銀河英雄伝説 〜無能なる俗物が勘違いで英雄に祭り上げられ、気づけば貴族連合盟主としてラインハルトと雌雄を決する件について〜   作:斉宮 柴野

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フェザーンに、リューネブルクがサビーネ皇帝とアンネローゼを連れて現れる。
アナスタシアの暗殺未遂が明らかとなり、マルガレータたちは反逆者ではなく、皇帝を守る軍としての大義を得る。
そして彼女は、キルヒアイスの名を掲げた新たな公国の建国を決断する。


純白の盾、キルヒアイス公国

【フェザーン】

 

フェザーン回廊は、占領直後のざわめきを未だに色濃く残している。

 

港湾管制、商業取引所、通信中枢、航路管理局、軍令部。そのすべてに帝国軍の鋭い警戒線が敷かれている。フェザーン商人たちは表面上の平静を繕いつつ、新たな支配者の動向を値踏みしていた。彼らの強かさは際立っている。旗印が変わろうとも帳簿の計算は止まらず、政権が交替しても請求書は容赦なく発行される。

 

それがフェザーンの流儀であり、マルガレータにとっても好都合であった。都市を焼く必要も、物流を止める必要もない。経済の動脈さえ押さえてしまえば、無益な流血を避けたまま支配体制を築くことができる。

 

だが、緻密な警戒網の端に一隻の高速宇宙船が探知された瞬間、管制室の空気は張り詰めた。

 

モニターに映る船影は民間船の偽装を施している。しかし、推進剤の燃焼光から推測される速度は異常であり、その進路はあまりにも直線的すぎた。通常の商船であれば保険会社が推奨する安全な航路を選択し、密輸船であれば星屑に紛れて身を潜める。

 

亡命者の船であれば、追っ手を恐れて複雑な蛇行を繰り返すはずだ。つまり、この船は極めて厄介な存在であると、管制官の直感が警鐘を鳴らしていた。

 

「接近中の高速艇へ。停船せよ。しからざれば攻撃する。所属と目的を明かし、直ちに停船せよ」

 

規定に則ったオペレーターの無機質な音声が、虚空へ向けられる。占領直後の不安定な宙域で、正体不明の船を通過させる理由など存在しない。マルガレータの艦隊はフェザーンの主要施設を掌握したとはいえ、完全な治安維持には至っていない。もし爆発物を満載した船を中枢部へ招き入れてしまえば、自らの愚かさが後世の歴史書に刻まれることになる。そのような最期は誰もが御免だった。

 

やがて、ノイズ混じりの通信回路が開かれた。

 

「……この船には、やんごとなき身分の方が乗っておられる。至急、ローエングラム公、あるいはヘルクスハイマー元帥に取り次いでいただきたい。私は銀河帝国元帥、ヘルマン・フォン・リューネブルクである」

 

予想外の名の響きに、オペレーターは呼吸を忘れた。

 

「りゅ、リューネブルク元帥閣下!?ファルケンハイン宰相の陸戦隊トップがなぜここに!」

 

モニター越しのリューネブルクは、微かな動揺すら見せない。

 

「答えは直接伝える。繰り返す。ローエングラム公、またはヘルクスハイマー元帥へ取り次げ」

 

「は、はい!直ちに!」

 

通信室は蜂の巣をつついたような騒ぎに包まれた。フェザーン占領に伴う混乱の余波が渦巻く中、ファルケンハイン宰相直属の指揮官が、正体不明の船で高貴な人物を伴って現れたのだ。現場の精神を削り取るには十分すぎる情報量であった。

 

「照合確認!リューネブルク元帥本人です!」

 

「船内に複数の生命反応。護衛数名、女性二名。識別コードは……一部、最高機密封鎖です!」

 

「最高機密封鎖って何だ!」

 

「僕が聞きたいです!」

 

「とにかく撃つな!撃ったら絶対に後で死ぬ!」

 

現場の人間たちは生存本能に従い、正しい選択を下した。トリガーからは手を放したものの、武装解除を強要する度胸もない。結局、二隻の護衛艦を左右に配置し、祈るような緊張感に包まれながら高速船を臨時軍令部へと誘導していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【臨時軍令部】

 

臨時軍令部の奥深くに設けられた病室では、ラインハルトがベッドに身を横たえていた。一時の昏倒からは脱したものの、端正な顔立ちには明らかな疲労の色が滲んでいる。黄金に輝く髪は変わらぬ美しさを保っているが、白い肌の下にはまだ熱の余韻が燻っていた。

