ての絵図面が繋がり始める。

 

「我々が、ヤン・ウェンリーの側背を突く。そして圧倒的な功績を持って、アナスタシア閣下の疑いを完全に消すと?」

 

「いや。ローエングラム公とヘルクスハイマー元帥率いる艦隊は、戦場を離脱して電撃的にフェザーンを占拠し、そこから同盟領へなだれ込んでしまう」

 

オーベルシュタインの義眼が鋭い閃きを見せる。

 

「……首都を突かれれば、同盟は閣下を放置して引き返さざるを得ない」

 

「そうだ」

 

「我々は一戦し、偽装敗北することで合流を断ち、独断で後退すればよいのですね」

 

「偽装敗北、あるいは本当に苦戦してもいい。ヤン相手だ。完璧な台本はない。だが、ラインハルトの体調不良でも、マルガレータの独断でも、理由はいくらでも作れる」

 

「そして、身の危険を感じたラインハルトとマルガレータは、同盟領で割拠してしまう。……それをあとから聞いた俺や帝国にとっては、大変悲しいことだ」

 

「内務尚書アナスタシアは激怒し、討伐を主張するだろう。だが、ここで問題が出る」

 

オーベルシュタインが低く呟く。

 

「三すくみ」

 

「そうだ。俺の帝国軍、ヤン・ウェンリーの同盟残存軍、そしてお前たちの第三勢力。三つの強大な勢力が睨み合う以上、誰かが誰かを攻撃すれば、背後を第三者に突かれる。簡単な軍事行動は命取りになる」

 

「これで俺は、ヤンにも負けず、そして……愛する妻に、お前たちを殺させずに済む」

 

この男は、怠け者を自称する。ぐうたらしたいと嘯き、酒を飲んで寝たいと語る。

 

だが、その頭脳の中では、銀河そのものを盤面に見立てた恐るべき詰将棋が展開されているのだ。

 

しかもその目的は、覇権などではない。妻に血を流させないこと。家族に殺し合いをさせないこと。その極めて個人的な願いのために、戦争と謀略と割拠を緻密に設計している。

 

「閣下は……マルガレータ様が第三勢力として立つことを認めるのですか」

 

「認めるとは言わん。政治的には認めていない。だが、そうならなければ、あの娘はアナに殺される。お前も、ラインハルトも、ヒルダも、場合によってはキルヒアイスやミッターマイヤーもだ」

 

「ならば、なぜ直接止めないのです」

 

「愛する女に、お前は間違っていると正面から言うのは簡単だ。だが、それで止まるなら、そもそもここまで来ていない。アナは俺を愛している。愛しているから、俺のために人を殺す」

 

オーベルシュタインは深く、かつてないほどの敬意を込めて一礼した。

 

「………………感謝しなければなりませんな。その、最初に謀略の火種を落としてくださった何者かには。……ありがとうございます」

 

「どこの誰だか知らないが、お前達からの感謝は受け取っておこう」

 

「では、私はどう動けばよろしいので」

 

「マルガレータを導け。ただし、操っていると思わせるな。あの娘は自分の意思で進む必要がある。偽りの覇王でもいい。覇王として立つと本人が信じなければ、第三勢力は成立しない」

 

「偽りの覇王」

 

「そうだ。だが偽りも続けば本物に近づく。そこから先は、あの娘次第だ」

 

「閣下は恐ろしいお方だ」

 

「よく言われる」

 

「怠け者を自称なさるには、あまりに手が込みすぎています」

 

「怠けるための準備ほど楽しいものはないさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

オーベルシュタインは回想を胸の奥底に沈め、静かに言葉を紡ぐ。

 

「……偶然にも、こちらには内務尚書から狙われた者たちがほぼ全員揃っております。ファルケンハイン閣下も、これほどの功績と戦力を持つ閣下たちを、無為に処断できますまい」

 

「偶然、か」

 

「はい。実に幸運な偶然です」

 

「お前がそう言う時は、だいたい偶然ではない」

 

「世の中には、偶然の形をした必然がございます」

 

「やはり偶然ではないではないか」

 

オーベルシュタインは答えない。

 

「ローエングラム公は療養の必要もあります。この広大な領土を統治するには、ヒルデガルド様やキルヒアイス国務尚書の行政手腕が必要になりましょう。メルカッツ提督とミュラー提督がフェザーンを支え、ビッテンフェルト、ファーレンハイトが軍を押さえる。形は整っています」

 

マルガレータの瞳に、強い光が宿る。

 

「そうだな!ここまでの領土と生産力を持てば、もはやかつてのフェザーンどころではない。強大な第三勢力として、銀河に堂々と打って出られる!」

 

「そのとおりです。ただし、規格の違いと戦線の伸びには気を付けないといけません。帝国式の軍政、同盟式の行政、フェザーン式の商業慣行が混在します。これを無理に一つへ統一すれば破綻します」

 

「では、どうする」

 

「当面は三層構造です。軍事は帝国式、民政は現地維持、経済はフェザーンの商業網を活用。急激な同化は避け、支配の実感より生活の継続を優先します」

 

「妾が征服者なのに、住民に征服された実感を与えぬのか」

 

「面白くはないな」

 

「面白さで統治するわけにもまいりますまい」

 

「心当たりがある物言いじゃな」

 

「ビッテンフェルト提督を都市警備に回す案などは、まさに燃える例です」

 

マルガレータは小さく笑い、やがて窓の外へ視線を向けた。

ハイネセンの空は、抜けるように青い。帝国の空とは違う。フェザーンとも違う。そこに自らの艦隊が浮遊している。ピンク色の装甲は一見して滑稽に映るかもしれないが、今やそれは絶対的な支配の象徴であった。