 

彼は無理やり上体を起こし、焦燥のあまりシーツをきつく握りしめている。

 

「くっ……情勢はどうなっているのか……。俺が倒れたせいで、ヤン・ウェンリーを取り逃がしたのではないか」

 

その言葉の棘を和らげるように、キルヒアイスが温かなスープの入った器を差し出す。戦火の中で帝国の未来を背負って立つこの男に、今最も必要なのは冷酷な戦況報告ではなく、体の内側から労わる温もりだと彼は確信していた。

 

「ラインハルト様、今はご安心を。マルガレータが見事に撤退戦を指揮し、さらにはこのフェザーンを占領してくれました。今はとにかく、お体を治すことを優先してください」

 

「フェザーンを占領しただと?」

 

ラインハルトの双眸に、鋭利な輝きが戻る。

 

「それは大胆すぎる。いや、戦略的には正しい。だが、兄上の命令はどうなっている。マルガレータはどこまで考えているのだ」

 

「そこは……本人から聞くしかありません」

 

キルヒアイスは穏やかな声音を保ちつつも、胸の奥では警鐘が鳴り響いていた。オーディンからの理不尽な出頭命令、アナスタシアの不穏な暗躍、フェザーン電撃占領、そしてハイネセンへの進撃。歴史の歯車があまりにも性急に回りすぎている。

 

ベッドの傍らで携帯端末を操作するヒルダの横顔も、硬く引き締まっていた。彼女はラインハルトの体温や投薬のスケジュールから、全艦隊の動向、複雑に絡み合う政治状況まで、すべてを同時並行で処理している。戦場の参謀長というよりは、国家の危機管理を一身に担う存在へと変貌していた。

 

「ラインハルト様、今は少なくとも熱が完全には引いておりません。政治判断も軍事判断も、まず熱を下げてからです」

 

「ヒルダ、私は病人扱いされるためにここにいるのではない」

 

「病人なので仕方ありません」

 

「断言するな」

 

「事実です」

 

「キルヒアイス」

 

「はい。ヒルダ様が正しいです」

 

ラインハルトは苦々しさを噛み殺し、重い瞼を閉じた。

 

「お前たちは、こういう時だけ見事に連携するな」

 

「ラインハルト様のお体が関わる時は、我々は同盟軍以上に連携します」

 

「敵より厄介だ」

 

その時、扉の向こうから幾人もの慌ただしい足音が近づいてきた。

入室してきたマルガレータの顔には、いつもの自信に満ちた表情の裏に、隠しきれない警戒心が張り付いている。背後には、オーベルシュタインが影のように控えていた。

 

「ジーク、ラインハルト。大至急の報告じゃ。フェザーン警戒網に、リューネブルク元帥の船が」

 

その言葉が結ばれるより早く、再び扉が開かれた。

 

そこに立っていたのは、サビーネであった。華美な宮廷衣装ではなく、目立たない移動用の衣服を身に纏い、顔色も少し沈んでいる。だが、その瞳の奥には銀河の覇者たる皇帝の確固たる芯が輝いていた。さらに彼女の後ろには、静かに佇むアンネローゼの姿があった。

 

「……!サビーネ陛下!!」

 

サビーネはマルガレータの姿を認めるなり、重圧から解放されたような安堵の笑みを浮かべる。

 

「マルガレータ!無事で何より!」

 

彼女は小走りに歩み寄り、マルガレータの細い手を取った。皇帝と元帥という重い殻を脱ぎ捨てれば、そこには年相応の少女たちの姿がある。だが、二人が背負う運命の重さは計り知れない。

 

「マルガレータたちも、アナスタシアに狙われてオーディンに呼び戻されたと聞きました。……良かった。無事でいてくれて」

 

マルガレータは温もりを返すように手を握りしめ、すぐに視線をリューネブルクへと移した。

 

「どういうことじゃ?なぜ陛下が、リューネブルクと共にここへ?」

 

歴戦の将は、軍人の作法に則り深く一礼する。

 

「陛下は内務尚書が差し向けた暗殺者に襲撃されました。私はファルケンハイン閣下の密命により、陛下と……アンネローゼ様を救出し、こちらへお連れした次第です」

 

「アンネローゼ様も!?」

 

アンネローゼは心配性の青年へ向け、春の陽だまりのような微笑を向けた。その表情には疲労の色が濃く刻まれているが、優しさは少しも失われていない。

 

「ジーク。無事です」

 

キルヒアイスは我を忘れて駆け寄ろうとしたが、手に持つ器の存在に気づき、辛うじて踏みとどまった。ラインハルトの低く押し殺した声が響く。

 

「キルヒアイス、スープなど置け」

 

「はい!」

 

キルヒアイスは真っ直ぐにアンネローゼの前に進み出ると、深い敬意と安堵を込めて頭を下げた。

 

「ご無事で……本当に」

 

アンネローゼは彼の手をそっと包み込む。

 

「あなたこそ、無事でよかった」

 

ラインハルトが痛みをこらえながらベッドから身を起こそうとする。

 

「姉上!」

 

しかし、ヒルダの両手が即座に彼の肩をベッドへ縫い付けた。

 

「ラインハルト様、動かないでください」

 

「姉上が来ているのだぞ!」

 

「だからこそ、倒れるところを見せないでください」

 

正論の刃を突きつけられ、ラインハルトは悔しさをシーツにぶつけるように強く握りしめる。アンネローゼは静かに彼の傍らへ歩み寄り、熱を帯びた額に柔らかな手を当てた。

 

「まだ熱があります。今は休んで、ラインハルト」

 

「姉上……」

 

その優しい響きだけで、彼の内にある反抗心の半分は霧散した。残る半分は、キルヒアイスとヒルダの強固な包囲網によって完全に制圧された。

 

「では、私はこれで、ファルケンハイン宰相のもとに戻ります」

 

サビーネは不安に駆られ、彼の軍服の袖を弱々しく掴んだ。

 

「リューネブルク元帥……残っては頂けないのでしょうか?貴方がいれば百人力です」

 

リューネブルクはその小さな手を、傷つけることのないように優しく外した。

 

「私はファルケンハイン宰相の部下でありますれば。皇帝陛下の命令とあらば残りますが、いかがなさいますか?」

 

それは単純な問いかけではなく、血を伴う覚悟の確認であった。皇帝が勅命を下せば、彼は必ずそれに従う。しかし、それは死地にあるアルブレヒトのもとへ向かう刃を一本減らすことを意味する。彼は皇帝の盾として派遣されたが、本質は宰相の剣なのだ。

 

彼の揺るぎない覚悟を察したサビーネは、寂寥感を滲ませながら微笑んだ。

 

「……良いわ。アル様……ファルケンハイン宰相によろしく伝えて。絶対に死なないでって」

 

リューネブルクは深い哀惜を胸に秘め、静かに頭を下げる。

 

「いえ……。陛下におかれましては、どうか……良い子を産んでください」

 

サビーネの瞳の奥で、涙が光を反射して揺れた。

 

「ありがとう」

 

踵を返し、リューネブルクは部屋を後にする。その背中を引き留める権利は誰にもない。

 

彼が向かう先は確実な死地かもしれない。オーディンへ戻れば、アナスタシアの冷酷な監視網が彼を絡め取るだろう。それでも、彼の歩みに一糸の乱れはなかった。

 

扉が閉まると同時に、オーベルシュタインが影から一歩前へ出た。

 

「閣下……。この状況、まさに」

 

マルガレータは感情を排した低い声で応じる。

 

「わかっておる」

 

彼女はサビーネへと向き直った。つい先程までの少女の面影は消え去り、そこには政治家であり、軍の指揮官たる顔があった。

 

「サビーネ陛下、事態は極めて深刻です。我々が生き残り、そして帝国を正しき道に引き戻すには、君側の奸を取り除く以外にありません」

 

「アナスタシア……それにラングね」

 

「はい。ですが、我々が動けば、あちらから見れば単なる反乱勢力になります。このままでは将兵の士気も保てぬ。家族をオーディンに置いている者も多い。反逆者となれば、彼らは戦えません」

 

「だから、私が必要なのですね」

 

「はい。陛下には、我々の大義名分として、お力をお貸しいただきたいのです」

 

サビーネは迷うことなく深く頷いた。

 

「わかりました。アル様を縛る鎖を、私が断ち切ります」

 

その声は静かであったが、確かな重みを持って部屋全体に響き渡った。戦場を知らず、宮廷の毒牙に対する免疫も薄い若き皇帝。しかし彼女は、自身が為すべき役割を理解していた。

 

マルガレータは床に膝をつき、最上級の礼を取る。

 

「ありがたきお言葉」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジーク!今すぐ、妾と結婚してもらう!!」