 

「オーベルシュタイン」

 

「はっ」

 

「妾には、宇宙が手に入るだろうか?」

 

オーベルシュタインは深々と頭を下げる。義眼が冷ややかな光を放つ。

 

「マルガレータ様以外の誰に、それが叶いましょう」

 

「…………そうか」

 

その言葉は、甘美な毒だ。マルガレータはそれを十分に理解している。理解した上で、自らあおりを飲んでいる。

 

覇王へと至るかもしれないという陶酔は、死の恐怖よりも強く、背信の罪悪感よりも遥かに熱く彼女の胸を焦がしていた。

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

ビッテンフェルトとファーレンハイトは、重い足取りで廊下を進んでいた。

 

周囲には帝国兵が立ち並び、同盟の職員たちが引き攣った顔で書類を抱えて足早に通り過ぎる。

 

ビッテンフェルトが低い声で問いかける。

 

「ファーレンハイト。お前は、元帥の言葉を信じたか」

 

「彼女が帝国を裏切るつもりでここへ来たとは思わない。だが、自分の生存と野心が混ざっていることも、本人は否定しきれていない」

 

ビッテンフェルトは鼻を鳴らす。

 

「それは悪か」

 

「軍人としては危うい。だが、人としては自然だ」

 

「俺には難しいな。敵がいれば殴る。味方なら守る。それで済めばよいのだが」

 

「今は敵と味方の線が、ずいぶん細くなっているな」

 

ビッテンフェルトは歩みを止める。

窓の向こうには、ハイネセンの都市光が煌々と輝いていた。彼はしばらくの間、その光の海を無言で見つめる。

 

「俺はファルケンハイン閣下を尊敬している。ローエングラム公も、キルヒアイスも、あの小娘元帥も、俺なりに認めている。だからこそ、誰に剣を向ければよいのか分からん戦は嫌いだ」

 

「ならば、今は市民に剣を向けないことだな。それだけは間違いなく正しい」

 

「ふん。水色のくせに良いことを言う」

 

「その呼称を使うなら、今後一切口を利かん」

 

「……すまん」

 

彼らはマルガレータの配下として行動している。だが、精神の根底では、未だ帝国軍人としての忠誠を保ち続けている。その危うい均衡こそが、この急造の第三勢力を支える脆い柱でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

司令室に残ったオーベルシュタインは、マルガレータの背中を見つめながら、静かに内心の計算を弾いていた。

 

アルブレヒトの描いた三すくみは、確かに芸術的なまでに美しい。だが、美しい構図ほど、現実という熱に晒されれば容易に歪む。ヤン・ウェンリーは予測よりも早く反転するかもしれない。アナスタシアは、三すくみの理を理解した上でなお、強引に刃を振り下ろすかもしれない。アルブレヒト自身が、愛ゆえに予定外の悪手を打つ可能性すら否定できない。

 

そして何よりも、マルガレータ自身の存在がある。

彼女は盤上の駒として配置された。だが、自らが駒であると自覚せずに盤上を駆ける者は、時に指し手の想定を大きく超える跳躍を見せる。オーベルシュタインはそれを恐れていない。むしろ、強く渇望している。

 

アルブレヒトの騙し絵がどれほど精緻であろうと、その中心に立つ少女が真の覇王へと覚醒すれば、絵空事は現実へと変貌するのだ。

 

「何を見ておる、オーベルシュタイン」

 

「未来を」

 

「見えるのか」

 

「少しだけ」

 

「妾は勝つか」

 

「勝つための条件は、揃いつつあります」

 

「では足りぬものは何じゃ」

 

オーベルシュタインは澱みなく応える。

 

「覚悟です。帝国のため、キルヒアイス閣下のため、宰相閣下のため。そうした理由を一枚ずつ剥がしたあと、それでも御身が宇宙を望むのか。その答えです」

 

マルガレータの表情から、僅かに残っていた幼さが抜け落ちる。

 

「……妾自身が、宇宙を望むか」

 

「はい」

 

重い沈黙が降りる。

やがてマルガレータは、再び窓の外へ視線を転じた。

 

「今はまだ、答えぬ。だが、いずれ答える」

 

「御意」

 

その一言で十分だった。

 

偽りの覇王は、依然として偽りのままである。だが、その胸の奥底で、本物へ至ろうとする火種が、確かに産声を上げている。

 

彼女は知らない。

自らが抱いた覇王としての野望のスケッチすらも、怠け者を自称する帝国宰相が、愛する妻の凶行を防ぐために書き上げた、壮大な騙し絵の一部に過ぎないということを。

 

だが、騙し絵の中であっても、人間は自らの足で歩むことができる。偽りの玉座を目指して足掻いた者が、いつしか本物の玉座へ手を届かせることもある。

 

アルブレヒトはそれも計算に入れている。

 

オーベルシュタインもそれを望んでいる。

 

そしてマルガレータだけが、自らの意志で宇宙へ踏み出したのだと固く信じている。

その強烈な信念こそが、偽りの覇王を、真なる覇者へと昇華させていくのだ。

 

少女は、自らが描いたものではない地図を、自らの血と意志で塗り替えようとしていた。




ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
今回はハイネセン占領後の統治、マルガレータへの忠誠確認、そしてアルブレヒトの三すくみ構想を描きました。
マルガレータ、オーベルシュタイン、アルブレヒトの思惑について、感想をいただけると嬉しいです。
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