 

別室に移動するなり、マルガレータはキルヒアイスの胸ぐらを両手で強く掴み取った。

 

突然の宣告に、キルヒアイスは目を瞬かせるしかなかった。

 

「ん?どうしたんだい、突然。……結婚は君が十八歳になってからと言っていたじゃないか。もうあと数カ月待てば」

 

「そう悠長なことも言ってられん!」

 

マルガレータは焦燥を露わにして首を横に振る。

 

「我々はこれより、同盟領とフェザーンをもって割拠する」

 

キルヒアイスの顔から血の気が引いた。

 

「正気か!?いくら命を狙われているとはいえ、そんな事をすればファルケンハイン閣下は」

 

「仕方ないのじゃ!わかっておろう!我々はオーディンに戻れば問答無用で死ぬんじゃぞ!」

 

「それは……」

 

キルヒアイスの反論は喉の奥でつかえた。アナスタシアが放った刺客の存在は、皇帝とアンネローゼが襲われたという事実をもって、もはや単なる疑心暗鬼ではなく血を伴う現実となっていた。

 

「ジーク……。私も襲われました。リューネブルク元帥がいなければ、今頃命はありません」

 

「アンネローゼ様……」

 

「私は、あなたやラインハルトを戦わせるために来たのではありません。でも、このままオーディンへ戻れば、きっと誰も守れない。アナスタシア様が何を恐れているかは分かります。けれど、その恐れはもう刃になっています」

 

マルガレータは掴んでいた手を離した。

 

「サビーネ様を擁して、我々は半ば独立するしかない。だが、完全に敵対しては、帝国と同盟が手を組んで我々を挟み撃ちにする可能性がある。特に同盟は、すぐにでもハイネセンを奪還しに来るかもしれん。今は、大義名分とクリーンな象徴が必要なのじゃ」

 

キルヒアイスは困惑の沼に沈み込む。

 

「それで……結婚とどう結びつくんだい?」

 

「我々は、これよりキルヒアイス公国を建国するからじゃ!!」

 

「え!?僕の名前を!?」

 

「うむ!」

 

「なぜ!?」

 

「ローエングラム公国では、内戦後もラインハルトに簒奪の野心があったのかと声望を失う。ヘルクスハイマー公国でも、妾の野心が露骨すぎて同じことじゃ。じゃから、帝国の誰もが認める清廉潔白な男、キルヒアイスの名前を冠して、グリーンでクリーンなイメージで出発するのじゃ!妾が公王に即位して、ジークは公王配じゃな」

 

「…………ラインハルトが知ったら激怒するよ」

 

「だから、ラインハルトには少し元気になってから言う」

 

「余計に怒ると思う」

 

「私が説得するわ。ヒルダさんとも協力して」

 

キルヒアイスの脳裏に、自軍における最強の抑止力二名の顔が浮かんだ。あの金髪の覇者が、この二人の連携を前にして抗えるはずがない。いや、抗おうと足掻きはするだろうが、最終的には薬効と毛布、そして絶対的な正論の前に屈する運命にある。

 

「…………きっと逆らえないでしょうね、ラインハルトも」

 

「ジーク!」

 

諦めと愛情が入り交じった苦笑がこぼれた。

 

「……わかった。結婚しよう、マルガレータ。前倒しになっただけだしね。参列者が減りそうなのだけは、少し残念だけれど」

 

マルガレータの顔に、朝日のような輝きが満ちる。

 

「うむ!!それでこそ妾の夫じゃ!!」

 

彼女は弾かれたように飛びつき、キルヒアイスの胸に顔を埋めた。キルヒアイスは彼女の華奢な体を受け止めながら、その内側に宿る途方もない質量を感じ取っていた。これは愛する者との誓いであり、同時に数多の命と国家を背負う契約だ。

 

アンネローゼは二人の姿を慈しむように見守っている。

 

「ジーク」

 

「はい」

 

「あなたの名前が、多くの人の盾になります。つらい役目かもしれません」

 

キルヒアイスは目を閉じ、自らの運命を受け入れる。

 

「分かっています。ですが、誰かが盾にならないと、皆が剣ばかり持つことになる」

 

「あなたらしいわ」

 

「本当は、ラインハルトの隣で普通に戦いたかっただけなのですが」

 

「普通ではないぞ、ジーク。お前は妾の夫で、公王配で、クリーンな国名の本体じゃ!」

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

窓の外では、新たな歴史の幕開けに向けた準備が進められていた。

 

兵の再編成、放送局の接収、サビーネの声明文の起草、そしてキルヒアイスとの婚姻の法的手続き。

 

執務室で星図と向き合うマルガレータの前に、オーベルシュタインが静かに佇んでいる。

 

「これで良い。名分は立った」

 

自らの決断を確かめるように、マルガレータは言葉を紡ぐ。

オーベルシュタインは僅かに首肯した。

 

「御意。とにもかくにも、我々に必要なのは内外に対する正当性です」

 

「表向きは、帝国の半属国たる公国を名乗ることで、二国への致命的な敵対を牽制することができる。そして、将兵たちにも帝国への反逆ではないと安心を与えられよう」

 

「家族をオーディンに残してきている者も多い。ここが反乱軍ではなく、皇帝サビーネ陛下の承認を受けた正当な公国であると示せば、彼らは家族をフェザーンやハイネセンへ呼び寄せる理由を得ます」

 

「君側の奸を討つと宣言すれば、アナスタシアも不用意に人質には手が出せん。皇帝暗殺未遂の疑いをかけられている者が、さらに軍人家族へ手を出せば、さすがに帝国全体が揺れる」

 

「その通りです」

 

フェザーンの資本、ハイネセンの工業力、そして人口と資源。それらの数字が、彼女の脳内で新たな国家の骨格を形成していく。

 

「そして、しばらく国力を伸ばしていけば……フェザーンの資本と、ハイネセンの工業力をもって」

 

「帝国本国にも、同盟政府にも対抗し得る戦力を整えられます」

 

マルガレータは指先で星図の全域を優雅になぞった。

 

「妾は銀河の覇者となろう。サビーネ陛下には、銀河統一の暁に大公の位と、その子には宰相の座を与えて手厚く保護すればよい。アナスタシアの恐怖政治と逆を行けば、おのずと民の声望はついてくる」

 

「慧眼に存じます」

 

「本当にそう思っておるか?」

 

「はい。恐怖に対抗するには、寛容と秩序を見せるのが有効です。ただし、甘さと見られれば舐められます」

 

「そこはお前が締めろ」

 

「承知しました」

 

「それから、ジークの名を掲げる以上、略奪や暴行は絶対に許さん。キルヒアイス公国の名で汚い真似をすれば、我々の清廉さが最初から泥に落ちる」

 

「軍規違反への処罰は厳格に行います」

 

「うむ。妾の国は強く、美しく、そしてジークの名前に恥じぬ国でなければならぬ」

 

沈黙が、ほんの一瞬だけ長くなった。

 

「閣下。国家とは、名に引かれるものです。キルヒアイス公国を名乗るならば、清廉は単なる宣伝では済みません。民も兵も、閣下ご自身も、その名に縛られます」

 

「望むところじゃ。妾は野心を持つ。だが、野心のためにジークの名を汚すほど安くはない」

 

「そのお言葉があれば十分です」

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

【フェザーン 中央広場】

 

数十万に及ぶ帝国軍の将兵が整然と列をなしていた。

 

周囲の建築物には、帝国の双頭の鷲、サビーネの皇帝旗、そして新たに制定された白と緑を基調とした旗が風に翻っている。

 

それは赤毛の青年の高潔な魂をそのまま写し取ったかのような、戦場には不釣り合いなほどに爽やかな意匠であった。

 

マルガレータの趣味に任せればより絢爛なものになったはずだが、キルヒアイスとヒルダの強硬な反対によってこの形に落ち着いたのである。

 

壇上の中央に立つマルガレータの背後には、玉座に見立てた椅子にサビーネが座し、アンネローゼが静かに寄り添っている。キルヒアイスはどこか居心地の悪さを隠せない表情で隣に立っていた。病床にあるラインハルトの姿はないが、彼の強烈な存在感は確かにこの場を満たしている。

 

マルガレータはマイクを前にし、凜烈たる声を響かせた。

 

「忠勇なる我が元帥府、そしてローエングラム元帥府の兵士たちよ!!我々は今、歴史的な崇高なる使命を戴くに至った。……こちらにおわすは、銀河帝国共同皇帝、サビーネ・フォン・ファルケンハイン陛下である!!」

 

どよめきが波のように広がる。至高の存在である皇帝が、オーディンを離れこのフェザーンの地にいる。その意味するところを、兵士たちは理解しようと思考を巡らせた。

マルガレータの言葉が続く。

 

「サビーネ陛下がなぜここにおられるのか。それは!内務尚書アナスタシア・フォン・ファルケンハインの謀略により、命を狙われたからである!!」

 

将兵の間に走った衝撃が、ざわめきに変わる。

列の中で、ビッテンフェルトが愕然と目を見開いた。

 

「なんと……!内務尚書が陛下を!?」

 

ファーレンハイトは感情を交えずに事実を分析する。

 

「……なるほど。大義名分を得るための、そういう筋書きか。あの小娘、化けたな」

 

「筋書きだと?」

 

「事実でもあるだろうさ。ですが、それをどう見せるかは政治ということだ」

 

「俺は政治は嫌いだ」

 

「しかし今、その政治が我々の首を守っています」

 

「それは……否定できん」

 

マルガレータの声が、広場の隅々にまで浸透していく。

 

「これは銀河帝国始まって以来の危機である!アナスタシアはエリザベート陛下を唆し、ファルケンハイン宰相を出し抜き、このような暴挙に至った!さらには私、ヘルクスハイマーやローエングラム公爵までもを、無実の罪で銃殺しようと画策したのである!!」

 

兵士たちの困惑は、確かな怒りへと変貌を遂げた。自分たちは決して国家に弓を引く反逆者ではない。理不尽な粛清から主君と皇帝を守り抜くための、正義の軍隊なのだ。

 

サビーネが静かに立ち上がる。その若く疲労の滲む横顔には、痛々しさよりも気高さが勝っていた。

 

「余はここに宣言する。銀河帝国を正しき秩序に導くために戦うことを。……アナスタシアを排除し、ファルケンハイン宰相をお救いする。そのために戦うことを!」

 

数十万の兵士が息を呑み、広場は完全な静寂に包まれた。皇帝の声音は決して大きくはない。だが、そこに宿る正統性の響きは、いかなる艦隊の砲火よりも重く彼らの魂を打った。

 

「マルガレータはこの度、国務尚書ジークフリード・キルヒアイスと結婚し、マルガレータ・フォン・キルヒアイスとなります」

 

あまりにも唐突な婚姻の発表に、陣形がわずかに揺らいだ。キルヒアイスは羞恥に耐えかねたように視線を落とすが、当のマルガレータは堂々と胸を張っている。

 

「そしてここに、マルガレータ・フォン・キルヒアイスに公爵の爵位をもってその忠節に報い、キルヒアイス公国の公王となることを命じます!」

 

マルガレータは流れるような動作で深々と膝をついた。

 

「はっ!ありがたき幸せ!!」

 

自分たちは反逆者ではない。皇帝に認められた正義の剣である。そして、新たに戴く国家の名は「キルヒアイス」

 

誰しもが知る、私心を持たぬ赤毛の英雄の名だ。権力闘争の泥を被ることのない、純白の盾がそこにあった。

 

マルガレータは立ち上がり、両手を天高く掲げた。

 

「これは反逆ではない!!これはただの割拠でもない!!これは、正当なる権利と平和の奪還である!!」

 

「我らは正当なる公国として、銀河帝国に正当なる政治を取り戻すよう強く求めるものである!!真に銀河帝国に忠誠を誓うものは、私に、キルヒアイス公国に力を貸してほしい!!」

 

一瞬の静寂。

 

直後、地を揺るがすほどの歓声が爆発した。

 

「ジーク・キルヒアイス!!」

 

「ジーク・カイザー・サビーネ!!」

 

「ジーク・キルヒアイス!!」

 

広場は圧倒的な熱量に包まれた。無数の拳が天を突き、感極まって涙を流す者、歓喜に顔を綻ばせる者、そして家族をこの地へ呼び寄せる決意を新たにする者の姿があった。

 

「僕の名前が、こんなことになるなんて」

 

アンネローゼが彼の横顔を見つめ、優しく微笑んだ。

 

「あなたがそれだけ信じられているということよ」

 

「重いですね」

 

「ええ。でも、あなたなら支えられるわ」

 

この事実は、オーディンの玉座に座るアナスタシアを、未曾有の窮地へと追い詰めることになるだろう。




ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
今回はサビーネとアンネローゼのフェザーン到着、マルガレータとキルヒアイスの婚姻、そしてキルヒアイス公国の建国宣言を描きました。
公国名の意味、キルヒアイスの立場、サビーネの宣言について、感想をいただけると嬉しいです。
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